悪魔達の笑い声

 
 
 
 
 
 
 
 
 

 まるで呪文のような声が聞こえると、ふとグレミオは思った。
 彼は薄暗い感じのする廊下を独りで歩いていた。いつもは人の気配を感じる廊下も、今日はなぜか寒々しい気配に覆われていた。
 それがなぜなのか考える間もなく、グレミオは片手にかざした蝋燭の明りで、前方を照らす。
 今日は月明かりが綺麗だったので、エレベーターを使わずに最上階まで来てしまっていた。そのため、唇から零れる吐息が荒い。
 はぁ、と息をつくと、蝋燭の明りがゆらりと揺れた。
 無事に最上階に辿り着いたグレミオは、額から涌き出る汗を拭い取ると、ホールを見まわした。
 エレベーターのすぐ前は、少し広けていて、今のように人気がないと、どこか薄ら寒い感じだした。
 ぶるり、と肌寒さに身を震わせたグレミオは、今日は暖かくして寝てもらおうと、大事な主のことを考える。
 冴え冴えとした空気が、窓から見える月明かりをよりいっそう研ぎ澄ませている。
 空気と同じように、世界までもが研ぎ澄まされているような感覚を覚えながら、グレミオはいつものように主の元へ……この解放軍の本拠地の持ち主の元へと、歩いていく。
 解放軍の最上階に位置する──一番大きな部屋に、彼はいる。
 いつもなら笑い声が聞こえるはずの幹部練の部屋も、今日は不気味なくらい静まりかえっている。
 そういえば、今日は近くの湖岸の村で祭りが行われているのだと、グレミオは思い出す。
 最近は暦の感覚がなくて忘れていたが、自分たちもこの日には、美味しい料理を作って騒いでいたものだった。
 すっかり忘れていて、今日は腕を振るわなかったが、何か一品作ればよかったと、彼は考えた。
 きっと主も、今日が何の日かわからず、もう眠りについているのだろうと、グレミオはどことなく寂しい気持ちを抱きながら、長い廊下を歩みきる。
 そして、見張りも立っていない無用心な「解放軍軍主の部屋」の前に立つと、いつものようにノックをしようとして──ふっ、と眉を寄せた。
 どうしてか、中から声が聞こえていた。
 グレミオは恐る恐る中を覗いて見る事にする。そっとノブに片手を当てる。緊張の走った手のひらに、汗が滲み出る。
 何故か、とてつもなく嫌な予感がしていた。この先に待っているのは──この上もなく恐ろしいもののような、予感が。
 そっと……グレミオはノブを回した。
 カチャンとなったその音が、異様に大きく聞こえた気がして、ごくん、と喉が鳴る。
 グレミオはそのままノブを回しきって、思い切って……しかし、そっとした仕草で中を覗いた。
「ぼ、ぼっちゃん?」
 今日はハロウィン──ここから近い港町では、かぼちゃのランタンに明かりを点した子供たちが闊歩していることだろう。
 なのに、この解放軍の最上階の、なんと寒々しい空気が吹いていることだろう? 去年のマクドール邸でのハロウィンとはまるで違う雰囲気である。
 テッドが来るまでは、スイもハロウィンに参加できなくて、お菓子を取りに走っている子供たちを羨ましそうに見つめていた。勿論、将軍職にあるテオの屋敷には、子供たちは来なかったし、ただグレミオがハロウィンにちなんだ御飯を作ったくらいだった。
 テッドが来てからは、一緒に仮装したりしていたみたいだけど──、それも、去年の話で。
 ここでも、仮装パーティなどを開いている可能性もあるが……スイのことである。ソウルイーターを手に宿してからは、見えない世界の住民とも会話を交わしているようであるし──もしかしたら、今回もそれかもしれない。
 何せ、ハロウィンは元々、闇の住民の闊歩する季節なのだから──。
「誰かいらっしゃるんですかぁ?」
 こっそりと覗いたグレミオは、その瞬間、広い部屋の床を無言で見詰めて、続けてパタン、とドアを閉めた。
 額から汗が吹き出し、ドッドッドッドと、胸がうるさいくらい鳴っている。
 彼は、一瞬でドアを開ける前以上の、緊張と恐怖に支配されていた。
 グレミオは、キュ、と両手を握り締めて、廊下にある窓を見やった。
 そして、
「テオ様……テオ様……ああ、どうしてこんな時にあなたは遠い北の空の下に──っ。」
 よよよ、と泣き崩れるが、
「違うだろ。現実逃避しないの。」
 こつん、と後ろから頭を叩かれて注意される。
 へ? と見あげたグレミオを、呆れたような視線でクレオが見下ろしている。
 彼女は見回りでもしていたのだろうか? その手にろうそくを持っていた。中ほどまで蝋が減っている。
「あれ? クレオさん。どうしたんですか?」
 ぐす、と鼻をすすりながら見あげたグレミオに、クレオは呆れたような眼差しを投げかける。
「見回りしてたら、あんたが尋常じゃない様子で上に上ってくから、付いてきてたんだよ。」
「尋常じゃないって……クレオさんはこの空気がわからないんですかっ!? ったく、それだから女の勘も持たない男女だっていわれるんですよっ!」
 がんっ!
 無表情で手にした蝋燭でグレミオを殴る。
 そして、床に沈没したグレミオに笑顔を向けると、
「誰が、何だって?」
「すいません、お菓子をあげるので、どうかいたずらだけは止めて下さい。」
 グレミオは、その大魔人的な笑顔に、平伏してみせた。
 今日という日付から考えて、なんとも合っているような合っていないような謝りに、全く、とクレオは片眉をあげてグレミオを見下ろした。
 その後、
「それで、グレミオ? スイ様はもう寝てるのかい?」
 と尋ねた。
 しかし、グレミオのことである。スイに関しては過保護以外の何でもないグレミオである。スイが寝ているからと言って、何もせずに帰って来るはずはない。安らかに寝ているかと寝顔を確認したり、空気が濁ってはいないかと、窓を開けたり、明日の着替えを用意したりとか、そういうことを行うこと間違い無しでる。
 にも関わらず、グレミオが部屋を覗いた途端、ああいう台詞を吐いて、そのまま帰ってこなかったということは──……は?
「…………スイ様、何をしてたんだい?」
 クレオは、蝋燭の明かりに照らされながら尋ねた。
 その視線が遠くをみていたのは、仕方あるまい。
 グレミオは、小さく呻いた後、
「ふ、フリックさん……明日も笑顔だといいですね。」
 と、こたえた。
 それが意味する事を考えて──クレオは無言でドアノブを回した。
「スイ様……あの──。」
 呟いた声が、おどろおどろした部屋の中に響いて……クレオは、怪しい明かりが灯る軍主の部屋を見た瞬間、先の人物と同じ様に閉じた。
 ぱたん、と、むなしい音が響いた。
 グレミオがその肩を、ポンポンと叩く。
「……ね? フリックさんの明日の身を祈ってしまうでしょう?」
「っていうか──彼に明日はあるのか?」
 二人はしばしそうやって立ち尽くしていたが、中にいるスイは、自分達が育てた主だと言う事を思い出して──そして、止めなければいけないのは自分達だということを、互いに確認しあって、それはそれは嫌そうに溜め息を吐いた。
「…………行くか。」
「そうですね……。」
 溜め息は重かったが、それでも中に流れる空気よりはマシだったろう。
 グレミオがノブを握る。
 クレオが大きく息を吐く。
 そして、二人は息を詰らせながらガチャンと開けた。
 中には暗雲すら垂れ込めているような、重々しい空気があった。
 室内を薄暗く照らす蝋燭が辺りに立っている。そして、一応ハロウィンだから、と、グレミオが昼間に用意したかぼちゃのランタンや、ナスなどで作った飾りが、生け贄のようにテーブルに並べられていた。
 そのテーブルにも、両端に蝋燭立てがおかれ、白い紙が敷かれていた。
 そこに経つのは、この儀式の執行者であり、解放軍のリーダーでもある少年であった。
 黒い目深のローブを被り、手にはいつもの棍が握られている。しかしその先端には、怪しい悪魔の像が取り付けられていた。
 足下には、白く光るラインが引かれていた。──ちょうどダビデの形になっている。
「………………。」
「………………。」
 沈黙して、動きを固める侵入者二人の視線の先では、窓に駆けられた黒い布が揺れている。
 ダビデの魔法陣……そう、これは魔法陣だ……その要所に、長い蝋燭立てがおかれ、その先で紅く染められた蝋に火が灯っていた。
 そして、同じ様に黒いローブを被った人物が四人ばかり立っている。それが誰なのか、聞く前にクレオにもグレミオにも見当はついていた。
 フリックは、入ってきたふたりに気付いた途端、助けを求めるように視線で訴えてきた。その目が怒りに燃えていたが、そんな格好で燃えられても怖くはなかった。
「ぼっちゃーん……。」
 何をするつもりなのですか、などとは聞くだけ無駄であった。
 だから、グレミオは恐る恐る話し掛ける。
 ドアの正面に当たる場所で、卓の上に置かれた分厚い本を捲っていたスイが、ふと顔をあげた。
 そして、にやり、と笑う。
「ちょうどイイトコロに来た。」
 その笑みは、長年スイを育ててきたグレミオの、危険信号をぴりりと刺激した。
 瞬間、
「あー、そういえば洗濯物を閉まってませんでしたねぇぇぇーっ。」
 と、ぐぅるりと回転しようとしたのだが。
 がし。
「スイがお呼びだ。」
 いつもと変わりない格好のクライブに、呼び止められた。
 彼は手に蝋燭を持っていた。いつも愛想悪く、何にも付き合わないくせにっ、と、グレミオが睨むが、まるでものともしない。
「そんなに怖がらなくてもいいよ……グレミオの綺麗な髪の毛を一本もらうだけだから、さ。」
 すすす、と音もなく近付いてきたスイが、グレミオの髪を掴んだ。
 そして、綺麗な指先でツン、と一本髪を抜き取った。
「いひゃっ! いたいですよぉ、ぼっちゃーん。」
「男が泣くな。ふっふっふ、ルック。これくらいの長さならちょうどいいよねぇ?」
 乱暴に髪の毛を抜き取られたグレミオの悲鳴をものともせず、スイがにっこりと、蝋燭の明かりに照らされた綺麗な髪の毛一本を、掲げる。
 それに答えたのは、ロッドを手にした姿勢で魔法陣の一角に立っていた少年であった。彼も端整な美貌を黒いローブに隠していた。その目深に被ったローブを跳ね上げるようにして、ルックは彼を見やった。そして、その指先につままれた金の髪を確認すると、
「ちょうどいい感じだね。」
 そして、綺麗な笑顔を浮かべて見せた。
「あのぉ……?」
 グレミオが、恐る恐ると言った態度で尋ねた。
 しかし、スイはまるで聞いていない。
「じゃ、まかせたよ、ルック。」
「いいよ。」
 手にしたルックは、足下に置かれた土人形を片手に持つと、それに髪の毛を巻き付けた。そして、やおらナイフを突き立てた。
「うわぁぁぁぁーっ!!!!」
 瞬間、グレミオがもだえる。
「グレミオさんっ!?」
 あせったように、ルックのむかいに立っていたキルキスが黒いローブを跳ね除けた。
 まさか人型の影響でっ!?
 そう思ったキルキスを、無言で腕を横にしてそれを遮り、彼の隣に立っていた青年が顔を横に振った。
「大丈夫だ。」
 囁いた相手を、キルキスは見あげる。でも、ルックが刃を突き立てた瞬間、グレミオは叫んだじゃないかっ! そう言い掛けたキルキスの声はしかし、
「ひどいですっ! ぼっちゃんもルック君もっ! 私の人型を作って、ナイフを突き立てるなんてーっ! 私に死ねっていうんですかっ!? 生け贄ならフリックさん一人で十分でしょうっ!!」
 瞬間、
「ふがふがふーっ!!」
 足下から抗議の声が聞こえた。
 すでに説明するだけ無駄のようだが、それはこの解放軍の副リーダーであるフリックであった。
 彼は現在、美青年と言うよりも、ただの悪魔の前の子羊であった。手足を縛られ、口は猿轡をされている。どう見ても生け贄であった。
「…………元気そうですね、グレミオさん……。」
「だから大丈夫だと言っただろう。」
 な? と笑いかけて、カイもローブを払いのけた。ぴかり、と光る頭が眩しい。
 さすが短い間とは言え、無駄にマクドール家の一員と付き合ってはいない。
「それで、スイ様? これは新手のフリックいじめですか?」
 クレオが、コンコンと壁を叩いて、自分に注意を向けた。
 彼女は呆れた表情で、自分が持っていた蝋燭を近くのランプに移した。
 すると、蝋燭だけの明かりとは段違いの明るさが室内に宿る。
「ああっ! 何するんだよ、クレオっ!」
「何するんだよ、ではありません。」
 ほら、とクレオはグレミオを突ついて、グレミオにも他のランプに明かりを点けるように指示を出す。
 未だ人型に気を取られていたグレミオは、渋々部屋の端っこへと歩み寄って、おそらくいけにえのフリックだけが待望しているランプに明かりを点けた。
 煌煌と明かりが灯った。
 それによって、室内があっという間に明るくなる。
 無残にも辺りは照らされ、転がされたフリックの哀れさが浮き彫りになる。
 クレオはフリックを見た後、
「ぼっちゃん。」
 と、久しぶりにスイをそう呼んだ。
 彼女のその言葉に、スイは小さく舌打ちする。ルックも軽く肩をすくめて、仕方ないねといいたげに、人型からナイフを抜いた。その瞬間、ほう、とグレミオが安堵の溜め息を吐いた。
「仕方ないなぁ──お開きか。魔王クラス呼べると思ったんだけどなぁー。」
「ふがふがっ!!」
 抗議の声を上げるフリックの側に、クレオはひざまづく。そして、彼の猿轡を外すと、
「おまえなーっ! 何考えてだよっ!!!!」
 途端、スイに吠えた。
 スイはそれに対して、それはそれは不思議そうな表情で、
「だって、フリック言ったじゃないか……俺は解放軍のためなら、命賭けられるって……。」
 そう言ってくれた。
「あほかっ!!!」
 叫んだフリックに、クレオも心の中で同意した。
「ぼっちゃん、今日はハロウィンですけど、はめを外しすぎるのも考えものですよ。」
 たしなめたクレオに、グレミオもコクコクと頷く。
「そうですよ、ぼっちゃんっ! こういう事は、ちゃんとしかるべき場所で、しかるべき術者を使わないと成功しないって、昔から決まってるんです。ですから、レックナート様の所とかじゃないと。」
「ちょっとちょっとグレミオさん、何いらない知識を入れてるの?」
 真面目にスイを諭すグレミオに、ルックが突っ込むが、誰よりも近しい人であるグレミオからそんなことを言われたスイは、成る程、と頷いてしまっていた。
 そして、明るい笑顔で、未だ手足を縛られたままのフリックに跪くと、
「フリック……じゃ、行こうか。」
 悪魔の──死の宣告を行った。
「駄目です。」
 すぐさまクレオが反論した後、ぐるりと回りを見回して、
「解散です。もう今夜は遅いですから!」
 宣言した。
 クライブは、やっと解放されるとばかりに頷いて立ち去り、カイはまぁ頑張れや、と、弟子の肩を叩いた。ギリリ、とクレオににらまれて、おお、怖い怖いと部屋から出ていく。
 キルキスも、それじゃぁ、と頭を下げて出て行き、ルックもやっと寝れるとばかりにさっさと出ていった。
 スイは残念そうにフリックを見つめてから、彼の頬を一撫でして、
「きっと……魔王様も気に入ると思うんだけどなぁ……。」
 と、残念そうに囁いた。
 瞬間、フリックの背中がしびれるように震えた。
 直後、クレオによって解放されたフリックは、脱兎のごとく立ち上がり、ダッシュで逃げ去った。
 開け放されたドアを見送って、スイはヤレヤレと、口元に笑みを馳せた。
「ほぉーんと、フリックって、すきだなぁ、僕。」
「ええっ!? ぼぼ、ぼっちゃんっ!? 私よりもですかっ!?」
「……何言ってんの、お前?」
 呆れたようなスイの台詞に、グレミオがどうなんですか、と責める。
 そういう問題じゃないと思うのだが、とクレオは溜め息を零して──窓を閉ざしているカーテンを取り除いた。
 空には満天の星があった。煌く星が降って来るようであった。
 それを見あげて、
「今夜、魔王でも降ってこないといいんですけどね。」
 とクレオは呟いた。
 すかさず、
「降ってきたら面白いのにねー。」
 それはそれは楽しそうなスイの声が聞こえた。
 すると、グレミオは笑いながら答えてくれた。
「嫌ですねぇ、恐怖の魔王はぼっちゃんじゃないですかー。もうすでに降臨した後ですよv」
「うまいっ!」
 思わずクレオは振り返り、ぴ、とグレミオを指差した。
「………………………………ぐーれーみーおーぉぉぉぉ???」
 グレミオが、それはそれは綺麗な笑顔で迫って来るスイに、あははは、と引き攣った笑顔を浮かべた。その後、窓際にいたクレオの腕を掴むと、
「さぁっ! 今夜は遅いですっ! ぼっちゃんも早く寝て下さいねっ!!!」
 ダッシュで開け放したままのドアに向けて走っていった。
 スイがそれを見送り、全くもう、と膨れる。
 そして、とりあえず明日のために蝋燭を吹き消そして、片づけは明日グレミオにやらせようと決めて、ベッド向けて歩いて行くことにする。
 その瞬間、
「あ、今夜は冷えるので、ちゃんとあったかくしてくださいねー。」
 グレミオがひょっこりと頭を覗かせた。
 スイは軽く目を見張ってグレミオを振り返った時には、すでにグレミオの顔はそこになかった。
 ぱたん、と閉じたドアだけが目に映った。
 スイは無言で目を眇めると、
「………………今年はおとなしく寝るか。」
 と、いそいそと毛布に潜り込むのであった。
 密かに、来年こそは、と心に誓っていたのは、きっと誰もが知る事であろう。
 それが無事果たされるかどうかは──来年の解放軍のみが知る事である。
 
 



そして次の年……やはり悲鳴が響いたことは……………………