花粉症マスク風邪




「あーっっ! もうっっ!! 花粉なんてだいっきらいよーっっ!」
 今年も元気良く響いたナナミの声に、ジョウイはいつものように道場に行く途中で、思った。
 ああ、今年もそんな季節なんだな、と。
 これは毎年繰り広げられる、愛と青春の……迷惑を被る少年たちの悲劇であった。
「こんにちはー。」
「どうしてっ! うちのまわりにはっ! 木っ! 木が生えているのよぉぉ!」
 ジョウイが挨拶と共に厨房に脚を入れると、そこでは木のテーブルに行儀悪く脚を駆けていたナナミがいた。
「しょうがないじゃない。町外れなんだから。ナナミ、いつも木が良い練習相手になるって、言ってたじゃない。」
 また始まったと思いながらも、愚痴に付き合ってやっているのは、ナナミの義理の弟である。
 彼は苦労性ということでもないのだろうが、ナナミの弟であることが苦労の一つだということは、よく理解しているようであった。
「それとこれとは別問題でしょうっ!? ねぇ、リオっ! 春と秋は、別荘に引っ越そうよっっ!」
「どこにあるんだよ、そんなのが。」
 冷たく突っ込んだリオが、入れたばかりの番茶を手に、ふと入り口を見て、ああ、と声を出した。
「ジョウイ、いつからそこに?」
「さっきだよ。」
 ああ、やっぱりナナミの声で聞こえていなかったんだね、とジョウイは思った。
 でもそれはいつもの事なので、気にしない。
「ジョウイっ!! そうよ、ジョウイっ! ねぇねぇ、ジョウイっ! 木のない別荘って、持ってないっ!?」
 普通、別荘というのは、自然溢れる場所に立てるものであった。
 自然溢れる場所というのは、当然だが木がある。
 ナナミの願いは、即座に却下されることとなった。
「無茶言わないでよ、ナナミ。」
 苦く笑いながらそう言うと、そっかぁ、とナナミが残念そうにジョウイに椅子を勧めた。
「毎年毎年、つらいんだよねぇ。」
 いいながらも今も、ぐし、と鼻を啜っている。可哀相だと思うが、ジョウイやリオには分からない辛さでもあった。
「さっきも二回連続でくしゃみしてたんだよ、ナナミ。」
 告げ口をするようにリオが口元を歪めて笑った。
「あら、くしゃみ二回は良い噂なんだよ。」
 ナナミも負け時と言い返すと、ジョウイがそれをまぜっかえした。
「ってことは、道具屋のおばさんがナナミのことを話してたんだ。……彼女くらいだからね、ナナミの良い噂なんてするのは。」
「……ひっどぉぉーいっっ!!」
「あははははっっ! ごめんごめんっ!」
 一瞬おくれて、リオが爆笑して、ナナミがジョウイに食って掛かった。
 それに笑いながら謝って、ひとしきり三人は笑い在った。
 そしてその直後。
「ふぇ……ぶえっくしょっっっ!!」
 ナナミが特大のくしゃみをかましたかと思うやいなや、そのまま連続してくしゃみをした。
「二回、三回、四回………………。」
 思わず数えてしまったリオが、これは花粉症じゃなくって、風邪なのかもしれない、と眉をひそめる。
「ぐし……、んもぉ、これだからやんなっちゃう。」
 鼻を啜りながら、ナナミがちょっとごめんね、と涙のにじんだ目を洗いに桶の所へ走る。
 それを見送って、ジョウイは溜め息を零した。
「大変だね、ナナミ。」
 それを聞きとがめて、リオは無言で指で窓を指差した。
 窓は開いていた。そこから、明るい日差しと風が吹き込んでいる。
「あれ? 何してるんだよっ? 窓なんて開けてたら、花粉が入ってくるだろう?」
 ジョウイがそれなら仕方ないよと、窓を閉めに行こうとするのを、リオが静かに止めた。
「駄目だよ。それ、ナナミが開けたんだから。」
「はぁ?」
 どうして花粉症で悩む張本人が、窓を開けて花粉を招くのだろう?
 ふしぎそうというよりも、いぶかしむようにジョウイがナナミの後ろ姿を見た。
「くしゃみばかりしてるから、空気が濁るんだってさ。」
 いいながら、リオは肩をすくめる。
 たぶんジョウイが今思っている事はすべて、言ったのだろう。それでもリオは聞いてくれなかったわけだ。
 その過程が綺麗に思い浮かぶ自分に苦笑いしながら、気を取り直してジョウイがナナミに笑いかける。
「ナナミ、今日はお土産があるんだよ。」
「ふぇぇ? ひょっろまっへ。」
「ちょっと待ってだって。」
 タオルで顔を拭いているナナミの意味不明の言語を約して、リオはジョウイにお茶を進めた。
 熱々のお茶を貰いながら、ジョウイはナナミが顔を拭いている間に、リオにそのお土産を見せた。
「ほら、これだよ。」
「? 何これ? ただのマスクじゃないの?」
 ジョウイがそっと取り出した、袋に包まれたものを、リオは摘み上げる。
「ただのじゃないんだよ。」
 そうやって言い合っている間に、ナナミがすっきりした顔でやってきた。
「ごめんごめん、ジョウイ。で、何?」
 ナナミが席について、リオがつまんでいるものを見た。
 そして、ジョウイを心配そうに見つめる。
「ジョウイ、風邪でもひいているの?」
「違うよ、これはナナミへのお土産。」
 てっきりお土産はお菓子だとばっかり思っていたナナミは、明らかに落胆した表情になった。
 その直後、ぐし、と鼻をすする。
「これ、花粉対策マスクっていうんだ。父が取り寄せたものを、一つだけ分けてもらったんだ。」
「えっ? ジョウイ、いいの、そんなことしてっ!? ナナミなんかのためにっ!」
「ちょっとちょっと、リオ。それ、聞き捨てならないわよ?」
 リオが心配そうに尋ねた途端、ナナミがいらない一言を呟いた弟の首を締め上げる。
 それを微笑ましく見ながら、ジョウイが緩く頭を振った。
「いいんだよ、それくらい。」
 微笑んだジョウイに、ナナミは不安そうな目をマスクに向けた。
 そして、真っ青になりかけていたリオを解放して、ジョウイの土産を手にした。
「これ、普通のマスクのように見えるけど? なんか特別な使い方でもあるの?」
「普通に使うだけだよ。ただね、このマスク、花粉が入らないようになってるんだよ。だから、付けてると花粉に悩まされないってわけ。」
「目は?」
「…………目薬があるだろう?」
 にっこり、と突っ込んだリオに微笑んで、ジョウイはナナミにマスクを進めた。
 それを受け取って、ナナミはしばらくひっくり返したりしていた。
 そのあと、
「どれどれ。」
 と、付けた。
 わくわくと、期待の眼差しでリオとジョウイがナナミを見守る。
 ナナミの顔は、半分くらいマスクに隠された。
 しばらく沈黙のあと、
「ぐし。」
 ナナミは鼻をすすった。
「……………………あれ?」
「直らないね。」
 すぐに効果は出ないのかな、と二人が話すのを横目に、ナナミはてけてけと水瓶の元へと歩いた。そして覗く。
「……………………うーみゅ。」
 見た目、あんまりよくないなぁ、と思った後、何を思ったのかマスクを外して、手元にあった染色液を手にした。
 そのまましばらくそこでごそごそしていたが、それにジョウイもリオも気付かない。
「ねぇ、ジョウイ。そう言えばこの間さー。」
「ん? ああ、あの話ね。」
 何時の間にか話は違う方に走っていっていた。
 お茶を半分ほども飲んだ頃だろうか?
 不意のナナミが、あーっ! と叫び声をあげた。
 いつになくおとなしいと思っていたナナミの突然の叫びに、びくり、と二人が身体を強ばらせた。
「どうしたの、ナナミっ!?」
「また鍋でも焦がしたのっ!?」
「ど、どうしよう、ジョウイ〜〜。」
 涙目で、ナナミが二人を振り返った。
 その顔を見て、二人はああ、と悟った。
 また何かやらかしたな、と。
 ぐし、とナナミが鼻をすする。
 その顔にマスクはついていない。
 一体なにをしているのかと、リオが溜め息がてら立ち上って……あ、と声を上げた。
 続いてジョウイもナナミの元に行って……ああ、と疲れたような溜め息を零した。
 ナナミの手に握られているのは、元マスクであった残骸であった。
 一体何をどうしたら、こんな風に? と思うような状態になっていた。
 ピンクと蒼に染められたそれは、ただの布切れの様にみえる。
 リオはそれを丁寧につまんで、溜め息を零した。
 ジョウイはそれを苦笑いしながら見て、涙目になったナナミを覗き込む。
「ジョウイ、ごめんねぇー。」
「いいよ。」
 折角ナナミのためにと思ったのだけど、とジョウイは心の中で苦笑いしながら、ナナミらしいと、微笑みすら感じていた。
「また持ってくるから。」
「いいよいいよ! そんなの、気にしないでっ!」
「そうそう、またこんなになっちゃって、もたないから。もったいないよ、ナナミには。」
「りーおーーっっ。」
「うわっ! ナナミ、乱暴乱暴っっ!!」
 あははは、と明るい笑顔を散らした二人を眺めて、ジョウイは、残された布切れとなったマスクを手にした。
 そしてそれをごみ箱に捨てると、ジョウイは未練もなくそれを背にした。
「リオ、ナナミっ! 水浴びしないっ!? ほら、水の中までは、花粉も来ないんじゃないかな?」
 取っ組み合いになった姉弟に笑いかけると、二人はキョトン、として──そして破顔した。
「いいねっ!!」
──楽しい水遊びは、夕方まで続いた。
 そして当然のことながら、そんな時間まで水に浸かっていたので……。
「ナナミ、大丈夫?」
「うーー。」
「熱下がらないね。」
 風邪をひいたのであった。
 それも何故か、ナナミだけ……。
 リオは看病にあけくれ、ジョウイは家からいろいろなお見舞い品を持ってくることになり、ナナミはちょっとした女王様気分を味わったのであった。


まぁ、いつもの幼馴染の日常? >ナナミに振りまわされる。