↓題名

「将来のために、今のうちにかつらを
作っておくのはいいことなのだろうか?」







 
 

 昼下がりのすがすがしい青い空に、紅の竜が飛んだ。
 翼が横に広がり風に乗った竜は、そのまま青い空を滑空する。
 遠く遥かな空に浮かぶ竜をかる人物は、淡い金の髪をなびかせていた。
 それは、彼女の白い素肌を掠めるようにして後方になびいている。かぶった竜騎士の兜に幾本か絡み付いているそれは、彼女自身の髪の毛ではない。
 満足そうに空を見上げて、優雅なティータイムを取るのは、この企画の発案者である解放軍のリーダーであった。
 彼はいつものように、竜が飛ぶ所が良く見えるようにと、庭園を陣取っていた。
 その回りには、同じ様に竜を見あげるスイのよき理解者達がいた。
「確かに……なびく髪は美しいですね。スイ殿、あれはもしや、ソニア殿の髪ではありませんか?」
 ローズティの溢れかえるような香に満足した表情を見せながら、この軍きっての卓越したデザインセンスの持ち主は尋ねた。
 スイはそれに頷き、
「協力してもらったんだ。やっぱり、なびくからには、綺麗な髪でないとね。」
 そう答えた。
 今ごろ自室で、短くなった髪に「ロッカクの里秘伝の薬」を塗っているであろう女性のことは、綺麗さっぱり忘れているに違いない。
「全くですね。さすがはスイ殿。いい感覚をしています。」
 空を滑空する竜は、とても気持ちがよさそうであった。
 が、しかし、その竜に乗っている女性は、あまり楽しそうではなかった。いつもと感覚が違うため、必要以上に精神過敏に竜をかっているためだと思われる。──その前に、精神的ショックもあるのかもしれないが。
「…………ミリア、あの分だとスラッシュに負担かかっちゃうんじゃないかな?」
 スイもそう思ったらしい。
 セルゲイ特製の、「遠くまで見える遠見眼鏡」を覗きながら、顔を顰める。
「仕方ありませんよ。慣れない髪をなびかせているんですから。」
 苦笑して、カスミが同じ様に忍び特製の遠見眼鏡を片手に告げる。
 スイはそれを聞きながら、表情を曇らせて、
「もっと楽しそうにしてくれたら、きっともっと優雅にみえるのにね。」
 残念そうに囁いた。
 それを聞いた刹那、ミルイヒが賛同して大きく頷いた。
「その通りです、スイ殿っ! ここは、今からミリア殿に長い髪の毛でも大丈夫なくらいに、慣れて貰わないとっ!!」
 美しさにかける執念は、人並み以上である。
 目がぎらぎらと光っているミルイヒに、ヴァンサンも必要以上に燃え立つ炎を背中に背負いながら、宣言した。
「では、今からミリア殿に教授いたしましょうっ!!」
 スイは、無言でミルイヒとヴァンサンとを見比べた後、つかれたように空を滑空しているミリアをスラッシュを見あげた。
 やや沈黙した後、にっこり、と鮮やかな笑みを浮かべてカスミを振り返った。
「カスミ、そう決まったからには──ミリアを、ここに連れてきて欲しいんだ。」
 百八星を仲間に巻き込んだ笑顔は、彼に恋する乙女には効果テキメンであった。
 カスミは両手で遠見眼鏡を抱え込むと、大きく頷く。
「はっ、はい! ただいまっ!!」
 その光景をビクトールが見ていたらきっと、呈のいい召し使いのような……と例えたであろう従順さであった。
 カスミは遠見眼鏡を、そっとヴァンサンに預けると、キッと空中を睨みあげた。
 そこで滑空する竜が、低空飛行に変る瞬間を狙って、ふっ、と膝を屈させる。そして、
「秘技っ! モズおとしっ!」
 しゅんっ、と、跳んだ。
「………………モズ落しって、秘技だったの?」
 カスミの残像が残るバルコニーから目を外し、スイが残った二人に尋ねる。
 しかし、普段戦闘に参加していない二人にそんなことが分かるはずもなかった。
「私としては、秘技よりも、秘術などを見てみたいところですね。」
「ああ、秘術……秘密の術とは何と美しい響きなのでしょう。」
 うっとりとした話に花咲かせる二人に、そうだねぇ、と相槌を打っているうちに、カスミが帰ってきた。
 彼女は、白い脚をスタンと付かせて、笑顔でスイを見あげた。
「スイ様っ! 任務完了いたしましたっ!!」
 と、同時。
「あああああああああーーーーーーーーっっ!!!!!!!!」
 常ならぬ悲鳴が響いたかと思うや否や、空中にいたはずのスラッシュが頭から堕ちてくるのが見えた。
 その背で、金の髪をなびかせて、ミリアが必死で手綱をひいているのが見えた。
 が、スラッシュは目を閉じたままピクリとも動かない。このままだと落ちるのは確実──。
 そんな光景を見やって、スイは立ち上ると、
「腕をあげたね、カスミ。」
 満足そうにそんなことを言ってくれた。
「ありがとうございます。」
 それはそれは嬉しそうに、カスミも答えた。
 そういう場合じゃないだろう、と突っ込める人間は、残念ながらこの場にはいなかった。
 ヴァンサンは、竜は落ちる姿も美しい、などと寝ぼけたことをほざいていたからだ。
 唯一、心優しき花将軍であったミルイヒだけが、ミリアとスラッシュの着地地点を見てとる。
「湖に落ちるのならば、そうたいした怪我はしないでしょう。」
 スイに安心させるように呟くと、スイも大きく頷く。
「ミリアのことだから、しっかり着地させてくれるよ……さぁ、僕たちは下に降りて、ミリアの訓練の準備でもしようか?」
 踵を返して歩き出す前に、一度だけスラッシュの落下を見やって──あ、とスイは声を上げた。
 彼女が堕ちていく先には、まずいものがあったのである。
 
 
 
 
 

 ミリアは、落下していくスラッシュの手綱をひきながら、必死で頭を巡らせていた。
 ばさばさと耳元で鳴る髪の毛がうるさくて、なかなか考えがまとまらない。
 考えをまとめようとするたび、髪が視界に入ったり、首筋にかかったりして、異様に気になった。その結果、彼女が長い落下の感覚の中で、確実に思ったのは、
「絶対、髪なんか伸ばさないっ!」
 であった。
 目を見開いて、正面を睨み、このまま湖に着水するのを予感する。
 出来る事ならスラッシュの目を覚まして、上昇するのが一番いいに決まっている。しかし、湖面は間近であり、例え眼が覚めたとしても、体勢が立て直せる可能性はなかった。
 ならば、このまま上手く着水して、スラッシュが沈まないようにしなければいけない。
 ミリアは、上半身を乗り出させて、スラッシュの手綱が結ばれている首筋に手を伸ばす。
 なんとかして……──そう思った瞬間、ふっ、と彼女の眼に、ボートが映った。
 湖の上に浮いたボートが見える。釣りでもしているのか、散歩でもしているつもりなのか、ボートの上には、三人程の人影が見えた。
 ちょうどそこは、スラッシュが落ちた後に巻き起こる水の衝撃に巻き込まれる場所であった。
 くっ、とミリアは舌打する。
 そして、慌てたようにスラッシュの首筋を叩いた。一刻もハヤク、スラッシュに目を覚ましてもらって、身体を捻って……あそこから逃れなければならない。さもないと、船がひっくり返ってしまうっ!
 ミリアは、近付いてくる湖面と闘いながら、スラッシュの名前を叫んだ。
 その刹那。くぐもるような音がすぐ間近で聞こえた。スラッシュが目を覚ましたのだっ!
「スラッシュっ! 身体を捻るんだっ!!」
 叫んで、命令を飛ばして、同時にミリアは衝撃に備えて脚に力を込める。
 手綱をいつでも自由にできるように握り直して、スラッシュと身体をあわせようとする。
 ボートの上に乗る人影は、堕ちてくるミリアとスラッシュに気付いていないのか気付いているのか──両手を翳したかと思うや否や、
「光り攻撃っ!!」
 かっ!!!!!!!
 世界は、真っ白に染まった。
「…………っ!!!?」
 視界が真っ白に染まり、突撃しそうだった湖面が光った。
 思いもよらない事態に、スラッシュの頭も真っ白になったようであった。ミリアとスラッシュの身体は硬直したまま──
どばっしゃーーーんっ!!!!!
 最近では一番の水柱が立ったのであった。
 
 
 

「あーあ……カイ達が光り攻撃の練習なんてしてるから………………。」
「なかなかに美しい光景でした。逆光に照らされて竜が湖に沈む様というのも。」
「おーい、大丈夫かぁ?」
「まずいっ! リュウカン先生を呼ぶんだっ!!」
「だから、フリック? 落ち着きなよ。リュウカン先生も落ちてるんだってば。」
「ったく、しょうもねぇなぁ。俺の仕掛けた網に引っかかってよ……魚が全部逃げちまたじゃねーか。」
「でも、そのおかげで皆助かったんすから、仕方ないすよ、兄貴。」
 
 
 

 好き放題言っている湖岸の面々を睨んで、ミリアは肩に引っかかっていたかつらをもぎ取った。
 そして、それを乱暴に湖に投げ捨てる。
 ぱしゃん、と落ちたかつらに、ぷかぷか浮いていたスラッシュが不思議そうな目を向ける。
 湖と正面激突するはめになったスラッシュが、湖の中で焦るのを必死に押しとどめ、湖面まで浮かび上がらせるのがどれほど大変だったのか──言葉では言い尽くせないのだ。
 おかげで、そこかしこに氷が浮いていた。スラッシュが焦って湖の水を凍らせてしまったからである。
 あやうく氷付けにされそうな勢いであった。
 現に、ボートをひっくり返された老戦士達は、このまま氷の中で永眠してしまいそうな様子だったのである。
 慌てて駆けつけたスイに連れられてきたロッテが、最後の炎をぶちかまさなかったら、今ごろ氷の置物が出来ていた事だろう。それも、頭部だけ異様に光り輝いた氷の彫像が。
「ふぅ、ふぅ……っ、死ぬかと思ったわい。」
 自分達のせいでそうなりそうだったくせに、リュウカンはつかれたような表情でそうぼやく。
 彼の少ない髪が、ちりちりと焦げた形になっているのは、ロッテの魔法のおかげである。
「ミリアー、そろそろ上がってこない?」
 スイが湖岸から声を掛けてくる。
 しかし、ミリアはそれを綺麗に無視して、スラッシュの背中に乗ったまま、湖の上を漂浪するかのように、流れに乗った。
 スイは困ったようにミリアを見つめる。
 そして、隣につれてきたビッキーを見下ろす。
「それでは師匠、お願いいたします。」
「え? ええ? スイさん、ミリアさんの所に何をテレポートさせるんですかぁっ?」
 ビッキーは、湖の上に流れる風に、自らの髪をなびかせながら、首を傾げる。
「そうだねぇ……。」
 風に乗って聞こえてくる恐ろしい会話に、ミリアはひくり、と引き攣った。
 一体これ以上私に何をすると言うのだろうか、あの鬼畜軍主はっ!?
 そうして、慌てたように湖岸を見やる。
 楽しそうに怪しい物体の束を手にして、ビッキーにそれを渡そうとしているスイが見えた。
 ちょっと待てっ! と、ミリアが叫ぼうとした刹那、ぽん、とスイの肩に手が置かれた。
 んん? とスイはその人を見あげた直後、
「……ヨシュア?」
 半ば呆然と声を上げた。
 そこには、いるはずのない人物が立っていたのである。
 ビッキーも驚いたような眼差しを向ける。その手には、先ほどスイから預けられた、獲れたてホヤホヤのタコが握られている。ねっとりとした吸盤をビッキーの腕に巻き付けて、頭を下に垂らしている。
「どうしたの? 君が領を開けるなんて珍しいね。」
 さすがのスイも、思いもよらない人物の登場に、苦笑いを隠せないようであった。
 そんなスイの表情を見下ろしながら、
「いえ……あなたが面白いことをしようとしていると、ハンフリーから伝書で聞いたのですよ。」
「………………ハンフリー、無口なくせに、実は結構筆まめとか?」
 おそらくは、ヨシュアから預かったフッチについて書くついでに、面白そうなことだとばかりに書いたものだと見た。
「それで、見に来たの? ちょうど良かった。今からミリアに、髪の綺麗な流しかたを教えるところだったんだよ。」
 にっこり、とスイが笑った。
「ちょっ、スイ様……っ!!」
 湖の上から、ミリアが抗議の声をあげるが、所詮湖の上にいる身である以上、ミリアの声は何も聞こえないものとみなされた。
「髪の綺麗な流しかた……?」
「そうそう、ほら、ミリアみたいな美人が、髪を流して飛ぶ様が見たいんだよ。」
 いぶかしむヨシュアに、端的な説明をしてみせる。
 その後、まさかヨシュアまで飛んで火に入る夏の虫だとはね〜と、口の中で囁く。
「まさかスイさんっ! ヨシュア様にまでかつらを付ける気じゃ……っ!!!」
 慌てた様子で、フッチが叫んだ。
 今度は一体誰の髪の毛が狩られる事か……っ!
 考えるだけでも、嫌になりそうである。
「かつら? まさかっ!」
 なのに、スイは面白い事を言うねと言いたげに、笑った。
 ヨシュアは、湖の上を漂浪しているミリアを見つめる。
 彼女はなんとも言えない表情をして、スラッシュを操っていた。その表情は、騎士団領では見なかったくらい豊かであった。
 なかなか良い経験をしているようだな、とヨシュアが満足げに頷いた時。
 ぐいっ、と頭が引っ張られた。
「だって、ヨシュアは髪が長いじゃないか。」
 その事に今更ながら気付いた面々は、あっ、と小さく声を出す。
 ヨシュアはなにのことだか、と言いたげな顔をしたあと、ふと思い付いたように呟く。
「ならば私もやってみましょうか? 髪がなびく訓練というやつを。」
「えっ!?」
 思いもよらない言葉に、ミリアは顔をあげる。
 その先では、尊敬して止まないヨシュアが、朗らかに笑っていた。
「よし、そうと決まったら、ミリア、共に学ぼうではないか。」
「………………い、嫌です………………。」
 小さく答えて見たが、それはどうやら誰の耳にも届かなかったようである。
 何故ヨシュアがこんなくだらない事にやる気になったのか、分からないまま、ミリアはスラッシュ後とらちされることになる。
 魚臭い網がばさり、と頭から被せられて、タイ・ホーとヤム・クーの二人によって、湖岸に水揚げされるころには、湖岸には支度が整っていた。
「はい、ミリア。」
 何時の間にか湖面から引き上げられた「ソニアの髪の毛」を手渡されて、ミリアは涙を押し殺す。
「ヨシュア様の髪って、お綺麗ですね〜。」
 スラッシュにもず落しを決めた、スイのことに関してだけは常識がなくなる忍びは、楽しそうにそんなことを言いながらヨシュアの髪を梳いている。
 逃げる事かなわない状況とは、まさにこのことであった。
「……………………………………一体、私はなんのために………………。」
 自問してみたりしたが、答えは当然なく──ミリアは、愛竜であるスラッシュに、そっと涙に濡れた頬を寄せるのであった。
 かくして、ミリアの抵抗など些細な事になり、スイの楽しい計画は実行に移されるのであった。
 なびく髪に関する講義は思いのほか熱く、成功する頃にはすでに日は暮れかかっていた。
 ヨシュアが真面目に講義を受けているのに、ミリアが投げやりになるわけにもいかず、いつのまにか熱い講義に加わるフッチの幼さをうらやみながらも、ミリアも必死に学んだ。
 その甲斐もあり、その日──美しい茜色の空に、二体の竜が飛ぶという、珍しい光景が見られた。
 騎手は、二人とも太陽に輝く髪をなびかせ、それはそれは美しかったと……吟遊詩人達は語る。
 この後、竜洞騎士団で、髪を伸ばす事がはやったかどうかは、誰も知らないことである。
 
 
 
 
 
 

「…………ところでヨシュア、なんでまたやる気になったのさ?」
 珍しくこの居城にやってきた団長を迎えての、小さな夕食会の時に、スイが今更なことを尋ねる。
 ヨシュアはワインを傾けながら、しれっとした表情で答える。
「ああでもしないと、スイ殿も諦めてくれないでしょう? ──ミリアもね。」
「…………………………さては、実は結構前から見てただろ、あれ。」
 呆れた眼差しになるスイに、ヨシュアは何も答えず、壁とお友達になっているミリアを見やる。
 彼女は何やら自己嫌悪に陥っているようであった。
「さすがに湖に落ちるのは、感心しませんからね──手を貸したまでです。」
 ミリアが嫌悪に陥っている要因が幾つあるのか、分からないが、確かに今日一日で、相当な量のショックな出来事があったことであろう。
 自分の存在もそれに一口噛んでいると分かっているからこそ、ヨシュアは口元に苦い笑みを馳せる。
「これも試練──だと思ってはくれないかな?」
「ミリア? 大丈夫だろ。彼女のことだから。」
 分かりきったように答えるスイに、それもそうだな、とヨシュアは思う。
 そして、彼が今回のことをなんとも思っていないだろうことも、よく理解した。
 よく理解したからこそ……、
「試練だぞ、ミリア……。」
 口の中で、もう一度呟いたのである。
 それを聞きとがめたスイは、何が言いたげな視線を彼に向けたが、結局それらは全て口の中に封印され、無言で肩をすくめるのであった。













天魁星様
 前回の髪の毛の、後日談(というよりも、少し後)のお話にあたります。
 これできちんとお話自体は完結してますよね??
 実はこのお話は、天魁星様のところの、幻水タロットにあります、ミリアさんと団長からきています(笑)。
 ああっ、ごめんなさい〜っ。あの麗しいお二人を見て浮かんだのがこんな話なんて……っ!
 でも、折角出来てしまったので、ささげさせていただきます。
 これもまた、お好きなように処理のほどをお願いいたします。




庵百合華