花騒動








「でも、良く閉園後に見てもいいなんて許可がもらえたな、お前?」
 まるで躍り上がるような足取りで、植物園の最初の入り口にたどり着いた仲間達が前を歩いている。
 園自体の出入り口である大きなバラの門をくぐったところにあった園内地図によると、一番最初のドームは、熱帯雨林コースであるらしい。
 ウキウキワクワクしながら、ランプを前に掲げて入り口をくぐる少年少女の背中を微笑ましく見ながら、フリックは隣で歩むスイを見下ろした。
 体中を襲っていた倦怠感も一気に吹き飛んだらしい現金な少女達を、嬉しそうに見つめていたスイは、ん? と顔をあげる。
 そんな彼に、フリックはもう一度同じ台詞を問い掛ける。
 すると彼は、ああ、と何でも無いことのように頷いてみせた。
「最初からの約束だったからね。」
「――……あん?」
 意味がわかりかねる、と言った具合に顔をゆがめるフリックに、スイは視線を流してもう一度分かりやすく噛み砕いてやる。
「もしも、なんらかの理由で休憩時間中に見学が出来なかった場合は、最終日に見学時間を取ること。
 それが、店を出すときの条件だったってことさ。」
 なかなか手回しがいいな、と感心しかけたフリックは、何かがおかしいことに気づき、軽く眉を顰める。
 そんなフリックの少し後ろを歩いていたルックが、彼の疑問を口にした。
「スイ? その言い方だと、まるで――相手からお願いされて、店を出したように聞こえるんだけど?」
 そう、それだ。
 確か今回のことは、リオが植物園を見たいがために、「次の店が決まるまでの臨時店を開く許可」を貰ったという事態から起きていることで。
 どちらかというと、スイの権力に任せて奪い取った権利ではないのだろうか?
 何せ、今話題の植物園で店を出すなんていう機会を、どの店も放っておくはずがない。たとえ他の店が決まるまでの臨時とは言え、たくさんのお客様の目に触れるのだから、いい話題になるはずなのだ。
 どの店もが望む権利を、スイが簡単に奪い取ってきたのは、タダ単に権力を行使しただけだと思っていたのだが――何か、事情が違うような気がした。
 スイが、にやり、と口元をゆがめて笑うのに、ルックは形よい眉を寄せる。
 そんな彼ら二人を一瞥したあと、スイは当たり前のように種明かしをしてくれた。
「そりゃそうだよ。だって、もともと臨時出店の話が来てたんだから。」
「……はぁ!?」
 意味がわからない、と目を見開くフリックに、ルックは咄嗟にスイの背後――大きな風呂敷包みを担いでいるグレミオを見上げた。
 案の定彼は、苦い笑みを刻んでいた。
「――えーっと――実は、もともと、私とレスターさんと、アントニオさんに来ていたお話なんですよ。
 ティーラウンジを開きたいってお店が多すぎて、選ぶのに時間がかかりそうなんですけど、でも、現在ティーラウンジが間に合ってない。
 だから、決まるまでの間の臨時のお店を出してほしいって。
 けど、レスターさんも、アントニオさんもお店の方が忙しくて――……でも、私一人じゃ無理でしょう?
 断ろうと思っていたんですけど。」
 言いながら、彼は視線をスイへと当てる。
 その視線を受けて、スイはグレミオの言葉の先を引き継いだ。
「僕らが手伝ったら、店は出せるわけじゃないか。
 だから、僕が提示する条件を飲みさえしてくれたら、店を出してやってもいいって、レパントとミルイヒ、それからここの園長に言ったわけさ。」
 ひらひら、と片手を振って答えるスイに、呆れたような顔でフリックとルックがかぶりを振った。
 もしかしてもしかしなくても、もともと、最終日には中をゆっくりと見学できる約束だったのか、と視線だけで尋ねると、スイは嬉しそうに頷く。
「楽しみは、最後まで取っておくものだろう?
 ――もっとも、あれほど混雑したのは、さすがに予想外だったんだけどさ。」
 連日連夜忙しくて、ついつい園長に無理を言ってしまったけど――と、毎日毎日差し入れを持ってきてくれていた園長のことを、暗に示して、クスリと笑う。
 楽しそうに笑うスイの笑顔は、差し込む月明かりに、背筋が思わず凍りつきそうになるくらい良く映えた。
「お前って、ほんと、悪魔な。」
 うんざりしたように呟くフリックに、スイは軽く肩をすくめる。
「他の皆にとったら、英雄らしいけど?」
 皮肉めいた言葉に、はん、とルックが鼻でせせら笑う。
 よく言う、と言いたげに視線を飛ばした彼はしかし、それ以上何も言わず、くぐった扉の向こうの世界に、小さく息を呑んだ。
 ドームの中に入った瞬間、はるか頭上――透明なドーム越しに届く月光に照らされるのは、厳かな闇であった。
 鼻を刺激する、芳しい香。清涼感溢れる緑の香。
 まるでどこかの楽園にでも紛れ込んだかのような、あまり魅惑的な光景。
 群れ成す見たこともない木々が、大ぶりの果実を実らせ、あでやかな花を月明かりの下で咲き誇る。
 明るい日の光の下で見ると、それは豪奢で美しいのであろうが、月灯りの下では、どこか寂しげであった。
「うっわぁぁーっ!」
 思わず先へと続く通路を駆け出し、ナナミは月光の降り注ぐ青白い世界を見渡した。
 そして、両手を広げてくるりと一回転すると、同じように目を輝かせているメグに手を振る。
「見て見てっ! この花、すっごく不気味っ!!」
 手招くように両手をせわしなく動かせるナナミに、メグもメグで、全開に笑って告げる。
「こっちの花は、食虫植物だよーっ!」
 近くの赤い花に顔を寄せて香を味わっていたアイリは、そんな二人の台詞に、がくっ、と肩を落とす。
 そして、髪を掻き揚げながら友人を見やると、嫌そうに顔をゆがめる。
「もう少し、見るところがあるだろうが、あんた達っ!」
「えーっ!? だって、綺麗なだけのお花なら、うちの花壇にもあるし。」
 青々と茂った緑色に感嘆を覚えていたアイリの言葉に、不思議そうにミリーが呟く。
「ヒックスっ! 見てみて、これっ!
 ラフレシアじゃないかな!?」
 テンガアールが遠く先の方から、飛び上がらんばかりに叫んでいる。
 それに反応して、ナナミ、メグ、ミリーが目を輝かせる。
 名前で指定されたヒックスは、ラフレシアって――と、泣きそうな顔でフリック達を見上げるが、返ってきた答えは簡潔であった。
「お前の恋人が呼んでるぞ。」
「早くイカネェと、テンガアールがラフレシアに食われちまうかもなー。」
 がははは、と乱暴に笑って背中を叩くビクトールに、ヒックスは益々顔をゆがめる。
 なんでこうも、綺麗な花を見ないかなぁ、と嘆くヒックスの目の前では、トモとビッキーが、エイダに花の名前を教わっている光景が見えた。さらに逆隣では、ヨシノとフリードが仲良く寄り添い、地面に小さく咲く花を見ている。ニナでさえ、フリックに抱きつくのをやめて、垂れてくる葉を愛でているというのに、彼女達の興味の対象は、食虫植物なのだ。
「ラフレシアって、なんですか? スイさん??」
 珍しそうに巨大な葉っぱを突付いていたリオは、テンガアールの歓喜の声に、軽く首を傾げる。
 スイは、胸いっぱいに新鮮な酸素を吸い込んでいた息を、ゆっくりと吐き出しながら頷く。
「世界で一番大きな花だよ。すごい臭いがするので有名で――えーっと、そうだね、……おばけばなが横になった感じみたいなものかな?」
「ははー。なるほど。
 それで行くと、食虫植物はカズラーに似てるから――フリックさんとは相性が良いってことですねっ!」
 ふむふむ、と、こう言うときだけは勉強熱心なお子様が納得するのに、フリックがすばやく突っ込む。
「なんでそこで俺なんだっ!」
「だって、フリックさん、いっつも飲まれてるじゃないですか。しかも、クリティカル食らってるし。」
「うっ。」
「え? フリックって、未だにカズラーに食べられるの、好きなんだっ!?」
 驚いたようにスイが口元に手を当てるのが、あんまりにもわざとらしくて、フリックが声を荒げた。
「好きなわけねぇだろーがっ!!」
 いつものようにわめいた声は、静かな植物園の中に、嫌に大きく響いた。
 慌ててフリックは口元を覆うと、そこを狙ったかのように、グレミオが、ぱふん、と手を叩いた。
「そうですよねー。フリックさんは、カズラーの中が好きなワケじゃなくって、カズラーが、フリックさんを好きなんですからねっ!」
 にっこり笑顔で告げてくれたフォローは、あんまりにも天然なグレミオのおかげで、さらにフリックを落ち込ませた。
 がくぅぅーっ、と地面に膝をついて、両手までついて脱力しきってしまったフリックに、グレミオが慌てたように目を見開く。
「え? え? あれ? 私、何か悪いことでもっ!?」
 そんなグレミオの肩を、ぽんぽん、と右から叩くのはビクトール。左から叩くのは、スイ。
「いんや、そりゃー、真理だな。」
「そうそう。さすがグレミオ。」
 そうして、にっこり頷いて、リオ。
「フリックさんって、いろんな人に好かれていいですよねー。……うらやましくはないけど。」
 最後の一言が余分だったのだろう。フリックは、今度こそ容赦なく打ちのめされ、地面と額でご挨拶してしまった。
 そのまま再起不能になりかけたフリックを放っておこうと、スイが辺りを見て回ろうか、とリオを誘ったその時である。
「ヒックスー!!!!」
 悲鳴に近い、テンガアールの叫び声が聞こえたのは。
 はっ、とお互いの顔を見合わせる間もなく、テンガアールの声向けて、走り出す。
 緑溢れる葉っぱを掻き分け、青白い月光の元、照らし出された光景は――……。
「うわぁぁぁっ!!」
 ヒックスがラフレシアの囚われ人となっているところであった。
 巨大な花びらの上にのし上げられたヒックスの脚に、しっかりと蔦が巻きつき、彼の左半身が閉じた花びらに包まれている。
 必死でもがくヒックスの右半分が、ジタバタと地面を引っかいていた。
「ヒックスっ!」
 人の体ほどある大きさの花の周囲には、口元を覆って顔をゆがめるテンガアールと、近くの木の幹に片手をついて見守るメグ、ボナパルトを抱きしめて立ち尽くすミリー、そして、腰を抜かしたように地面に座り込んでいるナナミが居る。
 リオは、咄嗟にナナミの側に跪くと、彼女の背中に手を回した。
 状況を把握しようとするリオに、ナナミは知らず指先を伸ばして服を掴んだ。
「ちぃっ。」
 フリックとビクトールが、剣を抜き去る。
 けれど、それはスイの手によって止められる。
 無言で右手を真横に伸ばし、フリックとビクトールの動きを制したスイに向かって、シーナが怒鳴る。
「スイ! このままじゃヒックスが……っ!」
 けれど、それに対し返ってきたスイの答えは簡潔であった。
「ダメ。園内の植物は、たとえどんなものであっても、傷つけちゃダメなんだよ。」
「あのままじゃ、ヒックスが危ないだろうがっ!」
 オデッサを抜き放つフリックが、スイの腕を払いのけて、そのまま飛び出そうとする。
 シーナも小さく舌打ちして、キリンジを抜き放つ。
 スイは、血気盛んな若者達に、ヤレヤレと吐息を零すと、自分の隣を駆け抜けようとする彼らに向かって、無造作に脚を払った。
 とんっ。
 ごがんっ!
「だぁっ!!」
 まず最初にフリックが躓き、正面から地面に滑り落ちる。
 続けて彼の上に、シーナがのしかかる形で落ちた。
「つぅっ!」
「ぐっっ!」
 小さくうめくフリックの顔の横に、ざくり、とキリンジが突き立った。
 鋭利な刃物の輝きが、仄かな明かりに反射する。
 たらり――と汗を流すフリックの背中の腕では、シーナがぶつけた額と鼻を抑えて、なにやら小さく文句を垂れている。
 そんな二人の目の前に、ゆっくりと立ちふさがり、スイはつま先でフリックの顎を捕らえる。
 何を……っ、といきり立つフリックに向かって、スイは逆光の中、にこやかに微笑んで見せた。
「だーかーらー? この園内の植物を傷つけることは、よしてねって、言ってるでしょー?」
 軽く首を傾けて見下ろしてくるその容貌は、あんまりにも綺麗で、そして恐ろしかった。
 暗雲を背中に背負っているのを一瞬で見て取り、シーナは慌ててフリックの背中の上から飛びのいた。
 そして、見た目には分からない険悪な表情のスイの視線から逃れようと、突き立ったままのキリンジも見捨てて、グレミオの背後へと逃げ込んだ。
 大きな風呂敷包みを背負いなおしていたグレミオは、背後に飛び込んできた哀れな子羊に、おや、と小さく声をあげる。
「そんな悠長なこと言っていたら、ヒックスが食われるだろうがっ!!」
 スイの剣幕に一瞬たじろいだフリックであったが、弟分とも言える同じ故郷出身の若き戦士を放っておけるはずもない。
 噛み付くように怒鳴りつけて、顔を振って少年の足先を払った。
 そして、そのまま腕に力を込めて立ち上がろうとするのに、スイがヤレヤレと吐息を零す。
「カズラーにたっぷり食べられた覚えのあるくせに、見て分からないの?
 アレは、食人植物なんかじゃないよ。」
 両腕を突っぱねて立ち上がったところで、フリックはスイを睨みつける。
 それを軽くいなして、ほら、と親指で示した先では。
「ヒックス! 気絶してないで、早く出ておいでってばっ!!」
 テンガアールとメグによって、ぱっかりと巨大な花びらを開かされたヒックスが、五体満足な姿で伸びている光景が見れた。
 ばっさり、と大きな音を立てて元のように花びらを開かせたラフレシアは、何事も無かったかのように鎮座している。
 そして、その巨大な一枚の花びらの上に座って、何の変哲もないまま気を失っているヒックスの頬を叩いているテンガアールの姿と、呆れたようにヒックスを覗き込んでいるメグの姿。
「…………あ、あれれれ?」
 思い切り両目を閉じていたナナミが、ゆっくりと瞼を開けて――それから、眼をパチパチと瞬く。
「な、なんでぇぇ!? なんで生きてるの、ヒックス君!?」
 慌てて駆け寄ったナナミは、メグによって「目覚ましカラクリ」の直撃を受けたヒックスが、小さくうめいてがっくりと首を落とす場面を目撃した。
 どっかーんっ、と大きく音を立てたカラクリに、あれれ? とメグが首を傾げている。そして、びっくり箱くらいの大きさの箱を覗き込んで、おかしいなぁ、と小さく呟く。箱の中からは、細い煙が立ち昇っていた。
「ちょっとメグ! ヒックスに何してんの!」
 慌ててテンガアールが、ヒックスの肩を抱き寄せるようにして起き上がらせる。
 覗きこんだヒックスの顔は、青さを通り越して土気色に染まっていた。
「ヒックスー!!」
 焦りのあまりガクガクと揺さぶるテンガアールに、ナナミが慌てて止めようと背後に回る。
 しっかりと後ろから抱きつき、テンガアールを羽交い絞めしながら、ナナミは叫ぶ。
「ダメだよーっ! テンガちゃんっ!? ヒックス君死んじゃうーっ!!」
 その隣で、不思議そうにメグが箱を覗き込んでいる。ついでに箱の底をバコバコと叩く。
「おっかしーなー? あんなに火薬が出るはずなかったんだけどなー?」
 バコッと再び叩いた瞬間、箱から火が吹いた。
 うわわっ! とメグは咄嗟に箱を取り落とした。
 地面に落ちた箱は燃え上がる。それを見て、慌ててミリーがボナパルト片手にとびだして来る。
 そして、ボナパルトを突き出すと、
「ボナパルト! ぱっくん!」
 と、無理矢理炎の出た箱を飲み込ませた。
 見る見るうちに真っ赤になったボナパルトが、ミリーの腕から飛び出そうとするが、ミリ-はそれを抱きしめて離さない。
 もがくボナパルトと、ぎゅぅっ、と抱き込むミリーとの戦いを横に、メグはふぇぇ、と額の汗をぬぐった。
 と、そこへ。
「何やってんの?」
 呆れたような声が聞こえた。
 みるみるうちに顔色が死人色になっていくヒックスを抱きしめていたテンガアールは、はっ、と顔をあげた。
 そして、月明かりの下に良く映える美少年魔法使いを認めた。
 認めたと同時、
「ルック君っ! 早くヒックスに癒しの風ーっ!!!」
 と、今にも飛び出さんばかりの叫びをあげる。
 ルックは、眉を顰めて――背後を振り返る。
 そこに悠然と立つのは、一連の騒動を無言で見守っていたスイである。
 スイは、ルックの視線の意味に気づいて、ニッコリと微笑んだ。
 そして、にこやかに左手を指し示す。
「今日は、蒼き門の紋章と、闇の紋章なんだけど、かけてもいいの?」
 ここで、笑顔で「いいよ」と言っても良かったのだが、瀕死の人間に本気で攻撃呪文をぶちかます性格であることは良く分かっていたから、一瞬悩む。
 その悩みをいち早く感じたシーナが、苦々しい顔でリオを突き出してくれた。
「リオ、お前癒してやれ。」
「え? ええ? 何? 何が起きたの??」
 何が起きているのかわかっていないリオの襟首を掴んだまま、シーナは彼をテンガアールの前に突き出すと、頼むぜ、と一言言い置いた。
 リオはワケが分からないまま、ヒックスに視線を移し、慌てたように駆けつける。
 そして、ヒックスを抱きしめているテンガアールの隣にしゃがみこむと、右手をかざした。
 少し顎を反らす様にして精神集中するリオの顔を斜めに見つつ、シーナはガリガリと頭を掻いた。
 透明なドーム型の天井から降り注ぐ月光と、リオの右手から輝き漏れる光とが、辺りを染めあげている。
「たぁっく、お前らなー、しゃれになんねぇぞ、本気で。」
 チラリ、と視線を流すと、ルックは知らないとばかりに軽く鼻で笑い、スイはスイで、え? と聞き返す。
「誰も冗談なんか言ってないよ?」
「…………なおさら悪いだろ。」
 つん、とスイの額を突付いて、シーナは顔を近づけるようにして覗き込む。
「しょうがないじゃないか。もしものことを考えて、紋章宿して来たんだから、癒しの紋章が無くってもさ。」
 ヒラヒラと右手を振るスイに、顔色が戻っていくヒックスを一瞥してから、シーナは身体を戻しながら首を傾ける。
「もしものことを考えて……?」
「そう。レパントが来た時とか、ミルイヒが顔を覗かせに来たときとか、そういうときのためにね。」
 にやり、と笑うスイに、シーナはなんとも言えない顔をしてみせた。
「お前、俺の親父相手に何しようと考えてた?」
「そりゃ、ソウルイーターと、闇の紋章と、蒼き門の紋章とが揃ったら、することってのは一つだろう?」
「一つだろう、じゃーなくって……。」
 シーナが頭痛を覚えたかのように額に手を当てる。
 大統領であっても、植物園の入場券が楽に手に入らないという事実が、今ほどありがたく思うことはなかった。
 アイリーンから、苦笑じみた口調で、「この人ったら、この三日の間、いけないことをすっごく悔しがっていたのよ。」といっていたのを思い出しながら、カリカリと頬を掻く。
「ヒックスーっ!!」
 後ろから喜んだテンガアールの声が聞こえて、お、とシーナとスイはそちらを振り返る。
 広がったラフレシアの上で、テンガアールがヒックスに抱きついている。
 先ほどまで土気色であった顔色は、今は少し赤みがさしていた。
 抱き付き合う恋人同士を見やって、リオは熱く感じる右手を軽く振り――横たわる大きな花を見やる。
「これがラフレシア……?」
 おそるおそる手を伸ばし、その花びらに触れる。肉厚の花びらは、指先にざらりとした感触を残す。
「あっ! リオさんっ。ダメですよっ! ラフレシアっていうのは、食虫植物なんですからっ!」
「そうだよ。ヒックスみたいに巻かれたら、大変なんだから!」
「う……っ。」
 思わず言葉に詰まったヒックスに気づかず、テンガアールは花の上から地面に下りた。
 リオも、つられるように地面に降り立つ。
「ラフレシアって、人間も食べちゃうんだっ!?」
 だから、こんなに大きいのっ!?
 ナナミが、必死の表情でリオに抱きつく。
 ぐいっ、と首に腕を巻きつけて、リオの頭を強引に自分の胸元へ抱きこむと、ひゅっ、と息を呑むような音がした。
 思わずビクトールが、音の行方――アイリを見た。
 アイリは、眼を見張って、なんとも言えない顔をしていたが、すぐにビクトールのからかうような視線に気づき、キッと目つきを鋭くさせる。
「食べない食べない。」
 苦笑をにじませて、スイがラフレシアの隣に立つ。
「スイさんっ、危ないですよっ!」
 リオが、自分を抱きしめるナナミの肩を押しやると、慌ててスイの側へと駆け寄る。
 そして、彼の腕を捕らえると、ぐいっ、と手元へと引き寄せた。
 思わぬところからの引き寄せに、スイの足元が傾ぐ。
 リオは、そのままスイを引き倒すように自分の手元に寄せると、ラフレシアから離した。
「っと、リオ?」
 揺らいだスイの肩を両手でしっかりと抱きとめて、リオはキッとラフレシアを睨みつける。
「あんな花に、スイさんを襲われるわけには行きませんっ!」
「いや、だから、襲わないってば。」
 呆れたようにリオを見やるが、リオは至極真剣な目でラフレシアを見ている。
 力の篭ったリオの手に、やんわりと重ねられる見慣れた掌があった。
 見上げたリオとスイに微笑みながら、彼はリオの手を失礼にならない程度に優しくはがし取ると、
「ラフレシアは、人を襲ったりしませんよ。
 たとえヒックス君みたいに、間違えて巻き込んでしまったとしても、すぐに花びらは開きます。
 モンスターではないんですから。」
 苦笑をにじませるグレミオに、メグが大きく頷いた。
「そうだよ。溶かすって言っても、服が溶けるくらいだって。」
 そんなメグを、冷徹な目でテンガアールが睨む。
「なぁーに言ってんのさ、メグ!? ヒックスを花びらで包んだのは、どこの誰だよっ!?」
「え、えへへー。」
 カリカリ、と額を掻くメグに、ヒックスが苦い顔で笑う。
 呆れたように呟くのは、フリックであった。
「お前ら、一体何しに来てるんだよ、ほんとに。」
「おっはなみーっ!」
 はいはーいっ、と元気良く手をあげたミリーの懐で、ボナパルトが口と耳から煙を吐き出していた。
 モクモクモク……と出て行く煙が、黒くブスブスしているのに、メグはさりげなく視線をそらす。
 そんなメグを、ツイツイ、とシーナが肘で突付いた。
 何よ、と見上げた視線の先で、シーナがニヤニヤ笑っているのを認めて、メグは脚で弁慶の泣き所を蹴った。
 その瞬間、シーナはしゃがみこんでその脚を抑える。必死で声を抑えるのを見下ろして、ははーん、とメグが笑った。
 シーナは、キッと彼女を睨みつける。メグは、素知らぬ振りで腕を組み、鼻歌なんぞを歌いながら、向こうを見ている。
 何やってんだかな、と呆れた顔でそれを見ていたビクトールは、後から不思議そうにこちらに来た面々に、軽く手を振ってなんでもない事を示した。
「あの?」
 不思議そうに首を傾げるカスミに歩み寄って来るのに、ビクトールは自ら脚を進めて、ぽん、と彼女の肩を叩く。
 とまどうカスミを巻き込むようにそのまま肩を抱き寄せ、ビクトールは背後でまだ何かもめている面々を振り返った。
「おーい、お前ら、先行くぜぇ?」
「えっ!? あっ! 待ってよ、ビクトールさんっ!!」
 慌ててナナミが立ち上がり、ビクトールの後を追いかける。
 続いてリオもスイの手首を握り、早く行かなきゃと飛び出す。
 スイもヤレヤレと言いたげに笑いながら、リオの後に続いた。
「でも、植物園って綺麗なものばっかりだと思ってたんですけど、そうでもないんですね。」
 スイを振り返って、こそっ、とリオが囁く。
 彼の視線が背後のラフレシアに注がれているのに気づいて、スイは苦笑いを浮かべた。
「うーん、まぁ、ミルイヒの集める花だしねー。」
 思い浮かべるのは、帝国時代にミルイヒが皇帝にささげる花だと作ったオリジナル花である。
 珍妙にして奇妙な花の思い出は、とてもじゃないけど楽しく語れるものではなかった。
「小さい頃に見せられた、笑う花っていうのはさすがに怖かったなー。」
「え? 何ですって?」
「いやいや。とりあえず――えーっと、そうだね。
 先日の式典で見た、ミルイヒが贈呈した花は綺麗だったよ。光に透けると、他の色が浮き出るんだ。」
 元の順路に戻り、他の面々と一緒に他の熱帯雨林の花々を見ながら、ドームを通り抜ける。
「式典って?」
 涼しい風が吹いてきて、思わず乱れた髪を抑えるヨシノの片手は、しっかりとフリードと握られている。
 そのラブラブぶりを見ながら、ヒュー、と小さく口笛を鳴らしたリオは、そのまま視線をずらしてもう一組の恋人を見やった。
 本来なら、このラブカップルの標的ともいえる植物園内――しかも、夜――ならば、バカ燃え状態になっても不思議はないのだが、テンガアールは楽しそうにメグと話を弾ませ、ヒックスはフリックとなにやら慰めあっている。
 見ているシーナからしたら、その状態そのものが哀れでもあったが、自分の隣で歩いているのがミリーでもビッキーでもなく、ルックだという自分も哀れだと思った。
「ああ、この間言っただろ? 植物園に行ったって。アレ、ミルイヒが花を贈呈したときの式典なんだよ。
 植物園の開園式はいけなかったから、今回はどうしてもって言われて。」
 ニコ、と笑ったスイに、ぼそり、と思わずグレミオが呟く。
「開園式は行けなかったではなくって、サボったんでしょうが。
 今回も、もともとサボるつもりだったのが、無理矢理クレオさんに引きずられてったんじゃないですか。」
「………………なぁーにか言ったかなぁ? グレミオ?」
 ん? とニコヤカに見上げた先で、グレミオが不自然に視線をそらす。
 んん? とさらに追い詰めるようにスイが彼を覗き込んだ瞬間、
「あ、月下美人。」
 通路を歩いていたアイリが、不意に声をあげた。
「うそっ!? あれって、真夜中にしか咲かないんでしょっ!?」
 メグとテンガアールが、大きく眼を見開いてアイリの側に駆け寄る。
 ナナミも、噂に聞く花を見ようと、アイリの肩越しに見やるが、そこにあったのは茎と蕾だけであった。
「あっれぇぇぇ?」
 とたんにがっくりと肩を落とし、ううん? と眼だけでアイリを見ると、アイリは軽く肩をすくめた。
「だから、誰も咲いてるとは言ってないだろ?」
「それはそうだけど――。」
 やっぱり真夜中にしか咲かないのか、と残念がる少女達に、
「月下美人見たかったんだ? じゃ、ちょうどいいのがこの先にあるよ。」
 くい、とスイが親指で先を示した。
「この、先?」
 顔を軽く顰めたリオが、スイの指の先を眼で追う。
 色とりどりの花が咲き誇る回廊の先に、神殿のような作りをした風通しの良さげな建物があった。
 周囲は白い百合の花で包まれ、香がここまで届いた。
「わぁぁー……きっれーっ。」
 感嘆の吐息を零すメグに、フリックが軽く口笛を吹いた。
 隣でビクトールが額に手を当てて、目を眇めて白く染まった大地を見やる。
「ちょうどいいのって、あの百合の花のことか? 月下美人とはまた違うと思うけどよ。」
「えっ!? ビクトールさん、花に詳しいのっ!?」
 思わずテンガアールが身を引くように驚いて見せたのに、ビクトールは軽く頭を掻いて彼女を見下ろす。
「詳しいって、百合と月下美人くらい分かるさ。」
 俺だってな、と肩をすくめるビクトールに、テンガアールはふぅん、と力なく頷き、百合の花の方角を見やった。
 すでにスイはそちらへ向けて歩き出し、リオは喜んで後をついていっている。
 ナナミも足取りも軽く二人の後を追っている。
「あの――スイさん? この先には、何があるのですか?」
 カスミは、月光の下に良く映える花々を見渡し、スイを見やる。
 迷うこと無く神殿風の建物へと歩んで居たスイは、彼女に笑みかける。
「この間、ミルイヒがこの植物園に贈呈した花があるんだ。
 月下美人をベースにした花で、昼も夜も咲き続けるように作ったらしいんだよ。」
 日の光の下では、赤や橙色が白い花びらに透けて見え、夜の月の下では、青と紫の色を宿す。
 幻想的で美しい花。
 それが、ミルイヒが作った傑作品だと、スイは優しく微笑む。
 その笑顔を向けられて、カスミは淡く微笑み――少し脚を遅らせて、両手で自分の頬を抑えた。
 ほんのりと赤く火照っているのが良く分かった。
「………………。」
 無言で目線を下に落とすと、楽しそうなメグとテンガアールの顔が、左右からのぞきこんでいた。
「……〜〜っ!」
「カスミちゃーん? すっごく、嬉しい?」
「耳まで真っ赤だよー?」
「…………っ!!」
 カスミは、一瞬で夜目にも分かるほどに真っ赤になり、二人を交互に睨みつけた。
 とたん、まるで示し合わせたかのように、二人はてんで反対方向に駆け抜ける。
 そのままスイとリオとナナミたち三人を追い抜かし、百合に囲まれた階段を駆け上がると、真っ先に神殿の中に入っていった。
「メグさんっ! テンガアールさんっ!!」
 怒ったようなカスミの声に続いて、
「あ、ちょ……っ、テンガアールっ!?」
 語尾がかすれて高くなったヒックスの声が聞こえた。
 そして、彼は走っていった恋人を追いかけるように、スイたちを追い越して階段を駆け上がる。
 最上段まで上りきって、神殿を囲むように咲いている百合の花を一度だけ振り返って、今階段を上ろうとしている一同に軽く微笑みかけた。
 そうして、ゆっくりと神殿の中に脚を踏み入れ――暗い神殿内に、ヒュッと息を呑んだ。
 左右の白い壁には、見事なレリーフがなされている。
 まるで本物の神殿のように作られたその建物の正面には、美しいステンドガラス。月光の光はガラスを通すには弱弱しくて、ほんのりと照らされるだけであった。
 そのステンドガラスの前に、祭壇のように飾られた小さなテーブルがあった。
 華奢な脚をもつその上には、一輪の花が咲いていた。
 真上の丸い天井は、ガラス張りになっていて、そこから光が差し込んでいる。
 その光に照らし出されるように花が咲きほころんでいた。
 一輪の花の前で、呆然と立ち尽くすテンガアールとメグの背中ごしにそれを見た。
 思わず息を呑み、眼を見開く。
 そこだけが別空間のような錯覚に襲われた。
 メグもテンガアールも、声もない状態で息を詰まらせているようであった。
 それも仕方がないだろう。
 あれほど美しい花は、ヒックスもはじめて見るのだから。
「綺麗だろ?」
 とん、と軽やかな音を立てて、スイがヒックスの隣に立った。
「え……? あ、スイさん……。」
 慌てて目線を落とすと、スイはその瞬間にヒックスの隣を通り抜けて、二人の少女が立つ祭壇の前へと歩みよる。
 ガラスのケースに入った花は、光を受けて、白い花びらに青と紫の色彩を宿している。角度によって、その深みが違って見えた。
「すっごい……綺麗…………。」
 ほぉ、と誰もが吐息を零して感嘆する。
 リオも、スイの隣に立って眼を丸くしてそれを見つめた。
 見事な輪郭で自身を主張する白い花びらが、月光を弾いて輝いているようだった。
「本当に綺麗ですね……でも、どうしてガラスの中に入ってるのかな??」
 そ、と歩み寄ったリオは、間近にガラスケースを覗き込む。
 見ると、別に鍵がかかっているわけでもなく、ガラスケースはただ花の上にかぶせてあるだけであった。持ち上げたら、ひょい、と開けられそうである。
「あ、ほんと。これじゃ、花も苦しいんじゃないのかな?」
 ナナミも、覗き込むようにガラスケースを見て、眉を顰める。
 後から追いついてきたヨシノが、フリードに手を引いてもらいながら、口元に手を当てる。
「植物も呼吸をしていると言います。それではさぞかし息苦しいことでしょうね。」
 言っているヨシノ自身も辛そうに眉を顰める様子を聞いて、二人の姉弟は目を合わせた。
 そして、やおらこっくりと示し合わせたかのように頷きあうと。
「あ……それは……。」
 と、何か言いかける声に気づくことなく、揃って手を伸ばし、ガラスケースを持ち上げた。
「このほうが、お花も喜ぶよねっ!」
「やっぱり、外の世界に触れるのが一番だよ。」
 かぱ、と開けたガラスケースを二人で抱え、ニッコリと笑顔を交し合った。
 そんな愛すべき純粋な姉弟に、あーあ、とスイが小さく呟く。
 ちょうど声を聞きとがめたフリックが眼をやると、視線を感じたらしいスイが、軽く肩をすくめると、
「それじゃ、僕はここらで退散するから。」
 すちゃ、と片手を挙げた。
 当たり前のことだが、伊達に長い間スイと付き合っているわけじゃないフリックは、咄嗟にスイの腕を掴もうとするが、もちろんそれをお見通しだったスイは、スルリとその手をかいくぐる。
 そのまま舞うような足取りで出口へと向かおうとするのだが。
「…………アレ、何だって?」
 しっかりと出口を固めていたルックとシーナにぶつかり、スイは仕方なく脚を止めた。
「ミルイヒ将軍が作った花ってことだけど……まさか、食人植物だとかいわねぇよなぁ?」
 嫌そうに顔を顰めるシーナに、
「それとも? モンスターを元に改良した花だとか?」
 面倒そうに顔を顰めるルックに。
 さらに背後をフリックとビクトールに固められて、どうなんだよ、と促されては、さしものスイも正直に口を割るしかなかった。
 ま、どうせ口を割ったとしても、どうにかなるわけじゃないしね――と、そんなことを思いながら、アッサリと答える。
「そんな物騒なものじゃないさ。」
 まるで今にも攻撃しようと言うかのように、自分の下に集まってきた仲間達を、どこかうんざりを見渡しながら、説明しようとした刹那。
ケタケタケタケタケタケタ……っ!!
「うっわっぁぁぁぁーっ!!!!!????」
 悲鳴が、響き渡った。
 何っ!? と、フリックとビクトール、シーナが咄嗟に腰の剣を抜く。
 仄かな明かりに照らされて、剣先に光が宿った。
 それを持ったまま振り返った先で、メグとテンガアールがお互いに抱き付き合い、ヒックスが腰を抜かして床に転がっていて、ナナミが絶叫とともにリオの首を締めるように抱きついていた。
 アイリがそれを止めようとしているのだが、彼女も目の前で起こった光景に絶句して動けないらしく、かすかに体が震えているのが分かった。
 そうして。
 それを正面で見てしまったリオは、ただただ硬直して、美しい花の様変わりした姿に目をむいていた。
「…………なな、なんだ、ありゃぁっ!!!?」
 戦闘態勢に入ろうとしたフリックたちが、怒鳴ってしまったのも仕方ない。
 ルックが、あっけに取られてスイに視線を向けてしまったのも、納得できる。
 何せ、祭壇の上で、神秘的に美しく咲いていた花は。
「ケタケタケタケタケタケタ……っ!!」
 奇妙な声を発して、笑っていたのである。
「ななな、何っ!? あれは、何だよ、スイっ!!?」
 剣を握り締めたまま、シーナはスイに詰め寄る。
 けれど、あーあ、と面倒そうな顔になっているスイが教えてくれた答えは簡潔であった。
「ミルイヒがこの植物園に贈呈した花。」
「いや、それはわかってるけど――お前、アレに何かしたのかっ!?」
 がばっと頭を上げて、フリックが詰め寄ってくるのに、うっとおしそうに顔をゆがめると、スイはまさか、と鼻先で笑った。
「アレは、正真正銘ミルイヒの作品だよ。」
 それ以上説明する気はないのか、軽く肩をすくめて見せたスイは、
「すすすす、スイさぁぁぁーんっ!!!!????」
 今にも泣きそうな――いや、すでに半泣きに近い声をあげてくれるリオとナナミに眼を向けた。
 リオは、ケタケタと笑い続けている花からダッシュで遠ざかってくると、首にナナミをぶら下げたまま、スイの前に立った。
「あれ、アレアレアレアレーっ! 何なんですかっ!? どうして花が、タラコ唇花になっちゃうんですかーっ!!?」
 半狂乱のリオの叫びに、
「タラコ唇花……っ、上手いっ!」
 ぽん、とビクトールが手を叩く。
 そういう場合じゃないだろうが、とフリックが脱力して肩を落とすのに、グレミオがポンポン、慰める。
 かく言う彼は、まったく動じていなかった。
「…………なんでお前は平気なんだよ? あの綺麗な花が、突然お化け花に変わっても?」
「ええ? だって、ほら、綺麗な花には毒があるって言うじゃないですかー。」
 のほほーん、と笑うグレミオの言い分は、はっきり言って間違っていたが、なんとなく意味が通じてしまうので、それもそれで悲しかった。
 泣きそうな顔で間近に迫ってくるリオの肩を軽く叩きながら、彼を落ち着かせた後、スイは回りの面々の顔を見て、ヤレヤレと吐息を零した。
「アレはね、昼間は普通の花なんだけど、夜になって――暗くなると、あんな風になっちゃうんだ。あんな風にならないためには、花が吸っている空気を遮断して、仮死状態にさせておく必要があるんだよ。だから、上からガラスケースをかぶせてたわけ。
 アレは、仮死状態でも花を開いているように改良されてるから、そうやって本性を隠してるらしいよ。」
「強靭な生命力を得るために、おばけはなの遺伝子を使ったのがまずかったらしいですねー。」
 明るく、とても明るく告げてくれたグレミオに、フリードがヨシノの肩を抱きしめながら尋ねる。
「あの……グレミオさんは、知ってらしたんですか?」
「いいえぇ? ただ、むかーし、ミルイヒ様が作って、我が家に持ってきてくださったことがありましたからー。
 アレを改良して出来たのが、この”夜禁花”だっておっしゃってましたから。」
 笑顔で語ってくれたグレミオを一瞥した後、スイは、
「だからね。」
 ひょい、とリオとナナミが抱きしめているガラス張りのケースを取り上げると、それをもって、唇を開かせるようにして笑っているようにしか見えない花へ近づくと、
 かぽん。
 ガラスケースをかぶせた。
 光のこぼれる丸天井の下、しばらく花は好きなように笑っていたが、やがてエネルギーが切れてきたように声が小さくなり、途絶えがちになり――沈黙した。
 それと同時、しゅるるるる――と唇が小さくなり、あっと上に持ち上がっていた花びらがタラン、と垂れて、元の白い美しい花に戻った。
 唖然とそれを見守る面々に、
「だから、展示品にはむやみに触っちゃダメなんだよ。」
 と、ごくごく当然のようにノタまってくれたスイ様に。
「はーい…………。」
 誰もが、逆らうことなく同意したのは、仕方がないといったら仕方がないのかも、しれない。







 巨大な植物園は、一日ではとても回りきれるものではない。
 けれど、閉園後であったため、灯りがないことや、すでにしぼんでしまった花もあるということなどから、回るところが昼間よりも少なかった面々が入り口に戻ってきたのは、夜半を回るよりも少し前であった。
 それでも日が暮れて少ししてから回り始めたのだということを考えると、相当歩いたことには違いない。
「はうー……さすがに疲れたよー。」
 ミリーが、その場にしゃがみこんで唸るのに、誰もが同意してみせる。
 あれだけ働いた後に、これだけ動き回ってしまったら、明日は一日寝て過ごすことは間違いないだろう。
「それじゃ、帰ろうか。」
 にこ、と笑ったスイに、はい、とリオが瞬きの手鏡を出す。
 けれど、瞬きの手鏡は曇っていて、何も映し出しては居なかった。
「…………あれ??」
「圏外だね。」
 あっさりと答えてくれるのは、入り口近くの岩壁にもたれて休息を取るルックである。
 彼の整った顔にも疲れが見え隠れしていて、隣にしゃがんでいるメグなどは、すでに船をこぎかけている状態である。
「ティーカム城から、遠いから……でしょうか?」
「ええええーっ!? もう歩きたくねぇよぉっ!?」
 軽く首を傾げるフッチに、サスケが反対するように大きく眉を寄せる。
 カスミが、そんなサスケに眉を寄せるが、他の面々の疲れ具合も良く分かっている彼女は、皆に歩くことを強要することも出来ず、困ったようにスイとリオを見やった。
 視線を受けたスイは、無言でルックに眼をやる。
 つられたリオも、ルックに眼をやる。
 二人の天魁星から視線を受けたルックは、心の奥底から嫌そうに顔をゆがめると、
「テレポートなら、ボケ娘に頼めば?」
 そっけなくそう言うと、つん、と顎をそらした。
 多分そうなると思った、と誰もが思っていた事でもあったので、リオは辺りを見回し――あれ、と小さく呟いた。
「…………スイさん? ビッキー…………どこに居ます?」
「――――…………そーいえば、最初のドーム出てから、見かけてないね。」
「…………………………………………………………。」
「…………………………………………………………。」
 にこ、とどちらともなく、意味のない笑顔なんぞを交わしてみた。
 そんな二人を交互に見て――フリックは、言いたくないと思いつつ、恐る恐る口を挟んでみた。
「もしかして――あいつ、まだ園内を歩いてたりするのか?」
「っていうか、ビッキーちゃんのことだから、迷ってそうだよね。」
 はい、と軽く片手を挙げて宣言するメグに、うんうん、とテンガアールとミリーが頷く。
 導き出された簡単な答えを、誰もが否定する気はなかった。
 そして、さらに出た答えは、やっぱり誰もが同じであった。
「じゃ、フリック、よろしく。」
「フリックさん、お願いしますね!」
「頑張れよ、色男っ!」
「まかせましたからねっ!」
「すみません、フリックさん。」
「フリックさんなら、大丈夫よね!」
「私達が歩いてきた道を逆にたどれば、いつか会うと思いますから。」
「そうそう、ちゃーんとビッキーちゃんの名前呼んで歩いてね。」
「あと、スタッフさんに聞いて歩くって手もありますよ、フリックさん。」
「自然の森の中なら得意なのだけど、さすがにこういうところは……。」
「フリックさんなら、安心だしね。」
「ま、そういう役どころがオチだね。」
「頑張れ。」
「フリックさんが行くならニナも行きますっ! と言いたいところなんですけど、脚がもう限界で――フリックさん、一人で寂しいでしょうけど、頑張ってっ!」
 なぜか、誰もがそんなことを口々に言い、フリックの肩や頭、背中を叩いてくれた。
 最後のニナの激励を耳に、フリックは反論をしようと口を開くが、それよりも早く。
「なら、ビッキーを見捨ててくわけ?」
 薄情だなぁ、とわざとらしい非難の口調で尋ねてくれたスイの言葉に、
「〜〜〜〜っ! いきゃぁいいんだろっ、行きゃぁよっ!!!」
 やけくそになってフリックは怒鳴りちらし、そのままダッシュで走り去った。
 それを快く見送った面々は、フリックが戻ってくるまでの間、ちょっとの小休止とばかりに、それぞれ好きなように座り込む。
 自然、話は先ほど見たばっかりの花や、この三日間のことに集中していたのだが。
 不意に、
「あ、やっぱり皆だー〜。」
 聞きなれた声が、聞こえた。
 その方向を見やると、闇の中、鮮烈に映える白いローブを着た少女が、フリフリと手を振ってこちらへ向かって歩いてきていた。
 彼女は、風に揺れる黒髪を抑えると、ニコリと笑う。
「フリックさんみたいな叫び声が聞こえるなぁ、って思って、来たんだけどー……。」
「………………ビッキーちゃぁんっ!?」
 驚いて立ち上がったナナミに釣られて、メグは先ほどフリックが走っていった方向――自分達が帰ってきた方角を見て、それとは逆方向からやってきたビッキーを見た。
「ビッキー! あんた、どこに居たのよっ!?」
 なんで、こっちからっ!? と、近寄ってきたビッキーに尋ねかけたメグは、それと同時に口を閉ざした。
 思い当たる可能性に気づいたからである。
 そして、それは正解であった。
「え? だから、皆と一緒に行ったドームだよ? 花を見ててね、気づいたら皆が回りに居なくて、どうしたのかなぁ、って思ってたら、入り口から声が聞こえて――……もう、お花見は終わり?」
 くり、と小首を傾げて尋ねる彼女の肩に、テンガアールが、ぽん、手をおいた。
 覗きこむように、呆れた眼で尋ねる。
「つまり、何? ビッキーはさ、ずぅっと、最初のドームに居たってこと?」
「うん。そーだけど?」
 何のことかわからない、と言いたげな顔になるビッキーを見て、その場で小休止中だった面々は、先ほどフリックが走り去った方角を見やった。
「…………つくづく、運のねぇヤツ。」
 ぽつり、と呟いた青い人の腐れ縁の相棒の言葉に、誰もが心の中で頷いてしまったのは、本当にしょうがないことなのであった。
 ――たとえ、それを導いたのが、自分達に他ならないのだとしても。












※※※








 置手紙を一つ、入り口の柱にくくりつけて、一同は植物園の出入り口をくぐった。
「それにしても、お土産物とか買えませんでしたね。
 みんな、心待ちにしてただろうに。」
 しょんぼりと俯くリオの頭の中では、シュウはこの店の利益でおおいに喜ぶことは間違い無しとして、他の無理を言った面々に対するご機嫌伺いが――ということがグルグル回っていたのだが。
「ああ、それなら大丈夫よ。」
 明るく答えてくれたのは、メグであった。
「そうそう! あそこの植物園のお土産物なら、裏ルートで手に入るから、ね!?」
 テンガアールが振り返った先に居るのは、困った顔をしたカスミであった。
「え、ええ……あの植物園のオープンには、わがロッカクの里も協力しておりまして、さまざまなお土産品の製作の手伝いもさせていただいているのです。
 ですから、帰りにロッカクの里によっていただければ、ハンゾウ様からお分けしていただくこともできます。
 無料で、ということはできないのが、心苦しいのですけど――……。」
 内緒ですよ、と唇に指先を当てて困った笑顔を貼り付けるカスミの言葉に、もちろん、とその場に居た誰もが答えてくれた。


「……レパントやミルイヒから、適当にふんだくって来てやろうかな。」
「――それはそれで、さすがに卑怯でしょう? ぼっちゃん?」
 前で交わされる会話を耳にしていたスイの台詞に、グレミオが苦笑をにじませて答えた。
 スイは、そんなグレミオを軽く一睨みした後、
「慰謝料だと考えたら、安いものだろ。」
 そう、冷たく言い放つ。
 グレミオはワケが分からないと言いたげに眼を見張ると、スイは彼の眼前に指先を突きつけて、眼を据わらせて囁いた。
「あいつら、僕とリオが店を出すって事を、事前に宣伝したらしいんだよ――。
 うちの店は、『無名でもなんでもない店』――ある意味、すごい宣伝力を持った有名店だったってワケさ。僕らが知らなかっただけでね。」
「…………おやおや、そういうことだったんですか。だから、あれほど忙しかったわけですね。」
 のんびりと、謎が解けましたねぇ、なんて呟いているグレミオを、呆れたように見上げる。
 そんなスイの突きつけてきた指先を握りこみ、人に指を突きつけてはいけませんよ、と優しく注意した後、
「でも、楽しかったからよろしいではないですか。」
 ふんわりと、微笑んだ。
 さらに呆れた顔になるスイに、クスクスと笑ったグレミオは、すぐにおや、と首を傾げた。
「……ぼっちゃん? どうして宣伝されてたって、分かったわけですか?」
「今日、客の一人が言ってたのを偶然聞いただけさ。
 コレが、レパント大統領が言っていた、英雄と将軍が菓子を作ってる店か、ってね。」
「――なるほど。」
 さすがにそれ以上は怒る気力も無いのか、スイは軽く肩をすくめて見せた。
 小さく笑ったグレミオを見て、スイもクスリと笑った。
「ま、確かに、楽しかったけどね。」
 前を見た先では、楽しげに笑うリオたちが居た。
 彼らもまた、楽しかったことには変わりないのだろうから。
 ――今日のところは、良しとしておこう。



…………もちろん? このまま済ませるつもりなんて、毛頭ないんだけど、ね。
 










 この二時間後、植物園内を走り回って戻ってきたフリックさんが、入り口にくくりつけられた、「ビッキーちゃんが来たので、先に帰ります」という置手紙を見つけて、プッツンして暴れたというのが――少し後まで植物園史で語られた、というのは、また別のお話です。



おしまい


猫ノ森 桃山さま


続かそうと思ったら、まだまだ続きそうなお話なのですが、とりあえず終わらせていただきました。
なーぜーかー、二作に別れてしまいましたが、両方とも受け取ってくださいませv