「というわけで、しばらく留守にするから。」
唐突に旅行支度を始めた見た目は幼い主に、彼の幼い時からの付き人は、驚いたように目を見張った。
「どどど、どういうことなのですか、ぼっちゃんっ!? グレミオは聞いてませんよっ!?」
「うん、言うと反対すると思ったから、言ってないよ。付いてこられると邪魔だし。」
「邪魔………………っ!!」
ががん、とショックを受けたグレミオに、どうでもいいやと言い切ったスイは、かまうことなく支度を勧めていく。その過程で、ふと彼は思い出したかのようにグレミオを見た。
「そういえばグレミオ。あのさ、僕……って、何してんの、お前?」
振り返った先で、グレミオは桶に水を汲んでいた。その背中には哀愁が漂っている。
スイの問いかけに答えることなく、グレミオは無言で包丁を手にした。
「おい……グレミオ?」
「すいません、ぼっちゃん。先逝く不幸をお許しください。」
「阿呆っ!」
がこん、と殴り付けて、スイは問答無用で手首に当てて在った包丁を取り上げた。
「一度先に逝ったくせに、まだ懲りないのか、お前はっ!」
「だってぇぇぇー。ぼっちゃんが私をいらないって言うからぁ…………。」
「ほっといてもどうせお前の方が先に死ぬんだから、それまで我慢してろよな。ったく、しょうもないことで時間取らせるなよ。」
「しょ、しょうもないっ!?」
ががーんと再びショックを受けたグレミオに、スイが無言で笑顔を向けた。
「また自殺しようとしたら、死んだ方が増しだって思いをさせてやるよ。」
「…………いやですねぇ、ぼっちゃんったらv グレミオがぼっちゃんを置いて去るはずじゃないですかぁ。」
あはは、と笑うグレミオに、無言でスイは肩をすくめてみせた。
「あ、ところでぼっちゃん? 先程何を言い掛けたのですか?」
桶の中の水を捨てながら、グレミオが微笑む。
「あー、そうそう。出掛けてる間にレパントとか来ても、僕が同盟軍にいることは内緒にしておいてよ? 来られたらたまんないからね。」
「?? どうしてですかぁ?」
「来るとうっとおしい。」
お前もね、と続けて、スイは旅用のバックを閉じた。
とはいっても、そう包むものがあるわけではなかった。
あっという間に背中に担ぐくらいのお泊まりセットが出来る。
グレミオはそれを無言で眺めながら、密かに用意してきた物を、そっと荷物に紛れ込ませようとした。
が、
「何やってんの、お前?」
これ以上なく冷めた声と瞳で尋ねた。
「ええっ!? えーっと、いや、この鞄、ちょっとこの辺が壊れかけてたので、これじゃーいけないなぁ、ってv」
「嘘付け。何入れたんだよ?」
グレミオをひじでどけて、自分が用意した鞄を覗くと、そこにはグレミオ特製グレミオ人形が密やかに追加されていた。
ビーズで作られた可愛らしい瞳が鞄の中からスイを見つめている。
「………………これ、何?」
「いやぁ、ぼっちゃんが夜寂しいときに、ベッドを抜け出してちんちろりんしなくていいようにっていう、心遣いですよぉ。寂しくなったら、それ抱いて寝て下さいね〜。」
言いながら遠ざかるグレミオを、これ以上ないくらいの冷めた目で見つめて、問答無用で人形を鷲づかみにしたスイは、ふとその手を止めた。
そして、天井を空ろな目で見つめてから、
「いや、持ってくよ。ありがとう、グレミオ。」
と、笑顔で告げた。
途端、グレミオは驚いたように目を見張って、
「ぼぼぼ、ぼっちゃんっ!? これっ、これもご入用ですかっ!?」
と、五寸釘とトンカチを出してきた。
スイの普段の行動からするとこれだろうと思ったのであろう。しかし、それを自分の人形に突き立てられるのだと分かっての所望なのだから、素晴らしい付き人である。
「何に使うのさ、こんなの。人形は、抱いて寝るんだろ。」
言いながら、口元を歪めて笑うスイに、一瞬冷や汗を覚えたグレミオであった。
ぼっちゃんが、ただでグレミオの人形を抱いて寝るはずがないのである。
これは何か裏があるに違いない、と思った刹那。
「こういうのがあったほうが、あなどられやすくて、ちょうどいい。」
ふ、とシニカルに笑ったスイの顔にぶつかって、グレミオは思い出した。
最近ずっとこの館にいたので、すっかり忘れていたのだったが。
「そういえば……ぼっちゃん、向こうでは猫をかぶってるんでしたっけ。」
一度同盟軍の軍主であるリオが、マクドール家に忘れ物をしたので届けにいったことがあった。(実はこのときも、スイが向こうに行っていて、誰が同盟軍まで荷物を届け、スイに会えるかどうかで、レパントやアレンやグレンシール達と争ったのであった。今思うと、いい思い出である)
その時に会ったスイは、解放軍のリーダーというよりも、そして根性悪のスイ=マクドールというよりも──儚い英雄を演じていた。
リオの隣で、ひっそりと微笑み、グレミオを見た途端、驚いたように軽く目を見開いて、それから長い睫毛をゆっくりと瞬きする様といい、身体全身から儚さが溢れていた。病弱で不幸な少女すらかなわないような、守りたい儚さに溢れていたのだ。
今はこれ以上ないくらいの生命力と健康に溢れていたが。
「まーねぇ。」
「大変ですよねぇ、ぼっちゃんも。」
どうしてスイがそのようなことをするのか分かっているグレミオが、同情たっぷりに囁くと、まぁね、とスイは苦笑いしながら鞄を担いだ。
「だからさ、レパントとか来ると大変なんだよ。猫かぶってるのはいじゃいそうでさ。──そういうわけだから、くれぐれも頼むよ?」
笑顔で告げたスイに、グレミオは任せてくださいと送り出した。
が、しかし。
彼はその直後に知る事になる。
「グレミオ、回覧板って回ってきたんだけど……これ、いいのかい?」
クレオが玄関から戻ってきて、見せた内容に、レパントのサインとともに、「儚い英雄見学ツアーごあんない」という文字が……っ!
「こ、これはっ!」
「しかも、出発日、今日なんだけどね。」
主催者名は、いわずと知れたレパントであった。彼も子飼いの人間から、スイが同盟軍で猫をかぶっていることを聞いたのであろう。
クレオがヒラヒラと回覧板を振ると、
「今日なんですかっ!? それは大変ですっ! 早速私も参加しに行かないとっ!!」
はっきりと言い切って、彼は走り出した。
残されたクレオは、回覧板を持って……無言で参加を促す紙を見詰めた。
これ、ぼっちゃんに見つかったら、やっぱりやばいよねぇ?
しばらくの沈黙の後、クレオは無言で回覧板に素早く、グレミオの筆跡を真似てサインをすると、
「さぁって、ソニア様のお屋敷に届けてくるかねぇ。」
と、マクドール家から証拠品を撤収させる事に決めたのであった。
英雄は、にこやかに談笑している軍主達を前に、口元にだけ微笑みを浮かべて静かに黙っていた。
「だからさー、やっぱり温泉は、ティントだと思うんだよねっ!」
「何言ってんだよ、リオとナナミが見てる雑誌は古すぎるんだよ。今のトレンドは森の村だって。」
「あら? 最近はレイクウェストにもいい温泉が湧いたらしいわよ、アイリ?」
「おお、そういや、この城にも温泉あるだろうが。湖の側を掘ってみたら案外湧き出すんじゃねぇか?」
「ビクトールも昔、掘ってたんじゃないのかぁ?」
にこやかというよりも、騒がしい一同に、苦笑すら覚えたスイは、ゆったりとした仕種で紅茶を啜っている。その様子は、他から見ると、静かに彼らの話に耳を傾けているようにも見えたし、一人物思いにふけっているようにも見えた。
内心、温泉がほしかったら、そこの湖に最後の炎でもかませばいいだろうが、と想っているなど、誰も分かりはしない。事実、スイはトラン湖が冷たかったとき、問答無用でキルキスに最後の炎をつかわせて、あやうく砦を火事にしかけたという経験を持っている。
「それでねー。明日は温泉探しに行こうかと思ってるんだけどー。」
リオがわいわい騒ぐ一同の顔を見やりながら、明日の予定を告げると、
「あ、じゃぁあたしも行っていい?」
アイリが自分を指差し、ナナミも手を上げて参加を訴える。
スイは無言のまま、明日の予定がさくさくと決まっていくのを聞いていた。
とりあえず、目立たないようにするのが第一目的である。また、本性をばらして、幹部連中に警戒されるのも好みではない。そのため、戦闘中だって、ビクトールやフリックを使って、うまく自分に攻撃が回ってこないようにしているのだ。
「それじゃ、明日のメンバーは、僕とアイリとナナミ、ビクトールさんにフリックさんと、スイさんで決定だね。」
「え? 俺も行くのかっ!?」
「俺も?」
猫をかぶっているスイが参加するとなると、自然的に戦闘中の負担が大きくなることが分かっているビクトールが嫌そうな表情をすると、
「あたりまえじゃないですかっ! フリックさんとビクトールさんが来なかったら、一体誰が温泉を掘るんですかっ!」
はっきりきっぱりと言い切ったリオに、フリックはやや頭痛を覚える。
確か昔、スイは温泉を掘るために頑張っていたビクトールとフリックの二人をよそに、さっさと土の紋章をシーナに使わせて、穴を開けさせていた。それもこれも、地盤がきっちり安定していると、スイが調べたためであったが。
「ああ、そうかよ。」
ふてくされたように答えながら、ちらり、とスイを見ると、スイは軽く眉を顰めるようにして表を見ていた。
それから、ゆったりとした仕種で首を傾げて、
「……………………。」
ぼんやりと瞬きした。
その仕種は、スイの本性を知るビクトールやフリックでも、おとなしそうで鈍そうだと勘違いしそうであった。
事実、頭の優秀な同盟軍の幹部連中も、解放軍のリーダーというから、どんなのだと危惧警戒していたが、あの程度かと、あなどっているのである。
何にしても、こいつが本性をあらわさないから、面倒ごとがおきなくてよかったのであるが。
「スイさんっ、それでいいですかっ!?」
生き生きとした目でリオが憧れの英雄を見ると、スイはほんわりとした笑顔で頷いた。
「そうだね。僕も温泉は好きだよ。」
「そうなんですかぁ、それは良かったです。」
のほほん、とした温かな雰囲気が二人のリーダーの間に流れた。
ビクトールやフリック以外の、スイの本性を知らない人々は、和やかだねと、苦笑すら覚えていた。
「それで……今日は、どうするの?」
スイは、ぼんやりとした雰囲気で尋ねる。するとリオはちょっと驚いて目をぱちぱちした。
「あー……そうですね、どうしましょう?」
そして、逆にスイに尋ねた。
スイもスイで、んー? と首を傾げて微笑んでいる。
にこにこにこにこ、と穏やかな空気が再び二人の間に流れて。
「おまえらな……──。」
ビクトールはそう呟かずにはいられなかった。
そんな彼に気付いてか気付かずか、スイは小さく声を上げた。
「リオ、ここって空中庭園あるんだよね?」
魅力的な笑顔で微笑んだスイの綺麗な容貌を見つめて、リオはコクコクと頷く。その頬が少し染まっている。
「はいっ! それじゃ、今すぐ行きましょうっ! すぐ行きましょうっ!!」
がたん、と元気良く立つリオに、スイははにかむように頷いた。
そんなスイの態度に、なんとも言えない表情で視線をずらしたビクトールとフリックは、無言で視線を合わせ、頷きあった。
ゆっくりと立ち上ったスイは、ふとビクトールとフリックを見て、はかなげな表情で一言、二人にだけ聞こえるように、そっと囁いた。
「さっきからそこの窓から覗いてるレパント、なんとかしてこい。」
──命令口調であった。
はっ、と見あげた二人を、眼光鋭く睨むと、
「いいな?」
言い捨てた。
それは、先程までの鈍そうでのほほーんな英雄からは想像もできないような表情で、告げた直後、
「………………。」
一転変わって、憂いの宿った表情で、促すリオに付いていった。
ビクトールは無言で窓を見た。フリックも見た。
そしてそこには、妖しく張り付いた男が一人いた。
思わずシーナを連れてきて、連れてかえれ、と言いたくなった一瞬であった。
「何やってんだよ、レパントっ!」
他の人間が気付く前にと、慌てて窓にやってきたビクトールとフリックに気付いた瞬間、彼はあせって隠れようとした。
しかし今更である。
ビクトールに呆れたように言われて、レパントがおずおずと顔を出した。そして、髪の毛や肩に葉っぱをつけながら、困ったように頭を掻く。
「ばれてしまったのか?」
「いや、ばればれだろ。」
「……スイに言われるまで気付かなかったくせにさ。」
ビクトールが威張った風にそう言ったのを見ながら、フリックが隣でぼやいた。
しかしそれに関しては聞かなかった事にして、ビクトールはレパントの肩をポンポンと叩いた。
「まぁ、悪い事は言わねぇ。今すぐ帰れ。さもないと、スイの裁きが下るぜ? それも、紋章だけじゃなくってさ。」
無言でレパントは、視線を向こうにやった。そして、葛藤するように頭を振って見せた。
「仕方ない、スイ殿の猫かぶりを堪能するのは諦めるか……っ!」
「堪能……っ、そこまで……。」
ひきつって、フリックは遠くを見た。レパントがスイフリークなのは知っていたが、まさかここまでだとは思っても見なかったのである。
猫かぶりを見るだけなら、まだファンですむのだが、「堪能する」まで行くとそれはとっても困り者である。──笑えるくらいに。
だんだんレパントもグレミオに近付いてきたな、と、今は後にした故郷であるトランのゆく先を心配してしまうフリックなのであった。
「それじゃ、他の奴にみつからないように行くぞ。」
ビクトールがくい、と入り口の方を指差すと、ああ、とレパントが顔をあげた。
「その前に、他のツアー客を集めてこないと。」
「………………………………ツアー……客?」
嫌な予感がした腐れ縁二人は、思わずこの仕事を放棄したくなった。それをすればそれをしたで、スイからのお仕置きが待っていると分かっているのだが。今日は何か妖しい種を持っていたので、あれがお仕置き道具となるはずである。
「そうだ。トランの者達でな、200人程の募集があったんだが、つれてこれたのは20人程なんだが。」
「にじゅうにんも……ここにいるのかよ──?」
ビクトール、フリックの二人は、嫌な気持ちとともに自分たちが今住んでいる城を見あげた。
この中に、スイフリークとも言えるべき人間が混じっているのだろうか?
探すの──大変だろうなぁ、と、他人事のように感じる。
ビクトールは思った瞬間、呆然とするフリックを置いて、
「じゃ、俺は馬車の手配してくるから、後は頼むぜ、フリックちゃ〜んv」
と、一気に走り去っていった。
「えっ? お、おい、ビクトールっ!?」
驚いたような表情のフリックはしかし、ツアー用の旗を手にしたレパントを隣に残されて、ビクトールを見送るはめになったのであった。
止めようとして伸ばされた手をそのままに、フリックは無言でレパントを振り返った。
レパントは旗を振りながら、
「それでは、探しに行こうか。」
と、当たり前のようにフリックに言ったのであった。
ジョウストンの湖のほとりに豪奢に建つ城──その名物の一つに、美しさを誇るバルコニーがある。そこには空中庭園と誰かが呼び始めた綺麗な庭があるのだ。
見事に咲き誇る花。華奢なテーブルと椅子が並ぶそこには、優雅な雰囲気が漂っていた。
甘い花の香り。優しい風が流れている。
「綺麗だね。」
笑顔で目を眇める英雄が、珍しく儚くも憂いの宿った以外の笑顔を見せたことに、感動を現しながら、リオは頷いた。今日はこの庭園を作った人に深く感謝したい日であった。
スイは、懐かしさすら目に宿して、庭園を見つめる。
咲き乱れる薔薇の花。その他の花々の香。微妙に入り交じった優しい香。
「……ほんと、綺麗だね。」
懐かしげに瞳を細める英雄の顔を眺めて、リオとナナミは悦に入る。儚いこの英雄こそ、この空中庭園の主にふさわしいのではないのだろうか? いっそ、ヴァンサンやシモーヌを追い出して、彼一人を佇ませてみるのが一番ではないかと、本気で思ったものであった。
スイは近くの薔薇の花の元に跪いて、そっと花を自分の元に持ってくる。
甘い香を嗅ぎながら、スイは花弁を撫でる。心地好い肌触りに微笑みすら零れた。
空を見上げると、太陽のまばゆいばかりの光が一面の空を照らし出している。
「ほんと、──もったいない。」
囁いた言葉が、風に消えた。
「え? 何か言いましたか、スイさん?」
不思議そうに覗き込んできたリオに、スイは再び儚い微笑みを零すと、なんでもないよ、とかぶりを振った。
そして、そっと立ち上ると、静かに視線を飛ばす。
リオはそんなスイに微笑みかけながら、空中庭園のことを話し始める。
「夜になると、一応ここは出入り禁止なんですけどねー、一ヶ月に一回だけ、夜もあけるんですよ。こう、ライトアップさせて……。」
両手を広げて、リオが懇切丁寧に教えていく。スイはそれを優しい表情で受け入れる。
「あれ? リオ、あれは?」
つんつん、とナナミがリオの肩を突ついて、不思議そうに花壇を指差した。
「あれって、花壇だろ?」
「うん、そう。花壇なんだけどさー。」
答えて、ナナミはもう一度花壇を見やった。リオも釣られたように視線をやる。
そして、スイも不思議そうに首を傾げてそこを見やった。
花壇の土がもりもりと、不自然に盛り上がっていった。
無言でそれを眺めて、スイは尋ねるようにリオを見た。リオは問いただすように優雅なティータイムを取っているヴァンサンとシモーヌを見やった。二人は怪しい動きをしている花壇に気付かず、紅茶を傾けている。
もりもりもりもり、と、土が盛り上がる。それは今や人一人ぶんの身長があった。
おおー、と感心する二人に、スイは眉を顰めて、
「離れた方がいいんじゃない?」
一応、言葉を勧めてみた。
それを聞いて、二人は無言で視線を合わせてから、あ、と声をあげた。
いつのまにか、土がぼろぼろと落ち始めていた。そしてそこから現われたのは、鮮やかな緑色であった。
「?? 何、柱?」
「そっかぁ。柱って土から生えてくるものだったんだねっ!」
ナナミが面白そうに近づくと、リオがそれを一応止めて引きずり戻した。
「とにかく、なんか危ないので、ここから非難しましょう、スイさんっ!」
「うん。」
こっくりと頷いて、スイは腕をリオに掴まれながら引きずられて──あ、と声をあげた。
緑の柱は、スイとリオが両手をつないで輪を作ったくらいの太さがあった。それはにょきにょきと伸びていき、やがて天高く伸び切ると、ぴたりと動きを止めた。
そして、その先端に膨らみを持たせたかと思うや否や、しゅるしゅると縞模様をふくらみに染め始める。
何事かと、呆然と見守った一行は、それがばさり、と広がるのを認めた。
瞬間、
『らーらららららーらーらーらーらーらららららーらー♪』
美声とは思えない、だみ声が当たりに響いた。
思わずスイは耳をきつく閉じる。
同じ様にリオとナナミも耳を閉じる。
見あげた先で、天高く咲き誇る花があった。──いや、その花は口の形をしていて、そこから歌声が聞こえるのだ。それも特大級の大きさの、声が。
「なななな、なにこれぇぇぇっ!?」
「ヴァンサンさんっ! シモーヌさん! 一体何を植えたんですかぁ!?」
リオが声に負けないように叫びながら、二人が座っていた席を見やるが、そこに二人はいなかった。
あれ? と辺りを見回したリオの肩を、つんつんとスイが突ついた。そして、上を指差す。
「……? ──あ、あああああああっ!!?」
「ヴァンサンさんっ! シモーヌさんっ!!」
騒がしい姉弟が見あげた先で、二人は優雅にお茶を取りながら奇妙な生物に捕まっていた。
それも葉っぱらしいものに身体を巻き付かれている。
「二人ともっ! それって、チケット何枚で乗れるのっ!?」
「ナナミっ! あれは遊園地の乗り物じゃないよっ! ここは、いつからの友達なの? って聞かないと。」
「あ、そっか。二人ともー。友達は門から入ってくるように言っておいてね〜。シュウさんがうるさいから〜。」
スイは少し離れたところに立ちながら、軍主とその姉の態度に感心していた。
「そういう反応を返すとは、なかなか新鮮だな。」
彼は、いつのまにか持っていた小さなポシェットを道具袋にしまった。
そこに何が入っていたのかは、彼のみぞ知る事である。
続けて彼は、困ったようにリオとナナミを見やった。
「ここは危険じゃないのか?」
声をかけると、二人はキョトン、とスイを眺めてから、花を見あげた。
花はあいも変わらず耳が痛くなるような大声をあげている。そこから生えている葉っぱには、二人のナルシストが巻き付けられていた。
「…………スイさん、今何か言いましたかぁっ!!?」
すぅ、と息を吸って、リオが怒鳴る。
ナナミもその後に続けて、
「とりあえずーっ! トニーさんを呼んできてーっ! 切っちゃいましょうかっ!?」
リオとスイに提案した。
スイはスイで、憂いに満ちた表情を花に向けて、葉っぱに捕まれながら、優雅に薔薇の花を振るヴァンサンを見あげた。
「でも……いいの? 切っちゃっても? ヴァンサンとシモーヌさんの友人なんだろう?」
「あ、そっかぁ。」
リオとナナミの耳元で、聞こえるように囁いて尋ねたスイは、そうこうしている間に土を盛り返して伸びていく根っこを無言で見やった。楽しい事に、誰もその根っこがにょきにょきと動いている事には気付いていない。
「じゃ、どーするぅ? リオ?」
「んー? とりあえず、話し合って何とかしてもらおうか。」
首を傾げて叫んで尋ねたナナミに、リオが一つ提案して、ちょっと待ってて下さいね、とスイに声をかけたかと思うや否や、ちゃき、とトンファーを手にして、
「ヴァンサンさーんっ! シッモーヌさぁーんっ!!」
叫び呼びかけて、走り出した。
その後ろ姿はどう見ても戦闘体勢に突入しようとしている戦士にしか見えなかった。
ナナミも手に三節棍を構えて、
「リオっ! 私も説得に協力するわっ!!」
飛び出した。
スイは無言で首を傾げて、とりあえず後ろを振り返った。
そこには息堰切って走ってきたらしい軍師殿がいた。
「こ……これは一体何事ですっ! リオ殿っ!?」
目の前にトランの英雄がいるためか、驚きに目を見張りつつもそれ以上は表情に出さない。
キッとにらまれて、スイは柳眉をしかめて見せる。その手が、微かに震えていた。
「それが……突然、あれが──…………。」
言って、指差す先には、おばけ花と、それに立ち向うリオとナナミの姿があった。その花の葉っぱには、とらわれのナルシーがいる。
「り、リオ殿っ!? ナナミっ!」
驚いたシュウが、一瞬にして背後からやってきたハウザーならびにその他の人間に指示を下す。
「あれを始末する。誰か炎の紋章を宿しているものはいないのかっ!?」
「今つれてきますっ!」
「それまではハウザー殿、リオ殿の援助をお願いします。」
スイの目の前できびきびと、てきぱきと話が進められていき、スイは彼らから少し離れた場所に立ち、そっと両手を包んだ。きりり、と唇をかんで、何もできない自分を後悔しているような表情を作った。
それは同時に、左手に宿している炎の紋章を見せないようにする仕種にも見えたが、それが宿っている事を知っているのはスイだけである。
「………………燃やしちゃうのか。持ち出すの、結構大変だったんだけどな。」
誰にも聞こえないように呟いて、やってきたカミューが右手を掲げるのを眺めながら、スイはやや冷めた眼差しで見つめる。
カミューが紋章を発動させる直前、慌てたようにリオが水の紋章を発動させて、炎の威力からヴァンサンやシモーヌ、他の花々を守る。
その様子を一通り眺めたスイは、消沈した眼差しで、そっと勝利に浸っている一同に背を向けた。
そして、最後の決めてとばかりに、入り口ではらはら見守っていたテレーズに近づくと、大人の女性の母性本能をくすぐらずにはいられない儚くも苦しげな表情で、
「あの……リオに、取り込んでいるようだから、帰ると……伝えて下さい。」
囁いた。
テレーズは驚いたような表情になったが、傷ついて苦しそうな表情をしているスイに何を思ったのか、
「わかりました。誰かお付けしましょうか?」
整った容貌を優しげに緩ませて、そう囁いてくれた。
スイはそれに軽く首を振って、
「いや……これ以上迷惑をかけるわけにはいかないから。」
微笑む。それがテレーズの心に深く刻まれる事を、よく分かっていながら。
「それに──……心配症の従者が、そろそろ迎えに来ていると思うから…………。」
自分はまだまだ保護者に付かれているのだと、そう思わせるような言い方を残して、スイは軽く頭をさげて、まんまと空中庭園を後にした。
重い足取りで階段を降りる途中で、慌てたように駆け上がっていくフリックをすれ違ったが、彼は庭園で起こった騒ぎに心奪われているみたいで、スイには気付きもしなかった。
階段を降りきると、ちょうど馬車を用意したビクトールと出会った。彼はいぶかしげな表情で、茂みに隠れているレパントと会話していた。
「あー? なんだって?」
「いや、だから、先程歌声が聞こえたろう? あれがまるでミルイヒ殿が今開発中の、歌う花の物に似ていると、フリックにそう言っただけなのだが……。」
「で、フリックは慌てて庭園の方に行ったってか? ったく、しょうがねぇなぁ。スイがいるんだから、何が起こっても不思議はねぇだろうが。」
レパントが、本日のいたずらの種明かしをしてしまっていることに、薄ら寒くなるような笑みを浮かべながら、スイは棍で自分の肩を叩いた。
そして、にっこり笑顔で、
「そこのお二人さん? その馬車、貸してくれる?」
声をかけた。
ぎくり、と強ばった肩に、更に声を重ねる。
「僕は今、突然の現象に何もできなかったことへの後悔で、落ち込んでいるんだよ? 歩いてかえれないくらいね。──だから、それ、使う権利は当然? あるよね?」
わざわざ嫌みたらしく、変な所を強調して、彼はレパントとビクトールがかなわない微笑みを浮かべてくれた。
ビクトールは無言で馬車へのドアを開けた。
レパントはいそいそと馬車のドアを開けた。
これが、スイの恐ろしさを知らせる第一の現象であったが、残念ながら、ビクトールが人目を気にしていたため、誰も目撃する事はなかった。
いや、唯ひとり見ていた。
「あれ? ぼっちゃん、もうお帰りですかっ!? ならグレミオもごいっしょしますよ〜。」
楽しそうに、茂みから出てきたグレミオであった。
スイは無言で片眉をあげると、顎で御者席をしゃくる。
グレミオはそれに何の疑問も持たずに、御者席に治まった。
レパントも、いそいそと馬車に乗り込もうとしたが、その直前に、スイがドアを締め切った。
そして、少年は窓から顔をのぞかせて、
「レパント? あの騒ぎで、ツアーに来てる人間が集まってきてるだろう? すぐに集めて帰国しろよ?」
それまでは、帰ってくるなよ?
優しい優しい微笑みであった。
しかし、そこに隠れる棘はあまりにも鋭い。
「スイ殿……っ!」
まさかスイにばれているとは思ってもみなかったレパントだったが(スイにばれないように、わざわざ彼が見ない回覧板でまわしたというのに)、無言の笑顔の圧力にあっさりと負けた。
「それから、ビクトール? あの花、根っこもきっちり灰にしないと、明日には三本に増えてるから……ま、頑張ってね。欠片でも残しちゃ駄目だよ?」
くすくすと、笑い声すら伴なってそうなそれはそれは楽しそうな声で言われて、ビクトールは慌てたように庭園の方角を見あげた。
その一瞬のすきに、グレミオが絶妙に馬車を発車させた。
土煙が舞い、あわれ二人の男はうら寂しい茂みの間に取り残される事となった。
庭園のある方では、もくもくと煙が上がり、まるでそれが雲になってしまうかのような──そんな印象を受ける天気の日であった。
──────翌日、美しくもない歌声が響き渡ったのは、言うまでもないことかもしれない。
また、この花事件顛末として、テレーズは、「トランの英雄、スイ殿は、その件で何もできなかったと深く後悔しておられたようです。しばらくはソットしておいた方が良いのでは?」というように、ちょっとスイ=マクドール寄りによった意見を言うようになったのだという。
さて、これが思わぬ産物なのか、最初からしくまれた産物だったのか、それは誰にもわからないことなのである。
そう、この事件のおかげで手に入れた数日の自由を満喫している英雄以外には、誰も……──。
ヤマダ様へ
ぼっちゃんが好き勝手しているというか、悪巧みしているというか、そういうものに仕上がってしまいましたが……(^_^;;;)
よかったら受けとってやってください。
ちなみになぜか今回の最終目標は、途中から、「テレーズさんを落とせっ!」に変わっていました。
……なぜだろう?
ゆりか