※※これは、本編で、長くなるだろうと思われたため省いた、単なる「没シーン」です。
特に意味はないので、興味が無い方は、見ないほうが得策かと……※※
アイススケートにて
「………………あ、雪崩…………………………。」
見たくも無い物を見てしまった気がして、彼女は額に手を当てた。
出来ることなら、頭を抱えて座り込んでしまいたい所なのだが、いかんせんそうは出来ない状況にあった。
額にやられた手も、すぐに隣から奪い取られ、注意するような声が飛んでくる。
「クレオさん! マニキュア塗ってるんですから、動かないでくださいよっ!」
もう、と怒ったように眉を寄せるのは、公式の場に出るとき、いつも支度を手伝ってくれた青年である。
彼は、真剣極まりない表情で、衣装とおそろいのマニキュアを、彼女の両手に塗っている所だったのである。
「お前……さっきスイ様が上に行ったのを見て、何にも思わないのか?」
「…………現実逃避って言葉を、ご存知ですか?」
ふっ、と暗く笑うグレミオに、何かあったことだけは悟る。
恐らく、クレオ達の準備を手伝いに来る前に、何か一騒動起こしたのだろう。
何せ今回は、昔からのいたずら友達が側にいるのだ。
一体何をしているのかと思ったら、クレオはため息を禁じ得ない。
「まったく――しょうがない。」
けれど、口元に浮かんだ微笑みは、柔らかく、優しかった。
グレミオはそれを見上げて、おや、と言いたげに眉を上げる。
「クレオさんも成長してるってことですかねぇ。」
「……何が言いたいんだい、あんたは。」
小さく呟いたつもりだったのだが、クレオには丸聞こえだったらしい。
塗り終えたマニキュアを片づけるグレミオから、自分の手を奪い返し、彼女は冷ややかに睨み付ける。
その後、奇麗に塗られた爪を見て、満足したような笑みを浮かべた。
「やっぱり、あんたに塗ってもらうのが一番奇麗だね。」
「クレオさんの爪を塗るのは、昔から慣れてますからね。――さて、次は髪ですね。」
用意してあった櫛と髪飾りを手にしながら、グレミオはクレオの背後に回る。
正面に広がる湖には、アイススケートのためだけに、氷が張られていた。
スケートの跡を付けないために、練習すら禁止されている氷は、きらきらと反射して美しかった。
「それにしても、こんな衣装まで着なくちゃいけないなんて……。」
「あ、そういえば、パーンさんが、後で見に来るって言ってましたよ。」
「……………………あ、そう。」
面白そうだと、それはそれは楽しそうに笑う男の顔が浮かんできて、クレオは紅を塗られた唇を歪めた。
いつも簡素な化粧しかしないその顔は、今日ばかりは華やかであでやかであったが、先ほどから湧き起こる騒動に、常に歪められていた。
「テオ様も、ご様子を見に来るとおっしゃってましたし。」
さらさらと、髪に櫛を通しながら、グレミオが言った台詞に、そう、と相づちをうとうとしたクレオは、聞いた内容に軽く目を剥く。
「て、テオ様っ!? なんで、あんた……っ。」
敵方にいるあの人と、話しなんてしてるんだいっ!?
見上げた先で、グレミオが笑顔で答えてくれた。
「さっき、おやつの時間に、差し入れしてきたんですよー。アレンさんと、グレンシールさんが、テオ様とおはなししたいとおっしゃったので、それならと思いまして。」
緩く首を傾げてのグレミオの台詞に、クレオはコメカミを揉み解す仕種をする。――正直、それ以外今の気持ちをたとえようがなかったのである。
スイだけならいざしらず、こいつと言い、アレンやグレンシールまでもがそんなことをするとは――と、言いたげである。この中で最もテオに長く仕えているクレオとしては、なんとも複雑な新居を抱くほかなかった。
そんなクレオに気付いてか気付かずか、グレミオは楽しそうに鼻歌を歌いながら、クレオの頭を華麗にしていく。どこからか摘んできたらしい生花を差し込み、香油で撫で付け、薄いレースを施す。
丁寧でありながら早い手つきに、感心したようなため息が隣から聞こえてきた。
見上げると、奇麗な金髪を流したままで、衣装だけ身につけているソニアが立っていた。
彼女は、ほどほどに露出を押さえた衣装の上から、寒さ避けのためのショールを羽織り、真剣にグレミオの手元を見つめている。
そして、再びため息を零した。
「うまいものだな、グレミオ。」
見る見るうちに髪の毛が一つの芸術と化して行く様は、確かに見事としかたとえようが無くて、ソニアは思わず自分の髪を摘まんだ。
いつもよりも顔色のいい気のする彼女の美貌に微笑みかけて、グレミオが答える。
「そりゃ、クレオさんを女らしくするのは、こういう時くらいしかありませんから、昔から、人一倍苦労してきましたしねぇ。」
「あんたは一言も三言も余分なんだよっ!!」
とっさに振り返って反論したクレオに、グレミオは驚いたように目を見開き、櫛を持った両手をあげて――あ、と呟く。
自分が口にした内容のひどさに、やっと気付いたようである。
彼は、目を泳がせるように左を見て、右を見て――それから、えへ、と笑った。
その笑顔は、どこぞのおぼっちゃまに良く似ていた。さすがは育ての親である。
「ま、まぁ、いいじゃないですか。ほぉーら、クレオさん。まるで別人のような美人さんですよぉ?」
慌てて櫛を置いて、鏡を手に取る。
「だから、さっきからどういう意味だと……っ。」
拳を握ったクレオが、キッと顔をあげる。
その目前に鏡を出され、クレオは自分の顔と対面するはめになった。
「なかなかのものでしょ?」
自分の失言に未だ気付いてないらしいグレミオが、満足げに笑う。
ソニアが、背後からクレオの髪をマジマジと見つめていた。
そのソニアの華やかな美貌を従えても尚、クレオの美しさは少しも損なわれていなかった。
いつもの戦士の毅然とした表情も加わり、きつめの美人に仕上がっている。それは、クレオの魅力を十分に引き出すもので、他の誰に頼んでも、これほど見事にし上げるころはできなかっただろう。
「………………こういう時、あんたはすごいと思うよ。」
「伊達に15年も、クレオさんを女らしくする方法を模索してなかったってことですよっ! 見事な熟女っぷりでしょうっ!?」
「グレミオ?」
「……はい?」
「その口、そんっなに、えぐってほしいのかい?」
「――――遠慮いたします。」
にこにこにこにこ、と笑いかけるクレオに、グレミオの言葉が尻つぼみになる。
そんな二人を見やりながら、ソニアは再び自分の髪をいじった。
クレオは、未だ髪を流したままにしているソニアを見上げて、唇に笑みを刻む。
「ソニア様。グレミオでよろしかったら、いかがです?」
「……………………いや、私は………………。」
微妙に眉を寄せて、ソニアがかぶりを振るよりも先に、
「ぜひっ! やらせて下さいっ!!!!」
グレミオが、キラキラと光る瞳でソニアにせまった。
その思いも寄らない勢いに、じりり、とソニアが下がる。
グレミオは、両手で櫛を持ち、髪飾りを握り締め、ソニアを見上げるようにして彼女を覗き込む。
「私、前から、ソニア様の髪を結いたいと、思ってたんですっ!」
「………………?」
尋ねるような視線を向けたソニアに、クレオは簡素に言い切る。
「ぼっちゃんの、髪をいじるのが好きな癖は、グレミオ伝授ですから。」
「……ああ、そういうことか。
だが、髪は女の命、そうやすやすと男に触らせるのは……。」
アイリーンを呼んでいるから、彼女にやってもらうと、ソニアが断りを入れようとしたその時、
「大丈夫ですっ! 公式の場用のメイクも髪飾りも、何もかも習得していますからっ!」
グレミオが、自信満々に自分の薄い胸を叩いた。
思わずジリリと後退したソニアの視線の端で、いつものことだと言いたげに、クレオがため息を零している。
いつになく、あでやかで薄い服に身を包むクレオは、その顔立ちを強調するような化粧と、華やかな髪型とで、一層美しく輝いていた。
これをグレミオが一人で、それも短時間にやってのけたのだから、確かに腕はいいのだろう。前々から思っていたことだが、その料理の腕や家事の腕――王宮で召し抱えられてもやっていけるに違いない。もっとも、それをグレミオが喜ぶかどうかはわからないけれども。
グレミオのその腕が、テオのため――ひいてはスイのために磨かれてきたことは、誰もが認めることである。スイの舌が貧乏臭くならないように、テオが人を招いたときに恥ずかしい思いをしないように、彼らが公式の場に出るときに、それなりの格好であれるように。
「……いや、それは……良く知っているが……。」
テオやスイが、貴族たちの集まりに顔を覗かせるときや、公式の場に出るときに、ピシリとした姿をしているのは、グレミオの功績もあると、ソニアは知っている。
昔、顔を覗かせたときに、グレミオが必死の表情で、暴れるスイを押え込んだり、テオの前に後ろにと走っているのを見たことがあるからだ。
何よりも、クレオのこの出来栄えを見て、それを疑う事は出来ない――出来ないのだが。
「だが、私は――……。」
ためらうように視線を外すソニアが、小さく下唇をかむ。
しかし、ソニアの乙女のためらいなどに気付きもせず、グレミオは流れるままにしてあったソニアの髪を手にした。
「やっぱりソニア様の髪は奇麗ですねぇ♪ 手触りもいいですし……ああ、柔らかいですから、髪が零れてこないように、しっかりとピンで留めて――結構動きますから、そうですねぇ、髪飾りはそんなに重くない物にしませんとねっ。」
慌てたソニアの制止の声も聞かず、はいはい、と口先だけで答えながら、グレミオは手先を動かせる。
ぐいっ、と髪を引っ張られ、ソニアが思わず片目を閉じるのに、
「あんまり動くと、頭が痛いですよー。あ、クレオさんー、そこに置いてある香油取ってくださいねー。」
慣れた手つきで、グレミオの手がソニアの髪を纏めて行く。
ソニアが睨むようにクレオに訴えかけるが、彼女は無駄ですと言いたげに首を振った。
奇麗な瓶に入った香油をグレミオに手渡しながら、彼女はソニアに小さく呟いて見せた。
「無駄です――このグレミオは、あのスイ様とテオ様の足掻きを全て封じ、あれだけの装束を纏わせる男ですよ?」
「…………………私は………………女を、捨てたのだ………………。」
ソニアは苦く呟いて、苦痛の表情を浮かべた。
クレオは、間近で聞こえたその言葉に、一瞬言葉を詰まらせ――淡い笑みを浮かべた。
それがどれほど重い言葉なのか、良く分かっているからこそ、彼女は何も言えず、鏡に映った自分の顔を一瞥する。
紅の塗られた唇も、長く整然と揃った睫も、きつめの瞳を和らがせるシャドーも、何もかもが女の顔をしていた。
確かに自分が「女」であることは否めないことだけど、女であることに依存してはいけない。
これは、女の「武器」だ。
まともに化粧もしていなかった最近の生活を思い出して、
「……ソニア様……。」
どんどんと「女」が強調されていくソニアを見やった。
そんなソニアの髪を結い上げながら、グレミオが微笑みを口元に浮かべて囁く。
「いいじゃないですか、今くらい。
テオ様の冥土の土産に、それくらい見せてあげてください。」
「…………っ!?」
「テオ様は、あなたが女性であることを捨てようとしていたのを、とても悲しんでおりましたから。」
優しく優しく――ソニアの髪を纏めて行く。
その手つきが、泣きじゃくるスイをなだめる時のそれに似ていて――クレオは、無言で顔を背けた。
うつむいたソニアの白い面を、見てはいけないような気がして……。
エピローグ、解放軍陣営のその頃
「オデッサーっ!!!!」
「……………………………………。」
門が消えた瞬間に叫んだフリックの身体を、強引にねじ伏せるようにハンフリーが羽交い締めにする。
「俺は……俺はまだ、君に何も……っ!!」
じたばたと暴れるフリックを、ハンフリーは、遠い瞳で門の消えた場所を見つめた。
そこには、自分が共感し、力を託すことを誓った女性がいたのだ。
「………………………………………………。」
口にすることのない思いを乗せて、見つめたハンフリーの隣で、
「あきらめたら、フリックさん? ほら、フリックさんには、マッシュさんを看病するって言う、オデッサさんから託された指名があるじゃないっ!」
テンガアールが、呆れ声前半、わざとらしさ後半でもって、背後で倒れているはずのマッシュを示した。
フリックが、動きを止めて振り向いた瞬間、
「さぁ、皆さん、最後の戦いの始まりです。気を抜かずに行きますよっ!」
死に掛けていたはずの顔に、わずかばかりの生気を宿して、マッシュが宣言した。
その声は、とてもじゃないけれど、死に掛けていた人には見えなかった。
「元気じゃないかーっ! 俺は、俺はオデッサに──っ!」
「…………無駄だ…………間に合わん。」
慌ててハンフリーの腕を解こうとしたフリックに、ハンフリーが、ぽつり、と呟く。
それを聞いて、フリックは顔を引き攣らせ──そして力なくしたように、がくり、とうなだれた。
震える肩が、痛ましい。
「…………………………くそ…………オデッサ…………君は、どうしても俺に──俺に………………っ。」
「……生きていて、欲しいんですよ。
あの子は……。」
マッシュが、少しだけ青ざめた顔をごまかすように笑いながら、フリックの肩を叩く。
彼もまた、消えた門を見つめ──そして嘆息する。
結局、私もまた、あの子に言うことはなかった。
──それはきっと、あの子の望んだ事なのだろうけど。
その後 ソウルイーター内
「それにしても、久々に楽しかったわーっ。この中でやる遊びも、ちょうど飽きてきてたしねっ!」
「うんうん、言えてる。俺も、スイとおちゃらけた会話を楽しめたしねー。」
「………………ずいぶん、楽しんだようだな。」
「そりゃもうっ! ──で、テオ様はどうでした? ん? スイの成長した姿を見て、さ。」
「背は一ミリも伸びていなかったがな。」
「あいたっ、それは、俺にとっても痛い台詞です。」
「そうよねー。テッド君、せっかく身長伸びても、すーぐ死んじゃったしねぇ。」
「うわわ、オデッサさんも痛いです。」
「……そういえば、オデッサ殿は、レパントと……あと、ヨシュア殿だったか? 彼らと何やら話していたようであったが?」
「ああ、解放軍が勝利した後の、共和国についての、初期解放軍の見解を聞かれただけよ。私達は、どうしようとしていたのか、とか。──私も、どうなるのか興味あったしね。
まぁ、それって、卑怯な手段だと思うんだけど。」
「卑怯っすか??」
「そう、卑怯でしょ? 死人がでしゃばってるんだもの。だから、素直に答えて置いたわ。」
「……なんと?」
「……スイ君が望んでいるのは、きっと、皆の心に王様がいることだって。みんなが王様であることだって。」
「………………………………自分が、自分の国の、王となる、か──。」
「ふふ、私達には分かるわね。
戦争が終わって、あの子がどうするのか。
だから、私はそれに、ちょっとだけ力を貸したの。──そうしたかったから。」
「……さぁて? もしかしたら勝つのは、帝国かもしれませんよ?」
「あ、それはないない。テオ様、そういう甘い考えは、人生の先駆者としては、失敗だと思いますよー。」
「あら、テッド君? あなたが一番、先駆者だと思うのだけど?」
「あ、そうっすねー。あっはっはっはっは。」
「うふふふふふ。」
「はは……。」
「なんか、僕の右手…………楽しそうなんだけど…………。」