故郷





 ……二度と、帰るつもりはないのだと、そう思っていた。
 この国を離れた時に──そして、この国が滅びたと、遠くの国で聞いた時から、戻って来る事はないのだと、そう決めていた。
 なのに、こうしてまた戻って来る気になったのは、どうしてなのだろう?
 この国に吹く新たな風を感じて、昔と同じ様でまるで違う空気を感じ取る。
 不思議と、心は静かだった。
 もっと──何かを感じれると思ったのに、この国の当時と同じようでいて、まるで違うざわめきに、心が動かない。
 ここは、あそことは違うのだと、そう思い知った気がした。
 なのに、それが嫌なわけではない。たまらないくらい心が震えることもない。
 見あげた先には、もう15年近くも前に見上げていた城がある。同じ様な作りで、同じ様な輝きを持っていたけれど、当時のように敷居が高い雰囲気はなくなっていた。
 もっと身近な物に感じる。それはきっと、今も入り口の辺りに集まった人のせいなのであろう。綺麗な制服を着込んだ女性が、ツアーと書かれた旗を持って立っている。その回りに集まった人達は、興味津々と言った眼差しでそれを見あげ、言葉を聞いていた。
 当時……まだ自分がこの都にいたとき、継承戦争の英雄関連でにぎわった事はあったが、こんなことはなかったはずだ。
 今のお膝元は、大分緩やかで、自由と見えた。
 それがいいのか悪いのかは──これから分かる事なのだろうけど。
 良き時代と、自分がそう思い、剣を取ったあの時代がほんの十数年で終ってしまったように、この国の今の栄華も、長くはもたないのかもしれないのだから。
 昔は、英雄の一人として数えられ、帝国六将軍の一人として、町を歩くのも一人でおちおち歩かせてはもらえなかった。道をふらふらしていたら、ひっきりなしに声をかけられ、うんざりしたものだ。
 なのに今は、そんなこともない。
 こうしてぼんやりと城を見上げて感傷にふけっていると、回りの物売りらしいおばさんから、「グレッグミンスターは初めてかい?」と聞かれる。どうやら呈のいいカモと思われているらしい。
 ──自分も、当時に比べて随分丸くなったものだ。あの頃なら、睨み一つで遠ざけていただろうに、今はそのおばさんに、軽い笑みとともに答えられるのだ。
「昔、一度来た事がある。──ここは、良くにぎわっているな。」
 自分がここまで変えられた存在は、もうこの国にはいない。
 お前が危ない時は、命を張って闘うときは、必ず駆けつけると、剣を交わし約を交わした相手は、もうここにはいない。
 だからこそ、帰って来る気などなかったのに──くるつもりなど、決してなかったのに。
「そりゃそうさっ! ここは、解放軍リーダーが生まれ育った場所でもあるんだからねっ!」
 そして、今もこの地にいる場所でもある。
 そう続けられて、彼は苦笑いを噛み殺すように、再び城を見上げた。
 そこは誰もに解放された場所。当時とはまるで異なる。民衆のための場所。
 昔はぴりぴりした場所も、今は笑顔が広がっている。
 不思議な感傷がふと胸によぎって、彼は目を閉じた。
 救いは、この首都の人間が赤月帝国の最後の皇帝が、悪ではなかったのだという認識を抱いている事。悪は、彼をたぶらかした魔女なのだと想っている事。
 あの時ここにいなかった自分には、それが真実なのかどうなのか、わかりはしなかったけれど、それでも、自分がささげた剣は正しかったのだと思うのは、救いになる。
 自分の選んだ人が正しくなかったことだってあった。そのため、反旗を翻したことだってあった。
 あの時ここにいたら、自分はどちらを選んでいたのかなんて、考えた事もないけれど、その時正しいとおもった事をしただろうことは言える。
 難しい選択であっただろうけれども。
「……………………。」
 何も言わず立ち尽くす男に、物売りの女は何を思ったのか、そのまま肩を竦めて立ち去っていく。どうやら客にもならない男に声をかけてしまったようだと思ったらしい。
 そうして見あげていると、さまざまな思い出が蘇ってきて、彼は過去に思いを馳せた。
 いつも自分と共に立っていた親友とも言える男。結局、彼の最期の時には駆けつけてやれなかった事──最も、駆けつけられたとしても、あいつのことだから、断っただろうけれども。
「不思議な……ものだな。」
 今こうして、新たな土地に立つ自分。
 そして、その新たな地の糧となった親友。
──────この地を作ったのは………………。
「……ゲオルグ……様? もしかして、ゲオルグ様ではありませんか?」
 考えた刹那、若い女の声がかかった。
 ここに来た以上、誰か知り合いがいるだろうことは分かっていたが──若い女となると、とんと覚えがない。せいぜいが共に戦った将軍の一人である、キラウェアの娘くらいのものだろうが……彼女は自分をあまり好いていなかったように思えるし?
 一体誰だろうと、振り返ったゲオルグは、その刹那、一瞬懐かしい風を嗅いだ気がした。
 広い庭を覆うのは、むせかえるような芝生の緑。白いシーツや衣服が風にはためき、庭の白いテーブルに腰掛けるのは、幼い子供をあやす金の髪の少年と、その隣から笑いかけている少女。
 三人を愛しそうに見つめるのは、自分の隣に立つ──親友。
 懐かしい光景が、フラッシュバックして、ゲオルグは眩しげに瞳を細める。
「ああ、やはりゲオルグ様。──覚えておいでですか? テオ様に仕えさせていただいておりました、クレオと申します。」
 さらさらと零れる金の髪は、闘う事など無くなった今も短い。日に焼けることもなくなったためか、ほんのりと化粧された顔は白く、妙齢の美女である姿そのままであった。
 当時彼女は、華奢とも言える身体を鎧にまとっていたが、今は女らしい身体を動きやすい軽装に包ませているだけである。
 だから、印象が違った。
 けれど、彼女の雰囲気や目が、軍人の時のままのそれを宿していた。
 一見普通の美女であった。
「クレオ…………、か。」
 問い掛けるように、確信するように口の中で呟くと、彼女は少しつかれたような笑みを浮かべて、頷いた。
「お久方ぶりでございます。──ゲオルグ様が同盟軍にお力をお貸ししていらっしゃるのは、聞いております。今日は、リオ君と?」
 当時は、もっと覇気ある表情をした女であった。大切な者を守るためになら、誰をも倒してみせると、そう言い切るような少女であった。
 そんな彼女に、テオはいつも苦笑していたのだ。娘のようにも思っている少女が、嫁ぎ遅れるのではないかと、そう心配して。
 彼女の手は、綺麗なままで、彼女を捕まえるリングの様な存在はなかった。その理由は、彼女が誰よりも戦士らしく生きているためではないのは、分かった。
 彼女もまた、主君である男を裏切るようにして、解放軍側についた者であったからこそ。
「ああ──今は大統領殿に会っているから、すぐにそちらの屋敷に行くのではないかな?」
「そうですか……ゲオルグ様は、そちらに行かれませんの?」
 クレオは、微笑みを浮かべながら髪を軽く抑えた。
 優しい笑みを浮かべたクレオに、ゲオルグはなんとも言えない表情を浮かべる。
「見て回りたいと言ったら、好きにしてくれと言われたよ。」
 クレオは再び口の中で、そうですか、と呟いた後、ふと良い事を思い付いたように笑顔を浮かべて見せた。
「それでは、我が家にいらしてはどうでしょう?」
「……………………。」
「もし、迷惑でなければ、どうぞテオ様の眠る場所にも参ってやって下さい。」
 クレオは、優しい笑みを浮かべて見せる。
 その綺麗な笑顔が、昔見たそれよりも女めいて見えて、ゲオルグは長い年月の隔たりを突きつけられたような感覚を覚えた。
 何もかもが年月を隔てて、自分の前に連なっている。
 同じ様にこれらを見ているのならば──いっそ、自分を未だに捕まえて放さない思い出を突き放すつもりで、見に行った方がいいのかもしれない。
「…………そうだな、それでは、リーダー殿よりも一足早くお邪魔しようかな。」
 呟くように答えたゲオルグに、クレオは優しく微笑んだ。
 その笑顔もまた、テオが生きていた頃には見たことのなかった──女めいた笑みだとふと気付いて、ゲオルグはこの国が育っているのをつくづく感じたのであった。
 
 
 
 
 
 
 

 がたん、と音を立ててドアを開き、クレオはゲオルグを中に招き入れようとしたその刹那、中からどたどたどた、と豪奢な屋敷には全く不似合いな足音がした。
 一体何が起こったのだろうと身構えるゲオルグを緩く制して、クレオは先にドアに顔を覗きいれた。
 廊下と玄関とを塞ぐドアが盛大な音を立てて開き、そこから金髪の美男子が登場した。
 その顔には覚えがあった。
「ぼぼぼぼぼ、ぼっちゃんっ!!? おお、お帰りになられた……あ、あれ? なんだ、クレオさんですか。」
 凄まじい勢いで出てきたかと思うや否や、唐突に表情を落胆させて、ふぅ、と吐息づく。
 それは、昔見た光景にそっくりで、思わずゲオルグは吹き出した。
「グレミオ、お客さんだ。」
 クレオも起こるより先に呆れるしかないようで、目眩を覚えるように額に手を当てて彼にそう伝える。
 ぼっちゃんじゃなかったのか、と、そそくさとドアをくぐろうとしていたグレミオは、クレオの言葉にきょとん、と振り返る。
 そして、彼女の後ろに立つ、随分昔に見なれた姿を見つけて、大きく目を見開いた。
「あ……も、もしかして…………げ、ゲオルグ、様っ!?」
「…………ここは、変らんな。」
 見た目はドンと構えていて、いかにも重々しいのに、扉を開くと、いつも賑わい、笑顔が溢れている。
 あの日……グレッグミンスターを出る時に、訪ねた時の光景が同じ様に広がっている。ここで昔の屋敷の主が出てきたら、まさにあの時の光景そのままだろう。
 ──隣に立つ女戦士が、「女」になっていて、正面に立つ下男が、「男」になっているのを覗いたら、そのままの光景だ。
 思い切り良く思い出を突き放すどころか、感傷に浸ってしまいそうになって、ゲオルグはらしくない自分に苦笑いを隠せない。
 そんな彼をどう思っているのか、クレオは扉を大きく開けて、ゲオルグを招き入れた。
「驚きました。まさかゲオルグ様が訪ねて下さるなんて思ってもみませんでしたから。あ、それではお茶をご用意いたしますねっ! ちょうどぼっちゃんに言われてチーズケーキを作った所なんですよ〜。今日はチーズケーキバイキングなんです♪」
 いそいそと告げるだけ告げて去っていくグレミオを見送って、クレオはゲオルグにとって懐かしい場所へと導いていく。
 庭に面した広い客室。ゲオルグはそこでよく、テオと二人で語り合ったものだった。
 遠い将来の理想論であったり、戦争時の戦い方についてだったりもした。
 グレッグミンスターを……赤月帝国を出る時に、最後に来たのもこの部屋だった。
 ゲオルグにとって、この部屋で会ったテオ=マクドールこそが……最期の姿となったわけである。
「最近グレミオは、バイキング形式に凝ってるんですよ。おかげで毎日バイキングばかりなんです。……そう言えば、今日はチーズケーキですけど──ゲオルグ様は大丈夫でしたか?」
 真ん中の白いテーブルに綺麗に敷かれたテーブルクロスが、ピシリと皺一つなく広げられていた。
 そこかしこに綺麗な花が飾られていて、眼にも心地良い。
 テオと言う主をなくしても、ここの屋敷は不思議と雰囲気が変わらない。普通の屋敷は、主一人変っただけで、相当変るものなのに。
 ゲオルグの知る限り、息子のスイは、テオと似ても似つかなかったような気がしたのだが──成長してそうではなくなったと言う事なのだろうか?
「チーズケーキは好きだな。」
 答えながら、初めてチーズケーキという物に出遭ったのもここでだったと、ゲオルグは思い出す。
 甘いものはあまり食べないはずのテオが、グレミオが作ったものだと進めるから、恐る恐る口にしたのだった。武人として、誰よりも強く、何者をも恐れないと言われたテオやゲオルグも、甘い食べ物には恐怖を感じたのだ。あれは、未知への恐怖であった。
 にも関わらず、一度口にした瞬間、テオはにやりと笑って言ったのだ。
「やみつきになるぞ。」
 と、それはそれは、勝ち誇ったように。
 事実、今の自分は、「チーズケーキは好きだ」というよりも、「チーズケーキは大好物」であるに変わっているのだから。
 まさか、またやみつきにした至上のチーズケーキと自分の中で位置づけたそれを食べれるとは、思いもよらなかった。
 それも、テオもいないこの屋敷で。
「本当に、不思議なものだな。」
「え? 何かおっしゃいましたか?」
 窓を開け放していたクレオが、呟いたゲオルグの声を聞きとがめて振り返る。
 しかしゲオルグはそれにかぶりを振って答えた。
 そうですか、と答えると、クレオは振り返ったその空間に、ゲオルグがいることに奇妙な感覚を覚えた。
 一瞬、自分が少女時代に戻ったような──そんな気持ちを抱く。
 長く彼に会っていなかったというのが、嘘のようだと、不意に思った。
「ゲオルグ様は、今も旅して?」
「そうだな……また旅することになるだろうな。どうも一所に落ち着くのは、性に合わないようだ。」
 笑いながらそう言うと、クレオは懐かしそうに瞳を細める。
 昔もそう言っていたと、記憶しているのだろう。
 静かに感慨にふけっているだろうゲオルグのことを思ってか、クレオは窓を開けた後、部屋から出て行こうとする。
 と、その時である。
「お待たせしました。バイキングのお時間でーっす。」
 異様に明るい声で、からからから、と移動テーブルがやってきた。
 その上には、綺麗な色をしたさまざまなチーズケーキが乗っている。
 部屋の中にチーズの香が広がって、ゲオルグはふと入り口に目を向けた。
 クレオはテーブルが入って来るのにクスクス笑いながら、ドアを全開にしてやる。
「お茶はハーブティと紅茶とコーヒーなどがございますが、どれにいたしますかぁ〜?」
 楽しそうに歌う口調で入ってきたのは、グレミオではなかった。
 フリル付きのエプロンをヒラヒラ浮かせながら、先程グレミオが探していた張本人は、室内に脚を踏み入れた瞬間、
「……………………あれ?」
 きょとん、とした眼で、部屋の中央に立つ人物を見やった。
 クレオはその声が誰のものか気付いて、テーブルを押している人物を見た。
 そこには、自分の若き主である少年が、自分の立場を自覚しない格好で立っていた。
「ゲオルグ将軍……??」
 どうして彼がここに? と、険しい表情になってはいるものの、その格好が格好であったので、あまり様になりはしなかった。
「スイ……か。」
 ゲオルグはなんとも言えない表情で、彼が持っているテーブルに目を移した。
「ぼっちゃん、何て格好をしているんですか……。」
 呆れたようなクレオの台詞に、スイも憮然として答える。
「ゲオルグ将軍がいるって知ってたら、ちゃんと着替えてきたよ。」
 そう言いながらも、フリル付きエプロンをそのままに、テーブルにホールケーキを並べていく。
 ゲオルグはなんとも言えない表情で、スイのエプロン姿を眺める。別に男子厨房に入らず、とは言わないが──好き好んでフリル付きエプロンを付けている彼の気がよく分からない。
「先程グレミオが探していましたけど……もうお会いになられましたか?」
 尋ねたクレオに、美味しそうなケーキを並び上げたスイは、満足そうな笑みの後、
「ミルイヒのところにお茶を貰いにいってただけなのにね……ほんと、心配性なんだからさ。」
「ところで、それとその格好と何か関係があるのかな?」
 ゲオルグは、美味しそうな匂いを立てるチーズケーキに微笑みを零しながら、スイの姿を見やる。
 この屋敷の主と言うにはいささかおかしな格好であった。
「どうせバイキング形式にするんだったら、やっぱりウェイトレスは必要かと思って。家にあったメイドさん制服のエプロンを着たんです。」
 微笑みを漏らして、スイがゲオルグに笑いかける。
 クレオは、密かにゲオルグを招待したことを後悔したが、主がこういう性格な以上、どうせ逃れることのなかった事態なのだとすぐに思い直す。
 スイには恥じらいと言う言葉がないのか、そのままの格好でゲオルグをもてなすために椅子に座った。
 せめて腰に巻くタイプのエプロンだったら良かったものの、今回着ていたのは頭からかぶるタイプの物であった。普段からグレミオがエプロンを付けているのを見慣れているクレオ達は、あまりそのエプロンに違和感がなかったが、ゲオルグはそういうわけにもいかないであろう。
 実年齢はもう20になるというのに、外見はいつまでたっても10代前半であるスイは、そうしていると少女だと言われても違和感がなかった。
「ホントは猫耳とかつけてみようと思ったんだけど、しなくて正解だったなぁ〜。」
 そんなことを言いながら、スイは並び立てたケーキにナイフを入れていく。
 切り口から、綺麗なケーキの色が現われる。
「そんなもの付けようと思っていたんですか……?」
 呆れたようにクレオが呟くと、スイが大きく頷く。
「面白いかと思ってさ。」
「……………………グレミオは育てかたを間違えたようだな。」
 思わずゲオルグが呟き、軽く肩を竦めて見せた。
 クレオもそれは同感だったらしく、そっと吐息を零す事で同意を示した。
「……っと、ところでゲオルグ将軍がここに居るって事は……?」
 スイが不思議そうに目を向けると、クレオが思い出したように答える。
「ああ、そうです。リオ君達と一緒にいらっしゃったらしいんですよ。」
「………………それを早く言ってよっ! 着替えて来るっ!」
 言い捨てるや否や、スイはそのまま踵を返して部屋から飛び出していった。
 呆然と見送り、クレオはゲオルグに肩を竦めて見せる。
 ちょうどその時、飛び出していったスイの後ろ姿を見送りながら、グレミオが室内に入って来る。
 トレイを手にしていて、その上に湯気の立った紅茶セットが置かれている。
「ぼっちゃん、どうなさったんですか?」
「着替えて来るそうだよ。」
 不思議そうに首を傾げるグレミオに、クレオが答えてやると、
「ああ、やっぱり兎の方がいいって言ってましたか?」
 グレミオが納得したように呟く。
「…………うさぎ……?」
「ええ、ティーパーティと言ったら、アリスのお茶会だろうと言って、時計兎とチシャ猫とを用意されてましたよ。」
 燃えるスイのおかしなこだわりであった。
 クレオはよりにもよって、ゲオルグを招待した時に、そんなことで燃えなくても……と、痛切に育てかたを後悔した。
 最も、どんな育てかたであろうとも、元々の性格がそうであったと言う説もあったが。
「まぁいいじゃないか。似合っていないのならとにかく。」
 なんと言っていいのか分からないまま、ゲオルグが苦笑してみせる。
 似合っているというのも問題ではあったが……。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 テオは……自分が決着を付けずに別れてそのままになっていた親友は、長い間不敗を誇っていた。
 その彼が唯一負けた相手が、彼の懐中の息子であった。
 「テオ=マクドール、解放軍のリーダーに敗れる。 」
 知らせを風の噂に聞いたときにはもう、解放軍の勢いは留まる事を知らない時期に入っていた。
 解放軍リーダーが、実はテオの息子であるスイだと聞いた時は、敗れたとは言っても生きているのかもしれないと、思ったものだった。
 同時に、テオがそれを受入れるような男ではないのもよく分かっていたが。
 こうして墓碑の前に立っていると、テオ=マクドールという男が、自分の中の重要な位置を占めていたのだと感じた。
 二人の親子間にどのようなやり取りがあったのか──ゲオルグは、想像出来るような気がしてならない。
 テオのことだから、きっと後には引かず、そして息子にもそれを強要したことだろう。
「……妙な所で、不器用な男だったからな、お前は。」
 思い出は、切り捨てても切り捨てても湧いて出てきて、ゲオルグは苦笑することすら面倒に感じた。
 結局この都には、嫌になるくらいの思い出がそこかしこに溢れているのだ。
 テオがいないことを実感するたび、テオのことが思い出される。
 ずっとここで暮らすのならそのうち慣れるだろうが──と、ゲオルグは無感情な石碑を眺めて瞳を細めた。
 帝国側で闘った男の墓碑としては、おかしな位綺麗な状態を保っている。
 花は絶えず置かれているのだろう、今も鮮やかな色を誇っていた。
 不思議な気持ちだった。
 軍人という職に付いている以上、どちらかが先に死ぬ日がくると思っていた。それはきっと、互いに知らぬ場所で死ぬのだと、そう思っていた。
 事実そうなると──どうにもやりきれない気持ちが湧いて来るのは、どうしてだろうか?
 もしも自分がいたなら、彼は死ぬ事はなかったのだろうか? 息子と闘うことなどなかったのだろうか……?
「それは、ないだろうな……。」
 ゲオルグには確実に言えることがあった。
 それは、宮廷魔術師に心奪われ、悪政を行う「元主」に味方はしない、ということである。
 あの時ここに居たならば、例え相手が親友であろうとも、剣を向けていたはずだ。他の誰でもない自分が。──そして、親友の気持ちを思って、スイにハッパをかけたであろう。
 テオが望むように闘ってやれ、と。
「結局俺も……同じ穴のむじな、か。」
 しょうもないと、ゲオルグが笑ったその時。
「言っとくけど、後悔なんてしてませんよ。」
 声が後ろから聞こえた。
 振り向くと、そこには先程訪ねた家の主が軽装で立っていた。
 手にはバイキングで出した物と同じチーズケーキ。
「スイ……。」
「父上にもおすそ分けです。」
 彼は、しれっとした表情で皿を掲げると、ゲオルグの隣に立った。
 カタン、と置かれたチーズケーキは、美味しそうな色と匂いをしている。先程のバイキング用の中で、一番綺麗な部分を切り分けていたような覚えがあるから、きっとそれであろう。
 スイは静かに膝をついて、墓碑を眺めた。
 その眼差しはゲオルグからは見えず、彼が今どう思っているのかもわからない。
 昔……テオがいた頃、彼とこの地を駆けた頃は、この子は素直な少年で、すぐ顔に出るタチだった。
 なのに今は、彼の裏が見えない。彼が何を考え、どう思っているのか、まるで読めない。
 小さな背中を見つめながら、その華奢で頼りない背中を見ながら、それでも彼から漂う威圧感を感じずにはいられない。
 自然体でそこにあるだけなのに、彼が普通の少年ではないのだと知らされる。
 彼は、解放軍の主であった者で、幾十もの戦場を駆けた自分と遜色ないほどの経験をつんでいる。
 主を支え、戦い続けてきた自分とは全く違う経験値を有している。
 おそらくは、自分には理解できない世界をも見てきたのだろう。
 傭兵として生きる自分とは違う生き方で、それを貫いてきたのだろう。その末に得た、確固とした存在感が滲み出ている。
 昔ならば、感嘆の溜め息を零すところなのだが、今はそれにただ苦笑を覚えるだけで。
「昔の知り合いに会うたびに、痛ましそうな、苦しそうな眼で見られるんです。解放軍の仲間達は、そうじゃないけど、それ以外の……そう、父上の後を継ぐんだって夢見ていた頃の僕を知っている人達は、僕が理解できないっていう眼で見るんです。」
 不意にスイが口を開いた。
 その語る言葉に、ゲオルグは軽く瞳を細める。
 その「知り合い」の中に自分が入っているのかどうかは、自分では分からなかった。
「僕自身の中身は変わっていないつもりですし、その通りに行動しているつもりです。勿論、戦争が僕にもたらしたことは多くの意味がありましたし、僕自身それが糧になってると思います。
 でも、その結果は、決して苦しくて痛い変化じゃないんです。僕の中では。」
 スイはしゃがんだまま、父の墓碑を見つめる。
「ゲオルグさんには、僕が痛いように見えますか?」
 久しぶりにグレッグミンスターにやってきた、自分が幼い頃を知る数少ない知り合いに、そう尋ねて──スイは顔を上げた。
 しゃらり、と乱れた髪が頬にかかり、うっすらと笑んだ唇に張り付く。
 それを指先で取ったあと、スイは正面からゲオルグを見上げた。
 母親譲りの瞳が、優しく光りを宿している。
「…………お前は、どういう答えを望んでいる?」
 懐かしい気持ちすら抱きながら、逆に尋ねかえすと、彼は大きく目を見開いてから、ふっ、と笑みを零した。
 それは、唇をつり上げるだけの笑みではなく、優しい……昔良く見せた無邪気な笑顔に似ていた。
 無邪気というには、彼は幾つもの経験を表情に張り付かせすぎていたけれど。
「父上も、きっと喜んでますよ。あなたが来てくれて。」
「……あいつがそういう玉かな。」
「そういう玉なんですよ、父上は。」
 ゲオルグが顎に手を当てて呟くと、スイは茶目っ気たっぷりに囁く。
 そして、静かに立ち上った。
「痛さをも吸収できたら、それは一人前だと思いますか? ──僕は、痛さを知らなくては、何も始まらないと思ってるんです。
 だから、今も痛みを知る事の出来る自分に感謝して……そして、痛みを感じる事の出来るあなたたちに、安心するんです。」
 もう一度墓碑を振り返って、スイは静かに微笑みかける。
 ゲオルグの答えは、十分に彼を満足させたようであった。一体どんな答えを望んでいたのかはわからないが、──昔以上によく分からない大人になっていると思いはしたが、それを懸命にも口に出さない。
「俺は、痛みが分かる大人かね?」
「ええ、人の痛みが分かる……おじさん、ですね。」
 しれっとして言って……スイはにんまりと笑った。
 その言葉を聞いた瞬間、ゲオルグは片眉をつり上げるという器用な真似をした後、
「解放軍リーダーにそんなことを言われるとは、光栄の限りだ。」
「…………さすが、伊達に父上の親友をしてませんね……。」
 瞳を軽く眇めてゲオルグの雄々しい顔を見上げた後、スイは軽く肩をすくめる。
「それじゃ、さっさと戻りましょうか、ゲオルグおじさん? リオもそろそろ、うちに着いてるでしょうしね。」
 そのままの動作で腕を上げて、するり、とゲオルグの腕に自分の腕を絡める。
 ゲオルグはそんな彼を見下ろして、尋ねるように目を向ける。
「たまにはいいじゃないですか。親子みたいで。」
「……まだ父親の温もりが恋しい年頃だからな、お前は。」
「そうそう、そういうことです。母親だったら、ごっついのが家にいるんですけど、どうも父親はねぇ……、墓の下ときますから。」
 軽口を叩きながら、スイがくすくす笑う。
 腕に頬を摺り寄せるように笑う彼の笑顔は、少し痛々しい表情が見れたが、彼も自分の道に後悔はしていないのだろう。
 言葉には痛さの欠片も見えなかった。
 たいした物だ、と思いながら、ゲオルグもその気持ちに応えてやることにする。
「あいつも嬉しいだろうさ。一番良いチーズケーキを貰ったと来てるからな。」
「………………しっかりチェックしてるし。」
 呆れた口調でいいながら、スイが溜め息を零した。
 低く笑うゲオルグに、つられたように笑い声を零す。
 互いにとって思い出の深い町並みを、ゆっくりと歩きながら、たわいのない話を何度か繰り返す。
「やれやれ……結局また思い出を抱えて行かねばならないみたいだな。」
 ぼやくようにゲオルグが呟くと、スイは分かりきったように答える。
「思い出は、こっそりと残しておいた方がいいものなんですよ──どれほどくだらなくて、痛い事でもね。」
 それが本当に正しい事なのかそうじゃないのかは、きっと人それぞれなんだろうけどね。
 スイはそう続けて、あなたはどちらでしょうね、とゲオルグを見あげる。
 ゲオルグは変わってしまったけれど、変わりきっていない都を眺めながら、そうだな、と低く答えた。
 自分がどちらなのかはわからないけれど──思い出が振切れないこの状態を、ホッとしている自分がいることも本当なのだ。
 どこを探してもいない彼が、今もまたそこの角から現われるような気持ちを、胸に抱いているのも……本当なのだ。
 これが痛いと嘆くものもいるだろうけど、ゲオルグもスイも、違うタチらしかった。
「それじゃ、もうしばらくは忘れないでやるか。」
「そうしてくれると、僕も嬉しいです。」
 恩をきせるように、楽しそうに笑って言ったゲオルグに、大きくスイも頷いてみせた。
 その後、二人はどちらともなく顔を見合わせて、プッと噴き出す。
 小さく笑い声を立てながら、今度は思い出に浸る間もなく、屋敷へ向けて揃って歩く。
 長いようで短い帰路を、仲のいい親子のように寄り添いながら、歩いていくのであった。
 自分達を待つ人がいる場所へと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ゲオルグさんは格好良く、これ基本です。

深野様

11111HITありがとうございました〜!
遅くなりましたが、ゲオルグと坊……(ですよね? きっと。ゲオルグとクレオじゃないですよね? ゲオルグとテオでもないですよね?? ドキドキ)を、届けさせていただきますっ!
ゲオルグさんは格好良く書かなくては、と思っていたら、途中でクレオは昔ゲオルグのことが好きだったんだ、路線に変わってきて、坊ちゃんが出てこなくてドキドキしましたが、無事最後はツーショットを決めて下さいました。
良かったです(?)。
このような偽者で良かったら、ご存分にお好きなように扱って下さい……。
そして、出来あがったことをお知らせできなかったお馬鹿な私を許してください……うう。

2000 11 11 庵 百合華