花粉症とアレルギーと風邪
それはある日のことであった。
いつものように、いつものバイト先で、いつものごとくバイトを終えた一同は、更衣室で着替えていた。
ロッカーを開けると、そこには彼女の備品が溢れていた。
服や鞄が入っているのは当たり前である。
タオルや髪を結ぶためのゴムも、まぁわからないでもない。
しかし何故かそこには、消毒液だの、ガーゼだの、ポプリだの、ふりかけやお茶漬けまで入っていた。
その中に紛れて、マスクが入っていた。
「あれ? 風邪ひいてるの?」
それを目ざとく見つけた同僚を振り返り、彼女は心の中で密かに思う。
──人のロッカー覗くなよ、おい。
「ううん、花粉症用のマスクー。そろそろいるかなって思って、買っといたの。」
どうしてそんなものが仕事場の……しかもアルバイトごときのロッカーに入っているのかは、どうやらこの場にいる面々には関係ないようであった。
曰く、「乙女の秘密」なのだそうだ。
「花粉症? なの?」
初めて聞くといいたげに、彼女は目を瞬く。
去年もぐすぐす言わせながらバイトに来ていたはずなので、知っているはずだろ、てめぇ、と言う言葉はあんまりにも乙女らしくないので飲み込み、にっこりと微笑んで見せた。その目が笑っていない事に気付いていないのは、きっと本人だけである。
「うん。そうなの。だから、早いめに予防をね。」
そう言うと、相手はうそくさいといいたげに目を細めた。
花粉症予防って、なんだよ、それ。と言いたいのは分かった。
確かに予防したからって、それが確実に避けられるわけではないのは確かである。風邪をひかないようにと、帰って来るたびにウガイしても、結局風邪を召してしまうのと同じレベルである。
「ふぅん。あ、ねぇねぇ、、前から聞きたかったんだけどさ。花粉症の人って、風邪引かないってほんと?」
んなわけあるかよ。
突っ込みとともに、突っ込みパンチを炸裂させたかったが、そうも行かない。
ただにっこりと笑って(やはし目は笑っていなかったが)、
「ううん。花粉症になってるときも、風邪はひくよ?」
「花粉症が終わったと思ったら、風邪だった、ってこともあるの?」
そりゃ一体全体どういうことだよ、こら?
もう少し日本語勉強してこいよな、と思いながらも意味は通じているのでうん、と頷いた。
「それって、わかるものなの?」
ああ、成る程。これを聞きたかったのだね、君は。
それならそうで、ストレートに言えよな。
心の中の声が相手に届かないのを良い事に、彼女は心の中で同僚に冷たい突っ込みを入れ続けた。
「うん、分かるよ。鼻炎がね、違うから。」
「違う?」
「そう、鼻水がね、サラサラしてるのが、花粉症。で、べとべとしてるのが、風邪。」
「両方同時だと?」
「目がしょぼしょぼして、鼻水がべとべとして、くしゃみと咳が出るの。」
最低である。
あの思い出は、本気で無菌空間を欲した一瞬であった。
どうしてうちには無菌空間がないのっ!? と、母に無理難題を言い連ねたのもいい思い出である。
今では、花粉症マスクを常時付けて、風邪には十分気を付けて、それでもなるべくなら自分の部屋から出ない日々を送っている。
ああ、どうして日本は杉が多いのでしょうか?
それは、戦時後の日本人の悪い認識のせいなのでしょうか?
と、わけのわからないことを心の中で唱えながら、彼女は表面上は普通に会話した。
「うわっ、大変だね。」
「大変なのよ。」
どうせあんたには、わからないだろうけどね。
ちょっと自虐的な気持ちで言うと、彼女の方はしみじみとこういった。
「私も猫アレルギーでね。くしゃみと目がしょぼしょぼするのは分かるわー。あれ、かゆくてたまんなくって、更にジンマシンみたいなのが顔に出てくるのよね。」
「顔っすか。」
それ、もしかして、一番嫌なアレルギーパターンなのでは?
みんな大変なのね、とちょっと思った一瞬であった。
そういえばこの子、一度アレルギー出たからって、バイト遅刻したことあったっけ。
あの時も、目がはれていたような気がする。
確かあの時、実は失恋して、泣いてたんじゃないのー? と思ったのであった。
「そう。目がかゆいなぁって思ったら、ぽつぽつと赤いのが出てきて、あっという間に顔がかゆくなるのよー。んも、大変。」
「うーわー。」
もう、それしか言いようがなかった。
花粉症についてかたっても良かったが、そうしても仕方ないのは分かっていたし、彼女の場合、どうせ猫に近付かなければいいだけの話だ。
とりあえず、不幸な話については聞いておこうと思った。
だって、こういう話って、珍しくて……滅多に聞けないじゃない? ねぇー??
こうして、無駄にバイト先の時間は過ぎていく。
そうしている間に帰ればよかったと、後悔するのはいつも家に帰ってからである。
いつもの日常ちょっと変更バージョン(笑) 配役は内緒です。
ほら、人間関係に亀裂が入ると困るから……(笑)