「っていうか、なんでグレッグミンスターなんかを劇場地に選ぶんだよっ!?」
「だって、ちょうど良いダンスホールのある城が無かったんだもん。」
「あるじゃねぇか、ミルイヒの城とか、カシム・ハジルの城とか!」
「あんなの、好みじゃないもん。」
「……〜〜ってっめぇなぁぁぁっ! わざわざビデオカメラ持って、参加してやってる俺の胃のことも思えよっ!」
「えっ!? こんなことくらいで、胃がシクシク痛んだりするの!? フリック、胃腸弱いんだねー……リュウカンから薬貰ってやろうか?」
「いらんわっ! ったく、俺は降りるっ! 降りるからなっ!」
「そういう抗議などは、赤月帝国皇族までって、ちゃんと掲示板に書いてあるじゃないか。」
「……なんなんだよ、それは……。」
「だから、赤月帝国の皇族まで──つまり、バルバロッサって事だねっ!」
「んなところに断りにいけるかーっ!!!」
「なら、素直にやってよ。まったく、これで副リーダーってんだから、リーダーやってる僕も大変だよ、ヤレヤレ。」
「〜〜リーダーだとぉ? んなことより、お前がもっと真面目にやればいいんだよ──っ。それでオデッサの代わりが勤まると思ってんのか!」
「思ってない。」
「………………っっ、お、ま、え、は、なーっ!」
「オデッサさんの代わりは、誰にもできないでしょーが。僕は、オデッサさんの代わりじゃなくって、オデッサさんの後継ぎ。ここんとこ、ちゃーんと覚えててね? リーダーの器じゃないって、オデッサさんから言われた、フリックさーん?」
「……っ、殺すっ! つぅか、殺すっ! そこになおれっ、このやろうーっ!」
「あっはっはっは、やれるもんならやってみなーっ!」
どたばたどたばたどたばたっ!
「……………………久しぶりの台所っ、久しぶりのかまど! ああ、帰ってきましたよ、私のパラダイスーっ!!」
「……………………………………ぼっちゃーん、フリックー、あんまり暴れると、警備兵が来るので、ほどほどにしてくださいよーっ。」
「──……もう、この屋敷には踏み入れることはないと、そう思っていたのに…………テオさま……………………っ、私は、まだ…………っ。」
どたばたどたばたどたばたっ!
「はいはい……もう始めますよ、皆さん、いーですかぁ?」
あれは、晴天が目にまぶしいばかりの日でございました。
あの人が愛した青空の下、帝国の将軍の一人であるテオ=マクドールは、二度と帰らぬ人となったのでありました。。
「ううっ、テオ様……っ、どうしてこんなに早く、私を置いて逝ってしまったのですか……っ。」
美しい金の髪を乱れさせて、彼女は両手に顔をうずめて、テーブルに座っていた。
彼女の名は、ソニア=マクドール=旧姓シューレン。
数年前に、この屋敷の主であったテオ=マクドールと子連れ結婚した、夫人である。
今から数ヶ月前に、戦場に出て行ったっきり帰ってこなかった夫の死を、未だ信じられず、泣き暮らす毎日であった。
今日も今日とて、昼間からテオ様秘蔵のブランデーを出してきて、手酌で飲みすぎる日々。
周りの人間からは、金目当ての結婚だの、なんだのと言われていたが──事実、テオは前妻を病で亡くしており、彼女との間に出来た子供も居たし、ソニアは若く美しい娘ざかりだったのである──、ソニアは正真正銘、精悍で人望厚いテオを愛していた。
それこそ、彼が帰らぬ人となったのだと言う、一通の赤い手紙を受け取ってから今まで、テオ様はきっと生きているのだと、そう泣き暮らすほどに。
「テオ様…………。」
ぐすん、とソニアが赤くなった鼻をすすったその瞬間であった。
今日もまた、彼女の傷心のひと時の時間は、強制的に終わりを告げた。
──ばたんっ!
「ソッニッア、おっかっあ、さ、まーっ!!!!」
勢い良くドアが開いたかと思うと、スタッカートがついているような呼び方で、一人の少年が飛び込んできたのである。
彼は、そのまま猛ダッシュでテーブルに座っているソニアに走り寄ると、腕を前にして体を庇う姿勢になったソニアに構わず、がばぁっ、と抱きついた。
首に両腕を回し、くるん、とソニアの背中に体当たりしてみせた彼は、グラリっ、とかしいだ椅子に、慌ててバランスを取るソニアに構わず、彼女の顔を覗き込んだ。
「お母様? 僕、新しいバンダナほしいんだー♪ 買っていいでしょー?」
自分が可愛らしく見える角度を知っているかのような、小首傾げ45度で見上げてくる少年に、ソニアは目じりを下げるどころか、逆にキリリと吊り上げると、
「ふ……ふざけるなっ、スイっ! あなたは、私がテオ様を失ってどれほど苦しんでいると……悲しんでいると思っているの!?
それなのに、言うにことかいて、私をお母様っ!? お母様ですってっ!? 今のあなたに──テオ様を殺したあなたに、そう呼ばれたくなんて無いわっ!!」
キッ、と、睨み殺せそうなほどのソニアの視線を受けて、スイはショックを受けたように彼女の首から手を離す。
そしてそのまま、ヨロリと体を傾がせると、
「ひ、ひどいっ、お母様っ! 実の娘である僕を、シンデレラと一緒の扱いにするなんてっ!
そういう、お父様が居なくなったことへの八つ当たりは、シンデレラにしてちょうだいよっ!」
わぁっ、とわざとらしいほどの仕草で、両手に顔をうずめた。
ソニアは、そんな彼をにらみつけたまま──……ん? と眉を寄せる。
「シンデレラ…………?」
「そう! シンデレラっ! お父様と前妻の間にできた、お母様の継子にして、私たちのママ妹! ……ん? 義妹だったっけ? まー、その辺はどうでもいいや。
どうせやつ当たるなら、シンデレラにしてよっ! ついでに、普段の僕へのやっかみも、シンデレラで発散しちゃってよ!」
さりげに本音まで零して、スイはどこから取り出したのか、白いハンカチを悔しそうに唇に噛んで見せた。
その、「貴族の家に再婚した母親についてきた、ラッキー玉の輿相乗り娘」を勘違いしたような演技に、ソニアはクラリと眩暈のする頭で、現状を思い出すことに成功した。
「──ああ、そうか…………テオ様と私が結婚したというのは、劇の設定だったな…………ふっ、なんか、あまりにもはまり役すぎない、これ…………?」
「そう! そして私は、ソニアお母様の実の娘2のスイよ。ちなみにお姉さまは、今、台所でシンデレラいびりのおニューをしています。」
「………………ちっ、お前がシンデレラなら、思い切り良くいびれたものを…………っ。」
「僕がシンデレラ役なら、そりゃもう、面白おかしく楽しんでやれたものを……っ。」
毒々しく吐いたソニアに、キラキラ光る目でスイが見上げてくる。
そんなスイに、無言でソニアは顔を引きつらせた後──がたん、と席を立ってみせた。
「こんな心臓に痛いような劇は、さっさと終わらせましょう……っ。」
小さく吐き捨てるように呟くと、シンデレラが居る台所へと歩いていく。
残されたスイは、コリコリと頬を掻いた後、
「うーん……本当にはまり役だ。」
感心したように、腕を組んで呟いていた。
「シンデレラっ! まだこんなこともしてないのっ!? まったく愚図ねぇ、あんたはっ!」
台所に向けて歩いていくと、そんな聞きなれた罵倒の声が聞こえた。
どうやら、これがソニアの実子1である姉の声であるらしい。
誰の声だっただろうかと思いながら、ソニアは台所へと顔を覗かせた。
その瞬間、
「って思うなら、人が拾ってる先から、豆をまかいないでくださいよ、クレオさんっ!」
男の声も聞こえた。
──ということは……と、ソニアは今回の配役をきっちりと理解して、頭痛を覚えて、台所の入り口に立ち止まった。
思わず掌が、ばちん、と額に当てられたのは、眩暈を押し殺すために違いあるまい。
「…………私と同じ年のシンデレラはとにかくとして──私よりも年上の、実子……そう来るか…………。
スイだけでも、嫌な子供を持ったものだと思っているというのに………………っ。テオ様の妻という役は、それほどに難しいと、そういうことなの……っ!?」
そんなソニアの背中ごしに、ゆっくりと追いついてきたスイが、ヒョイと台所を覗き込む。
「だって、これが私の仕事だからねぇ? ほーら、シンデレラ? そっちにも豆が落ちてるじゃないか。」
ヒラヒラと手を振って、大きめの籠を脇に抱えた女戦士が、山盛になった豆を掴んで、ばらばらと床に撒く。
カツンカツン──と、四方八方に飛び退った豆の幾つかは、テーブルの下へと転がり込み、テーブルの下で、散らばった豆を拾っていた男の靴先で止まる。
灰色にくすんだエプロンの裾をつまんで、エプロンへと豆を放り入れていた人物は──背後で鳴った音に、思い切りよく振り返った。
「クレオさんっ! これじゃ、全然仕事が進まないじゃないですかーっ!
今日はっ、今日は、ぼっちゃんのために、愛情こもった特製シチューを作るんですからねっ!」
キッ、とテーブルの低さも考えず、頭を上げてそう叫んだグレミオは、叫ぶと同時に、
ガンッ!
と、見事なほど大きな音を立てた。
「〜〜〜…………っ!」
声にならない悲鳴を飲み込んで、ガクッ、と膝をつく。
エプロンの中にたまっていた豆をすべて落として、彼はそのまま頭を抱えてしゃがみこんだ。
そんな男を見下ろして、クレオは籠の中身を掴んだ手をそのままに、あーあ、と彼の旋毛を見下ろす。
灰被りと呼ばれるとおり、グレミオの金色の髪は、灰でくすみ、白い肌も灰で汚れていた。
服も質素で汚れた物を着ていて、このまま屋敷の外に放り出したら、あっと言う間に戦争孤児と変わりない状態になってしまうことだろう。
「馬鹿だね、あんた……。」
呆れたように見下ろすクレオに、グレミオは涙がにじんだ目で彼女を軽くにらみつけると、
「誰のせいで、豆を拾うハメになってると思ってるんですかぁっ!」
そう、叫び、更に言い募ろうと口を開いたが……。
「ばかものーっ!!!」
どごぉっ! と、ものの見事にテーブル下にスライディングキックをかましたスイによって、続くはずのクレオへの抗議は、グレミオの悲鳴に掻き消えた。
「ぐっ!」
まるで狙ったかのように、膝をついたグレミオのみぞおちへ決まったキックは、グレミオを悶絶させる。
スイは、そのまま容赦なくグレミオの体を蹴りつけるようにして体を起こすと、テーブルの前に立ち、両手を腰に当てて彼を覗き込んだ。
「豆を拾うのは、グレ──じゃなかった、シンデレラの仕事だろうがっ!
それに、何!? ぼっちゃんのためにシチューを作ったっ!? どこのぼっちゃんのためにシチューを作るっていうんだい、この色ボケシンデレラっ!
いいかい、あんたは、僕とお姉さまとお母様の、奴隷なんだよ、ど・れ・い! 父上が亡くなった以上、邪魔でしかないアンタを養ってくれているお母様のためにも、しっかり働いてもらわないと困るねっ! まったく。」
つん、と顎を反らせるようにして、見下すその見事な角度。
思わずクレオは、籠を脇で支えながら、小さく拍手してみせた。
「お見事です、スイ様。」
「年季の入った小姑ぶりだな……。」
台所の入り口で、いまだ固まったままだったソニアも、感心したように呟く。
グレミオは、頭の痛みもふっとぶような、義理の姉2の一撃に、震える吐息でヒュゥゥゥー、と息を零した後、辺りに散らばった豆を涙のにじんだ目で見つめた。
そろりと見上げた先で、辺りのモンスターなら一撃で倒してしまう攻撃力を持つ、世にも恐ろしい大魔神が仁王立ちしていた。
「──……うう、いくら、ツイツイ演技を忘れてたからって、それでも酷いですぅ……ぼっちゃん…………。」
「…………────なんだって? シンデレラ? まだ分からないってんなら、体に言い聞かせてやろうか?」
腰をかがめて、スイは目を細めるようにしてグレミオを睨みつける。
びくぅっ、と体をこわばらせたグレミオが、ふるふると必死になってかぶりを振るのに、
「ぼっちゃん──それは、ちょっとシンデレラのまま姉じゃなくって、何か別のものが入ってますよ……。」
クレオから、クレームが入った。
「え? 普通、いじめってこうするもんじゃないの? なら、てっとり早く、熱した鉄板の上で躍らせるとか、熱湯で洗顔させるとか、指先に針を埋めてみるとか、そーゆーのしてみる?」
「それは、拷問だろーが。」
サク、とソニアからも突っ込みが入り、スイは軽く首をかしげてソニアを見やった。
「? だって、女の苛めって、陰険で怖いって、グレミオが言ってたから……てっきり、こういうことをするんだとばかり思ってたんだけど?」
「────────………………グレミオ?」
本気でいぶかしむようなスイの視線を受けて──ソニアとクレオが、ちらり、とテーブルの下にいる人物に視線をやった。
グレミオは、びくぅっ、と再び背をしならせると、わたわたとテーブルの下から向こう側へと這い出て、
「さぁって、それじゃ、豆を拾ってお掃除して、昼食でも作りますかねー♪ あ、そうそう、お姉さま、お母様、繕い物とお洗濯物を出してくださいね〜。
さ、ホウキ、ホウキ、っと!」
と、冷ややかな女どもの視線から逃れるように、わざとらしいくらいわざとらしい声を出して、元気良く裏口から外へと出て行った。
外に、室内用のホウキがあるわけが無いのを、きちんと理解した上で。
クレオは、無言で抱えたままの豆を見下ろし──無表情に、どしゃぁつ、とそれをひっくり返した。
ソニアは、テーブルの上に置かれた水差しを見て、やはり無表情にそれを手にすると、思いきりよく、豆の上に零して見せた。
「…………これが、陰険てヤツかー……。」
しみじみと感心したように、スイは水で濡れた豆の山を見つめた。
水分を含んだ豆は、ホウキでは掃きにくいのである。
「ったく、逃げ足は速いんだから……っ。」
いまいましげに舌打ちしてみせたクレオに、まったくだとソニアが大きく頷いた。
そんな母親と姉を横目に、スイは笑顔で、
「こうして、シンデレラは、毎日毎日、まま母とまま姉たちに苛められて、暮らしているのでした。」
場面転換に協力するのであった。
「…………ちょいと、スイ様っ!? あたしのナレーション役、奪わないでくれるかい!? 私はねぇ、口から先に生まれた女と呼ばれるだけあって、ナレーションに関しても、そりゃーもう、おひねりをもらえるくらいの……(以下略)…………。」
シンデレラは、重い水の入った桶を一度下ろして、ふぅ、と額から滴る汗を拭い取った。
「今日もいいお天気ですねー……。」
そして、水桶をもう一度抱えあげて、シンデレラは再び屋敷へと歩き出した。
軽やかに歌う鳥が空を駆け巡り、心地よい風が木々を揺らす。
「今日は、お洗濯をして、お掃除をして、それからご飯を作って──なんだか、シンデレラさんのすることって、普段の私のお仕事と、なーんにも変わりませんよねぇー? ……何が苦痛なんでしょうか? うーん?」
軽く首を傾げながら、シンデレラは今日も楽しく家事をこなすために、裏口のドアを開けた。
生まれたときから慣れ親しんだ屋敷で、家事をすることを苦痛に思うことはなかった。
この国の貴族の端くれであった父、テオ=マクドールの唯一の子供であるシンデレラは、小さい頃に母を亡くしている。それから、最愛の父と二人、質実剛健を旨とし、静かに暮らしてきた。
使用人は最低限の人間しか雇っていなかったため、父が生きている頃から、シンデレラ自身が家事をすることも珍しくなかった。
だから、慣れているのは慣れているのだ。
──ただ、それだけなら、シンデレラも、今の生活を苦痛に思うことはなかっただろう。
父が、再婚したのがつい最近のことだった。
美しく若い継母であるソニアと、彼女の連れ子である美しい姉が二人。
シンデレラは、亡くなった実母のことを思わないこともなかったが、純粋に父が新しい愛に生きることを──そして父が、シンデレラに母が必要であろうと思ってくれたことが、嬉しかった。
一人っ子だったシンデレラは、年の近い姉たちの存在も嬉しかった。
これから家族5人で、楽しく暮らしていくのだと…………そう、信じていた。
──────その時は、ほんの半年にも満たなかったけれども。
戦いのために市街地へ行った父は、そのまま──帰らぬ人となってしまったのだ。
それからだった。
「お義母様とお義姉様は、お父様の残して下さった財産を食いつぶす勢いで、次から次へと浪費していらっしゃる──、屋敷に残った金目の物も、次々に売れらていって……、私のことは下働きか奴隷のようにこき使い──……。」
ふぅ、と溜息を零したシンデレラは、重い水桶を台所の端に置いた。
それから、顎に手を当てて、しばらく沈黙して視線を天井に当てた。
「────…………? あれ? そんなにあからさまでしたっけ? 台詞?」
うーん、と首を傾げながら、シンデレラは、台所の端に置かれている水壷の中へ、水桶の中身をひっくり返す。
そこへ、
「シンデレラーっ! シンデレラっ! どこに居るんだいっ!」
いかにも嬉々とした調子で、台所のシンデレラを呼ぶ声が聞こえた。
「はいはーい、どうかいたしましたか、クレオさーんっ!?」
「ああ、そんなところに居たのかい? 昨日頼んだドレスは、もう仕上がってるかい?」
台所から顔を覗かせると、クレオは悪戯げに笑ってシンデレラに問い掛けるのだが、
「はい、アイロンをかけて、クレオさんのお部屋につるして置きましたよ。
ついでに、あのドレスに似合いそうな靴も磨いて置いておきました。」
このシンデレラは、家事の達人であった。
次に言おうと思っていた台詞を、さっくりと天然そのものに返されて、クレオは開きかけた口をそのままに、ヒクリと引きつった。
「…………〜〜ああ、そうかい、ありがとうね。」
ひらり、と踵を返していく。
その悔しそうにも見える後姿へ、さらにトドメとして、
「あ、そうです! アクセサリーも磨いて、宝石箱の中に入れて置きましたから! 後、髪を結わえるなら、おっしゃってくだされば、手伝いますからー。」
そこまで口にしてくれた。
くっ、と、悔しそうに唇を噛み締めたクレオは、家事が万全すぎるシンデレラなんて、絶対にミスキャストだと、喉でうめいて見せた。
ひそかに拳を握ったクレオの耳に、ドタドタドターっ! と、乱暴な足取りが聞こえてきた。
「?」
何事だと、無造作に顔をあげたクレオの前で、ばんっ、と玄関へと続く扉が開く。
そして、そこから飛び出してきたのは、スイであった。
「ぐっれっみっぉーっ! あ、間違い間違いっ! シンデレラーっ!!」
そしてそのままの勢いで、ダッシュでシンデレラの下へ走り寄ると、
「ぼっちゃん! 廊下は走っちゃいけませんと、何度言ったら分かるんですかっ!」
「シンデレラの分際で生意気言うなっ! それよりも、僕のタキシードは用意できてるのかっ!?」
「はいっ!? はいはいはいはい?」
ビシィッ、と指先を突きつけて叫ぶスイに、目をキョトンとさせながらシンデレラは首を傾げた後──、とりあえず。
「ぼっちゃん、人を指差してはいけません。」
そう、教育的指導を飛ばした。
が、そんな教育的指導を飛ばされることに慣れているスイは、それを綺麗サッパリ右から左に聞き流して、
「出来てないのかっ!? まったく、シンデレラは、愚図でのろまで気が利かないんだからっ!
いいかい、ちゃんと夜までには、タキシードを洗って、アイロンかけて、糊利かせて、ボタンを磨いて、カフスとリボンタイを新しく用意して、靴はちゃんとワックスかけて磨いてね。あと、靴の底敷きには、香り袋入れといて。そうそう、それからハンカチーフはぴしっ、って形にアイロン掛けね。
後、アクセサリーとか余計なものは一切つけるな。その代わり、ベルトを上質のものを用意してくれよ。でも宝石なんかつけたら怒るから。
ああ、あと、出かける前にお風呂入るから、風呂も沸かしといて。」
スラスラスラスラ……と、シンデレラが口を挟む間もないくらい、言いたいことを述べていく。
そのすべてに、目を上下させながらも、しっかりと頭にインプットさせたシンデレラは、ようやく口を開いて──、
「って……あの…………どこへお出かけになられるん……ですか?」
そう、尋ねたのであった。
クレオがドレスの準備をしているのだから、少し考えれば分かることであったが。
首を傾げてこちらを見ているシンデレラに、
「私たちがどこへ行くかも知らないというの? シンデレラ?」
リビングへと続くドアが開き──美しい容貌の女が姿をあらわす。
綺麗にアップされた髪に、地味な黒い髪飾りをつけ、黒いレースのショールを肩から羽織っている。
彼女の表情には、口調同様に刺が宿っていた。
「あ、ソニア様。」
思わず顔をあげたシンデレラが、とっさに口にした台詞に、彼女は益々眉を寄せる。
「シンデレラっ! 私のことは、お母様とお呼びなさいと言ったでしょう? ──世間体が悪いったら、ありません。」
「そうそう、更に僕のことをぼっちゃんだなんて呼んだら、まるでお前が使用人みたいに聞こえるじゃないか! それじゃ、何かい? 僕たちは、可愛い可愛い妹を、使用人のようにこき使っている意地悪ママ姉だとでも、あんたは世間様に言うの?」
肩幅ほどに脚を開いて、両腕を組むようにして尋ねるソニアの言葉尻を取って、スイがズズイ、と前に出る。
そしてそのまま口上のように言い募るスイに、シンデレラは、慌てて顔の前で両手を振って見せた。
「とと、とんでもないですっ! 意地悪継母とママ姉だなんて、心の中で思っていても、そんなこと、マクドール家の恥になりますから、決して口にはできませんーっ!!」
「どーゆー意味だ、それは。」
ジト目で睨みつけて、スイは鼻の頭に皺を寄せる。
それから──、
「…………そうだ、シンデレラ?」
ニッコリと微笑んで、シンデレラを見上げる。
その表情に、びくんっ、とシンデレラは身構えた。
別に、今日の夕飯はナシだとか言われても、それは構わない──作っている最中に味見と称して、つまみ食いするだけだから。
「なな、なんでしょう? お、おねえさま……っ。」
ジリリ、と後じさりするシンデレラに、スイはニコニコニコと笑うと、
「罰として、今日は、屋敷の銀食器をすべて磨いてちょうだいね?
マクドール家の恥にならないように、しっかりきっちり、曇りひとつないくらいに、磨き上げておくれ? ────…………今夜中にね。」
にぃっこり。
向けられた微笑に、思わずシンデレラも笑い返し──ツイ、と視線をやった先に、廊下を照らし出すための、蝋燭を刺してあった燭台があった。
長い間放置してあったために、埃がビッシリとこびり付いていた。
この広い屋敷の中、銀の燭台は幾つあっただろうか?
更に、銀食器も埃まみれになっているのだと思うと────…………さすがの家事の達人のグレミオですら、がくんっ、と首を落とさずには居られなかった。
「ま……まさか……じょ、冗談ですよねぇ……?」
あははは、と引きつった笑顔で尋ねるシンデレラに、スイは有無を言わせない微笑で、
「本気。」
言い切った。
さらに続けて、
「今夜、ソニアお母様とクレオお姉さまと僕の三人は、黄金宮殿の舞踏会に行くから、その間に済ませておいてね? ああ、もちろん、舞踏会に行くための、礼服とドレスの準備は、ちゃーんとしておいてくれないと困るよ?」
「夕飯はいらないけれど、風呂を用意しておいてちょうだいね。それから、私たちの髪のセットも手伝ってもらうから。」
クレオも、ここぞとばかりに微笑んで、シンデレラに言い切った。
「え、えええーっ、そ、そんなぁーっ。」
助けを求めるように、思わず視線を見やった先には──ソニアしか居なかった。
彼女は、無言でくすんだ銀の燭台を見つめると、
「──……テオ様がご存命であったころは、蝋燭の灯りに煌いて、美しかったのにな……。」
懐かしげに目を細め──どこか痛々しい表情を宿したソニアは、そのままシンデレラを見やると、
「あの頃の輝きを取り戻せるなら──頼む、グレミオ……。」
そう、断れそうにもないことを、頼んでくれたのであった。
シンデレラは、思わずギュム、と拳を握り締めて、
「…………お、おまかせください……。」
こう答えたら、今日中にしなくてはいけないと分かっていたけれども。
それでも、シンデレラは、そう答えずには居られなかった。
「それじゃ、シンデレラっ! キリキリ働くんだよーっ!」
見事に着飾ったクレオが、それはそれは嬉しそうにその言葉を吐くのを耳に、シンデレラはいつもと変わりない質素な服装で馬車を見送った。
そのまま手をフリフリしながら、本当なら、「私も舞踏会に行きたかった……」と打ちひしがれなくてはいけなかったが、馬車が門から出るなり、
「よっしゃっ! 後は、トイレに行く暇も惜しんで、ひたすら磨くだけっ!!」
仕事の邪魔をする人間は居なくなったとばかりに、門に背を向けて、思い切りよく両手を握り締めた。
ついさっきまで、スイといい、クレオといい、ソニアといい、どう考えてもシンデレラの仕事の邪魔をしているとしか思いようのないことばかりを、してきてくれたからだ。
人が必死にドレスに香を焚いている後ろから、ガラガラガッシャンと何かが落ちる音がするし、風呂を沸かしている先から、風呂の中に漂白剤を入れようとするし──しかも、クレオいわく、「風呂桶の掃除を手伝ってやろうと思ったんだよ」と来たものだ。
これでやっと、邪魔をされずに掃除が出来る! と、シンデレラは喜びいさんで屋敷のドアを開けた。
──その、まさにその瞬間。
どんがらがっしゃんっ!!
不吉な音が、台所からした。
「────………………。」
まさか、という思いが、シンデレラの脳裏に走った。
確かに今までのキャスティングからすると、誰か一人足りないとは思っていた。
思ってはいたが、他に該当するような劇中の人間も居ないから、てっきりその人は、城で王子役でもやっているのだろうと、そう思っていた。
そんな王子様が待っている舞踏会なんぞ、行きたくはないと心から思っていたシンデレラであったが────、考えてみれば、まだこの屋敷に来る人間は、終わっては居なかったのだ。
そう、それは──……。
「まっさか、魔法使いさん、厨房で『うぃー、腹へったなー』とかって、食料荒らししてませんよねぇぇぇっ!?」
しかもあの音から察するに、食器がいくつか割れたに違いない。
もし、本当にそうであったなら、魔法使いの胃を潤すための食事を作りながら、食器の後片付けという仕事まで増えてしまう。
それだけは冗談ではなかった。
今夜中に銀食器を磨こう計画としては、それは非常に辛い時間ロスである。
絶対に手伝わせてやると、奥歯を噛み締めるように誓ったシンデレラは、手近にあった掃除用具箱の中から、丈夫なホウキを手にとると、迷わず台所へと駆けた。
そして、バンッ、と、勢い良くドアを開くと、
「パーンさんっ! 言って置きますが、今夜の食事代は、お高いですからねっ!!」
そこに居るのが彼だと信じて疑わず、堂々と言い切った。
──の、だけど。
「あいたたた……ご、ごめんねぇ……グレミオさん。」
テーブルをはさんだ向こうから顔を覗かせたのは、腰を抑えた見慣れた女性の顔だった。
軽く眉を寄せて、片目を歪めながら体を起こした彼女は、たっぷりと布を取られた黒いローブを身につけていて、右手に短いロッドを握っている。
その手で、痛めた腰をさすりながら、恰幅の良い体で、申し訳なさそうに頭を下げてくれる。
「って、ああ、そういやシンデレラだったっけ?」
「ま……マリー……さん?」
疑う余地など無いほどに、魔法使いはパーンであると信じていたシンデレラは、拍子抜けしたようにテーブルの向こう側を呆然と見詰めた。
彼女がかろうじて立っている辺りには、食器棚から零れ落ちたらしい食器の残骸が散らばっており、椅子もいくつかこけていた。
どうやら、衝突か何かしたのだと思われる。
何が起きたのかと、ワケが分からない様子のシンデレラに説明しようと、体を起こしかけたマリーは、腰に痛みが走って、小さく悲鳴をあげる。
「だ、大丈夫ですか、マリーさんっ!?」
慌ててシンデレラは、グルリとテーブルを回って彼女のもとへ駆けつけた。
床に散らばる、皿のかけらの山に、一瞬眩暈を覚えながら、ちょうど良く持っていたホウキで、とりあえずテーブルの下に掃いた。
それから、辛そうに腰を抑えているマリーの背中を支えるようにしながら、彼女に椅子に座るように勧める。
「ああ、すまないねぇ……シンデレラ。テレポートなんて使うの、初めてで、年甲斐もなくはしゃいじゃったのが、いけなかったみたい。」
照れたように目元を赤らめて笑うマリーに、シンデレラはなんとも言えない顔をしてみせる。
そうして、とりあえず茶を出すためのお湯を沸かす準備をはじめ、同時に足元に散らばった破損した食器を手早く片付けた。
その、見事なまでの手際に、惚れ惚れとした声で、
「グレミオさん? あんた、この戦いが終わったら、うちの宿屋に手伝いに来ておくれよ。」
そう、マリーが零すほどであった。
そんな彼女の言い分は、笑ってごまかすシンデレラに、
「あ、そうそう、それでね、シンデレラ? あんたを今から舞踏会に連れてってあげるよ。」
勧誘の続きのように、あっけらかんとした口調で、魔法使いはそう告げた。
その、あんまりにもアッサリとした口調に、シンデレラはコポコポとお茶を注ぎながら、
「ご遠慮いたします。」
これもまた、世間話のように笑って告げた。
どうぞ、と差し出されたお茶を受け取り、マリーはそれでありがたく喉を潤した。
はぁ……と、至福の吐息をしみじみと零してから、彼女はそれで、とテーブルの上に肘を突いて身を乗り出す。
「それで、シンデレラ? 舞踏会には行きたくなったかい?」
「────……だから、行きませんってば。私は今日、やらなくちゃいけない仕事があるんです。」
パタパタと手を振って、そう言って笑うシンデレラに、マリーはニッコリと笑った。
自信満々の笑みというよりは、好奇心と期待に輝かせた目で、彼女は自分のふくよかな胸をドンと叩くと、
「その仕事はまかせておいておくれよ! 私が、見事一瞬で片付けてみせるからね。」
シンデレラが止めようとするのも構わず、マリーはゴソゴソと懐から一枚の紙切れを取り出すと、
「えーっと──何々? 物を綺麗に磨くのは、この呪文を唱えてロッドを振るうべし……なるほど。」
ふむふむ、と理解したように頷いてから、再び紙切れを懐に戻し、にやり、と笑った。
「いえ、ですから、マリーさん? 私は別に、舞踏会なんかでパーンさんと踊るよりは、銀食器を磨いていたほうが楽しいですから──。」
シンデレラは、困ったように眉を寄せて、マリーを止めようとしたが、自分の手で魔法を行える嬉しさに目を輝かせているマリーは、まるで聞いてくれなかった。
それどころか、食器棚に向かうと、シャラリンッ、と鈴の鳴るような音でロッドを振るった。
「ほろれちゅちゅぱれろっ!」
「……あれ? 呪文って、ビビデバビデブーじゃなかったでしたっけ?」
キラキラキラキラー、と輝く光がロッドの先から零れるのを、シンデレラは呆然と見詰めた。
その光が食器棚の中に吸い込まれ──そのまま、消えてしまうのを認めて、あれ? とマリーは首を傾げた。
そして、ロッドの先を覗き込むと、マリーはさらに首を傾げる。
「おかしいねぇ?」
「やっぱり、呪文が違ったんじゃないですかぁ?」
胸の前で両手を組んだシンデレラが、胡散臭そうに彼女のロッドを見つめる。
そうしながら、光が消え去った食器棚に向かったシンデレラは、一体どの皿が割れたのか確認しようと、食器棚の扉を開いた。
ひょい、と顔を入れた瞬間、
ぴっかーっ!!!
「……っ!!?」
光を反射した銀食器が、目に痛いくらいに輝いた。
「──……なな、なっ?」
ジリリ、と後ろに下がったシンデレラは、思わず目を閉じる。
マリーは、そんなシンデレラの後ろから、同じように食器棚を覗き込み──顔をほころばせた。
「すごいっ! すんごいねぇ、これっ! レックナート様に頼んだら、いくらで売ってくれるかね? ねぇ、シンデレラ?」
手放しで喜ぶマリーは、意気揚揚とシンデレラを見返した。
そして、しゃらりんとロッドを振るうと、
「さぁ、シンデレラっ! 今日は王子様の花嫁選びの舞踏会。国中の女の子が着飾って行く中、あんただけが行けないなんて、そんなことは、あってイイワケがないよ。
この私が、シンデレラを舞踏会に連れて行ってあげるよ。」
「いいですよ、別に。興味ないですから、私。」
しかし、きっぱりと告げて、シンデレラは魔法使いのおばさんのやる気に水をさした。
「ええーっ!? なんでだいっ!? せっかく、このロッドで馬車もドレスも用意してあげるって言ってるのにっ!」
「といわれても、ドレスなんて要りませんしねぇ? ──っていうか、うちの国に王子様なんて、居ましたっけ?」
軽く首を傾げて、シンデレラは食器棚の扉を閉めた。
「ああ、なんか、突然出来たっていうことにしておいてくれ、だってさ。」
あっさりというべきことではないような事を口にして、マリーは腰をさする。
シンデレラは、それに気のない返事を返してシンクに向かうと、ティーポットに入った茶葉をまとめる。
もったいないから、この茶葉は、明日の紅茶クッキーに使おうかと──銀食器を磨く時間が浮いた分で、おやつの仕込みをしてしまおうと、シンデレラは心底から身に付いた主婦の根性を発揮して、のんきに考える。
「そうそう、ぼっちゃんたち──じゃなかった、おかあさま方が帰ってきたときのために、お風呂を沸かし直しておきましょう。それから、ドレスを脱ぐために、お部屋も温めておきましょうか。」
ほんわりと微笑むシンデレラは、やはり家事の達人であり、下働きとして主人に仕えるのに慣れている人間であった。
マリーは、至極つまらなそうにシンデレラを見る。
「────…………こうなったらしょうがないわね……ここは、強行突破で行くしか……っ。」
自分に背を向けているシンデレラ向けて、スチャリ、とマリーがロッドを構えた瞬間であった。
がんがんがんがんっ!!!
屋敷中に響くような騒音で、鉄が殴れらるような音がした。
それが何なのか、どこから聞こえるのか、わけがわからず目を瞬いたシンデレラは、すぐにその音が玄関の正面方面から聞こえてくるのに気づく。
その方面で、叩かれるような鉄がある場所といえば、さきほど馬車を送り出した門だけである。
シンデレラは、のこっていた紅茶エキスを取り出そうとしていた手を止めて、慌ててエプロンで手を拭いながら、パタパタと台所から出る。
「もう帰ってきたんですかねぇ??」
不思議そうに首を傾げながら、シンデレラはそう呟いて──廊下に出た瞬間、ぴたり、と脚を止めた。
台所の中に居ては聞こえなかった声が、今、ここまで歩いてきて……途切れ途切れながらに聞こえてきたのである。
それは、嫌になるくらい聞きなれた声であった。
「…………っっ、あ、あの声は……っ!」
慌ててシンデレラは、台所の正面にある部屋に飛び込み、すでに倉庫のような状態になっている部屋の窓へと走り寄ると、そのカーテンの隙間から、コッソリと表をうかがった。
庭に面している部屋の窓からは、暗闇にまぎれた門の様子が、かすかにわかった。
閉じられた門の向こう──仁王立ちする女が、片手にたいまつを持ち、片手に持った槍で思い切りよく門を叩いていた。
がんがんがんがんっ!
乱暴な手つきで、門を叩く女は、
「シンデレラっ! 居るのは分かってるんだよ、出てきなっ!
あんたが今日、舞踏会に行けないのは、すでに調べ済みなんだっ!」
廊下ではかすれたようにしか聞こえなかった声も、ぴったりと窓に耳を当てると良く聞こえた来た。
シンデレラは、闇夜の中浮かび上がる、夜叉の女の姿に、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「こんな夜にまで──いいえ、こんな夜だからこそ来たってことですか……もう、おとうさまも居ないのに、私が自由に出来るお金なんて無いって、分かってるじゃないですかー。」
「シンデレラ? お客様かい?」
フリフリと、ロッドを振るって入ってきたマリーに、ハッ、とシンデレラは振り返った。
きっちりとカーテンを閉め切ると、シンデレラは真摯な顔でマリーを見つめる。
「マリーさんっ……私に魔法をかけてください……っ。」
「────…………え? 何? いったい、どういう気の変化かい?」
軽く目を見張るマリーは、そのまま視線を転じて──、
「シンデレラっ! あんたが父親と飲んだ金、利子も揃えて払ってもらうからねっ!」
借金取りの夜叉と言われるカミーユの声が朗々と届いて、マリーはことの次第を悟った。
悟ると同時、首を傾げてシンデレラを見やる。
「──……? 別にあんたの借金じゃないんだから、テオ様の借金くらい、マクドール家の資産から返したらいいじゃないかい?」
それとも何かい? もうこの家には、そんなにお金がないのかい?
と──先ほど見た食器棚の銀食器のことを考えると、とてもじゃないがそうは思えない事実を思い出しながら、素朴にマリーが尋ねた言葉に。
シンデレラは、う、と言葉に詰まって視線をそらした。
「すっかりツケにしていたのを忘れていまして、そうこうしているうちにお父様がなくなって──新しいお母様は、そんな借金、お父様が作ったはずはない、あんた一人の物じゃないのか、って言って払ってくれなくて……気づけば、カミーユさんったら、私相手にしか取り立てに来なくなっちゃったんです……。」
うう、と眉を寄せるシンデレラに、ははーん、とマリーは頷く。
「借金を返そうにも、私の自由に出来るお金はないって、そう言ってるのに──……。」
はぁ、と重い溜息を零した直後、シンデレラはキッ、と顔をあげてマリーを見た。
「ですから、マリーさんっ! 私を、私だってわからないように変装させてくださいっ!」
きりり、と引き締まったシンデレラの顔を見つめながら、
「変装じゃなくって、変身。」
一応、突っ込んでみた。
それから、嬉しそうに顔をほころばせると、ロッドを楽しそうに両手でさすりながら、
「それじゃ、行って見ましょうか。
ふふ、どーんなドレスが出るかしらねぇ?」
ウキウキとした声で、マリーは再び懐から紙を取り出すと、そこに書かれている呪文を読んで、フムフムと頷いて見せた。
シンデレラは、たたずまいを正しながら、
「できれば、ドレスよりも一般市民風な服の方が嬉しいんですが。」
すちゃ、と片手をあげて提案してみるものの、マリーがそれを聞いてるかどうかは謎であった。
マリーは、誇らしげに微笑を広げると、片手にカンペを広げながら、しゃらりん、とロッドを振った。
「テクマクマヤコンテクマクマヤコン 綺麗な お姫さまになーれ!」
「いえ、ですからそれは、呪文が違うんじゃぁ…………。」
再び突っ込みかけたシンデレラは、それ以上口にすることができなかった。
ロッドの先から走った光が、自分めがけてぶつかってきたからである。
キラキラキラ、と光る、決して目を射ることのない不思議な光は、そのままシンデレラの周囲にまとわり着いた。
触れるか触れないかの距離で、グルリと体を回る幾つもの光に、シンデレラが驚いて見下ろした先で、光は益々輝いていった。
そうして。
「うわっ。」
思わず悲鳴をあげたシンデレラの体が、丸々光に包まれた瞬間、それは、起きた。
「…………っ。」
体をまとっていた布という布が、すでて剥ぎ取られたかのような感覚の直後、熱い感覚が全身を覆った。
視界が光で真っ白に染まったかと思うや否や、指先に何かが触れる。
それが何なのか理解しないままに、光が静かに消え去っていく。
光の中央に立っているシンデレラの姿が、はっきりと見えた。
マリーは、自分が施した魔法の力を見ようと、ぐぐっ、と身を乗り出して──乗り出して、がっくりと、肩を落とした。
「あれ? あれあれあれあれ??」
白い光が綺麗に消え去り、シンデレラは素っ頓狂な声をあげて自分の姿を見下ろす。
そこには、不承不承ながらも美しいドレスを着た自分がいるはずだった。
が、しかし、マリーが唱えた呪文によって、魔法の服を着た自分の姿は、どう見てもいつもの自分の姿であった。
ぼろ布のような服とエプロン姿から、いつもの旅服に変わっただけである。しかも、いつも身に付けているマントまで付いていた。
「────…………? あのー……マリーさん?」
これはこれでいいのだけど──と、おずおずと呼びかけたシンデレラに、マリーは慌ててカンペを捲る。
食いつくようにしてカンペの内容を読み返した後、マリーは小さくうめいて見せた。
「──シンデレラ……っ。」
「は、はいぃ?」
きっ、とシンデレラを振り返って、マリーはカンペとロッドを持ったまま、シンデレラの肩をポンと叩いた。
それから、キッ、とシンデレラを覗き込むと、
「いいかい? この魔法は、12時の鐘が鳴り終わったら、解けてしまうんだ。それまでに、必ず戻っておいでよ?」
サクサクと、シナリオどおりにストーリーを進め出す。
困ったのは、話しを振られたシンデレラである。
「あーのー……魔法って、これ、どー考えても、いつもの私の格好じゃぁ…………?」
くい、と指先でタートルネックを摘むシンデレラに、マリーは朗らかに微笑んで答えた。
「そう! この魔法はね、シンデレラ、あんたを『グレミオ』っていう別人に変える魔法なんだよっ!」
そして、自信満々に言い切ってくれた。
その米神に、タラリと汗が流れているのは、この際見なかった振りをしたほうがいいのだろう。
何せ、シンデレラ自身も、ドレスを着るなんてとんでもなかったのだから。
「────…………はぁ……別に、カミーユさんにばれずに、屋敷から出て行ければそれでいいんですけど……。」
服の裾を摘みながら、そう呟いたシンデレラの頭の中では、頭からほっかむりをして、使用人の振りをして裏口から出て行けばいいだろう、というお気楽な考えがあった。
そのシンデレラの考えを見抜いたかのように、マリーは唐突に後ろを振り向くと、台所方面めがけて、しゃららんっ、とロッドを振った。
かと思うと、今度こそ満面の笑顔で、自信満々にシンデレラに告げた。
「さぁ、シンデレラ。裏口に乗り物も用意しておいてあげたよ。それに乗って、ひとっ走りだ!」
「────…………えーっと……かぼちゃの準備とかもしてませんけど?」
確か、シンデレラはカボチャの馬車に乗るのでは? と、小首を傾げたシンデレラに、どんっ、とマリーは自分の胸を打って見せた。
「それくらい、私にまかせておきなさい!」
彼女がそう宣言したと同時、裏口の方から、馬車の車輪の音が聞こえ始めた
ガラガラガラガラガラガラ…………。
マリーは、うまく魔法が成功したことへの微笑を漏らすと、さぁさぁっ、とシンデレラの背を押して見せた。
そのまま強引な彼女の手に押されるまま、台所から続く裏口のドアをあけた瞬間、
「よっ、おまっとさんっ! さぁ、乗った乗ったっ!!」
御者席(?)に乗ったサンスケが、ねじり鉢巻も粋に、笑顔で背後を指し示した。
その、物々しい音を立てる車輪に乗った車体というのが──……、
「…………マリーさん?」
「さ、シンデレラ、急いで乗りなよ。いいかい、12時になったら魔法は解けるだからね。」
ぐぅるり、と首で振り返ったシンデレラの顔を決して見ないように、遠くを見ながらマリーが進言する。
シンデレラは、それは分かってます、と言い切って、再びサンスケを見た。
サンスケは、ぱんぱん、と背後の座席(?)の縁を叩いて、
「早く乗りな、グレミオさん。特別豪華版馬車だぜぇ?」
そう朗らかに笑って見せた。
確かに豪華ではあったのだが、問題は、車輪の上に乗っている、「座席」であった。
大きさは人が二人ほど乗れる位──別に大きさは、一人が十分乗れるほどの大きさでありさえすればいいのだから、それくらいで構いはしない。
問題は、大きさではなく、その形であった。
木で作られた美しい曲線を描く馬車は、見たところ乗る扉が見当たらなかった。
奥行きはたっぷり取られており、座席(?)には、心遣いと言うかのように、ぽん、とクッションが置かれている。
景色が良く見えるようにか、座席(?)から、外を眺められるような仕立てになっており、座れば美しい夜空の星まで見上げられた。
普通の馬車のように、どこか獣くさい臭いがしないのは、馬車(?)が、馬に引かれているからではないからだろう。
それどころか、心地よい香りすら漂わせていた。
馬車というには、画期的なその四角い乗り物は………………、
シンデレラは、思い切り「それ」を指差し、
「って、思いっきり、風呂桶じゃないですかーっ!!!!」
────そう、サンスケが腰掛けている縁から続く「座席」こと「車体」は、どっからどう見ても風呂桶であった。
風呂桶に直接二つの車輪がつけられていて、サンスケが腰掛ける縁から伸びた太い木の棒が、コの字になって地面に伏せられていた。
「なんだ、上等のヒノキ風呂でも不満か? ──ああ、そうか、お湯が入っていないからだな。」
「入ってたら、余計に困りますよっ!」
ふむ、と顎に手を当てるサンスケに、思い切りよく叫んだシンデレラであったが、
「けどよ、冷える夜には、お湯の中で露天風呂気分でクルーズっていうのも、いいと思うぞ?」
サンスケが目元をさらに下げて笑った台詞に、一瞬動きを止めた。
それから、視線を空に彷徨わせて──ぽん、と両手を叩いた。
「そうですねぇ……なかなかいいかもしれません。」
「って、納得しない、納得しない。」
思わず、パタパタと手を振ってマリーが忠告した。
そんな魔法使いの台詞に、ハッ、と我に返ったシンデレラは、そうですそうです、とキリリと眉を吊り上げた。
「いくらなんでも、風呂桶に運ばれるわけには行きませんよ。それくらいなら、居留守を使ったほうがマシです。」
きっぱりと断言してみせたのだけど。
がんがんがんっ、ごんごんごんっ。
「シンデレラーっ! いい加減にしないと、火炎槍ブチコムよっ!? あんたが居るのは、分かってるんだからねーっ!!!」
「あああああぁぁぁぁぁぁーっ! カミーユさんが来るッ! カミーユさんが来るぅぅぅぅっ!!」
一気に真っ青になると、ばさぁっ、とマントを翻して風呂桶の中に入った。
「それじゃ、行きましょう、サンスケさんっ!」
「そーこなくっちゃなっ! 良し、出発ーっ!」
サンスケは、それはそれは嬉しそうに、自分の前を見た。
マリーは、そこですかさずシャラランとロッドを振る。
ロッドから飛び出した光は、そのままサンスケが示した風呂桶の先──風呂桶を支えている棒の先へと、集中していった。
そして、その光が消えた先に現れたのは、この馬車(?)を引く者であった。
片膝をついて、しゃがみこむ筋肉剥き出しの背中には、シンデレラは覚えがあった。
「────…………って、これ、もしかして…………人力車ですか………………?」
両手で風呂の縁を掴んだシンデレラが身を乗り出すようにして尋ねると、サンスケはにこやかに笑って答えてくれる。
「それ以外に、風呂は動かねぇだろー?」
あはははは、と笑って、サンスケは屈みこむと、風呂桶の下から釣り竿を取り出す。
それを一体何に使うのかと、けげんそうに見つめるシンデレラの前で、サンスケは釣り糸の先に、がしり、とパンを吊るした。
丸々としていて、ゴマがたくさん付いているそれは──どう見てもアンパンであった。
「────…………? あの…………?」
恐る恐る尋ねようとしたシンデレラは、その目の端で、
「うぃー〜んー、やっぱり稲荷は美味い……。」
筋肉を惜しげもなくさらしながら、片手で人力車の手すりを掴み、片手で摘んだものを口に運んでいる、パーンの姿があった。
「って、パーンさんーっ! それっ! それは、私がぼっちゃんのために愛情こめて作った、稲荷スシじゃないですかーっ!!!!!!」
思わずサンスケの腕の横から身を乗り出して叫んだシンデレラに、
「グレミオさん──まだシチューと稲荷スシなんていう、変なメニュー作ってんのかい?」
呆れたようにマリーが、ロッドで肩をポンと叩く。
「違います〜っ! ちゃんと普段は別に作ってますよーっ! ただ、あの日はパーンさんが稲荷スシを食べたいって言うから……って、パーンさん、何、さり気に懐から新しく出してって──それは、とっておきの沢庵ツケーっ!!!!」
ひぃぃぃっ、と悲鳴をあげるシンデレラに構わず、サンスケはアンパンを下げた釣り竿を、ぽーん、と前に向けて放り出した。
「よーし、んじゃ、出発するか、パーンさん。」
ぷらーん、とアンパンがパーンの目の前に吊るされる。
パーンは、ガリガリと一気に沢庵を食べ終えると、げぷ、と小さくゲップを零した後、キリ、と眉を寄せて目の前のアンパンを睨んだ。
がっしりと、強く掴み取るのは、人力車の命とも言える風呂桶を引っ張るための手すり棒。
「って、もしかして……もしかしてぇっ?」
悲鳴にも近い声をあげて、慌ててシンデレラが風呂桶に捕まった瞬間、
「ぅっしゃぁぁぁっ!!!」
パーンは、思い切りよく地面を蹴った。
「口はしっかり閉めてろよーっ! 舌かむぜ、シンデレラさんーっ!」
サンスケが、嬉々とした目で手綱を握ったのを合図に、風呂桶は、来た時同様、車輪の音を大きく響かせて土煙をたたせた。
「ぅあーああああああああーーーーぁぁぁぁっ!!!!!」
あっ、と言う間に、エコーする音だけが残ったマクドール家の裏庭で、のほほーん、とマリーはロッドを振りながら、
「カミーユには、ちゃーんとシンデレラが城へ行ったって伝えておくからねーっ!」
もう姿も見えなくなった馬車(?)向けて叫んで見せた。
「あ……今、僕の夜食のいなりずしがパーンに食べられているような気がする…………。」
大きなダンスホールの中、壁に背を預けて立っていた少年が、ふとそう呟いたのは、宴が始まって間もない頃であった。
隣で、同じように人でむせ返るような状態になっているホール内を見ていたクレオも、鼻の頭に皺を寄せて呟く。
「私も、とっておきの沢庵漬けが食べられているような気がします…………。」
見た目だけは上等の二人は、今、普通に壁の花と化していた。
一段高い位置にある王族の座る椅子が置かれた場所には、いまだ誰も登場しては居なく、空席のままである。
思い思い、美しく着飾った娘達が、おほほほほ、と上品に笑いあう中、スイは興味なさそうに壁と愛情を育み、クレオもクレオで、どちらかというと視線は横──警備兵たちの方へと向きがちであった。
立派な帝国の鎧を見つめ、何を思うか小さく吐息を零すクレオに、
「────………………娘達? ここへ何をしに来たのか、ちゃんと分かっているのかしら?」
めでたい場のはずなのに、黒いドレスに身を包んだソニアが、かつん、と前に立った。
腕を組んで、悩ましげな溜息を零すソニア自身こそ、娘を連れてやってきた男親たちの視線を浴びていた。
しかし、その事実に気づくことなく──また気づいたとしても、興味がないだろうソニアは、可愛さあまって憎さ百倍な娘二人を見やり、溜息を零す。
スイは、ひんやりと冷たい壁に頬を押し付けながら、ハイハイ、と片手を軽く挙げた。
「シンデレラが王子様と踊るのを見て、『まぁ、なんて綺麗な娘さんなんでしょう? 一体あの姫君は、どちらの姫君なのかしら?』って言うためでーっす。」
「それじゃ、私は、『ああ、悔しいっ! 王子様と、なんてお似合いなのかしらっ。』って言う台詞ですね。」
ふむ、と腕を組んで頷くクレオに、ソニアはワナワナと肩を震わせて見せた。
「そうじゃないでしょう! これを機会に、いつまでたっても嫁の貰い手がないあんたたちを、さっさと追い出して、私はあの屋敷でテオ様を想い、暮らしていくための──……そう! 王子なんかどうでもいいわ。この際、どれでもいいから、適当な男を捕まえなさい。
──いいわね? スイ? クレオ?」
腰に手を当てて、胸を張って告げるソニアを──クレオは、額に手を当てて溜息を零してみせる。
スイはスイで、拗ねたように唇を尖らせると、
「おかあさま、ひっどーぉーいぃーっ! そんなに、私たちを追い出したいの? おかあさまは……スイのことが、可愛くないんですねぇっ。」
うるるっ、と目を潤ませて、わぁっ、とわざとらしい声をあげて、両手に顔を伏せた。
どう見ても泣いているようにしか見えない声と態度であったが、それを見下ろすソニアの視線は冷ややかだった。
「──……テオ様の忘れ形見として、大切に大切に…………宝石箱の中に閉じ込めてあげましょうか?」
すぅ──と細まる瞳に、一瞬凶暴な光が宿る。
はっ、とクレオが目を見張ったのを前に、スイは顔に当てた両手の隙間から、ソニアを見据えた。
「そうすれば……おかあさまと、スイ、二人だけで、ずっと一緒に暮らせますね…………。」
ぽっ、と頬を赤らめるという器用なことをして、スイは恥ずかしそうに視線をそらした。
その、彼の、あからさまな嫌がらせの仕草に、ソニアの手がワキワキと震えた。
「あ……あんたって子は…………っ。」
必死で、拳が突き出ることだけは何とか堪えたようであった。
スイは、掌を顔から引き剥がすと、泣いていた痕跡もない表情で、ニッコリと笑って見せた。
「もう、おかあさまったら、生まれたときからの付き合いなんですもの。私がこうだって、ちゃんと知ってるじゃないですかー。」
うふふ──と、鳥肌が立つような微笑み方をしてから、ソニアの腕をツンツンと突付く。
ソニアは、そんなスイの腕を振り払いながら、自分の次女へと顔を近づけると、
「黙ってニッコリ微笑んでれば、どっかの金持ち貴族からお声がかかるかもしれないわねぇぇ? あんた、顔だけは私に似て可愛いんだから?」
「やだ、もー、おかあさまってば、ナ・ル・シ・ス・ト!」
とぉーんっ、なんて軽くソニアの胸を突いて、スイが笑った。
「おほほほほ、もー、ほんと、あんたって子は、ほめられるのが顔しかないんだからねぇぇぇーっ。」
ソニアは、スイに突かれた胸を片手で抑えながら、もう片手でスイの頬を摘むと、むにゅぅー、と伸ばす。
そんな二人を横目に、クレオはヤレヤレと溜息を零した。
「お二方。仲がよろしいのは分かりましたから──……。」
「私とスイが、仲がいいはずがないだろうっ?」
「もう、おかあさまったら照れちゃってー。」
このまま放っておくと、また見ているほうが寒い状況になりかねないと、クレオは溜息を零して二人の間に割って入ることにした。
「それにしても……王子様がまだ出てこないっていうのは、どういうことでしょうねぇ?」
ストーリー上で言えば、王子は玉座に座り、自分の視線を気にしながら舞っている少女たちを見ているはずなのだ。
──少し退屈しながら。
ところが、王子はまだ居ない。
場に居るきらびやかな娘達も、額をつき合わせてそれを不思議がっていた。
「そうこうしているうちに、シンデレラが来ちゃうと思うんですけどねぇ……。」
首を傾げたクレオに、そういえば、とソニアも背後を振り返るようにして、ダンスホールの入り口を見やった。
「そーだねー。そろそろ、風呂桶が着く頃だと思うし。」
再び壁に背をもたれさせて、スイがニッコリと笑う。
そうですね、と憂い顔で頷こうとしたクレオとソニアは──ふ、と動きを止めた。
「────…………ふろおけ?」
ぎぎ、と音が鳴りそうなほどぎこちなく顔を向けると、スイはすでにこちらを見ては居なかった。
壁にもたれさせていた背中をそのままに、首だけグルリと横に向けて、扉を見ている。
「ふろおけっていうと、風呂桶だよな?」
ソニアが疑問の視線を飛ばすのに、クレオは頷く以外できなかった。
「それ以外には、思いつきませんけど──。」
新しい風呂桶でも注文したのかと、首をクレオが首を傾げた瞬間であった。
バンッ!
────扉が、開いたのは。
「…………っ。」
思わず息を飲み込んだクレオの視線の先──堂々と開いた扉から、飛び込んできたのは、アンパンであった。
てっきり、シンデレラが飛び込んでくると思っていたクレオは、思い切り肩透かしを食らって、は? と顔をゆがめた。
それは、ソニアにしても同様だったらしく、頬を引きつらせて、
「アンパン?」
と、黒いレースの手袋の先で、アンパンを指差した。
その彼女の頬を、びゅぅっ、と風がなぶる。
「……っ!?」
「よっしゃーっ! 到着だーっ!!!」
どごぉっ! と、響き渡る轟音を出して、アンパンを追うように飛び込んできたのは、一同が「彼が王子役に違いない」と信じている男であった。
彼は、両手でしっかりと手すりを握り締め、そのまま磨きたてられた床の上で急ブレーキをかける。
それに続くのは、アンパンをぶら下げた釣り竿を下げたサンスケである。
彼は、馬車(?)の縁に腰掛けて、片手で鉢巻を抑えながら、たれた目を喜びの色に染める。
「おおーっ、無事に着いたなーっ。」
そして彼は、そのまま笑顔で、箱型の中身を振り返り、必死で両手両足を突っぱねるようにして底に這いつくばっているシンデレラを見下ろすと、
「おまっとさん、シンデレラっ!」
そう告げた。
ヒノキの良い香りをたっぷりと吸い込んだシンデレラは、よろり──と掌を縁に乗せた。
「……って、あの……あの…………。」
クラリと眩暈がする頭を片手で抑えつつ、シンデレラは見事な金髪を頬にかけながら、はう、と息を零す。
「風呂桶は、やっぱり揺れると思うんですよねぇぇぇーっ。」
がくり、と上半身を縁から出して、ぐったりしてしまうシンデレラに、パーンにアンパンをやりながら、サンスケは目を瞬かせる。
「やっぱ、お湯が入ってたほうが良かったか? なら、尻を打つこともないしなー?」
「そーゆー問題じゃなくってっ!」
びしっ、と裏手で突っ込みを入れたシンデレラは、よろよろと風呂桶から降りながら、床に両手をついた。
「はー……それにしても、私が突っ込みを入れるとは…………。」
さすがに登場の仕方は目立ちすぎ──つかみはオッケーなようであった。
ホール中の注目を集める渦中から、何とか抜け出そうと、ずるずると体を這って目立たない壁の方へと歩き出そうとしたときであった。。
シンデレラの前に、かつん──と、かかとの高い靴が置かれた。
「??」
それは、ついさっきまで、「綺麗に磨きましょうねー」と磨いていた──見覚えのある靴であった。
嫌な予感にかられながら、ソロリと見上げたシンデレラの視線の先に、義理の母親の凍りつくような美貌が…………。
「そそそ、ソニア……様?」
「シンデレラ…………テオ様の顔に泥を塗るような真似を…………っ。」
「いい、いえっ、あの、今の私は、シンデレラではなくって、グレミオというしがない下働きの男ですぅぅーっ。」
じりり、と床をにじませるような立ち方をするソニアに、慌ててシンデレラは尻で後じ去りながら、自分が着ている服を示す。
そんな変身後のシンデレラの背に、どしん、と何かがぶつかった。
もう壁に突き当たったかと見上げた先に、呆れたようなクレオの目。
「どっからどう見ても、シンデレラとグレミオは同一人物じゃないか。」
腰に手を当てて、クレオはシンデレラを見下ろす。
「しっかし、すっごく派手な登場だねー……これで、王子様の目も、シンデレラに集中っ! ──だいぶ意味が違うけど。」
あははは、と笑って、スイがそんなソニアとクレオの中間に立ってシンデレラを見下ろす。
シンデレラは、そんな姉を見上げて、唇をきつく結んでみせる。
「別に集中してほしくなんて、無かったですぅ〜。」
「まぁまぁ! これで、王子様の心をゲットすれば、父上の名誉も挽回できるし! ね、ソニアお母様っ!?」
ニッコリと笑って、スイがソニアを見上げると、ソニアは嫌そうな顔を崩さず──無言で頷く。
いかにも渋々と言ったソニアの態度を見て、シンデレラは喜びの顔をしてみせた。
「ああ、お母様とお姉さま……いつのまにやら、そんなに仲良くなって……っ!」
「だから、スイとは仲良くないって言ってるでしょう?」
嫌そうに顔をゆがめるソニアに続いて、
「やだなー、もう、シンデレラったら! ──お母様に苛められてるのは、シンデレラの役割でしょう? 本当、あんたって、おばかよねぇぇ?」
スイもそう笑いながら……ギリリ、と靴でシンデレラの手の甲を踏みつける。
シンデレラが苦痛に悲鳴をあげかけた瞬間、
「ああっ! 王子様よっ! 王子様のご登場だわっ!!」
スタン、と、さりげなく一番良い席に踏み出た女性が、両手を広げて叫んだ。
クッキリとしたアイシャドーのすばらしいおばさんである。
その彼女が誰なのかは置いておき、シンデレラの手の甲を踏みつけていたスイも、それを見て溜息を零していたクレオも、無言で腕を組んで仁王たちしていたソニアも──そして、踏みしめられた手の平を見つめていたシンデレラも。
一体誰が王子なのかと、興味津々な表情を向けた。
人々が群がり始めるダンスホールよりも一段高い位置にある玉座。
その左右に広がる、たっぷりと取られた緞帳のようなカーテンの影から、大きな団扇を持った男が、恭しく現れる。
漆黒の髪と実直な瞳をした美青年──は、ス、と玉座の後ろのつく。
そのまま団扇を持って待機する青年は、王子ではないようである。
「あれは、アレン様。王子様の側仕えのお一人なのよ。」
すかさず、アイシャドーの濃い「情報通」の女性は、マクドール一家に近づき、素早く説明を始める。
「そりゃ、見て分かるけど──。」
いつもの鎧を脱いで、正装をした青年に、彼が王子じゃないと分かっていても、ホール内に居た女性たちがざわめく。
もし王子をゲットできなくても、王子の側仕えという良い役目に居る彼をゲットしようと思っているのは、間違えがなかった。
オニールは、手にした羽のついている扇で自分の口元を隠しながら、
「そして、続いて現れるのが──王子様さ!
幼い頃に、川に流されて見つからなかったらしいんだけど、つい最近見つかったらしいよ。
長い間離れていたとはいえ、さすがは王子様、その貫禄、その仕草、何をとっても威厳はバッチリだってね。」
「いや、別にどーでもいいし、そんな適当設定。」
パタパタと手を振って、スイがオニールにそう告げる。
「本当に、適当設定ですけど……そんな設定、この物語にありましたっけ?」
クレオが、不思議そうに首を傾げて、顔をあげる。
その先──一段高くなった場所にある玉座の右手の緞帳が、かすかに揺れた。
そうして、その緞帳を掴んだ手が、見えたかと思うや否や、銀色の髪をした美青年が、緞帳を抑えるようにして、それを捲った。
「なんだ、グレンシールか。」
ソニアがあっさりと納得してみせる。
王子の側仕えがアレンなら、その配役も確かに考えられるのだ。
ところが。
「彼はグレンシール様。王子様の護衛役をしておられるのよ。」
オニールが、唇をゆがめて微笑む。
「……じゃ、誰がおう…………………………。」
興味なさそうに──彼ら二人が王子の側仕えなら、スイとクレオをまとめて嫁にやると言う手段は取れないなと、ソニアはうんざりしたように顔をあげながら、オニールにそう尋ねようとして……絶句した。
アレンが恭しく頭を下げ、グレンシールが緞帳を捲る手を止めて頭を下げる相手が、ゆっくりと、緞帳の影から姿を表す。
一歩、一歩確実に歩む脚が、迷うことなく玉座に向かった。
そして、その人物は、どっしりと玉座に──座る。
ソニアも、クレオも、シンデレラも、驚きに目を見張ってそれを見つめた。
「………………………………ゆ、夢を見ているのか…………私は……………………?」
震える声が、ソニアの喉から零れる。
クレオは、小さくかぶりを振り──それから、ぎゅ、と胸の前で両手を握り締めた。
シンデレラは、いかつい顔を厳しく染めて、玉座に座る王子様を見つめて……ばっ、と、迷うことなく自分の背後に立つ少年を見上げる。
タキシードに身を包んだスイは、シンデレラに片眉をあげて、無言でヒラリと白い手袋に包まれた右手を舞わせた。。
「特別ゲスト──だってさ。」
その口調から、スイ自身もあまり好ましく思っていないキャスティングだと、理解はするのだけど──、ぱくぱく……と口を開け閉めさせたシンデレラは、慌てたように片膝を立てて、立ち上がる。
隣で、クレオが両手を握り締めたまま、肩を震わせている。
その逆隣で、ソニアが、ふらり、と一歩脚を前に踏み出す。
彼女の瞳が揺れて──玉座に座る男を映し出した。
それは、恋焦がれてやまなかった…………たった一人の男。
「………………テオ………………様………………?」
「そう! 王子様の名前は、テオ様! 彼は、最近北の野原で、記憶を無くして倒れているところを発見されたそうよ!」
オニールが、高らかに唱える言葉も耳に入らない様子で、ソニアは一歩、と前に踏み出る。
そして、アレンとグレンシールが恭しく接しているテオの、かすかな微笑みを見て──ぎゅ、と胸の前で拳を握り締めた。
「…………まさか……テオ様が王子様って……スイ様? 私たちの義父と同一人物って、アリですか?」
「いやー、他人の空似ってあるもんだねー。」
しれっとして、ヒラヒラと右手を振りながら、わざとらしいとしか思いようの無い台詞を吐いてくれるスイに、グレミオは当惑した。
見上げた先では、玉座にゆったりと腰掛けようとしている男の姿があった。
その悠然とした仕草も、凛々しい顔つきも、何もかもが──、
「どう見ても、テオ様ですけど……他人の空似って、恐ろしいほど良く似ている物なんですねぇぇー。」
片頬に手を当てて、しみじみと呟くグレミオに、思わずクレオは目を据わらせ、スイも呆れたように耳の後ろを手で掻いて見せた。
「どう見ても父上だよ……。」
「あんた、一体何年テオ様の元で暮らしてきたんだい、まったく。」
そんなスイとクレオの呆れたような声を耳にしたのか、フラリと玉座に向けて歩いていたソニアが、ピタリ、と歩みを止めた。
微かに震える手で、黒い喪服のドレスを掴み──音が立ちそうなぎこちなさで、三人を振り返る。
彼女は、艶美に紅を塗った唇を真一文字に横に引き、鋭くスイ達を強く睨みつける。
「どうして…………っ。」
かつん、と、脚もこちらへ向けて、王子に背を向ける形で、ソニアが立つ。
美しく着飾られた彼女のその様は、壮絶なまでに美しかった。
周囲の人間たちが、小さく息を呑み、ソニアの際立つ美貌に見蕩れる。
陶然とした雰囲気が広がる中、ソニアは皺がよるほどに強くドレスを握り締めると、
「テオ様が王子なら……どうして…………どうして私がシンデレラじゃないのーっ!!!!!!?????」
きっと、誰もが疑問に思うに違いないことを、叫んだ。
のー…………のーー…………の……………………………………。
広いホール内に、語尾が長く尾を引く。
その声が、余韻を伴ってざわめきに掻き消えると同時、当のヒロインであり、王子様に魅入られるであろうシンデレラは、軽く首を傾げながら、ぼやく。
「そーですよねー……さすがのシンデレラも、父親と結婚するってのは、ちょっと、ねぇ?」
「だから、義父様と王子様は、他人の空似だって言ってるだろーが。
義父様と王子様が使いまわしだってばれるような台詞は、禁止だってば。」
困惑した様子のグレミオに、ビシリ、と彼を指差しながら、スイが低く忠告する。
「何はともかく、王子様が出てきた以上、さっさとシンデレラにテオ様と──とと、王子様と踊って頂かないとね。」
スイの指先を掴み取るグレミオの背を、クレオが小突く。
スイもそれを受けて、大きく頷くと、グレミオから無理やり自分の指を引き抜いて、胸をそらせて断言してみせた。
「それじゃ、シンデレラ。さっさと言って、さっさと王子を口説いて、さっさと靴を落としてきてよ。
僕、いくら劇でも、さすがに実の父を口説いて落とそうとするママ姉役はしたくない。」
クレオに手を貸すようにして、スイもシンデレラを押した。。
けれど。
「──……テオ様。」
それよりも先に、ソニアが前に出た。
黒い喪服に身を包んだ未亡人を前に、人垣が割れていく。
まるで夢見る乙女のような雰囲気を醸し出している継母の背中を、追い越すことなど出来なかった。
あんな思いまでして、この城にやってきたシンデレラは、玉座へと歩んでいくソニアの背を見送る。
その、シンデレラの頭を、ごいんっ、と乱暴にスイとクレオが左右から殴った。
「ソニアお母様に、先越されたじゃないか、シンデレラっ!」
「まったくだよっ! このままじゃ、この劇が終わらないじゃないか!」
「だから、今の私はグレミオなんですってばーっ。」
一歩一歩、前に出て行き──ソニアは、無言で立ち上がったテオの前に出た。
小さな階段であつらえられた玉座へと続く高い段の上。
赤い絨毯が敷かれたそこから、ゆっくりとテオが降りてくる。
すかさず、うやうやしくアレンとグレンシールが、彼の背のマントと剣とを預かった。
ゆっくりと、テオがホールへと歩み降りてきて……ソニアは、その彼の姿をヒタリと見据え続けた。
一瞬でも瞬きしてしまえば、まるでテオが幻のように消えてしまうのだと信じているかのように、決して目を反らせず、ソニアはドレスを握り締めたまま、テオを見つめた。
その彼女のもとへ、テオは間違えることなく──手を差し出した。
「…………テオ様………………。」
呆然と、目を見張ったソニアに、テオが目元を緩めて微笑む。
ソニアは、戸惑うように、自分へ向けて差し出された手を見て──、
「テオ様……。」
唇がほころぶように緩み、ユルユルと力の入った掌から力が抜けていく。
そして、皺が寄ったドレスから手を解いた。
汗ばんだ手の感触に、慌ててソニアはドレスで掌を拭う。
それから、白い頬を紅潮させて、おずおずと──まるで初々しい乙女のように、目の前の男へと手を差し出した。
照れたようにほころぶ彼女の笑顔に、テオが微笑み返す。
二人の手が、静かに重なり合った。
そうして、それを待っていたかのように、ホールの中に、ゆったりとした音楽が流れ始めた。
ホールの真ん中に大きく出来た空間に、手と手をしっかりと結び合って向かい合う男女が、ゆったりと踊っている。
二人の表情に浮かぶ微笑は、いつもの彼女たちの容貌からは創造も出来ないほどの、優しく穏やかなソレであった。
それを遠巻きに見ながら、
「あーあー……、シンデレラ? お母様に負けてどうするんだよ?」
スイが、片目を眇めながらシンデレラを見上げる。
壁の花と化したシンデレラは、そんなスイに笑いながら、
「いいじゃないですか。これでハッピーエンドでしょう?」
「12時になって、魔法が解けることもないからね。」
軽く肩を竦めて見せるクレオの台詞に、そうそう、と頷きかけたシンデレラは──はっ、として壁にかかった時計を見た。
その時計は、いつのまにか12時5分前を指していた。
「しまったっ! 早く帰らないと、風呂桶とカミーユさんが……っ!」
そして、挨拶もソコソコに、慌ててマントを翻して出入り口向けて走り出す。
ヒラリと舞ったマントを見送りながら、
「風呂桶とカミーユって、どういう関係が…………?」
わけがわからず首を傾げたクレオであったが──、
「何にせよ、これで我がマクドール家の屋敷は、ママ母に好き勝手されることなく、無事に守られたのであった。」
スイが、納得したように呟く、一人ナレーションを耳にして────────────……………………………………、
「って、ぼっちゃん…………まさか、本気で、そのために、父親役と王子役の使いまわしを用意したんじゃぁ………………?」
クレオは、たらり──と、とたんに真実味を感じた冷や汗を流しながら、引きつって尋ねる。
確かに、シンデレラの話のストーリーから考えると、父親と亡くなった母親の思い出が詰まっている屋敷を、継母やママ姉に託したままだと言うのは、ある意味アンハッピーエンドと例えることが出来るかもしれないが──だからって、そこまで考えるなんてことは…………。
クレオの語尾が、ちょっと引きつれてしまったのは、仕方がないといえば仕方がないことであろう。
「やだなー。シンデレラ、ハッピーエンドのモノローグに決まってるじゃないかー。」
──あはははは、と明るく笑い飛ばすスイの本音が、どこにあるかは分からないまま…………。
「ああーっ! マリーさんっ、銀食器は磨いてあるのに、銀の燭台は磨いてないじゃないですかーっ!!!!」
無事、いつもどおりマクドール家で使用人として働くことに決定したシンデレラの幸せは──今、始まったばかりであった。
こうして、ママ母は、愛する新しい夫を手にいれ、さらに皇太子妃の身分も手に入れました。
そしてシンデレラは、愛するママ姉と共に、楽しくマクドール家で過ごしたのでした。
めでたしめでたし
「はー、ヤレヤレ! 終わった終わったっ! めでたしめでたしだねっ!」
「ああ……テオ様…………もう、かえってしまわれたのね………………。
会えた時は嬉しいけれど、居なくなったこの寂しさと痛みを思うと、辛いような、切ないような………………。」
「っていうか、アレでシンデレラはめでたしめでたしなのかい? だって、結局継母に王子様奪われて、残されたまま姉の面倒を見て過ごすわけじゃないか?」
「はぁーっ! やっと燭台を磨き終わりましたよ、ぼっちゃんっ!」
「えっ? まだ磨いてたのかよ、お前? どっちにしろ、今日からまた屋敷に戻るまでに、埃が積もるに決まってるじゃないか?」
「はっ! が、ががーんっ! そういえば、そうでした…………っ。」
「おい、スイ。」
「何? フリック?」
「そろそろ睡眠薬の効き目が切れるだろう? 撤収しようぜ。」
「ああ、そうだね。さすが解放軍印の睡眠薬だけあって、空気の中に混じっただけで、最高の効き目だね……。」
「……つくづく思うんだが、こういう卑怯な技を使ったら、戦争なんてあっという間に終わっちまうんじゃないのか?」
「はーぁぁ。」
「……っだよ、そのあからさまな溜息はっ!」
「こんな簡単に落とせるわけないだろ、国っていうのは。クーデターっていうのは、一人や二人を力づくで納得させるものじゃない。ほとんどの人間が、それを理解するって言うことが必要なんだ。
王様を殺したから、国が滅ぶってわけじゃないんだよ、戦争っていうのはさ?」
「────…………だよな……。」
「そういうこと。さ、フリック、さっさと剥ぎ取りご免に行くよ!」
「────……あ?」
「睡眠薬が切れる前に、剣や鎧に塩水かけて、錆びさせておかないとねっ!
それから、井戸水に毒もばらまいておこうかなー? あ、そうそう! 食料には、下剤も入れておかないとね☆」
「…………って、おい…………。」
「あーっ! なんか敵の本拠地に来ると、こう、いたずらとかしたくなるよねー!」
「…………………………………………。」
「イタズラなんて、久しぶりっ! よし、ついでに初出仕の時に、やりたくてやりたくてしょうがなかった、黄金宮殿人間滑りとかしよっかなー、ね、フリック?」
「……なんで俺に振る?」
「やっだなー、分かってるくせにv よし、フリックには特別に、滑りにくい摩擦服をやろう。摩擦の力で、あっと言う間に燃え上がること間違いナシ! さ、すべるエリアはどこがいい? 特別に選ばせてあげるよv 滑る人間さんv」
「やっぱり俺が滑るほうかーっ!!」
「さ、行こう! さっさと行こう! あーっ、楽しみーっ! やっぱり、階段もリレー内にいれないとねっ!」
「だーっ! やーめーろー………………っ!!!!」
天魁星様
演劇第一作目でございます。
……すみません、書き直しアップでございます。
変更したのは、後半だけなのですが──ちょっと終わり方と、ダンスシーンの入り方を変更したかったので……。あと、一番最後です。
次回は、2月下旬配布になると思います。
よろしくお願いいたします〜。