お姫様救出作戦

1主人公:スイ=マクドール



「あー……暇だなー……。」
 ごろん、と空を仰ぐように横になっているのは、このジョウストン都市同盟軍の中でも有名な女好きの一人である、トラン共和国大統領の一人息子である。
 彼に話し掛ければ常に女の子の話題が出てくるとまで言われている青年は、今日は珍しく少女達の情報を収集するわけでもなく、ナンパにいそしむでもなく、ただボンヤリと空を眺めていた。
 この間から遠征などもなく、隣国のハイランドとの小競り合いも途絶えていて、平穏極まりない月日が流れていた。
 最初の頃は、これこそまさにチャンスとばかりに、近隣諸国にナンパにいそしみに行っていたが、気づけば近くは城下町、遠くはティントまで、めぼしい女の子が居る町という町に訪れ、すっかり少女達には「ナンパ師」と認識されるようになってしまっていた。
 おかげで、声をかけた瞬間、そそくさとわざとらしいくらいに避けられてしまう始末だ。
「ピコじゃあるまいし、俺も有名になったもんだ――顔も知られたみたいだしなー……しばらくは、自粛かよ。」
 目を閉じて、きつく眉を顰めるシーナは、そのまま心情を示したため息を零して見せた。
 ごろん、と横を向いて、シーナは自粛の間、どうやって暇を潰そうかと考える。
 別に遊ぼうと思えば、女の子をナンパする以外の方法もいろいろ浮かんではくるのだ。
 メグにしたってテンガアールにしたってビッキーにしたって、シーナが普通に声をかければ、一緒に遊んでくれることは間違いない。それもそれで楽しいが、下心ありの駆け引きめいた遊びはありえない。
 それを思うと、なんだか今ひとつたりない気がしてしまうのだ。
「こうなったら、グレッグミンスターで……いや、親父に見つかっても面倒だし、お袋に見つかったらそれはそれで――。」
 くそっ、と忌々しげに呟き、とりあえず今日は寝て過ごそうと、シーナは片腕で枕を作ると、強引に瞼を閉じた。
 暖かな日差しが頬に落ち、鼻先を草の匂いが漂った。
 そのうち心地よい暖かさに、うとうとと意識が沈んでいこうとした。
 その夢見心地の頬に当たる光のぬくもりが、不意に途絶えた。
 ただそれだけのことなのに、肌に涼しい風があたり、軽い寒気を覚える。
 シーナは眉を寄せて、瞼を震わせ――その瞼の内も照らしていた光がなくなっているのに気づいた。
 ちょっとウトウトしかけただけなのに、もう日が暮れたのか?
 まだ昼にもなってなかったはずだが、と……天気が悪くなったのかと、シーナがソロリと瞼を持ち上げた瞬間。
「…………怠けてるなぁ、シーナは。」
 見慣れた足先が見えた。
 先がとがった靴は、踏み込む瞬間の衝撃を和らげるためだと、師匠が用意してくれたものだと言っていた。
 目を上げていくと、白い包帯と――これもまた、師匠が脚の衝撃を和らげるためと、しなやかな動きをするために必要だといって巻かれているらしい――、紅の胴着が見えた。
 さらに目をあげ、顎もあげて見上げた先に、ちょこんとしゃがみこんでいる少年の、整った顔が見えた。
 仄かに日に焼けた肌と、「寂しげで悲しそうな瞳」と呼ばれるちょっときつめの目と、常に一文字に結ばれているらしい形良い唇と。
 それが誰なのか脳裏が理解した瞬間、シーナは芝生の生えた地面を叩きつけるように飛び起きた。
 がばっ、と音が出そうなほどの勢いで上半身を起こした青年に、シーナを覗き込んだ体勢のまま、少年はしゃがみこんでいる。
「スイっ!? お前、いつコッチにっ!?」
 どうやらシーナを心底驚かせることに成功したらしい。
 しかし、別にそんなことを望んでいたわけではないので、別に嬉しくもなんともなかった。
 スイは折り曲げた膝の上で頬杖をついて、驚いたらしいシーナを間近から覗き込むと、あのさ、と話の発端を作った。
 そして、自分の言葉にシーナが答えないなどということを想像もせずに、こう切り出した。
「囚われのお姫様っていうヤツに、興味ないかい?」






 ジョウストン都市同盟よりも更に南の地――トラン共和国との境界線でもある砂漠の中に、巧妙に隠された塔が存在しているのだという。
 その塔には、とある小さな国の姫君が、悪しき魔術師によって閉じ込められているのだと言う。
 冒険者の中では、有名な「クエスト」らしかったのだが、誰もその塔を見つけることが出来ず、今の今まで誰も解決できないままであった。
 その一部で有名な「塔」が存在する広大な砂漠に、ぽつん、と立つ影が三つあった。
 ジリジリと照りつける太陽が、砂を熱く焦がす中、陽炎のように立ち昇る熱に頭を刺激されながら、シーナは片手で顔を仰ぐ。
 しかし、上と下からの熱攻撃はまったく変化することはなく、シーナの頭をゆで卵にしようとでもするかのように、嫌になるくらいの熱風を作り出してくれていた。
 最近、ずっと湖近くの心地よい気温下に居たためか、この異常な熱さは酷く参った。
「あっちー……っ。」
 舌を出して、汗を流すシーナに、軽装のシーナよりもきっちりと服を着込んでいる同行者二人は、見ているこちらが熱さのあまり眩暈を起こしそうな格好で、立っている。
 立ち上る熱の湯気の中、赤い胴着姿の少年は、軽く首筋に汗を掻いているくらいで、特に暑そうには見えなかった。
 彼は古ぼけた地図を広げて、影の位置と方角とを確認して、どこまでも続く黄金の砂漠を遠くまで見やる。
 強烈な光が降り注ぐ砂漠は、どこを見ても同じようにしか見えなかった。
 きっと、ここに放り出されて、今から帰れと言われても、絶対に帰ることは出来ないと、シーナは自信を持って断言できた。
 こんな中を、良くビクトールのおっさんとフリックは一往復半もしたものだ、とシーナはゲンナリしながら思う限りであった。
 砂漠に落ちるのは、三つの影だけ。
 一つはシャツの胸元を掴んで、中に風を送り込んでいるシーナで、一つは古い地図を広げて現在地と塔の位置を確認しているスイ=マクドール。
 そして残る一つは、どうして僕がこんなところに、と憮然とした顔で、汗一つ掻いていない顔でたたずむ風に愛された少年、ルックである。
 本来なら、こんな馬鹿げたことに参加する意義ももたないルックであったが、解放軍の元軍主様に引きずられてきては、形無しであった。
「ルック。多分あの辺だと思う。ゆがみらしきものも見えるし。」
「それくらい、多少魔力があるならすぐに分かるさ。」
 話すのもかったるいと言いたげなルックを手招き、スイは地図を広げて確認してみせた。
 シーナは釣られたようにその方角に目をやり――くらり、と眩暈にも似た感覚を覚えた。
 思わず額に手を当てると、ルックが鼻でせせら笑うのが聞こえた。
 んだよ、と目だけで睨みつけると、
「魔力値がある程度あるヤツには、アレが気持ち悪いと感じるらしいね……スイ、君は?」
 つい、とルックはスイへと視線をずらした。
 スイは、平然とした顔で地図と目的の場所を見比べている。ただ、少し眩しいらしく、額に手を翳している。
「普通に薄いカーテン膜みたいなので覆われてるみたいに見えるよ。――よぉく目をこらさないと分からないけど。」
 こんな感じ、とわざわざ目を左右から横に引っ張って教えてくれる。
 シーナもよぉく目を凝らして見てみたが、やはり何も見えない。それどころか、見ようと努力すればするほど、目がくらみ、頭の芯からおぞましいほどの気持ち悪さがこみ上げてきた。
 思わず指先で瞼の上を抑えていると、ルックが細く息をついた。
「ま、そんなもんだね。――で、この暑い中、僕に労働しろって言うのかい?」
「当たり前じゃないか。そうじゃないと、あの塔の中のお姫様は助けられないんだよ?」
「……これほどの巧妙な結界を作った魔法使いを、敵に回してまで、助ける謂れがどこにあるのさ?」
 面倒だと言いたげなルックは、スイが少しでも難色を示したが最後、すぐさま帰るつもりでいるのは間違いなかった。
 さっさと帰って、人気のない風呂を選んで、体についた砂を洗い流して、ゆったりとティータイムでも取るつもりなのも間違いなかった。
 しかし、せっかくここまで暇つぶしをしに来たのだ。普通に帰る謂れもなかった。
「それほどの使い手なら、さぞかし珍しい紋章とか、研究所とかを抱えてると思うんだけど、その点についてはどう?」
 地図を丁寧に畳み、懐にしまったスイが、ん? と意味ありげに視線を飛ばしてくるのに、ルックは片頬を歪めるという器用な表現をしたあと、忌々しげに舌打ちをしてみせた。
「今回限りだからね。」
 見つけた「お宝」は、全部もらうよ、と言いおいてから、ルックは無造作に右手を掲げた。
 瞬間、光り輝く眩しいまでの景色が、不意に曇ったような気がした。
 は、と辺りを見回したシーナは、変わらず地面を焼き付かそうとしている太陽の眼差しに射抜かれ、眼球に痛みを覚えた。
 つぅ、と片手ではれぼったい気のする瞼を抑えている間に、ルックは右手に宿った――隠された紋章の力を開放する。
 きぃん――と、耳鳴りにも似た感覚がシーナの脳中を刺激したかと思うや否や、ゴウッ! と、強い風が向こうへと吹き荒れた。
 砂が舞い、砂塵が視界を覆う。
 とっさに両腕をクロスさせて、その砂塵から自分の頭を庇ったシーナは、やがて耳に届く風の音が無くなったのに気づいて、腕を下ろす。
 変わらず照りつける太陽の視線は、先ほどよりも少し緩和したような気がする。
 頭の中に警鐘が鳴り続けているかのような気持ち悪さは、未だ胸を覆っていたが、耐えられないほどではなくなっていた。
 そして何よりも、それらのことを忘れるほど――体の汗を吸って張り付いた小さな砂粒の存在にも気づかないほど、シーナは仰天していた。
 目の前に――ついさきほどまで、薄く立ちのぼる陽炎しかなかった砂地の真ん中に。
「……あれが、お姫様が囚われているっていう、魔術師の塔か。」
 片手を翳して見つめるスイの言葉どおりの古い塔が、聳え立っていたのである。
 地面にあるものを焼き尽くさんとするばかりの強い太陽の光の下、元は見事なレンガ色であったのだろう塔は、随分と色あせていた。
 地面の中に埋もれた辺りには、砂が入り込んでおり、入り口以外は盛り上がった砂の強襲を受けた後も見える。
 窓は最上階辺りにしか見当たらず、現在の時刻を示すかのような影は短かったが、それでもシーナ立ち三人が並んで立つ長さの三倍はあった。
 さきほどまで見えなかった塔の近くまで歩み寄ってくると、それほど高い塔ではないことが分かる。間近で見上げる顎の高さからして――窓が最上階辺りにしかないので、詳しい階数まではわからないが、せいぜいがティーカム城よりも少し高いくらいであろう。
「こんなもんが隠れてたのか?」
 あっけに取られたように、熱を持ったかのようなレンガに触れて、シーナはようやくそれが蜃気楼ではないことを悟った。
 こういう砂漠や海原では、陽炎によって、蜃気楼と呼ばれるものが見えるのだという話を聞いたことがあったから、てっきり先ほどのルックの荒業で、遠くの塔か何かが映し出されたのかと思ったのだ。
「空間を歪めて、ここに何もないかのように見せていたって言うこと。
 相手も相当なツワモノなのか、普通の魔法使いじゃ見えるのが精一杯らしかったけど――さっすがルック、やるときはやるよね。」
 にやり、と笑みを張り付かせて、スイは無言で塔を見上げているルックに視線を飛ばす。
 ルックはルックで、遥かに高い塔を見上げると、無言で塔から伸びる影の辺りを見やった。
 あれほどの強力な結界を作り上げる魔術師相手に、テレポートで頂上まで出るわけにもいかず、かと言って、自分が普段暮らしている「魔術師の島」にある塔のように高い塔を、脚で歩くつもりもなかった。
 となれば、答えは一つである。
「スイ、シーナ。僕はそこで休んでるから、さっさと行って、さっさと目的果たしてきたら?」
 どこからともなく出した本を片手に、そう堂々と宣言してくれたのであったが。
「何言ってるの。こんな暑い中で、ルックを一人残しておいたら、干からびちゃうか倒れちゃうか、砂に埋もれちゃうか、さっさと一人で帰りやがるかもしれない、って不安でたまらないじゃないか。」
 がし、とスイは情け容赦なくルックの手首を掴んだ。
 じろり、とそんな彼を睨みつけて、ルックは唇を歪める。
「言っておくけど、僕はここの結界を解いたので、十分働いたと思うし、疲れてるんだよ。」
「だったらなおさら、こんな外で放っておくわけにはいかないよ。
 だって、僕達の大切なルックじゃないか。」
 キラキラと、友情の光を目に宿してわざとらしく告げるスイであったが、影で少し涼んでいたシーナにも、スイにしっかりと手首を掴まれているルックにも、彼が何を言いたいのかは良くわかった。
 つまり、「帰りの時のテレポートをしてくれる人が居なくなるじゃないか」ということである。
「…………………………どうしてこういう時に限って、あの馬鹿猿から瞬きの手鏡を受け取ってこないんだよ、君は。」
 苛ただしく――事実、二人が塔の中に入ったとたん、一人先に帰るつもりであった――尋ねたルックに、スイから帰ってきた答えは、とても簡単で明白なものであった。
「そんなもの持ってきたら、ルックが僕らを見捨てて先に帰るのは、明白じゃないか。」
 あんまりにもあっさりと、しれっとして告げてくれたので、ルックは用意していた反論を、呆れのあまり飲み干してしまった。
 そうこうしている間にも、ジリジリと照りつける太陽が休むこともなく、また涼しい風が吹いてくるわけでもなく――いくら影に居るとは言えど、上からと下からの熱砂攻撃に、いい加減痺れも切らしたシーナは、ニコニコと笑うスイと、ジットリと睨むルックとを交互に見た後、
「なぁ、どうでもいいけど、さっさと塔の中に入ろうぜ?」
 くい、と塔の入り口らしき、木のドアを指差すのであった。




 塔の入り口の木のドアは、スイがどこからか覚えてきた鍵開けの技術で、非常のあっさりと開いた。
 てっきり何らかの魔法の仕掛けでもしてあると思っていた面々としては、残念極まりないアッサリさである。
 木に半ば埋もれたドアを無理矢理内側に押すと、真っ暗な広間が広がっているのが分かった。
 警戒を露にして、シーナを先に入らせたスイとルックが、中を覗き込み――外の熱さとは異なる涼しい空気に、熱風で焼きついた喉が癒される気すら覚えた。
 ドアを開け放したまま、一同は中へ踏み込む。
 光はドアから差し込む砂漠の太陽だけ。
 中はまったくの暗闇で、シーナは腰に佩いたキリンジを片手に、グルリと周りを見回す。神経を張り巡らせても、誰か居る気配も感じなければ、殺気も感じはしなかった。
 そんなシーナの後ろから、同じく辺りを物珍しそうに眺めていたスイは、ドアから横に歩き、壁に手を添える。
 注意深く、ドアの近くを照らし出す光を元に、壁や床を観察して、ふむ――と唇を引き締めた。
「古くからこの辺りに伝わる建築形式じゃないみたいだね――仕掛けとかをするのには向かない材質と作りをしているから、仕掛け系の罠とかはないと思うよ。……しばらく誰もこの部屋に来ることはなかったみたい。随分埃と砂が積もっている。」
 ざらり、と手に触れた砂と埃を叩いて払い落とすと、続けてスイはルックに目を移した。
 暗い室内を遠くまで見極めるような目で見つめていたルックは、ゆっくりと瞼を落とし、細く息を吐く。
「この階には魔術や札による仕掛けの気配はないね。――ただ、上は違うみたいだ。」
 スイとルックの言葉を受け取り、シーナはキリンジを抜き身で持ったまま、部屋の中央まで歩いていく。
 どうやらここは、塔の一階であり、玄関ホールでもあるらしい。
 高い塔の最下階であるためだろう、相当広い空間である。
 見上げた天井もまた高く、ドアからの光だけでは暗闇に沈んではっきりと見通せない。
 中央まで歩き、目が暗闇に慣れるまで待って、シーナはぼんやりと辺りを確認できるようになってから、もう一度辺りを見回した。
 シーナが立つ辺りよりも少し奥から、グルリと円を描くように外壁が積み上げられているのが分かった。
 歩く拍子に、じゃり、と鳴るのは、ドアの隙間から吹き込んだ砂であろうことは間違いない。
 何一つとして目を引くものがない室内の様子を確認し終えた頃、ドアを開け放したまま、スイとルックがシーナの隣にたった。
「とりえず、上に向かおうよ。」
「向こうに階段がある。」
 とん、と急かすように肩に手を置かれて、更に暗闇に浮き立つ白い指先で、ルックに右斜め前にある階段を指されて――シーナは、やっぱり俺が先を進むのか、とため息を零した。
 渋々先に立って階段へと向かい、ふとシーナは高い天井まで伸びている階段の先、おそらくは二階へと伸びている辺りが、光に包まれているのに気づいた。
 それが示すのが何なのかと、スイとルックを見やると、彼ら二人は当然のように頷いた。
「二階には、灯りが灯されてるみたいだね。」
 要約すると、「気にせずさっさと上れ」ということであろう。
 シーナは苦い顔を貼り付けると、キリンジを握る手に力をこめて、一歩一歩確実に階段を上ることにする。
 スイが言っていた「仕掛けはないはず」という言葉と、ルックの言う、「この階には魔法的仕掛けはない」という言葉を信頼してのことだ。
 他のことならとにかく、彼らはこういうとき、嘘は言わないはずだ。
 もしかしたら、二階に上がった早々、何らかの仕掛けに立ち会うことになるかもしれないが、それは自分が十分注意して進めばいいだけの話なのだから。
 音を立てないように、そろりそろりとのぼり、この塔にどれだけの人が居るのか、どれだけの使い魔が居るのか分からないまま、意識を辺りに張り巡らせて上る。
 そういう事には比較的慣れている方ではあるので、意識せずとも自分の気配を押し殺しながら、辺りを伺うことは出来た。
 階段の階数を大分上り、下を見下ろすと、ドアの辺りから伸びる光が頼りなげに見えていた。その光が届かない範囲の床や壁は、完全に暗闇に染まっていて見分けが付かない。
 下に居たときも思ったことだが、結構天井が高いんだな、とシーナは思いながら、天井近くで歩みを止めた。
 音もなく階段を上っていたルックもスイも、シーナのすぐ下で歩みを止める。
 二階から差し込む明るい光が、シーナの頭の先を照らし出している。
 シーナは、階段に這うようにして、そろり、と二階の様子をうかがう。
 そこへスイとルックも這いよってきたかと思うと、そろってシーナの頭の上から顔を覗かせた。
「壁が光ってる……。光ゴケってヤツか?」
 シーナが呆然と呟くように言った言葉をすかさず拾って、
「光ゴケは、この辺りの生息地じゃないはずなんだけどね。」
「それに、光ゴケじゃこんなに明るくはならないよ。ルックが言っていた、上の階の魔法の力って、コレのこと?」
 ルックが顔を軽く顰めて突っ込み、スイもすぐに彼に疑問をぶつける。
 ルックは軽く首を傾げて、辺りを探るような顔になったが、唇から細く息を零す。
「これもそうだけど、もっと濃厚な魔法の力が、どこかで働いてるね。もしかしたら、使い魔とかがガードしてるのかもしれない。」
 きつく眉を絞って答えるルックの言葉に、おいおい、とシーナは顔を大げさに崩した。
 スイは無言で手にしていた棍をいつでも振り回せるように確かめると、シーナに上へと上がるように指示を出す。
 もう一度二階の床を見回し、壁が光っている以外何も無いことを確認すると、シーナは階段を上がりきった。
 続けてスイとルックも上がりきる。
 暗闇になれた目には、壁が放つ明るさは少々痛かったが、その灯りのおかげで、今度は塔の内部がどういう構造なのか一瞬で判断できた。
 まず、スイたちが立っている位置は、塔の外壁に沿った場所であることは間違いないだろう。さきほど一階部分から階段が伸びていた場所がそうであったからだ。
 そして、階段を上ってする裏手が壁になっていて、左右もまた壁にふさがれている。
 先へ進むためには、緩やかに婉曲した通路を歩く他がない状態で、その通路も人が二人か三人並んで歩けるほどの広さだ。
 おそらくは、このまま進むとドアか何かがあって、広間へと繋がっているのか、塔の中心に部屋があって、その周囲をグルリと通路が回っている形になっているか、その辺りだろう。
「何が出てくるかわかんねぇ……気をつけろよ。」
 シーナがそう告げるのに、明るい場所で改めて自分達の格好を見て、砂を払っていたルックとスイが、ゆっくりと顔をあげる。
「誰に言ってるのさ?」
 はん、と鼻でせせら笑うルックに、そうかよ、とはき捨てるように答えて、シーナは先に立って歩き出す。
 足音を立てないように、前に気を配りながら歩くシーナの後を、スイも同じように軽やかについていく。ルックは目に見えないものに目を配っているかのように、時折宙に視線を這わせていた。
 それほど歩かずして、一つ目の分岐点にたどり着くことになった。
 一つは、このまま婉曲している通路をまっすぐに行く道。もう一つは左手に折れる道である。
 左手に折れる道の突き当たりには、どこかの部屋に通じるのだろう、木のドアが見えた。そこへ行くまでにも、右へ折れる通路、左へ折れる通路があるようだ。
 思ったよりも細かい部屋割りになっているんだな、とシーナはうんざりした心地でそれを認める。
「普通、囚われのお姫様って、地下室か最上階に居るものだよなぁ? とりあえず上を目指すか?」
 このまま真っ直ぐに進んでみようかと、振り返ったシーナは――その瞬間、体を硬直させずにはいられなかった。
 ついさっき、階段から上ってきて、ここが一つ目の分岐点であったはずだ。
 そのはずなのだが。
「……………………………………スイ? ルック?」
 後ろから付いてきているはずの二人は、姿が見えなかった。
 慌てて分岐点であるところの、右や左を見回してみるが、やはり二人の姿は見えない。
 まさか敵に……? と思いはするが、すぐにそれは否定する。
 ルック一人ならとにかく、スイもついている状況で、あの二人がそうやすやすと攫われるわけがない――面白そうだと捕まることはあるかもしれないが――、となると、二人が自分に黙って、一階に戻ったということになる。
 けれど、何のために?
「――――…………くそっ。お前ら、自由行動っていうのは、引率者の一言の後なんだぜっ!?」
 忌々しげに舌打ちして、シーナは元来た道を戻りはじめるのであった。






 さて一方その頃、二階の一本道を歩き始め、一つ目の分岐点にたどり着くまでに、シーナとはぐれてしまった二人組は、怪しい小部屋の中に居た。
 薄暗い中には、魔法光による淡いブルーの灯りがともされているだけで、他には光源らしきものは何一つとして見当たらない。
 そんな中、二人の少年は、部屋のあら捜しをしていた。
 ばっさばっさと豪快に本棚の本を床に落としているのは、白皙の美貌の少年である。
 彼は埃の積もった本を纏めてわしづかみにして、題名を確認するなり、中身も見ずに床に捨てている。
 本を管理する人が見たら、悲鳴をあげそうな状態である。
 さらにその彼の反対側――色々と積み立てられている飾り物を探っている少年は、手にするもの手にするものを、床の上にぶちまけていた。
 がらがらがらっ、と豪快な音を立てて落ちる品物に目を走らせ、すぐに次の箱を手にする。
 どう見ても、空き巣にしか見えなかった。
 狭い部屋に埃が巻き立ち、コホッと小さく咳をしてから、スイは埃にまみれた両手を払った。
 そして、本棚のほとんどの本を落とし尽くしてしまったルックを振り返ると、
「ルック、こっちは結構全滅っぽい。そっちは?」
 喉を埃から庇うように、口の前に腕を当てて尋ねる。
 するとルックもルックで、埃にまみれることはなかったが、まみれたときと同じように不機嫌な顔で答える。
「ダメだね。ろくなものがありゃしない。」
 最後に本棚に残っていた本を、思い切り良く床に落とすと、ばすんっ、と埃が舞った。
 目の前に飛んできた埃を片手で払いながらスイが見たところ、その本の題名は、「デュナン湖とトラン湖の愛憎物語集」であった。
 他に積まれている本も、恋愛物語や、魔法物語、絵本まで混じっている始末。
 どう贔屓目に見ても、素晴らしい紋章術の本ではなかった。
「そっちはどんなのがあったのさ?」
 ルックは古臭い匂いのする本から顔をそむけ、スイの方を見やると、大事そうに宝箱の中に仕舞われていた品は、ブリキのおもちゃや、下手な魔法の掛けられた食器や手斧ばかりであった。
 まるで、道具に魔法を掛ける訓練をしていて、失敗したものの、解く方法がわからず、とりあえず閉まってあるような――……。
 そこまで思って、まさかね、とルックもスイも疑問を振り払った。
 もし、そんな「下手な魔法を使う魔法使い」だったとしたら、あれほど見事な結界を作りうるはずがないのである。
「ガラクタばっかりだね。」
「ほんと。意味深に入り口が壁に偽装して隠されてたから、てっきりお宝部屋か実験部屋かと思ったのにさ。」
 軽く肩を竦めて見せるルックに、スイは体についた埃を払って、ヤレヤレと立ち上がった。
 そして、自分達が入ってきた辺り――ちょうど隠し扉になっている場所に手を触れる。
 ぐるん、と壁が一回りして、二人は隠し部屋から元の通路に出た。
 壁は、二人を吐き出すなり、仕掛け扉があるようには見えないように、壁そのものになった。
 右手に見えるのは先ほど上ってきた階段。左手には、大きく婉曲した通路が広がっている。
 歩き始めてすぐに、ルックが微弱な魔法の力を感じて、二人して壁を探っている最中に、隠し扉に突き当たったというわけである。
「ただのフェイクかもしれないね。」
「だね……まだ、二階部分だし、最初はそういうものかも。」
 ダンジョンだって、奥に行けば行くほど、素晴らしいお宝があったりするものだ。
 今回のそれもその一つなのかもしれないと、スイとルックは二人揃って、当初向かっていた方角向けて歩き出したのであった。
 まさか、一度引き返してきたシーナが、一階に下りて二人を探しているなど露知らず――。






 塔の一階にも、塔の外にも二人は居ないという時点になって、シーナは二人が相手に攫われたのではないかという可能性を考え始めた。
 注意深く二階部分を探索しながら、最初の分岐点を左手に折れ、一つ一つの部屋を丹念に調べていくことにする。
 鍵がかかっている場所は、隙間から中をのぞきこんで、大丈夫そうだったらキリンジで切り付けて開ける。
 二階に部屋は三つあったが、そのどれもに二人の姿はなく、すべての部屋は、家具が一つもない、ただのがらんどうの部屋であった。
 蝋燭立てが中央に一個置かれているだけで、魔法的な意味があるのかもしれないが、シーナにはさっぱり理解できない。
 やはり、母から少しでも魔法の勉強をしてもらうべきであったかと、出来る限り室内を調べたが、結局何も見つからず、シーナは外壁沿いの通路へと戻った。
 グルリと塔の外壁を半周した場所で通路は突き当たり、そこから上へと行く階段が伸びている。
 もちろん他に行く場所もないシーナは、用心深く三階へと上った。
 そこも同じように壁には光が灯されている。
 今度は外壁沿いに通路はなく、塔の中央を分断するかのような真っ直ぐな通路が伸びている。
 その先は突き当たりで、四階へ続く階段がある。
 まっすぐな通廊の左右には、右に三つ、左に二つドアがついていた。
 そのどれもに鍵がかかっているようだ。
 この階の通路にも人気はなく、シーナは左右に広がるドアに意識を配る。
 まず一つ目のドアに手をかけ、がちゃり、と鍵の手ごたえを感じた。
 シーナはドアの隙間から中を覗き――ぼんやりとだが、中に家具らしきものがあるのに気づいた。
 どうやらここは部屋になっているようだ。
 攫われた姫の部屋か、下働きの者の部屋か、それとも魔法使いの部屋か?
 どれにしても、気配をうかがってみるが部屋の中からは何も感じはしなかった。
 シーナはキリンジの刃を扉と壁の間に入れると、かきんっ、と鍵を切った。
 そして、ドアノブを回してドアを開ける。
 中に誰も居ないのを再度確認して、彼は室内へと体を滑り込ませた。
 狭くも無く、広くもない室内には、粗末ではないが、贅沢でもない調度品が揃っている。
 木のベッドにはシーツが敷かれ、レンガの床には井草を編んで作ったらしい敷物。
 壁には分厚いタペストリー……砂漠の夜は冷え込むから、レンガの隙間から入り込む風をふさぐ役割があるのかもしれない。
 そして、小さいながらも窓が三つ並んでいる。
 シーナが地上から見上げた窓であることは間違いなかった。
 となると、この部屋は頂上から一つか二つ下の部屋ということになる。
 用心しながら窓から外を眺めると、思ったよりも遠くまで砂漠が見渡せた。
 もしこんなところに閉じ込められたら、来る日も来る日も、こんな砂と太陽ばかりの光景を、延々と見続けるしかないのだ。
 多分俺なら、耐え切れないだろう。
 目を眇めてそう思った後、彼は部屋を物色し始める。
 とりあえずは、この部屋にどんな人物が居るのか、それを知るのが先決だ。
 壁には小さな箪笥も棚もあった。そして、古ぼけた鏡も置いてある。
 もしかしたら――と思いながら箪笥を開けると、やはりそこには女性物らしい服が置いてあった。
 一枚取り出して広げてみると、シーナでも着れそうな大きさの、巻きつける形の服であった。
 シーナの知識から判断すると、温暖な地方の民が好んで着る服に似ていた。しかも、明るいこういう色合いを見につけるのは、若い未婚の女性だ。
 こんな塔の中に住む未婚の女性――なんて、攫われた姫君以外には考えつかないではないか。
「まぁ、確かに――こんな砂漠の塔の中じゃ、牢に入れなくても、普通に生活してるだけで監禁みたいなもんだしな……。」
 小さく呟きながら、シーナは布を大きく広げて見せた。
 そして、どさり、とベッドに腰掛けて考え始める。
 おそらくは、ここは攫われた女性の部屋であろう――他の部屋も確認してみないと断言はできないが、その可能性は高い。
 となると、ここで待っていれば、攫われた姫君と会うことはできる。
 しかし、今のシーナは瞬きの手鏡もなければ、馬やらくだもない状態だ。
 魔法でかかってこられても、なんとか戦える自信はあるが――一応、雷の紋章も身につけてはいる。
 けれども。
「ルックがいねぇと、帰れねぇよ。」
 しかも、深窓のお姫様を連れて、この砂漠を渡るなんて、無謀極まりないことである。
 まったく、とため息を零して、シーナはそのままベッドに背中から倒れた。
 固めではあったが、十分心地よく感じるベッドに上半身だけ横になり、とりあえずどうしようかと、彼がそう考えた瞬間であった。
 不意に、とんとん、とドアが叩かれた。
「……っ!!!???」
 慌ててシーナはベッドの上に起き上がった。
 ドアを叩くということは、この部屋の主ではない人間が来たということである。
 女物の服が閉まってある部屋の主を訪ねる相手と言ったら、シーナの頭ではただ一人しか浮かばなかった。
 すなわち、姫君を攫ったであろう、色物魔術師である。
「――鍵……は、俺が壊したんだったな……っ。」
 小さく舌打ちして、シーナは辺りを見回すが、ベッドの下は綺麗に覗けるようになっているし、他にも隠れるような場所はない。あるとすれば、シーツの中くらいである。
 けれど、そんな中に潜っても、ばれるに決まっている。
 せかすように、とんとん、と再びドアが叩かれた瞬間、シーナの考えは一つに決まっていた。
 今からドアに走っても間に合わないならば、することはただの一つだ。
 ドアに背を向けて、手にしていた服を体に巻きつける。
 そして、シーツを引っつかむと、それを頭から落とした。
 そのままベッドに座り――片手で、抜き身のキリンジを手にし、右手の雷の紋章もいつでも発動できるように準備しておく。
 これで、シーツを頭から被った女に見えるはずだ。シーツの裾からは、女物の布が見えているのだから、塔に誰かが侵入してことがばれていなかったら、相手は「彼女」であると疑いはしないだろう。
 また、塔に侵入者が居ることを知っていたとしても、この姿からは、侵入者なのか姫なのか、判断はつかないだろう。
 その隙を縫うしかないと、シーナは緊張に強張る体で、ドアが開くのを待つ。
 何度もノックしても返事がない部屋に諦めてくれればいいのだが――ノックをした主は、ノブを回して、鍵が開いていることに気づくと、ドアを開いた。
「姫? 部屋に居るのか?」
 聞こえた声は、しわがれた男の声。
「――……っ。」
 びくん、と肩が一瞬跳ね上がった。
 心臓の音が忙しなくなるのを感じながら、シーナは必死でそれを堪える。
 男の声に答えず、俯くようにして座っていると、男が部屋の中に入ってくるのが分かった。
「自分がしている事は無意味だと気づき、反省をしておるのか?
 私は別にそれを責めはせぬよ。何度も挑戦すること自体は、喜ぶべきことだと思っておる。」
 男はそう言いながら、ベッドに座るシーナのすぐ背後にたった。
 そして、おもむろに手を伸ばし、骨ばった手をシーナの肩に置く。
「さぁ、食事の用意も出来た。先ほど話したとおり、一緒に………………? 姫?」
 さすがに肩に手を置いた瞬間に、違和感に気づいたのだろう。
 男が戸惑う気配がした。
 その瞬間、シーナはバッと肩の手を払い、そのままの勢いでシーツを宙に回せた。
 あ、と足をもつれさせ後退する男の姿が白いシーツの向こうに見えた。
 シーナはそれを確認する間もなく、思い切り良くキリンジの柄を、男の体向けて突きつけた。
 ダウンッ!
 シーツがヒラリと舞い、男が床に倒れ付す。
 その上に、白いシーツがゆっくりと落ちた。
 シーナは無言でそれを見下ろし、ふぅ、と吐息を零した。
 キリンジを鞘の中に仕舞いこみながら、ゆっくりとシーツを持ち上げる。
 床に仰向けに倒れ付した男は、壮年にもなろうという男であった。少し干からびた印象があり、こんがりと日に焼けている。
 体に纏っているのは、簡素な魔法用の法衣らしかった。
「魔法使い……だよな?」
 ジロリと上から下まで確認して、見た目はそうに違いないと判断したシーナは、エロ魔術師、と低く呟いた後、シーツを大きく裂いた。
 それを簡単に編みこんで縄状に仕上げると、それで男を縛り始めた。
 きっちりと腕と手、口を封じた後、この男が目を覚ます前にすべての部屋を探索し、スイとルックを探し、姫君も見つけなくてはいけない。
 さきほどの男の台詞を考えると、姫はこの塔から脱出しようと、部屋を良く脱走しているのかもしれない。
 少し前ならとにかく、今は塔の結界を解いてしまっている状態だから、塔を飛び出した姫は、結界の外にも行っている可能性も出てくる。
 それはそれで厄介だから、さっさとあいつらを探すかと、シーナはチラリと男を見た。
 この男がスイたちを攫ったのかどうか、話を聞くほうが先だろうが――魔法の力を扱える人間を一人で尋問するのは、少々心もとない。
「――って、んなこと言ってる場合じゃないかっ。」
 ったく、とシーナは乱暴な手つきで男の体を起こすと、その背中向けて、膝で喝を入れようとした。


「お、お師匠様っ!!!!????」


 女の悲鳴に近い声が聞こえたかと思うや否や、顔をあげたシーナの目前に、炎の塊が飛んできたのは。
「……っおわっ!!!!」
 慌てて間一髪避けた炎は、ベッドに当たるかと思われたが、そのまま空中で消えてしまった。
 ということは、今のは紋章術であるということだ。
 はっ、と視線をやると、そこには魔術師のローブを着た女が立っていた。
 年の頃はシーナの母親と同じくらいであったが、見た目はまるで違う。
 色あせた金の髪は、砂漠で日に焼かれたためであろうし、こんがりと焼けた肌は健康そうな小麦色である。
 ふっくらとした体をローブで包んだ女性は、短いロッドをかざして、シーナに向けて叫ぶ。
「お師匠様に何してるのっ!?」
 キリリと凛々しい顔つきで、中年の女性はそう叫んだ。
 シーナはハッと体を構えて、彼女を見据えた。
 この男の弟子が居たとは――と、顔を顰めたシーナと彼女との間に、ピリリとした緊張の空気が流れる。
 そのまま二人が睨んでいると、不意に第三者の声が割り込んだ。
「あれ? なんで部屋に入らないんですか?」
 女性が扉の外に立っているため、不思議そうな声の主は、シーナからは姿が見えなかった。
 けど、その良く通る声は、良く聞き覚えがある声で、とっさにシーナは腰を浮かしかけた。
「変態の暴漢が、お師匠様をっ!」
 女性は、キリリと目元を吊り上げて、その声の主を見やる。
 シーナはそんな彼女を見て、彼女が師匠と呼んだ男を見下ろした。
 そのついでに、シーナが巻き込むように着ていた女のものであろう服が目に映った。
 多分、彼女が「変態」と言ったのはこういうことだと思うのだが――。
「ああ、その変態は、僕の連れですから、安心してください。」
 そして、女性の興奮した声に答えたのは、シーナが疑ったとおり、片手に棍を持った少年であった。
 すらりとした体を女性の隣から覗かせ、シーナがこれから探すはずだった少年は、整った眉を曇らせた。
「うわ……ほんとに変態。そーゆー趣味があったとは知らなかった……。」
 若い未婚の女性用の服を着込み、魔法使いのおじさんを押し倒している姿にしかみえない悪友の姿にスイは何をあったのか悟ったらしい。
 冷静な顔つきで女性を見上げると、ぽん、と彼女の肩に手を置いた。
 そうして、あらゆる意味でシーナに衝撃を与えるような台詞をはいてくれたのであった。
「姫君、これはどう見ても、僕の連れがあなたのお師匠様に無体を働いたようにしか見えません。
 ……大変残念なことですが、お師匠様の体は、すでに彼によって人様には見せられない体に……。」
「まさか君にそういう倒錯的な趣味まであるとは思っても無かったよ。」
 さらに、女性の反対隣から姿を現したのは、ルックであった。
 うっとりするほどの笑顔を浮かべて、ルックはシーナに微笑んで見せた。
「そんな趣味もこんな趣味もねぇよっ!!」
 ばんっ、と床を叩くと、女性はキッと目を尖らせて、再びロッドを構える。
 そんな彼女を片手で止めて、大丈夫、とスイは微笑むと、未だ彼女の服を着込んだままのシーナへ、簡単に説明した。
「シーナ。君が押し倒している男が、この塔の主にして偉大なる魔術師。で、こっちの魔術師の弟子である女性が、僕達が探しに来た――とある小国でクエストとして賞金がかけられている、お姫様。」
「――――――――…………………………あ?」
 思いもよらないことを言われて、シーナが唖然と口を開けっぱなしにして、部屋の入り口にたたずむ三人を見つめ続けるのであった。





 塔の三階にある三つ並んだ部屋の一つは姫君であり、魔術師の弟子である女性の部屋―シーナが侵入した部屋だ。
 そして残り二つの部屋は繋ぎ部屋になっていて、魔術師が実験部屋と私室として使っているのだという。
 その魔術師の私室へと移り、シーナが気絶させた男をベッドに横たえながら、スイは、シーナを置き去りにして隠し部屋へと侵入した所から話を始めた。――シーナを置き去りにした辺りで、シーナから猛烈な抗議があったが、スイが振るった棍という名の説得のもとに、おとなしく聞き入れてくれた。
「ルックが上の階に強烈な魔法を使っている装置があるっていうからさ、とりあえず上に向かおうって事になって、この階まで来たんだ。」
「……それって、二階にも無かったか? 部屋の真ん中に蝋燭が置いてある……。」
 あれは、何かの儀式に使われているように怪しげだったけど、と口を挟んだシーナに、女性はかいがいしく師匠の世話をしながら答えてくれる。
「いいえ、あれは私が精神修行をするのに使っているのです。」
 答えてくれた女性の返答に、そうか、と頭を掻くシーナをおいておき、スイは更に先を続けた。
「三階に入って、左の部屋――二部屋並んだ扉のある部屋に誰か居る気配がしたんだけど、魔術師らしいってルックが言うから、ほうっておいて四階に上ったんだ。」
「ちょっと待て! なんで魔術師が居るって分かってるのに、放っておいて四階に上るんだよっ!?」
 思わず抗議したシーナに、ルックが壁にもたれたまま、しれっとして答える。
「魔術師を倒して姫君を救うのは君の仕事だろ? 僕達は、強大な魔力装置を探るのが仕事。」
「……一体いつそういう事に決まったんだよ……っ。」
 ぎりり、と拳を握るシーナに、ルックは女性の服を脱いだ後のシーナの体を見て、にやり、と笑った。
「君が、女装して楽しんでいる間にだよ。」
「んなっ! だから、あれは侵入者だってばれないように……っ!」
「はっ。馬鹿じゃないの、君は? 僕が結界を破った時点で、侵入者が居ることに気づいたに決まってるじゃないか。
 だから、わざわざ廊下の壁の明かりを灯してくれたんだろう? ここの塔の主はっ!」
「……………………って、それって……っ!?」
 当惑したような眼差しを向けられて、女性は苦笑を滲ませて頷く。
「はい。師匠は、貴方達が結界を破った時点で、この塔へ招き入れることを決断されましたから。」
 一体何がどうなっているのかと、困惑するシーナに、スイは椅子に腰掛けて、女性が淹れてくれたお茶を啜りながら言葉を割り込ませる。
「だから、人の話を聞けよな、シーナも。そういうとこ、レパントそっくり!」
「うわ、それ最低のけなし言葉だぜ。」
 心底嫌そうに顔を顰めたシーナの表情に満足したスイは、先を説明することにした。
「四階には、砂漠を見渡せる小さな部屋があって、そこの中央に魔法装置――結界を作る機械が置いてあった。
 彼女は、そこで結界を再び構築しようとしていたんだ。……僕らがここから出れないように。」
「――――…………わっけわかんねぇ……囚われの姫君が、魔法使いの弟子で、脱出するどころか、俺らを閉じ込めようとしたぁ?」
 がりがり、と頭を掻くシーナに、ルックは冷めた目を飛ばした。
「簡単な話だろう? 姫君の魔力の素質に気づいた、後継者を求めた魔術師が、姫に弟子にならないかと誘ったのさ。
 そしてその話に応じた姫を、国は手放すつもりがなく――結果として、魔術師が姫を攫った扱いにして、賞金をかけたってわけさ。」
「って、それって――ただの……。」
「ええ、そうです。私を他国への政略結婚に使おうと思っていた父達が、私の損失に恐れるあまりに行った愚行です。
 ――私は見知らぬ国へ嫁に行くよりは、彼のもとで自分の力を試したかった。……今までここへ来た冒険者達が、このクエストの果てに見つけたのは、こういう事実です。
 ですから、今までもこの結界を乗り切ってこられた方には、逃げられないようにした上で、納得していただきました。
 ――――ここでの事は、彼らの記憶から奪い取って。」
 かちゃん、とシーナの前にお茶を置いて、女性は微笑んだ。
 その眼差しに、ぞくり、と冷えるものを覚えて、シーナは自分の前に差し出されたお茶を見やる。
 もしかして今までの冒険者も、こうやってだまされて記憶を無くすお茶を飲まされたのでは? と、内心焦る気持ちでスイを見やるが、スイはそんなシーナの視線に呆れた顔で笑うだけであった。
「何も入っていないよ、これには。多分物忘れのクスリは、結界で閉じ込めた後に、食堂で食べさせる予定の食事にでも含まれていたのじゃないかな? ――詳しい話は、食事でもしながら、とか言って……ね。」
 ねぇ? と話を振られて、彼女はビクン、と肩を強張らせたあと――弱く、笑った。
「いいえ、いいえ――いつもならそうであったのでしょうが……貴方達にはそれは無理だと、師匠は判断されました。
 普通の魔法使いならば、命と引き換えにして解くほどの強烈な結界を、ルックさんは一呼吸で解いてしまわれた。
 魔力の桁が違うから、クスリも効きはしないだろうと――いいえ、結界で閉じ込めることすらも、無意味であるから、話し合いに応じてくれるかどうかも分からないと、師匠はおっしゃいました。
 けれど、それでは私は国へ連れ戻されるだけでしょう? 二十年以上も前に攫わされた王女が、このような年齢になってから戻って、一体何になるというのでしょう?
 だから、師匠が止めるのも振り払って、最後の賭けとばかりに結界を張りなおそうとしたのです――結局、ルックさんとスイさんに止められてしまったのですが。」
 苦笑を見せる女に、シーナはボンヤリと視線をベッドの中の男に移した。
 この男が、あの部屋に入ってきたときに言っていたではないか。「姫がしていることは無意味だと気づいたのか」と。
 あれは、脱走のことを言っているのではなく、ルックたちに対して、結界を張りなおしてここに閉じ込めようとした彼女の行動を指していたということか。
「それじゃ――俺達がココにあなたを助けに来たのって……?」
 弱弱しく尋ねたシーナの台詞は、今までの冒険者も見せてきた表情であった。
 時には怒り、時には落胆し――女性は、そんな彼に弱弱しい微笑みだけで答えようとしたのだが。
「無駄。」
「そう、彼女にとってはとんだ迷惑。」
 なぜかシーナと共にクエストに挑みにきたはずのルックとスイの台詞は容赦がなかった。
 がっくり、と肩を落とすはずだったシーナは、そんな相棒達の容赦のない言葉に、ばんばんっ、と机を叩いて抗議する。
「お前ら、もう少しいたわりの言葉はないのかっ!? 俺を一人置いて行って、勝手に話をすすめたっていういたわりはっ!!」
「女装して楽しんでる君に言われてもね……。」
「そう、姫君と会っても名前も聞かないどころか、挨拶もしないってことは、よっぽど自分の女装姿が気に入ったと見える。
 きっと、俺のほうが美人じゃねぇか、とか思ってるんだよ、シーナは。」
「ナルだね。」
「うん、ナルだね。」
 とうとうと語り、ルックとともに納得したように頷くスイへ、
「んなわけねぇだろーがっ!! つぅか、お袋と同じ年くらいの人は、いくら美人でも範囲外なんだよ……俺はっ。」
「マザコンか。」
「マザコンだね。」
「てめぇら、だからそうやってコソコソ話すのはやめろよなっ!!」
 椅子に座ったままのスイと、その彼の後ろに立っているルックとの間で、こそこそ、と交わされる会話に思い切り声を荒げたシーナは、床に座り込んだ体勢で、ベッドに横たわる魔術師と、枕もとの弟子とを見比べた。
 そして、思い切り良くため息を零すと、あのさぁ、と話を切り出す。
「あんたら、無理矢理連れ戻されるか、このままここに住んでるか、の二択しか考えてないみただけど――なぁんで、こっから出ようと思わないんだよ? 当時ならとにかく、今なら20年も経ってんだから、顔が割れてるわけでもねぇんだろ? さっさとココを引き払って、別のとこに行ったらどうだよ? 一緒に居たいんだったら、同じ場所に居ることを優先してる場合じゃねぇだろ?」
 顔をゆがめながら彼女を見上げると、女は驚いたように目を見張っていた。
 シーナはそんな彼女に、一瞬迷ったような顔をした後、唇を真一文字に引き結ぶと、思い切ってこう口にした。
「塔のクエストは、塔が無くなったら意味がなくなるもんだろ? 誰もあんたらの顔なんて覚えてねぇ。人の記憶なんて当てにならないんだからさ。
 だから――……だから………………。」
 けど、それ以上はどうしても口にできず、シーナは拳を握り締めた。
 そんな彼を横目で一瞥して、スイはヤレヤレと軽く肩を竦めた。
 フリックのことを青臭い青臭いと言ってるけど、結局君も、青いじゃないか。
「トランに来ればいい。
 未だ復旧中にある村や町は多く、一人でも多くの人手を必要としている場所は数多くある。
 昔からトランでは、星見制度も充実していて、魔術師に対する偏見もないから、町に居を構えれば、仕事は色々と見つかるはずだ。」
 優雅に味のしないお茶を傾けて告げるスイを、シーナは歪めた顔で――さまざまな感情が宿った顔で見上げたが、彼は何も告げず、女性を見上げた。
「そうしろよ。こう見えても俺の親父、トランで大統領なんて偉い職業についてっからさ、多少は口が利くぜ。」
 そして、いつものように笑って告げる。
 親の威を借るドラ息子の顔で、女を誘うシーナの顔に、女性は無言で唇をかみ締め、ベッドの上の男を見つめていた。
 そんな彼らに、このままでは何時までたっても話が進まないのかと――いや、スイが居る以上進むだろうが、時間がかかるのは御免だとばかりに――ルックが、ベッドで寝込んでいる男向けて、告げた。
「狸寝入りして、同情して帰ってもらおうなんて思ってるらしいけど、自分の不始末はきっちりつけるんだね。
 この件に関して――シーナとスイの意見に関しては、僕が保証する。
 …………門の調停者、レックナートの弟子である、ルックがね。」
「…………っ!!!」
 瞬間、寝込んでいたはずの男が、がばっ、とベッドから起き上がり、女性が驚いたような顔でルックを見つめた。
 まさかこんなところで、「魔術師仲間の間での伝家の宝刀」を出すとは思わなかったスイは、軽く口笛を吹いた。
 ルックは、冷めた目で――嫌悪すら抱いた瞳で二人を見下ろした後、柳眉を顰めて、
「自分が犯した罪の責任は、自分で取りなさい。
 さもなければ――……いつか彼女は、あなたを憎み、心の虚無を住ませることになる。」
 レックナートのように厳かに、そう告げた。
 ――その言葉の内容は、決してレックナートが口にするようなものでは、なかったのだけれども。








 蜃気楼のように風に崩されていく塔を正面に、ルックは不機嫌そうに乱れた髪を抑えている。
 いつも不機嫌そうな魔法使いではあるが、一段と機嫌が悪そうで、やっぱりタダの出損だったのが利いてるのかもなぁ、とスイに耳打ちした。
 けれどスイは、そんなシーナに曖昧に笑って見せると、
「同じ魔法使いだからこそ、許せないことがあったんだよ、きっと。
 彼らはずるく、彼らはおろかで、そして彼らは、目の前の自分の欲望を守ることだけに必死だった。」
「……ルックみたいな言い方するなよ……。」
 仮にも、彼らに紹介文を持たせた人間が吐く台詞ではないような気がして、シーナが苦く言葉を噛み潰す。
「その欲望こそが、彼らの幸せだった。
 幸せを守る権利は誰にでもあるかもしれないけど、その権利を守る為にしなくてはいけないことがある。
 その一つを、彼は怠っていた。」
「何を?」
「彼女を弟子にしたいと思い、彼女もそれに同意し、けれど彼女の両親は反対した。だから連れ出した。
 それに懸賞金をかけられ、彼女と彼は追われるものになった。
 ――――ならどうして、彼は自分の居住地を変えなかった? 行く場所が無かったから? それはただの言い訳に過ぎない。
 彼ほどの魔術師なら、あんな小さな国の姫を無理矢理弟子にした身だとしても、どこでも雇ってくれたさ。
 彼は、傲慢にも思っていたのさ。
 この塔の中で暮らしている限り、決して自分達を害す者はいないと。自分達の空間を壊すことはできないと。」
「……………………。」
「結果として、幾人もの冒険者の命が無くなった。
 もし、彼が塔を出て、別の地に行っていたら――このクエスト自体、詳細不明のまま、廃れていたかもしれないのにね。」
「でも、もしかしたら、再び居場所を知られるかもしれないだろ? だったら、あの塔で安全な結界を作っていたほうが……。」
 あらゆる可能性を模索して口にしようとするシーナに、スイは軽く微笑んで見せた。
「それこそが、ありえないと言っているんだよ、シーナ?
 彼女の幼い妹が、彼女が嫁ぐはずだった国に嫁いだ事実がある以上、当面彼女の自国は彼女の存在を必要としないからね。
 そんな、魔法使いに攫われた花嫁を妹と同じところに嫁がせてどうする? そのために魔法使いの行き先を調べるような大金を誰が出す? また、報酬以上の金額を支払って、魔法使いの行き場所を探そうと考える冒険者がどこに居る?
――情報を仕入れなかった、それもまた、彼が無駄に命を奪った理由の一つだ。」
 その時になって初めてシーナは気づく。
 スイもまた、この結末に怒っているのだという事に。
「君の父君には尊敬すら覚えるよ。」
 不意に、塔を綺麗に風に溶かせていたはずのルックが振り返り、艶然と微笑んで見せた。
 無言で視線を向けるシーナに、彼は戯れのように髪を摘むと、そこに張り付いた砂をはがし取る。
 そうして、鋭い視線をシーナへと向けた。
「この砂漠を、商路にするために、邪魔であった塔を排除するために、僕とスイを送り込んで、事件を解決させることを考えたんだからね。」
 ゾクリと、背筋が凍るような微笑みを向けられて、シーナはぎりり、と胃がいたんだ気がした。
 が、その凍れる空気を破ったのは、能天気なスイの台詞であった。
「あ、それ、僕。」
「………………は?」
 氷点下のようなルックの短い応答にも、露ほどの痛みも感じないらしいスイは、だから、とパタパタと手を振って見せた。
「長年凍結しているクエストの一つである塔が、ルート上にあるらしい、って言う話があるのを聞いて、ホントはクラウリーやアレンやグレンシールに行ってもらうつもりだったらしいんだけど、暇だから、僕が引き受けたんだ。」
「…………誰が、なんだって?」
 低く尋ねるルックに、
「耳が遠いの、ルック? だから、クラウリーみたいな高齢者に苦労させるのも申し訳ないし、アレンやグレンシールみたいないい男が助けに行って、姫様が一目ぼれしてもマズイかなー、って思ったから、僕が代わりに引き受けてあげたの。」
「…………君、暇だから、って言わなかった?」
「うん、ついでに魔術師の宝かなにかを奪えるかと思ったら、あったのは弟子が武器とかにかける呪文の研究しているボロ本だったり、初心者用の魔術書ばかりだったから、すっごく損した気分。
 しかも、オチはアレだったし――気分害しちゃったね、ルック。」
 ぽん、と氷点下に入っているルックの肩に手を置いたスイに、ルックは凍れる眼差しを向けた。
「――――…………ふざけるなよ?」
「おおまじ。」
 きっぱりはっきり言い切った瞬間、シーナはとっさにルックに背を向けて逃げ出した。
 もちろん、そうでもしなければ食らうであろう紋章攻撃を予測してのことである。
 はたして。


ごぅおおおおおーっ!!!!!!


 近年まれに見る砂嵐が、堂々と砂漠を吹き荒れたのであった。







「ほら、シーナ。何やってんのさ、サクサクって歩かないと、夜になっちゃうよ?」
 あの砂嵐の中、なぜか無事に砂の中から生還してきたスイは、迷うことなくシーナが沈んでいる辺りを把握し、半死半生の彼を引き上げてくれた。
 それから、太陽の位置と時間から方角と現在位置を割り出し、近い方であるジョウストンへと砂漠を歩いている最中である。
 色々ありすぎて疲れているシーナの体には、真昼間の砂漠横断は、非常にきついものがあった。
 しかし、シーナよりも小柄で体力が無さそうなスイは。なぜか未だに元気である。
 ちょっとのことだからと、水なども持ってこなかった自分をのろいつつ、まさかフリックみたいな目にあうとは、とシーナは腕を引かれながらイヤイヤ歩く。
 このままでは、砂漠で夜を越してしまうことになりかねないからである。
 もしこんな軽装で、気温差が激しい砂漠の夜などに突入したら、死んでしまうかもしれない。
「くそ……もう絶対、お前の誘いにはのらねぇからな……っ。」
「話してると喉が渇くよ。
 ――でもさ、シーナ?」
「あん?」
「良かったと思えばいいじゃないか。
 クラウリーとアレンたちが、こんな気持ちにならなくて済んだんだから。」
「――――…………俺たちがっ、今っ、こうやって苦労してんのは、単にお前のせいだと思うんだけどっ!!?」
 ぎり、と睨んでやると、心外だと言いたげにスイは眉を寄せた。
「違うだろ? 今こういう状態になってるのは、ルックの人間が出来てないせい。はい、復唱ー。」
「――――んなの口にしたら、どこであいつが聞いてるかわかんねぇから、いえねぇよ……。」
 げんなりとして呟いたシーナに、それはそうだと、あははは、と明るくスイが笑った。
 ジリジリと照りつける日差しの中、シーナの腕を引いて歩くスイの足取りには迷いはなく――――そんな彼らの遥か上空で、汗一つ掻かずに風に乗って浮いている少年は、二人を見下ろして、呆れたように呟いた。
「――――懲りないね、まったく。」
 どうやら、先に倒れるのはシーナの方に間違いなく……シーナが倒れてしまえば、きっとあの少年は、悪気無く上空を見て、こう言うに違いないのだ。
「ルック、そろそろ機嫌直した?」
 ――と。
 まったく、とルックはその光景を思い、唇を歪めて見せた。
 その歪めた唇の端が、ほんの少し吊りあがり――微笑に変わっているのを、彼は自覚していない。








 ああいう彼らだからこそ、共に付き合っていけるのだと、そう思っている証である、友を見つめる…………微笑。


koko様

リクエストいただきました品の第二品目でございます。
シーナと坊とルックが大暴れしている……と思います(苦笑)。
当初の予定では、シーナが魔術師を倒して、お姫様を助け出し、スイとルックがその間にお宝を奪うはずだったのですが、話はこじれた方向に進みました――なぜでしょう? しかも最後はちょっとシリアス入ってます。
でも、そこはかとなく、三人が友情なのではないかと思うのですが…………すみません、ギャグ不足です〜〜っ!!

ちょっと本趣旨と違っているかもしれませんが、頑張って活躍はしていると思いますので、どうぞ可愛がってやってくださいっ!