きゅっ、きゅっ、きゅっ。
「ふぅ……疲れた。これだけ大きいと、磨くのも大変だよねー──誰だよ、これをそのまま使おうなんて言う、バカげたことを言い出したのは。」
「……確か、あなたであったと記憶しておりますが、スイ殿?」
「────────……………えーっと…………どちらさまでしたでしょーか?」
「………………スイ! カシム様だ、カシム・ハジル様! 何本気で言っているんだ、お前は!」
「──バレリア、何をそんな真剣な目で……? カシムって言われても……頭に布被ってないし、頭、禿げてないよ?」
「──────…………っ、……これで、分かって頂けますかな?」
「なんか懐から布を出して、何を被ってやがんだ、このオヤジ……って、────おおっ! カシムじゃないか! どうしたんだい? 珍しくトラン地方の原色正装なんて着ちゃって。
一瞬、ミルイヒとヴァンサンが新しい仲間でも連れてきたのかと思っちゃったv」
「……スイ殿、先に言って置くが、カシム様は別に禿げてはいないぞ?」
「…………えっ!? それじゃ、クワンダがそのかぶとを脱いだら波平さん(サザ○さん)だって言うのも、嘘だったりとかする!?」
「波平さん?」
「そう、ドーナツ禿げで、先に一本髪の毛があるって聞いたんだけど。」
「クワンダ殿の頭に関しては、私は預かり知らぬことだが……スイ、それは一体、誰から?」
「父上から幼少の頃に少々。」
「………………テーオー…………あいつは、自分の息子が素直に飲み込むからと言って、酒の勢いでそんな風に面白おかしく話すなと、あ・れ・ほ・どっ、言ったというのに……っ!」
「テオ殿は、そんなことをスイ殿におっしゃっていたのか?」
「そう、男には、そんな風に隠さなくてはいけないこともあるのだから、それを容認することも必要だとかなんとか、そう説教しながら教えてくれた。」
「まったく、あいつは真面目な顔をして性格をして、羽目を外すとそういう冗談も言うからな……スイ殿、それは、テオの冗談だ。」
「あ、そうなんだ? なーんだ、信じて損しちゃった。」
「というか、スイ殿?」
「何かな、クワンダ?」
「先ほどから考えていたのだが──、つい先日も、一緒に風呂に入ったような気がしてならないのだが。」
「…………。」
「…………。」
「…………。」
「いやぁ、こうしてこの場所で、こうやって鏡を拭いていると懐かしいなぁ! 昔──もう10年も前になるんだよね。この砦で暮らしていたときのこと、まるで昨日のように思い出せるよ。
そう、例えば、ここから下へ行くのに面倒だからと、クライマー使って降りようとしたところを、父上に怒鳴られたりとか、中央広場でドワーフのおじさんたちと一緒に爆薬使って花火を楽しんだりとか、……ああ、当時、ソッと埋めたタイムカプセルはどうなってるんだろう? さすがにもうソロソロ、消費期限が過ぎてると思うけど、ドワーフのオジサンたちにお願いして作ってもらった特注品だもん、きっと、今でも健在だと思うなぁ。」
「──10年とは大げさだなぁ? あんたがココに攻め込んでから、1年くらいしか経ってねぇじゃん。ちょうど俺が解放軍に参加したころくらいだから、そんくらいだろ?」
「そうですよね、ミース兄貴の言うとおりだと思うんですが……。」
「いや……確か、10年ほど前の継承戦争時、バルバロッサ皇帝がココを根城にしていたことがあり、彼に組した人間のほとんどが、帝都から逃げ出し、この周辺で暮らしていた時期があると聞いているぞ……。師匠の元に、ぜひパンヌ・ヤクタへ来てくれという使者が来た様な覚えがある。」
「え! それじゃ、スイ様、本当にココに…………?」
「うん、居たよ〜。ある日突然、グレミオとクレオとソニアに抱きかかえられるようにして、屋敷から夜逃げして、気付いたらココで父上に抱きしめられてた。
いやー、何があったのか、サッパリ覚えてないから、とりあえず不満とストレスは、何もかも! この城で晴らしたような覚えがある。
その時に、カイに棒術を習い始めたんだよ。」
「なるほど──……スイは、10年前からカイ殿に師事を。」
「──ああ、そう思えば、もしかしたら僕、その時にマッシュとレオンに会ってるかも……。
当時、フサフサだったから、覚えてないだけなのかもしれないね…………。」
「スイ殿。」
「何かな、エイケイ?」
「男の魅力は、髪の毛ではないぞ。」
「うん、でも、筋肉だけでもないと思うよ?」
「────…………で、えーっと、ごほん! それで、スイ殿は、何でここで鏡を磨いていたんだ?」
「…………エイケイのためだよ。」
「? 俺の??」
「うん、そう……通信するためには、綺麗なほうがいいからと、そう言われて。」
「?」
「?」
「ふふ……まぁ、すぐに冒頭のシーンが来たら分かるよ。」
「むかーし昔のお話です。世界に名を轟かせた栄華を誇る、赤月帝国の南の端の端──例えて言うなら、田舎に位置する場所に、パンヌ・ヤクタ城という、人様に忘れ去られてしまいそうな城がありました。
このお城の城主は、クワンダ・ロスマンと言い、それはそれは…………変な人でした。
変な人だったので、彼は変なお嫁さんを貰いました。
そのお嫁さんも変だったので、二人はとっても良いカップルとして、近くに住むエルフたちに、非常に敬遠されておりました。」
「って、ちょっと待てーっ! なんであんたがナレーションやってるんだ、スイ殿っ!?」
強固な守りの城──と歌われたレンガ造りの荘厳な城、パンヌ・ヤクタ。
元々はこの地にあった遺跡を土台に建設されたその城は、左右対称に作られており、見取り図など無くても理解しやすい造りにはなっていた。
明り取りのために置かれた細長い窓には、縦に格子が埋め込まれ、たやすく賊が侵入できないような間取りになっている。
そんな、一階の部屋の一室──中庭を見通せる格子の嵌められた窓辺で、王妃は窓の外を眺めていた。
角刈りに纏められた漆黒の髪と、片目を覆う眼帯が魅力的な「変な人」王妃である。
彼女は、片手にサイコロを持ち、もう片手に欠けたおわんを持っていた。
その体勢のまま、窓の外をボンヤリと眺めている。
窓の外には、この地方には珍しい白い塊が、空からヒラリヒラリと舞い降りてきていた。
王妃はこの白い不思議な妖精を見たことがなかったのかもしれない。
手に握り締めたサイコロとおわんをそのままに、ただジッと窓の外を見つめていた。
「いや、ほかに適任が居なかったから。まー、気にしない気にしない。僕もたまには、こういう毒吐き役がやってみたかったんだよ。」
「って、いっつも毒吐いてるじゃん、あんたは…………くそっ。」
小さく祈るように何事か呟いて、王妃はサイコロを持っていた手で、そ、と自分のおなかを撫で上げる。
ぷっくりと膨らんだソコには、脂肪──もとい、命が詰まっていた。
それは、長い間子供の出来なかった自分たち夫婦にとって、幸せの象徴でもあった。
「つぅか、俺は男だっつぅの……。」
思わず誰にともなく裏手突っ込みを入れた瞬間、手にしていたサイコロが、コロリ、と転げ落ちた。
慌てて王妃は腰を屈めてそれを手にする。
妊娠が発覚して以来というもの、外に遊びに行くことも、城の兵士相手にちんちろりんをすることも禁じられてしまった。
胎教に悪いじゃないかというのが、この城の主であり、彼女の夫である男の発言ではあったが──単に、生真面目なあの男は、自分の城で賭け事をされるのが嫌でたまらなかっただけに違いない。
だから、一人、暇を持て余してサイコロとおわんを片手に、一人ちんちろりんなんて言う、非常に寂しいことこの上ない遊びをしていた。
転がしてもしょんべん。
転がしてもしょんべん。
あまりの自分の腕の無さに、あきれるやら泣きが入るやら──、
「くそっ、タイ・ホーには勝てるのに──なんか、うちんとこの軍主とやって以来、どうも本調子がでねぇぜ。」
一人そう愚痴て、彼は足元に転がったサイコロを手にする。
コロリ、と掌で転がしたサイコロは、雪のように白い盤面に、血のように赤い丸、そして墨のように黒い丸々が刻み込まれている。
王妃はそれを手にして、外の雪と、格子の黒を見やった。
「王妃は、こうしていると、なんだか気分は犯罪者だわ、と思いました。
何せ、この城に来てからというもの、ちんちろりんをしては、夫の変な人からは『金をかけるなーっ!』と怒られ、この部屋に閉じ込められ──。
外で遊ぼうと雪ではしゃぐフリをしながら、雪の中に何を隠したでショーゲームをしては、『だから金を賭けるなーっ!』と怒られ、この部屋に閉じ込められ……。
王妃にとって、この部屋は拷問部屋でありました。どうしてこの窓には格子戸が嵌っているのだろうと、そればかり……。」
「って、それはこないだあなたがマッシュ殿に怒られたことでしょーがっ! あなたがっ! 自室の窓からっ! 湖向けてダイブして自宅謹慎から逃亡しようとするから、こないだ窓に格子戸を嵌めることになったって、俺は聞いてますけどぉっ!?」
思わず王妃は、窓の格子戸にしがみついて、未来について憂いた。
愛しい男の子供を生めるのは、妻としては至上の悦び。
しかし、主治医であるリュウカンからは、この高齢で生むのは危険だと、そういわれていたのである。
もしかしたら、子供の命と引き換えに、自分の命は……そう思うと、おなかの中の子供を生むのが怖くもあった。
けれど、自分の中にある命──どこか不思議な思いを抱きながら、王妃は思うのだった。
それでも……この子が無事に生を受けることができるのなら、と。
窓ガラスに映った自分の顔を見ながら、王妃は祈るように呟く。
「生まれてくる子供が、元気でありますように──でも、うちの軍主みたいに育ちませんように。
生まれてくる子供が、このサイコロのように白い肌を持っていますように──でも、性格は極悪魔法使いルックみたいになりませんように。
生まれてくる子供が、このサイコロの目のように美しい漆黒の髪を持っていますように──でも、うちの軍主みたいな考えは持ちませんように。
生まれてくる子供が、このサイコロの1の目のように、血のように赤い唇を持っていますように──でもしつこいようだが、極悪魔法使いみたいに、極悪になりませんように。」
雪のように白い肌を持ち、墨のように黒い髪を持ち、血のように艶やかな紅の唇を持つ──そんな美しい子供が生まれたら、きっと夫も回りの人も、その子を可愛がってくれることだろう。
王妃はそう思いながら、祈る。
大切そうに、掌のサイコロを包み込みながら、サイコロに、強く祈るのであった。
「なんでそこでサイコロ! っていう突っ込みは置いておいて、そりゃ、祈れとは言ったけど、誰も一言も二言も付け加えろとは言ってないよー? ──ガスパー? 死体役している間、本当に……焼くよ?(笑顔)」
「ぃ……いぃぃぃやぁぁぁだぁぁぁぁぁーっ!!!!」
「数ヶ月の後、王妃からは女の子供が生まれました。──あ、腹を食い破って、って言う一言がないよ。入れておこう。
訂正。
数ヶ月の後、王妃の腹を食い破って、女の赤ん坊が生まれました。
王妃は国民の皆が喜ぶ中、大事を成し遂げた満足感の中で、そ、と息を引き取ったのでした。
尊い命と引き換えに生まれた子供は、変態の夫婦の間に生まれたにふさわしい王女でした。
豊かな髪と、美貌。そう、まさに二人が神に祈っても得られなかったものが、その子供に与えられたのです!
これはきっと、天国に行った王妃様も喜ばれることでしょう。
さて、その生まれた子供は、雪のように白いかどうかは分からないけど、そういう表記になっている以上、あえて言うけど──綺麗な肌と、美しさを持っていました。
そのため、子供が物心つく頃には、城の人間達はその子供のことをこう呼ぶようになりました。
白雪姫──スノーホワイト、と。」
愛しい妻が産後まもなく亡くなり、パンヌ・ヤクタ城の城主である国王は、それはそれは嘆いた。
けれど、嘆いても愛しい賭け事好きの妻が帰ってくることはなく、いいようによっては似ていると思わないでもない生まれたばかりの王女を、大切に大切に育てることにした。
王女は小さな頃から利発な美少女で、国王であるクワンダからしてみたら、女の子なんだからもう少しおとなしくしてほしいなぁ、と思うような行動も多々見受けられた。
物心つく頃には、城の者達から「スノーホワイト」とあだ名をつけられるほど美しく育ち、これは大きくなってから父親としては複雑だと、そう思っていた。
しかし、この美少女──やはり、父親と母親の血を引いていたというかなんと言うか。
「ぃやぁっ!」
今日も、中庭から凛々しい娘の声がする。
二階のバルコニーから中庭を見下ろしていたクワンダは、そんな娘の様子に、フルメットの合間から見える小さな顔に憂鬱の色を張り付かせた。
「兵士としては立派な限りなんだが──帝国仕官として考えると、これ以上ない人材なのだが。」
漏れ出るのは、愛しい愛娘の成長に対する憂いばかり。
何せ、その目に入れても痛くないほどの可愛い娘こと、妻の忘れ形見は、今日も中庭で屈強な戦士達相手に、剣を振り回しているのだ。
細身の剣を片手で構える姿も堂になり、豊かな髪をなびかせる姿も、非常に美しい。
中庭で稽古に付き合っている兵士達の唇からは、感嘆の吐息も零れていたし、上から見ていても中々筋がよろしい。
だが、その細身の剣を構え、素早い動きで相手を翻弄している娘は、仮にもこの城の「王女」なのである。
それも、この辺りでは適齢期であると言っても差し支えのない年齢まで立派に育ってくれた、王女様なのである。
「ぅん……む。やはり、男手一つで育てるのには、無理があったのかもしれんな。」
篭手の嵌った手で、頬杖をついて、クワンダは溜息を零す。
シャラリと揺れる王女の髪も、跳ねる汗の雫も、魅力的と言えば魅力的ではあった。
帝国では、女性も軍事に携わることが出来るから、別に剣の腕前が非常によろしいからといって、婚姻が遅れる理由にはならない。
ならないのだが。
「最近じゃ、白雪姫という小さい頃の通り名よりも、烈火のバレリアという通称の方が強くなってきたようだしな……。」
父親としては、通り名まで得てしまった王女の嫁ぎ先というものに、心を痛めずにはいられないのであった。
そこで彼は、
「──やはりここは、わたしが妻を娶って、母親に学んで女らしくしよう計画を実行するしか……っ!」
「いや、っていうかさ、父親が年から年中フルアーマーを着ているような変な人状態ってところに、突っ込みを持てよ。
まぁ、しょうがないか、この国の王様、変な人だしね!
ということで、この城の王様である『クワンダ・鎧はベッドの中でも一緒なのv・ロスマン』氏は、愛しい娘のために、新しい奥さんを貰うことにしたのでした。
ちなみにその奥方様は、…………もー少し、考えたほうがいいんじゃなかったかなー……奥方選び。」
「バレリア、紹介しよう! 私の新しい妻で、お前の新しい母親だ。」
「…………………………え?」
中庭で兵士相手に一訓練すませたばかりの白雪姫は、タオルで顔を拭きながら、目の前にたった人物を見上げた。
父である鎧魔人は、うんうん、と両手を組んで頷いている。
その彼の目にも涙──そして、白雪姫の目にも涙が浮かびそうだった。
「おかあ……さま、ですか………………?」
無言で視線を転じた先に立っているのは、大きな影。
太陽が煌々と照らし出す中庭に、ドシンと現れた瞬間、
「お父様ったら珍しいv 私が武術をするのをあんなにも嫌っていたのに、わざわざ私のために、新しい師匠か対戦相手を用意してくれたのかしらvv」
なんていう、乙女らしいことまで考えたのだが、真実はそれよりも奇であった。
太陽に輝く見事なスキンヘッド。
墨のように黒い、フサフサのお髭。
ぴっちりとした皮の上着に身を包むその体は、戦士として腕が疼くようなソレ。
ジロリ、と見下ろしてくる視線の鋭さに、思わず白雪姫は腰に佩いたままであった剣の柄に手を伸ばしそうになった。
その手を無理矢理引き留めて、彼女は、ヒクリ、と引きつった笑顔で右手を差し出す。
「…………ば、バレリア、です………………どーぞ、よろしく………………?」
思わず語尾が?マークになってしまったのは、仕方がないだろう。
っていうか、お父様?
あなた一体、どういう基準でお母様を選んだのでしょーか?
力強く握り返してくれる新しいお母様の手は、筋肉質で、武術のためであろうタコが出来ていた。
どう考えても、「素人」さんではないような雰囲気まである。
「二人とも、仲良くな。」
微笑む父親は、一人とても楽しそうであったが、白雪姫は握られた手がヒリヒリと痛みを訴えるのを感じながら、どうしても引きつる笑顔を治すことが出来なかった。
「しょうがない。クワンダ・ロスマンは、変な人を王妃にするという運命の下に生まれていたんだから。
ということで、国王が新しくお嫁さんに迎えたのは、旅の武道家であったエイケイという、それはそれは……えーっと…………………………クワンダの趣味ちっくな王妃様でした。
この王妃様が居れば、きっと白雪姫も娘らしくなるに違いない、と、そう思うお前の脳ミソから洗濯してこい! とかルックなら言いそうだけど、僕はあえて、そういうお前の脳を爆発しないことにはどうしようもない気がすると、可愛らしい表現に留めておいてやろう。
そう、脳みそを爆破しないといけないほど、クワンダが選んだ女性は、曲者だったのです。
まずは自分の趣味を疑うことから始めよう、とは良く言いますが、実はクワンダの選んだこの…………女性…………っていうにはダイブ抵抗がある女性は、この国の支配をもくろむ、魔女だったのです!!
……………………うわー…………僕が魔女役やりたかったなー…………ちっ。」
「……いや、さすがにスイ殿が魔女役なんてやったら、嵌りすぎだろうよ………………っ。」
グッ、と、たくましい二の腕に力を込めるようにして拳を握り締めた新王妃様は、パンヌ・ヤクタ城の周辺一帯を見渡せる屋上で、仁王立ちしていた。
遠くから吹いてくる風が心地よく、バサバサと耳障りな風音を立てている。
そのさなか、新王妃様は自分の背丈よりも高い鏡を前に、逸らしていた顎を戻す。
凛々しい目つきで睨み付けた鏡は、ツヤツヤと光沢を放ち、美しい一枚の絵画のように見えた。
だが王妃、エイケイには、この鏡に宿る凄まじいまでの力を、良く知っていた。
それは、ひとたび発動すれば、大きな木を集落とするエルフ達の里を一瞬で焼き払うほどの力を持つ──魔法の鏡なのだ。
事実、過去にこの鏡はその力を使って、集落を無に返したこともあった。
「──この焦魔鏡、目の前で火を噴いたりしないだろうな?」
鏡に映る、立派な筋肉と自慢の髭を見つめながら、王妃は不機嫌そうな表情で小さく呟く。
発動されていないことは確かだと思うが──この鏡を用意したのが、ナレーションで楽しそうに毒を吐いている人物だというから、あまり信用はできない。
何せ、あの笑顔の悪魔は、いつだって逃げ道のないようなステキな計画ばかりを練ってくださるのだから。
──事実、自分も被害にあった出来事を思い浮かべて、王妃は小さな溜息を零して、目の前にある大きな鏡を見つめる。
何の変哲もない──と信じたい焦魔鏡のなれの果て……パンヌ・ヤクタ城の装飾品と化した巨大鏡は、普通の鏡のように王妃の全身を映し出していた。
その見事な──我ながらウットリするような筋肉美を鏡の中に認めて、王妃はその鏡をマジマジと見つめる。
「ふん……だがしかし、映りは素晴らしくいいな。──ふんっ、ほぉっ! ……なかなか。」
「この魔女、たいそう自信家で、自分の美貌……やだな、台本がまた間違ってる、書き直しておこう。
魔女は、たいそうな自信家で、自分の筋肉について、この国で右に出るものは居ないと自負しておりました。
そのため、毎日毎日、嫁入り道具に持ってきた等身大の鏡を前に、筋肉パフォーマンスを行いました。
ちなみに、この光景を見た人は、問答無用で失神してしまい、その部分だけ記憶喪失になってしまったので、誰も王妃が魔女だということに気付いてはいません。」
鏡に映りこんだ自分の姿に満足した王妃は、続けて鏡に向けて指を向ける。
硬質な輝きを宿す鏡に触れると、しっかりとした感触が返ってくる。
やはり、普通の鏡のようだな──と、王妃がそう呟いた瞬間であった。
不意に、鏡の上に波紋が広がった。
「……なっ!?」
驚いて指先を手元に引く。
彼が触れた指先から、硬質であったはずの水面に、波紋が広がる。
まるで鏡が水面そのものに変化したかのように、鏡面に波打つ波紋がドンドンと広がっていく。
「!?」
見る見るうちに鏡面一面が淀んだ波紋に埋め尽くされてしまった。
その異様な光景に──普通の鏡なら起こるはずのない光景に、王妃はゴクリと喉を上下させる。
まさか、と、零れたうめき声が風に攫われるよりも先に、嫌な予感が胸を締め上げた。
「おいおい──冗談じゃないぞ、リーダーさん?」
とっさに鏡に向かって、拳を構える。
いざとなったら、この鏡が発動するよりも先に、鏡面を叩き割るつもりであった──そんなことで焦魔鏡を叩き割ることが出来たなら、あのような悲劇は起こらなかったのかもしれなかったが。
「……──くそっ。」
広がる波紋の中央に、ぼんやりと白い影が浮き出す。
まるでそれが、鏡が熱を発しているように映って──吊り上った眦で睨みつけて、王妃は肩に力を込める。
開いた足を動きやすいように落とし、彼はそのまま鋭く鏡を睨みすえた。
けれど──王妃の危惧に反して、鏡を侵食していた波紋は、白い影に掻き消されるように小さくなっていく。
同時に中央の白い影は見る見るうちに膨れ上がって行き──波紋が中央に一つ落ちたときには、「ソレ」は、人型をとっていた。
「──!」
鏡の上で、最後の波紋が揺れた。
そうして。
『……………………………………。』
ひらり、と舞うように、鏡の中で無数の糸が散る。
淡い亜麻色の──長い髪。
「──……ま…………じょ……………………?」
掠れたように王妃の唇から零れたセリフに、鏡の中に現れた「人」は、紅の唇に笑みを刻み込んだ。
『おやまぁ──……魔女役は、あんただろうに…………?』
鏡の中に散った糸が、ヒラリと白い項に掛かる。
透明な鏡の中に浮き立つような白い肌の中、好戦的な瞳が揺れている。
唇に浮かんでいるのは人を魅了する艶やかな微笑み。
嫣然と笑う顔は、美しくも鮮やかで、思わず魅入られそうに毒々しい。
「──お前は……?」
不審も露に──同時に、思いも寄らない光景に、恐れが胸の奥に宿るのを自覚しながら、舌打ちを零す。
体が震え出さないようにするのが精一杯な今の状況が、王妃の胸に強い敗北感を宿す。
『ふふ、やだねぇ? この魔法の鏡の精に決まってるじゃないか。』
鏡の中、現れた人影──どう見ても、某国の魔女にしか見えない人──は、唇に笑みを刻んでみせた。
けれど、そんな言葉を、「はいそうですか」などと受け入れるわけにはいかない。
王妃が、唇を真一文字に結んで、そう叫ぼうとした瞬間であった。
「そう──魔女が嫁入り道具に持ってきた鏡は、実は魔法の鏡だったのです!
魔女は、毎日毎日、その鏡の前で筋肉チェックを行い、最後の恒例として、 ”『もっとマトモな出番はないのかい!』って脅迫状と一緒に、わざわざはめ込み式の鏡まで送ってきた、迷惑な鏡の精” に、この国で一番美しい筋肉を持つのは誰なのか、と聞いていたのでした。
あーあ、あのはめ込み作業は面倒だったなー……。門の紋章で鏡を繋ぐだとかなんだとか言うから、実験までしなくちゃいけなくなるしで、まったくもう────…………すごく、楽しかった。うん。てことで、今回に限っては僕から『とても頑張ってくれたでショー』をウィンディにあげちゃいますv」
どこからともなく聞こえてきたナレーションの、至極満足したような声に、王妃は心から悟った。
──ああ、つまり、自分たちは、贄だということか、と。
「──……あー…………とりあえず、あんたに悪意は無いんだと見てもいいんだな?」
一応確認をこめて、拳を握ったまま問い掛けると、鏡の中で美しい容貌をほころばせている女は、当たり前だと言うようにコックリと頷いた。
『当然だ。マクドールの坊やは知らないが、私には悪意はないよ?
ただ、暇だっただけだからね。』
「…………………………。」
それもどうかと思うが、敵にすら「悪意があるかもしれない」といわれるうちの軍主もどうだろうと思う。
『さぁ、あんたは何を聞きたいんだい?
この鏡を呼び出したということは、聞きたいことがあるってことだろう? 何せ、古来から魔女が鏡を使うのは、占いと調べ物と通話だって決まってるからね!
ああ、もっとも? この世界で一番美しいのは誰かという設問なら、そんなのは私──このウィンディに決まっているけどねぇ。』
堂々と胸を張って答えてくれる鏡の精の言葉に、
「────……それじゃ……そうだな……。」
王妃は眉を顰めて、顎ヒゲをなぞった。
少し悩むように目を伏せて──次の刹那、カッと目を見開いてウィンディを睨み付けるようにして、叫んだ。
「鏡よ鏡! この世界で一番美しい筋肉は、誰だ!?」
演技とは思えないほど、真に迫った目であった。
というか、彼にしてみたら、これ以外に聞くことはなかったのだろう…………きっと。
「えっ!? 本気で筋肉って聞くの!? だって、台本にはちゃんと、『この世で一番美しいのはだぁれ?』って書かれてるよ!?
ってことは、このまま筋肉コンクールになっちゃったりとかするの? 優勝者には兄貴の称号が漏れなくプレゼントされちゃったりなんかしちゃったりして、更に戦闘中には、協力攻撃に『アニキ攻撃』とか出てきて、皆でポージングなんか取ったりとかして、敵全体に即死効果30%、アンバランス50%、毒20%とかいう、全部あわせて100%の凄い攻撃だったりする!? でもって、味方全体にパニック80%みたいな!?
──うわー…………それだと、その協力攻撃後、協力攻撃をした人間全てに、『戦闘不能』がついちゃうけど、いいかなぁ? 絶対、僕、思わず殺っちゃうと思うんだよね、んなもん目の前で見せられたら。」
『ふん、これだからお子様は、筋肉の価値がわからないというんだ。
というか、さり気に毒吐くナレーションだねぇ……あんた、たまにはその滑りすぎる口に、ワックス以外の物を塗ってみたらどうだい?』
王妃の顔を一瞥して、鏡の精はあきれたような口調でそう呟く。
それから、王妃の体を下から上へと視線でなぞり上げ、ふぅ……ん、とウィンディは長い爪先を唇に押し当てた。
『筋肉王はテオ=マクドールだ、と言いたいところだけど、残念ながらテオは死んだ身だからねぇ……。』
伏せられた長い睫の下、霞むような眼差しに、強い光が明滅している。
考え込むようなその仕草に、得体の知れない悪寒を覚えながら、王妃は喉が上下するのを抑えられなかった。
見た目は絶世の美女以外の何者でもないというのに、この魔鏡に宿る精の──なんと禍々しく恐ろしい物を持っているのだろう。
「──ああ、どうやら一部の敵には、アニキ攻撃が害になるどころか、癒しになる者も居るようです。
そういや、ヒカリ攻撃を見て、まだまだ私は大丈夫です、だとか、マッシュも呟いてたっけ……そんなに髪が薄くなるようなことを気にする年齢でもないだろうに。
メモっておこっと。
ボスキャラ級、ウィンディには筋肉攻撃は禁止、と。」
鏡の精は、戦場に立つたくましい体の将軍を思い出し、ウットリと溜息を零していた。
眼裏に蘇るのは、無粋な鎧でたくましい体を包み込み、皇帝陛下から受けた剣を高々と掲げる将軍の姿だった。
やはり、男は筋肉、信念、力、これだね!
思わず、ギュムッ、と拳を握り締めたウィンディは、そのまま視線を転じて、目の前の王妃をイマイチ乗らないといった風な表情で眺める。
確かに彼も、己の強さに磨きをかける格闘家と名乗るだけあって、そんじょそこらの兵士に比べるまでもない体つきをしているのだけど──イマイチ乗る気がしないのは、ウィンディが求めている筋肉には微妙に足りなかった。
『あんたも中々だけど──、足りないものがあるからね……悪いけど、筋肉王には別の人間を指名されてもらうよ。』
正しく言うと、「好みの筋肉」ではないのだ。
「何!? 俺ではないと言うのかっ!? では、一体誰なのだ!?」
楽しげに喉を鳴らしながらそう告げた鏡の精を、キッと王妃が睨み付ける。
ウィンディは、殺気すら感じるその視線を正面から受けて、艶やかかに笑んでみせた。
その微笑は、一国の皇帝を落とすにふさわしい、毒女のそれであった。
思わず王妃は、その女の気迫に息を呑み──そんな自分に苛立ちを覚える。
『この世界で一番の筋肉を持つ者────…………。』
そこで一度言葉を止めて、ウィンディは楽しそうに……告げた。
『それは、この城の王女、白雪姫さ。』
「白雪姫──烈火のバレリアだとっ!?」
驚いたように目を見開く王妃が、両手でバンッと鏡の正面を叩く。
衝撃に、鏡が前後に揺れた──けれど、大きな力を発することの出来るこの鏡の支えは頑丈で、王妃の力で倒れることはない。
間近く迫った血走る王妃の目を見返し、ウィンディは紅の唇を笑みに染め上げる。
『ああ、そうさ。鍛え抜かれた胸筋と言い、二の腕の上腕筋と言い、ただ鍛えられただけの筋肉ではなく、実用性あるしなやかな筋肉!
今年のトレンドは、やっぱりコレだねぇっ! 細身だけどしっかりついている筋肉! ちょっと力を入れれば、ムキッ!
見た目と中身の反比例がまた美しいのさ。』
全身を使ってそうオーバーリアクションに表現しながら、ウィンディはキッパリと断言してみせる。
その眼は、とても輝いていた。
そんな姿だけを見ていると、とてもこの国を滅ぼそうとしている魔女には見えない──言っていることは、ある意味魔女であったけど。
「…………くそっ、まさかバレリアに負けるとは…………っ。」
悔しげに歯軋りをして、王妃は鏡にたたきつけた拳を握り締めた。
鏡に両手をついたまま、彼は顔をうつむけて、唇を悔しげに噛み締める。
その腕が、悔しさのあまりか、小刻みに震えていた。鏡について両手の指先は白く──彼が相当怒りを堪えるために力を堪えているのが見て取れた。
そんな王妃の震える腕の筋肉を、うっとりとした目で見つめていた痴女──もとい鏡の精は、悔しさに打ち震える王妃向けて、
『でもまぁ、そうだねぇ──?
この城で言えば、バレリアの次は、百歩譲ればあんただねぇ──クワンダは、イマイチだしねぇ。』
わざとらしいほどわざとらしい呟きを口にしてみせた。
そうしないと話が進まないという現実もあったせいかもしれない。
「……俺が、二番目、だとぉ?」
忌々しさが滲み出た言葉を呟く王妃の眼に、怒りの炎が見えた。
それを見下ろし、鏡の精は再び口にする。
『ああ、そうさ。何度占っても結果は同じ。この国で一番美しい筋肉を持つのは、バレリア──白雪姫だよ!
この結果は、白雪姫が死ぬまで変わることはない。』
嫣然と──楽しげに。
王妃は、そんな鏡の精を見つめ──真実しか語らない「魔法の鏡」に、ギリリと唇を噛み締めるのであった。
「そうか、ウィンディのマイブームは、しなやかな筋肉なのかー……それなら、彼女への報酬になる人物候補を、アレン達に変更しておかないとね……。
同じ筋肉でも、質と量と見た目で随分違うんだから、まったく、大変だよね。まぁ、持っている武器によって鍛える筋肉が違うんだから、しょうがないんだろうけどさ。
ま、そういうことで、根性悪の極悪で冷酷な魔女であるところの王妃様は、自分の筋肉道を邪魔する白雪姫を、殺害する計画を練ったのでした。
そこで、自分の手を汚さずに、なおかつ行方不明になったかのように見せかけて殺さねばならないと思った王妃は、その無い知恵を振り絞って、近隣で名を馳せる出っ鼻の猟師グリフィスと言う男に、『言うことを聞かないとお前の部下を殺す』と言って聞かせて、白雪姫を迷いの森へ連れ出し、ソコでサックリ殺ってくるように命令したのでした。
……いやー、ほんと、童話って、残酷だよねぇ〜、勉強になるよv」
「……あー……お前ら、後で、スイ様の部屋ん中から、残酷な童話特集、盗み取っておけよ?」
びし、と、どこにともなく視線を飛ばしてそう宣言した猟師は、さて、と下を向いた高い鼻をカリカリと指先で掻きながら、壁に預けた背中を剥がし取った。
見やった先は中庭──そこでは、この城で一番の美女で筋肉だという白雪姫が、一人で素振りをしていた。
豊かなとび色の髪が、彼女が突き上げる動作をするたびに跳ね上がり、しゃらん、と音を立てている。
キリリと鋭い目は美しく、ふっくらとした紅の唇から零れる吐息は、弾んでいる。
「俺は、勝つ戦しかしないのが信条なんだがな……。」
ふぅ、と溜息を零して、グリフィスは手元にあるコビンを見つめる。
それは、つい先ほどコッソリと呼び出してくれた王妃によって手渡された──あんまり口には出して言えない薬である。
「さて、どうやってあの烈火のバレリアを──白雪姫様を、口説き落とすべきか? 俺は、女を口説くのは好きだが、上手いわけじゃー、ないんだな、これが。」
言いながら、手にしたコビンを傾ける。
朝日に透かし見えるそれは、怪しい紅色を見せていた。
この薬を白雪姫に飲ませるというのが、猟師であるグリフィスに託された使命であった。
しかし、この怪しい以外何者でもない物を持っていき、笑顔で「やぁ、白雪姫! 精が出るね! どうだい、喉が渇いてないかい? ジュースを持ってきたよ!」と飲ませることが出来るかといわれたら──できない。うちの軍主なら、笑顔でいけしゃあしゃあとやってくれるだろうが、根本的に「いい人」なグリフィスには、そんな恐ろしいことはできなかった。
なぜならこの薬は、王妃いわく、
「こんなもので筋肉コンテストに勝つのは気に食わないが、やはり筋肉の質が違うのは気に食わん。
この薬を飲めば、白雪姫の筋肉は、俺たちと対等に戦える質のものに変化するそうだ。
飲ませろ。」
との代物なのである。
とてもではないが、しなやかな獅子と呼ばれる烈火のバレリアであっても──女性に飲ませたいものではなかった。
特に白雪姫は、女としてもいい女なのだ。
そんな、もったいない──というのが、本音でもある。
だが、部下を人質に取られてしまったのだからしょうがない──正しくは、ナレーションがそう宣言した時点で、ナレーションの手に人質の命が落ちているということであったが。
「──……ま、なんとかするか。」
仕方がないと、グリフィスは進み出て、中庭で一人稽古をしている白雪姫へと近づいていった。
「猟師は、王妃様に、森に連れて行って好きなようにした後、銃で殺して、きちんと殺した証に内臓をもってこいと命じられていました。
けれど、猟師は変態だったので、そんなシチュエーションでは萌えませんでした。
そう! 彼もまた、筋肉フェチだったのです! ──て、この城そんなのばっかかよ。
そこでグリフィスは、相手が筋肉ムキムキになるという薬を王妃に作ってもらい、それを白雪姫に無理矢理飲ませ、筋肉を堪能した後に殺そうという計画を練ったのでした。
あやうし、白雪姫!」
「勝手に話を作るなーっ!!!! あんたが言うと、しゃれにならねぇんだよ、だからっ!!!」
こっそりこっそりと、稽古中の白雪姫に警戒されないように近づくつもりだったグリフィスであったが、朗々と響き渡ったナレーションのセリフに、思わず全身全霊を込めて叫んでしまっていた。
その声は、中庭に良く響き──当たり前でるが、稽古に夢中だった白雪姫は、その手を止めて、警戒心も露にこちらを見据えていた。
「…………誰だ?」
低く問い掛ける男前な声色に、グリフィスは慌てて背後にコビンを隠す。
「いよぉ、白雪姫。朝から精が出るねぇ。」
「──……一日でも怠ると、腕がなまるからな。
それはそうと、──さきほど、筋肉がどうのと聞こえたが、その後ろに持っているコビンと何か関係があるのか?」
びし、と白雪姫に指摘されたそれに、ば、ばれてるっ!? と、あからさまに焦ってみせたグリフィスは、それから──ごほん、と咳払いをして、コビンを背後に隠したまま、白雪姫に向かい合った。
「……グリフィス?」
いぶかしげに眉を寄せる、女ながらの美丈夫に、少々の嫉妬心を駆られながら、グリフィスはビンを持っていない方の指を一本立てると、こう提案した。
「時に白雪姫。ここの王妃様は、筋肉自慢が凄いらしいが、知っていたか?」
「ああ、そのことか。
毎日屋上で、マッスルポーズを取っているらしいな。──さすがは父上の嫁だけあると、私も毎日感心している限りだが?」
それが何か? と……何かもなにも、そのこと自体に疑問は抱かないのかと思いながら、思わずグリフィスはちょっと遠い目をしてみた。
遠く──城の中庭の壁の合間くらいに、何気に視線を飛ばした瞬間、
「隊長〜〜……っ!」
哀れな猟師の銃に扮した部下1が、地面にグルグル巻きにされて倒されているのを目撃してしまった!
本気で人質に取られてるぞ、おいっ!?
と、狼狽したグリフィスは、慌てて白雪姫に向き直ると、うそ臭い笑顔を浮かべて、
「いや──あの、だな…………ここでは話にくいから、ちょっと…………森まで行かないかい、白雪姫!」
そう誘いかけた。
が、しかし、烈火のバレリアと呼ばれている姫君は、そういう男の誘いかけには非常に固かった。
「悪いが、ナンパはお断りだ。」
びし、と片手で拒否する白雪姫に、グリフィスは、そこをなんとか、ち腰を落として頼み込む。
そうしながら、目配せをして城の上を見るように白雪姫に合図を送る。
「いや、何もしない、というか、負けると分かっている以上、森に入ったらアッサリ降参するからよ。」
白雪姫は、そんな彼の態度に──想像通りの展開が起きているらしいと気付き、頭痛を覚えたかのように額に手を当てた。
どうしてこのメンツだと、台本どおりに話が進まないのだろう……本気でそう思っているらしかった。
すでにもう、泣き落としに近い状態の猟師に、優しい白雪姫はアッサリと陥落してしまった。
非常に、すごく、心底、嫌そうな顔をした後、
「……劇が進まないから、仕方なく付き合ってやるが──お前、もう少しちゃんと部下の身の安全の確保はしておいたほうがいいと思うぞ。」
それはある意味、「解放軍の先輩」からの忠言であったのだろう。
「こうして、無事に白雪姫を森の中へ連れ出すことに成功した猟師は、王妃に言われたとおり、白雪姫を殺そうとしましたが──白雪姫のあまりの強さに、薬を飲ませることもできませんでした。
そこで仕方なく、彼は白雪姫に事情を話し、二度と城に戻ってこないように頼み込んだのでした。
さらに、このまま帰っては王妃に殺されてしまうと危ぶんだ彼は、白雪姫から助言を貰い、その筋肉の薬でひ弱な獣を筋肉マンにさせてから殺し、その心臓を持ち帰り、王妃に『これは白雪姫の心臓です。証拠の品として持ち帰りました。』と言いました。
王妃はそれはそれは喜び、その心臓をパックリと食べてしまったのでした。」
さて、猟師を無事に送り返した白雪姫だったが、猟師がいくら無事であっても、自分が無事でなければ意味はない。
見渡す限りの木、木、木──普段から庭のようにしている辺りならとにかく、パンヌ・ヤクタ城からはるか北東にあるドワーフの山道の中にある森は、近づいたことすらもない場所であったため、現在位置を把握しようにも、到底無理な話だった。
また、城には帰れない。たとえ帰ったとしても、筋肉薬を飲まされ、殺されそうになるという運命が待っているだけなのだ。
筋肉の質で買ったのだとしても、あの王妃の武術の腕は相当のものであり、烈火のバレリアと呼ばれている白雪姫と言えど、戦って無事ですむとは思えなかった。
何よりも、あんな奥さんでも、父である男が選んだ妻なのだ。
あそこが父の城である以上、やはり父の意見を尊重してやりたい。
「というか、あの城には帰りたくないしな。」
白雪姫は、自分が生き延びるためにも、とりあえず森から出るのが先決かと、隠し持っていたナイフで、近くの木の幹にマークをつける。
それから、頭の中にドワーフの村近くの地図を頭に浮かべた。
確か、連れて来られたのは、ドワーフの西の森の中のはずだ。
ということは、東に向けて歩いていけば、森から出ることは出来るはず。
幸いにして、この森には実が成る木もあるようだし、あとは水さえ確保できれば、なんとか生き延びてどこか別の町に移り住むことが出来るだろう。
そうある程度のことを決めると、なんとなく展望が明るくなるような気がするから不思議だ。
「とりあえず、東、だな。」
うん、と小さく頷いて、お姫様として育てられた割には、いやに詳しい知識で、水分を持っている植物の茎を切っては水を飲み、適当な木の下に生えていた食べられる野草やキノコを道具袋の中に放り込みながら、白雪姫はなぜか持っていた磁石を片手に、歩き始めるのであった。
「しばらく歩いていくと、目の前の視界が開けました。
そこには、小屋が一つ、建っていました。家の前には、薪も詰まれています。
たった一人で森の中に置き去りにされて、非常に心細かった白雪姫は、大喜びで家の中へと入っていきました。
きっと心の中では、ちっ、あの猟師、どうせ助けてくれるなら、森の中に置き去りになんかしないで、どっかの家に預けてけっ、つぅんだよ、とか思っていたに違いありません。
普通、世間知らずのお姫様が森の中に置き去りにされたら、すぐに獣に殺されちゃうだろうしね。
はっ! それが狙いか、猟師め! なかなかずるがしこいヤツだ。確かにその手段なら、たとえ白雪姫が死んじゃっても、幽霊になって呪い殺しに来ない可能性が高いもんね。」
森の中にポツンと置かれた家は、戸口の小さい、白雪姫が入ったらちょうど頭が天井に当たりそうなくらいの大きさだった。
見渡す室内には、同じように普通の家の半分くらいの大きさしかない椅子やテーブル、ベッドなどが置かれていた。
「? ここは、子供だけの家なのか?」
この近辺にあるドワーフの村の者が使っている仮宿ということも考えられたが、いくらドワーフがそれほど大きくはない種族だとは言っても、これは余りにも小さすぎだろうと、白雪姫は目の前にあるおもちゃのような椅子を取り上げた。
軽いそれは、片手でもラクラク持ち上げられ、白雪姫が座れば壊れてしまいそうだった。
「誰か、誰かいませんか?」
声をかけるが、返ってくるのは静けさばかり。
小さな小屋の、小さな部屋をすべて覗いてみたものの、台所にも、寝室にも、どこにも住人らしい人は見えない。
まさか無人の小屋かと、そう不安を覚えはしたが、表にあった割ったばかりらしい薪と、埃の積もっていない室内を見渡せば、その線はないことはすぐに分かった。
となると、
「留守、か──仕方ない。帰ってくるまで待たせてもらうか。」
白雪姫はそう呟くと、座ったら壊れてしまいそうな椅子ではなく、床に直接座り込むと、壁に背を預けて、ス、と瞼を閉じたのであった。
「さて、実はこの小屋は、森に住むかわいそうな小人さんたちのものでした。
何が可哀想かというと、元々7人居たのですが、ちょっと色々あって──そう、例えて言うなら、皆が嫌がったというかなんというか──、3人に減ってしまったくらい、可哀想なのです。
3人ではまともな仕事もできなかったので、小人サンたちは、毎日毎日近くの鉱山に出向いたり、近くのドワーフの村で臨時の鍛冶屋のバイトなどをして生計を営んでおりました。」
ドワーフの山道と呼ばれる、ドワーフの村と人間の村を繋ぐ険しい山の中ほどに、その森はあった。
それほど深くもなく浅くもないその森には、それが故に雨季には土砂崩れの災害、冬にはまともな食料が取れない──などの理由から、人が行き来することはあれども、住み着くことはなかった。
だが、その中──ひっそりと住む小人たちが居た。
彼らの背丈は人の三分の1ほどの大きさで、東の盆地に住むドワーフたちよりも一回り以上小さい。
その分だけ、小さな手指を生かして、さまざまな細かい仕事をこなしていた。ドワーフたちが武器や防具を作るのに恵まれているなら、彼らは細工や装飾品の類が得意で、元々7人いた小人が3人になってしまってからは、通りかかる旅人を相手に、商売を開いていた。
──例えば、この厳しい山道でくたびれた剣を鍛えてやったり、ナイフを鍛えてやったり、時には棍やハンマーなどを叩くこともあった。
今日も今日とて、彼ら3人は、ドワーフの村と人間の町を行き来する旅人を襲うために……もとい、カモにするために、山道向けて歩いていた。
「今日は、帰りに坑道で材料も探してこないとダメですよね……そろそろ石炭が切れてきましたし。」
鍛冶屋を営む者にとっては、炎の材料となる石炭はとても重要である。
良質の石炭であればあるほど、見事な炎が立ち上がり、打つ刃の輝きも違ってくるのだ。
草木の生える木々の合間を縫うように歩きながら、青の帽子と作業服に身を包んだ小人が小さく呟く。
その言葉を聞いて、彼よりも三歩先を歩いて、持っていたハンマーでバッタバッタと邪魔になる草をなぎ倒していた小人が、振り向かずに答えた。
「おうおう、行って来い。俺はちょっくら、出稼ぎがてら、ドワーフの村にでも脚を伸ばしてくるぜ。」
言いながら、ずれた帽子を直す。
その帽子の色も、着ている作業着の色も、どちらも切り倒している草木よりも明るい緑色だ。
「ドワーフの村って……昨日もそう言って、夜まで帰ってこなかったじゃないですか、ミース兄貴は!」
むむ、と眉を寄せる青い小人に、彼の少し後ろを歩いていた、3人の中で一番年長らしい小人が、眉を寄せる。
「こら、ミース。そう言って材料取りをサボろうとするんじゃない。弟弟子に示しがつかんだろうが。」
彼は、帽子も作業服も見事なまでの黄色である。
どうやら、色が白色に近づけば近づくほど、お偉いさんになれるような配色であった。──もしかしたら、炎の高温時の色に例えられているのかもしれない。
「──でも、私も一度でいいから、ドワーフの村って見てみたかったんですよね。ほら、あそこの村って、結構凄いって聞いてますし。」
軽く首を傾げて笑った一番年下の小人の呟きに、前を歩いていた緑の小人が振り返って笑った。
「ああ、すんげぇぜ! ドワーフの技術ってぇのは、一度でいいから学んでみるべきだぜ。」
そして、そのままの笑顔で、黄色い小人を見据えると──不意に真顔になって、
「っていうか、もう俺、すでにこの劇に出てるのが嫌で嫌でしょうがねぇからさ、逃げてもいい?」
そう聞いた。
出てきて3分もしないうちに、脱退宣言である。
そのセリフには、非常に頷きたい気持ちになった黄色い小人であったが、彼はこれから先に待ち受ける苦難を思うと、弟弟子が哀れに思えて仕方が無かったので、心を鬼にしてかぶりを振って見せた。
「ダメだ。そんなことをしたら、元々は7人だったけど、今は3人しかいない小人──が、2人になってしまうだろうが。」
あえて、脱退した後の運命を口にしてやらなかった、優しい兄貴分の心を、
「そうですよ、ミース兄貴。そんなことになったら、スイ様から、つるし上げを食らった挙句、ドワーフ工房が見たいなら特と見せてやるって、ドワーフの秘宝集中砲火されちゃいますよ。」
笑顔で、一番下の弟弟子は、砕け散らせてくれた。
「……………………ぅわ…………それ、しゃれになんねぇんだけどよ。」
そして、その弟弟子の笑顔は、あまりと言えばあまりなほど──真実を射抜いていた。
本気で嫌そうに顔を顰めた緑の小人であったが、引きつった笑顔で、
「でも、まさか、だよなぁ?」
いくらなんでも、そんなことをするはずが──と、乾いた笑いを零す。
そんな往生際の悪い弟弟子に、ヤレヤレと、一番上の兄弟子である男は溜息を零すと、懐から一枚の紙を取り出した。
「本気だぞ。──ほれ、通達が。」
手渡したのは、つい先ほど発行されたばかりの解放軍通信であった。
「──────……………………あん? なんだよ、こりゃ? 通達じゃなくって、ただの新聞じゃん……。」
出されたそれを受け取り、ガサガサと広げる緑の小人に、青い小人も近づく。
ひょい、と二人揃って覗き込んだ通達には、でかでかと、つい先ほど起きたばかりのことらしい事実が書かれていた。
「えーっと、何々? 『危険! 油断するな! 森の中で放し飼いにされたケルベロスが君を狙っている! 某国の王妃が、義理の娘を殺そうとたくらんだ挙句、その実行者である某グリフィス氏を口封じのために殺そうと、鏡の精が呼び出した三つ頭の犬を山間の森に放ったという。残念ながら、グリフィス氏はそれに遭遇することなく帰ってきてしまったようだが、噂の犬は、いまだに森の中に居たという目撃証言が……………………………………。』
………………え?」
最後まで読まず、思わず青い小人は顔を上げた。
童顔の大きな眼を、パッチリと見開いて見上げた先──一番上の兄弟子は、こくり、と頷いた。
「そういうことだ。」
その重々しい頷きは、彼の年を感じさせるものであった。
「えぇ!? 証拠隠滅かよ!? っつぅか、俺らの住んでる森に放つなよな、んなもの!!」
グシャリッ、と思い切りよく新聞を握りつぶした緑の小人であったが、その顔は蒼白であった。
何が怖いかというと、紙面に書かれたことを本当にしてそうな、「毒吐きナレーション」と、「極悪鏡の精」の存在である。
一体誰が、あの二人の共演を許したのか──いや、きっと、その当の張本人二人に違いないのだろうけど。
「分かったら二人とも、今日も決められた場所で仕事をするために、ホレ、しっかりハンマーを持て。」
くるくるくる、と、いつのまにか腰ベルトからマイハンマーを取り出した黄色の小人が、顎ヒゲを揺らしながら二人の腰を顎でしゃくる。
要約すれば、「いついかなるとき、何が起きても、決められた場所で真面目に役をこなしていたら、多分、重症は負わないだろう」ということである。
「えええええええええええ…………………………。」
思わず情けない顔になった緑の小人だが、
「ちっ、やりゃぁいいんだろ、やりゃぁよっ!」
激しく舌打ちした兄貴分の言葉には賛成だったので、黄色の小人の言うとおり、渋々ハンマーを片手に、些細な音にもビクビクしつつ、今日の仕事場所に向かうのであった。
さて、日が暮れ始めて、そろそろ西の空が茜色に染まり始めた頃である。
元気な働き者の小人たちは、なんとか今日も無事に仕事を終えて、今朝出たばかりの自分たちの小屋に戻ってきた。。
森の中に埋もれるほどの小さな小屋を見た瞬間、三人は心の奥底から思った。
ああ、今日も無事に帰ってこれたか、と。
特に今日ほど、一日が長く感じたことはなかった。
ガサガサと音がするたびに、何かと身構えていたのだから、精神的には非常にきつかったことだろう。
「あー……もう、今日はご飯作りたくないですよぉ?」
一番ヘトヘトになったのは、若いくせに体力が無い青い小人である。
彼はまだ若いため、配分というものが苦手で、一日中ビクビクと過ごしていたのだ。
「つぅか、薪も割ってねぇだろ、俺ら?」
こき、と肩を鳴らせながら、緑の小人が庭を見やった。
そこには、朝出てきたときのまま、割りかけた薪が置いてあった。
これを割らないことには、食事の支度も出来なければ、風呂も沸かせない。
いや、そういうのはどうでもいいが、火を焚かずにこの森で寝ることは、幾ら小屋の中とは言え、危険極まりないような気がした。
何よりも、こんな小さな小屋では。
「だが、薪を割らなければならないしな──マースとミースで、どっちが薪を割るか決めてくれ。私は夕食の支度をしよう。」
さっさと扉に向かって歩きながら、兄弟子の権限とばかりに、黄色い小人が役割分担を提案する。
「ちぇっ、わぁーったよ。おら、マース。じゃんけんだ、じゃんけん! 最初はグーだからな。」
「えっ、それすると、ミース兄貴、いっつもズルするじゃないですかー!」
「ズルとはなんだ、ズルとは!」
「んもー、無敵出しとかなしですからね!」
そんな、微笑を誘われるような二人の弟弟子の言い争いを背中に、黄色い小人は扉に手をかける。
そして、朝出たままの小屋へ足を踏み入れ……ふと、違和感に動きを止めた。
「?」
何かが違う──何と口に出来るほどの違和感ではないが、確かに、何かが……。
そう、彼が思った瞬間であった。
「ん……。」
小さな声が、聞こえた。
「────……!?」
驚いて、小人はとっさに腰からハンマーを抜いて身構える。
そんな兄弟子の様子に気付いたのか、緑の小人が軽く首を傾げて、庭先から越えをかける。
「どうしたんですか、ムース兄貴?」
その彼へ向けて、サッ、と左手を横にやり、彼の声を留める。
「……誰か居る。」
ちいさく、顔だけをそちらに向けて囁く。
「んなっ!?」
慌てた様子で、二人が近づいてくるのに、黄色い小人は渋面をしてみせた。
そのまま、ソロリ、と家の中をうかがう。
しかし、見える範囲に特におかしなところはない。
自分たちが腰掛ける椅子も、テーブルも、動いた様子すらなかった。
そのまま視線をずらして、黄色い小人は家の中に足を踏み入れた。
気配を押し隠すように、ひっそりと息を潜めて、もう一度ゆっくりと小屋の中を見渡す。
そんな彼の後に続くように、扉を更に開いて、緑と青の帽子も家の中を見渡した。
その眼が、
「────ぅわっ! 人が倒れてますよ!!??」
扉に隠れた壁で、止まった。
思わず悲鳴に近い声をあげた青い小人の口を、とっさに両手で塞ぎながら、緑の小人も扉の向こうを見やる。
内開きの扉に隠れて見えなかった壁から、にょっきりと足が伸びていた。
その足を見て、一瞬口笛を吹きかけた緑の小人であったが、視線を上げて──壁にもたれて眠る美女を認めた瞬間、拍子抜けしたように呟いた。
「……って、なんでぇ、バレリアじゃねぇか。」
それは、この山間の森にも噂が届くほどの美少女──白雪姫であった。
雪のように白い肌、血のように赤い唇。豊かに波打つ髪が、彼女の美貌を緩やかに覆っている。
今は睫も伏せられ、その頬に薄い影を伸ばすばかりだ。
緑の小人は、青い小人を解放すると、兄弟子と共に扉を回り込んで、彼女の正面に回った。
グッスリと熟睡しているらしい白雪姫は、疲れているのだろう、こうして間近に見つめていても起きることはなかった。
「これが噂に聞く、パンヌ・ヤクタ城の白雪姫か。」
黄色い小人が、感心したように顎ヒゲに手を当てるのに、隣にしゃがみこんで、彼女の寝顔を覗き込んだ緑の小人が、感心したように呟く。
「起きてる時は、生真面目な別嬪さんだけど、こうして見ると、中々色気もあるな? 黙って笑ってりゃ、嫁の行き手もあるだろうに。」
その不用意な発言が零れるや否や、
じゃきんっ!
「……おわっ! 髪っ! 今、なんか髪切られたぞっ!」
眼に見えない疾風が、彼の目の前を通り過ぎた。
「ほう、なかなか見事な切れ味の剣だな。」
感心する兄弟子に、そうじゃなくって、と裏手で突っ込みかけた緑の小人に、あきれたように青い小人が腰に手を当てる。
「当たり前っすよ、それくらい!」
そんな彼の言葉の語尾を取るように、
「まったくだな、ミース──お前の口が悪いのは知っていたが、限度があることを知っておけ。」
カチャリ、と、抜きたった剣を鞘に戻しながら、白雪姫が顎を上げる。
先ほどまで可憐で可愛らしい寝顔を見せていた白雪姫は、今はもうその両目に輝くばかりの生気を宿ていた。
「おおっと。そいつぁすまねぇな、お嬢さん。」
今また不用意な一言を零せば、抜刀と同時に切られるに違いないと、緑の小人は両手を挙げて降参を示す。
そんな彼を鋭く一瞥した白雪姫は、そのまま視線を転じると、
「勝手に家宅に入ったことについては謝罪する──すまないな、ムー…………ん、ごほん。
小人どの。」
すっくと立ち上がり、軽く頭を下げる。
シャラリと頬の横を滑り落ちた髪を、片手で軽く掻き揚げて顔を上げると、緑の小人は苦い顔をしていて、青い小人はニコニコしていた。
そうして、話し掛けた相手──黄色い小人はというと、両腕を組み、小さく吐息を零した。
「色々と事情がおありのようだな、パンヌ・ヤクタの白雪姫?」
「──……! 私のことをご存知なのか?」
眼を見開いてみせた白雪姫に、あたり前だと小人は頷く。
「パンヌ・ヤクタの戦うお姫様と言えば、別名烈火のバレリアとして、ここまで名が響き渡っていますよ。あなたの七星剣で、戦士達の剣が刃こぼれしたおかげで、私達も随分粗儲け……いえ、稼がせて……いえいえ、……お世話になってましたから。」
首を傾げるようにして、穏やかに微笑む青い小人であったが──その微笑とは逆に、口から語られるセリフは、十分に最近の生活模様を意識させられるものであった。
「そう、か──……。」
そんな小人たちに、白雪姫は少し迷うように視線を彷徨わせる。
彼らに頼めば、この森を抜けることは可能だろう。
だがしかし、これほど自分の名が知れ渡っているのならば──どこへ行っても、あの継母に自分が生きていることを知られてしまう。
もしそうなれば、あの猟師はバツとして殺されるだろうし、この自分の身も……。
「………………白雪姫。私の名はムースと申します。」
「──……っ!? 小人どの?」
戸惑いに揺れる眼差しを向ける白雪姫に、悠然と微笑んだ小人は、うやうやしく一礼をしてみせた。
「もしよろしければ、この小さな小屋でほとぼりが冷めるまでお暮らしになってはどうでしょう?
ちょうど私達も、この森に住むケダモノから小屋を守るための留守番が欲しいと思っていたトコロなのですよ。」
「おっ、そうだなー。確かにそれが烈火のバレリアなら、もったいないほどありがたい留守番役だなっ!
俺はミースってんだ、よろしくな! で、コッチのちっこいのがマース。」
兄貴分の言葉に、緑の小人が隣の青い小人を指し示す。
その言葉に、青い小人──マースと紹介された小人が、眦を吊り上げる。
「ミース兄貴! ちっこいのって何ですか! それを言うなら、兄貴たちだってちっこいじゃないですか!!」
「うっせぇ。お前ほど小人腹じゃねぇよ。」
嫌味たらしく、ぽんぽん、とミースが自分の腹の辺りを叩く。
そんな彼らに、ヤレヤレ、とムースが溜息を零して、二人の頭を交互に叩いて見せた。
「ほら、お前らは早く薪を割れ。白雪姫には、これから家事を手伝ってもらおう。──よろしいかな?」
白雪姫の返事を待たず、サクサクと決めてくれるムースに、白雪姫は驚いたように目を瞬いたが──すぐに苦い笑みを刻んで頷いて見せた。
「ああ、手伝おう。────だが、その前に、一つ聞いても良いか?」
「んだよ? 料理の仕方がわかんねぇとか言うなら、あんたが薪を切ってくれよ?」
マースの頭をポンポンと叩いていたミースが振り返り、そう軽口を叩く。
白雪姫は、そんな三人の小人を見やって──目覚めたときから抱いていた疑問を、微妙な微笑を浮かべて、尋ねて見せた。
「…………………………どうしてお前たち、みんな小さいんだ?」
──彼ら3人の背丈は、ピクシーに小人化されてしまったかのように、小さかった。
「さて、『最後の最後まで小人になるのなんて冗談じゃないと強固に反対した元鍛冶屋の、今は軍主様のお怒りを受けて呪いの小人化されてしまった3人の追いはぎ小人たち』と、白雪姫は、共同生活をすることになりました。
3人の小人たちがお仕事に出ている間、白雪姫は小屋で破壊活動──もとい、洗濯や掃除をして過ごしていました。
それは、イツまでも続く恐怖の生活──いやいや、平穏な生活でしたが、その平和も、長くは続かないのでした。」
愛する娘を失ったパンヌ・ヤクタ城の王の嘆きは強く、鎧に包まれたたくましい体も、みるみる痩せ細っていくばかりだった。
おかげで、近隣諸国に響き渡るほどの筋肉を誇っていたクワンダ・ロスマンは、まったく魅力のない男になってしまっている。
重々しいフルアーマーを支えることも出来ず、最近ではベッドから起き上がることもできなかった。
そこで仕方なく、窓際のベッドから、そ、と表を見つめては、
「あの木の葉が落ちれば、私は死んでしまうだろう……。」
と呟いては、側仕えの人間達を嘆き悲しませているらしい。
夫がそんな状況である中──この城の王妃であり、白雪姫を城から追い出した張本人である女(?)はと言うと、久し振りの屋上を満喫していた。
清清しい風の吹く中、堂々と置かれている鏡の前に立つ。
白雪姫が行方不明になってからというもの、彼女を探し出すという隊を派遣したり、足取りを追ったりする王様に従っていたため、なかなか自分の時間が持てなかった。そのため、この屋上に来るのは本当に久し振りであった。
しばらく放っておいたというのに、磨き上げられたばかりのように見える美しい鏡面の前に立ち、王妃は何度かポージングを決めてみる。
「うむ──やはり、心に引っかかっていたことが片付くと、ポーズにも磨きがかかるな。」
納得したように頷いている王妃は、そのまま顎に手を当てると、満足げな微笑を浮かべて、鏡に向かい合った。
そこに映っている自分の顔を認めると同時、
「──では。」
こほん、と一つ咳払いして、恥ずかしそうに眼を揺らした後、
「鏡よ鏡よ鏡さんっ! この世で一番筋肉なのは、誰だぁぁぁーっ!!?」
おそらく、真顔で言ったら恥ずかしいことこの上ないセリフを、両腕を広げて叫んで見せた。
その言葉に応じるように、鏡の上に、ぽとん、と波紋が一つ落ちる。
それは見る見る内に鏡の表面に広がっていき、やがて埋め尽くした波紋の中から、白い人影が浮き上がった。
『おやおや──残念だねぇ……クワンダは、あんなにやつれてしまったのかい。
さすがは、神医リュウカンの下剤だけあるよ。』
鏡の中から現れたのは、この魔法の鏡の精──美しい魔女の姿であった。
シャラリ、と頬に掛かる髪を払いながら、彼女は切れ長の目を王妃に向けた。
『……まったく、筋肉を維持するための努力と警戒心は、常に怠るべからず、というところだねぇ。』
言いながら、鏡の精が上から下までジロリと王妃の体を見やる。
その視線のしつこさに、ゾクリと王妃は体を震わせた。
『だが、残念だ。
それでもあんたは、この国で一番の筋肉にすらなれない。』
ペロリ、と──紅の舌で唇を舐め上げて微笑む鏡の精に、何、と王妃は目を見開いた。
「それはどういうことだっ!? 一体、誰が国一番の筋肉だと言うんだっ!?」
がしっ、と、鏡の枠を掴み、ギラギラと光る目で睨みつけてくる王妃に、鏡の精は顎に手の甲を寄せて、ほほほほほ、と高らかに笑って見せた。
『そんなのは、決まってるじゃないか!
ドワーフの山道の中間にある森で、小人たちと暮らしている、白雪姫さっ!』
「な……なんだとぉ……っ!!?」
眼を見開く王妃に、鏡の精は親切にも小屋で薪割りをしている白雪姫の映像を見せてやった。
鏡の精と入れ替わりに映し出された映像には、片手で薪を割るという、ひどく男らしい白雪姫の姿が映し出されていた。
彼女が斧を持った手をあげるたびに、二の腕に盛り上がる筋肉が──また素晴らしく艶やかで、隙一つないことを、王妃は嫌でもその目に焼き付けさせられたのである。
「こうして王妃は、殺したはずの白雪姫の命を再び狙うことにしました。
幸いにして、根性悪の鏡の精のおかげで、白雪姫の居場所はわかっていました。
また、この間使った部下思いの根性なしを再び使おうにも、彼は彼で自分の失態がばれる前にさっさとトンズらしておりました。
なので仕方なしに──ここは自分の手で下すしか……っ、と、王妃は変装をして、白雪姫の居る小屋へと向かったのでありました。」
森の中に朝日の光が滲み始めるころ、小人たちは起きだし仕事に出かける。
それを見送り、留守を預かる白雪姫は、適当に掃除をして、薪を割り、狩りをして、空いた時間で庭で剣の訓練をする。
いつも出かけるときに、小人たちは不安そうに、
「いいかい、白雪姫? この辺りには、凶暴な獣が居るから、留守中は十分注意するんだよ。」
と言い置いていたが、ここで暮らすようになって一ヶ月近くになるが、それらしい獣を見ることはなかった。
そのため、白雪姫はすっかりそのセリフを、小人たちの心配性な口癖なのだと思い込んでしまっていた。
できれば用が無い時は、小屋の中に居たほうがいい、と小人たちは口をそろえて言うのだが、小人たちには丁度良い高さの小屋でも、白雪姫には手狭な空間。
とてもではないが、あの中で一日過ごしていたら、息苦しくてしょうがない。
結果、白雪姫は一日のほとんどを外で過ごしていた。
「さて、今日の夕飯は何にしよう?」
自慢の剣の手入れをしながら、今日も白雪姫は庭で考え事をしていた。
昨夜は、この辺りに迷い込んできたイノシシを仕留め、イノシシ鍋にした。
今日は、鳥を射落とすのもいいだろうし、ウサギか鹿を探しに行くのもいいだろう。
狩りは止めにして、木の実を摘むのもいい。
そうだ。近くを流れる川で、銛を使って魚を取るのも楽しそうだ。
長い間城の生活が長かった白雪姫であったが、どうやらこのサバイバルに近い生活は、非常に肌に合っているようだった。
城に居るときよりも生き生きとし、その健康美も筋肉美にも、磨きがかかる一方であった。
眼を輝かせて、夕飯の材料取りのことを考えていると、体もウキウキしてきて、自然と顔が綻んだ。
やはり、チマチマと家の中の掃除だの洗濯だのと「破壊活動」するよりは、断然その方が向いているのだ。
そんな、健康的な白雪姫を、コッソリと森の影から見守る姿があった。
怪しいローブに、大きな体躯──そう、パンヌ・ヤクタの王妃が変装した「老婆もどき」である。
「くっ……白雪姫め、本当に生きていたとは。」
鏡の精によって映像は見せられていたが、こうして実際に見せられると、気分も盛り上がりも違った。
老婆は、片手に持った籠の中のものを、チラリと確かめた。
そこには、美しい組紐と、細工の綺麗な櫛が入っていた。
魔女としての惜しみない知能の限りを詰め込んだ、毒の櫛と紐である。
この二つを組み合わせれば、どれほどの筋肉であったとしても、アッサリポックリと逝ってしまうという、恐ろしい代物である。
「よし。」
老婆が、ゴクンと喉を上下させて、いざ踏み込もうとしたときであった。
「──……そこに居るのは、誰だっ!?」
鋭い一声が、老婆の心臓を射抜く。
びくり、と肩を震わせると同時、老婆は気付いたら戦闘態勢を取っていた。
ざっ、と足を開いて、拳を前に突き出す。
深いフードを被ったまま、ファイティングポーズをとる巨大な成りの人間に、白雪姫は柄にかけた手に力を込め──慎重に相手を見極める。
「……格闘家……? …………いや、行商人か?」
姿形は格闘家にしか見えない。
しかし、裾を引くローブと言い、前が見えないほどに目深に被ったフードと言い……戦いに向いている服装ではなかった。
困惑した様子を口調に滲ませる白雪姫の言葉を聞いて、よしこれだ、と老婆は体制を整えると、
「おお、私は行商人だ。」
そう、うそ臭く名乗りをあげてみせた。
「……………………。」
案の定、帰ってきたのはうそ臭いと訴える眼であった。
しかし、これで負けていては、格闘家としての名が廃る。
老婆は、そのままスタスタと前に進み出ると、ずずい、と白雪姫の前に立ち、威圧感たっぷりに彼女を見下ろす。
白雪姫も白雪姫で、そのまま目つきも鋭く老婆を睨み上げ、腰を落とし、いつでも臨戦に挑める準備に入る。
一瞬老婆の頭の中に、このまま一触即発!? 戦って筋肉王の名を奪い取れ! という言葉が浮かんできたが、なんとかそれを飲み込み、
「実は、あなたのようなお嬢さんのために、紐と櫛とを販売している、行商人なのですよ。」
棒読みのように言葉を紡いで、イソイソと籠の中からカラフルな紐と、綺麗な櫛を取り出す。
いぶかしげに──言うなれば、警戒心も露にそんな老婆を見ていた白雪姫であったが、老婆が取り出した物に、ふと眼を奪われた。
それは、この小人の家にきて以来、一度も眼にかかったことのないものであった。
いくら筋肉王であるとは言え、白雪姫も娘──年頃の娘で、髪も豊かに波打つとなれば、髪のお手入れをするものが欲しくなるのは当然であった。
にも関わらず、小人達は男ばかりで、そのような物は一つも置いていなかった。あるのは、髭の手入れセット──ムース専用──だけである。
そんなもので、ムダ毛の手入れはできても、髪の手入れはできなかった。
見事な装飾の櫛と、鮮やかな紐を見て、ごくん、と白雪姫は喉を鳴らした。
そして、老婆はそれを見た瞬間──よし、と内心でほくそえんだのであった。
「さぁ、どうだ? まだ他にもたくさんあるぞ。」
言いながら、老婆は次々に籠の中から娘の目を奪う美しい紐を取り出していく。
白雪姫はそれを見ながら、軽く眉を寄せて自分の髪を一房つかみとる。
縛るものがない髪は、朝起きたらいつも絡まっていて、手櫛だけでは綺麗にならないものだ。
もちろん、狩りの時だって、よく枝や草に引っかかってしまうから、この丁度良い長さの紐があれば、すごく助かるだろう。
ソレを言えば、薪割りの時に髪を結べば、首に髪がべっとりと張り付くこともない。
「…………だが…………。」
しかし、白雪姫はその誘惑に乗ることができなかった。
「どうされた? 今なら、格安でお分けしますが?」
さぁ、と目の前に差し出される櫛と紐とを見比べて、彼女はガックリとかぶりを振る。
「私は、この家の居候なので……持ち合わせがないのだ。」
本当に残念そうに肩を落とした白雪姫に──老婆は、一瞬強く目を閉じた後、
「…………それでは、美しいお嬢さんのために、一つ、プレゼントさせていただくとしよう。」
ぽん、と、老婆にしてはごつい片手で、彼女の肩を叩いたのであった。
その腕に、鳥肌が立っているように見えたのは、きっと気のせいであろう。
「そうして、老婆は白雪姫の髪を梳いて上げましょうと親切に言ってのけ、毒の櫛でサックリと彼女の皮膚を引っ掻き、さらに毒の紐で素早く白雪姫の首を締めてしまいました。
あっというまに白雪姫は力を無くし、その場に昏倒してしまいます。
それを見届けた老婆は、不用意にも本当に死んだかどうかの確認もせずに、さっさとその場を後にしてしまったのでした。
──あーあ、証拠品と指紋をふき取って、足跡も消しておかなきゃ、すぐにばれちゃうじゃないか。」
「はいほー、はいほー、仕事が好き〜♪」
どこぞの小人さんよろしく、そう軽やかな歌を歌いながらハンマーを肩に担いでいるのは、青色の小人──マースである。
彼は、今日も上機嫌で帰路へとついていた。
パンヌ・ヤクタのお姫様が行方不明になったおかげで、剣を鍛えなおそうという旅人がめっきり減ってしまったのはとても残念であったが、その代わりに、今度は「この山道に腕の良い鍛冶師がいる」という噂を便りにやってくるお客さんが増えたのだ。
その上、この森に出るという恐ろしい化け物の噂──あれの件についても、ほとんど解決している。
何せ、今の自分達の家には、ここまでその名が響き渡った「烈火のバレリア」の異名を持つ剣の使い手、白雪姫が居るのだから!
「おーおー、そんなに浮かれちまって。
そんなに家で女が待ってるのが嬉しいのかねぇ?」
あきれたように呟くミースに、マースは顔をかすかに赤らめて振り返る。
「誰もそんなこと、言ってません!」
「顔が言ってるって言ってんだろ。」
楽しそうにお互いを小突くようにして歩いていく弟分たちに、ムースは感慨深そうに眼を細めた。
「まぁ、何にしろ、白雪姫がうちにやってきてから、家が明るくなったな。
やはり、一家に一人、女性は必要だと言うことか。」
「はいはい! ムース兄! それはセクハラ発言だと思いまーっす!」
びし、と、すかさず片手を挙げて宣言するマース。
続いてミースも、
「そうそ。んなこと口にしてたら、うちの怖〜い女性陣から、つるし上げくらうぞ。──つぅか、オヤジくさいと思いまーっす!」
軽口を叩きながら、最後一節だけ、マースの口真似をして片手をあげてみせた。
そんなミースに、マースがキリリと眼を吊り上げて、唇をへの字に曲げる。
「兄貴! いっつも言ってますけど〜!」
「いつも言うならきかねぇぜ。」
「〜〜くっ、口が減らない〜っ!」
弟弟子の中でも、年の近い若い二人は、いつもこうして兄弟や友人のようにじゃれあっている。──正しくは、一方的にミースがからかって遊んでやっている。
師匠が引退を決意して、それぞれ皆が自らの腕を上げるために各地へと旅立ってからは、一度も眼にしなかった光景だ。
なんとなく懐かしい気持ちで、ムースは二人を微笑ましく見守る。
思い起こすのは、マースが師匠の元へ弟子入りしたばかりの頃だ。その頃にはすでにムースもモースも自分の鍛冶場を持っていて、まだミースがメースの元に居たのだった。
時折顔を覗かせると、マースが一人で拗ねて薪を割っていることが多かった。
けれど、ミースもなんだかんだ言いながら、そんなマースに付き合って、口が悪いながらも、あのくせがダメだの、あそこはこうしたほうがいいだの、兄弟子ぶって色々と言ってやっていたものだった。
そんなマースも、一人前になったというかなんというか、立派にミースに噛み付けるようになっている。
──ある意味、成長であった。
「そういうことを言うなら、もう言わないけど、態度で締めさせてもらいますからね!」
「へーぇ? 例えば?」
ニヤニヤと、ミースは余裕たっぷりにマースに聞き返す。
そんな相手に、マースは表情も変えずにキッパリと言い切った。
「白雪姫さんにつげ口します。」
「────…………あ?」
「ミース兄貴が、『怖い女性陣』って言ってたってこと。」
少しの沈黙があった。
そして、
「それじゃ、そーゆーことで!」
しゅたっ、と、片手を挙げたかと思うや否や、マースはダッシュで小屋に向かって走り始めた。
ミースが、マースの言った言葉の意味を理解するよりも先に、小屋にたどり着いて、薪を割っているだろう白雪姫に「つげ口」するために。
それは同時に、ミースの身の危険を示していた。
「────…………って、こらぁぁぁーっ! マース! お前、そういうのはズルイだろぉがっ! つぅか、ナシだ、ナシ!」
はた、と我に返ったミースが、慌てたように走り出すのは当然といえば当然であり、スッカリ通いなれてしまった感のある茂みを飛び越え、スタコラと走り去っていくマースの背中を、必死に追いかける。
「聞けませ〜〜んっ!!」
遠ざかっていくマースの返事が、ガサガサと大きく揺れる茂みの音によって、掻き消されていく。
そんな音を、ミースが掻き分ける草の音が追った。
「てめっ、止めろっ、このヤロっ!」
ミースの声も、あきれた顔のムースを置き去りにして、どんどんと遠くなっていく。
そんな若い二人の背中が、ムースの視界から消えるまで、そう時間はかからなかった。
「………………。」
アレで、将来有望な鍛冶師だと言うのだから、世間は分からない。
小さく溜息を零して、ムースは背中に背負った商売道具を担ぎなおす。
そして、片手に持っていたハンマーで、目の前の茂みを掻き分けた──まさにその瞬間。
「ぅわぁぁぁぁーっ!? しっ、白雪姫ーっ!!!!???」
遠く小さく──けれど、確かに空気を震わせるような絶望の色を滲ませたマースの声が、聞こえた。
慌ててムースも、先ほど走っていったミースとマース同様、茂みを払いのけるような勢いで先を急ぐ。
足を何度か取られそうになりながら、たどり着いた場所──家の前の広場には、先に到着していたマースとミースが、地面に膝をついて顔をゆがめていた。
その二人の間には、まさかと思える事態が広がっていた。
「……!」
ばったりと、うつぶせに倒れた女性──見た目には外傷はないようだが、何もない状態で彼女がそんな無用心な格好で倒れているはずはない。
頭を掠めたのは、先日新聞で見たばかりの、「化け物犬」のことだった。
もし自分たちの留守中にそのような化け物が来たのなら──、これほど綺麗な状態を保っているはずはない。
「意識はあるのか?」
白雪姫の側に屈みこんでいるミースに向かって尋ねると、彼は緩く被りを振った。
「鼓動も息も微かにある──痺れ薬の類だとは思うぜ……。」
ミースが、詳しくは分からねぇ、と頭を振るのに、ムースはそうか、と短く答える。
「毒、ですか?」
マースが、青白い顔色の白雪姫を心配そうに見下ろす。
残念ながら毒消しも、水の紋章も身に付けていない自分たちには、何も出来ない。
「──だな。一体誰にやられたんだか……。」
と呟くものの、この森にもモンスターは生息しているわけだから、何が起きても不思議はない。
ただここで疑問が起きるならば、烈火のバレリアともあろうものが、という、ただその1点だけである。
「ドッチにしても、このままにはしておけねえだろ? とりあえず中に運ぼうぜ。
おい、マース。お前頭と足と、どっち持つ?」
厳しい顔つきで、ミースがマースに声をかける。
ムースはそれに頷き、家の中で準備をしてくると言い置いて、先にたって歩き出す。
「じゃ、頭をもちます…………? って、あれ??」
慌てたように立ち上がり、白雪姫の頭の方に回ったマースは、ふとおかしなことに気付いて首を傾げた。
そしてそのまま白雪姫の傍らにしゃがみ直す。
「おい、マース!」
なぜ白雪姫にこのような事態が起きているのか分からない以上は、一刻を争う。
にも関わらず、ゆっくりそんなことをしているマースに、ミースは苛立った声をあげる。
マースは、ミースの声を右から左に素通りさせると、白雪姫の乱れた髪と項をマジマジと見つめた。
そこには、美しい櫛が刺さっていて、首には鮮やかな飾り紐が巻きつけられている。
白雪姫の白魚のような手は、その飾り紐を微かに掴み、そこでパタリと力尽きて落ちていた。
「? バレリアさんって、こんなものを使ってたっけ?」
首を傾げて思い出そうとするが、女性をそんなにマジマジ見つめるのは失礼だと思っていたから、記憶にはあまりない。
櫛は飾り細工がされていたから、バレッタか何かのようにも見えたが──マースは首を傾げながら、それに手を当てる。
すると、それはあっけなくマースの手の上に落ちてきた。
「………………?」
さらに眼を移した先で、不恰好に首に巻きついている飾り紐が見えた。
マースは片手で櫛を持ち、もう片手でその紐を引っ張った。
髪が絡まっていて、このまま持ち上げたら首をつりそうだと思ったためである。
が、その紐は、アッサリと白雪姫の首から解け落ちた。
「────…………??」
マースが、不思議そうにその飾り紐を手にしようとした瞬間であった。
ぴくり、と、白雪姫の指先が震えた。
「──……っほっ……げほっ……っ!」
とたん、白雪姫の喉が揺れて、彼女は唐突に弱弱しい咳を零す。
「──! バレリアっ!?」
驚いたようにミースが彼女の顔の側にしゃがみこむ。
その少しの間に、バレリアは背中を震わせて、掌を喉に当てた。
「……ふぅ………うっ……ごほっ、っほっ……。」
つらそうに眉を寄せるその様子に、ミースは遠慮なく彼女の背中を叩いてやる。
「おいっ、しっかりしろっ! 傷は浅いぞっ!」
「外傷はないんですってば、兄貴!」
つらそうに何度か咳き込むバレリアの手を握って、マースは自分がとった櫛と紐を見つめた。
櫛の先が、微かに腐食している──どうやら、これに毒が塗られていたらしい。
それを認めて、マースとミースは無言で視線を交わした。
「水を持ってきたぞっ!」
家の中から駆け戻ってきたムースが、喉を震わせる白雪姫にコップを傾けてやる。
ゴクゴクと水を何度か飲み下すと、白雪姫も落ち着いたようであった。
いまだクタリと体に力は入っていないようであったが、呼吸は安定し、うっすらとその眼を開くほどに回復した。
ムースは、ミースとマースに白雪姫を家の中に運ぶように告げて──自らは、残された紐と櫛を……おそらくは凶器となったものを手にして、唇を真一文字に引いた。
「──痺れ薬と、神経毒か……。」
どうやら、白雪姫の身を襲おうとしているものがいるらしい。
烈火のバレリアと恐れられたパンヌ・ヤクタの姫は、非常に残念なことながら、そういうことに縁がある娘であった。
例えるなら、将軍の地位を貰っているくせに、一騎打ちで白雪姫に負けてしまった人などから恨みを買ったりとか。
これは、今まで以上に気をつけねばならない。
そう、ムースは思うのであった。
「だから、凶器は始末しとけって忠言してやったのに……まったく、サスペンスドラマでもやらないよ、そんな失態。
──ということで、つめの甘い王妃様のおかげで、白雪姫暗殺計画は失敗に終わってしまったのでした。
そんなこととは露しらず、上機嫌に城に戻った王妃様は、またもや屋上にて『本日の日課』を行うのです。」
バサバサバサ──まるで不吉な予感を絵に表したかのようなお天気の下、王妃は見事なまでのピチピチの服を着て、マッスルポーズを決めた。
背景効果も相成ってか、いつも以上の素晴らしい出来になったような気がして、王妃は非常に満足であった。
よし、と、最後のきめポーズを鏡の前で決めた後、王妃は一瞬だけ逡巡して──今日もまた、恥ずかしいセリフを吐く。
「鏡よ鏡よ鏡さん! 世界で一番筋肉なのは、誰!?」
さすがに3度目ともなると、そのセリフにも力が入り、期待も込められていた。
見る見る内に鏡の中に姿を表した鏡の精を見る目にも、期待が満ち溢れるというものであった。
だがしかし、鏡の中にあらわれた美しい魔女の表情は、芳しくなかった。
『……やれやれ。いつ見ても同じ筋肉っていうのも、飽きるもんだねぇ……。』
勝手なことを言う魔女である。
だがしかし、そんなことに構ってはいられない。
王妃は、
「今度こそ、俺が一番だと言うんだろうな?」
そう、鏡の精に詰め寄る。
けれど、至極あっさりと鏡の精は、
『バカだねぇ? 何を言うのかと思ったら!
この国で一番美しい筋肉は、ドワーフの山道の間の森に住む、白雪姫だって言ってるだろう?』
王妃の期待を、あっさりと打ち砕いてくれた。
「なっ、何ぃっ!? だがしかし、確かに白雪姫は……っ!!」
拳を硬く握る王妃が、ついウッカリ自分のした罪を告白しようとした。
けれどそれよりも先に、鏡の精はウンザリしたような表情を浮かべて、
『ほら、見てごらん? 今日も白雪姫は、元気に薪を割って、新たな筋肉の発達に心がけているよ?
あんたもねぇ、同じ筋肉ばかりを鍛えてないで、普段使ってない筋肉も鍛えてごらんよ? そうすれば、筋肉マスターの夢くらいは手に入るかもしれないよ?』
ひらりん、と手を振ったかと思うと、鏡一面に、今現実に起きている光景を映し出してやった。
そこに映るのは、紛れも無く片手で薪割りをしている白雪姫の姿であった。
首筋に、多少痛々しい赤い紐跡が残っているものの、健康体そのものの娘の様子に、王妃は愕然とする。
その光景に眼を奪われすぎたため、王妃は鏡の精の、世にも珍しい筋肉へのススメ講座を聞き逃してしまった。
「そんな……ばかな…………確かに俺は………………。」
しかし、鏡に映る白雪姫が、元気に薪を割っている姿は本当だ。
キリリと唇を噛み締めた王妃は、再び白雪姫の下へ行くことを決意したのであった。
「こうして、王妃は再び老婆に化けて、毒リンゴを用意しました。
今度の一物は素晴らしい品物です。直撃ノックダウン! すぐ効く即効性で、食べたその場でコロリ。虫に厳しく人にやさしい、直撃&残効性! 白雪姫の命は、まさに風前の灯火! その悲劇の瞬間への問題は、いかにしてこの毒リンゴを怪しまれずに白雪姫に食べさせるか──白雪姫の命は、王妃の演技力にかかっているのです!
って──────………………エイケイの演技力〜〜?」
怪しい魔法使いのローブを頭から目深に被ったリンゴ売りの老婆が、その小屋を訪ねてきたのは、小人たちが仕事に出て行った後──太陽が南中しようとしているときであった。
この間の事件以来、小人たちから小屋の外に出ることを禁じられていた白雪姫ではあったが、狭い小屋の中では訓練もまともに出来ないという理由から、小人たちが出かけてからコッソリと──正しくは、堂々と腰に帯刀して──小屋から出て、元気に素振りをしていた。
「ふぅ……そろそろ昼食時か……。」
一通りの朝の訓練を終えた白雪姫は、剣を鞘に収めながら、空を見上げた。
太陽は真上に近い場所に上り、そろそろ体も昼飯時を訴えていた。
だがしかし、困ったことに、
「……狩りに出てはいけないと言われているんだが──昼食はどうしたらいいんだ?」
小屋には、余分な食料など置いてはいなかった。
白雪姫が小屋の外に出ることを禁じられて以来、食事の調達は小人たちの役目になっていた。
ところがこの小人たち、体が小さいので一度に運んでこれる食料の量が決まっていた。
その量、およそ夕飯と朝食分。
「昨日までは、前に取ってきた分が残っていたからいいものの……今日はどうすればいいんだ? 木の根でもかじろと?」
眉を寄せて、どうせだからこの小屋の周辺に何か来ないだろうかと、そう辺りを見回した目が、木の影から現れた老婆で止まった。
「──……誰だ?」
この間のこともある──しっかりと腰を落として身構え、油断なく老婆を見据える。
キリリと目尻を吊り上げた白雪姫の前に、いやにガッシリした体躯の老婆は、偉そうに胸を張って堂々と答える。
「りんご売りのおばあさんだ。」
「………………………………………………………………………………。」
白雪姫は、その自称「りんご売りのおばあさん」を、信用できない眼つきで上から下まで眺めた。
目深に被ったフードは、どう考えても顔を隠そうとしている意図の元につけられているものにしか見えない。
さらに、たくましい体にぴッたりとしたローブの裾から覗く足も腕も、ただのりんご売りのおばあさんのものにしては、鍛えられすぎていた。
こんなリンゴ売りのおばあさんを信用できるほど、白雪姫は世間知らずではなかった。
一応たくましい腕からは、体の大きさに比べると小さすぎるようにしか見えない籠が下げられていて、真っ赤に熟れたリンゴが入っていたが、だからといって本当にリンゴ売りのおばあさんだという可能性はないのである。
特に今は、この間の紐と櫛売りのおばあさんの件もある。どうして自分が狙われているのかはわからなかったが、用心するに越したことはなかった。
白雪姫はそう判断すると、おばあさんに向かって片手を挙げて、
「間に合ってます。」
そうきっぱり言い切ると、スタスタと小屋に向けて歩き出した。
「いや、待てっ! こ、このリンゴは、とても美容にいいんだ! ぜひ一個どうだっ!?」
慌てたように走り寄ってくるおばあさんに、白雪姫はすかさず体を向かい合わせて対峙する。
できればこのまま小屋の中に走りこんでしまいたいところであったが、相手は格闘家のりんご売りのおばあさんだったから、近くまで寄られて背中を見せているのは不利である。
「いや、すまないが、怪しい物は食べないようにしているんだ。私のモットーは、自給自足なのでな。」
だいぶ失礼なことを口にしながらも、おばあさんが片手で掲げてみせるリンゴの艶やかさに、ごくん、と喉が鳴る。
今先ほど、今日の昼食は何にしようかと悩んだばかりであった。
しかもその上、小屋の中には食料が何も無い。
相手が信用できる相手なら、リンゴを譲ってもらいたいところなのは、白雪姫の本音だ。
しかし、どう見ても怪しい相手から、リンゴを貰うのは、自殺行為だ。いくらおなかがすいていても、やるはずがない。。
キッパリと言い切る白雪姫に、おばあさんも負けてはいられない。
「このリンゴは、本当に美味いんだ! だから、ぜひこの老婆を助けると思って、一個!」
「セリフに脈絡がないぞ、おばあさん。」
びし、と突っ込んだ白雪姫のセリフも耳に入らない切羽詰まった様子で、老婆は更に言葉重ねる。
「何よりも、リンゴはダイエットにも良いというだろう! ここはぜひ、このリンゴを食べて、ダイエットをして、ぜひその筋肉を落としてくれ!」
籠の中からツヤツヤと光るリンゴを取り出し、それをバシリと突きつける。
最後のセリフ辺りに、老婆の本音が零れていたようであったが、白雪姫の耳にその部分は入ってはいなかった。
彼女はそれよりも何よりも、
「り、リンゴダイエット?」
その、聞きなれないセリフに心を奪われていた。
──この場におませな少女達が居たならば、「リンゴダイエットなんて古いよね〜。今は薬ダイエットだよー。」とか突っ込んでいたかもしれないが、強くなることや戦闘ばかりに心を奪われ続けていた白雪姫は、そうではなかった。
そういえば、この小屋に着てからというもの、毎日毎日薪割りばかりしているから、スッカリ筋肉が──ついては、筋肉増量による体重の増量が……気にならないといえば、嘘になる。
「………………。」
白雪姫の心が揺れたのが、目に見えてわかった。
ここぞとばかりに老婆は、ぐぐ、と身を乗り出す。
「そうだ、リンゴでダイエットだ! 毎食リンゴだけを食べ続ければ、栄養素も取れるし、水分も取れるし、言うことなしの体に優しいダイエットだ!」
一気に白雪姫を落とそうと、そう勢い込んでいっては見たものの、
「………………毎食、リンゴ……………………。」
どうやら、そのことが白雪姫の「進まない気持ち」に拍車をかけたようであった。
見る見るうちに白雪姫の心はクールダウンしていく。
「すまないが、ダイエットは間に合っている。」
キッパリそう告げると、再び彼女は小屋の中へと帰って行こうとした。
そんな白雪姫に、更に老婆が足を踏み出した……まさにその瞬間。
がんっ!!
清清しいばかりの美しい空から舞い降りてきた金だらいが、老婆の頭の上に豪快な音を立てて落ちた。
「……が……はぁっ。」
思い切りよく頭頂で金だらいを受けた老婆は、そのまま顎をそらせたかと思うや否や、眼を大きく見開き──白目を剥いて、ぱったりと背中から倒れてしまう。
「────…………え、え、え?? な、何のコントだ、これはっ!?」
あまりといえばあまりの光景に、白雪姫はただただ唖然とするばかりであった。
倒れた老婆の体が、一二度バウンドして、手にかけられていた籠からリンゴがコロコロと転がり落ちる。
それを呆然と見守り──白雪姫は、金だらいが降って来た空を見上げた。
しかし、そこには何も無い。涼しげに木々の葉が揺れるばかりで、その隙間から青い空が見え隠れしているだけだ。
その、何も変哲の無い場所から「物」を降らせる人と言えば、二人か三人ばかりしか思い浮かびはしなかったが──、事実、解放軍内では、時折「頭上注意報」というのが発令されることがある。主におっちょこちょいなテレポート者ではなく、暇つぶしに毒舌魔法使いが行うことが多い。
「タライの中に、洗濯物と水が入っていたときよりはマシだと思うが……。」
顔をゆがめて見下ろした先で、老婆が仰向けに倒れている。
「おい、エイケイ!? 無事かっ!?」
ピクピクと指先が痙攣しているのを認めて、白雪姫はその場に立ち尽くしたまま問い掛けるが、答えは返ってこない。
さてどうしようかと、白雪姫が眉を寄せた瞬間であった。
「………………っ。」
びくんっ、と、老婆の体が変な形で跳ねた。
「……っ!!?」
とっさにその場から飛び退り、地面に片膝をつきながら剣の柄に手を当てる。
そのままいつでも抜刀できる体勢で、目つきも鋭く老婆の姿を追う。
そんな彼女の目の前で、グゥラリ……と、老婆の体が持ち上がる。
足は伸ばされたまま、腕はダラリと地面に向かって落ち……まるで紐か何かで体を引っ張られるように、その体が持ち上げられる。
白雪姫は、その異様な光景に、疑うことなく近くの木の上を見た。
「──……誰が引っ張ってるんだ?」
不思議なことに、無理矢理起き上がった老婆の眼は白眼を剥いたままで、口は大きく開いたままであった。
どう見ても気絶しているようにしか見えない老婆の体は、まるで後ろから黒子さんに支えられているかのような動きで、地面にフラフラと立つ。
落ちた籠とリンゴを拾う黒子さんが、その籠を老婆の腕にかけてやった。
それでも老婆は気絶しているような顔で、表情一つ変えずに立ったままであった。
「────…………そこまでして出番が欲しいのか、ガスパー?」
黒衣装に身を包んで、老婆の背中を支えている「黒子」さんへと、白雪姫があきれたように話し掛けると、その黒子さんは、しぃぃーっ、と唇の前に指を当てて、黙ってろと指図をする。
「違うぞっ! 俺は黒子ではなく、白雪姫が心配でたまらなくって、ついうっかり地上まで降りてきて様子を見にきた死んだお母さんだっ!!」
「…………その、娘が心配でウッカリ地上に降りてきた死んだお母さんが、娘を殺そうとしている継母の手伝いをするという劇なのか、これは?」
眼を据わらせて追求してみた白雪姫に、老婆に憑いている黒子は、今はそれどころではないのだと、再び老婆の背中に戻ると、
「とにかくだ、えーっと……白雪姫白雪姫、美味しい美味しいリンゴはいかがかい?」
自分の手で老婆の腕を動かせながら、そうセリフをしゃべった。
──どう見ても老婆がしゃべっているようには見えず、白雪姫の視線は益々冷たくなるばかりであった。
しかし、黒子は幸いにして、老婆の体に隠れて白雪姫の冷ややかな目を見ることはなかった。
白雪姫の様子に気付くことなく、片手に持った台本を音読していく。
「このリンゴは、そりゃもうほっぺが落ちるほど美味しいリンゴなんだよ。ほら見てごらん、この美しい色艶! ちょうど熟れ頃で、甘くて美味しいリンゴだよ?」
そんな、朗読されても食欲をそそることもないようなセリフを、堂々と音読されても、食指が動くはずもなかった。
白雪姫は、はぁぁ、と溜息を零すと、ゆっくりとかぶりを振り、立ち上がった。
そして、抜きかけた剣をカチャリと鞘の中に戻すと、何事もなかったかのようにスタスタと、小屋の中へと戻っていこうとした。
──が、しかし。
「待てっ! 待ってくれ、白雪姫っ! 俺に、俺に最後のチャンスをーっ!!」
片手で必死に老婆を支えながら叫ぶ黒子が、あんまりにも哀れな声を出すので──渋々白雪姫は足を止めた。
そんな彼女目掛けて、白雪姫を心配してきて、天上から降りてきたらしい母親は叫んだ。
「今小屋の中へ入っても、何も食べるものが無いんだろうっ!?」
「……うっ…………だ、だが、私は地面に落ちたリンゴを食べる気はないぞ。」
思わず痛いところを突かれて、ちょっと口ごもってしまった白雪姫であったが、それでも老婆の籠の中に入っているリンゴが、地面に落ちたものだと思えば、そうキッパリと突っぱねることが出来た。
「一食抜くくらい大丈夫だとか思うかもしれないが、普段キッチリ食べている人が一食抜くと、その分体に負担がかかって、さっき食べた食べ物を少しでも保存しておこうとする機能が働いて、余計に太るって話を聞いたぜ、俺はっ!」
「────…………っっ、な、ナニが、言いたい……っ!」
ぎゅむっ、と、思わず白雪姫が剣の柄に手を当ててしまったのも仕方が無い。
しかし、その光景を黒子に扮した相手はまるで気付きはしなかった。
「筋肉がつくならまだしも、脂肪が増えたらたまんねぇだろ!? だから、さっさと昼飯代わりにこのリンゴを食えっ!!」
がしっ、と、籠の中からリンゴを掴んで差し出した黒子に────白雪姫は、ユゥラリと上半身を揺らした。
シャラリ、と零れ落ちる髪を頬に垂らしたまま、薄い笑みを口元に浮かべる。
そして、
「…………言いたいことはそれだけか……ガスパー……?」
据わらせた目を、髪の合間から覗かせ、ヒタリ、と老婆を睨み付ける。
その、暗雲垂れ込める光景に、思わず老婆はズサッ、と後ず去った。
「ちょ、ちょっと待てっ、ここであんたがリンゴを食べなくちゃ、話は進まないだろうがっ!」
「──それが、どうした?」
微笑を深くして、白雪姫が小首を傾げる。
その笑っていない目にぶつかり、ひぃぃぃっ、と、黒子が必死で老婆の体を盾に押し出した。
まさにその刹那、
「ってコラコラコラ! ナレーション権利でも、どうしようも出来ないくらいに、どーしてそうも話をややこしくするんだよ……っ。
…………ちっ、使えないヤツラだな。こんなことなら、最初から、王妃に頼まれて老婆に扮してリンゴを売りに行く少年って言う役をすりゃ良かったよ。
まったく、めんどくさい。」
そんな、至極面倒くさそうな呟きが天上から落ちてきたかと思うや否や、ズサササッ、と、近くの木が大きく揺れた。
はっ、と、白雪姫が顔を上げた目の前を、ザッ、と、影が横切る。
「──誰だっ!?」
また新しい黒子出現かと、剣の柄を握る手に力を込めた白雪姫の目の前に降り立ったのは──老婆と同じように目深にローブを被る、小柄な人影であった。
木々の上から舞い降りてきたらしいその人影は、難なく着地を決めると、露になっている口元に微笑を刻んで見せた。
「こんにちは、お嬢さん? 僕はリンゴ売りをしているものです。」
涼しげな声が打てば響くように辺りに広がった。
しかし、涼しげな微笑と声とは対照的に、黒いローブを全身に纏った姿は、森の中にあって酷く浮いていた。
「……うさんくさ…………。」
小さく呟いた老婆を支えている黒子を一瞬で蹴り倒すと、新たに現れたリンゴ売りの少年は、その場にドサリと倒れていく黒子と老婆の側に屈みこむ。
そして、老婆の腕にかけられている籠とリンゴを手にすると、それを残念そうに見下ろして、ヤレヤレと首を振って見せた。
「申し訳ありません、お嬢さん? どうやらこのおばあさんは、あなたにとても迷惑なセールスをしたみたいですね?」
一つも減っていないリンゴを確認して、溜息を零してみせる少年に、白雪姫は表情を緩めず真っ直ぐに彼を見つめる。
リンゴ売りというセールスをしているくせに、どうして顔を見せないのだろう──そんな怪しい風体で、リンゴを買ってくれと言われても、買うはずがないじゃないかと、思うのだけど。
「セールスに出す前に、しっかりと研修を受けさせているのですが、時々いるんですよ──お客様に迷惑をかけるようなセールスをしてしまう新人が。
本当に申し訳ありません。このことは、会社に戻ってから、しっかりと僕が再教育しますので、どうぞお許しくださいませ。」
「…………セールス? 研修? 会社っ!!?」
リンゴ売りにそんなものがあるのかと、目を見開く白雪姫に、ええ、と少年は深く頷く。
「この業界を舐めてはいけません。さまざまなニーズに答えるために、われわれはマニュアルを作成し、お客様のためのより良い接客を志しているのです。
どうやら、彼女の接客はマダマダだったようですね──どうしてもと言うので少し早いとは思いましたが、こうして実戦を行うことにオーケーを出してしまいました、私の判断ミスです。お客様を不愉快にさせてしまったことについては、本当に謝罪のしようがありません。」
すまなそうに眉を寄せて謝る少年の口から、そう辛そうに説明されて、白雪姫は少々頭が混乱した。
「こ、これは童話の……童話の世界の話じゃないのか? 接客? マニュアル? っていうか、上司っ!?」
口の中でブツブツ呟いた声が聞こえているのか聞こえていないのか、少年はまったくしょうがない、と言うように倒れている老婆と黒子を軽く蹴った。
「実際、リンゴも一個も売れていないようだし──向いていないようなので、採用は取り消しにするしかないだろうね……。」
ふぅ、と溜息を零す少年に、どことなく白雪姫は居心地の悪さを感じてしまう。
「いや、その──確かにしつこい勧誘ではあったが、どちらかというと、それは必死だったというか…………。」
思わずモゴモゴと弁護までしてしまおうとする白雪姫に、少年はニッコリと微笑みかける。
そして、籠の中から綺麗なリンゴを一個手にすると、それを一度日にすかして、自分のローブで表面を磨き上げると、
「そのように言っていただけるとは、このおばあさんも喜ぶことでしょう。
そんな優しいお嬢さんにご迷惑をかけたお詫びとして──うちの自慢のリンゴを一つ、いかがですか?」
そのまま自然な動作で、リンゴを差し出した。
磨かれたリンゴは、ツヤツヤと光沢を放ち、甘い香りを放っている。
それと同時、まるで誘い込まれるように、グゥゥ、とおなかが小さく音を立てた。
「──……っ。」
ひゅっ、と息を呑んで、白雪姫は白い頬に朱を走らせる。
少年は、そんな彼女に笑みを深くしてみせると、
「さぁどうぞ、ご遠慮なく。──このままあなたに何のお詫びもせずに帰ったとあっては、私が上司に怒られてしまいます。
せめて、当社の自慢のリンゴの味だけは知って欲しいと思うのです……優しいお嬢さん、私達に、今一度のチャンスをくださいませんか?」
邪気のない穏やかな声と微笑みで、さぁ、とリンゴを差し出す。
目の前に突きつけられたそのリンゴに、ゴクン、と喉が鳴った。
先ほど黒子に扮した男にも指摘されたことだが、確かに小屋の中に入っても食べるものはナニも無い。たかがリンゴ一個とは言え、空腹を紛らわせることは出来るだろう。
このままだと、空腹のあまり眩暈や吐き気すらおぼえるのは必須であったし、その時に自分を狙っているらしい人間に襲われたらと思うと、ここで少しでも空腹を紛らわせることは、正しいことのはずだ。
だが、相手が見知らぬ人間であることに代わりは無く──白雪姫の脳裏には、小人たちからしつこいほどに言われた、「知らない人から物を貰うなよ!」というセリフがグルグル回っていた。
剣の柄から手を放すこともせず、軽く眉を寄せてリンゴを凝視する白雪姫に、少年は穏やかに微笑みながら言葉を紡ぐ。
「どうされましたか、お嬢さん? 顔色が優れないようですが──あれ、少しお肌も荒れているようですね? 最近、まともな睡眠と食事は取っているのですか?」
このセリフが、老婆と黒子から発せられたのなら、余計なお世話だと白雪姫は一刀両断するところだ。
しかし、問い掛けた少年の言葉には、心配するような響きが宿っていて、思わずそれを正面から受け止めてしまった白雪姫は、思い当たることに顔をゆがめて見せた。
「──…………うっ。」
思い返せば、ここ数日の忙しさといえば、ゆっくり睡眠をとる暇もないほどのものであった。
手を頬に当ててみれば、思わず呼吸が止まるかと思った。
つい先日は感じなかったのに、今日は掌にザラリとした感触を感じるのだ──そう、頬に小さな吹き出物が出てきていた。
「女性は思春期を過ぎると、お肌の退化が始まるから、しっかり手入れをして睡眠を取らないと、すぐにお肌が荒れてしまいますよ?
果物を食べてビタミンを取るのも大事だけど、もちろん普段の手入れが物を言うからね──あ、ちょっと頬が炎症してるみたいですね。」
思わず少年の目から肌荒れを隠そうと、両手を頬に当てたままにしていたのだが、あっさりと相手はそれを見抜いてしまう。
「うっ……いや、確かにそういえば、この小屋には鏡なんていうものが無いから、顔は見なかったような覚えが……っ。」
すりすり、と頬をさすり、掌に返ってくる感触を感じながら──かといって鏡を見るのは怖いかと、そう白雪姫が逡巡する。
少年は、そんな彼女にニッコリ微笑むと、
「お嬢さん? リンゴにはね、マリック酸というやさしい作用を持つ酸が入っていて、汚れや角質をマイルドに除去してくれるっていう働きがあるんだ。
リンゴの実を摩り下ろして果汁を抽出したそれで軽く顔をパッティングさせるだけで、お肌の色が明るくなるし、汚れも取れる。毎日使ってもお肌にも優しい上に、つけた後はしっとり滑らか。ガサガサでくすみが目立つお肌ともおさらば出来るって訳だね。だから、お休み前に軽く顔をすすいでから、たっぷりとリンゴ化粧水をつけて、睡眠をしっかりととれば、きっとそのお肌の荒れも軽くなると思うんだ。」
「────…………りんご、で……?」
半信半疑な様子で問う白雪姫に、セールスの一番重要な観点であるところの、「自分の進める製品には絶対の自信がある笑顔」で、少年は頷いてみせる。
その堂々たる態度に、白雪姫の視線は再び彼が手にしているリンゴに落ちた。
美味しそうな艶を保ったリンゴである。熟したそれは、今にも食べてくれと言わんばかりであった。
おそらく、目の前で二つに切られて、そこから滴る果汁を見た瞬間、空腹に負けてしまうような──そんな立派な一品。
「そう。りんご化粧水。美味しいリンゴを摩り下ろすのが勿体ないなら、その皮を使って化粧水を作ってしまえばいいよ。綺麗な水で──精製水とかで、洗ったリンゴの皮を煮立てるんだ。乾燥する季節には手放せない、仄かにいい香りのお肌しっとりスベスベの化粧水になるよ。
その上、リンゴは大腸がんを防ぐ効用もあって、一日一個皮ごと摩り下ろした物を食べるだけで、おなかもスッキリ。万全の薬とも言えるんですよ。」
さすがはリンゴのセールスマン。老婆の先輩だと名乗るだけあるのだろう。
彼が朗らかな笑顔と共に語ってくれる内容に、白雪姫の心は思い切りよく傾いでいた。
「………………リンゴ……って、偉大なんだな……。」
目の前に差し出されるリンゴ──それも、謝罪のためにタダでくれるというのだ。
皮をむいて、中身を食べて、おなかも少し満足して、さらに化粧水でお肌もスベスベになる……なんて素晴らしい贈り物だろうと、少年のあおり文句に、年頃の娘である白雪姫は、あっさりと落ちた。
しかし、そこで素直に手を出すには、先日の事件が尾を引いている。
何せ白雪姫は、危うく死にかけたのである。
見ず知らずの人間からリンゴを貰うのは──あまりにも危険すぎた。
「…………。」
ためらいながら、柄を握った手を、二度三度ワキワキさせた白雪姫の表情を見て、少年は軽く首を傾げる。
確かに、食べ物で警戒されるのは仕方がないだろう──しかも、こんな森の奥深くまでセールスに来る人間なんて、怪しんで当然なのだ。
そう判断したらしい少年は、それじゃぁ、と顔に浮かべた笑顔をそのままに、白雪姫にこう提案してみせた。
「それじゃぁ、僕が一口味見をしたら、信用してくださいますか? 別に、食中毒にもならないし、変な風に育てた怪しい果物でもないってことを。」
「え、あ、いや……っ。」
自分が正面から疑っているだなんてことを口にできない白雪姫は、慌てて少年を止めようとしたのだが、それよりも早く、彼は手にしたリンゴに、シャリ、と歯を立てた。
白い歯が立てる心地よい音に、白雪姫は自分のおなかがキュゥ、と小さく鳴るのを感じた。
かすかに頬を赤らめて、腹を片手で抑える白雪姫の前で、少年は齧ったリンゴを粗食して、コクン、と飲み下す。
「ん、おいしい……。」
ふわり、と蕩けるように小さく呟かれたセリフに、ごくん、と白雪姫の喉が鳴った。
そんな彼女に気付いたわけでもなく──少年は、白雪姫を見上げる。
「ね、大丈夫でしょ? さぁ、一度食べてみてください。きっと、このリンゴの美味しさに、ビックリすると思いますから。」
微笑む少年が差し出すリンゴには、彼の歯型がついていた。
満面の笑顔で差し出すリンゴの齧り後は、ツヤツヤの赤い皮と白い果肉のコントラストが美しく、浮き出るような果汁が、今にも滴り落ちそうに見えた。
「────…………っ。」
それでもためらう白雪姫に、少年は満面の笑顔のまま、リンゴを差し出し続ける。
人が食べた物を食べたくないと、そう突っぱねることは出来たけど──純真な微笑みでもって差し出されるリンゴを、これ以上断ることは、心優しい白雪姫には出来なかった。
少年が自分のために気を使ってくれて差し出してくれた、「謝罪のリンゴ」なのだ──その上、空腹を訴える体には、非常に魅力的なくらい、美味しそうだ。ついに剣の鞘から手を放した。
そのまま、少年が手にするリンゴに手を伸ばし……小さいくせに、ずしりと重みのある果実を受け取った。
近づけると、甘い香りが彼女の鼻腔を刺激した。
少年が口付けた場所とは違う場所──でも用心を重ねて、その近くに歯を立てた白雪姫は、そのまま恐る恐る──シャクリ、と噛み切った。
途端、口の中に広がる甘い匂いと味と果汁に、口の中がキュゥ、と狭まるような感覚を覚える。
「ん……。」
おいしい、と──彼女がそう零そうとした瞬間であった。
口の中で解けた味に、かすかな苦味を感じたのは。
「──……?」
それが何なのかと、そう疑問に思うよりも先に脳裏に走るのは、つい先日の災難──誰とも知れぬ老婆から締められた首の感触。
あの苦しさを思い出して、思わず喉が震えた。
「ん……っ、ぐ……っ。」
ドクン、と、心臓が強く脈打った。
とっさに手を喉へと当てる。
掴んでいたリンゴが、スローモーションのようにゆっくりと、地面に落ちるのが眼の端に映った。
そうして、白雪姫は何も考えず視線を上げた。
「────…………っっ!!」
眼を見開き、苦しさを覚える喉を抑えながら、問い掛けるように見上げた先──黒いローブを目深に被ったリンゴ売りの少年が、唇に微笑を刻んでいた。
その微笑は、先ほどまで彼が見せていたそれとまるで変わらないはずなのに……どうしてか、ゾクンと背筋が震える。
──恐怖だと、そう気付いたときには、もう遅い。
コロコロと転がるリンゴの──二箇所だけ齧られた後のあるそれを、少年はうっすらと微笑を浮かびながら見下ろす。
その微笑は、柔らかな営業スマイルなどでは決して無い……不敵な笑み。
「あからさまに怪しい人の後だと、猜疑心が薄れるものなんだねぇ……?」
「…………な、に…………、を…………っ。」
喉を両手で抑えながら、白雪姫は体を九の字に曲げた。
必死で唇を開いて息を繰り返そうとするが、喉から零れるのは、何かが引っかかっているような音ばかり。苦しくなる呼吸に、目の前がグラリと歪んだ気がした。
満足に口も動かせず、血の気が引いた唇を震わせ、そのまま白雪姫はガクリと膝をついた。
背を震わし、必死に眉を寄せる美女を、悠然と見下ろしながら、少年は足元に転がってきたリンゴを取り上げる。
そして、ひょい、と空中に投げた後で一度掌で受け止めると、シャリ──と、わざとらしく音を立てて、白雪姫の齧った後に歯を立てた。
「美味しいよ……? ────毒のエッセンスが効いていて、とても、ね。」
「………………っ!!」
嵌められた、という事実に気付いた白雪姫が、キリ、と眼に怒りを滲ませるよりも先に──彼女の瞼裏で光がはじける。
フゥ──と、意識も何もかもが吹き飛んでいくのを感じながら、白雪姫は、力を無くした腕をダラリと落とす。
直後。
ドゥンッ!
容赦なく、彼女はうつぶせに地面に倒れた。
少年は、蒼白な面差しの白雪姫の美貌を見下ろすと、手にしたリンゴを元のように籠の中に戻した。
「世の中にはね、解毒薬っていうものも、あるんだよ……白雪姫?」
先ほどまでの穏やかで優しさを込めた声音とはまるで違う……怜悧で酷薄な声音で、少年はそう吐き捨てたのであった。
「……そう、実はリンゴ売りの老婆は、お城の継母が化けていたのです!
かくして、白雪姫は、そうとも知らず食べてしまった毒リンゴによって、アッサリと死んでしまいました。
王妃は、それを見届けると、証拠品の毒リンゴを回収して、スタコラサッサと足を引きずられるようにして森を去っていきました。
────ったく、なかなか起きないから、引きずってくのは大変だったっていうの。……リンゴ売りの少年は、王妃に雇われたプロの接客暗殺者って設定にしておくから、ちゃんと後で雇われ賃払ってよね、エイケイ?
さて、そんなこんなで日が暮れて──ついに仕事を終えた小人たちが、帰ってきました……。」
今日の仕事も終えて、上機嫌で帰ってきた小人たちが見たのは、家の前でパッタリと倒れ付している白雪姫の姿であった。
「白雪姫っ!?」
「って、なんで表に出てんだよ、あんたは、もーっ!!」
驚いて駆け寄ってくるマースと、舌打ちしながらその側に跪くミース。
そして、前回と同様、水を片手にやってきたムースは、うつぶせに倒れている白雪姫の周りにしゃがみこむ。
そのまま、彼女の体を仰向け、血の気を失ったようなその頬を軽く手で叩くが、反応は何も無い。
軽く眉を寄せたムースが、白雪姫の手首を持ち上げ、指先を這わせた。
──が、そこから返ってくるはずの鼓動はなく…………、
「────…………ナニが…………あったというんだ………………っっ。」
声を震わして、小人たちは、ただただ呆然とするばかりであった。
「外傷のない白雪姫が、どうして息絶えているのか──理由のわからないまま、小人たちは白雪姫の回りで嘆き悲しみました。
ガラスの棺おけを用意して、その中にそっと横たえ、彼女の周りを花々で飾ってやります。
棺おけの中の白雪姫は、まるで眠っているように美しく、静かでありました。
小人たちは、白雪姫の棺おけの回りで、まるでこの世の最後のように嘆き悲しみ、泣きつづけます。
それでも癒えない悲しみに、森は酷く沈んだように暗くなっていきました……。
さて、それとは正反対に、明るい雰囲気を保っているのは、とあるリンゴ売りの少年によって九死に一生を得た王妃様です。彼女は、お城でまたもや魔法の鏡の前に立っていました。」
「鏡よ鏡よ鏡さん! この国で一番筋肉なのはだぁれっ!?」
さすがの大根役者でも、4回目ともなれば口のすべりが達者になるらしい。
見事に堂々と言いあげた王妃の前で、魔法の鏡は寸分違わず、ユゥラリと表面を揺らした。
波紋が広がり、中から浮かし出たのは、美貌の魔女──鏡の精である。
『またおんなじ筋肉かい……あんたの筋肉は飽きたんだけど──。』
はぁ、ヤレヤレと、優雅に羽団扇を仰ぎながら、本当に飽きたような調子で鏡の精は愛想程度に王妃の体を眺める。
その視線を感じて、さっそくマッスルポーズを取ってみせる王妃であったが、正直な話、ステキな筋肉を毎日のように見慣れている鏡の精にしてみたら、その程度の筋肉……はんっ、と言ったところであろう。げんに、
『その程度の筋肉だったら、にちりんまおうで十分だよ……。んまぁ、そうだね? あんたんとこの国には、にちりんまおうも居ないし? そうそう、クワンダも寝込んでてひょろひょろになってるんだったね………………それじゃ、仕方がない。』
フゥゥ……と、眉間に皺まで寄せて、本当に仕方なさそうに──鏡の精は続けた。
『この国で一番筋肉なのは──あんただよ、王妃。』
「その日一日、王妃は筋肉フェスティバルを開催しました。
それは、体を鍛えることを喜びと感じているこの国の王様の心をも大きく揺るがし、王女を無くした悲しみにくれる国王を、ついにベッドの中から出させることに成功するほどの、大きな催しでした。
こうして、白雪姫の国は、国王も娘を無くした悲しみから立ちなおり、王妃も筋肉への自信を取り戻し、末永く幸せに続いていったのでした。
めでたしめでたし。」
「………………ん、なんだ? もう終わりか? ──私の出番がなかったようだが、まぁ、別にいいか。」
美しい白い馬の上にまたがった男は、森の中を見据える目をそのままに、ふぅ、と溜息を零した。
そしてそのまま、馬の首を一撫ですると、馬首を返して元来た道を戻ろうとする。
──が、しかし。
「お、お待ちください、王子様っ!!」
高らかに声が響いたかと思うや否や、いつのまにか馬の目の前に、片目に眼帯をした男が跪いていた。
冷静に馬の紐を引くようにして、足を止めると、王子と呼ばれた男は目を眇めるようにして彼を見下ろす。
「──何者だ?」
低く誰何する声に、男はビクリと肩を震わせる。
声には、王子らしい威厳と命令することになれた響きがあった。
ゴクン、と喉を上下させて、黒い衣服の男は顔を上下させた。
「俺は──その、詳しく話せば長くなるけど、実は七人の小人のうちの一人であった、ついこないだまでこの国の王の王妃をやってました、しがないばくち打ちなんですが。」
「本当に長いな。」
少し視線を逸らしたまま答える男のセリフに、間髪いれず突っ込んだ王子は、あきれたように溜息を零して見せた。
今の説明では、「そうかそうか」と納得しようにもできない状態である。
小人であった男が、どうして王妃になって、そしてばくち打ちなのか? はっきり言って、何の関連もなかった。
怪しいことこの上ない。
「で、その小人であった王妃のばくち打ちが、一体何のようだ?」
だが、わざわざこうして目の前に姿を表してくれたというなら、話くらいは聞いてやってもいいだろう。
そう思い、問い掛けた王子に、コクリと、黒い小人であった王妃は頷いて見せた。
「……ご高名なモラビアのカシム・ハジル王子と伺い、申しあげます。
どうか……どうか、わが白雪姫の命を、助けてほしいのです……っ!」
「白雪姫……というと、パンヌ・ヤクタ城の有名な烈火の──?」
さすがは白雪姫。その名は遠くモラビア城まで響き渡っているようだ。
黒い姿のばくち打ちは、そんな王子の言葉に頷くと、両手を地面について、頭を下げる。
モラビアのカシル・ハジム王子が、その手腕も人格も素晴らしいという話は、諸国に響き渡る有名なものである。
しかし、その噂ばかりを信じてすべてを話すのは──正直な話、ばくちに近かった。
だが、彼は生来のばくち打ち。一度決めたら迷うことなどなかった。後は火となれ水となれ、だ。
「はい。その白雪姫は……俺の娘なんです。」
そこで一度言葉を止めて、男は一度息を吸う。
今まで決して語られることのなかった真実──黒のばくち打ちは、それをあえて目の前の……初対面の王子に語った。
「実は俺は昔、この森にすむ七人の小人のうちの一人だったんです。」
ヒタリ、と見据える黒のばくち打ちの隻眼の、真摯な眼差しに、王子は無言で唇を引き結ぶ。
彼に言われた言葉を頭の中で反芻し──、
「……七人の小人、というと──むかし、トラン湖の魔女の不況を買って、呪いをかけられた七人の男のなれの果てだと、伝承で残されているな?」
知識も深いカシム・ハジル王子は、他国の──それもこのような辺境の国に伝わる伝承すらも、頭の片隅に止めていた。
顎に手を当てて、そう厳しい顔つきで問い掛ける王子に、黒のばくち打ちは苦い笑みを刻み込んだ。
「ええ、そうです。トラン湖の魔女──っていうか軍主様っていうか──の怒りを買い、俺たちは呪いをかけられ、遠い昔に、小人にされました。
けれど、呪いを解く方法はありました。
その一つが、人に愛されること…………俺は、この国の国王に見初められ、小人の呪いを解かれ、王妃になったというわけなのです。」
──決して、人数を誤魔化すための設定などではないと、そう説明しておこう。
伝承だとばかり思っていた出来事が、目の前で事実になったことに驚きを覚えながら王子は、鷹揚に先を促す。
「それで?」
その眼には、黒のばくち打ちの話を真剣に聞こうとする、真摯な光が宿っていた。
むかし黒い小人であった王妃は頷くと、ヒタリと王子の眼を見ながら続ける──自分の真摯さを理解してもらいたい一心で、心をこめて王子の目に訴え続ける。
「ところが呪いが完全に解けておらず、俺は白雪姫を産んで命を落としました。
しかし、元は小人の身──死んだ後も、こうして精霊となって白雪姫の身を守ってきていたのですが……。」
きっと、ここで読者から突っ込みが入ることだろう。
守るどころか、悪王妃の手伝いしてたじゃねぇか、と。
しかし、残念ながらその事実をカシム王子は知らなかった。
そのため、彼は酷く興味深く、波乱万丈な一生を送ったらしい黒い精霊に、相槌を打った。
「小人の7人のうち、俺を含めて4人までが呪いを解いてしまってるんですが──その中の一人に、エイケイという男が居るんです……。」
そこで黒い精霊は、言葉を途切れさせて、酷く重いため息を吐いた。
エイケイ──その言葉で思い出すのは、ガッシリとした体躯の小人仲間のことだ。
けれど今は違う。エイケイという男は、すでに小人ではない。
自分が死んでしまった後、小人の呪いが解けると知ったほかの仲間たちが、あれやこれやとさまざまな卑怯な手を使って、呪いから解放されたらしいと言うのは、風の噂に聞いていた。
その中の一人──エイケイが、まさか今このような状況で、自分の血を引く娘に影響を与えるなんて、思ってもみなかったのだけど。
「彼は、魔法の鏡を手に入れて、呪いを解きました……そして、エイケイは、俺の跡……クワンダの後妻に納まり、あろうことか、筋肉の関係で白雪姫を殺してしまったのです……っ。」
自分の小人の呪いの因縁が、白雪姫を巻き込んでしまったなんて、と──クワンダの前妻であり、白雪姫の母であるガスパーは、白雪姫の不幸を、心から深く嘆いていた。
涙を堪えるように、白いハンカチを目元に当てる。
そんな彼を見下ろして、王子は衝撃の事実に口元を手で覆った。
「………………なんと! ────エイケイというのは、パンヌ・ヤクタの後妻だと……?
そうか…………クワンダ・ロスマンは、男色の気があったのか…………。」
「いえ、注目してほしいのはソコじゃないです、王子様。」
すかさず、涙を引っ込めて突っ込むガスパー。
鋭すぎるほど素早い突っ込みに、カシム王子は居心地悪げに咳き込む。
「……む。なら、筋肉の関係というのはどういうことかと聞いたほうが良かったのか?」
「いえ、ですから、マジボケはしなくていいです、王子様。」
なんだか難しい注文をつけてくれる黒い精霊を、難しい顔で見下ろしながら、カシムは顔を顰めて見せた。
「だが、助けるも何も、いくらなんでも死んでしまった人間を生き返らせることは出来ない──白雪姫は、命を落としてしまったのだろう?」
確かに先ほど黒い精霊はそう言った。
白雪姫は殺されてしまったと。
すでに命を落とした者が、どうして生き返ることが出来るのだろう?
高名なモラビアの王子とは言えど、さすがにそんな知識はない。無理と言うものであった。
黒い精霊は、そんな王子のセリフに、小さく一度頷くと──ここからが本番なのだと、キリリと眉を吊り上げる。
「──……彼女が真実、私達小人の血を引く者ならば、あの程度の毒で死ぬはずはないのです──いいえ、もし死んでしまったとしても、彼女の魂は精霊となり、具現するはず。
それが無いということは、彼女はまだ死んでいないということなのです!
どうかお願いです、王子! 俺の手でも、そして弟分たる小人たちの手でも、白雪姫を生き返らせることはできない──あなたの力が必要なのです。」
娘を思う真摯な眼差しに、カシムはそこに嘘が無いことを悟る。
顎ヒゲをさすりながら、カシムは細く息を零した。
「………………ふ……む。まぁ、私も遊学の身だ。色々見て知るのも勉強になるだろう。お前を信用しよう。連れて行ってくれるか、その地へ?」
もちろん、黒い精霊に否やを言うはずはなかった。
「はい!」
「こうして、台本にもないような思いもよらない展開を胸に、二人は白雪姫が棺おけの中で眠る場所へと行くのでした。
………………ちなみに、七人の小人っていうのは、マース、ミース、ムース、ガスパー、エイケイ、グリフィス、クワンダの7人の予定だったんだけど、白雪姫が逃げ出した先で、『ややっ、この綺麗なお嬢さんは誰なんだ!?』とかって、殺そうとしてくれたグリフィスが迎えてくれたり、『そうか、白雪姫というのか』て、ついさっきまで父親面していた人間にいわれたり、『白雪姫! どうしたんだ、一体!』って、リンゴで殺そうとしたエイケイに言われたりするのは、あんまりにもイヤダってバレリアがいうから、変更になったんだよね〜……うーん、一人二役て、難しいね。しかし、その話をココで無理矢理繋げたとすると、7人目の小人はクワンダじゃなくなるけど──はっ、そうか、七人目の小人は、呪いを解くのに失敗して精霊になっちゃった、ウィンディってことかっ!? なるほど、これで話の補填も終わったね、めでたしめでたし。」
前を歩いていく元黒い小人の後をついていくと、耳をかすかに刺激する音が聞こえた。
それが男の泣き声であると理解するのに、そう時間はかからなかった。
木々のざわめきに飲まれるような、嗚咽まみれの声は、悲しみに満ちていた。
「──……ここです、王子──。」
ス、と、その場に跪き、黒い精霊は掌で小屋を示す。
森の中、生い茂る草木の向こう──小さな小屋が見える。
それは、とてもではないが大人は入れそうにない、小さな小さな小屋だった。
なるほど、ここが小人の住処かと、カシム・ハジルは馬から降りて手綱を握り締める。
「どうぞ王子、ここから先へはお進みください。」
「──紹介はしてくれないのか?」
揶揄するつもりで口にしたつもりはなかった。
何せ、目の前の小屋の広場でおいおい泣いている小人たちは彼の昔馴染みのはずで、更にガラスの棺おけの中に入っているのは、彼の娘のはずなのだ。
紹介してくれるのがあたり前だろうと、そうカシムは思ったのだけど、王子のそのセリフを聞いた途端、黒い精霊は本気でつらそうに顔を歪める。
そのまま顔を伏せたかと思うと、彼はユルリとかぶりを振った。
「いえ……俺は、彼らの前に姿は出せません。
小人の呪いを解けた者は、小人の前に姿を出さないのが掟……魔女の呪いを自力で解くことを、小人に勧めてはいけないんです。」
「なぜ?」
当たり前のような問いかけに、黒い精霊は淡々と言葉を続ける。
「本当は、魔女の呪いが解けるのは──魔女の怒りが解けた時だけだからです。」
「──────…………。」
「つまり、俺たちは違法な方法で呪いを解き、中途半端に呪いが残っている状態なわけですよ。」
それが魔女の狡猾な罠の一つであったのか、そうではなかったのか──黒い精霊には分からない。
もうすでに彼は、その中途半端な呪いによって、この身をさいなまされた後なのだから。
ひょい、と肩を竦めて、黒い精霊は苦い笑みを刻んだまま──顔をうつむかせたまま、さぁ、と王子を掌で促した。
そうしている間にも、辺りを包み込む泣き声はだんだんと大きくなっていくばかりであった。
カシムは、その自分を呼んでいるかのようなかれてきた泣き声を耳に、黒い精霊の前に跪いた。
はっ、と顔を上げる彼の手を取り、カシムは真剣な眼差しで男の隻眼を見つめる。
「……娘は、必ず私が助けてやろう。だから、安心して眠りなさい。」
「……………………ありがとうございます、王子……。」
感動のあまり、うっ、と顔をうつむかせた黒い精霊に、小さく微笑みかけてから、カシムは唇を引き締める。
そして、バサリとマントを払って立ち上がった。
繁みの向こう──見え隠れする小さな小屋の前に、大きなガラスの棺おけ。
その周囲には、質素ながらもたくさんの花が飾られていた。
「ぅぅぅ……白雪姫ーっ。」
悲しそうに、マースが突っ伏すようにしてガラスの棺おけにすがりついている。
その声も態度も、こちらまで涙を誘われるほどの憐憫に満ちていた。
そして彼の隣に立つようにして、なぜか地面に正座しているのは、ミースであった。
「…………くっ……俺たちがついていながら…………っ。」
悔しそうにそう呟き、彼は頭を垂れる。
どうやら、あっけなく白雪姫を失ってしまったことに、彼は自分を責めているようであった。
「言うな、ミース──……力が足りなかった、それは…………。」
ギリ、と、唇を噛み締めて、外した帽子を胸元に当てながら、黙祷していたムースが呟く。
その声に滲む苦しげな響きは、聞いているこちらが痛いくらいだった。
カシムは、繁みのこちら側からそんな光景を見て取り、ガラスの──太陽の光を受けて反射する棺おけを眩しげに見つめた。
入っていくことができないような、そんな雰囲気の中、なるべく音を立てないように繁みに手をかける。
けれど、踏み込んだ足が、カサリと音を立てた。
それは、小さな小さな音であったかもしれないけど──無言で意識を空気に溶かせていたムースが、振り返った。
「──誰だ?」
足を動かせることなく、静かな眼差しでムースが静かに問い掛ける。
そんな彼の声に、苦い表情を宿したミースも、目を真っ赤に晴らして涙が流れるのを必死に堪えていたマースも、振り返る。
三人が三人とも、鋭い眼差しをこちらへ投げて寄越していた。
──当たり前だろう。白雪姫が、原因がわからない死に襲われてしまったのだから。
「………………すまない、邪魔をした。
──私は、モラビアのカシム・ハジルと言うものだ。」
全身を繁みの中から出し、丁寧に一礼する。
そんな彼の姿に、ミースが立ち上がる。
マースは、マジマジとカシムの顔から足まで見て……大きく顔をゆがめた。
あまりの驚きに、涙も引っ込んでしまったようであった。
「────…………あ、あ…………ああああぁ?」
思いっきり調子ハズレに呟いたマースは、そのまま棺おけに肘をついたまま、片手の指先でカシムを指し示した。
「こら、マース。人を指差すもんじゃない。」
ムースが、厳しい顔つきでマースを振り返って注意する。
その厳しい眉が、かすかに揺れていた。
「────気持ちは分かるが。」
ぽつり、と呟かれたムースのセリフは、異様に静かな空間に良く響いたが。
「…………………………ああ、そーだな………………。」
そして、それにミースが同意した。
「さすがにその年で、縦じまかぼちゃパンツはどうかと思うぜ? カシム将軍?」
そのまま口の悪い小人は、誰もがあえて口にしようとしなかったセリフを、さっくりと言ってくれた。
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………いうな……………………………………………………………………。」
遠くで、愛らしい鳥の鳴き声が、響いていた。
「小人たちは、それはそれは立派なカボチャパンツルックの王子様に、少々引きながらも、『こんなステキ☆な格好をするお方は、きっと悪い人じゃないだろう』と判断して、何があったのかと尋ねる王子様に、事情を話しました。
その悲しい話(?)を聞いた王子様は、その美しい王女に、私にも最後の別れをさせてくれと頼みました。
小人たちは、自分たち以外にも白雪姫の姿を覚えておいて欲しいと願い──ついでに、その後に墓を掘らせる手伝いをさせようと狙いながら──王子のその場を譲りました。」
小人たちが棺おけの側から離れ、地面にそれぞれ突っ伏す中、カシムは黒い精霊の言葉を思い浮かべながら、棺おけの側に近づいた。
キラキラと輝くガラスの棺おけ。光を反射して、飾られた花びらが鮮やかな光を宿している。
ガラスの棺おけの横から透けて見える横顔は、まるで眠るかのような美貌──カシムは、棺おけのすぐ横に立ち、上から眠るように横たわる白雪姫の顔を見下ろした。
頭を垂れるようにして、地面に泣き伏している小人たちの肩は震え、寂しいくらい青い色を宿している空を、優美な鳥が駆け抜けていく。鳥が落としていく歌声が、風に乱れてざわめき届く。
「……──……く……くっくっくっ…………。」
必死に震える肩を我慢して、ミースが地面に爪を立てる。
その彼の隣では、マースがこらえ切れずに額を地面に押し付けて、目尻から涙を零していた。
「だめです……、も、動いてるのみたら、ダメです……っ!」
「つぅかさ、後姿もサイコーだとか思わねぇか、マース?」
「ぅわっ、言わないでくださいよ、兄貴っ。見ちゃうじゃないですかーっ!」
コソコソと、地面に懐きながら、年若い二人は涙交じりの声で話し合う。
年嵩のムースですら、そんな二人を嗜める余裕はなかった。
「…………っっ。」
彼もまた、笑いの発作──いや、号泣の発作を堪えていたからである。
「遠目に見ている分には、まーだ視線がそらせたんだけどさっ、も、目の前に立たれると、ナニ? そこしか見れないっていうか?」
「これで、フリルとかつけてたら、もうどうしようもなかったですけどね……っ。」
「なんか、スイ様が『王子って言ったら、やっぱりカボチャパンツとタイツだよねー。』とか言って、他の服全部隠したらしいからな……しょうがないっちゃしょうがない……っていうか、可哀想なんだろうけど…………っ。」
「ダメですよ。可哀想なんですから、そんな、笑っちゃ……っ!」
コソコソと会話する小人どもに、ギリリ、と王子は思わず棺おけを握り締めてしまった。
それを何とか堪えて、カシム王子は改めて白雪姫を見下ろした。
さらりと頬の輪郭を覆うとび色の髪。
通った鼻筋。ふっくらと柔らかそうな唇。
「………………なんて美しくたくましい娘なのだろう。」
さすが、国一番の筋肉。
そう感心したように、カシムは彼女の腹の上で組まれた腕を見下ろした。
適度についた筋肉は、そうしていても尚うっすらと浮かび上がり、見事なラインを作り出している。
確かにこれでは、エイケイもクワンダも、悔しくてしょうがなくなることだろう。
「このような娘が死んでしまうとは、なんとかわいそうな──まだこれほど年若いというのに。」
見下ろした娘の頬に、小さく黄色い粉がついているのを見咎める。──きっと周りに飾られた花の花粉がついたのだろう。
カシムは、そ、と手を伸ばす。
なんと哀れでかわいそうな娘だと、カシムは頬に親指を当てるようにして、頬を拭い取る。
「…………暖かい…………?」
きっと、凍えるように冷たい感触が返ってくるのだろうと信じていた指に触れたのは、暖かく、柔らかな感触だった。
その瞬間、彼の脳裏に黒い精霊の言葉が思い浮かんだ。
──白雪姫は、まだ死んではいないはずだ。
思わずカシムは、身を乗り出して白雪姫の顔に自分の顔を近づけた。
「ああっ、なんて破廉恥なっ!」
「ひゅーひゅー、やっちゃえやっちゃえ……って、ぶはっ! ダメだっ。顔をあげたら、今俺は噴出すっ!」
「って、兄貴、今噴出したじゃないですか……こういう真剣なシーンにまで笑っちゃ…………って、ぶはぁっ! パンツっ、かぼちゃぱんつーっ!!」
「こらっ、ミース、マース、静かにしなさい。今、クライマ………………。」
身動きせずに、白雪姫の唇に頬を当てるカシムを見上げた三人は、上半身を折り曲げるようにした王子様の突き出したカボチャパンツを視界一杯に認めて、それぞれ再び地面に突っ伏すこととなった。
吹き抜ける風にブワリと大きく膨らんではしぼんで行くカボチャパンツは、とても楽しい光景を三人の心に訪れさせてくれたようである。
その中、カシムだけは真剣に、白雪姫のまだ赤く色づいている唇に頬を寄せていた。
眉を寄せ、視線を白雪姫の周りの花々へとやる。そのままの体勢で、彼は飾られた花を一輪抜くと、一度からだを起こし、今度は花びらを白雪姫の唇へ、自分の耳を白雪姫の豊かな胸元へと当てる。
その動作に、背後から、おおっ、と、小人たちの面白おかしい詮索が飛んだが、王子はそんなことを気にしている暇はなかった。
どれくらいそうしていたか……花びらがかすかに揺れ、その表面がしっとりと色を帯びる。
王子の耳にも、かすかな──本当にかすかな鼓動が、とくん、と聞こえた。
瞬間、彼は迷うことなく、小人たちを振り返った。
「……彼女は生きているぞっ! 今は仮死状態だっ!!」
大きくそう宣言すると、カシムは仰天して体を跳ねさせた三人に向かって指示を下す。
「薬草と水だっ! それから、寝所の準備も忘れるなっ!」
「は、はいっ!」
慌てて三人は、それぞれの場所へと走り去っていく。
カシムはそのまま、王女の締め付けられている胸元を緩め、今度は頚動脈に手を当てる。
頬はうっすらとばら色に染まり、手足も冷えていない。
これはただの昏睡状態なのかと、彼はそう思いながらも、呼吸がしやすいようにと彼女の顎をあげてやり、気道を確保する。
そのまま耳を彼女の唇に近づけ──彼はふと、異音に気付いた。
浅い、短い──間隔の長い呼吸の時に、かすかに引っかかるような音がするのだ。
カシムはコレはと思い、彼女の口を大きく開く。
サンサンと降り注ぐ太陽の光の助けを借り……すがめた眼でみた喉の奥──そこに、小さい何かが引っかかっている。
「……これか?」
カシムは、そのまま彼女を棺おけの中でクルリと反転させると、上半身を起こさせ、支えながらその背中を強く叩いた。
少しでも衝撃で、彼女の呼吸が出るようにと。
「白雪姫っ! まだあなたは死んではいない! 頑張って、吐き出せっ!」
どんっ、どんっ、と、白雪姫の背中が衝撃でゆれ、彼女の髪が揺れた。
けれど、白雪姫の唇を開けさせた指には、何も当たらない。
「白雪姫っ! 起きるんだっ! あなたを助けようとしている、お母さんのためにも!!」
ドンッ、と、強く背中を叩いた瞬間であった。
ごほ、と──彼女の口の中で、小さく鈍い音がたった。
「! 白雪姫っ!」
開いた唇から、ヒュー、ヒュー、と小さい呼吸音が聞こえ始める。
どうやら、喉でつっかえている「何か」が、少し動いたようであった。
カシムは、更に背中を叩く。
「がんばれっ!」
何度目か背中を叩いたときであった。
「──がほっ……ごほっ。」
ぽろん、と──白雪姫の唇から、赤い皮のついた白い果実のかけらが、飛び出した。
かと思うや否や、先ほどまで力を失っていた白雪姫の指先が動き、彼女は震える手で喉元を抑えた。
そしてそのまま、自らの力で背中を丸めたかと思うと、コンコンと、続けて咳き込み始めたじゃないか!
「白雪姫……。」
カシムはそこでようやく背中を叩く手を止め、今度は同じ手で優しく背中をさすり始める。
そうしている間も、彼女はコンコンと辛そうに咳き込む。
「白雪姫っ!?」
「ぅわぉ、マジで起きてるぜ。」
「大丈夫か、白雪姫っ! さぁ、薬湯だ、飲みなさい!!」
家の中から小人たちも飛び出してくる。
白雪姫は憔悴したまま、唇の前に差し出されたおわんへと口を付けた。
弱った喉には、その苦い味を飲み込むのも辛かったが、必死でそれを飲み干す。
そして彼女は、いつのまにか噴出していた汗を腕で拭い取り──自分を支えて背中をさすってくれている男を振り返った。
渋さをかね添えた、優しい笑みを浮かべている王子の顔を見て、彼女は軽く目を見開く。
「──モラビアの……カシム王子…………?」
乾いた唇から零れたのは、掠れた聞き取りにくい声であった。
けれど、間近に居た王子には、十分聞こえる範囲の声だ。
彼は、白雪姫の手を取り、コクリと頷く。
「ああ、そうだ。……パンヌ・ヤクタの白雪姫──会うのは、そなたが幼いとき以来だな。」
「……、え、ええ。」
疲れたように微笑む白雪姫は、彼とであった当時……まだあの筋肉王妃の居ないころを思い出し、そ、と嘆息する。
視線を落とした先──自分が横たわっていた棺おけの中に、ぽろりと落ちているのは、リンゴのかけら。
──何が起きたのか思い出して、彼女はつらそうに眉を寄せた。
継母に好かれているとは思っては居なかった。けれど、ここまで命を狙いに来るほど嫌われていたとは…………。
白雪姫は、キリ、と唇を噛み締めた。
「わたし、は……。」
このままココに居ても、きっと母は命を狙い続けるだろう──それこそ、どちらかの命がある限り。
そう思えば、白雪姫の胸は強く痛んだ。
頭の中で、父であるクワンダ・ロスマンと、継母であるエイケイ、そして自分を殺そうとした猟師の顔が次々に浮かび上がった。
彼女は、それらを押し込めるように胸の前で片手を握り締めると──いまだ自分の手を取ったままのカシムの顔を、ヒタリ、と見つめた。
「カシム・ハジル王子。」
リン、と呼びかける。
いまだ喉はヒリヒリしたが、ムースが差し出してくれた薬湯のおかげで、体はだいぶ楽になっていた。
その真摯な──烈火のバレリアと呼ばれるゆえんである鮮やかな瞳を真っ直ぐに受けながら、カシムもまたキリリと顔つきを改める。
「どうか私を、あなたのモラビアにお連れください。」
「白雪姫っ!?」
焦ったように声を荒げるのは、マースだけであった。
ムースは、無言で苦い顔をうつむかせ、ミースはあきらめたような笑みを浮かべて肩を竦める。
そして、白雪姫の命の恩人ともいえる王子は──柔らかに破願してみせた。
「もちろん、そのつもりだとも、白雪姫。
──ここに居ては、またイツ命が狙われるとも限らない……そうだろう?」
「…………はい。」
こくり、と頷いて──白雪姫は、視線をリンゴのかけらに落とした。
彼女はそれを手にとると、ギュ、と握り締め……森の中目掛けて、思いっきり投げ捨てた。
小さな小さなかけらは、彼女の手から放たれると、もう形があったのかどうかも分からないほど、目に見えなくなってしまった。
どこへ落ちたのかも、定かではない。
けれど白雪姫は、その軌跡を描いた先を見つめ──何かに決別するように、キュ、と唇を噛み締めた。
その横顔は、自由を得た虜囚のソレに似ていた。
眩しげに白雪姫の横顔を眺めたカシムは、彼女が棺おけから降りるのに手を貸す。
小人たちは、お互いの顔を見合わせると……誰にともなくうなずきあった。
そして、並んで立つ王子と白雪姫の顔を見上げると、
「それじゃ、引越しの準備をしないとダメですね、白雪姫っ!」
「おう、王子様も手伝ってくれよな。なんてったって、四人分だ、結構あるぜ。」
「歩くときは、ワシらの歩幅も考えてくれよ。」
思い思いのことを口に出してくれた。
「……………………お前らも、行くのか?」
思わず白雪姫は、いまだ自分の腰ほどの大きさしかない小人たちの旋毛を見下ろす。
そんな彼女の問いかけに、三人は当たり前だと頷いた。
「しょうがねぇじゃん。バレリアが居なけりゃ、いつケルベロスが襲ってくるか怖くて暮らせねぇんだし。」
「それに、ここじゃ、客足もあんまり増えないしな。」
「このままじゃ、冬も越せませんしね。」
小さな足で、駆け足のように小屋の中に入っていく小人たちに、王子がヤレヤレと肩を竦めて見せる。
白雪姫は、そんな彼らに小さく微笑み……ゆっくりと空を見上げた。
空を飛ぶ小鳥の声が、ひどく優しく彼女の心に響いた。
「こうして、人に優しく虫に厳しい殺虫剤のおかげで、九死に一生を得た白雪姫と三人の小人は、王子様の国へ行き、末永く楽しく暮らしたのでした。
今度こそ、めでたしめでたし。」
「鏡よ鏡よ鏡さんっ、この国で一番筋肉なのは、だぁれっ!?」
『はいはい。この国で一番なのは、あんただよ、エイケイ。
…………この国では、ね…………。』
今日も元気に声高く尋ねる声に答える鏡の精が、毎日毎日ポッソリと付け加えるセリフに、王妃が気付く日は……永遠にこない。
数年後──森の中で彷徨う黒い精霊の元に、白雪姫とモラビアの王子の結婚の話と、最後まで残った小人たちの呪いが解けたという祝いの話が、届くことになる。
「ふぅ……なんとか終わったな。ワケのわからない父親と母親は居るわ、ナレーションは出てくるわ、棺おけは狭いし、で、さんざんな劇だった。」
「そうだったな……まさかあそこで、本物の魔女が出てくると思わなかったが。」
「というか、一体イツ、ケルベロスが出てくるかと思ったら、本当にドキドキしましたよ、こっちは。」
「ああ、アレ? 後から見てみたらさ、なんか足跡が、西の方角に抜けてってたぜ。
なんか美味いもんでも見つけて、いっちまったんじゃねぇかな? 放し飼いって書いてあったし。」
「何!? 誰もアレを回収していないのか、もしかして!?」
「すみません、カシム様。アレを、回収できるのは……俺たちじゃ、無理っす。」
「ああ、確かにあれは、無理だな…………だが、あんなもの、一体どこから…………?」
「飼い主の下に戻っただけだと思うよ。ほら、召還されたものは、召還主の下に戻るって言うじゃないか。
食い殺すために(笑顔)。」
「…………スイ殿……………………。」
「スイ様………………?」
「って、あの、それって…………?」
「大丈夫。グレッグミンスターには、ちゃーんと、『野犬に注意』って札をさして置くようにっていう手紙を、送っておいたから。」
「まぁ、ケルベロスって言っても、まだ子犬だったみたいだから──せいぜい、家が2、3件くらい崩壊するくらいで済むんじゃないかな?」
「あ! しまった。それならちゃんと、僕の家に犬避けの薬を撒いておくんだった。──失敗したなー。……ルック、今からちょっと行って来る気ない?」
「ない。」
「ちぇっ。──もっと早く気付いてたら、ウィンディに頼めたんだけど……もうきっと、遅いよねー……。」
「とりあえず、ぼっちゃん?」
「ん?」
「テオ様に祈るっていうのは、どうでしょう? ほら、テオ様のお屋敷でもあるわけですし。」
「グレミオ、それ、減点30。」
「ええっ、どうしてですかっ!? や、ややや、やっぱり死んじゃってるから、ご利益はないんでしょうかっ!?」」
「いや、ご利益っていうか、なんていうか──捻りがない。」
「…………………………たまに思うんだけど、スイ、グレミオさん?」
「はい、なんでしょう、ルック君?」
「答えるのが面倒だから、質問しなくてもいいよ、ルック。」
「………………マクドール家って、どうして貴族って名乗ってられるんだい? 本気で。」
「それは決まっているではないですか。皆さんが迷惑かけている以上の功績をあげているからですよ(微笑)。」
「さて、そろそろお開きにするか。」
「あ、待て、スイ!」
「バレリア?」
「その…………さっき劇の中で言っていたリンゴの話なのだが…………っ。」
「ああ、あれは本当。グレミオがいつもクレオに作ってるから、なんなら一晩グレミオを貸すから、持っていっていいよ。」
「ええっ、そ、そんな、ぼっちゃぁぁぁーんっ!?」
「そうか、それは恩に着る。……すまないがグレミオ? 少し、付き合ってくれ(真顔)。」
「……はぁ、それはいいんですけど…………って、ぼっちゃんっ! ぼっちゃーんっ! 私を置いてかないでくださいよ〜〜っ!!」
「あ、ごっめーんv 僕、今から『思った以上に芸達者人だったカシム』のために、きらびやかな王様ハットを用意しなくちゃいけないから、先に砦に帰ってるよ。」
「……………………王様ハット!?」
「それは見たいなー。きっと、きらびやかで綺麗なハットでしょうね。」
「……それを、カシム将軍が被るのか? そりゃ楽しみだな。どれ、俺らもさっさと帰ろうぜ、マース。」
「いや、被らないぞ? 先に言っておくが。」
「えええええええーっ!! ひどいっ、カシムっ! カシムは、実の息子のように思っている僕が、せっかく手作りした兜を被ってくれないっていうのっ!? むかしは、ちゃんと新聞紙で作った兜も被ってくれたのにーっ!!!!」
「あーあ、スイ殿、泣いちゃったー。」
「……うっ。」
「スイ、相当根に持つしね……。」
「………………ぐっ。」
「か、カシム様ーっ! ぼっちゃんを泣かすなんて、どういうおつもりですかっ!? ぼ、ぼっちゃんの、ぼっちゃんの可愛らしい子供心じゃないですかっ! それとも何ですかっ!? うちのぼっちゃんの作った手作り兜は被れないっていうんですかっ!?」
「いや、だからな。」
「カシム殿。」
ぽん。
「……エイケイ殿……。」
「男なら、潔くあきらめよう。」
「……………………………………………………きらびやかな王様ハット…………。」
だいぶ遠い目をするカシム・ハジル将軍に、そ、と眦に浮かんできた涙を拭うバレリアであった。
天魁星様
6月配布分…………「白雪姫」でお送りしました。
ついに、一ヶ月遅れどころか、二ヶ月を越えてしまいました。
これからドンドン追い上げて行きたいとは思いますが、多分このまま、今年中には終わらないような予感もします……(涙)。
そして、今から言い切れるのは、次回アラジンと魔法のランプは、長くなるか、中途半端な長さになるかの、どっちかしかありませんので、やっぱり一ヶ月は気長にお待ちくださると嬉しいです。