空はどこまでも続く快晴の青。
清清しい風が時折吹き抜けていく他は、ジリジリと照りつける太陽の視線が降るばかり。
どこまでも続く草原の、道なき道を歩きながら、元気良く歩いていくのは、一人の騎士と、一人の従者であった。
彼ら二人が川沿いに位置するリコンの街を出たのが、ついおとついのこと。
今日は、この先にあるという「芸術の町 アンテイ」を訪れるつもりであった。
意気揚揚としている騎士に比べ、後ろから付いてきている太った男──サンチョの顔色は優れなかった。
はぁはぁと荒い息を零し、吹き出る汗をハンカチで拭き取っている。
けれど、拭っても拭っても湧いてくる汗に、いい加減息も切れがちになり、足取りも鈍くなってきていた。
ツイにたまりかねて、サンチョは随分先を歩いている騎士向かって、声を張り上げた。
「ご主人さまーっ!」
しかし、前を歩く男は、ちっともこちらには気付いてはくれない。
サンチョは、眉を大きく寄せて、ハァハァと肩で息をつくと、ついにその足を止めて、背中に背負った荷物を担ぎなおす。
そしてもう一度──今度は両手を口の前に当て、メガホンの形を作った後、
「ご主人様ーっ!!」
精一杯の力で、叫んで見せた。
そこまでしてようやく、前を歩いていた男は振り返った。
白いひげをくわえた、初老の老騎士である。
同じ年頃の現役を引退した同年輩たちに比べ、なんと活気溢れすぎることか。
それに対しては、幼い頃から彼の従者を勤めてきたサンチョ自身が、身をもって味わっていることであった。
「どうした、サンチョ! 何か見つかったか!? 我が正義の剣を振るうときが来たかっ!?」
男は、腰に刺した剣を、素早く鞘から抜刀すると、チャキリと構える。
太陽の光に照らされて、その手入れされた剣は、キラリと光を反射する。
眩しいそれに、サンチョは汗が滴る顔を疲労の色に染めて、かぶりを振った。
「いえ、ご主人様。敵も居ませんし、モンスターもおりません。
ただ──少し、休憩でもしませんかと、そう思ったのです。
リコンを出て以来、一度も休息をとってはおりません。そろそろ体を休めませんと……。」
老騎士は、そんな従者の言葉に、非常につまらなそうに顔を歪めると、剣を鞘に収めた。
「だらしがない! 普段からしっかりと稽古をしておらんから、そういうことになるのだぞ!
見ろ、このわしの足腰を! ほれほれ!」
ガッツガツとその場で踏み鳴らす男に、サンチョは見る見るうちに歪めた顔いっぱいに、あきらめの色を滲ませる。
肩にズッシリと食い込んだ荷物は重かったし、昨日の「事件」のおかげで、昨夜は一睡もしていない体には、整頓されていない道は険しい山の中と同じくらい辛かった。
しかもその上、ショボショボする目には、ギラギラ照りつける太陽の、なんと鋭く痛いこと! とてもではないが、目などあけていられる状態ではなかった。
──前を行く主人とて、同じ状況には違いないだろうに、どうしてあれほど元気なのか……それもきっと、彼に言わせれば騎士たるもの、心意気だけでこうまで行くものだと、そう言い切ってくれるのだろう。
「……あぁ……お元気そうで何よりですが──いつになったら、ご実家に帰られる気になるのでしょう……。」
そう呟く物の、前行く主人にその声が聞こえているはずもなかった。
つい数年前に、孫息子が生まれたばかりで、その時ばっかりはしばらく自宅に居てくれたものだが──それもつかの間、こうして旅の空の下だ。
マクシミリアン騎士団の元団長である彼が──ちなみに彼本人は、いまだ現役のつもりである──、こうして元気で居てくれることは、従者であるサンチョも喜ばしいことこの上ないことなのではあったが。
さぁ、行くぞと、前を勇んで指差すマクシミリアンに、サンチョは自分に気合を入れて、よし、と荷物を担ぎなおす。
昨夜はリコンの宿屋で、「むむっ、なにやら悪霊の気配が……っ!」と夜中に言い出したかと思うと、唐突に清めだと、塩を撒いたり水を撒いたりしたあげく、翌朝宿屋で、代金を請求してくる主人に、「礼には及ばぬ。」と言い切り、去ってきたところだ。
もちろん、その代金の請求はサンチョに来たわけだが、彼は「ご主人様が払わないものを、私が払うわけにはいきません」と答え──宿の主人に散々つるし上げを食らってしまっている。
そのため、徹夜と体力不足がたたり、足はガクガク言う。
けれど、そんなことではマクシミリアンの従者は勤まらない。
この時こそ、マクシミリアン直伝の、「病は気から」が発動するのだと、サンチョは小さな目に力を入れて、一歩足を踏み出した。
そうして、ようやくの思いでマクシミリアンの側についた時には、老騎士は遠く──湖とは違う方向を見据え、動きを止めていた。
「ご主人様、お待たせいたしました。」
てっきり自分のことを待っていたのだと思ったサンチョが、そう彼に声をかけるが、マクシミリアンは答えることもない。
彼はただ無言で、草原の果て──はるか南西に建つ監獄を見据えていた。
その表情は険しく、けれど同時にいぶかしむようにも見えた。
「? ご主人様?」
サンチョが、不安そうに声をかけた瞬間、彼は顔を顰めたまま、彼を振り返った。
「サンチョ。何か聞こえんか?」
「は、何か、と言いますと?」
しかし、サンチョはマクシミリアンが何を言っているのか、まるで分からなかった。
「ほれ、良く耳を済ませてみろ。」
言い置いて、マクシミリアンは、遠くにに見える監獄向けて、耳をそばだてる。
同じようにサンチョも耳を掌で覆うようにして、静かに目を閉じた。
草原の上を撫で上げる風の音や、遠くで鳴く鳥の声が聞こえる。
ジリジリと照りつける太陽は、サンチョの大ぶりの帽子の表面を焼き、マントの下もアツイばかりだ。
米神を汗が伝っても、どれほど神経を耳に集中させても、サンチョの耳に音は聞こえてこない。
「風の音ですか、ご主人様?」
サンチョは、あきらめて耳から掌を剥がして、マクシミリアンを見上げた。
その視線の先で、主人である男は、真剣な顔で眉を寄せ、瞼を落としている。
そんなマクシミリアンに、サンチョはゆっくりと首を巡らせ、監獄を見やる。
一昔前に、監獄に連れて行かれる男達の行列を見つけ、「束縛された者に自由を与えるのも騎士としての役目!」と言って、罪人達の縄を切ったこともある主人のことだ。
なにやら感じ取ったのかもしれないと──また監獄へ連れて行かれる罪人達を見つけたのかもしれないと、サンチョはジ、と視線を凝らす。
それでも何も見えないサンチョに、マクシミリアンは不意にカッ、と目を見開く。
「音楽じゃ! それも、なんと美しい音楽だろう!」
「音楽、ですか?」
微かに興奮したように頬を染め上げて叫ぶマクシミリアンの叫びに、サンチョは首を傾げるばかりだ。
風の音や鳥の音ならいざしらず、音楽など──それも、見渡す限りの草原のこの場所で、一体何の音楽が聞こえると言うのだろう?
モンスターの中には、音を操るというドレミの精という物が居るが、この辺りに生息していただろうか?
そんなことを考えながら、サンチョがさらに耳を澄ませて見ようとした瞬間、
「こっちじゃ!」
マクシミリアンは、監獄の方角を指で示すや否や、走り出してしまった。
「ご、ご主人様! 待ってください!」
慌ててサンチョは、その後を追う。
マクシミリアンは、迷うことなく自分の耳の赴くまま駆け出し──唐突に、目の前が歪むような感覚を覚えた。
「──な、なんじゃっ!?」
パァァッ、と、光が差し込んだかと思うや否や……目がくらんだ先には、蜃気楼のように儚い──向こうが透けて見える光景が、広がっていた。
「こ、これは、一体!?」
目を見開いて、サンチョが辺りを見回す。
回りに広がっているのは、先ほどと同じカナン地方の草原地帯。
ジリジリと照りつける太陽の視線も、申し訳程度に吹いてくる冷たい風も、何もかもが同じ物だ。
なのに、目の前に広がる光景だけが違った。
ユラユラ揺れる蜃気楼が、監獄を覆い隠すかのように現れている。
それは、どこかの宮殿の中のようであった。
見事な造作の壁と柱が配置され、上へと続く階段に据わって、美しい人がハープを奏でている。
サンチョにはその音が聞こえなかったが、マクシミリアンにはその音が届いているようだった。
彼は、真剣な表情でその人が動かせている指先を見つめている。
「ご主人様?」
不安にかられてサンチョがマクシミリアンを見上げる。
これこそモンスターの仕業ではないかとそう思ったが、マクシミリアンは剣を抜くことすらしなかった。
ただジッと立ち、金色の髪の美人が奏でる音に目と耳を奪われている。
サンチョは、自分たちの前に広がる蜃気楼を、不気味な物を見るかのように見据える。
美しい荘厳の城の光景──けれど、良く見るとその美人の足元には……人が、倒れていた。
「ひぃっ。」
思わず悲鳴をあげたサンチョに、
「サンチョ! 音楽が聞こえないだろう、静かにせんか。」
芸術をめでるのもまた、騎士の務めと、マクシミリアンがキッパリと告げた。
「ご主人様、でも……っ。」
サンチョが、珍しくもマクシミリアンに反論を言おうを口を開いたときだった。
彼の口から零れたセリフは、言葉になるよりも先に、喉の奥に吸い込まれた──蜃気楼の中でハープを弾く美人が、ふとその手を止め、ヒタリ、と……こちらを見据えたのだ。
「…………っ!」
ヒュゥ、と喉を通ったのは、恐怖のための息だった。
とっさにマクシミリアンが前に進み出るのに、サンチョは彼の背後に回る。
手は、自然と懐の守り刀に伸びていた。
いざという時は、主人を庇って命をかけるつもりだった。
けれど、
『あぁ……長い間……お探ししておりました…………私の奏でる音楽を……聞くことのできる…………運命の人を……。』
美人が口にしたのは、恨み言でも呪い言葉でもなかった。
心底感極まったかのように、途切れ途切れの聞こえにくい言葉で、そう──囁く。
「探しておった? おぬしは一体……実在している人間なのか?」
長い間旅をしている分だけ、普通では出会えないようなことにも遭遇しているマクシミリアンは、こういう時も肝が据わっていた。
サンチョは、そんな彼に改めて畏敬の念を持つと共に、どう見ても生身の体じゃない人を見つめる。
白いかんばせの中、伏せられた睫が長く──その白く細い指と言い、貴族か貴族のお抱えの音楽師と言ったところだろう。
繊細な容貌が、どこか疲れたような憂いに満ちていた。
『はい。私の名はカシオス。吟遊詩人の妖精です。』
「妖精さん!」
「ほほぉ……この地方では、その昔、赤ん坊に祝福を授ける妖精が居たというが、ソレかな?」
顎ひげを撫でながら、マクシミリアンが納得したように頷く。
陽炎のように儚い中で、カシオスと名乗った妖精は、ゆっくりと頷く。
『──ですが、100年前……この先にあるスカーレティシア城の姫の、16歳の誕生日の夜──私達は、悪い魔女によって、城ごと眠りにつかされてしまったのです。』
100年前、城、姫、悪い魔女。
その羅列だけで、マクシミリアンの正義の炎は燃えた。
目が、らんらんと輝きだすのを、サンチョは見ずとも分かっていた。
すでにこの時点で、マクシミリアンは、その城に向かう気になっているに違いない、と。
『私は、最後の力を振り絞り、こうして幻影を飛ばすことが出来ました──そして、長い間、待っていたのです。
私の音楽を聴くことの出来る人……その人こそ、魔女の呪いが解ける力を持つ人なのだと。』
「よし! まかせておけ! このマクシミリアン騎士団団長のマクシミリアンが、必ず、そなたたちを救って見せようぞ!!!」
案の定、マクシミリアンは、カシオスの言葉にやる気満々に宣言してくれた。
ストーリーから考えて、そうなるに違いないとわかっていたサンチョは、もちろんだと頷いた。
「はい、ご主人様!」
『どうかお願いします──城は今、悪い魔女によって、茨の封印をされています。
いくつもの障害があるでしょうが……魔女によって、最上階に封印された姫の……エスメラルダ姫の唇に口付けをすれば、封印は解けるでしょう……。
どうか、ミルイヒ様を……私達を救ってください…………。』
ほろん、と──ハープの音が切なく一つ、鳴った。
「もちろんじゃとも! このわしに任せておけぃ! このマクシミリアン、老いてもまだまだ若いものには負けんぞ!!」
どんっ、と、力強く胸を叩くマクシミリアンに、カシオスは少しためらうような間を置いた後、
『どうか気をつけて──魔女は、悪知恵の働く………………。』
ヴォン…………っ!
空間をねじ切れるような音がしたかと思うや否や、目の前の陽炎が、歪んだ。
「何!?」
刹那、目を見開く二人の前に、虚空──虚無が生まれる。
ゾクリと背筋が震え、本能的な恐怖が二人の心臓をつかみ取る。
指先一つ動かせない中──蜃気楼のような光景は、その虚無に吸い込まれるように、ギュゥンッ、と耳鳴りがするような音を出して……消えた。
それは、瞬きするほどの一瞬のことだった。
呆然と二人が立ち尽くす中、シィン、と、耳朶を打つほどの静けさが、辺りを覆う。
目の前で起きた光景が嘘のように、ただ、痛いほどの沈黙が、落ちていた。
「……………………。」
ごくん、と、サンチョが喉を鳴らす。
マクシミリアンが、震える唇を必死に噛み殺し、今見た光景に頭を振った。
それでも浮かんでくる闇の深さ──自分すらも吸い込まれそうな恐怖は、なかなか振り払うことはできなかった。
けれど、マクシミリアンは一介の騎士ではなかった。
彼は、キッ、と視線を上げると、
「スカーレティシア城…………。」
カシオスが口にした名前を口の中で繰り返す。
その響きは、優雅でありながら──どこか恐怖を宿していた。
「アンテイの町に、騎士と従者が来たそうだゼ。」
向こう側が透かし見える「影」が告げた内容に、広い部屋の窓際に寄りかかっていた少年は、伏せていた瞼を上げる。
ス──、と、光を宿した目が見据える先に、「影」はフワリフワリと空中に浮いていた。
「ああ……カシオスが見定めた『運命の人』ね。」
皮肉るように唇をゆがめて笑んで見せると、彼は手袋を嵌めた手で、額に乱れかかる髪を掻きあげる。
淀んだ空気に満ちた室内には、長年の埃が積もり、昔は輝くばかりの美しさを保っていただろう調度品も、光を失い闇に沈んでいた。
ふかふかの絨毯は、歩くたびに埃が舞い、締め切られた窓の外には、ビッシリと刺の生えたツタが這いわたっている。
ギィィ──と、時折思い出したかのように軋む扉が、風もないのに左右に揺れていた。
「──悪あがきをする。」
少年が、低く喉で笑いながらそう呟いたと同時、パシンッ、と、扉の側で火花が散った。
同時に、声無き声が悲鳴をあげ、掻き消える。
「人が居ない家には寄り集まるっていうけど、本当だったんだなー?」
くるん、と、空中であぐらをかいた「影」は、足を天井に向けて、さかさまになって少年を見下ろす。
重力など関係が無いだろうに、短い髪がユラユラ揺れている様を見上げて、少年は唇に冷ややかな笑みを刻み込んだ。
「呪いの力が、より闇を呼ぶんだろう。──こういう呪いの場に使われた場所には、必然的に起きることだ。」
「その、呪いの中央に居て、平然としているお前は、根性がおかしいんじゃないかと、俺は思う。」
びし、と、顔の前に指先を突きつけて、「影」が目を据わらせる。
そんな相手が差し出した指先に、ふ、と息を吹きかけて、少年は片目を眇めて見せた。
「すでに姫の眠りは100年。呪いなんて、解けかけているようなもの──だから、騎士と従者をココに近づけさせるのは、正直……面白くない。」
あと数日すれば、イヤでもすべては成就する。
それを今更邪魔されるのは──冗談ではなかった。
スゥ、と、目を細めて室内の中央に鎮座する天蓋を見つめる少年の、凶悪なまでの表情に、「影」は軽く肩を竦めて、くるん、と天地を戻す。
「良く言うぜ。カシオスがあの騎士と従者に話し掛けなかったら、ココの城のこと、スッカリ忘れてたくせにさー。」
「僕の『影』のくせに、そう言う口を利くのか?」
色あせた壁に背を預けて、少年が天蓋に向けていた視線を「影」へと戻す。
その鋭い一瞥を受けても、「影」は、飄々とした顔でしれっと言い切ってみせた。
「どーせお前のことだから、暇だから、100年前の『暇つぶし』の続きでもしようと思ったんだろう?」
「────…………どちらにしろ……もう、始まってしまったことだ。」
口元に、不適な笑みを浮かべると、少年は天蓋の中で眠りについている姫を一瞥し──そのまま視線を窓へと落とす。
城中を包み込む茨の道は、強固であるため、たやすく越えられるものではない。
それどころか、この光景を目にしただけで、ほとんどの者は恐怖に喉を震わせ、この呪われた城から逃げ出そうとするだろう。
現にそうして──何よりも、100年前に、自分が暇つぶしのためにと、仕掛けていった色々な罠に嵌って……この城の呪いを解くために駆けつけた多くの者が、城の中に辿り着くためにリタイヤしていった。
その──城の入り口の門の前に。
「新たな挑戦者の到着だ。」
茨で包まれた窓の隙間から見える──二人の男の影。
少年はそれを認めて、クツクツと……低く喉を震わせた。
「──おいおい、スイ。あんな、今にも折れちゃいそうなじいさんを相手にしたら、ちょっとまずくねぇか?
俺が、ヒョーイッ、って生首ゴッコしただけで、卒倒してポックリいっちゃいそうじゃん。」
スイの肩に手を置くようにして身を乗り出した「影」が、そう明るく笑って言ってのける。
「……さぁ、どうだろうね?」
スイは、小さく笑って見せると、自分の肩に圧し掛かった「影」の手を軽く払いのける。
そして、そのままの笑顔で「影」を振り返って見せると、
「それじゃ、僕はちょっと彼らのお出迎えに行って来るから、テッドはココでエスメラルダを目覚めさせないように見張っててね。」
至極楽しそうに、そう言い置いて、ヒラリと内側が紅色のマントを翻して、埃を舞い立てながら部屋を横断していく。
フワリフワリと、半透明に透けた体のまま、そんな少年の背を見送った「影」は、
「……………………さすがに俺、親友が嬉々としてそういう悪行しているのを見るのは、忍びないというか、楽しいというか……。」
うーん、と、自分の常識と、監獄の魔女の常識との間でユラユラと心揺れながら、窓の前で腕を組み、考え込むのであった。
アンテイの町から西──人々により、茨に囲まれた呪いの城と呼ばれるソコは、暗雲垂れ込める、不吉な様相を呈していた。
人の腰ほどの太さもある茨のツタが、そこかしこに伸びていて、もつれ合い、城の壁という壁を這いずり回っている。
うねるように庭を覆い尽くすそれは、まるで城に誰かが侵入するのを拒むようにも見えた。
「ご主人様──本当にいかれるのですか?」
この城の情報を集めるとともに、準備を揃えるために立ち寄ったアンテイの町の人々は、この城のことを口にするだけで、表情が暗くなっていた。
近づくと呪いが移るだとか、悲しい泣き声が聞こえただとか言うのは、どこの国でもある噂話であるからと、一蹴することは出来るが──実際、尋常ではない雰囲気と植物の生え方を目の前にしてしまうと、尻込みしてしまうのも仕方がないことである。
おずおずとサンチョが尋ねるのに、胸のプレートアーマーの紐を引き絞ってやる気満々の表情で、不気味な城を見上げるマクシミリアンの答えは、酷く簡潔であった。
スチャ、と銀色の輝きを誇る剣を抜き去り、彼は高らかに宣言する。
「いざ行かん! 囚われの姫が、我らの助けを待っているぞ、サンチョ!!」
そして、わざわざ前に回って見なくてもわかるほど目が血走っているだろうご主人様を、止めることは無謀だと、サンチョもしっかりと分かっていた。
せめて、彼が若い頃のように、全身を覆い尽くすようなフルアーマーを身に付けていてくれれば、もう少し心労はないのだが──年も年になったマクシミリアンが、そのような重い物をつけられるはずもなく、結局いつもの旅の服装と変わりない姿になっていた。
サンチョは、一応とばかりに、真新しい鍋を一揃い購入して──それも、芸術の町であるアンテイで買った鍋セットは、繊細な細工の成された、非常に綺麗な物であった──、蓋を盾の代わりに握り締め、鍋を頭からかぶっていた。
「ご主人様、気をつけてくださいね。」
「騎士の行く手を遮るものは、何人たりともこの剣の露になろう!」
バサッ、と振りかぶって空中を切るその剣から聞こえる風の音は、確かに剛剣と昔呼ばれていた名残もあったし、構える姿も堂に行っている。
しかし、だ。
いくら気は若くても、彼はもう62歳になるご老体なのだ。
戦争の中で言えば、年を取って力が無くなった代わりに、技術と知恵を手に入れた──なんて言う年すらも越している年齢だ。
本来なら、戦争に参加することもおかしく──いや、こうして旅の空の下にあることも疑問をもたなくてはならない年齢なのだ。
元気なジジ様だなぁ……と、呆れたように彼の息子が呟いていた言葉を思い出し、サンチョはキリリと眉を寄せた。
とにかく、少しでも主人の足手まといにならないようにし、彼の手助けをするのが従者たる自分の務め。
幼い頃より、マクシミリアン騎士団の団長に仕えることの幸運を喜ばれた両親に報いるためにも、彼の命は自分の身に代えても守らなくてはいけないのだ。
昔、忠誠を誓った時に、マクシミリアン自らくれた守り刀を握り締めて、サンチョは彼の背後につかず離れずの位置を保つ準備をする。
そんな従者の決意にも気付かず、マクシミリアンは渋い顔をして、茨に包まれた城を見上げた。
「ふぅ……む。さて、どこから入るべきか、じゃの。」
──しょっぱなから、難問は待ち構えていた。
本来なら、門から入るべきであるが──彼らの目の前にある門は固く閉ざされ、錠前の前には太い茨が絡まっている。
ためしにと、マクシミリアンは自分が手にした剣をつきたててみるが、頑丈な茨の皮は、小さな傷がついただけであった。
これほど固い茨は、絶対に魔法の力で作り出された物に違いないと、マクシミリアンは顔をゆがめてみせる。
「ご主人様、火をつけてみてはどうでしょうか?」
サンチョは、道具袋の中から火打石を取り出して、それを掲げる。
何度も使われた火打ち石の端は、だいぶ擦り切れていた。
ついでとばかりに、必要のない布地も取り出し、松明用にとアンテイで買ってきた薪に巻きつける。
そして、慣れた仕草で火打石を打ち鳴らし、布地に火を点し、松明を作り出した。
「これで……。」
サンチョが差し出してくれる松明を受け取り、マクシミリアンはその先を錠前に絡み付いている茨へと差し出す。
すると、あれほど頑固に絡み付いていた茨が、松明の炎に焦がされて、みるみる内に震え始めたではないか!
「なんじゃ!? まさかこれは、生きておるのか!?」
驚いたように、マクシミリアンが叫んだその瞬間であった。
「ご、ご主人様っ!!!!」
悲鳴に近い声を、サンチョがあげる。
震える手を上げて、サンチョが彼の頭上を指し示す。
松明を掲げるマクシミリアンの頭の上から、一際濃い影が落ち──はっ、と彼が剣を掲げたときには、門に絡みついていたはずの茨が、マクシミリアンの体に巻きついていた!
「──……ぐぅっ!」
思いもよらない場所からの攻撃に、マクシミリアンはあっけなく茨に囚われてしまう。
門に絡み付いていた茨のツタのうち、数本がニョロリと伸びて、彼の手首を掴み、喉を締め付ける。
ツタに生えた刺が、マクシミリアンの棒のような皮膚に突き立ち、ジワリと血が滲み出た。
「ご主人様!」
慌ててサンチョは、鍋の蓋の盾と守り刀を構えて、マクシミリアンを捕らえている茨向けて突進する。
マクシミリアンの腰ほどもある茨は、しっかりと彼の腕と首を捕らえ、ギリギリと締め付けていく。
「…………っっ。」
声すらも出ず、眉を引き絞った彼の顔が、だんだんと青黒くなっていく。
そんな光景に焦りながら、サンチョはバンバンと手にした盾と刀を太い茨に叩きつける。
けれど、それはまるで効いているようには見えなかった。
「くそっ、くそっ!!」
小さく叫びながら、サンチョはありったけの力を込めて、刀で茨を傷つけようとするが、細かい傷がつくばかりで、まるで大きいダメージに繋がらない。
ついにサンチョは盾も刀も放り出し、両手でガシリと茨を掴んだ。
生えた刺が、ジクリと彼の掌を突き刺すが、そんなものには構っていられない。
目の前で、剣を振るえる手で握り締めていたマクシミリアンの手首が、ガクリと落ちる。
カランッ、と奇妙なほど軽い音を立てる剣の音に、サンチョは益々焦って、必死になって茨を引き剥がそうとした。
「────………………。」
マクシミリアンの唇が震え、ユラユラと松明が揺れる。
その炎が──ジリ、と、茨の鞭に触れた。
瞬間、ビクンと茨が揺れた。
「──!」
必死になって茨を両手で掴んでいたサンチョは気付くことがなかったようだが、その茨に締め付けられているマクシミリアンは、はっきりとその揺れを感じた。
同時に思い出す。
茨が襲い掛かってきたのは、この松明で焦がそうとしたときなのだと。
「サンチョ……た、松明を……っ!」
引き絞る首からは、苦しみと痛みが絶えず襲ってきていた。
それでも必死に声を振り絞って、しわがれた小さな声で、サンチョに訴える。
必死になっているサンチョには、よもや消こえないかと危惧したが、どんなときでも主人の声を聞こうと耳を済ませているサンチョには、十分すぎるくらいに声が届いたようだ。
「松明!?」
彼は、力の入りすぎで真っ赤になった顔を上げて──はっ、としたようにマクシミリアンが持っている松明を認める。
そして、手を伸ばして力がなくなりかけている彼からそれを受け取ると、迷うことなく、その煌々と燃える炎を、マクシミリアンを締め付けている茨向けて、押し付けた!
「…………ぐぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!
とたん、二人のはるか頭上──門の上から、地獄から響き渡るような悲鳴が聞こえた。
同時に、マクシミリアンを締め付けていたツタが緩み、サンチョは慌てて彼を引きずるようにして門から引き剥がす。
喉と手首にジットリと血のラインができたマクシミリアンは、ゲホゲホと何度も空咳を繰り返した。
しかし、それにめげずに、地面に取り落とした剣を広い、松明を手にしたサンチョを背後に庇うようにして、歯を食いしばって正面を睨み上げる。
この城すべてを覆う茨が、すべて生きているというならば──この城ごと焼き払うより他にないのではないか?
そんな思いがチラリと頭を掠めたが……見上げた先、門の上に大きく花弁を揺らす「物」が何であるのか気付いた瞬間、その不安は薄らいだ。
「おばけばな!」
迷うことなく、門の上に大輪を咲かせている物体の正体を叫ぶ。
スチャリと剣を構えなおすマクシミリアンに、松明を前にかざして、ユラユラと茨を揺らしている「敵」を威嚇していたサンチョは、驚いたように目を見開く。
「ええっ!? コレが、モンスターなんですか!?」
「ワシが知っているのとも、少し違うが、あの花の形はおばけばなじゃな!
悪しき魔女は、禁じ手の配合魔法を使ったのかもしれぬ……っ。」
どう見ても、そのモンスターから伸びているツタには、ビッシリと刺が生えていたし、大きさもおかしな位巨大だ。
「ははは、配合ですか……。」
ただのおばけばなであれば、マクシミリアンにとっては敵ではなかったが、大きさと太さが──尋常ではなかった。
「ううむ……やはり、火の紋章でも宿してくるべきであったか──っ。」
ギリ、と唇を噛み締めたマクシミリアンの隣に、ズイ、とサンチョが進み出る。
「サンチョ! 危ないから下がっておれ!」
慌てたようにサンチョ向かって叫び、マクシミリアンは剣をかざす。
そんな彼に、
「いいえ、ご主人様! おばけばなには、火が効きますから! コレで……っ!」
サンチョは片手に持った松明をかざす。
ゴウゴウと燃え滾る火を伸びてくるツタ向けて突きつけると、まるでそれを避けるかのように、ツタがジリリと引っ込む。
それを見て、マクシミリアンは喜色満面の表情になる。
「そうじゃ! サンチョ、それを寄越せ! ワシが、こやつめを燃やしてくれよう!」
強引に奪い去るようにして、マクシミリアンはサンチョの手から松明を受け取ると、それを成長しすぎたおばけばな向けて突きつける。
左手に握った松明を前に出しながら、右手でしっかりと剣の柄を握る。
自分に迫ってくるツタを剣で威嚇しながら、その隙を突いてツタの先に火を点す。
けれど、たかだか松明の火ごときでは、頑丈なツタを燃やすほどの効果はなく、ジリリと焦がすだけであった。
「くっ。」
一瞬先端が引いたおばけばなの触手が、再びマクシミリアン目掛けて襲ってくる。
マクシミリアンは、慌てたように片足を引き、剣の軌道に体をあわせる。
ブスブスと微かな煙を放つその触手目掛けて、バシンッ、と剣を払いのけた。
しかし、ずしりと重い感覚を残すはずの剣先は、ザクリと肉を絶つような感触を伝えた。
「……うぐぁぁぁぁ!!」
地の底から響き渡ってくるかのような悲鳴が、門の上に鎮座するおばけばなの花の部分から響き渡り、ギョッと体を竦めるサンチョの目の前に、ばさり、と、何かが落ちた。
「ひぃっ!?」
思わず小さな悲鳴をあげたサンチョは、すぐに自分の目の前に落ちた物が、先ほど主人に襲い掛かろうとしていた触手であることに気付く。
慌てて顔を上げると、炎を掲げて威嚇する体制のマクシミリアンが、いぶかしげに顔をゆがめているのが見えた。
「──……これは……!?」
あのツタは、剣では切れないことは最初に確認ずみであった。
だからこそ、松明で燃やせるものなら燃やしてしまおうと──もしくはその隙を狙って、本体である花を燃やしてしまおうと、そう思っていた。
なのに、右手に握り締めた剣の手に残るのは、確かな伐採感だ。
悶えるおばけばなの一本の触手の先も、汚い切り口を見せ、そこから樹液のようなものを撒き散らせている。
「ご主人様! コレを見てください!」
目の前に落ちた触手を指差して、サンチョが叫ぶ。
「ここ! 切り口の部分が、ちょうど火で焦げています!
もしかして、あの頑丈な皮の部分は、火で焦げたら、柔らかくなるかなにかで、切れやすくなってるんじゃないでしょうか!?」
確かに、サンチョが指差した部分──どさくさ紛れにマクシミリアンが切り裂いた部分には、威嚇のために放った火によって、皮が黒ずんでいた。
それを認めて、マクシミリアンも口元に笑みを浮かべる。
「──そうか! 頑丈な皮膚が、火によって焦げ、防御力が落ちたのじゃな!」
そうと分かれば、こっちの物だと、マクシミリアンは触手から樹液を滴らせ、怒りに膨れ上がったように見える巨大おばけばなを睨み上げた。
自信満々の表情で、剣を持った手をグルグルと回すと、
「サンチョ! そうと分かれば、お前も松明を持ち、焼き討ちに参加するのじゃ!」
「はい、ご主人様!!」
──聞きようによっては、随分怖いセリフであったが、幸いにしてこの呪いの城に近づくような人間は居なかったため、誰の耳にも入ることはなかった。
ただ、それの対象となったおばけばなだけが、そうはさせじと触手を伸ばしてきた。
しかし、所詮大きくなってもおばけばな。
そこから動くことは出来なかったので、マクシミリアンとサンチョが、松明に火を灯すために、ヒョーイ、と後ろへ下がってしまえば、もう攻撃してくることは出来なかった。
……相手の弱点を2つも発見してしまった時点で、マクシミリアンとサンチョの正門突破は、約束されたようなものであった。
「先に言って置くけど、あの化け物は、レックナート様とルックが異世界から召還してきた物だから、死体の返却はこっちにしないでね。」
自分の膝の上で頬杖をつきながら、そう誰にとも無く呟いた少年は、バルコニーの手すりに腰掛けて、意気揚揚と門を踏み越える老騎士と従者を見下ろした。
額に白い鉢巻を巻き、そこに蝋燭を二本差して、大きく燃える松明の火をかざす彼らの姿は、どう見ても怪しい人間以外何者でもなかった。
呪いの城の中に入ってくるにしては、間違えたスタイルだとしか言いようがない。
しかし、二人はそんなことを気にせず、堂々と庭に踏み込んだ。
そんな二人の前に、新しいおばけばなやひいらぎ父さんが現れた。
慌てて松明をかざして身構える二人の前に現れたモンスターは、普通にフィールドに居るのと同じ姿形をしていた。
──が、数は尋常ではなかった。
「さて……彼らはどこまで僕を楽しませてくれるかな?」
フ、と目を細めて──少年は、いまだ自分の優位を信じたまま、そう呟く。
空中に浮いた足をブラリと揺らした先──地上では、マクシミリアンとサンチョが、早くも大ピンチになってる。
あっという間にグルリと回りを囲まれた二人は、お互いの背を庇いあうようにして、ジリジリと近づいてくる好戦的な植物群に、タラリと汗を流す。
元々植物を愛するミルイヒ=オッペンハイマーの屋敷であったここは、植物モンスターにとって非常に心地よい庭であったらしく、次々に繁殖していった結果である。
逃げる場は無い。
ギュ、と松明を握り締めて、剣を掲げて、マクシミリアンは勇猛果敢にそんなモンスターへと突っ込んでいく。
普通のモンスターが相手なら、遅れを取ることはないと、彼は正面から戦い、時には茨の中に身を突っ込んで敵の一撃を避けていく。
サンチョもそんなマクシミリアンを背に庇いながら、必死で守り刀を振り回し、松明の火を振り回す。
「なかなか頑張っているようじゃないか。」
クスクスと、楽しそうに喉を震わせて笑いながら、茨の道に邪魔されて一向に城内への扉へ近づけない二人を、ノンビリと眺める。
庭にはびこる植物モンスターの数は、バカみたいに多くて──とてもではないが、それらを二人で片付けることはできない。
特に、紋章の一つも宿していない身なら、尚更である。
「このままでは──……っ。」
背に茨の刺を受け、ジリジリと寄ってくる植物たちを松明と剣で威嚇しながら、マクシミリアンが零す。
「このままでは、今までの騎士たちと同じ運命を負うことになる──かな?」
ブラリブラリと足を揺らしながら、「魔女」がそう囁く。
その言葉に、反応したかのようにモンスターたちが、更に騎士たちへと詰め寄る。
いつものように気絶させた人間を、この植物モンスターたちにとっての楽園から、追い出すつもりなのだ。
そろそろ潮時かなと、スイがそう思った刹那であった。
「こうなったら……っ!」
命の嬉々をヒシヒシと感じ取ったらしい騎士が、自分たちの身も危なくなるのを承知で──己を覆う茨へと、火をつけたのである。
茨の道が、あっと言う間に炎を写し取る。
見る見る内に炎は広がり、マクシミリアンとサンチョの背中で、ゴゥっ! と燃えたつ。
勢いを得ていく炎に、マクシミリアンの目の前に迫っていた植物が、慌てたように後退するのが分かった。
それに、好機を得たりと、熱さを堪えながらマクシミリアンが剣を握りなおす──が。
「──あ、そんなことをしたら、地雷が…………。」
頬杖を外して、スイが小さく呟くと同時──茨を焦がす炎は、突然光を発した。
どっごぉぉぉぉーんっ!!!!
燃えていた一角が、丸ごと吹き飛んだ。
激しい勢いで黒い煙と風がモウモウと巻き上がり、炎は一瞬で掻き消えてしまった。
あまりの轟音に、辺りの空気が震え、間近に居た少年の頬を熱気が掠めていく。
彼は、ビリビリと痛む鼓膜に軽く眉を顰めながら、ヒラヒラと舞ってきたヒイラギ父さんの一部であったハッパの焦げた物を、ペシリと手で払う。
「火を放って茨を焼き討ちしちゃダメだって言う意味で、地雷を埋めてあったのに──。」
風が吹き、煙が払われたその場所は、ぽっかりと丸いクレーターが出来ていた。
美しく生え揃っていた芝生も、その上にはびこっていた太い茨も、見事に消し飛んでいた。
抉れた黒い地面が、アリアリとその地雷の悲劇を語っている。
不幸中の幸いといえるのは、この爆発が、他の地雷の連動を呼ばなかったことであろう。
「──……あーあ、ひいらぎファミリーの巣が…………。」
眉を寄せて、残念そうに呟く。
吹いてくる風には、火薬の匂いと、焦げた匂いが混じっていた。
無残にも露になった裸の地面を、哀れみを込めて見つめて──この哀れみの対象が、巣を壊されただろうひいらぎファミリーに向けられているのだから、彼の関心の程が知れようものである──、スイは重い溜息を零す。
それから、頬に当てていた両手を、そ、と顔の前で合わせると、
「冥福を祈ります──ついでに、マクシムとサンチョも、あの世で仲良く暮らしてね……。」
小さく、掌に溶け込むような声で、そう囁いた。
その囁きが、掌の上を滑り、風の中に掻き消えるよりも先に。
「ぶっはーっ! さすがのワシも、死ぬかと思ったぞ!」
「は、はひー、ご主人様〜。」
クレーターの底から、ばふりっ、と音を立てて、土が捲れあがる。
そこから現れたのは、顔と服を土まみれにしたマクシミリアンとサンチョであった。
肩や頭から、ボロボロと焦げた茨の破片が零れ落ちていく。
ところどころ火傷したような跡が見えるほかは、健康そうであった。
ゲホゲホと何度か咳をして、サンチョはブルリと頭を振る。
ぼろぼろになった帽子から、土の破片が零れたが、特に気にもせずにサンチョは帽子を被りなおす。
マクシミリアンは口に入ったらしい土を、ペッと吐き捨てて、汚れた頬を拭い取りながら、キリリと城を見上げた。
目に飛び込んでくる扉の上、見事な2体の胸像が置かれている正面のバルコニーの斜め後ろの手すりに、ブラリと揺れる足が見えた。
誰か人が居るのかと、ふと視線をやった先……手すりに腰掛けた少年の姿に、
「──……! あれは──……っ!?」
マクシミリアンは、喉の奥で息が詰まるような感覚を覚えた。
「ご主人様?」
サンチョが、小さく咳き込みながら顔を上げる。
そんな二人の視線を受けて──スイは、嫣然と微笑んでみせた。
ヒョイ、と身軽い動作で不安定な手すりの上に両足をつけて立ち上がると、顔を険しくさせて自分を見上げているマクシミリアンとサンチョに向かって、指先で──階下を示す。
「入っておいで──僕が相手をしよう。」
うっすらと──凍えるような冷めた微笑を顔に貼り付けたかと思うと、トン、と手すりを蹴り、彼は背後に飛んだ。
そのまま手すりの上から姿を消した少年の姿に、マクシミリアンは戦慄が背中を駆け上がるのを感じた。
「────…………。」
じわりじわりと体内の奥にまで、冷ややかな何かが染み込んで来る。
それが何という名前を持つ物なのか、騎士としての矜持ばかりを抱き続けたわけではないマクシミリアンは、良く知っていた。
「…………っ。」
これは、「恐怖」だ。
ギチギチに固まった首が、ギリリと鈍い音を立てる。
それでも必死に、もう誰も居ないバルコニーから、視線を落としていく。
地雷が爆発したせいで、茨の覆われた道が開けていた。
植物モンスターたちも、警戒しているのか二人に近づいてこなかった。
開けた道の先──先ほどまでは茨に阻まれて見えなかった城内への門が見える。
あそこまで辿り着くのは簡単だ。
けれど、門を開けば──あの少年が待っている。
監獄の魔女と異名を持つ、この城に呪いをかけた張本人が。
「──……。」
マクシミリアンは、乱れ始める呼吸を整えるように、唇を一文字に結んだ。
一度強く目を閉じて、老騎士はゆっくりと目を見開く。
飛び込んでくるのは、ツタが岩壁を覆う優美な城。
七つの尖塔の先にまで、しっかりと刺だらけの茨が這い渡るその城には、姫や城主、妖精たちが囚われている。
「……ゆくぞ、サンチョ。」
低く、マクシミリアンが呟く。
何かを必死に噛み殺すような声が、何を噛み殺しているのか──その声を聞いたサンチョはすぐに理解した。
かく言う彼とて、ガチガチとさきほどから歯が鳴り続けているのだ……あの少年の、冷ややかな目を見た瞬間から、ずっと。
「────……はい、ご主人様……。」
震える手をギュ、と握り締めて、サンチョは守り刀を握りなおす。
いついかなる時も、自らの身を省みず──年も考えずに正義を貫く主人の姿こそ、サンチョが尊敬する主人の姿だった。
カチャリ、と剣を持ち直し、マクシミリアンはクレーターの中央から足を踏み出した。
植物達に長い間支配されていた地面は、ジットリと水気で湿り、足裏に柔らかな感触を返す。
クレーターを登りきり、爆発で飛んだ千切れた茨の上を跨ぎ──目の前の門を見上げる。
門の取っ手には、しっかりと茨のツタが絡んでいたが、細いそれはマクシミリアンの剣の一線でたやすく切れた。
城の中へ入るために邪魔するものは、もう何も無かった。
マクシミリアンは、一度浅く深呼吸すると、
「…………。」
無言で、取っ手に手をかけ……力を込めた。
長く閉ざされていた扉は、重く軋む音を立てて──100年ぶりに、開いていく。
暗闇の向こう側から、ひんやりと湿った空気が動く気配がした。
黴と埃の匂いを鼻先に感じながら、マクシミリアンは息を詰め、一気に扉を開放する。
むぁり──と、埃が空気中に舞い上がり、湿気が肌を突き刺す。
開いた扉から差し込む光によって、照らし出された玄関ホールに広がる光景に、思わずマクシミリアンは漏れ出る声を抑えられなかった。
「こ、これは──……っ!?」
埃が厚く積もった床の上、動かない淀んだ空気の中、向こう側に扉が見えた。
太い優美な柱が二本立ち、それにもたれるように兵士が座り込んでいる。
がっくりと顎を上げるようにしている彼らは、ピクリとも動かなかった。
「──……し、死んでいるんでしょうか?」
恐る恐るマクシミリアンの背後から顔を出したサンチョに、マクシミリアンは何も答えず、足を踏み出す。
灯りも灯らない室内は、暗く、空気が重い。
足元で、ブワリと埃が舞った。
ゲホリと小さく咳き込み、サンチョはマクシミリアンに倣って足を踏み出す。
マクシミリアンは、監獄の魔女がココに居ないかどうかを見回し、倒れている兵士の下へと歩み寄った。
彼らの鎧にも、霞むように埃が積もっている。
しゃがみこんで見やると、頬がくすみ、髪の毛の一本一本に綿ぼこリがつまれているのが見えた。
その光景に、マクシミリアンは軽く眉を顰める。
唇は色あせ、まるで死んでいるようにも見えたが、もしそうなら、生前と変わりない姿で埃がこれほど積まれているのはおかしい。
精巧に出来ている人形だと言われたほうが、よほど真実味があった。
「…………いや、随分ゆっくりではあるが、呼吸はしておるようじゃな。」
静かに目を細めたマクシミリアンは、動かない男達から視線をずらし、立ち上がる。
左右に顔を巡らせると、数人の兵士や着飾った女性たちが倒れているのが見えた。
何人居るのかは分からないが、彼らもまた呪いによって眠りについているだけなのだろう。
「ご主人様、彼らを……助けられますよね?」
サンチョも、マクシミリアンから少し遠のいた場所で、折り重なるように倒れている親子の生を確認しながら、小さく呟く。
その小さな呟きに、マクシミリアンは無言で唇を引き締め、目線を上げる。
「そのために、このマクシミリアン、ここまで来たのだ。」
さぁ行くぞと、マクシミリアンは埃が舞い立つ中、足を勧める。
床の上にクッキリとついた足跡を追って、サンチョも彼に続く。
暗闇にまぎれそうな扉の前に立ち、マクシミリアンは取っ手を握った。
掌に、べっとりと何かが張り付く感触がしたが──おそらくは、100年もの埃に違いはあるまい。もしかしたら、クモの巣も張っていたのかもしれない──、それを気にせず、ガチャリと回す。
何かに引っかかるような感触を覚えるのは、錆びてしまっているためだろう。
重く軋む扉を、ゆっくりと開いていく。
開いた扉の隙間から、なぜか光が染み出してきて──マクシミリアンが軽く眉を顰めた瞬間、
「点火〜♪」
楽しそうな、聞き覚えのある声がした。
瞬間、マクシミリアンは足のつま先から頭のてっぺんまで、恐怖という名の風が吹き抜けたのを感じた。
思わずマクシミリアンは、本能に従って、バタンと扉を閉める。
「ご主人様?」
不思議そうなサンチョの前で、彼はまるで何かから目を瞑るかのように、扉に背を預けて、恐怖に引きつらせた顔でブンブンとかぶりを振る。
訳すと、「これ以上は危険だ」ということであろう。
一体何が起きているのかと──なんだかわかるような気がしないでもなかったが、あえて聞きたくない気持ちになったサンチョの耳に、不吉な音が届いた。
ゴォォォーッ!
音は、紛れも無くこちらに近づいてきていた。
かと思うや否や、マクシミリアンが背を預けている扉が、異様なほどの熱を訴えはじめる。
とっさにマクシミリアンの頭を駆け抜けたのは、
「サンチョ! 飛べっ!」
ココから逃げるという、その単語ばかりであった。
年の功のせいか、死の影には非常に敏感になっているマクシミリアンは、このままだと、絶対自分たちは頭に天使の輪を乗せて、二人揃って空を浮くに違いないと確信したのである。
果たして、扉の前から背を引き剥がし、野生の勘のままに真横に飛び退ったマクシミリアンの判断は正しかった。
その一瞬後。
がごっ、ごごごご……っ
どっごぉぉぉーんっ!
扉が、異様な圧力を受け、真っ赤に染まったかと思うと──大破した。
「…………〜〜っ!!」
とっさにマントで体を覆い、サンチョを庇いながら駆け抜ける爆風と扉の破片から身を守る。
耳を打つほどの轟音が、室内に響き渡り、ビリリと柱が揺れた。
天井からは埃が舞い落ち、床に積もった埃が嵐のように室内を吹き荒れた。
その嵐に紛れて、眠っているはずの人間達が、慌てふためいて這って逃げていこうとする姿が見えたが、舞い上がる砂塵の幻影であろう。
そのさなか、灼熱の槍が、まっすぐに──ホールを突き抜けていく。
ゴォォォォオーっ! と、熱く燃える炎を伴ったソレは、勢いを衰えさせることなく、マクシミリアン達が入ってきた外への扉を抜け、そのまま表へ飛び出していく。
そして、ソレの軌跡上にあった室内の爆風が収まるよりも先に、
ぐぉっごぉぉごごごーーーんんっ!!!!
かつてないほどの大爆発が、遠く──草原の方で起きたような、音がした。
「な、なななななな……ななな…………っ。」
顔を上げた頬に、まだ熱を伴った風が当たる。
見上げた先、扉はへしゃげ、扉に続いていた壁は、その部分を溶けさせている。
ドロリと濁ったようなコンクリートからは、熱気が蒸気のように舞い上がり、異臭がする。
一体何が起きたのか、と、口を利くことすら出来ずに呆然とするマクシミリアンの耳も、キィィン、と耳鳴りがしているような状況であった。
「今のは、なんだっ!!?」
思わず声も高らかに叫んでしまうのは、きっと、仕方のないことであろう。
それほどにすざまじく、それほどに恐怖をそそられる出来事であったのだ。
その威力の凄まじさに、足がガクガクと音を立て、まだ腰に力が入らないほどであった。
出来ることならこのまま、気を失ってしまいたいところであったが、
「うーん、結構凄い威力。
それじゃ、サクっ、と二発目も行って見るか。」
そんな声が元扉のあった向こうの部屋から聞こえてきてしまっては、何が何でも腰を上げるしかなかった。
ガタガタと体を震わせているサンチョを置いて、マクシミリアンは決死の思いで立ち上がる。
ココで止められるのは自分しか居なく、また、これを止めなければ、世界は滅びる……っ!
彼は、心の奥底からそう信じた。
ヨロリとよろける体を壁に預けるようにして、大破した扉の辺りまで近づいた。
破片も何もかもが吹っ飛び、扉があったようには到底見えない場所まで来ると、溶けた壁から感じる熱に、空気が歪んでみるほどである。
ジワリと汗が滲むほどの熱さを感じつつ、扉から顔を覗かせた先──サンサンと日差しが降り注ぐ中庭に、その人は立っていた。
向こう側へと続く扉の前に立ち、大きな大砲を隣に置いている。
……そこまではまだいい。
大砲というのは、中庭でぶっ放す物ではないという常識も、ひとまず置いておいてもいいだろう。
問題は、その大砲の横に詰まれた、「大砲に詰めるもの」であった。
少年は、「槍立て」に立てかけられた「砲丸代わりの物」を手にすると、慣れた仕草でそれをセットした。
そして、迷うことなく手元のマッチを擦り、シュボッ、と火を点す。赤々と燃えた火を、導火線につけるまでの間は、十分に短かった。
「──……って、何つぅものを、セットしてるんじゃーっ!!!!!?????」
マクシミリアンが、「ソレ」が何なのか理解したときにはすでに、スイがつけた導火線は、大砲の中に消えていくところであった。
「マクシム。そこに居ると危ないよ。」
冷静に、そう突っ込んだスイの言葉が終わるよりも先に、シュボッ──と、第二弾が大砲の中から飛び出した。
「う……うぎゃぁぁぁぁっっ!!!!!」
年甲斐もなく叫んでしまった彼を、どうして誰が責めることができようか?
大砲の中から飛び出してくる炎の槍を、マクシミリアンはその目に焼き付けた。
業火とも言える炎を噴出しながら飛んでくるソレの威力は、マクシミリアンも聞いたことがある。
あの無敵を誇る鉄甲騎馬隊を倒したと言われる、業火の槍である。
悲鳴をあげて、そのまま逃げることも避けることもできず、硬直してしまったマクシミリアンの顔に、火傷を負うかと思うほどの熱が襲い掛かる。
思わず両目を閉じて、顔を庇うように腕を交差させたマクシミリアンは、そのまま自分を襲うであろう火炎槍の襲撃を待った。
しかし、業火が彼を襲うどころか──腕に感じた熱すらも、遠く冷めていった。
「──……?」
おそるおそる──まさか時間差で来はしないだろうなと、疑惑を持ちながら腕の隙間から伺おうとした矢先、
「発射するまえに、砲塔を上に変えたから、空に飛んでったよ。」
スイの楽しそうな声が答えてくれる。
その言葉に、半信半疑ながらも腕を下ろしたマクシミリアンは、確かに自分の視界に炎の槍がないことを認めた。
代わりに、先ほど槍を発射させたばかりの、細く煙をたなびかせた砲台が、熱に耐え切れずに先端を溶け始めさせていた。
「まったく──人の楽しみを邪魔するとは、不逞の輩だねぇ?」
熱く燃えるような色を宿す砲台に肘を置いて、唇だけで笑いかけてくる少年の、その笑っていない目に込められた威嚇が──マクシミリアンの動きを止めさせる。
冷ややかに微笑む少年の小さな体が、まるでこの城の大きさほど巨大に見えて、知らず後じ去ろうとする足を、叱咤するのが精一杯だ。
ごくん、と喉を上下させると、彼はそれはそれは楽しそうに笑って見せてくれた。
「僕が一生懸命かけた呪いを、こうもたやすく解かれたのでは面白くない。」
向こうへと続く扉の前で──おそらくその向こうこそ、この城に来る前に見た幻の「カシオスたちが眠りについている場所」であろう──、マクシミリアンを向こうへは通しはしないと、スイが微笑みかけてくる。
「──それでは、一騎打ちで決着をつけるのは、どうじゃ?」
カチャリ、と剣の柄を握りなおして、マクシミリアンが厳しい顔つきで尋ねる。
そんな彼の顔を見つめて、クッ、とスイは笑みを零した。
「……バカを言うね、マクシミリアン?」
その琥珀の瞳が──笑っていない。
瞳に宿るのは、冷ややかな、冷たい闇だ。
途端に、ゾクンと背筋が凍りつくのを必死で堪えて、マクシミリアンは声が震えないように必死に拳を握り、彼に向かって叫ぶ。
「騎士たるもの、一対一の勝負で決着をつけることが……っ!」
「そうじゃない。それ以前の問題だ。
いいかい? 勝負方法を決めるのは僕であって君じゃない。
やろうと思えば、君が救いに来た人間すべてを今すぐに焼き尽くせるということを──きちんと理解しているのかな?」
トン、と。
手袋の嵌った右手で、彼は自分がもたれている砲台を示す。
そこに何が入り、そこから何が噴出すのか──マクシミリアンは先ほどこの目で威力を確認していた。
確かにこれを使えば、この城はあっという間に阿鼻叫喚に包まれてしまうだろう。
どう考えても、この場で有利なのはマクシミリアンじゃない。
この城を呪いに染め上げた、監獄の魔女であった。
「──……っ!! ひ、卑怯な……っ!」
口惜しげに唇を噛み締めるマクシミリアンに、少年はその言葉こそ最高の賛辞だと言いたげにゆったりと頷く。
「言っただろう? 僕の楽しみを奪う権利は、お前たちにはないのだと。」
砲台から手をどけ、艶やかに笑んで両手を広げる。
その光景だけを見ていると、目の前の少年が悪夢をもたらしたなど──そして今もそのキーを握っているなどとは、信じられなかった。
でも、それがこの城の現実だった。
救いにやってきたマクシミリアン達すらも、彼の手の中にある、退屈しのぎのコマでしかない。
「──さぁ、パーティを始めようか? 最初は……何をしよう?
焼いた鉄板の上に、人間を置いて、彼らの誰が一番始めに脱落するか賭け様か?
それとも、表のモンスター達の中に放って、制限時間までに何人が残っているか当てっこする?
ああ、そうだ。君のお連れさんの命と引き換えに、君の願いを一つだけかなえてあげるというのはどう? それも中々面白そうだ。」
クツクツと、楽しげに喉を鳴らしながら、彼はマクシミリアンをチラリと見上げる。
彼の顔が怒りに赤く染まり、青白く変わっていく様を、ひどく楽しそうに見つめる。
歓喜にも似た色が、少年の表情を艶やかに染め上がる。
「最後はやはり、この城の姫が死ぬと同時に、城中の人間が目覚めるというのがイイね。
彼らはどうするかな? 自らも死を選ぶかな? ──何せ彼らが眠り、すでに100年だ。とてもじゃないが、生きてはいけないだろう?
ああ、何人が逃げだすだろう? それを当てあいするのも……楽しいよ?」
クスクスと笑う──幼い無邪気の子供のように笑う彼の目は、子供のソレとは似ても似つかなかった。
冷ややかで残忍な暗黒の魔女そのもので……見ているだけで、心臓が掴み取られるようだった。
「──……くっ。」
滲み出てくる屈辱と敗北感、そして負けじとする正義感に、マクシミリアンは心をさいなまされる。
それでも、彼は手にした剣を放すことはなかった。
少しでも隙あれば、魔女と相打ちにでもなる覚悟だった。
この城の呪いを解くには、サンチョも居る。自分は一人ではないのだから、どうにでもなるはずだった。
この魔女さえ、倒せれば。
「ああ、言っておくけど、僕を殺してしまったら、呪いは一生解けないから、無駄な事を考えるのは止めることだね。」
微笑む魔女の、なんと用意周到で狡猾なことか。
マクシミリアンは、自分が握った剣が微かに震えるのを感じた。
──それは、自分の心の震えだ。
「──…………っっ。」
「ご主人様……っ。」
不安げに、マクシミリアンの背中から声をかけるサンチョに、なんでもないと、そう言う力すらなかった。
なんと自分の無力なことか。
彼はそう嘆き、救えぬ城の人々と、このまま帰れることのないわが身を思って、涙する。
──と、その時であった。
ギギギィィ……。
軋む音を立てて、スイの真後ろの扉が開く。
「──……誰?」
スイが、立てかけてあった棍を手に、鋭く背後を睨み付ける。
「まさか、カシオス殿……っ!?」
最後の希望にすがって、マクシミリアンがそう小さく呟いた瞬間、少し開いた扉の隙間から、にょきり、と白い腕が飛び出した!
「ひぃやややっ!!」
口に手をあてて、サンチョが叫ぶ。
「……っ!」
スイが、とっさにその手に向けて棍を振り落とそうと、ヒュンヒュン、と素早く振るった瞬間であった。
「……ぼっちゃぁぁぁーん………………。」
低い……掠れた男の声が、聞こえたのは。
「──……っ!」
瞬間、スイの背がしなったのを、サンチョもマクシミリアンも見た。
それどころか少年は、振り落とそうとした棍を、ものすごい勢いで引き戻し、眉をきつく絞った。
出来ることなら、このまま何事もなかったかのように扉を蹴って、しっかりと施錠して閉めてしまいたいところであったが、それは出来ない。
なぜなら、
「──私はぼっちゃんを、そんな悪人そのものがハマり過ぎる性格に、お育てした覚えはないですよぉぉぉー?」
恨みがましい響きを伴って、顔を出したのは──つい先ごろ蘇ったばかりの、スイのウィークポイントであったからである。
「────…………グレミオ………………お前、なんでココに……………………。」
心底嫌そうな顔で見返すスイに、けれど彼の教育係は負けては居なかった。
少しの隙間からスルリと体を抜け出させると、体についた埃を払い、仁王立ちする。
キリリときつめの顔を厳しい色に染め上げて、両手を腰に当てて──この姿になったグレミオが自分の目の前に立った瞬間、スイは間違えもなく理解した。
ああ、彼は今から自分に、説教をかますつもりなのだ、と。
そして、そのスイの予測どおり、グレミオは顎を引いて、スイの顔を見下ろした。
「テッド君から連絡を貰ったんです! ぼっちゃんが、埃まみれの不衛生な城で、悪事を働いているって!」
彼の意識の観点は、間違えようもなく「埃まみれの不衛生」の部分にあるような気がしてならなかったが、それでもスイを連れ戻しに来たという事実だけは疑いようがないであろう。
思わずマクシミリアンは、目を大きく見開いて、グレミオを見やった。
まったくもう、と──怒れるお母さんモードに入っているグレミオに、スイは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「────……テッドめ……裏切りやがったな……っ。」
舌打ちまでして呟くものの、テッドの行為は褒められることであり、けなすような対象ではないはずだ。
スイは、後でお仕置き決定、と左手でビシリと右手の甲を指差す。
とは言っても、今彼はここの最上階に居て、右手には居なかったが。
「まったく、ぼっちゃんと来たらっ! 悪事を企てるのは構いませんけど、皆さんに迷惑のないようにして頂かないと困ります!
そうしないと、亡きテオ様にも申し訳が立たないでしょう!?」
「えーっ、だって、悪事は人の迷惑になるようなことをしてこそ、悪事だもん。」
「なら、迷惑の対象はフリックさんとか、ビクトールさんとかの限定にしてくださればいいじゃないですか!」
きっとこのグレミオのセリフを聞いた瞬間、名指し指定された二人は、どこか遠くへ出奔する準備を始め、戦争後にしばらく行方をくらますことは間違いなかった。
「もう十分楽しんだでしょう? ほら、ぼっちゃん、帰りますよ。」
ガシリ、と腕を掴んで、グレミオはいつに無く強い口調で言い切る。
ある意味できの良い息子を持つと、苦労すると言いたそうな表情であった。
しかし、件の出来のよろしい息子も、そんな母親のセリフに素直に従うわけでもなかった。
ぺしっ、とばかりにグレミオの手を払うと、
「ヤダ。」
ジト目でグレミオを睨み上げ、ツン、と顎を反らせる。
「ワガママ言わない! よろしいですか、ぼっちゃん!? そもそもぼっちゃんは、自覚というものが無さすぎです。
ぼっちゃんももうお年頃。このようなことばかり続けていては、お嫁さんの来てもなくなりますよ? そうなってしまったら、もうぼっちゃんに残されている道は、どこかの将軍様のお稚児さんになる道しかないんですから!」
グレミオは、ここぞ、とばかりにこんこんと説得に入るが──、
「グレミオの情報って、どこで仕入れてきたか知らないけど、いつも捻じ曲がっていると思うのは、僕の一方的な気のせいか?」
スイですらそう口にするくらい、嫌な説得方法であった。
けれど、そんなスイのセリフをまともに聞いているようでは、この監獄の魔女の教育係などしていられない。
グレミオは、少年の体を問答無用で羽交い絞めにすると、そのままヒョイと持ち上げた。
「うわっ! 放せっ! 放せよっ!」
「さぁ、行きますよ! みっちり、お説教ですからね!!」
ジタバタジタバタと足を振り回し、ついでとばかりにグレミオの足を蹴ろうとするが、それは体の柔らかいグレミオに、あっけなくヒョイと避けられる。
伊達に育ての親であり、四六時中スイのことを考えてはいない。
グレミオは、スイの考えているパターンは、ほとんどお見通しであった。
「マクシミリアンさんも、サンチョさんも、うちのぼっちゃんがご迷惑かけてすみませんでした。」
スイを抱え上げながら、グレミオが朗らかに話し掛けてくる。
唖然と事の次第を見守っていたマクシミリアンとサンチョは、そんな彼のセリフに、かぽんと口を開かずには居られなかった。
迷惑だとかなんだとか──自分たちがあれほど苦労をした相手を、あんなにアッサリと回収してしまえるグレミオが凄いというのか、レベルに関しては自分たちの方が上だというのに、この差は一体何なのだというか………………。
「これからは、もー少し可愛いイタズラにするように、更正させますから、どうか今回のことは、水に流してくださいね。」
ニッコリと笑って、グレミオは、さぁ戻りましょうと、スイを担いだまま歩き出す。
スイはグルリと首を巡らせてグレミオの顔を睨み上げる。
「更正ってなんだよ、更正って! それじゃまるで、僕が人生の道を踏み外しているように聞こえるよ!?
僕はただ、やりたいようにやって、理性と本能の赴くままに生きてるだけなのにさ!」
「ぼっちゃんの場合、その理性と本能の折り合いが他人よりもやばすぎて困るんです!!」
それに対するグレミオの声は、簡潔極まりない。
「言ったなっ! そういうお前だってな、料理と掃除と洗濯と僕のことだけしか頭にないっていうのが、そもそも理性と本能がない証じゃないか!」
「何をいいますか! 私の場合、ぼっちゃんと料理と洗濯と掃除の順番です! ここのところは間違われては困ります!
ちなみにテオ様ご存命の頃は、ぼっちゃんと料理と洗濯とテオ様と掃除の順番でしたけどね!」
「うわっ、父上って、シチューや洗濯よりも格下!? それは息子として、意義アリ!」
ハイハイ! と片手を上げて、大きく抗議するスイに、グレミオが更になにやら答え────二人は、なんだかんだと言い合いながら、マクシミリアンとサンチョの隣を通り過ぎる。
あっけに取られてその背中を見送る二人の前で、グレミオはしっかりとスイを掴み上げたまま、ずかずかと玄関ホールを横断していった。
扉が大破してしまっているため、両手が塞がっていても堂々と出て行けるところが、非常にありがたいようである。
そうして──何が起きて、一体何が終わったのかわからないまま、マクシミリアンとサンチョは、静けさの残った城に……取り残される。
「…………なんだか分かりませんが………………いっちゃいましたね…………ご主人様………………。」
呆然と、城の外に消えていった監獄の魔女と、どこからともなく現れたグレミオの姿を見送り終え、サンチョが呟く。
「うむ…………なんだかわからんが…………行ったな………………。」
目の前の砲弾と槍立ては、そのまま放置されていたし、城の中が何か変わったようには思えない。
しかし、今この城に、魔女は居ない。
それだけは確実な真実であった。
のろのろと、マクシミリアンは顔を上げる。
見上げた空を、白い雲がゆっくりと流れていっていた。
限られた四角の空を、優雅に鳥が飛んでいく。
「…………終わったのか………………。」
だらん、と肩を落として、呟く。
剣の柄を握っていた手が、不意に重く感じた。
それを持ち上げて、かちゃんと鞘の中に戻す。
たったそれだけの動作が、異様なほどに腕に負担を感じた。
強張った指先は動いてくれなかったし、じっとりと汗ばんだ掌は、何度も剣を取り落としそうになる。
「──はい……ご主人様…………。」
へなへなと、その場にしゃがみこんだサンチョが、力なくマクシミリアンを見上げる。
マクシミリアンは、そんなサンチョを見下ろし──小さく笑んで見せた。
サンチョもまた、主人を見上げて笑み返す。
自分たちが何をしたというわけでもないけれど……これですべてが終わりというわけではない。
「それでは、姫君に目覚めていただこう!」
朗々と響き渡る声で、マクシミリアンはそう宣言し、足を踏み出した。
慌ててサンチョが地面を這いつくばるようにして掌を動かせ、そして必死になって立ち上がる。
踏ん張って付いてこようとするサンチョに、
「辛いなら、ここで休んでおれ。
あの魔女ほどの強敵は、もはや居まい。」
マクシミリアンはそう案じてくれたが、断固としてサンチョはそれに甘えることはなかった。
「あの魔女のことです! 姫の下に、最後のラスボスくらいは用意しているかもしれないじゃないですか!」
キリリ、と顔つきを改めてそう告げるサンチョに、マクシミリアンは初めてその可能性に気付いたらしい。
ふむ、と顎ヒゲを撫で上げると、目つきもするどく目の前の扉を睨んだ。
あの魔女ほどの強敵が──恐怖を誘う相手が、この先に待ち構えていることはないと思うが、最初に待ち構えていたのが巨大おばけばなだ。
それに順ずるほどのモンスターに守番をさせていても不思議はない。
何が起きてもすぐに対処できるようにと、マクシミリアンは身も心も身構えながら、中庭から広間へ抜けるための扉──スイに邪魔をされて進みだすことが出来なかった扉に、手をかける。
「開けるぞ、サンチョ。」
先ほどグレミオが出てきたばかりの扉は、何の抵抗もなくたやすく開いていく。
「………………。」
どくん、どくん、どくん……と、強くなる鼓動を感じながら、マクシミリアンはそのまま一気に扉を開いた。
グレミオが出てきたのだから、この先の広間には、何か居ない可能性だってあるのだ、と。
果たして、大きく開いた扉の向こう側には、モンスターは居なかった。
ただ、
「はろはろー! どーも、おこんちー?」
扉を開けた正面の床。
差し込んだ光の中、にょっきりと生えた少年の首が、ニッコリ笑って話し掛けてきた。
「俺のアイディア、結構うまく行ったと思うんだけど、どーっすか?」
とび色の髪と瞳の少年は、そのまますり抜けるように床から体を抜け出し、スルリと空中に舞い上がる。
そうして、そのまま床に腹を向けるようにして、マクシミリアンとサンチョの顔を覗きこんだ。
茶目っ気たっぷりの表情は、明るく陽気であったけど。
「やっぱりスイの悪事止めには、グレミオさんが効果的…………って、あれ?」
「……………………で、出た……っ。」
「………………ひぃぃぃ……っっ。」
それを突然間近で見させられた老騎士と従者の反応は、ひどく──一般的であった。
二人は、目を丸くさせ、絶叫すらも喉を通らないまま、白目をむいた。
かと思うや否や、そのまま仲良く揃って、バッタンっ、と、倒れてしまったのであった。
「………………………………………………気絶…………しちゃったり??」
コリ、と──サンサンと差し込む日差しの下、口を開きっぱなしにして倒れたマクシミリアンとサンチョを眺めて、うーん、と少年は腕を組んだ。
「…………やっぱ、床から生首ビョーンッは、刺激的すぎたか……な?」
くり、と首を傾げてそう呟くが、本人自覚の無いまま「ラスボス」であったテッドに答える声は、どこにも無かった。
そうして、彼は無言で視線を転じて──天井を見上げた。
どこからともなく、なんだかとっても嫌な威圧感を感じるのは、きっとテッドの気のせいではあるまい。
「…………それって、役得って…………いうの…………?」
ぽつり──と、威圧感の正体を感じながら、テッドが小さく呟いたが……誰もが眠りについているこの城の中、答えてくれる人は、どこにも居なかった。
ほろん、ほろろん……ほろろん。
軽やかなメロディが城の中に、ゆっくりと浸透していく。
埃が積もった床は、その音楽に軽やかに跳ねていくように風に乗り、どこへともなく吹かれていく。
窓から差し込む日差しは、明るく室内を照らし、深く淀んだ空気を一掃していくようだった。
耳に心地よい音楽に、ソロリ、と睫を震わせたメロディが、唇から暖かい吐息を零す。
その音が、甘い輝きを伴って風の中を駆け巡っていく。
カリ、と、床を掻いたウィンドウの指先から、美しい輝きを宿す飾りが施され、室内を覆っていた長年の穢れやくすみが、変えられていくようで。
「──……う、ううん…………。」
「これは……一体?」
重い鈍痛を覚える頭を振りながら、メロディが起き上がる。
パラリと零れた埃の残骸に、彼女は軽く眉を顰め、何が起きているのか思い出そうと──……ヒュッと息を呑み、慌てたように顔を上げる。
同じように顔をあげたウィンドウと、目と目がぶつかった。
ほろろん──ほろん。
優しい音楽が、城の中を軽やかに駆け巡っていた。
この音を、二人は良く知っていた。
「カシオス!」
迷うことなく、音を奏でているだろう人の名を叫び、二人は強張った体を無理矢理起き上がらせて、音楽のする方向を見やった。
二階へと続く階段の一番下──倒れているミルイヒのすぐ側に腰掛け、青年は眠りにつく前と変わらない指先で、音を奏でていた。
長い睫にキラキラと光が集まり、それが音と共に弾けていく。
「──……これは……?」
音が煌いている。
空気が輝いている。
カシオスの奏でる楽に、メロディの動作の音に、ウィンドウの指の軌跡に、何もかもが呼応していた。
それは、喜びの空間。
「城が──目覚めていく……っ!」
妖精であるが故に、人間達よりも一足早く目覚めた妖精たちは、顔を見合わせ、見る見る内に蘇っていく世界に顔を輝かせた。
ウィンドウが掌を大きく広げると、埃が積もり、淀んだ床や柱が磨き上げられる。
メロディがその上を軽やかに音を打ちたてながらステップを踏むと、軋む音が綺麗なメロディに変わっていく。
「呪いが解けたのね!」
「ああ、これでこの城に、再び笑顔が満ちることでしょう!」
両手を広げて、歓喜に打ちひしがれるメロディの叫びに、ウィンドウも満面の笑顔で答えた。
その二人が広間中を駆け巡る中、カシオスは口元に微笑を刻みながら音を奏でていた。
ゆっくりと、人々の瞳に光が戻り、体に血の気が戻っていく。
ミルイヒもまた、美しい音楽を耳にしながら、睫を震わせて目覚める。
人形のように強張っていた顔が、少しずつ柔らかくなっていく。
「──おはようございます……ミルイヒ様。」
ほろろん──と、美しいメロディを奏でながら、カシオスが微笑む。
その先、ミルイヒは夢を見ていたかのように目を瞬かせ、辺りを見やった。
美しく飾り立てられた宮殿は、眠る前と何ら変わっていないようであった。
窓から差し込む風は甘い──少し火薬臭い匂いがしていたが、十分新鮮であったし、埃もクモの巣も、何もかもが吹き飛ばされている。
窓に張り付いていた茨はすべて枯れたかのように跡形もなく、中庭に続く扉の向こう側はどうなっているか分からなかったが、見渡す限り、何も変わっては居ない。
「……私は……確か、魔女によって眠らされたはずでは…………?」
「はい、ミルイヒ様。私達は、あの邪悪の魔女により、100年の間、眠らされていたのです。」
「────100、年?」
いぶかしげにミルイヒは眉を顰める。
頭の中では、つい先ほど現れたあの魔女が、エスメラルダを昏倒させた記憶しかない。
その後どうなったのか記憶にないが──あれから100年が過ぎているというのか?
「──! エスメラルダ! エスメラルダはっ!!?」
慌てたように起き上がったミルイヒであったが、不意にクラリと眩暈が襲い、手を床に押し付けることになる。
どうやら、自分たちにとってはほんの一瞬の記憶しかないが、体は相当の時間を眠っていたことを覚えているようであった。
軋む筋肉と、鈍い血のめぐりに、ガンガンと頭痛を覚える。
カシオスは、そんなミルイヒをいたわしそうに見つめた後、余韻たっぷりにハープを止めると、指先で階段の上を示した。
「エスメラルダ姫は、この上──寝室でお眠りになられているはずです。
我らが目覚めたということは、あの方もお目覚めであると言うこと。
きっと、エスメラルダ様を目覚めさせた若者が、その側に控えていることでしょう。」
立ち上がるミルイヒの前に恭しく頭を垂れるカシオスの言葉に、主はしっかりと頷いた。
「カシオス、長きに渡り、ご苦労でしたね。
皆も、ご苦労さまでした。──さぁ、皆で姫を迎えに参りましょう。」
そこかしこで額を抑え、眩しい光に目を眇める面々が、ミルイヒの声に空ろな眼差しを上げ……その目に、力を宿す。
「はい!」
「おおっ!」
歓喜に両手を挙げ、誰もがミルイヒの言葉に賛同する。
自分たちが目覚めたということは、あの監獄の魔女の呪いが解かれたということ──つまり、誰もに愛される眠り姫が覚醒したということなのだ。
「きっと、上では、騎士様と眠り姫とが、見詰め合ってるのね。」
ふむふむ、と頷くメロディに、ウィンディも微笑を零して頷く。
「お話の最後にふさわしい、それはそれは豪華な飾り窓で祝福してあげましょう。
エスメラルダさんも、大喜びしてくださいましょう。」
ニコニコと笑いあっている二人を見上げて、クロンは少しだけ呆れた目で階段を駆け上がっていく面々を見上げた。
埃も軋みも、何もかもが取り除かれたその階段は、まるで100年の月日を感じさせない。
軽やかに一番初めに階段を上りきったミルイヒの姿が、二階へと消えていくのをたっぷりと眺めてから、
「──……みんな、騎士が誰かって、ちゃんと理解してるのかなぁ?
僕、絶対に、二階で起きてるのは、エスメラルダさんが手につく物を投げている姿だと思うなぁ……。」
アリアリと想像できるよ、と──騎士が誰であるのか知っている少年は、軽く肩を竦めて見せた。
もちろん、クロンはそんな投げ合いを見に行くつもりはないので、嬉しげに階段を上げって行く人々をヒラヒラと手を振って見送る。
カシオスは、階段から少し離れた場所で、ホロリホロリとハープを再開し始める。
彼の透き通るような音は、二階の寝室にまで微かに届いているに違いない。
その二階で、一体何が起きているのか……考えるのも嫌だと、クロンは踵を返して入り口の方へと向かった。
こうなった以上、目覚めた眠りの城の門の前で、
「こんにちわーっ、ここは、スカーレティシア城だよ。」
と笑顔で訪問者に語るのが一番である。
広間の扉へ向かって歩き出したクロンは、そこでふと足を止める。
開きっぱなしの扉の前に、人が倒れていたのである。
「──……?」
こんなところで眠っているなんて、なんて運の悪い人だろうと、クロンは眉を寄せた。
何せ、上半身が扉の外──中庭に倒れこんでいるのである。
この分だと、100年分の雨と風を受け続けていたのではないかと思うほどだ。
無事に生きているのだろうかと、怖い物見たさで覗き込んだ瞬間、
「………………………………え?」
目を剥いて倒れているのが、「運命の騎士」であることに気付いた。
「え、えええっ!? マクシミリアンさんに、サンチョさんっ!? え、じゃ、一体誰がエスメラルダさんを起こしたの!?」
慌てて振り返って広間を見やるものの、カシオスが音楽を奏でているばかりだ。
「って、マクシミリアンさん! サンチョさんっ! 一体、何が起きたの!!?」
倒れた二人の側にかがみこんで、クロンは二人の肩を交互に揺さぶるが──つい先ほど気絶したばかりの二人は、まるで意識を取り戻す様子は見せなかった。
そうこうしているうちに、カシオスの奏でる音楽にあわせるように、軽やかな足取りが階段の方から聞こえてきた。
ハッ、と振り返ったクロンの目に、階段の上から降りてくるドレスと、それをエスコートする趣味のよろしい靴が飛び込んでくる。
「もう降りてきたよっ!」
まさかあの靴の趣味──っ、エスメラルダさんを起こした人って、ヴァンサンさんじゃないよね!?
ドサクサ紛れに、実はヴァンサンさんったら、エスメラルダさん目当てだったのかと、クロンは嫌そうに顔を歪める。
一瞬頭の中に、解放軍が勝利した後の空中庭園で、リンゴーン、と結婚式を挙げるヴァンサンとエスメラルダの姿が浮かび上がった。
それはそれで愛でたいのかもしれないが、少々考えたくないカップリングであった。
「そんなことになったら、この城、すごく悪趣味になっちゃうじゃないか……って、いや、スカーレティシア城はいまでも十分だから、それはそれでいいのか!?」
できれば見たくない。
でも、興味はある。
そんな葛藤にかられたまま、クロンは正面の階段を凝視し続けた。
ゆっくりと降りてくるエスメラルダの足からは、音の祝福の奏でる心地よい足音。
フワリフワリと揺れるドレスの裾には、飾りの祝福が閃く目に鮮やかな光のマジック。
そして、カシオスの奏でる音楽が、なんとも娘をきらびやかに美しく感じさせた。
背後から続く誰もが感嘆の吐息を零し、喜びの声をあげている。
その中、悠然と降りてくるエスメラルダの手を引いてエスコートしているのは……。
「……っミルイヒ様!」
紛れも無く、ミルイヒであった。
「ま、まさか、ミルイヒ様が、エスメラルダさんにチューをっ!?」
ずさっ、と、思わず背後に下がってしまったクロンの靴に、騎士の体が当たった。
確かに、劇の中では親子であるが、実際の親子ではないのだから、それはそれでいいのかもしれないが、いやでもしかし、それは大ドンデン返しというか、それならそれで、ココで倒れているマクシミリアンの出番がないというか、意味がないというか。
何が起きて、こうしてマクシミリアンが倒れているのかは分からないが、相手はあの「監獄の魔女」の異名を持つ「史上最悪の魔王様」である。
負けて気絶をしているだけでも、十分過ぎるほど「無事」と言えよう。
狼狽し、慌てふためくクロンに気付かず、ミルイヒはエスメラルダが階段から降りるのを補助する。
彼女がフワリと床に足をつけた瞬間、ミルイヒは彼女を支えながら、朗々と宣言した。
「皆の者! こうしてエスメラルダは、無事に目覚めを迎えた!
しかし残念ながら、エスメラルダを目覚めさせてくれた恩人は、姫が目を覚ました時にはすでに傍には居なかったそうだ。
──奥ゆかしい素晴らしき恩人に、感謝を捧げると共に……再び祝おう!
我らがこうして立ち上がれることを、喜べることを──!!」
「みなさん、私の美が永遠に損なわれなかったことを、感謝しましょう!」
両手を広げて告げた親子の言葉は、強く高く城中にこだました。
その声が途切れる前に、わぁぁぁっ、と歓声が起きる。
まるで城を包み込むような歓声は、喜びと生の躍動に満ち溢れていた。
クロンは、噛み締めるようにミルイヒの言葉を口の中で繰り返し──ん? と首を傾げた。
「──……誰も傍には居なかった…………?」
ということは、目覚めのキスはすでに済んでいたいうことか?
騎士たるもの、礼は受け取らないものだと、そう言う展開の帰りに、何かに気絶をさせられたのなら分からないでもない。
たとえば、マクシミリアンがやりそうなことといえば……帰ろうとして、真っ暗だったので、うっかり人にけつまずいて、頭から扉に突っ込んでしまった、とか……?
そう考えた瞬間、クロンの頭の中に霧は消えていった。
ぽん、と手を叩いて、
「これだ!」
力強く、呟く。
つまり、そういうことだ! というよりも、これ以上マクシミリアンらしいことはないではないか!
納得すれば、後は早かった。
「さぁ、皆の者、踊ろうではないか! 歌おうではないか!」
「喜びを分かち合いましょう! これからの苦楽を共にするために!」
ミルイヒとエスメラルダの二人が、当然のように広間の中央に進み出て、ステップを踏み始める。
カシオスが、奏でるメロディを軽やかなソレに変える。
それに倣って、どこからとも無く人々が広間に現れ、あっという間に会場は宴と化した。
そこかしこでクルクル人が踊り、カツカツと心地よい靴の音が鳴り響く。
すぐにクロンがしゃがみこんでいるところにも、踊り歩く人がやってくる。
「おや、こちらの方々は、まだ目覚めていないのですね。」
ひらりん、とリズム良く舞い上がったヴァンサンが、口にバラを咥えたまま、扉の傍に倒れている二人を見下ろす。
クロンは、そんな彼に向かって、ニッコリ笑ってこう答えて見せた。
「ええ! ちょっとお疲れみたいですから!」
目覚めたマクシミリアンは、きっと自分がこの城を救ったのだと言いたくはないだろうと──エスメラルダの気持ちをおもん庇っているかどうかは置いておき──、そう判断したクロンは、自分なりに満点だと思える答えを口にした。
そうして、いまだにガックリと寝ている二人を振り返ると、
「それよりも、踊ろうよ! せっかくのパーティなんだから!」
彼ら二人に意識が集中してしまっては、二人が目覚めた後に、コッソリと城を抜け出す事が出来ないと、クロンは両手を広げてヴァンサンに誘いかけた。
もちろん、ヴァンサンがその誘いを断るはずもなく、
「ええ、もちろんですとも! 今宵は踊り明かしましょう!
おお、なんと素晴らしく美しく、甘美な響き!」
クルクルクルクルっ、と回りながら、踊りの輪の中へと入っていく。
クロンも、笑いながらその後に続き──一度だけ、ソ、と二人を振り返る。
変わりなく眠り続けている二人に、いまだけは安らかに眠れるようにと──そう、祈るのであった。
王子様は半透明でしたネ!(ダメじゃん)
『あー……楽しかった……火炎槍大砲も試したし。悪役って、癖になりそうだよね……うん。』
『俺はつくづく思うな──お前、いっぺん死んだほうが、世のため人のためじゃねぇのかってな。』
『やだな、ビクトールってば。そんな自分の首をしめるようなことを言って。』
『って、本当に締めるなっ! 苦しいだろうがっ!』
『いや、その口を塞いでおかないと、僕の性格が悪者だって世間様に吹聴されそうな気がしてさ。』
『んなことしなくても、おめぇの性格の悪さは、みんなが知ってるぜ。』
『ふーん、じゃ、いっか。』
『いいのかよ…………。』
『今度は、噴出す炎ってやってみたいなー……油田火災とか、火山噴火とか、そういう感じの。
最後の炎を3人で唱えたら、ああいう風にならないかな?』
『その時勢ネタで、人様を敵に回すようなことを言うなよ、だからさ。』
『炎を消すにはダイナマイト。──ビクトールを消すにも、ダイナマイト?』
『おめぇが言うと、ほんと、しゃれにならないから、いい加減止めてくれ……頼むからよ。』
「……なんとか無事に(?)、お話も終わりましたねぇ……。」
「うん。無事に(?)終わったね。」
「ほんと、誰も怪我なく無事に(?)終わりましたね。」
「…………? ね、なんでみんな、無事に、の後に(?)をつけるの?」
「ああ、美しき姫君をめぐる戦い──しかとこの目で見させて頂きましたよ!
やはり、魔の王にも、それなりの美しさと気品が必要ということですね!」
「ほほほほ。やはり、美しさは罪ねぇ……。」
「ああ……美しき劇を作るためには、多少の犠牲は必要ということなのでしょうか?
私の庭が──私の愛する地が…………クレーターに…………。」
「まぁ、特にコレと言った被害もなかったし。」
「うんうん、なかったなかった──………………ような気がする。」
「? ──そういえば、ご主人様、皆さん?」
「どうした、サンチョ? 後頭部のコブが痛いなら、リュウカンどのからシップを貰ってきてやろうか?」
「いいえっ、ご主人様にそんなことをしていただくわけには──っ!
あ、いえ、そうではなくってですね。
──スイ様が中庭で放った火炎槍、上空に飛ばされた後、どうなりましたっけ?」
「……え、だから、草原を丸焼けにしたのは?」
「あれは、一発目だろ?」
「もう一発、放ってたってこと?」
「おお、そういえば、上空に飛んで…………。」
「飛んで…………。」
「………………………………………………。」
『ああ、皆も楽しそうで何より何より──っていうかさ、誰がこの組み合わせを許可したんだよ?
どう考えても、まともなメンツじゃないと思うんだけどさ。』
『って、お前だろーが。しかも嬉々として、人数足りないなら、僕が魔女役をしてあげるよ、とかいっただろーが。』
『だってしょうがないじゃないか。一回でいいから、火炎槍でミサイルってやってみたかったんだもん。』
『…………誰だ、コイツにそんなもん渡したのは……っ!』
『まぁまぁ、ビクトール。
ちょーっと最後の一本が、グレッグミンスターの方角に飛んじゃったけど、誰もそれがワザとだとは思わないから、大丈夫大丈夫。
普通に考えたら、そんなに飛ぶわけないって、誰もが思うもんねぇ?
さっすが、ジュッポ&セルゲイ特製! ジェット噴射装置つきだよね!』
『アホかぁぁぁっ! やっぱお前、アレはわざとか!? わざとなのかー!?』
『いいんじゃない? ちょうど今、都の人たちって避難してるから、一般人には被害ないからさ。』
『…………悪魔がココに一人居る………………。』
『それにしても、ほんっと、悪役って、いい感じ──v なんだか、凄くリフレッシュした気分になるね!
ウィンディの気持ちが、分かるなぁ、僕!』
『──……そりゃ、お前の場合、素でいけるからな…………。』
「きぃぃーっ! マクドールの坊やっ! あんた、絶対にわざとだろう!?
よりにもよって、私のペットたちのど真ん中に射てくれるとは、いい度胸してるじゃないかい!」
「────…………また召還すればいいだろうが、あの程度の魔物ども。」
「あの子たちは、戦い用じゃなくって、私のペットだって言っただろう!
あれだけ器量良しの可愛い子達を召還するのは、中々大変なんだよ!?
ミイラとか、鎧とか、ゾンビとかなんかペットにしても、楽しくないだろう!?」
「…………いや、これはこれで、可愛いと思うが。」
「……………………………………………………ユーバー……………………………………。」
天魁星様v
4月分お届けのはずの作品を、お届けさせて頂きます。
──20日ほど遅れてしまいましたが、5月お届け分につきましては、ちゃんと期日までに終わるような量に調整いたしますことを、ここで誓わせて頂きます。
………………すみません〜、20日も遅れてしまいました! その分、いつもの二倍の量はあるので、それでご勘弁ください……うう。
なんだかスッカリ別の話になってます、眠れる森の美女。
大幅なストーリーは同じなのですが、ソコにいたる展開が…………………………。
──ごめんなさい、もう調子に乗りません……。
当初の予定では、「祝福11個→魔女登場→祝福12個→16回目の誕生日→姫眠りにつく→100年後→王子様茨を掻き分け二階へ→姫目覚める→めでたしめでたし」の内容だから、それほど長くなるようには思わなかったんですけどねぇ……どうしてココまで長くなったのでしょうか? 脇役に心を注いでしまったから? それとも、悪役坊ちゃんに調子に乗りすぎたからですか?
でも、楽しかったです。無事に終了してよかったです。
終了の仕方は……おいておくとしても(笑)。
次は「ヘンゼルとグレーテル」ですネ!
キャスティングもすでに決まっているので、きっとなんとか早く…………今月中には終わる予定。
もう今回みたいに、ビッシリ書いたりはしないので、きっと短く終わるでしょう。
目指せ!40KB以内!(笑)
ということで、次回またお会いしましょう♪