願い

 
 

 甘い潮風にも似た風の匂いを感じながら、彼はむせ返る薔薇の中、優雅に朝食を摂っていた。
 その仕草は上品であり、なおかつ素早かった。
 正面に座る戦士達と、さりげない朝食の奪い合いを繰り広げているにも関わらず、彼の手元には一分の乱れも見えない。
 すざまじい速度と、それに見合わぬ優雅さで、朝食を摂っていた少年は、ふとその手を止めた。
 わざわざ風の強い、この本拠地の庭園を朝食の場所に選んだ理由が、すぐ近くに近付いたからであった。
 それは、風をまとい、風を従えて、空を滑空していた。
 目の前に座っている食欲男達から目をそらし、彼はそれを見あげる。
 風を自由に操るように空を飛ぶ竜の姿は、朝の光を反射して、美しく映えていた。
 目を眇めるようにしてそれを見詰めている、朝食バトルの相手に、ふと視線をやって、ビクトールも顎を上げた。
「ああ……ミリアか。」
 そう言えば、昨日彼女がスイに向かって、明日の朝、スラッシュを飛ばしてもいいかと尋ねていたような気がする。
 どうやら普通の少年のように、竜が跳ぶのが好きらしいスイは、そのためにわざわざ朝食をここで摂ろうと言ったようであった。
 こいつも、こうしてれば可愛い所あるじゃねぇか、と、いつも煮え湯を飲まされているビクトールが微笑ましく空を見詰める軍主を見守る。
 その隣で、同じ様に庭園朝食に突き合わされている食欲魔人ことパーンまでもが、手を止めてスイを微笑ましげに見つめていた。
 この解放軍の軍主になってからと言うもの、こういう少年らしい面は滅多に見せなくなったため、至極貴重なのである。
 側に控えていたカスミが、微かに肩を震わせているのは、きっと喜びのためなのだろう。
「…………ねぇ、前から気になってたんだけどさ。」
 ふと、ミリアが気持ちよさそうに竜をかるのを眺めていたスイが、そう呟いた。
「お前が何か言うとろくなことねぇからな。」
 そういいながらも、ビクトールも気になる事は気になるようである。目を微かにすがめさせて、先を促す。
 スイはその視線を受け止めて、至極真顔で呟く。
「どうして竜騎士って、ショートカットばかりなんだろう…………?」
「……………………趣味じゃねぇのか?」
 なんでこう、どうでもいいことにばかり眼が行くのだろう?
 そう思ったのは、何もビクトールだけではあるまい。
 パーンはそんなことか、と、対して気にも留めずに食事を再開する。何せ、スイがどうでもいいことや、突拍子もないことを言い出すのは慣れているのである。
 あいも変わらず竜を目で追いかけながら、スイはもう一度呟く。
「別に伸ばしてもいいと思うんだけどな。」
「だから、趣味だろうよ。──んなこと気にするなよ。」
 まさかいくらなんでも、竜騎士はショートカットであること、なんていう規則はないだろう。
 ビクトールは短い髪を風になびかせるミリアを一瞥して、用意してあった朝酒を一口口に含んだ。
「あ、あの……っ。」
 納得しかねないような、納得しているような、よく分からない無表情でスイが竜を眺め続けていると、不意に気配を消し続けて側に控えていたカスミが、声を掛ける。
「もしかしたら、髪が短い方が動きやすいから、ではないでしょうか? 戦士は、髪が長い方が闘いにくく、動きにくいと聞きますから……。」
 かく言うカスミもショートカットである。彼女の場合、忍びであり、動きやすさを重点としている可能性が高いから、その言葉にも信憑性があった。
 なるほど、と呟いたスイが、それなら仕方ないね、と残念そうに溜め息を吐く。
 憂い顔で、頬杖を付いて、彼は空を飛ぶ竜を見詰める。
「竜に乗った人の長い髪が、風にたなびく様っていうの……見たかったんだけどな──。」
 結構それって、綺麗なワンシーンになると思うんだけど。
 そう呟いたスイの言葉は、確かに独り言であった。
 独り言であったのだが。
「ぜったい、映えると思うんだけど。」
 確信にも似た言葉で呟いてしまったため、
「スイ様っ! 私にお任せ下さいっ!!」
 きらり、と目を輝かせるしもべが一人、誕生してしまったのであった。
 更に、それに対して申し訳なく思うような感情がスイにあるはずもなく、
「えっ!? ほんと、カスミっ!?」
 それはそれは嬉しそうに、自分の願望を叶えてくれるであろう女性に笑いかけたのであった。
────かくして、カスミ主催の、「ミリアさんに長い髪をなびかせて竜をかってもらおう大作戦」が始まるのであった。
 
 
 
 

 最初の犠牲者は、ソニアであった。
「な……なんだって?」
 じりじり、と、手に輝く物を持って迫るカスミに、ソニアの白い肌が一層青ざめる。
「ですから……そのお美しい髪をすこぉぉーし、分けて下さいませんかと、そう申してるんです。」
 きらーん、と輝くカスミの目が、どこか怖くて、ソニアは背後がない事を悟りながらも更に後に退く。
 カスミの両手には、見事に研ぎ澄まされたハサミが握られている。その輝きたるや、一流の鍛治師が打った刀のようであった。
 じりじり、と後退しながら、ソニアが微笑む。
「申し訳なく思うが、この髪は私の命も同然のもの。──愛しいただ一人の人に誉められた髪なのだ。あなたも女なら、その大事さがわかるでしょう?」
 じりじりと前進しながら、カスミが迫る。
「安心してくだしあ、ソニア様。きちんとアフターケアも万全です。ほら、ここに! ロッカクの里特製の毛生え薬も用意しましたっ!!」
 ハサミをつかむ手をそのままに、器用にカスミは液体の入ったビンを掲げて見せた。
 透明なビンの中に入っている緑色の液体を見て、更にソニアは後退する。
「い、いや……そういう重宝するものは、そろそろ生え際が危ないマッシュ殿だとか、カシム殿あたりに持っていった方が喜ばれると思うぞ。」
「いえ──お手入れがとても素晴らしい、ソニア様の髪が欲しいのですっ!!」
 カスミが更に迫る。
 ソニアは隙を見て逃げだそうと、目つきを鋭く辺りを見つめた瞬間、
「大丈夫だよ、かつらを作るだけだから……なんなら、生え揃うまではそのかつらをかぶっていればいい。」
 すぐ背後から、悪魔の声が聞こえた。
 ぞくぞくぞくぞくっ、とソニアの背筋が凍った。
 背後に近寄られていたとは気付きもしなかったソニアは、慌てて背後を振り返ると、そこに立っていた少年は、うっとりとした微笑みを浮かべて、ソニアの髪に口付けていた。その仕草が、テオを思い起こさせて──一瞬、ソニアは動きを止めてしまった。
 その隙を、ロッカクの優秀な忍びが逃すはずはなかった。
「すいませんっ! ソニア様っ! でも、スイ様の望みを叶えるのがお庭番の仕事なんですぅっ!!!」
 そこにハンゾウが居たならば、絶対違う、と断言したであろうことを叫びながら、カスミはハサミを振るった。
 スイが握る髪めがけて、水平に──ハサミをおろす。

ぢょっきん

 ソニアの動きが止まった。
 はらり、と一筋の金の糸が彼女の肩口を掠める。
 スイはそれを手に受け止めて、それはそれは嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱり、金髪だと、ソニアの髪が一番……綺麗だ。」
 と、亡きテオを思わせる口調で。
 
 
 
 

 続いての被害者は、やはり当人であるミリアであった。
「あの……これは……?」
「まぁ、ヘルメットだと思って付けてください。」
 差し出されたそれを、たっぷり三分は眺めてから、
「へるめっと……?」
 到底そんな言葉とは相容れない物体を、ミリアは手にした。
 サラサラのセミロングのかつらは、ミリアのそれよりもやや明るい金髪であった。
 誰のものだか……どこかで見覚えがある色のような気がしたのだが、どうにも思い出せなかった。
 カスミは、不審がるミリアの手に、無理にかつらを押し付けて、
「大丈夫。呪いなんてかかってませんからっ!」
 異様にぎらぎら光る目で告げてくれた。
 呪いがかかっていないって……それこそまさに、かかっているようにみえるのだが、と思わないでもなかったが、懸命にもミリアはそれを口にすることはなかった。
「ですが……風が強いので、こんなものだとすぐに吹き飛ばされてしまいますよ?」
 ヘルメットの代わりにもなりはしない(当然なのだが)と、苦笑してミリアが告げると、そっと……すぐ側から手が伸びてきた。
 その手は、かつらを手にしたミリアの手ごと包み込むと、
「大丈夫、これもあるから。」
 と、アロ○アルファを、彼女に手渡した。
 ミリアはたっぷり五分ほど動きを止めた。
「こ……これは…………。」
「その効力は、ロッカクの里の保証付きです。」
 チューブ状のそれを差し出した今の自分の主を見返す事もできず、ただ呆然とするミリアに、カスミは自身満々に応えてくれた。
 その答えこそが、ミリアが最も嫌がる答えだとは思いもせずに。
「どうしても駄目だったら、いいんだよ?」
 少し哀しそうな瞳で、硬直し続けるクールビューティに、スイは囁く。
 その手に握られた接着剤が恐ろしいミリアは、何も答えず彼を見返した。
「ヨシュアに付けてもらうから。」
「……………………………………………………………………………………………………。」
 神妙に告げられた瞬間、ミリアは自分の運命を悟ったのであった。