「この寒いのに、水の中で演技かい? 冗談じゃないねぇー。」
「そう言わずに、さ、コレを履いて履いて。これで、魚の下半身を作るんだからねっ!」
「うぉっ、なーんか、ビラビラしたのついてんなー、これ? 俺がこれを履くのか?」
「って、兄貴が履いてどうするっすか……兄貴がはくのは、コッチっすよ。」
「………………………………んじゃまー、俺はそういうことで。」
「あー……今日は良い天気だねー、タイ・ホー? なんだかとっても、水上爆発な気分じゃないかなー? そうそう、そういえば、どこぞの漁師の船に仕掛けた爆弾、どーなったっけぇ?」
「スイ……っ、お前な…………っ。」
「それじゃ、そういうことで、ミーナ? 頑張って、彼らの支度を頼むよ。ちゃんとカボチャパンツも用意したしねぇ。」
「もっちろん、まかせて、スイさんっ! さーっ、やるわよ、メグっ!」
「おーっ! ──って、ミーナ、私は支度を手伝うんじゃなくって、支度をする方。」
「みなさーん、お支度はできましたかーっ!? 今回は、俺がバッチリ皆様の水着姿……もとい、勇姿をカメラに収めさせてもらいまーっすv」
「げっ、シーナがカメラ役っ!? ──……ミーナ、私、ビキニじゃなくって、ワンピース水着に変更するわ。」
「えっ!? メグちゃん、それってひどいぜっ! 俺、これを楽しみにしてたのに!」
「さぁさぁ、みなさーん、始まりますよーっ!!」
深い海の底──輝く太陽の光が穏やかに届く水底に、その世界はあった。
エメラルドグリーンの、透き通るような水が一面に広がる世界は、地上に住む人間にはわからない世界。
けれど、水底に住む──水底でしか住めない者にとっては、美しいばかりの、唯一の世界であった。
特に、彼らが好んで住む場所には、白くサラサラの砂が広がり、少し脚を伸ばした先には、美しいサンゴ礁が広がっている。
色とりどりの見目麗しい魚が右往左往し、優しい鯨のおじさんが、遠くで豊かに歌声が聞こえる。
優しい世界は、穏やかな蒼の世界。
彼らは、そこが至上の楽園であると、そう信じていた。
揺れる波は優しく、地上のように天候におびえることもなく──……。
けれども。
「退屈なんだよねぇー。」
ヒラヒラと、揺れる尾を波に任せて、彼女はそう零した。
とたん、口からコポコポと泡が立ち、頬を掠めるように水面の方へと舞っていく。
それを見上げて、彼女は先の吊り上った瞳を細めてみせる。
「──……すごいねぇ……本当にあの丸薬、水中で息が出来るんだねぇ……。
これがあったら、ヤムのヤツに邪魔されずに、タイ・ホーとデートもできるじゃないか。」
にんまりと、唇をほころばせて微笑んで、彼女は艶やかな金の髪をシャラリと揺らした。
「あーあ、退屈だ、退屈だ。」
ゆらゆらと尾を揺らして呟き、彼女は海の果てを見上げる。
頭上にある海面は、いつもよりも薄暗い光をここに届けている。
どうやら、海上の天気は荒れているようであった。
それを見上げていた彼女のもとへ、
「キンバリーっ! なぁーに溜息ついてるのっ!」
ごぉーっ! と、ものすごい勢いで……まるで、自ら波を立てるかのような力強さで、「声」が突っ込んできた。
思わずキンバリーは、海の底から突き出た岩に腰掛けていた自分の腰を、ジリリ、と後ろへとずらす。
飛んできた声と、声の主は、そのままの勢いで、ドビュンッ、と、キンバリーの目の前を突き抜けていった。
ごぉぉっ、と流れた水が、キンバリーの髪を大きく揺らした。
「………………って……。」
右から左へと、顔を流したキンバリーが見たのは、思い切りよく泡と砂煙を上げた「それ」が、勢い良く一際大きな岩に突っ込んでいった所であった。
どっごーんっ!
海中であるにも関わらず、もの凄い勢いと音が響いて、地響きまで起きた。
ふわり、と水の中に体を浮かせたキンバリーは、魚の下半身を揺らしながら、ゆっくりと海底に降り立った。
そして、見やった先──、
「あいたたたっ。」
がらがらっ、と崩れ落ちる岩が、海面に広がった白い砂を巻き上げている。
もうもうと視界が曇る中、ガタガタと音を立てて姿を表したのは、上半身に緑と赤の派手なキャミソールを身につけた、下半身魚の人魚であった。
頭の後ろで、明るい色の髪を一つに高々と結わえていて、耳元には大きなイヤリングがついている。
ユラユラと揺れる髪が、海面へと泳ぐ。
「あーあ、もーっ! なぁーんで、制御に失敗したのかなぁ? やっぱ、ジュッポおじさんの作りかけだった、リモコンが必要だったんだなー……んもー。」
コリコリと頭を掻きながら、彼女は汚れた頬を拭う。
それだけで、水に洗われて汚れが水の中に溶けていった。
あら、これは便利だわ──と呟きながら、新たに現れた人魚は、よいしょ、と水中に踊り出た。
そしてそのまま、からん、とヒレに取り付けてあったモーターを取り落とすと、そのまま下半身をくねらせるようにしてキンバリーの元へと泳いできた。
「やっほー、キンバリーっ! じゃなかった、人魚姫っ! どうしたの、そんなつまらなそうな顔してー!」
「ああ、メグ姉さん──って、どうして一回りも違う小娘を、姉と呼ばなきゃいけないんだろーねー…………。」
髪を掻き揚げながら、項を掌で撫ですさり、キンバリーこと人魚姫は、そうぼやく。
一方、外の世界に憧れる娘というだけの役所だけで考えると、人魚姫という役が非常に良く似合っているメグはというと、あっけらかんと笑ってみせる。
「冒険なら、海の世界でも出来るわよーっ! 私も、さっさと海の城を出て、はるか七つの海を制しに行こうと思うのよっ! 人魚姫っ、私と一緒に行かないっ!?」
キラキラキラッ、と輝くメグが、がっしりとキンバリーの手を掴む。
「七つの海って──私は、地上の世界が恋しいねぇ……。」
酒とか、つまみとか、と指折り呟くキンバリーに、メグも視線を海面へと漂わせて、
「地上かー……この曇り具合からすると、地上は台風じゃないかって、ジュッポおじさんが言ってたよ。」
「ジュッポが?」
「うん。」
キンバリーが腰掛けている岩に、両肘を立てて頬杖を立てたメグは、そのまま下半身を水に漂わせて、彼女を見上げる。
「そー……えーっと、ジュッポ姉さんって言わなきゃいけないんだっけ、今は。」
軽く目を彷徨わせたメグの呟いた台詞に、思わずキンバリーは動きを止めた。
「………………………………じゅっぽってもしかしてもしかしなくてもあたしらのあねやくだったりするのかい?」
口にされた台詞は、淡々としたものであった。
その、ぎこちなさ溢れたキンバリーの声に、メグは彼女の無表情なまでの嫌そうな声に気づかず、うん、と頷く。
「そう、一番上の姉さま。やだなー、人魚姫ったら、姉さまの名前くらい忘れないでよねー。」
明るく言いながら、メグは頬の横に垂れてきた自分の髪の毛をクルクルと指先に巻きつけた。
キンバリーは、なんともいえない顔を自分の掌に収めて、はぁ、と疲れたような溜息を零した。
脳裏にアリアリと浮かぶのは、ジュッポのふくよかな体が、ヒラヒラと優雅に水に揺れる姿であった。
しかも、胸元には貝殻の胸当て。
「────…………メグ…………。」
「なーにー?」
くり、と小首を傾げるようにして見上げるメグに、キンバリーは顔に覆った掌の隙間から、視線を飛ばす。
「一つ聞いてもいいかい? もしかして、このままあたしがココに居たら、じゅっぽねえさんとやらが、同じような情報をもってくるっていう展開だったり、する?」
「うん、そう。お天気予報装置をもって、今上が台風で、上で人間の王子様が宴会してるって話をしに来る。」
「────…………ふっふっふっふ…………それじゃ、ちょぉぉーっと、タイ・ホーに会いに行ってこようかねぇぇぇーっ!?」
メグの、あっさりとした頷きを見て、キンバリーはすぐさま行動に移した。
すなわち、迷うことなく腰掛けていた岩に手をつき、ダンッ、と力良く体を浮かせたのである。
そのまま、波の流れに乗って、岩よりも上へと飛び上がる。
ふわり、と揺れる尾を水に泳がせ、
「それじゃ、行って来るよ。」
「いってらっしゃーい!」
はるか水面を目指して見事な泳ぎっぷりを見せてくれたキンバリーを、ピョンピョンと見送りながら、メグはヒラヒラと手を振り…………はた、と動きを止めた。
それから、無言で背後を振り返り──誰にともなく、えへ、と笑い…………、
「そういえば、姉姫って……人魚姫を止めないと、ダメ──じゃなかったっけ?」
ひどく、いまさらなことを確認してくれたのであった。
ぷはっ!
久しぶりの水面に顔を突き出した人魚姫は、そのままプルプルと顔を振って、水滴を飛ばした。
そして、同時に目に飛び込んでくる波に、軽く顔を顰める。
見上げた空は、ドンヨリと曇っていて、水面から突き出したキンバリーの顔には、轟々と風が当たった。
キンバリーは、目の上に手をかざすと、強い風に煽られる水の中、ユラユラと波間に揺れた。
「凄い風だねぇ……頑張ってるねぇ、魔法軍。」
しみじみと呟いて、キンバリーはさてと、と愛しの王子様の乗っている船を捜すために顔をめぐらせた。
しかし、そう探すこともなく、すぐにソレは見つかった。
激しい風に揺られて──まるで、風を操る誰かの今の心境のようである──、船は横に激しく揺れていた。
巨大な船には、美しい垂れ幕がかけられていて、今さっきまでパーティーを行われていた様子である。
船の周りに浮いている樽は、きっとワインか何かが入っていて、すでに空になったものなのだろう。
思わずキンバリーはそこへ視線を集中させて、
「くぅっ、もう一足早く来るんだったねぇっ。」
と、悔しがった。
そうこうしているうちに、
「兄貴っ! ──じゃなかった、王子様っ!」
甲板の端──手すり近くに、身を乗り出して色あせた金髪の男が身を乗り出して叫ぶ。
は、とキンバリーが視線を走らせた先に、空に放り出された男の姿が映る。
王子様という言葉が似合わない、着流しの服を着た、中年の男……海の男と呼ぶには、痩せていて貧弱に見えるが、銛を見事に操るだけあって、最低限の筋肉はしっかりとついている男だ。
豪雨と暴風の中、投げ出されるソレが誰なのか、キンバリーは知っていた。
そして同時に、彼女は分かっている。
私は今から、あの王子様を助け──そして、恋をするのだと。
そう思ったと同時、彼女はパシャンと水音を立てて水中にもぐった。
水面誓い場所は、海底とは違い、外の風の影響をまともに受けていた。
元々の海流とぶつかって、痛いくらいである。
その中、悠々と泳いだキンバリーは、迷うことなく水中から水面を睨みつけ、いつ王子様が落ちてきても大丈夫なようにと、がっしりと身構える。
しかし。
「……………………?」
いつまで待っても、王子様は落ちてこなかった。
「…………?」
キンバリーは、片眉を顰めて揺れる水面を睨みつけた。
「…………もしかして、タイ・ホー……っ。」
きり、と眉を寄せた彼女は、そのまま水を蹴るようにして水面目掛けて泳ぐ。
ぽっかりと顔を突き出して、キンバリーは顔についた水滴を振り払った。
濡れて重くなった髪を掻き揚げて、大きく揺れる波間を見やった先で──……。
「あにきーっ! 泳いじゃダメですよー!」
頭上で、叫ぶヤム・クーの台詞どおり、
「何言ってやがんでぇっ! 漁師が泳げなくてどうする!?」
タイ・ホーは見事に波間の間に顔を覗かせて、泳いでいた。
キンバリーは、それを目撃した瞬間、あわよくば人工キッスv まで思っていた幻想が、綺麗に水に流されるのを感じた。
ぱちん、と額に手を当てて、キンバリーは吐息を零す。
「やっぱり、そう来たか……。」
しょうがない、とキンバリーは再び水の中にもぐった。
その彼女の尾が再び水の中に消えた瞬間、揺れる船の上から、必死に身を乗り出したヤム・クーは、
「だから! 兄貴、沈まないとキンバリーさんに助けてもらえない……いや、人魚……いやいや……。」
慌てて、この先のシナリオを口にするのを必死で止めて、ヤム・クーは優雅に海面を泳ぐタイ・ホーに叫んでみせる。
しかし、タイ・ホーは、
「馬鹿言うなよ!? 漁師が水におぼれていいわけねぇだろーがっ!」
堂々と波の合間からそう叫んでみせる。
思わず頭を抱えて、ヤム・クーは手すりにしがみついた。
「……これ、やっぱりミスキャストじゃないんすか?」
ほっそりと溜息を彼が零した瞬間であった。
「ごぼっ!」
海面で、タイ・ホーが咳き込んだのは。
「……っ!? 兄貴っ!?」
慌てて顔をあげて見下ろした先、タイ・ホーが必死に手を空中に泳がせて、口や鼻に水を含んでいた。
「兄貴っ! 兄貴っ!」
さっきまで、さっさと沈まないと……と思っていたのだが、実際こういう状況になると、焦ってしょうがなかった。
自分の呼びかけに返って来る答えがないのに、余計に心が焦る。
必死の思いで手すりを握る手に、力が入った。
波間に浮いては沈もうとしているタイ・ホーの口が、がっぽりと水を飲み込んで咳き込む。
「足……あ、足が……っ。」
「足がつったんですかっ!?」
慌てて、ヤム・クーは手近にあった浮き輪を手にして、海へと飛び込もうとした。
んが、しかし。
「そこまで。」
淡々とした声で、後ろから羽交い絞めにされた。
「…………っ、何を……っ。」
振り返った先で、飄々とした顔のカマンドールが、
「キンバリーの役目が無くなるじゃろう。」
空いている手で、水面を指し示した。
「キンバリー…………。」
小さく名を呟いて、ヤム・クーは前髪から滴り落ちる雫を掻き揚げ、水面を凝視する。
すると、
「とっとと沈みなよ、あんたはっ!」
ぱしゃんっ、と波を叩いて、キンバリーの尾が見えた。
それと同時に、足を引っ張っていたらしいキンバリーの濡れた手が、がっしりとタイ・ホーの肩を掴んだかと思うや否や──彼の体は、そのまま水中に連れ込まれた。
そして──────………………戻ってはこなかった。
「…………………………………………。」
「よし。」
確認して、うん、と頷いたカマンドールに。
「…………よし?」
軽く首を傾げて、ヤム・クーは顔をゆがめた。
そして、ゆがめた顔のまま、水面を見やり──、
「っていうか、水中に引きずり込むって……それ、人魚のやることなんすかねぇ…………。」
疲れたように、呟いたのであった。
「あ、おかえりー、キンバリーっ! じゃなくて、人魚姫。どうだった? 上は?」
明るく笑って、メグがヒラリと泳ぎ寄ってくる。
「ああ、大成功さ。」
びし、と親指を立てて笑うキンバリーに、メグも、そっか、と笑った。
「ねぇねぇ、キンバリー? 退屈しているなら、今から私と一緒に、ジュッポおじさんの所に行かない? 新商品見せてくれるんだってー。なんかね、なんたら短剣とか言うの。」
ニコニコ笑ってお誘いをかけてくれるメグの言葉は、非常に興味深くはあった。
特に、海底の城で待っている「一番上のお姉さま」がどういう姿で居るのか、それがとても気になった。
けれども。
「悪いねぇ、あたし、今から魔女の所に言って、人間の足を脅し取ってこなくちゃいけないから。」
キンバリーは、アッサリと笑ってパタパタと手を振った。
そして、それを聞いたメグも、アッサリと、
「あ、そっか。じゃ、しょうがないね。」
と納得した。
さらに、ヒラヒラと尾びれを揺らしながら、
「それじゃ、頑張って魔女を脅しなね。」
と応援までしてくれた。
キンバリーはその応援を受けて、ヒラリと尾を揺る返して、魔女の洞窟へ向けて泳いでいく。
美しい景色が後方へと流れ、冷たい水が横から流れ込んでくる。
チラリとそちらを見やると、真暗き淵が、ぽっかりと口を開けていた。
そこから、冷ややかな水が流れてきている。
美しい水底にあって尚、おどろおどろしい雰囲気を醸し出しているそれは──、
「ああ、ここだね。」
キンバリーは、怖がる様子も見せず、ヒラリと方向転換してみせた後、淵の入り口である岩場へ片手をつけて、暗い奥をヒョイと覗き込む。
そこには、
「ちょっと、テスラ? 居るのは分かってるんだよ?」
たくさんの壷が置かれていて、ボコボコと変な煙が立っている。
更に、暗い洞の壁際には、たくさんの棚──本がぎっしりと詰め込まれた書棚があった。
キンバリーが壁に背を預けて見やったのは、その書棚と壷で隠れている場所、出入り口からは見えない地点にあった。
けれど、長い付き合いになる彼女には、自分の目的の人物がどこに居るのかわかっていた。
そして、彼がどこに何を隠すのかも──知っていた。
キンバリーは、無言でヒラリと中へ入り込むと、薬品棚の並ぶ棚の一つを見上げると、
「ああ、あったあった。」
ひょい、と赤い液体の入ったビンを手にとった。
その瞬間、
「あああっ、そ、それはダメですーっ!」
「やっぱり居るじゃないかい。」
ちらり、と視線を横にやると、先ほどまでキンバリーが視線を走らせていた壷と書棚の間から、男がヒョイと顔を出す。
情けない顔をして、おずおずと口を出してくる男は、
「本当は、こんな薬、作りたくないんですよー……というか、もっていかれては困ります〜。」
「うわっ、まずそうだねぇ……。」
小さく呟いて、キンバリーは部屋の隅っこの人間の台詞を右から左に聞き流し、キュポンッ、と蓋を開けた。
「ああああ〜〜だ、ダメですーっ。」
テスラこと魔女は、慌てて壷と書棚の間から身を出そうとするが、壷を避けるように回っている間に、
「んくんくんく……まっずー……。」
キンバリーは、一気に液体を煽ってしまった。
「あっ、ああああーっ! キンバリーさんっ、それっ、それは……。」
がたんっ、と音を立てて、テスラが飛び出す。
けれど、当たり前だがその時には、キンバリーが飲み干した空のビンを机に置いたところであった。
とん、と軽く音を立ててビンを置いて、口元を乱暴に拭ったキンバリーは──、
「〜〜〜…………っ!」
思い切りよく両手で口元を抑えつけ、キンバリーはその場にしゃがみこんだ。
喉がヒリヒリと痛むのを覚えながら、焼きつくような液体の味に、咳き込む。
けれども、咳は音にならず──キンバリーは、痛みに涙を浮かせながら、キッ、とテスラを睨み付けた。
テスラは、おずおずと両手を組みながら、しゃがみこむキンバリーに近づいた。
そして、赤い液体の入っていたビンを掲げて──そのビンの内側に張り付いている赤い粒のようなものを示す。
「この人化の薬──味付けに、赤唐辛子がふんだんに使われているんです。」
「…………っっ。」
味付けなんか、するんじゃないよっ!
──そう叫ぼうとしたキンバリーはしかし、喉を通っていった空気が表に出なかったことに、愕然と目を見張った。
火を噴きそうにヒリヒリ痛んだ舌や喉が、声を殺していた。
ハッ、とした顔で喉を抑えるキンバリーが、テスラを射殺すような目でにらみつけると、気の弱い彼はビクンと肩を震わせる。
「いえっ、あのっ、その……っ……声、出ません……よ、ねぇぇぇ?
えーっと……とりあえず、声が出なくなるには何がいいかって、皆さんが色々入れちゃって……。」
つんつん、と指先を突付いて、テスラが説明するのに、キンバリーは喉をさすり上げながら、小さく何度か咳き込んで見せた。
もちろん、音にはならなかったけど。
「……それで、えーっと……あの……。」
「………………。」
「はうっ、に、睨まないでくださいよ〜〜……あのー……それでですねー、キンバリー……人魚姫?」
「……………………。」
「その液体飲んじゃうと、強制的に人間の足になりますから──海の中で空気が出来なくなるんですよー。」
「……………………っっ。」
それを早くいいなよ、あんたはーっ!!!!!
キンバリーが、叫ぼうと口を開いた瞬間、
ゴボリッ────大きく、空気が零れた。
この間遭難したばっかりだというのに──彼が言うには、「ありゃぁカッパに引きずり込まれたんだ」ということらしいが──、彼は今日も暢気に城下から船を漕ぎ出そうとしていた。
そんな気ままで変な王子様のお目付け役である男は、呆れたように、
「よく、溺れた翌日に、船を漕ぎ出す気になりますねぇ……兄貴は。」
そう言うほどであった。
しかし、それに答える王子はというと、
「んなもん、漁師が水を怖がっててどうするよ?」
しれっとしたものであった。
それを聞いて、ヤム・クーは、これだから、と王子に分からないように溜息を零す。
ぼさぼさの前髪を掻き揚げながら、
「結局、隣の国のお姫様に助けられて、その縁で婚約にまでこぎつけられそうだって言うのに──暢気なのは、兄貴だけっすよ。」
ブツブツとそうぼやく。
けれど、前を飄々と歩く王子は、自分が今、この国の噂の渦中にあるとは、とんと思いもしないといった風体だ。
少しくらい、理解してくれれば、自分の苦労も減るのに──と、小さい頃から、乳兄弟として王子の側に仕えてきたヤム・クーは、顔の半分を覆う髪をクシャクシャと乱れさせて、溜息を零すばかりだった。
王子は、そんな彼を背に、城の裏手の船着場へとノンビリと歩いていく。
城の表にも、海へすぐに繰り出されるような船が常時置かれているのだが、それを使えば、すぐに自分がどこかへ出かけようとしているのが父王の耳に入ってしまう。
そうなれば、すぐに連れ戻され、ベッドの上の住人にさせられることは間違いなかったので、王子は、自分がコッソリと知っている獣道のような道ならぬ道を歩きながら、城の裏手のちょっとした砂浜を目指した。
城の影になっているため、いつもヒンヤリと冷たい感触のする砂浜は、少し歩けば端についてしまうような、小さな小さな砂場であった。
そこに新しい足跡をつけながら、王子は眼前に広がる穏やかな海の景色に、ほぅ、と吐息を零す。
「やーっぱ、部屋の中に閉じ込められてるよりも、外だな、外! こんな日にゃ、釣り船でノンビリ針でも落とすか。」
なぁ、ヤム?
朗らかに笑いながら、王子は弟分を振り返った。
なんともいえない顔をしているヤム・クーは、背後にそびえる城の背面──高い崖のようにそびえるそこを見上げて、ところどころに見える窓から誰も覗いていないのを確認すると、ホ、と胸をなでおろす。
「船で沖に出たら、すぐに連れ戻されるに決まってるじゃないすか。城内の騒ぎの元凶が、他ならない兄貴だってこと、ちゃんと自覚してるんすか?」
腰に手を当てて、少し肩を落とすように問い掛けると、タイ・ホーは口の端を捻じ曲げて笑った。
「俺はピンピンしてるって、オヤジに伝えておけばいいだろうが? 無事に流れ着いて、こうして戻ってきたんだから、いまさら沈没したことを言わなくてもなぁー……リュウカン先生も、どこも異常は無いっつってんだしよ。」
王子が、船の上で行われた誕生日パーティで、行方不明になってしまったのは、すでに城内の誰もが──いや、国中の人間が知っていることである。
予期せぬ嵐に見舞われ、船の外へ放り出されたのは、空になった樽やテーブルだけではなかった。
この国で大切な御身である、第一位王位継承者である王子までもが、波に浚われてしまったのである。
誰もが、もう助からないと、そう信じていた。
王子の成人の祝いである誕生日パーティが──彼の将来の后を探すために、他国から大勢の美姫も多く集まってきていたというのに──、取り返しのつかない展開で、終焉してしまうと、誰もがそう思っていた。
ただ一人──領土のほとんどが海であるという、隣国の姫君以外は。
「兄貴──……ソッチの件で、城の話題が持ちきりなわけじゃないんすよ? 兄貴が丈夫なのは、誰もが知ってます。
今、噂になっているのは、兄貴のお嫁さんの話っすよ。──兄貴の、命の恩人の、姫さまです。」
「ああ、あのべっぴんさんか。」
こり、と米神を掻いて、タイ・ホーは砂浜を歩いていた足をとめた。
隣国は、城の近くに砂浜があって、良く遭難した品々や、時には生きた人間が、流れ着いてくるのだという。
お国柄、そういうのを見て育った「命の恩人の姫君」は、もしや今回もそう言うことがあるのかもしれないと、嵐の翌朝、打ちあげられそうな場所を、探してくれたのだという。
そうして、カクという村の近くの海岸で、息が細い王子を見つけたのだという。
彼女は慌ててタイ・ホーに人工呼吸を施し、近くの村へと運び込んでくれ──王子は、風前の灯火であった一命をとりとめたのである。
その出来事から丸1日。
すでに一人で歩き、船に乗って出かけようとしている王子の回復力は、もの凄いものであった。
「兄貴も、結構気にいっているのなら、即結婚になっちゃいますよ、あの分だと。」
ヤム・クーは、顔を顰めて王子の背中を見つめる。
思い出すのは、昨日──目を覚ました王子を見舞った姫君の様子であった。
良かったと、王子の目覚めを心から喜び、そんな彼女に屈託無く謝礼を述べる王子。
周囲の人間は、迷いもなく、
「これだっ!」
と思ったことであろう。
第三者として、その再会シーンを見ていたヤム・クーとしては──どう考えても、国の者は迷いもなく二人をくっつけようとするだろう。
おそらくは、今ごろ、隣国の王宛に、婚約の申し込みの準備でもしているのだろう……と、ヤム・クーはここから見上げられる位置にある、最上階の国王の部屋を見上げる。
「別に俺は、婚約なんてどうでもいいんだけどよ。──女に縛られるのは、好かねぇしな。」
しかし、当のタイ・ホーはそんなことを口にして、再び波打ち際に歩き始めた。
「女に弱いくせに、そうなんすから、兄貴は……。」
軽く肩を竦めて、ヤム・クーもその後を追う。
追いながら、ここはやっぱり、何とかしなくてはいけないのだろうと、ボンヤリと思いもする。
なんだかんだ言って、女子供には優しい兄貴分のことである。
押して押されてしてしまえば、気づけば結婚式当日、なんてことになりかねないのだ。
「兄貴が本当に嫌だと思うことは、ないんだからなぁ……もう……。」
ヤレヤレと、ヤム・クーが、本日何度目か分からない溜息を零した瞬間であった。
「……っ! おい、ヤム! ちょっと来て見ろっ! 人が倒れてる!」
少し離れた岩場へと──その影に止めた船へと向かっていたタイ・ホーが、岩場の影を指で指し示して、ヤム・クーの名を呼ぶ。
「──人……っ!?」
慌てて足場の悪い砂地を蹴って、ヤム・クーも走る。
波打ち際にそびえ立つ大きな岩の向こう側で、タイ・ホーは着流しの裾を無造作にたくし上げ、波に濡れるのも構わずしゃがみこもうとしていた。
「生きてるみたいだな……。」
ほんのりと日に焼けた指先が、岩とタイ・ホーの背中の影から見えた。
ほっそりとした指は、年頃の女性に物に違いない。
「兄貴──どうしますか?」
まさか、厄介だから放っておく、なんてことを提案できるはずもなく、眉を寄せて尋ねたヤム・クーに、当たり前のようにタイ・ホーは断言してみせた。
「城に連れ帰るぞ。おい、ヤム、持ち上げるのを手伝ってくれ。」
「──そう言うと思いましたよ。」
タイ・ホーがたくし上げた裾を、強引に固結びにすると、コレで動きやすくなったと、バシャバシャと波を蹴り上げた。
そのまま、波打ち際に倒れる女の足の方へと歩いていくタイ・ホーと同じように、ヤム・クーも自分の着物の裾を縛り上げようとして──、倒れている女性を、初めてその目に写し取った。
日に焼けた金髪は、潮風で痛んでいたが、それでも十分に艶やかで美しい髪であった。
ホンノリと日焼けした肌を惜しげもなくさらす上半身は、貝殻で作られた胸当て一つ。下半身には、粗末な布切れが巻きつけられているだけだ。
いくら遭難して流れ着いたとは言っても、あまりに粗末な姿であった。
「…………先日の嵐で、流れ着いたのでしょうかね?」
呟きながら、ヤム・クーは女の腕の下へと手を突っ込み、足を抱えるタイ・ホーと息を合わせて持ち上げる。
意識を失っているはずの女性の頭は、かくん、と落ちることなく、顔をタイ・ホーに向けるようにして顎を引いている。
自分を見てくれと言わんばかりの、「気絶しているはずの女性」の、あからさまに不自然な顔に、ヤム・クーがやや引きつった。
これはつまり、人工呼吸でもしろと、そういうことなのだろうか?
ヤム・クーは、あえてその不自然な顎の上げ方に気づかないフリをして、女の体をしっかりと支えたまま、タイ・ホーと歩みを合わせて歩き始める。
彼女を落とさないように、ゆっくりと歩きながら、疲れたように、
「──…………早く終わらないかなー…………コレ…………。」
こう呟いてしまったのも、仕方がないと言ったら仕方がないのかも、しれない。
王子様が海岸で拾ってきた女は、長く遭難していた間に潮風でやられてしまったのか、喉が炎症を起こしていて、声がまったく出ない状態であった。
文字で会話を試みようとしたのだが、彼女はそういう文字を学習していない身の生まれなのか──正しくは、海の世界の住人には文字など必要なかったし、地上と海底では使う文字自体が違った──文字を解することはなかった。
そんな女を、元気になったからと言って城下に放り出すわけにも行かず──王子は、彼女を側仕えの一人として雇うことにしたのであった。
ところが、この事態が、新しい事件を呼び寄せてしまうのである。
「兄貴が自分でお嫁さん候補を連れてきたって、城下で噂になってるらしいですよ。」
ことん、と、音を立てて窓際に花瓶を置いた弟分の言葉に、興味なさげに相槌を打つのは、当の噂されている張本人、タイ・ホーであった。
彼は、ふかふかのベッドに腰掛けて、脚を組んで新聞を広げている。
興味深そうに見ている一面には、キリリと目つきも鋭い「解放運動のリーダー」の姿が書かれている。
この凛々しさだけを見ると、どこぞの忍びの娘が、普段用と保管用と飾る用として、三部買っていったという噂の真実味が出てくるものである。
しかし、その下に書かれている文章は、凛々しさというよりも、戦々恐々と言った感じであった。
「へー……隣の国──グレッグミンスターで、怪事件発生だってよ。夜中に、城下の人間の者が、体が痺れるとの通報を受け、現在原因を追求中……流行病か何かではないかという疑いが濃厚であるが、神医と呼ばれた医者は、現在解放軍に囚われてる身であるため、原因を解明できる医者がおらず、帝国民は、解放軍が攻めるのを待たずして、帝都から逃れる者が多発しており、その処理に、多くの兵士が借り出されている状態である。」
「………………さいきんはぶっそうなよのなかですからねー………………。」
思わず棒読みになるヤム・クーは、さりげに視線を窓の外へと飛ばした。
「………………、……。」
そんなヤム・クーの相槌を、新聞を読みながら聞き流していたタイ・ホーの耳を、ぐい、と細い指先が引っ張る。
爪先に紅のマニキュアの塗られた、細い職人の指先だ。
「てっ、いってぇだろ、キンバリーっ。」
遠慮もなく引っ張られた耳が悲鳴をあげるのに、タイ・ホーは体を揺らして彼女の指先を振り払った。
そんな彼の背中に、しどけなく背中を預けて座っていたキンバリーは、コロコロと喉に良いと用意された飴を舐めながら、前髪の向こう側から、チロリとタイ・ホーを睨み付けた。
「────…………。」
そして、声の出ない状態のまま、ツンツン、と彼の耳を引っ張ったのと同じ指先で、新聞の一部を示す。
新聞の一面──隣の国、グレッグミンスターの状況を示す写真と、その上に映る解放軍リーダーの顔のさらに下。
まるで、さっき付け足したかのような、愛想の悪い写植でべっとりと噛みが貼り付けられていた。
キンバリーの指したそれに気づいて、タイ・ホーは大げさに顔を顰めた。
「なんだ、こりゃ? 新聞の上に、切り張りでもしたのか? ヤム?」
ばさっ、と振りかぶるようにして新聞を透かし見ると、「解放軍速報」と書かれた新聞名が透かし見えた。
一面の下にある広告・新聞名欄に、後から無理矢理紙を張り付けたようであった。
「──……兄貴、それが、今城で話題中の噂っすよ。」
新聞の反対側から見ても分かるほどの厚い紙で作られた、その部分のニュースは、わざわざ覗きこまなくても何が書かれているのか分かる。
「あん? 一度刷った新聞の上から、切り張りするほどの話題なのかよ?」
「──…………単に、この劇用に、貼り付けただけっすけどね。」
分からん、と言いたげに顔をゆがめるタイ・ホーに、そう軽く笑って答えた後、ヤム・クーは、前髪のこちら側から、タイ・ホーの背中に当たり前のようにもたれているキンバリーを見た。
彼女は、素知らぬ顔で着物の裾を乱れさせ、いつものように胸元を広げてくつろいでいた。
ベッドの上で、年頃の男女──というよりも、男と女が昼間から座っている光景にしては、少々体聞が悪い出で立ちであった。
本人たちは、ベッドの上かむしろの上かの違いしか感じていないようであったが、王子の「婚約者」になるかもしれない王女が、この状況を見たら、間違いなくこう叫ぶであろう。
「なんて破廉恥なっ!」
──そういう状況だ。事後だと思われても、仕方がない。
王子のベッドのシーツを変えに来たとやってきた癖に、そのままなんだかんだと居座ったキンバリーが現れてから今まで──……ヤム・クーも側に付きっ切りで居たという事実があったとしても、勘違いされても仕方がない状況なのは、確かなのであるだ。
しかもその場合、王子の乳兄弟であるヤム・クーにまで責任が降りかかってくるわけだから、たまったものじゃなかった。
「……………………。」
喉を痛めたために、声がまるで出ないキンバリーは、ヒラヒラと指先で、新聞の一文字を指し示す。
そこを読め、と言っているらしい手つきに、タイ・ホーはそのまま新聞を大きく広げて顔を近づける。
「何々? シュタイン国の王子、タイ・ホー様は──様ってのは、照れるねぇ、劇の中とは言えよ……。」
「………………っ。」
つんつん、とキンバリーに強く新聞の続きを読むように急かされ、へいへい、と気の無い返事をして、タイ・ホーはもう一度新聞に向かいなおす。
タイ・ホーに新聞を渡した張本人であるところのヤム・クーは、もちろん新聞の内容を知っているため、何も口にはしない。
「エー……このたび、隣国、グレッグミンスターの王女、ウィンディ様とのご婚約が決定し………………………………。」
「────…………。」
きり、と眉を寄せて、キンバリーが睨み上げてくる視線を感じないまま──呆然と、タイ・ホーは新聞を握り締めた。
ぐしゃり、と彼の手の中で、紙がもつれるような音を立てる。
ヤム・クーは、やっとことの次第を理解したらしい兄貴分に、そ、と溜息を零すと、
「どうやら、実力行使に出たようっすね──あちらさんも、国王陛下も。」
言いながら、キンバリーとタイ・ホーの二人を見やり、下働きの間では有名となってしまった噂話を思い返す。
王子様が、自分好みの気風の良い女を、海岸から拾って来て──自分の側仕えと称して、自分の側にべったりと置いている。
確かに、それ以外にしか見えない光景ではある。
たとえ本当は、キンバリーが仕事もせずにタイ・ホーの側にべったり引っ付いているだけだったのだとしても。
「マスコミに先に情報をリークして、もう引けない状態にするなんてところ──誰かさんの入れ知恵っぽいですが……。」
どうしても王子と王女を結婚させたらしいと、ヤム・クーはチラリとキンバリーを見た。
その視線を感じてか、彼女は睫を震わせて視線を上げて──ふん、と短く鼻を鳴らす。
……結婚を仕組んだわけでもない自分に、喧嘩を売られてもなぁー……と、ヤム・クーはやるせない溜息を零し、自分の兄貴分を振り返った。
彼は、自分を無視して進められた婚約話がショックなのか、それとも別の理由からか──新聞を握ったまま、固まっていた。
「とにかく、兄貴は女に弱いんすから、断るなら早めに断っておかないと、気づけば引けないところまで来てるってこともありうるんですから……。」
それはある意味、キンバリーに対する当てこすりでもあったが、彼女はまるでそうと感じていないらしく、しれっとした顔でベッド際のテーブルに手を伸ばして、冷たくなったお茶を手にした。
冷めても心地よい香りを放つそれに、口を付けたキンバリーの背中が、微かに震える。
けれど、それは彼女が震えたためではない。
彼女が背中を預けた主が、震えたためのものだ。
「?」
どうかしたのかと、パクパクと口を開けて、キンバリーがタイ・ホーを振り返る。
その瞬間であった。
「──────…………おい、ヤム。」
「へい、兄貴?」
震える声で、震える手で、タイ・ホーは自分の弟分の名を呼ぶ。
「…………なんで俺の婚約者役が、ウィンディなんだ…………?」
「…………………………………………。」
「……………………………………………………そういえば………………なんでしょうかね……………………………………?」
考えるまでもなく、室内に居る三人の疑問は、そこの集中したのであった。
ファサファサ──と、優雅にエレガントに、白い羽毛付きの扇で自分の顔を仰ぎながら、いつも以上に豪華で艶やかなドレスに身を包んだ美女は、ゆったりと椅子に腰掛けて、吐息を零す。
紅に塗られた唇で、嫣然と微笑みを刻んだ彼女が見やる先に居るのは、一人の老人に近い年齢の男であった。
両膝を開いて、どっしりと座る体裁は、どこか威厳があるように見えなくもない。
片目だけにつけている、丸メガネのようなレンズを片手でクイクイと時折弄び──それが癖のようであった。
頭には、豪奢な王冠の代わりに、汚い丸帽子を被っている。
どう見ても、この城の王様と言うよりは、そこらの道具屋でえらそうに鑑定でもしてそうなおじいさんであった。
「んで──あんたは、うちの息子と結婚しても、後悔はしないんだな?」
確認するように目をジロリと上げて尋ねる彼の声は、少ししわがれて聞きにくかい。
けれども、美女はその彼の声に、唇をほころばせて微笑みかけると、
「ええ、もちろんですわ、陛下。
わたくしは、あの方と出会った瞬間から、あの方の心を射止めることが出来たら、どれほどすばらしいか──ずっと考えておりましたの。」
うっとりと、夢見る乙女のように瞳を潤ませるその姿──もしも、彼女が傲慢に笑っている姿を知っている人間が見たならば、
「この女狐っ!」
と、指差し叫ぶこと間違いナシの演技力であった。
しかも、掠れたハスキーボイスを、しっとりと濡らせながら、
「ですから、あの方が船から落ちて沈み……わたくしがその姿を見つけた時の嬉しさ──ああ、それはもう、言葉に表せないほどの幸運でした。
そして今、わたくしは、あの方に一番近い女性として、このお城で命の恩人としてもてなされております。
本来なら、それで満足して、ゆっくりとあの方の心を射止める努力をするはずなのですが──……陛下、それほどゆっくりしている余裕が、無くなってしまいましたの。」
少し悲しげに微笑み、隣国の王女──王子の命の恩人である女性は、睫を伏せる。
彼女と長い机を挟んで座る男は、掌で弄んでいた指先大の宝石をコロリとテーブルの上に転がせて、ふむ、と指を組んだ。
「別にそれはどうでもいいんだがなぁ……わしは、出来れば若くて可愛い嫁さんの方が、いいしなぁ。んまぁ、アレが若いかどうかはわからんが。」
瞬間、きらんっ、と王女の目が光ったような気がした。
かと思うや否や、しゅぼっ! と、まるで小爆発したかのような音を立てて、ジャバがつい先ほどまで掌で転がしていた宝石が、燃え上がった。
美しく透明な金剛石は、あっけなく炎にまみれてしまう。
呆然と、目の中に、炎の色を宿したジャバに、王女は軽く首を傾げて微笑んだ。
その口元が、ひくり、と引きつっている。──まるで口裂け女のようだと思うのは、きっとジャバの気のせいであろう。
「──誰が、若くない嫁だって?」
王女は、優雅に口元を扇で隠して、目元だけで鋭くジャバを見据える。
その眼差しに睨みつけられた瞬間、彼は思わず背筋を正し、両手で机をバンと叩くと、
「────……………………いえ、若いです、じゅうぶん、若いです!
ええ、そーだなぁっ! うちの息子の嫁は、あんたに決まりだなっ!!」
そう、ついうっかり口にしてしまった。
「…………ふふ……そうこないとねぇ……。」
王女は、にぃっこりと目元を緩ませると、満足げに扇で頬を扇ぎ始めたのであった。
キンバリーは、城の中で履いていた窮屈なハイヒールを脱ぎ捨てると、はだしで砂浜を踏みしめた。
城の裏手の小さな砂浜。白いわけではない、岩場ばかりがチラホラと見える、大粒の砂浜だ。
そこを迷うことなくはだしで歩み、キンバリーは海岸近くの岩に背を預ける。
そして、無言で海を見詰めながら、彼女は知らず喉をさすった。
「────…………。」
軽く口を開けるが、喉から出るのは呼吸音ばかり。
「………………。」
一体、どういう薬を飲ませたんだい、あの男は……っ。
そう苛立ちながら、キンバリーは海面を睨みつける。
つい昨日までは、上機嫌で愛しい男の側で、仕事をするフリをしながら、楽しくさぼっていた。
けれど、その現状も変わってしまった。
隣国の王女──ウィンディが、動き始めたのだ。
「…………………………。」
喉をさすりながら、キンバリーは冷めた目を遠くへと向ける。
遠くに見える海岸線は、キラキラと太陽の光を反射して美しく輝いていた。
空と海とが交じり合い、色合いのまったく違う青みが、互いの色を映えさせながら、まるで違和感もなく繋がる。
それを見つめながら、キンバリーは自分の下半身を見下ろす。
しなやかな脚は、生まれたときから彼女の物であったかのように、しっくりと感じるが──陸にあがった当初は、痛くて痛くてしょうがなかったのだ。
体中が重くて、まるで自分の体じゃないようだと思ったことも、一度や二度じゃない。何度海へ飛び込もうと思ったことか……けれど、いつもそう思うと同時に思い出すのだ。
この体が人間になった瞬間の、今まで当たり前のように存在していた海の重みが、苦しみが、襲い掛かってきた瞬間のことを。
もがいても、もがいても──苦しさは無くなるどころか増すばかり。
遠くに揺らめく太陽の光と、海底の鮮やかな美しさと、どちらへ向かえばいいのか、どうすればこの苦しさから開放されるのか分からず、意識を手放した。
懐かしい海ではあったけれど、同時に今のキンバリーには恐ろしい場所でもあった。
だから、海へ飛び込むことに、どこか恐れを抱いてしまう。
──懐かしい、本当にわたしの生きる場所であるというのに……。
「──────………………。」
キンバリーは、懐かしむように目を細めて、唇を強く引き結ぶ。
その瞬間であった。
────────ぱしゃんっ。
「……?」
魚の尾が跳ねる。
キンバリーは、ゆっくりと首を巡らせて岩場の向こう側を覗きこんだ。
そこには、
「やっほー、キンバリーっ! げんきぃ?」
大きく手を振る少女が、満面の笑みを浮かべて笑っていた。
「…………っ!」
ぱくぱく、と口を開いて、キンバリーは指先を突きつける。
視線の先で、吊目の少女は、濡れた髪を揺らして、波間の影からひょっこり顔を出して、
「久しぶりーっ! どう? 王子はそろそろモノにしたぁ? ちょっと冒険がてら、顔を見に来たんだ。」
えへ、と笑うメグの顔のすぐ近くで、彼女の物であろう尾が、ぱしゃん、と再び海面を叩いた。
キラキラと舞う海の雫の美しさに、一瞬キンバリーは目を奪われる。
「…………。」
キンバリーが軽く肩を竦めて見せると、
「?? キンバリー? どうしたの?」
メグは、不思議そうに首を傾げる。
そんな彼女に、喉を示して、パクパクと口を開け閉めして見せた。
「……! もしかしてそれって、薬の副作用か何かなの!? やだっ、声が出ないんじゃ、ラブモーションはそのものズバリで行くしかないじゃない!」
きゃーっ、と、どこか嬉しそうに口元を手で抑えて、メグが目を輝かせてキンバリーを見上げる。
その目が、何かを期待しているのは、声が出なくても理解できた。
「……………………。」
キンバリーは、半ばうんざりした顔で、自分が今日、どうしてココに来たのかという理由を──クイ、と親指で指し示した。
「何なに? お城の最上階!? いやんv そこで毎日ベッドメイ…………あれ? なんか、垂れ幕が下がってる……?」
垂れ幕には何か文字が書かれていたのだが、人魚のメグには、地上人の書く文字など理解できないはず──であった。
「ふふん、冒険には不思議な地図や文字はつきもの! テスラに習ったから、それくらいワケないわよっ!
何々!? えーっと……王子タイ・ホー様と、王女ウィンディ様、ご結婚決定! ────────……………………。」
自信満々に、堂々と読み上げて見せたメグは、一気に垂れ幕の文字を読み上げて、表情を凝固させた。
かこーん──と顎を開けて、メグは海面から指を出して、びしぃ、っと垂れ幕を指で示す。
「って、ええええーっ!? 何々!? それじゃキンバリーってば、口を利けないのをいいことに、タイ・ホーに体だけの愛人関係で済まされちゃったってことーっ!!?」
「…………っ!」
げしっ、と足で砂を踏みしめ、キンバリーはキッとメグを指し示し、思い切りよく叫んだ。
叫んだ──つもりではあったのだけど、口から漏れるのは、ひゅー、ひゅー、と言う音ばかりであった。
「やだやだ、これだから大人の関係ってのは、汚いわよねー──その点、人魚ってのは、卵産んでればいいんだから、ある意味健全だわー。」
うんうん、と腕を組んで頷くメグに、さらにパクパクと口をあけて叫ぶが、キンバリーの声が彼女に届くことは決してなかった。
ぜいぜいと肩を大きく上下させて、キンバリーは喉をさすると、ケホケホと小さく咳き込んだ。
そして、あきらめたようにメグに向かって腕を組むと、クイクイ、と指先でこっちに来いと示す。
けれどメグは、ぱしゃん、と尾で海面を叩くと、
「ざーんねんでした〜♪ わたしは、海からはあがれませーん!」
ちっ、と小さく舌打ちして、キンバリーは仕方がないと言いたげに首を振ってみせる。
メグは、そんな彼女に明るく笑うと、海面に突き出た岩場に両手をつけて、グイッ、と体を持ち上げる。
煌く下半身の鱗を太陽にさらしながら、メグは項に張り付いた髪を掻き揚げ、しゃらんと水滴を飛ばした。
「それで、キンバリー? タイ・ホーとはどうなったのよ?」
くるん、と体を翻して、メグは岩場にうつぶせになって、肘を立てると、掌に顎を乗せた。
ニコニコと楽しそうにこちらを見やる姉姫に、人魚姫は細く溜息を零した。
──海から上がれないって言ったくせに………………。
「────…………。」
思い切り感情をこめて、自分の顔の前で掌を左右にふり、さらに顔の前で腕でバツを作る。
そんな彼女に、メグは心底嫌そうに顔を歪める。
「って、それじゃ、まずいじゃん──あの垂れ幕って、本当なの?」
「────…………っ。」
そう聞かれれば、思わず拳を握ってしまうキンバリーであった。
思い返すのは、美しい顔をとろけるように微笑ませた美女である。
長い色素の薄い金の髪と、怜悧な美貌の主は、困ったようなタイ・ホーに強引に酌をして、豊満な肉体を摺り寄せ──嫣然と微笑んで見せた。
そんなことをすれば、女に甘くて弱いタイ・ホーのこと……彼は、あっさりとその酌を受けてくれた。
このやろう──と思わず握り締めたキンバリーの手が、ついつい隣に居た、気を揉んでいる最中のヤム・クーの首に行ってしまっても仕方がないことであった。
結果として、ヤム・クーが少しばかり臨死体験をしてしまったのは、あのウィンディという王女の策略であって、キンバリーのせいではない──はずであった。
「…………あー……本当なんだ……、ますますまずいよ、キンバリー。」
柳眉を顰めて、メグは唇を尖らせる。
キンバリーは、斜めに立ち構えて、そんな彼女を見据えた。
「?」
どういうことだい、と尋ねるキンバリーの視線に、メグはヒラリと下半身を翻すようにして、岩場の上に座り直す。
パシャパシャと海面を尾の先で叩きながら、メグは顎に手を当てる。
「確か、テスラから聞いたことがあるんだけど──人化の薬って、目的を達成できなければ、それを飲んだ主を泡に返すらしいのよ。」
「────…………っ!?」
なんだってぇっ!? と、言葉にならない叫びをあげるキンバリーに、メグは神妙に頷いて見せた。
「…………っ。」
あんの、男! そんなことも説明しないで……まったくっ!
ぎりり、と下唇を噛み締めるキンバリーは、自分が彼が止めるのを無視して薬を飲んだことは棚にあげて、目つきも鋭く城の最上階を睨み上げた。
このままでは、自分は人化の薬を飲んだ意味が無くなる。
愛する男は、別の女の策略によって、自分以外の女と結婚しようとしているのだ。
「──……。」
本当なのかと、メグを見返すと、彼女は何かを考えるように海面をヒタリと睨みすえていた。
そして、突然ポニーテールを翻したかと思うと、手先で腰掛けていた岩場を押すと、バシャンッ、と海へと飛び込む。
一瞬置いて、メグは海面から顔を突き出すと、間近く立っていたキンバリーに向かって、大きく手を振った。
「とりあえず、キンバリー! あたし、今から海底城に戻って、確認してくるから、それまで、なんとしてでもタイ・ホーを押し倒して既成事実を作るか、結婚式を延期させるか、どっちかを達成しておくのよ!」
再び水音を立てると、メグは海の底へと潜っていった。
しばらく波立つ海面を見つめていたが、メグの頭は二度と出てくることは無かった。
キンバリーは、物見遊山気分でここへやってきただろうメグの姿を、暢気に見送った後、ゆっくりと顔を城の頂上へと戻す。
そこに掲げられた垂れ幕の文字は、キンバリーには読めなかったが、誰もが口々に囁いていたから、何が書かれているのかはわかった。
あの魔女王女が、国王陛下をたぶらかして、自分と王子の結婚式まで企てたのだ。
それを、自分が止めようとしなかったというのだろうか? いや、そんなことがあろうはずがなかった。
ヤム・クーを自分の部下として、無理矢理連れながら、二人が船でデートをすると聞けば、船大工のゲンをガックンガックンさせて言い聞かせ、モーターを壊させたりとかしたのだが、あの魔女は、見事自分の魔力でアッサリと船を安定させてしまったのだ。
くそっ、と、八つ当たり気味に叩いたヤム・クーの頭の瘤は、未だに完治してはいない。
何が目的なのか──キンバリーもヤム・クーも、彼女が言っていた「あの方に一目ぼれして……」は信じていない──分からないが、ウィンディはタイ・ホーとの結婚を、着々と見事なまでに進めていた。
気づけば、もう結婚式は明日。
最近では、タイ・ホーに近づくことすら出来やしない。
その状況下で、一体どうやって現状を打破しろというのだろう?
スゥ──と瞳を細めて、キンバリーははるか遠くに見える岸を睨みつける。
「────。」
とりあえず、明日の結婚パーティが行われる船のエンジンでも壊しておくかと、今日も細々と船の点検をしているだろうゲンを訪ねていくことを決意した。
キンバリーは、もう一度ふるさとである海を一瞥して──それに背を向けて、城へ向けて歩き始めた。
夜の船の上で、結婚パーティを行おうと言ったのは、美しい王女であった。
彼女は、自分と王子と引き合わせてくれた場所で、愛を誓い合いたいのだと、そう告げたのである。
そうして──それは、キンバリーやヤム・クーのさまざまな妨害にも負けず、今、こうして、実現してしまった。
「…………。」
今、本気で、某解放軍リーダーから、卑怯な技を教えて貰えば良かったと、心から思わずにはいられなかった。
賑わいを見せる甲板から離れた船後尾。
華やかな花火が夜空を彩り、酒の匂いが辺りを染め上げている。
本当なら、その最中に割り入って、酒を存分楽しむところなのだが──さすがのキンバリーも、今日ばかりはその気になれなかった。
ワインを一本くすねてきて、甲板の騒ぎとは縁のない場所で、彼女は手すりに肘を置き、手酌でワインを嗜みながら、零れるのは溜息である。
あの女、魔女だけあって、隙がないというか、一本上を行かれているというのか……。
「……。」
飲まないでいられるか、と思いながら、キンバリーは暗く淀んだ海を見つめる。
真夜中の海は、こうしてみると恐ろしいほどの魔力を秘めているように見えた。
あの中で暮らしている頃には、静かな夜の海は、すべてが安らぎに満ちた安らぎの世界だった。
けれど、今は違う。
明るい炎に彩られた地上から見下ろす海は、キンバリー自身を食らおうとしているようだった──いや、この身が泡に変わるというのなら、そうなのかもしれないのだけど。
「……。」
ふぅ、と溜息を零す耳元で、ぱしゃん、ぱしゃん、と船体を打つ波音が聞こえた。
規則正しいそれを聞きながら……ふ、とキンバリーは誰か自分を呼ぶ声を聞いたような気がした。
きょろり、と視線を彷徨わせると、船から少し離れた場所から、ヒョッコリと顔を出したのは、つい昨日、キンバリーに宣言して去っていった姉姫であった。
「にーんーぎょーひーめー!」
ぶんぶんっ、と大きく手を振るのは、遠目にみてもそれと分かるメグである。
彼女は、そのまま波を掻き分けるようにして近づいてくると、ワインを片手にヤケ酒にしか見えないようなことをしているキンバリーを見上げて、
「ダメじゃない! 昨日のうちに、サクッ、て王子を押し倒しておかないと! このままじゃ、あの年ごまかし魔女ババアに、この国が乗っ取られちゃうじゃないの!」
どっごぉぉぉーんっ!
メグが両手に力を込めて、キンバリーを非難した瞬間、なぜか反対側の甲板で、花火が暴発したようであったが、もちろん二人はそんなことに構っている暇はなかった。
さらに、そういい募るメグの隣から、ぱしゃぁーん、と情けない音を立てて、テスラも顔を出した。
「キンバリーさん……悪事に手を貸すのは嫌なのですが、かと言ってあなたを見殺しにするのもなんですから、泡にならなくて済む方法を、じゅ、じゅじゅじゅ……ジュッポ……姫…………と、一緒に開発してきました…………。」
ぽそ、と名前の部分だけ零して、テスラはおびえたようにキンバリーを見上げる。
キンバリーは、そんな彼をギロリと睨みつけると、自分の喉をさすって見せた。
あんたのおかげで、喉は未だに痛いんだよっ! ──という意味である。
テスラは、そんな彼女に、ごぼごぼ……と鼻の先まで海に顔をつけて、言い訳めいたことを水の中へと吐き捨てるが、もちろんそれを聞き取れるはずもなかった。
「そうそう! そうなのよ! とりあえず、人魚姫にはナレーターがいないから説明しておくと、実は隣国の王女は、この国の覇権を狙って、女に弱いタイ・ホー王子を落として骨抜きにして、実権握って、自分の祖国であるグレッグミンスターに吸収合併させちゃおう! って狙ってるのよ!
ちなみにこの情報は、星見情報から提供されております。」
すちゃ、とカメラ目線でさりげに最後の一言を説明しつつ、さらにメグはキンバリーを見上げると、
「そこで、この国を王女に奪われないため──つまりそれは、この国の領地である海の底に住まう我らが人魚の国を守るため、わたしたちは、人魚姫! あなたに協力してこいと、お父様から言われてきたのよっ!」
「…………………………。」
これって、そういう話だったかと、思わず目を据わらせてキンバリーがカメラ目線で睨みつけるが、残念ながらその方向にカメラはなかった。
「それで、一挙両得を狙う武器を、ここに用意した。」
ざざざざざぁぁぁー……。
波間をかぎ分けるようにして盛り上がって姿を見せたのは、うやうやしく作られた真紅のビロードが敷かれた金の台座にを掲げもった一番上の姉姫であった。
その姿が、海の上まで盛り上がった瞬間、うっ、とキンバリーは口元を抑え、目をそむけて見せる。
テスラもとっさに視線を遠くへと飛ばすが、メグだけが平然として、
「あーっ、ジュッポおじさん、いつのまにイルカ型船なんて作ったの!? ずっるーいっ!」
と、見事なダイナマイトバディーに貝の胸当てをつけたジュッポに唇を尖らせて見せる。
はっきり言って、その豊かな胸元や、ふくよかな腰周りは、目の暴力であった。
その魅力の強烈さに、ついつい目を反らしてしまったキンバリーとテスラの青い表情こそが正しいのである。
「さぁ、キンバリー! これを使えば、王女はこの国を手に入れることはかなわず、お前は思いを添い遂げられないが為に、泡になることもない!」
ジュッポは、掲げた台座をキンバリーに向かって差し出した。
名指しをされては、どれほど嫌でも振り返らずにはいられない──そんな主役の自分を呪いつつ、いやいや彼が捧げ持つ台座に視線を当て……………………。
「って、あんた、そりゃシンデレラのガラスの靴じゃないかいっ!!」
キンバリーの喉から、会心の突っ込みが飛び出たのであった。
かくして、人魚姫は、姉姫の活躍により、見事声を取り戻した。
その状況を、テスラは関心したようにこう述べた。
「つまりなんですか? その、さっき使わなかったからもったいないから使いまわししちゃえv でもそうしちゃうと、話が通じなくなっちゃうねっ! という会心のボケに対して、どうしてもこのメンツ的に突っ込むのは自分しかいないではないかという、非常に切羽詰った使命感が、キンバリーの喉を開通させたわけですね……。」
「ははーん、なるほど。」
顎に手を当てて、納得したように頷くメグに、だからそうじゃないでしょーが、とガリガリとキンバリーは手すりを掻いた。
その瞬間であった。
「はぁ? こっちで話し声が聞こえるだってぇ?」
キンバリーの背後から、声が飛んできた。
びくん、と思わずキンバリーが肩を跳ねさせると同時、
「まずいっ、見つかるわけには行きませんから、もう行きましょう!」
テスラが叫んで、メグとジュッポを急かす。
それに慌ててメグが頷いて、海中へと姿を消そうとして、慌ててもう一度顔をあげた。
「キンバリー! 絶対、もう一度会おうねっ! あたし、待ってるからっ!」
「……? メグ?」
どうしてそう念押しするのか分からず、眉を寄せるキンバリーに、ジュッポが手にした台座からガラスの靴を掴み取る。
「キンバリーっ! いいか! これで、王子を刺すんだっ! 心臓に突き刺せば、お前の泡になる運命は避けられる! お前は元の人魚に戻ることができるんだ!」
「て、これでどうやって刺すんだよっ!」
月の光を反射させて、ジュッポが大きく振りかぶって投げてきたガラスの靴を、ガシリと空中で掴み取る。
キラキラ光る靴は、確かに美しくて、見蕩れるばかりではあったけれども、これでは、ヒールの部分で痣を作るのが精一杯であった。
体を手すりから乗り出し、ブンブンとガラスの靴を振り回すと、ジュッポはイルカの機械と共に海の中へ潜ろうとしていた体を止めて、ああ、と目を丸くさせる。
「すまん、こっちだった。」
軽く言って投げられたのは、銀の光を鈍く放つ刃であった。
キンバリーは、慌ててガラスの靴を投げ捨てて、その宝刀を受け取る。
月明かりに輝くガラスの靴が、弧を描いて海の中へと落ちていく。
「あーあ……せっかくシンデレラから借りてきたのに…………。」
ジュッポがヤレヤレと呟いたのを耳にも止めず、キンバリーは呆然と手の中の短剣を見つめる。
掌にしっくりと収まるそれは、鋭い切っ先を持つ、美しい銀色の輝きを持っていた。
思わずそれに見蕩れ、手の中の恐ろしいばかりに美しい短剣を見つめていると、
「あれれ、なんだ、王子の客人のお姫さん……あんた一人だけなのかよ?」
どこか苦い口調を含んだ男の声が、背後から聞こえた。
思わず短剣を懐に仕舞い込んだキンバリーは、視線を闇色の海へと走らせる。
いつのまにか海の中へ消えたらしく、ジュッポたちの姿はない。
それを確認して、キンバリーはソロリと背後を振り返った。
「ほら見ろ、やっぱりお前の気のせいだっただろうが。」
呆れたように眼鏡の縁を押し上げて、カマンドールが小馬鹿にしたように顎を上げる。
その彼の前を歩いていたゲンは、酒の入ったビンを揺らしながら、不機嫌そうに顔を顰めて彼を振り返る。
「っせぇなあー……確かに聞いたと思ったんだよ。
──まぁ、あんたがグチグチ独り言を零すのも分かる気はするけどよ、相手が悪すぎらぁ、あきらめなよ、姫さん。」
言いながら、ぱしゅん、と小さく音を立てて新しく酒の栓を開けた。
そのままビンの口に直接唇を当てたゲンは、ぐいっ、と酒ビンを仰いだ。
ごくごく、と美味そうに喉が上下するゲンの姿を、嫌そうに横目で見やって、カマンドールは軽く肩を竦める。
「これでこの国はおしまいだろうが──まぁ、それもワシたちには関係ないからのぅ。」
この国がやばくなれば、その時はその時だと、アッサリと言ってのけるカマンドールに、てやんでぇ、とゲンが嫌そうに酒の匂いのする息を吹きかける。
そんな彼に、カマンドールはジリリと後ろに下がった。
「くさい……酒臭い、ちょっと海に落ちて、冷やしてこい!」
「けっ、せっかく酒を飲めるっていうのに、どうしてセーブなんかしなくちゃならねぇんだってぇの。てめぇも飲めよ、せっかくの祝い酒だぜ。」
「お前は、そんなだから脳みそが溶けるんだ! まったく!」
キンバリーの目の前で口喧嘩を始める二人に、彼女は何も言わず手すりから背中をはがした。
そうして、歩きなれないドレスの裾を翻して、脚の先に痛みを走らせるハイヒールで、かつん、と床を蹴る。
彼らのすぐ近くで一度脚を止めて、
「あんたたち、タイ・ホーはどこにいるんだい?」
チロリと視線で彼らを見据えた。
酒を奪うだの奪わないだのの話に変化していた二人は──え? と、キンバリーを見る。
その二対の目を見返して、キンバリーはもう一度口を開いた。
「タイ・ホーはどこにいるんだい?」
まっすぐに見つめられて、ゲンがゴクリと息を呑む。
カマンドールは、特に驚いた表情も見せず、無言で甲板の方を指し示すと、
「まだウィンディ王女と一緒だと思うぞ。」
そう告げた。
キンバリーは、顔を向こうへと向けて──ありがとね、とシニカルに笑って見せると、何事も無かったかのように歩き出した。
思わずゲンはその背中を見送り──隣で腕を組んで立つカマンドールを見た。
「…………あの女、口が利けたのか?」
「──遊女が、誓った男以外に唇を許さないという話は聞いたことがあるが、口を許さないというのは、初耳だな。」
「って、一緒にすんなよ、ジジイ!」
すかさずゲンが突っ込むのに、カマンドールはとたんに顔を赤く染め上げて、怒鳴りあげる。
「ジジイと呼ぶなと言っておるだろうがっ!」
「ジジイにジジイって言って、何がわるいんでぃっ!」
そして、今日も高らかに口げんかが始まるのであった。
そんな後ろの騒動を背中において、キンバリーは騒がしい甲板の方へと歩いていく。
一番上の姉姫から貰ったばかりの探検が、懐でズッシリと重さを訴えている。
脳裏によぎるのは、美しく煌くばかりのナイフだ。
──あの魔女には、あたしやヤム・クーごときでは歯向かえないのは、すでに何度も試しているから分かっている。
タイ・ホーと既成事実を作ろうにも、国を乗っ取ろうと考えているらしい王女様は、キンバリーを一歩も近づけさせてくれやしなかった。
もし、近くに行けるなら、今だけなのだろうけど。
「──……。」
この結婚祝いで盛り上がる中、花婿を奪ってどこに逃げるというのだ?
海の中へ? 人魚であったころならイザ知らず、今の体でどこまで泳げるものか? それどころか、アレ以来海が怖くて、この体で泳げるかどうかも試したことがないのだ。
上手く花婿を奪っても、泳げない挙句に二人そろって無理心中は、あんまりだ。それなら泡になったほうがマシだろう。
──もっとも、タイ・ホーは泳ぎが得手であるから、それはナイとは思うのだけど。
国を乗っ取られて、タイ・ホーが他の女に奪われない方法は二つだけだ。
タイ・ホーを自分の虜にするか、彼を殺すか。
望むのは前者だけど、今の状況はそれが難しい。
「別に、愛人でもあたしゃ構わないんだけどねぇ……。」
言いながら、それでも口元に浮かぶ笑みが引きつるのが分かった。
自分でもわかっているのだ。
口ではそう軽んじて言うけれど、決してそれが自分の性には合っていないということが。
「…………………………。」
人でごった返す甲板を、迷うことなく歩いていく。
色とりどりの祝いの花、美しく夜空を飾る月と星と花火。白いテーブルを飾る花々と、料理の数々。
何もかもが目を奪われそうに素敵なものばかりだけど、今のキンバリーの目が探すのは、ただ一人の男だ。
殺すか奪うか、そのどちらしか待っていない男だ。
仕舞い込んだ短剣の重さを感じながら、キンバリーは少し開けた場所に出る。
そこは、一段高くなった──王子と王女、国王が座る場所だ。
見知らぬ顔もある。祝いの席だというのに、黒い甲冑を着こんだ金髪の男だ。
王女の隣の席に座っていることから、それが王女の父親ではないかと、すぐに知れた。
──────…………というか。
「………………王女の両親役に、ユーバー………………?」
なぜ、誰も突っ込まないんだろう、と一瞬気が遠くなりかけたキンバリーであったが、何とか気力を奮い立たせる。
さすが、脚本・演出がレックナート様だけあって、豪華出演陣だねぇぇぇー、なんていう皮肉が頭の中でグルグル回ったが、それも綺麗に他所へおいておくことにして、キンバリーは改めて正面に向かい合った。
羽のついた扇を揺らしながら、タイ・ホーに微笑みかけているウィンディを睨みつけ、かつん、と彼らの前に踊り出る。
手は、自然と短剣を隠した胸元へと当てられていた。
「タイ・ホー……。」
低く掠れた声で呼びかけると、ほろ酔い気分でヤム・クーに酌をさせていた男は、赤く染まった目元をヒクリと揺らして、辺りを見回す。
「んー? なんか今、俺の名前が呼ばれなかったかー?」
「飲みすぎですよ、兄貴。」
「んっだよ、祝い席なんだから、ちょっとくらいいいじゃねーか。」
「祝い席」
その台詞に、どこか胸が痛くなるのを覚えながら、キンバリーは無言で脚を勧める。
誰かさんの妨害のおかげで、久しぶりに会うタイ・ホーは、酔いが程よく回った目をしばたくと、驚いたようにキンバリーを上から下まで見つめた。
「おうっ! なんでぇ、キンバリー? 珍しい格好をしてるじゃねぇか。そういう服は、好まないんじゃなかったのか?」
距離は、歩みで数歩ほど。
一瞬で彼に間合いを詰めて、刺せば何もかもが終わる。
後は、人間たちが追ってこれない海へ身を投げ出して、深く、深く──潜ればいいだけだ。
左右には、近衛兵が控えてはいるけれど、背後は船頭部へと繋がっているから、あそこまで走って、身を投げればいいだけの話なのだから。
無言で片手に持ったワイングラスを掲げて、タイ・ホーに近づくと、彼は嬉しそうに目元を緩めてキンバリーを見上げた。
上機嫌に酔っているらしい彼は、手にしたグラスを掲げて、
「おうっ! お前も祝ってくれるのかよ! よーし、かんぱーいっ!」
底抜けに明るい声で、かっちん──と、キンバリーのワイングラスに自分のグラスの縁をぶつけた。
瞬間。
かしゃん──……っ!
小さく音を立てて、タイ・ホーのグラスがぶつかったキンバリーのグラスが、砕ける。
ぱしゃんっ、と音を立てて、彼女の手に嵌められた白い手袋が赤く塗れ、割れたグラスが床へと叩きつけられる。
「きっ、キンバリーさんっ!」
慌てて、ヤム・クーが飛び出してくるのに、彼女は呆然と手の中のグラスを見つめた。
右手を赤く濡らし、左手を胸元に置いて──、
「………………………………。」
キンバリーの喉が、ヒクリと引きつる。
「わりぃわりぃ──、割れるなんてなぁ……。」
よっこいしょ、と重い腰をあげる男を、キンバリーは無言で視線で見据えた。
「────…………。」
グラスを拾うタイ・ホーに、
「兄貴っ、危ないですから、椅子に座っててくださいよ!」
慌てて、雑巾を片手にヤム・クーが走り寄ってくる。
そんな彼に、とろん、とした目を向けて、そうかそうか、と頷いたタイ・ホーは、そのままキンバリーを見上げた。
かと思うと、彼女の手を取ると、
「手、怪我しなかったか?」
「──……っ。」
キンバリーは、とっさにその手を払いのけて、きり、と唇を噛み締める。
胸元に置いた左手に、硬質の感触が当たっている。
今ここで、この剣を抜けば、すべてが終わる。
もしくは、ここで彼の手を取って、船から飛び降りれば────………………。
「キンバリー?」
「──────………………。」
不思議そうに首を傾げるタイ・ホーを、床を拭くヤム・クーが起こったように邪魔だと呟くのを耳にして、キンバリーはヒラリとドレスの裾を翻した。
完全に背中を向ける前に、豪華なお嫁さん席に座っていたウィンディが、ニヤリと笑うのが見えたが、それに怒りを覚える間もなく、足早にキンバリーはその場を駆けていく。
人ごみを掻き分け、去っていく彼女の背を見ながら、
「そんなに起こるほど、いいワインだったのか、コレ……?」
タイ・ホーは、グラスを片付けているヤム・クーにいぶかしげに尋ねた。
聞かれた相手はというと、呆れたままの表情で、
「兄貴、もー少し女心を勉強しないと、上手く結婚生活がなりたちませんよ?」
そう忠告せずにはいられなかった。
船の甲板の端──誰もこない場所まで走ってきた頃には、息も切れて胸元も足先も痛いばかりであった。
この痛みが何なのか、理解できないまま、キンバリーは痛む肺を片手で押さえつける。
その手に当たる硬質な感触が何なのか悟り、きゅ、と眉を寄せた。
頭の中によぎるのは、「きっと帰ってきてね」というメグの言葉だった。
「……────けどねぇ……メグ。」
がり、と爪先で手すりを掻いて、キンバリーは片手で胸元を抑えながら、皮肉な言葉を吐くように、唇を歪めてみせる。
睨みすえる先には、穏やかな波を打つ暗い海面。
傾いた月が、揺らめくように映し出す光が、頼りなく見えた。
「愛する男を殺してまで、生き延びたいなんて──あたしは、思わないね。」
小さく言い捨てて、キンバリーはドレスの襟ぐりに指先を突っ込む。
そしてそのまま──びりりっ、と、縦にドレスを引き裂いた。
開いたドレスの隙間から、見事な彫刻の短剣の柄が見える。
それを迷うことなく懐から取り出すと、キンバリーは思い切りよく振りかぶる。
ためらいなど一瞬も見せずに、彼女は闇の中向けて、手の中に握った剣を投げた。
大きく弧を描いた短剣は、宝石を光らせながら、遠く海面へ落ちる。
「少しでも嫌がってるならとにかく、喜んで嫁を迎えようとしているんなら、あたしは出る幕がないじゃないか。
それでも、自分のために、誰かを犠牲にするほど──このキンバリー様は、落ちぶれちゃいないさ。
あたしが自分でしたことの落とし前は、あたしがキチンとつける。
それが──いい女ってもんだろ?」
襟元から引き裂いたドレスの合間から、零れ出る胸の谷間を月明かりにさらして、さらについでとばかりに、彼女はドレスの裾を腿の辺りまで引き裂いた。
裂かれた布がヒラリと風に舞うのを合図にするように、キンバリーは手すりに手を置いて、ひょいっ、と身軽に上に飛び乗った。
そのまま、遥か下方を見下ろす。
つい昨日は、この海を見て怖いと思ったのに──どうしてだろう? 今は、怖くなかった。
それどころか、誰よりも愛しい世界のように……そう、感じる。
ひゅぅぅぅー──と強く吹く潮風を感じながら、キンバリーは一度目を強く閉じた。
そうして…………………………………………。
ふ、と。
その身を、中空へと躍らせた。
ぱしゃん……ぱしゃん…………………………。
揺れる波間の間から、キラキラ光る月明かりを受けて、落ちてくるものを見上げて、少女はソ、と絶望の吐息を零す。
ヒラヒラと、まるで舞うかのように落ちてくるものは、一番上の姉姫が、確かに末っ子の娘に届けたはずのものだった。
それが人の血を吸っていないのは、一目で見てわかること。
そうして、これがココへ落ちてきたことの意味を、少女はよく知っていた。
両手を頭上に掲げて、波に踊らされるようにして水からの下へ戻ってきた短剣を、しっかりと掴み取り──メグは、その短剣を懐に抱え込む。
「…………………………。」
きゅ、と強く目を閉じて、この剣と同じように海へ戻ってきたはずの……けれど、その肉体は決してここまで落ちてくることのない妹姫のことを思い、そろりと吐息を零す。
顎を上げて、波間に髪を漂わせて、意識を眉間に集中させる。
握り締めた短剣が、ほのかに熱を帯び始めて──不意に、額をパシンと叩かれた。
「──……っ!?」
思いもよらない衝撃に、はっ、と目を開いたメグの前に居たのは、この短剣を作った主である、一番上の姉であった。
「ジュッポおじさん…………。」
「地上に嵐を呼ぼうとするのは、やめとけ。」
「……………………──────…………。」
自分の顔を覗き込むように囁いてくる姉の顔から視線を逸らし、うつむいたメグに、ジュッポは言葉を優しく重ねる。
「あの子は、自分の思うがままに生き、自分が思うように選んだ。
──そうして生きた子は、自由な世界へ旅立つために、泡になり、空気になり、風になる。
世界を巡る、自由の子となるのだ。」
「──────………………それでも………………。」
ぎゅ、と短剣を握り締めて、メグは小さく呟く。
しがらみから解き放たれて、空を駆け巡る風になるのは、この上もなく尊いことなのだと、そう教えられてはきたけれども、メグはそうなるであろう人魚姫のことを幸せには思えなかった。
「それでもわたしは……生きて……、一緒に生きてほしかったと…………そう思うわ……………………。」
見上げた遥か天上。
海という世界の外の世界。
自分たちには辿り着けない遥か外の世界。
そこで今、どんな覇権争いが起きているのか、結局あの国がどうなったのか──、そんなことは、海の底の人魚たちの、預かり知らないことであった。
本当は──この海がどこの国の領地になろうとも、今の人間たちでは、ここを脅かすような力など、持てるはずがないのだから………………。
「生きてほしいと──誰もが願っていたのよ…………、人魚姫……………………。」
けれど、決断したあなたの意思を──愛しく思う。
「なんだい、人魚姫ってのは、最後はハッピーエンドじゃないのかい!」
「え? ラストシーン知らなかったんすか?」
「それにしても、漁師に溺れさせる役するなんて、やっぱミスキャストじゃねぇのかぁ?」
「誰もが思ってるよ、ソレ! 私だったら絶対、王子刺しちゃうなー。」
「またそんな怖いことをメグさんは…………。」
「そして、新しい冒険が私を待っているのーっ!」
「さすがに、好きになった王子は殺せないんじゃないのかねぇ……普通は。」
「でも、自分が泡になっちゃったら、冒険できなくなっちゃうじゃないー!」
「メグは、そればっかりだな……。」
「それにしても、最後はシリアスだったなー……俺、見てて鳥肌立っちまったよ。」
「でも、最後のわたし、最高っ! 余韻あると思わない!? ね、ねっ!?」
「さーってと、次の劇でも見に行こうかなー…………。」
「って、ちょっと!? なんで帰るのよっ、って、こらっ! シーナっ、あんたまで帰ることないでしょうーっ!?」
「…………ああ、上手くいってるみたいだ。……シメシメ。」
「…………スイ? お前、双眼鏡で何見てんだ? あっ、さては、メグちゃんの着替え見てるんだろっ!? 俺にも見せろよ、な?」
「はい、どうぞ。」
「おっ、分かってるじゃないか。どれどれ?」
「よーくみえるだろ?」
「……? ん? 見えるって…………。」
「やっぱり、ルックも使い様ってヤツだねー……暴風区域に入ったグレッグミンスター周辺を、まさかあんな不幸が襲うなんて……。」
「って……おい……スイ…………。」
「いやいや、グレッグミンスター周辺だなんて、そんな大まかな設定で行ってはいけないね──ちゃんとココはきちんと細かく!
黄金宮殿の中庭にだけ、津波が落ちるなんてっ! と、、そう、この不思議な自然現象と奇跡を、ルックに──じゃなかった、大いなる自然の風に感謝しないとっ!」
「どっからどう考えても、ルックの仕業だろーがっ、アレっ! つぅか、なんだ、アレはっ!? アレのどこが津波だっ、こらっ!」
「シーナ、その双眼鏡は、借り物なんだから、乱暴に扱ったら困るじゃないか。」
「あ、わりぃ…………じゃなくってだなっ!」
「津波じゃないか、どっからどう見ても。
湖で、運悪く起きた嵐が、そのまま風に導かれて、どういうわけか、重力に負けずにグレッグミンスターまで竜巻みたいに飛んでいって、そのまま黄金宮殿で渦を巻いているだけだよ。しかも、ちょうど運悪く、王宮魔術師様は、ちょーどこの解放軍の劇にゲストとして出演してたもんだから、ほんと、大打撃って感じで……。」
「だけって、だけ、で区切れることか、この展開っ!? つぅか、人間技じゃねぇだろ、あれはっ!」
「そりゃそうだよ。だってアレは、ルック技だし。」
「………………あー…………なるほどなー…………つまり、なんだ?」
「ん?」
「要約すると──細かいことはグチグチ言うなって、ことか?」
「ううん。自然の恵みに感謝しろってこと(笑顔)。」
「……………………ほどほどにしておけよ……………………。」
「ああああーっ!? なんてことだいっ! わたしとしたことが、うっかりマクドールの坊やにしてやられたみたいじゃないかっ!」
「……………………。」
「ユーバーっ! 何をしてるんだいっ! さっさと戻るよっ、あの津波を止めないとっ!」
「────…………なら、なぜ俺を連れて解放軍の劇なんかに参加したんだ?」
「──────……………………………………………………わ…………………………。」
「わ?」
「わたしだって、一生に一度でいいから、ヒロインっていうのをやってみたかったんだよーっ!! しかも、出演料には、あの! 特別限定品! ○○屋のウイロウをくれるって言うんだよっ!!!」
「──────…………………………(だいぶ遠い目)。」
「はっ、そんなことより、さっさと戻るよっ! さぁ、ユーバーっ!」
「……………………ああ………………。」
シリアス展開驀進しました。
我ながら、どうしてラストがああなったのか分かりません。
真の人魚姫ストーリーファンには、すみませんです──うがった見方をしてあの絵本を読めば、こういう解釈になるのです(汗)。
ということで、今度こそちかいます。
次回こそは、幻想3みたいな演劇を………………。
演技が下手な人間とか、出したりとかしたいです…………。
(こっそり)台本もお付けしますわ