故郷を思ふ







 メイミはその日も一日、急がしく働いていた。
 誰よりも早く起きたら、はじめは自分の身だしなみを整える。
 コックたるもの、常に身奇麗にしていないといけないのだ。
 汗を掻いた朝などは、時にはお風呂に入ることだってある。
 そうやって目をパッチリと覚ましたら、次の瞬間にはもう一日の仕事が始まる。
 朝日も昇らないうちから、新鮮な材料の買出し。それが終わったらその日一日分の仕込みをはじめ、朝日が上りきった頃からは、本日のメニューを確認して、いつでも料理を作り始められる準備をする。
 それから、パラソルを広げてテーブルと椅子を拭いて、メニューボードを掲げる。
 これでメイミの店の開く準備はおしまいだ。
 オープンテラスの、セルフサービスで取りしきっているメイミの店は、いつも大勢の人で賑わっている。
 ここに店を出し始めた当初は、1日の売上も簡単に数えられるほどであったが、湖のほとりに聳え立つビュッデヒュッケ城が、ゼクセン・グラスランド軍の本拠地に決まってからというもの、大入りの状態が毎日のように続いていた。
 さすがにメイミ一人では手が回らない昼食時や夕食時などは、アルバイトのウェイトレスを入れることもあったが、朝食時やほかの時間帯などは、セルフサービスだからこそ、彼女一人でも十分にやっていけた。
 おいしいものをつくり、自分だけのお店を持てるのは、メイミ自身とても嬉しいことであったし、1日中働き続けている現状でも――多少辛くても大丈夫だと、彼女はそう思っていた。
 なんていっても、自分の取り柄は健康! 昔、ちょっとしたことで寝込むことがあったけど、その後彼女は病気に免疫ができたかのように、どんな病原菌にやられることもなく、ここまで成長を果たしてきたのである。
 だから、これくらいはぜんぜん大丈夫なのだと、そう彼女は信じていた。
 けれども……………………。
「そうやって、まだ大丈夫と思う人に多いんですよ。」
 少し気の弱そうな感のある、ビュッデヒュッケ城専属の医師は、そう言って苦笑をにじませた。
──メイミが、自分とは縁がないと思っていた医師にそう面と向かって言われたのは、見慣れない医務室のベッドの上であった。
 彼女は、自分を体力を過信して――とうとう、過労で倒れてしまったのである。







 ビュッデヒュッケ城始まって以来の、大会議──と言えば大げさなのだが、戦うべき人間が大勢いるこの城で、「衣食住」の「食」を多いに担っていた女性が倒れてしまってたとなれば、それは確かに大事件なのであった。
 何せ、少し前までの「人が集まってきたビュッデヒュッケ城」とは違い、今は大勢の兵士が集う、ゼクセン・グラスランド軍の要とも言える場所である。
 そこの兵士の大半の食を賄ってきた人物が倒れてしまった今、困ったことにビュッデヒュッケ城は、「食糧難」の危機を迎えていたのである。
 もちろん、料理が出来る人間がいないわけではない。
 いないわけではないのだが、これだけの人種の舌に合うような料理を、作れるコックがいないのである。
 リザートクランとダッククランの味に合う料理を作るという者を探すだけでも大変なのに、カラヤとゼクセンでも好みの味が違うときては──料理人だけでも相当数が必要となってくる。
 そんな予算がビュッデヒュッケ城にあるわけもなく、食料はあるのに食料難という、非常に不思議、かつ切迫した状態になっていた。
「メイミさんは過労のため、2週間は絶対安静とトウタ先生がおっしゃっていました。」
「2週間!」
 トーマスが会議室の机の前に立って説明するのを、部屋の各地にたたずむ面々は悲壮な思いで聞き入れる。
 たかが2週間、されど2週間である。
 なにせ、今朝メイミが倒れてから今まで──たった朝食の時間だけで、相当の混乱が展開されているのだ。
 アンヌが代わりに軽食を作ってくれたりしたものの、それでも満足できない者が多く……食に対する欲望というのは、簡単に纏められるものではないのだと、しみじみ彼らは思い知っていた。
 味が合わないと愚痴を漏らした兵士が、そのまま苛々した状態で、空腹を抱えて苛々が募った兵士と喧嘩することも何度かあったし、甘いデザートが食べられないという事に、拗ねてしまった女性陣も多い。
 その現状が、あと2週間も続くのかと──昼食に関しては有志の女性を募って何とかなりそうだが、それが毎日、毎食となると、うまくはいかない。何せ、女性達だっておのおのの仕事があるわけだし、人種別の料理を作るような巨大な鍋を設置する場所だって、考え物だ。
 メイミは今までどうやって、あれほどの大量のメニューを捌いていたのかと、頭痛を覚えるほどである。
 だからこそ、大空洞やビネ・デル・ゼクセなどからコック達を雇おうかという話も出ることは出たのだが、場内の壁ですら直せないような経営状態のビュッデヒュッケ城に、どうしてそんな余分なお金があるのだろう?
 もしあるというなら、もう少しマシな外壁を取り繕いたいものである。一応この城は、ゼクセン・グラスランドの要であるのだから。
「となると、最低でもその2週間の間、朝食・昼食・夕食を用意できる料理人を──それも、すべての人種の主食を用意できる料理人を用意しなくてはいけないわけですね。」
 サロメはいつになく深い皺を眉間に寄せて、唇をゆがめて見せた。
「それがすぐに見つかっていたら、メイミは過労で倒れたりはしなかったさ。」
 ルシアも疲れたようにため息をこぼし、やれやれとかぶりを振る。
 近隣のコックさんを急遽雇うにしてもお金がかかるし、それでは今日の夜からきてくれ、という距離でもない。何よりも、2週間だけという微妙な期間を、いったい誰が自分の店を休んでまできてくれることか?
 やはり、メイミのためにも、彼女を補佐するような人間を雇っておけばよかったかと、みなが一様に頭痛を覚える中、パン、と手をたたいて一同の注目をアップルが集める。
「とにかく、欲張った考えは捨てましょう。
 三食の食事については、城下の者や兵士の方の中から有志の人間を集める方向で考える一方で、それだけでは足りませんから、アンヌさんにもご協力いただきましょう。
 それぞれの種族別の料理なんて考えないこと――たった2週間の間なのですから、みなさん少しずつ我慢していただくということで、考えていきましょう。
 作れる料理を作ってもらい、それを食べるものは文句をいわないこと──絶対条件として、私はそれを掲げます。」
 きっぱりと言い切ったアップルのメガネの奥の眼光に睨まれて、それぞれ人種別の食事を求めていた一同は、唇を噤んで見せた。
 興味半分でカラヤの民の食事を口にしたゼクセンの者や、また逆の者――舌に合う者も居るだろうが、大抵の者は口に合わず、それきり互いの食べ物を食べることはなかった。
 文化の違いも互いを疎外するものであったが、この食文化こそが、最も大きな瑕となっているのではないかというのが、二つの国の関係に興味があるトーマスの言い分であった。
――まさにその現状を、今の状況が物語っていた。
 トーマスは、アップルのアッサリと下した決断に、内心で舌を巻きつつ、きっぱりと頷き、真っ先に同意した。
「賛成です。」
 トーマスは、しっかりとした表情で頷くと、さっそく皆さんに話を伝えましょうと、やる気満々でヒューゴに同意を求める。
 ヒューゴはそんなトーマスに曖昧に笑い、少し迷ったような顔をした後、コクリと頷いてみせる。
「そうだね――俺も、手伝うよ。」
 うん、ともう一度頷いたヒューゴに、トーマスも微笑む。
 アップルはそんな二人に鷹揚に頷いた後、ほかの者へと視線を転じる。
 ゲドもアップルの視線を受けて、一度だけ頷き、クイーンとエース達にも協力させる旨を約束した。
 シーザーもアップルの意見に反対はしないと言いたげに肩をすくめ、黙ったままのゼクセン・グラスランド人をゆっくりと見やった。
 どうだ、と問うように視線を向けられ、ルシアは細くため息を漏らすと、
「最近は特に急ぎの事件もないようだから、私とルースも有志の一人として参加しよう。」
 腰に手を当てて、ゆっくりと頷いて見せた。
「騎士団の方も、従者の勉強をするときに簡単な料理方法なら学んでおりますので、足手まといになることはないでしょう。」
 サロメもルシアに続いて頷く。
 ルシアはチラリとデュパを見た後、ただし、とたっぷりと間を取って後を続ける。
「デュパ達のトコロは、自分達で面倒みておくれよ? さすがの私も、あんたたちの好む料理は、作れるけど食べたくはない。」
 きっぱり言い切るルシアに、付き合いが長いからこそ、デュパは楽しげに笑って、それはそうだ、と言い切った。
「俺たちも、ルシアのところの料理は食えないな。――辛すぎる。」
「コッテリすぎるのよりマシだよ。」
 軽口を叩くデュパとルシアの低い笑声が響く。
 そんな中、ジョー軍曹も、アルマ・キナンの代表として参加していたユミィとユイリも、アップルに向かって頷いて見せた。
「私達の村の料理でよければ、お手伝いしますわ。」
 小さく微笑んで約束したユミィの台詞を受け取り、自らも有志の一人として参加することを誓ったアップルは、悠々とした声で一同に告げた。
「それでは皆さん、すぐに城内にて有志の方を集めるための声をかけてください。」
 これは、一刻を争います、と――いつもの戦争以上に頭を痛ませる事態であることに、苦笑を刻まずにはいられない。
 シーザーはアップルの言葉が終わると同時に、軽く片手を上げて、会議の終礼を宣告した。
 それから、おのおの動き出す面々を見ながら、悪戯めいた光を宿した目をアップルへ向けると、
「でもさ、アップルさん? これで、一度にいろんな地方のいろんな料理が食べられるって思ったら、それはそれで得した気分って思わない?」
 そう、呑気に笑って見せた。
 アップルは眼鏡の奥の瞳を、呆れたように瞬かせて、教え子の顔を見下ろすと、軽く顎をそらせて天井を仰いだ。
「…………シーザー…………あなたはまだ知らないでしょうけど……結構食事の恨みって、怖いものなのよ…………?」
 ――遠い昔を思い出す目で、寂しそうな微笑を口元に宿しながら呟いた言葉は、今夜から巻き起こる騒動を物語っているようであった。






 会議室の奥にある医務室は、清潔な色で染め上げられている。
 薄く白いカーテンは、容赦のない日差しを遮断し、室内の棚に治められたクスリが日に焼けるのを防ぐ役割もある。
 その医務室のドアが二度三度叩かれて、患者の様子を見ていた看護婦は、はぁい、と明るい声をあげてドアへと歩み寄った。
 かたん、と小さな音を立ててドアを開くと、訪問者は、可憐な花が咲いている花束を手にしていた。
「あら、トーマスさん。今日はお見舞いかしら?」
 明るく笑って、ミオは身体を横に向け、扉の前に立っているトーマスを招きいれた。
 彼が会いに来る見舞い客なんて、今のところ一人しかいない――というよりも、ここの医者が優秀であるために、入院患者は「過労」で強制入院中のメイミだけなのである。
「メイミ。お見舞いよ。」
 ニッコリと微笑んで、ミオは一言断ってからベッドのカーテンを開いた。
 ベッドの上に上半身を起こしていた少女は、軽く目を瞬いて、小さな花束を抱えている少年を見上げた。
「トーマスじゃない?」
 ぶっきらぼうに呟いたメイミに、トーマスは淡く微笑んで見せた。
「メイミ。加減はどう?」
「料理が作れないと、どうにも落ち着かないよ。」
 はい、と照れたように差し出された花束を受け取り、メイミはそれを手に持った後、白いシーツの上に花束を置いた。
 ミオは苦い笑みを見せてベッド際に飾っておくわ、とヒョイと花束を手に取る。
 頼むね、とヒラリを片手を舞わせて、メイミはトーマスに椅子を勧める。
 けれどトーマスは、なんとも言えない表情で、そのまま突っ立ったきりである。
 そこでメイミは、ベッドの下に置いてある椅子を引きずり出そうと身を乗り出そうとしたが、トーマスは慌ててそれを止めた。
「ううん、いいんだよ――あの……休養中申し訳ないんだけど、聞きたいことがあって……、来たんだから………………。」
 だんだんと尻つぼみになるトーマスの台詞に、メイミは眉を顰める。
 そんな彼女に、慌ててトーマスは早口で告げた。
「ごめんっ、最初のお見舞いがこんなので――本当は、もっと早く来たかったんだけど、なんかいろいろ大変なことが起きちゃって……っ。」
 彼は隠し事が下手だと、内心呆れたように思いながら、メイミは、それで? と顎でしゃくって尋ねる。
「大変なことと、私のお見舞いに来たことと、どういう関係があるの?」
「それは――その…………ダメだと思うんだけど、…………君の…………料理レシピを、貸してくれないかな……なんて…………。」
 すまなそうに俯き、すまなそうに視線をあげた。
 おずおずと言った表現が的確に似合うトーマスの動作に、メイミはますます難しい顔になる
 それはもちろん分かっているよと、トーマスは頷いた。
「もちろん、料理レシピは料理人の宝だって分かってるし、大切なもので、人様に気軽に見せれるものじゃないのは分かってるんだけどね――でも、それしか今のところ方法がないんじゃないかって、思うんだよ。」
 ぎゅ、と両手を握り締めて語る少年の台詞に、メイミはこれ以上ないくらいに顔を顰めると、鼻の頭に皺を寄せたまま、改めてトーマスの顔を見た。
「――で、結局、何が起きてるわけ?」
「――――…………食文化って、すっごく大切なんだなぁ……て、こと。」
 両手をシッカリと握り締めてトーマスが語るのは、酷く簡単な事実であった。
 どうやら、自分が料理を作っていないことで、何か面倒なことが起きているらしいことを悟ったメイミは、チラリと視線を移し、主治医である青年が座る場所を見た。
「……確かに、人の食事に対する欲求は、軽んじることはできないものですよ。味一つで何もかもが変わることもありますから。」
 きっちりと黒い髪を結い上げた青年は、白い白衣についた汚れを掌で撫で付けながら、優しく微笑む。
「あ、トウタ先生。」
 軽く顔を傾けるようにして、トーマスは彼を振り返った。
「料理が甘いだとか辛いだとか、それだけでその日一日の気分や、精神的な苛々などにも繋がってくる。料理の栄養のバランスや、食物が持つエネルギーで、病気を防ぐ役割を果たすこともある――私の師匠や、昔お世話になった料理人に教えていただいたことなんですけど。」
 トウタはミオが淹れてくれたお茶を手にして、薬草茶です、と言って差し出す。
 これも、活力を取り戻す役割をしてくれますと言われて、メイミは無言でそれを受け取った。
 料理は最も人間の身近にあるからこそ、大切なものなのだと、トウタが言った後――そういえば、とミオは足の爪先で床を叩いて呟く。
「トウタ先生とメイミさんのご飯は私が作っているんですけど、皆さんのご飯、なんだか凄いことになってるみたいですね。
 毎日毎日、カラヤの皆さんが怒りやすくなったり、ゼクセンの皆さんが叫んでいたりしますよ。おかげで、トウタ先生の胃薬も大人気。」
「え……?」
 メイミは、愛情の篭ったミオの料理を思い出した後、目線をトーマスへと向けた。
 トーマスは、非常にきまづそうに目を伏せて、手の中のお茶に口を付けると、苦い……と軽く眉を顰める。
「だから――その、レシピを貸してくれないかな、って――……。」
「有志の人達、一体どういう料理を作ってんの?」
 呆れたように尋ねるメイミに、それはもう、見てもらえば分かるとしか、トーマスには言いようがなかった。







 メイミのレストランの前のオープンテラスに広げられた椅子やテーブルなどを片付けた場所で、皆さんの料理を作るための有志達は、毎日毎日ご飯を作っている。
 大きなお鍋のが三つ並べられ、そのドレもが別々の色をしたダシで煮込まれていた。
 離れた場所では、バーツが自ら運んできた食材が、手馴れた仕草で包丁さばきに自信がある面々により捌かれていた。
 そんな微笑ましいはずの料理風景の一角で。
「き、きぃやぁぁぁー!! ちょっとちょっとルシアさんっ!? 何で石鯛のスープに、レッドペッパー振り掛けてるのっ!?
 人が作った料理に、なぁんてことするのよーっ!!!?」
 いつものごとく、高い声で叫ぶ娘が一人――皆が自前のエプロンをつける中で、彼女は一人いつもの格好で、細い腰に手を当てて紅く染まったスープを絶叫で見つめる。
 その隣には、ティントのワガママ娘の従者の一人であるサムスが、カラヤの民に混じってエプロンをつけて呟く。
「って、お嬢さんは何もしてないじゃないですか。」
 サムスの隣では、ルースがしゃがみこんで、何やらすっぱい匂いや辛そうな匂いのする香辛料をすりつぶしているのがわかった。ターメリックやレモングラス、干し唐辛子などである。
「あら、貴方達がするということは、私がしているのと同じことよ。」
 ばさり、と髪を払って、リリィはきっぱり言い切った。
 そんな彼女に、ジャガイモを切っていたリードが、あーあ、とため息を零す。またコレだ、と言いたげである。
「お嬢さん? 料理場で髪を振り乱すもんじゃない。」
 リリィに強く眉を顰めて抗議して、ルシアは今度は赤唐辛子をそのまま鍋の中に放り込む。
「あ、ああああーっ!!! なんてことするのよっ! 食べられないじゃないのーっ!!!」
 思い切り良く叫んだリリィに、ルシアは強く一度睨みつけると、
「カラヤじゃコレが普通なんだよ。」
 きっぱり言い切って、今度はバサバサと鶏肉の塊を豪快に放り込んだ塩の塊が肉の周辺を固めている状態のまま、丸ごと。
「ちょっとーっ!?」
 更に悲鳴をあげるリリィの横では、そんなルシアの行動に苦笑を滲ませたクイーンが、淡い金色のコンソメスープの上にイノシシの肉を持ち上げた所であった。
 かと思うや否や、彼女は使い慣れたサバイバルナイフで、思い切り良くイノシシを切り落としながら肉を放り込む。
 ドッポンドッポンと豪快な音を立てて落ちていく肉は、どう見ても皮も剥いでいない、そのままの生肉であった。
「ちょっと、ちょっとクイーンさんーっ!? そんな、臭み処理もしてないような肉を、そのまんまコンソメスープに放り込むのーっ!!!!????」
 この人、料理できないんじゃないのかと、自分のことを棚にあげて、リリィは悲鳴をあげる。
 しかし、クイーンは気にもせずイノシシの肉をそげ落としながら、
「多少の臭みくらい、香辛料が消してくれるさ。」
「香辛料って……っ!?」
 豪快にすべての肉を落としおえたクイーンの隣から、ほらよ、とエースが籠の中に入ったハーブをすべて投げ入れる。
 バッシャバッシャと音とたてて、黄金色のコンソメスープは見る見るうちに強烈な異臭に包まれ、リリィはウ、と後じ去った。
「な、なんていう匂いをさせるのよ……っ。」
「匂いが味じゃないさ。」
「そうそ。これが大人の味ってやつだぜ、おじょうちゃん?」
 そっけないクイーンの言葉に続き、エースがニヤリと笑ってリリィにウィンクする。
「後はフライリザードのから揚げも作るかい?」
「お、いいねー、大将と一緒にそれで一杯もいいな。」
 さまざまなハーブの匂いが混じりあった鍋をものともせず、二人は笑っていた。
「こんなの食べて、平気なのっ!?」
 リリィの叫びに、
「私はベジタリアンだから、食べないよ。」
 しれっとして、クイーンが言い切る。
「エセベジタリアンだろ。」
 すかさず突っ込むエースを、足で容赦なく蹴りつけて、クイーンは素知らぬ顔で、更に香草を継ぎ足した。
 そんな二人を交互に見て、リリィはやってられない、と頭を振った。
「まぁいいわ。あと一つ、鍋が残ってるもの――。」
 そして、希望を宿した瞳で、背後を振り返り――。
「やっぱり鍋には、イカゴだな。」
「犬鍋にすると、シバが怒るからな、今日は我慢をしてペインバードにするか。」
 ジャバジャバと、ごつい爪先でモンスターの鳥を殺ぎ落として鍋に入れていた。
 その鍋には、イカゴが浮いていた。更に隣には、これから入れる予定であるらしいマヨネーズが置かれていた。
「な……なぁに入れてるのよっ、この爬虫類ーッ!!!!!」
 グラスランドは広いとは言えど、立派な身体と尾を持つリザートクランの猛者にそんな口を叩くのは、彼女くらいのものであろう。
「虫のダシもなかなかいけるもんだぞ。」
 しれっとした顔で言い切るバズバに、リリィは鍋の中を指差し叫ぶ。
「冗談じゃないわよっ!? ちょっとヒューゴっ、あんたも何か言いなさいよっ!!」
 リリィは髪を振り乱して、慣れた手つきで野菜を切っているヒューゴを呼んだ。
 しかし、丁寧に野菜の細ギリをしていたヒューゴは、キョトン、と彼女を振り返ると、
「イカゴって結構美味しいよ? 最初は驚くかもしれないけど、慣れたらなんとも思わないよ――マヨネーズ鍋も。」
 そう言った。
「そっ、そんなわけあるかーっ!!!!」
 日々まともな食事を食べれない面々の代表として、一番苛々が募っていたリリィは、今日という今日は許せないとばかりに、空向けて叫んだのであった。








「とにかく、毎日味が濃すぎて食べれないだの、辛すぎるだの、変な味だとか――、今まで自分の生まれ故郷の料理を食べられていたでしょ? 余計に食事に対する不満が募ってるみたい。」
 医務室からの帰り、昼飯を食べさせて貰おうと立ち寄った酒場のカウンターで、疲れた顔のアンヌが教えてくれた内容に、トーマスはドップリと疲れてカウンターに突っ伏した。
 有志の者は、所詮土地の料理しか作れず、この辺りはそれぞれ独自の料理法を持っている面々ばかりだ。
 そして、誰でも食べれるような料理が作れる面々といえば、さまざまな土地を転々とした面々や、店を経営している人間に限られてきて――それもまた一部でしかない。
 結果として、自分が食べれるたぐいの料理を食いっぱぐれた面々は、空腹に我慢をするか、自分の胃や舌に合わない飯を食べ、気分を害すことや体調を崩すようなことになるのである。
 辛い料理を食べて胃がビックリしたり、濃すぎる料理を食べて一日お腹が重くて体調が優れなかったり――あまり良い影響は見当たらなかった。
「まだ二週間のうち、半分も過ぎてないのに。」
「まったくね。」
 笑うアンヌの顔に、ここ数日の間に出来たらしい皺が見えて、トーマスは申し訳なさそうに項垂れる。
「何かいい案は無いかと思ってはいるんですけど――。」
 トーマスがそう呟いて、ため息を零したとたん、トン、と隣に腕が置かれた。
 見上げると、爽やかな笑顔を浮かべた青年が横に立って居た。
 彼は、この一連の騒ぎの中にあるというのに、疲れた様子も、食生活に苛立った様子も見せてはおらず、疲れたようなトーマスを労わるような優しい微笑を浮かべている。。
「あ……フッチさん…………。」
 喉をそらして見上げた先で、フッチが隣に座ってもいいかと尋ねるので、すぐに大きく頷いた。
 すとん、と席に座ったフッチに、アンヌが今日のメニューはリゾットだけよ、と答える。
「いや――昼食は取ってきたから。」
 フッチは片手を上げて断り、トーマスはそんな彼に痛いような視線を向け――怖いもの見たさで尋ねる。
「あの……昼食、なんでしたか?」
 するとフッチは、驚いたように目を見張り、軽く首を傾げて見せた。
「何って――今日は普通にパンとスープを食べたけど。」
 何を言うのだろうと、不思議そうな顔をするフッチに、トーマスだけではなくアンヌもホッと胸を撫で下ろした。
「それじゃ、今日は争いは起きないわね。」
「ええ。まともな昼食をみんなが食べれるのでしたら。」
 トーマスも安堵した様子を見せ、フッチはすぐに彼らが何を求めて自分に先ほどのような問いかけをしたのか悟った。
 すぐに申し訳なさそうな顔になり、フッチは軽く片手をあげた。
「すまない。僕は、ブライトの食事をさせるために、メイミさんが倒れてからは、フランツ達と表で食事を取るようにしてるんだよ――ほら、ブライトとルビに乗ったら、すぐだから。」
 だから、有志の面々の食事は取ってないのだと、心の奥底から申し訳なさそうに呟くフッチに、バッチン、と音を立ててアンヌは額に手を当てた。
 そして、片目を閉じてため息を零すと、
「ってことは、皆今日も荒れて酒場に乗り込んでくるってワケね……。」
 ヤレヤレと、吐息を漏らす。
 そんな酒場の女性の姿に、トーマスはすまなそうな目を向けた。
「こうなったら、アップルさん達と相談して、残る十日ばかりは、リザートクランやダッククラン、アルマ・キナン、ブラス城に帰ってもらうしかないのかな……。」
 最後の手段としておいたことだけど――もしそうなれば、本拠地であるこの城が手薄になるし、各個体を狙われては、あっという間にボロボロだ。
 憂いを宿してそうぼやいたトーマスへ、
「それは避けたほうが賢明だろう。」
 カタン、と音を立てて、トーマスの左隣の椅子にゲドが腰掛けた。
 彼の表情はいつものように無表情で、何を考えているのかは見て取れないが、この状況を憂いているのは分かった。
「おや、ゲドの旦那。旦那は何を食べる?」
「何も。」
 酒を、と求めるゲドに、アンヌは軽く返事を返し、酒が並んでいる棚を振り返った。
「ゲドさん――でも、このままでは、また仲間内で争いが起きてしまいます。」
 トーマスは、手元に置かれた水のグラスを両手で抱え込み、悩ましげにため息を落とす。
「……………………。」
 ゲドは無言でカウンターの上を見詰め――、ため息と同時に、朝から行われていたアップルとシーザーたちの話し合いの結果を、トーマスへと告げた。
「やはり、近隣から料理人を雇うしかないようだ。多少懐は痛くても、止むを得まい。」
「――――…………そう、ですか。」
 これを聞いて、メイミが苦痛に思ったり、無理をしようなどと思わなかったらいいのだけど、とトーマスは先ほど会ったばかりの少女の顔を思い浮かべる。
 トーマスの話や、ミオやトウタの話を聞くほどに、彼女は自分がこのままベッドの上の住人になっていなくてはいけないのを、悩んでいるように見えた。
「僕は別にしょっぱくても辛くても、食べられたら我慢できるんだけどね……。」
 苦笑いを見せて、フッチはアンヌに差し出された水で舌を湿らせる。
 思い出すのは、昔――まだ少年であった頃、とある城で出会った少女の、愉快痛烈な料理を食べさせられた記憶である。
 あの壮絶な味に比べたら、一日不機嫌で居られる味なんて、まだまだ可愛いものである。
「みんな、ビッキーさんみたいに、文句一つ言わず食べてくれたらいいんですけどね……。」
 どんなご飯が用意されていようと、「ご飯〜♪」と嬉しそうに食事を平らげている少女の顔を思い出し、トーマスがシミジミと呟くと、ああ――と、フッチは苦い笑みを刻んで頷く。
「ビッキーは、味オンチだから――……。」
「え。」
「……………………そりゃ、なんでも食べるわよね。」
 短く言葉を区切ったトーマスの言葉の後に、アンヌが微苦笑を刻み込んだ。
 そんな人間ばかりだったら、今回のような場合は助かるが、料理屋なんてものは必要なくなってしまう。
 それはそれで考えものだよと、アンヌはゲドに酒を差し出しながら、
「でも、人の好みなんてそれぞれだしね。カラヤの生まれでも、ゼクセンの料理が好きな者だって居るもんだし。」
 トーマスはどんなのが好きなのかい、と尋ねたアンヌは、やっぱりカレーかなぁ――と呟くトーマスに、一部で有名な「激甘カレーの話」を思い出したアンヌは、もう一度口の中で、「確かに好みは千差万別だよ……」と呟いた。
 そんなやり取りを耳にして、クスクスとフッチは楽しそうに笑声を零す。
「結構みんな、好みにうるさいよね――トウタは中華が好きで、アップルさんとジーンさんは、洋風好きだから、結構今の状況には彼らも苛々してるかも……トウタは、ミオさんに作ってもらってるから、そうでもないかな。」
 懐かしそうに目を細めるフッチは、アンヌに水のお代わりを求めて、空になったグラスを掲げた。
 トーマスは、そんなフッチを不思議そうに見つめた。
「……皆さんの好みを把握してるんですか、フッチさん??」
 トウタやアップル、ジーンなどは、滅多に表で食事をすることはない。
 なのに、どこで彼らの好みを知ったのかと、目をパチクリして見上げると、フッチは簡単だと笑った。
「三人とは、昔からの知り合いだって……話したことなかったっけ?
 昔、お世話になっていたお城で、料理大会っていうのがあったんだよ。その審査員をしたことがあってね……。」
 あの時は、楽しかったというのに――今回は同じ料理が題材で、こんなに苦しんでいる。
 料理というのは、とても大切なものであるけれども、同時に怖い物なのだと――そういえば、その料理対決でも同じような事を、世話になった人が呟いていたと、フッチは憂いに眉を曇らせながら思い出す。
「りょうり、たいけつ?」
 軽く目を見開いたトーマスに、うん、とフッチは頷く。
「そう、対決する二人が、前菜、メイン、デザートを作って、それを審査員に食べてもらって競うんだよ。」
 懐かしそうに目を細めるフッチに、ゲドがチラリとトーマスに目をやった。
 トーマスはというと、そんな彼の視線を受け、瞳を輝かせていた。
 興奮した面持ちで、ゲドを振り返り、
「料理対決――ソレですよっ!! それで、今の状況は良くなるはずです!!」
 彼は笑顔で、そう言い切ったのであった。








『本日より、各国対抗料理対決を行います』
 噴水のある広場の前に、立て札が置かれたのは、その日の夕暮れ前であった。








「料理、対決?」
 ブラス城から差し入れだと送られてきた干し飯をおやつ代わりに摘んでいたクリスは、ルイスが入れた紅茶で喉を潤しながら、サロメの報告に目を瞬いた。
 サロメは、先ほどトーマスから嬉々として差し出された書類を手に、朗々と読み上げる。
 同じ室内で書類を片付ける手伝いをしていたほかの六騎士たちも、サロメへと視線を集中させる。
「はい。今晩の夕食時から開催されるそうです。各国の代表が料理を作り、それを皆が味見をして行うそうです。料理方法・料理形式などは不問とし、開催期間中、もっともリクエストの多かった料理に関しては、先1ヶ月の無料料理券が進呈されるそうです。」
 よどみなく読み上げるサロメの報告内容に、ソファに肘をついて聞いていたパーシヴァルが呆れたように目を細める。
「一ヶ月分の料理無料券? また安いな。」
「だが、今回の件でつくづく思った。まともな飯ほど、ありがたいものはない。」
「まったくですね。」
 パーシヴァルの言葉を継いで、レオがシミジミと腕を組みながら呟き、素知らぬ顔で壁際に立っていたロランが珍しく顔をゆがめて呟く。
 どうやら、エルフが愛するたぐいの料理を作ってくれる人物が一人も居ないおかげで、彼の食生活は最悪だったようである。
 クリスの食事に関しては、ルイスやサロメが細心の注意を払って用意してきているため、彼女に現状の食事状況の酷さは伝わっては居ない。
 しかし、レオとサロメの台詞を聞いて、クリスは整った眉を曇らせた。
 どうりで、最近ブラス城から来た使者のほとんどが、「クリス様へ」と、干し飯だの、干し肉だのをプレゼントしていくと思った。
 もったいないから、ルイスが進めるように、夜食や間食代わりに食していたが――クリスは手元に残る保存食を見つめ、顔をあげてレオやロランを見た。
「……良かったら、幾つか持ってかえるか?」
 自室に。
 真顔で袋ごと差し出すクリスに、ロランは表情も変えず苦笑し、レオはとんでもないと両手をあげた。
「クリス様に贈られたものを、私達が食べるわけにはいきませんよ。そんなことをしたら、俺達の命がない。」
 言い切るレオに、ルイスもコクコクと頷く。
 クリスは分かりかねるような表情になったが、
「それはクリス様にと、騎士達からの届け物です。クリス様が食されることを、彼らは望んでますから。」
 微笑ましい表情で、パーシヴァルが唇の先を上げて、クリスを見やった。
 クリスはそんな彼らに、なんともわかりかねる顔をしてみせたが、
「彼らの気持ちを汲むには、クリス様が食されるのが一番なのです!」
 と、ボルスまでもが言い出すので、クリスは正直にコクンと頷き、干し飯だの干し肉だのが入った袋を元のように机の上に戻した。
「分かった。これは私が感謝を込めて食すとしよう――それでサロメ? その料理対決のことなのだが、私達はその対決の試食をしたらいいのか?」
 何事もなかったかのように話をすすめようとするクリスの指先が、密かに揺れているのを――彼女が動揺しているのを確認してとり、ルイスは唇を真一文字に結んだ。
 そして、視線を転じてサロメへと視線をやった。
 室内に居る誰もが、サロメを見ている。
 六人の視線を受け取り、サロメは書類を見直しながら――いいえ、と低く呟いた。
 少し掠れた声で、サロメはクリスを見つめて続けた。
「私達は、試食をするのではなく、料理を作るのです。」
「――――………………は?」
「…………今、なんと?」
 ボルスが、唖然と口を開け、パーシヴァルも目を居開いてサロメを見た。
 レオは軽く身を乗り出し、サロメを不審げに見つめる。
 ロランは壁に凭れさせていた背中をはがしとり、ジリと足を鳴らしてサロメの方向を向いた。
「料理を作るって……僕達が、ですか……?」
 困惑したようにルイスが幼さを残す眉を曇らせ、サロメを見上げる。
 サロメは重々しく頷くと、書面をヒラリと舞わせて彼らの方を向けた。
 さらにご丁寧に、書類の一角を示した。
 そこには、クッキリ太字で、
「なんと初日は、真の紋章もち対決……………………………………?」
 ゼクセン六騎士と、カラヤの少年、ハルモニア辺境警備代12小隊の名が書かれていたのであった。
 唖然と読み上げたクリスへ、サロメは淡々と自分の考えを語った。
「どうやら、初日の試食者導入と、客の呼び込みのために、われわれは使われたようです。」
 軽く肩を竦めて。








 ボッボッボボボボッ!
 周囲に設置された大きな松明に炎が灯され、オープンテラスが煌々と照らし出される。
 その中、悠々とマイクを持ち、モデル立ちで立つのは、白い仮面が炎に照り映える男、ナディールであった。
「レディース エーン ジェントルメーン!! 第一回料理対決!!」
 朗々と響き渡るマイクの音量を調節していたベルは、隣に居るからくり丸Zが余計なことをして、マイクの線が外れてしまったのに、乱暴に蹴りを入れつける。
「余計なことするなって言ってるじゃない!」
 ったく、とぼやいてマイクの線をきっちりと入れなおすと、からくり丸はからくり丸で、ベル譲りの乱暴な口調で悪態づく。
 更にその裏手では、ネイたちがナディールを盛り上げるための演奏にかかりきりである。
 最高潮に盛り上がるミュージックとナディールの溺れぎみなナレーションに、テラスにギッシリと集まった客達は両手を振り上げ、叫びあう。
「おおおおおおーっ!!!」
「きゃーっ!!!」
「早く飯くわせろーっ!!」
 まだ夕飯時間まで間があるというのに、騒ぎは尋常ではなかった。
 なかなか好すべりと言えよう。
「まずは本日の対戦者をご紹介しよう!
 真の紋章持ち対決とあって、揃った役者も皆期待度大のメンツばかりです!」
 朗々と良い見上げる声も麗しいナディールの紹介に、更に場内は盛り上がった。
 その大盛り上がりな場内を、こっそりメイミの店のカウンターの下から覗き込んで、ヒューゴはドップリ疲れたようなため息を零す。
「母さんも酷いよな……ギリギリまでこのこと教えてくれないんだから。」
 ぎりり、と唇をかみ締めて思い出すのは、今から夕飯の支度に出かけるかと、ジョー軍曹とフーバーを伴って部屋を出ようとしたヒューゴを捕まえて、きっぱり言い切ってくれたルシアの台詞であった。
 ヒューゴ、今日は料理対決のメンバーになってるから。
 ――そうアッサリといわれて、何が何だか分からないうちに、エプロンをつけて軍曹とフーバーとともに、ぽい、とメイミの店の厨房に放り出されてしまったのだ。
 ルシアは言うだけ言うと、後は任せたとばかりに審査員席の方へ行ってしまうし。
「いつも私が作ってるんだから、たまにはあんたが作りなさいって――カラヤの族長は母さんじゃないか……。」
 ブチブチ呟くヒューゴの首根っこを掴んで、ジョー軍曹はズルズルとオープンテラスを視察していたヒューゴを連れ戻す。
「しょうがないだろうが。こうなったら、グラスランドのメンツにかけても、やるだけやるしかあるまい。」
 そうしないと、今日はカラヤの人間が誰も食事にありつけなくなってしまうじゃないか、と、軍曹は軽く肩を竦めて見せる。
「っていうけど、俺、まともな料理なんか作れないよ?」
「知っている。だからきちんと、ルースからトムヤムクンの作り方のレシピを貰ってきた。」
 ヒラリ、と紙を舞わせて、ジョー軍曹は言い切る。
 指し示した、「ヒューゴ様 ジョー軍曹様 フーバー様」と書かれた札が置かれた調理用テーブルには、トムヤムクンの材料が詰まれている。ご丁寧にも、トムヤムクンの中に入れる調味料が調合された形で置かれていた。
 大きなテーブルの上に、丸々詰まれた食材たちを見ながら、ヒューゴは疲れたようなため息を零した。
「コッチがパンの種だと。さぁ、やるぞ、ヒューゴ。」
 ばっさばっさと羽根を揺らして、超やる気モードに入った軍曹を横目で見て、ヒューゴは「埃が立つよ、軍曹――」と冷めた目で突っ込んだ。
 しかし軍曹は話を聞いておらず、それどころか興奮したらしいフーバーまでもが、
「きゅぅおぉぉぉーんっ!」
 バッサバッサ! と大きく羽根を揺らした。
「…………〜〜〜……か、考えてみたら、このメンツで包丁持てるのって……俺だけじゃないか………………っ!」
 せめて、ルシアだとかビッチャムだとかルースだとかを、メンツに入れようって言う気は無かったの、トーマスっ!?
 この企画を考えたのだというトーマスに、密かに握りこぶしをしてみせたヒューゴの内心に苦痛に気付かず、ジョー軍曹は湧くに湧いた場内に、
「百人分は作らないといけないらしいからな、急がないといけないぞ。」
 さっそく器用にもエプロンを身に付け――ついでにフーバーにもエプロンをつけさせ、まるで涎掛けをかけたようにしか見えない状態で、巨大鍋の前に立った。
 フーバーの体ほどもある鍋には、すでに水が運び込まれているようで、その巨大な鍋の下には、火がくべられるようになっている。
 儀式用の料理を作るときなどに、鍋に梯子をかけて、材料などを入れていくしかないかと、ヒューゴはそれを見上げて思った。
「…………ねぇ、軍曹? これ、百人分っていうより、三百人分くらいないかな………………?」
「うむ――鍋に対して、材料が少なすぎるかもしれないな。」
「きゅぅぅぅー。」
 二人と一匹は、巨大な鍋を見上げて、一様に立ち尽くした。
 なんだか、無理矢理参加させられたけど――コレって、ただの呈の良い、「三種類の料理を、大人数分作らされる賄係り」って言わないかな……………………?
 楽しむ面々の騒ぎを背に、ヒューゴはどうしてもそう思う考えが、頭から離れずにいたのであった。






ごぅぅぅぉぉぉぉぉーーーーんっ!!!
「料理、スタートぉっ!!」






 大きなドラの音と共に、料理を始めなくてはいけなくなった。
 耳をツンざめくような音に、思い切り顔を顰めて耳に手を当てていたエースは、まだ耳の中に音が残っているような気がして、小指を右耳に突っ込んでみた。
「これから料理を作るって言うのに、何してるんだ、お前はっ!」
 ごいんっ! と思い切り拳で彼の頭を叩き、ジョーカーはまったく、と両腕を組んだ。
 その隣で、クイーンが服の袖を巻くりながら、さっさと手を消毒しな、と冷たく言い放つ。
 ゲドはさっさと彼に背を向けて、用意された食材の吟味を始めている。
 エースは手加減なく殴られた頭をさすりながら、ジョーカーに悪態づく。
「俺の耳のクソはな、すんごい美味な調味料なんだぜ? それを勿体ない。」
「ならあんたが食べてみなよ。」
 いつのまにかエースの背後に立っていたクイーンは、問答無用でエースの右手首を掴むと、ぐい、と無理矢理彼の口元へ指先を持っていく。
「うわわわっ!! じょ、じょーだんだろ、じょーだんっ!! 真面目にやるってばよっ!!」
 慌てて顔を大きくそむけて叫ぶエースに、始めからそうしなと、冷たく言い放つと、クイーンは大きめの鍋の中に水を注ぎ始めた。
 エースは渋々手を洗い、ピピッと水しぶきを飛ばすと、早速辺りを見回し、食材を確認すると、
「じゃ、今日のメニューは、から揚げとコンソメスープと、オムレツでどうだ?」
 うん、と顎に手を当てて一人納得していたが、水の入った鍋に火をつけるようにジョーカーに頼んだクイーンは、振り返り様お玉でエースの頭を遠慮なく殴った。
 カーンッ、と良い音の鳴る頭に、中身は空っぽかい、と悪態づいて、彼女はお玉をエースに握らせた後、
「大勢居るのに、そんな面倒なことはできないよ。
 いいかい? ベーコンとほうれん草を切って、ベーコンとほうれん草のスープを作りなよ? あたしは、ゲドとバーベキューの準備をするからね。」
 スチャン、ともう片手で手にした包丁を片手に宣言する姐様に、思わずホールドアップしてお玉を受け取ったエースは、はい、と素直に頷いた。
 そんな彼に、よし、と唇を歪めて微笑んだクイーンは、そうそう、と付け足すのを忘れない。
「そのお玉、ちゃんと洗ってから使っておくれよ? 私は、あんたのフケと白髪のついたスープを飲むのはごめんだね。」
 ひょい、と肩を竦めて食材の方向へ歩いていくクイーンに、
「ならお玉で殴るなよなっ!」
 と小さく毒づいて、ヤレヤレとエースは火にかけた鍋を向いた。
 そこでは、アイラが背伸びをして鍋を覗いている。
 隣からジョーカーが左手を伸ばして、アイラに近づかないように言った後、すぐに右手から炎の矢を飛ばす。
 ボンッ! と激しい音を立てて、一気に薪に火がつき、大きな炎が舞い上がった。
 鍋の底を焦がすかと思うほどの炎に、エースは軽く眉を顰める。
「おいおい、ジョーカー。そりゃちょっとサービスしすぎだぜ? これじゃ、あっと言う間の煮えたぎっちまう。スープは、ゆっくりダシを取るもんだ。」
 手にしたお玉を洗い、ついでにスープのダシ用の骨を幾つか手にして、ズカズカとエースは鍋に近づいた。
 そして、炎の勢いが激しすぎたためか、一瞬で沸騰直前まで言ってしまった鍋の中身を見て、水が煮えかけているのに大きく顔を顰めた。
 モウモウと上がる湯気が、天井に上がっていく。
 バシャバシャと音を立ててお湯の中へ骨を放り込むエースを、アイラはキョトンとして見つめた。そして、鍋の中をもう一度覗き込むと、透明な色を称えた水を見て、軽く首を傾げた後、くるんと踵を返して食材が乗せられている調理用テーブルへと向かった。
 そんな彼女を肩で見送り、エースはジョーカーを見る。
 ジョーカーはと言うと、バカにするなと言いたげに、ひょっこりと肩を竦めて見せた。
「沸騰しないように、鍋が溶けないように、加減くらいする……。で、お前さんはちゃんと用意したのか? スープの調味料の。」
「――――…………え、いや、今お玉を…………。」
 ん、と目を流して尋ねられたエースは、ひょい、と手にしたお玉を持ち上げ、コレが、と説明をするが、軽く眉を顰めた「そんなことだろうと思った」というジョーカーの視線にぶつかり、それ以上の言葉を口にするのは止めた。
 代わりに、大きくふんぞり返り、
「ま、今ダシを取るために骨を入れたばかりだから、とにかくアクを抜いて、沸騰しないように火加減を調節するぞ。」
 お玉を大きく振りかざして、宣言した。
 そうこうしているうちに、鍋の中に入れた骨から、アクが浮いてきて、エースは慌てて炎の熱に顔をゆがめながら鍋を覗き込んだ。
 お玉をソウ……と沈めて、普段からクイーンやジャックに無言で鍛えられてきたアク抜きの腕を披露した。
 披露したのだが。
 お玉の上に乗ったアクを落とす場所がなくて、そのまま硬直してしまう。
 ジョーカーは、ヤレヤレとため息を零して、火加減の調節をするために、鍋の側にしゃがみこんだ。
 ゴウゴウと勢い良く燃える炎は、確かにちょっとばかり大きすぎるようであった。
 一瞬で水を沸かしてしまえるほどの熱を発射してしまったのなら、もう少し炎は小さくても良かったのだ。
 仕方なく、炎を小さくしようと、ジョーカーは熱さに手を出したり引っ込めたりしながら、薪の本数を減らすことにした。
 エースもエースで、お玉を持ったまま、何かアクを入れるような容器を探すために、鍋から離れていく。
 炎が燃えたままの薪を一本ずつ取っては、それを隣の竈に積んでいく。小さな焚き火が出来てしまったが、どうせこれもバーベキューで使うだろうと、ジョーカーはそのままにしておく。
 すぐ側でジャックが鉄製の串を何十本も用意しているのが見えたので、一応彼に声をかけて、バーベキュー用の火種を消さないようにしておけと、そう頼み込む。
 ジャックはコクンと頷くと、自分が用意しかけていた鉄の串を抱えて、竈の近くへと移動してくる。
 そうして、大きな鍋を見て、軽く首を傾げた。
「………………コレ………………辛いスープにするのか………………?」
「は?」
 唐突に言われた内容がわからず――何せ、水の中に骨を放り込んだだけの状態なのだ――ジョーカーがジャックの言う内容を尋ねようとしたその瞬間であった。
 ジョーカーの頭の上――鍋の上の方で、ぱしゃん、ぱしゃん、と音がしたのは。
 と、同時。
「だーっ!!!! 何やってんだ、アイラーっ!!!!!!」
 悲鳴に近いエースの声が、辺りに響き渡った。
 見上げると、思い切り背伸びをしたアイラが、手にした籠の中身を、ためらうことなく鍋の中に放り込んでいるところであった。
 慌てて駆けつけたエースが、バッ、とアイラから籠を奪い取ると、彼女は軽く唇を尖らせて、エースから籠を取り戻そうとする。
 けれどエースは籠を大きく頭の上に掲げて、その中から中身を一掴み取り出すと、それを自分の前に見せて――真っ青になる。
「こ、これ、赤唐辛子じゃねぇかっ!!」
「青唐辛子も入れたよ。」
 見事な赤々とした、辛そうな物体に、慌ててエースは鍋を覗き込もうと、鍋の縁をわしづかみにした。
「………………〜〜〜あ、あっちぃぃぃーっ!!!!」
 モウモウと湯気の立つ鍋は、当たり前ながら高熱であった。
 顔まで真っ赤になったエースは、両手を挙げて、飛び上がった。
「水っ、水水水ーっ!!!!!」
 ダッシュで元来た道を戻り、水を求めて走り去るエースに、残されたアイラは、空中にとんだ籠を見事にキャッチして、再び何事も無かったかのように籠の中身をすべて鍋の中に入れた。
 そして、空っぽになった籠をポイと捨てると、指折り数え始める。
「えーっと、後はチリソースと、ナンプラーもほしいかな? それから、バジルと――。」
「…………アイラ。」
 炎の加減を見るために、屈みこみ続けていたジョーカーは、そんな彼女に、低く呼びかけた。
 アイラは、ん? と首を傾げて彼を見下ろす。
「さすがにソレは――……バーベキューには、あわんのじゃないか?」
「――そーかな?」
「そーだな。」
「………………でも、もう入れちゃったよ?」
 くり、と鍋を見て――だんだんと湧き立ってくる鍋の中身が、とてもスパイシーで辛そうな香がしてきたような気がして、ジョーカーは、そうだな――と、短く答えた。
 両手を水につけたエースが、向こうから叫んでくる。
「だいたい、なんでお前がコッチに居るんだ、アイラっ!? お前、カラヤ族だから、普通はヒューゴと一緒に料理を作るもんだろーがっ!!?」
 俺の黄金のコンソメスープが……っ、と、泣き言のように叫んだエースに、アイラは唇をすぼめるようにして尖らせると、
「そこにちゃんと私の名前も書いてあるじゃない!」
 びしり、とテーブルの上にある名札を示して見せた。
 そこには、「ゲド様、クイーン様、ジョーカー様、ジャック様、アイラ様、エース様」と書かれていた。しかもアイラの名前は、エースよりも先に来ている。
「アイラは、パーティの一員だ。」
 ぼそり、とジャックが呟き、アイラはそれを聞いて嬉しそうに目を輝かせると、どうだ、とエースを見た。
 エースは、思わずゲドの方を振り返ったが、ゲドは手馴れた手つきで、丸々一頭の牛を、豪快に捌いている最中であった。
 隣でクイーンは、野菜をリズミカルに刻んでいる。
 その二人の背中は、まるで、
「スープはあんたに任せたはずだよ?」
 と、無言でエースを責めているようで、彼は顔を歪ませずにはいられなかった。
 そして、ガリ、と頭を掻くと、
「くそっ!」
 小さく呟いて、ぎりり、と唇をかみ締めた。
「ええいっ、このエース様の実力を見ろっ! 学識もあって、腕も完璧な俺には、実は料理の才能もあった!」
 がし、と食材の中からほうれん草とベーコンを取り出し、さらに調味料も各種取り揃えると、両手にそれらを持って、バン、と鍋へと向かい合った。
 何がなんでも、ベーコンとほうれん草のスープを作り上げるつもりである。
 たとえ、辛味調味料で骨のダシに強烈な隠し味がついていようとも、何とかなるはずだっ!
 彼は、そう思って、鍋を振り返った。
 だが、その鍋には、いつのまにかクイーンとゲドが立っていて、どこからともなく取り出した味見用の皿に舌をつけて味見をしていた。
「――……ん……少し脂っぽいね。骨の入れすぎかな。」
 クイーンが、舌先に残った脂の味に、軽く眉を顰めて唇を歪める。
 同様に味見をしていたゲドは、彼女の台詞に頷いたあと、小さな皿をアイラに返しながら、助言する。
「唐辛子でもう少しダシを取ったら、唐辛子を掬い上げ、表面に浮いた脂を丁寧に掬い取ればいい。」
「和紙でも浮かせて、アクも取ったほうがいいかもしれないね。……アイラ、頼めるかい?」
「うん!」
 二人の言葉に、アイラは大きく頷き、クイーンからこれから入れる調味料一式を受け取った。
「どうせ、ピリ辛風味になるなら、いっそ鶏肉でも入れて、鶏肉ピリ辛スープにしたてあげたらどうだ?」
 やっと薪を適量にすることが出来たジョーカーが立ち上がり、膝を何度か折り曲げながら提案する。
 その言葉に、それじゃ香草も幾つか入れようと、結局いつものようなゴッタ煮スープにしたてあげることをクイーンが笑って告げた。
 ゲドはそれに頷くと、好きにしろと言いたげに踵を返し、また元のように牛の肉を捌きに戻った。
 あらかた捌き終えた牛は、あと三頭ほど残っている。そのすべてを捌き、すべてを切りやすく仕立て上げるのだ。
「………………………………。」
 またいつものパターンかと、サクサクと自分を置いて進められていく展開に、エースはガックリと肩を落とした。
――もっとも、コレでめげていては、ゲド隊の経理係り、なんて名乗ることなんて出来ないのであったけれども。






「えーっと――……まずは、火を起こさないとね。」
 ドラの音と共に、ヒューゴはジョー軍曹と共に、大鍋の下にしゃがみこんだ。
 小さな火打ち石を手に、簡単に燃えるような物はないかと、キョロリと辺りを見回すが、紙切れ一つとして見つかりはしない。
「まったく、何も用意していないのか。」
 呆れたようなジョー軍曹の羽を見て、無言でヒューゴは手元を見やった。
 火打石は、まるでヒューゴの思ったことを現すかのように、キラリと光って見えた。
「……仕方がないな、ヒューゴ、火打石を貸してくれ。」
 ばさり、と、至極良く燃えそうな羽根の手を差し出されて、思わずヒューゴは頭に浮かんだまま、両手で火打石を握り締めて、ぎゅ、とジョー軍曹から石を庇った。
「だ、ダメだよっ! 軍曹! 焼き鳥なんてっ!!!」
「――――…………はぁ?」
 吊り目でキッと睨みつけるヒューゴに、ジョー軍装はワケが分からないと言った顔になって、ヒューゴ向けて差し出した掌を、ヒラリヒラリと舞わせた。
「鳥は、焼くんじゃなくって、スープにするんだろう? 鶏ガラスープは、トムヤムクンの基本ベースだぞ。」
 そのスープを作るためにも、鍋を火にかけなくてはいけないのだと、軍曹は再び掌を差し出した。
「なんとか直接薪に火をつけてみるから、火打石を貸せと言っているんだ。」
「――……あ、そ、そっか――うん、分かった。」
 あはは、と乾いた笑い声を零して、ヒューゴは軍曹に火付け石を渡した。
 カツンッカツン、と音を立てる火打ち石は、何度か火花を散らせるが、乾いた薪に当たって、火花はあっけなく消えてしまう。
 軍曹は顔を顰めて、器用に羽先で火打石を鳴らし続ける。
 ヒューゴはソレを見ながら、やっぱりどこかで紙か何かを貰ってこようと、踵を返しかけたその瞬間であった。
「火炎の矢!」
 びしり、と厨房内に響き渡るような凛とした声と共に、ボゥッ、と天井まで届くかのような炎が舞い上がった。
 振り返ったヒューゴは、炎の紋章が空中に浮き立ち消えていくのを認めた。
 ゲド隊の一人であるジョーカーが、竈に火を入れるために、紋章を使ったのである。
 ボウッ、と激しく燃え立った炎が、鍋を真っ赤に染め上げたのが見えた。
「あれ、便利だね、軍曹…………。」
 呆然と見つめるヒューゴは、傭兵というのは便利な方法を知っているもんだと、感心する。
 しかし、カツッ、カツンッ、と火打石を鳴らし続けている軍曹は、彼を目だけで一瞥して、下手な考えはよせと、忠告する。
「あんな荒業は、炎と相性がよっぽど良いヤツくらいが出来るもんだ。真似をしようなんて、考えるんじゃないぞ?」
 かつんっ、と、ヒューゴを見ながら打ち鳴らした火打石から飛び出した火花が、シュボッ、と小さな音を立てた。
 その音に、ツイ、と視線を動かせた軍曹は、自分の足元近くに炎が飛び散っているのを認める。
「…………っ!」
 慌てて立ち上がった軍曹の羽に、炎がチラチラと燃えていた。
「うわわっ、軍曹っ!!」
 慌ててヒューゴは手近にあった物を引っつかみ、それで軍曹の羽に飛び火した炎を叩く。
 フーバーも大きく翼を振りかぶって、バッサバッサ、と軍曹向けて風を送った。
「――……っ、ふ、フーバーっ、炎を煽るなっ!」
 軍曹の体を焼こうとする炎が、更に大きく煽られて、小さな炎の塊が飛び火する。
 軍曹の体を焼いていた炎を叩いていたヒューゴは、慌てて飛んできた炎から体を退かせた。
「フーバーっ! ストップっ! 止めっ!!」
 厳しくヒューゴが一声飛ばすと、とたんにフーバーは動きを止めて、辺りを吹き荒らした風が止んだ。
 なんとか治まった風に、フゥ、と吐息を零したヒューゴは、バタバタと必死で炎を掻き消している軍曹の羽根音に、
「うわっ、ごめん、軍曹っ!!」
 手にした物で、必死に炎を叩き消した。
 しかし、風のおかげで随分大きく育ってしまった炎は、ちょっとしたもので叩いても炎を消すことはなかった。
「フーバーっ! その鍋の中の水、ぶっかけてっ!」
 鋭く叫んで、ヒューゴは軍曹の体を必死で叩き続ける。
 フーバーは小さく鳴いて、鍋の中の水をくちばしで吸い込むと、思い切り良く軍曹の体についた炎目掛けて、水鉄砲を撃った。
 ジャババババ!!
「うぉっ!?」
 小さく叫んだ軍曹から、ヒューゴは身を翻して水を避けた。
 フーバーが飛ばしてくれた水のおかげで、軍曹の体は右側に黒ずんだ焦げ跡を作るだけですんだ。
 少しばかり、鶏肉の良い香がした。
 軍曹は、プルプルと首を振り回して、グッショリと体を濡らす水を飛ばすと、ブルリと体を振るわせた。
「ふぅ、ひどい目にあった。」
 ポタポタと足先から落ちる水を、ぴしょん、と飛ばしきって、軍曹は帽子を被りなおすと、心配そうに自分を見下ろしているフーバーに礼を言って、大丈夫だとヒューゴに笑いかけた。
 ヒューゴは、自分が握っていた物を見下ろし――軍曹の体を叩いていたものが鶏肉であったことに気付く。羽根をむしった後の鶏肉は、軍曹の体についた炎を叩いていたために、軽く焦げ目が出来ていた。
 そこからも肉の焼ける匂いがしていた。
「――――………………。」
 ヒューゴはそれを無言で見つめて、それから軍曹の体の黒ずんだ部分を見て、当たりに漂う鶏肉の良い香に鼻をうごめかせ――ニッコリと、軍曹に笑いかけた。
「ぐ……軍曹が無事で、良かったよ…………。」
 この匂いって、俺が持っている肉かな? それとも――…………軍曹……………………?
「これくらいは平気だ。さぁ、それよりもヒューゴ、早く鍋に火をつけるぞ。
 少々遅れをとってしまったようだ。」
 パンパンと、水気を払いながら軍曹は辺りを見やって告げた。
 ゲドたちの部隊も、着々と料理を作っているように見えたし、何やらバタバタしているゼクセン騎士団も、料理の準備が進んでいるように見えた。
 ヒューゴは鶏肉を手にしたまま、そうだね、と頷き、鍋を見やり――――あ、と小さく呟いた。
 そこには、いつのまにか小さな炎が燃えていたのだ。
「きゅぅおぉおおー!」
 フーバーが、バッサバサと羽根を大きく動かし、鍋の下に出来た小さな火種へと、風を送る。
 見る見るうちに力強く燃え始めた炎に、軍曹は軽く目を見張り――それから、シニカルに笑ってフーバーを頼もしげに見上げた。
「フーバー! どうやら、お前の風は無駄じゃなかったらしいな! ――あやうく俺は、死にかけたがな。」
 とん、とフカフカの羽毛に包まれた腹を軽く叩いて、軍曹が笑う。
 フーバーは楽しげに喉を逸らし、もう一度鳴いた。
 そんな二人に、ヒューゴも口元を緩めて笑った。
「はははっ、良かった。これで、料理にかかれるね。」
 手にしていた鶏肉を掲げると、軍曹はオッ、と感心したように唸った。
「ヒューゴ、お前、もう鶏ガラスープの準備をしているのか。」
「え……あ………………う、うん。」
 あはは、と掲げた鶏肉を見て、軍曹を見て――どちらの焼ける匂いも似たようなものだなぁ、なんて、とても口に出来ないようなことを思いつつ、ヒューゴはさりげなく視線をずらした。
 これって、共食いって言わないよな…………? と言う気持ちは、同じ鳥類であるフーバーと軍曹相手に聞けることではないことを、長年の付き合いから、ヒューゴは良く知っていたからである。
 ちらり、と目を向けた先で、エースが叫び、ボルスが指を抑えて天井を見上げていた。
 ――――――………………俺も、料理を作るときくらいは、人間の仲間が欲しいと思うのは、ワガママなことなのでしょーか?
 ヒューゴの、そんなちっぽけな心の言葉は、誰にも届くことはなかった。






 大きなドラの音と共に、さっそく動き出したゲド隊とヒューゴ達とは逆に、まず教本と言う名の料理ブックを改めて見たのは、ゼクセンの騎士達であった。
 それぞれが個性豊かなエプロンを身に付け、用意された食材と道具を見比べている。
「せめてルイスの参加が認められていたなら良かったのだが……。」
 渋い顔で呟いたクリスは、準備されたテーブルに書かれた、「クリス様、サロメ様、ボルス様、パーシヴァル様、レオ様、ロラン様」という六人の名前に、ため息を零してみせる。
 一度でも従者として正騎士に就いたことのある人間ならば、正騎士の身の回りの世話をするため、最低限の作法は学ぶものだ。
 それはクリスたちとて例外ではなかったのだが――就いた正騎士によって、その「作法」のランクは大分異なってくる。
 ルイスの場合は、六騎士の食事のことも世話をすることが多かった――現在の状況的に、どうしても遠征が多かったからなのだが。
「お茶なら入れられるのだけど……。」
 眉を顰めて、クリスは小さな片手鍋を手にして、呟いた。
 紅茶に関しては、大分詳しいほうだと自負しているが、それとこれとは別問題である。
 サロメは、料理ブックを手にして、この料理対決の前に、真剣な顔のルイスから指差された項目を開いて一同に示した。
 そこには、コレとコレなら、大人数分を少時間で作れるはずです! と、ルイスの手で大きく書かれていた。
 つまりは。
「…………海藻サラダと、シーフードカレー…………??????」
 それって、ゼクセン料理?
 なんて、突っ込みたいようなものであった。
「まぁ、港があるため、ビネ・デル・ゼクセでは魚料理が良く好まれていますし……、ある意味、ゼクセン料理といえばゼクセン料理でしょうね。」
 顎に手を当てて呟いたパーシヴァルは、チラリと食材が置かれているテーブルの上を見た。
 そこには、新鮮な魚介類が山積みになって置かれていた。
 ゲド隊のテーブルには、野生味溢れる肉や野菜が置かれ、ヒューゴたちの方には、鶏肉と香辛料がどっさりと積まれている。
 確かに、お国色溢れる光景であることには違いなかった。
「魚か……それなら、刺身とかもいいんじゃないのか? あれは、別に特別な味付けも必要ないだろう?」
 後は、ご飯を炊くくらいでいいじゃないか、とボルスが提案するのに、ロランが軽く目を眇めて、テーブルの上に乗っている魚達を指差した。
「……誰が、アレを捌くのですか?」
「――――――――――――――――――。」
 沈黙が舞い降り、ボルスは視線を逸らし、大鍋の方へ向き直った。
「水は張ってくれてあるみたいだな。サロメ殿、まずわれわれは何をしたらいいんだ?」
 カレーを作る気満々で、ボルスはエプロンの紐を締めなおす。
 そんな彼らに、薪ならいくらでも割ってやるぞと、いつもの武器の代わりに小さな手斧を持ったレオが、豪快に笑ってみせる。
 それってつまり、料理は作る気はないということかと、パーシヴァルが呆れたように突っ込むのに、彼は軽く肩を竦める。
「海藻サラダの手伝いくらいならするが、海藻を洗うだけなら、カレーが出来る直前で十分だろう?」
「確かに。」
 くすり、と笑って、パーシヴァルは料理テーブルの上に乗せられた魚を吟味する。
 やはりシーフードカレーに入れるなら、エビとイカとアサリ貝。――いっそ、パエリヤを作る方に宗旨替えするのもいいかもしれない。
 実家の方では、海の畑よりも、地上の畑に成る物ばかりを相手にしてきたパーシヴァルは、できることならシーフードカレーよりも普通のカレーの方が良かった。それなら、出来の良いジャガイモの見分け方も、玉ねぎを剥いて泣かないで済む方法も、熟知しているのだから。
 さすがに、鮮魚の見分け方なんて、うろこの光具合と目の光沢くらいしか知らないし――と、白身魚を手にして、パーシヴァルが振り返った先で。
 彼は、自分が考えていた事実よりも、相当まずい状況であることを知った。
 パーシヴァルが、材料の吟味をしている間に、取り返しのつかない展開まで、進んでしまっていたのである。
――さて、話は少しだけ遡る。
「まずは、基本となるスープを作るため、鍋に火をつけましょう。」
 料理の本を伏せて、そう宣言したサロメに、ボルスが手際よくマッチで紙燭に火をつけ、それを使って薪に火を移した。
 ゆっくりと火種が広がり、そう時間の経たないうちに、鍋の底を覆うほどの火に成長する。
 これは、いつもの野宿でも行っている作業のため、苦難に思えることでもなかった。
 ただ、ここからが問題なのである。
 いつもなら、石の竈と薪を用意し、汲んできた水に火をつければ、あっという間に硬い干し肉や干し飯が、雑炊に早変わりするのである。
 食前の運動だと、剣を交えあったり、今後の進路について相談したり、瞑想したり――六騎士が各々の時間を費やしているうちに、ルイスが材料を食事に仕立て上げてくれるからだ。
 しかし今、この場に、ルイスは居なかった。
「スープというのは、どう作ったらいいのだ?」
 クリスは、料理の本を見ていたサロメに、透明な水を見ながら尋ねる。
 彼女が知っているスープというのは、香高く、うっすらと色がついたものだ。
 今鍋の中に入っているのは、どう見ても水にしか見えなかった。沸騰したら色がついてくるわけではあるまい。それとも、魚を放り込んだら、カレーのような色になり、トロミも出てくるものなのだろうか?
 刺繍だの、料理だの、そういうものを一通り習いはしたが、どうにも相性が悪かったクリスには、あの生物たちが食べ物になるのは、不思議で理解できない光景であった。
「コンソメスープを使うらしいのですが――……。」
 チラリと料理の本を見たサロメは、綺麗な金色に見えるスープと、目の前の透明な水とを見比べた。
 しかし、答えは出てこない。
 コンソメの素、なんていうものが料理の材料テーブルにあるはずもなく、見やった材料テーブルでは、パーシヴァルが物珍しそうに材料を手にとっている光景が見えた――実際は違ったのだが、彼らにはそう見えた。
「コンソメスープですか?」
 ロランがいつもの無表情に見える顔で呟くのに、ボルスが頷く。
「ああ、コンソメスープだ。――いつも飲んでいるものなのに、いざそういわれると、どんな味なのか、わからないな……。」
 む、と唇を歪めるボルスに、クリスも重々しく頷く。
「鉄錆のような色だというのは覚えているのだが。」
「…………てつさび………………。」
 それはちょっと、飲みたくないですよ、と、クリスの今更ながらのたとえ方に、サロメが苦笑を滲ませる。
 そんなクリスの台詞に、そのような色なら――と、ロランが顔を向けて答えた。
「透明な水が、そんな……こげたような色に変わる方法は、知っています。」
「本当か、サロメ?」
 クリスが慌てて目を向けると、ロランはコクリと頷く。
「それって、水錆とかじゃないのか?」
 しゃがみこんで火の具合を確認していたボルスは、胡散臭げにロランを睨み上げるが、ロランはきっぱりとかぶりを振る。
「いいえ、違います。火にかけて、ほんの少し待てば、すぐに綺麗な飴色に変わるのです。」
「そうか――それは、どうすればいいんだ?」
 言い切るロランを信用することにして――というよりも、ほかに頼るものがない。渡された料理の本には、コンソメスープとしか書かれていないのだから――、クリスはロランに先を促した。
 彼は、もちろん喜んでクリスに教えた。
「魔法の白い粉ですよ。」
「魔法の…………。」
「――……白い、粉…………?」
 それは一体何だと、クリスとボルスが己の唇の中で反芻するのに、ロランはキョリロと辺りを見回し、すぐに大きな茶色の袋に入った目当ての物件を発見した。
「アレです。アレを、水よりも大量に入れて火にかければ、いいのです。」
 ロランの細い指先に示された場所に置かれているものを見て、クリスは目を丸くして、サロメは軽く首を傾げ、ボルスは奇妙な顔をする。
「アレ、か?」
「アレです。」
「…………色がついている物も、一部で売られているとは聞くが――それなら確かに、飴色になりそうだが…………。」
 納得できかねない顔で呟くクリスに、ロランはゆっくりと頭を振った。
「いいえ、白色のものでも出来るのですよ、クリス様。」
 ロランの台詞に続けて、ボルスが感心したように呟く。
「なるほど――確かに、コーヒーなどは、アレでまろやかになるしな。スープもそうなのかもしれん。」
 なんとなく、違うんじゃないかなー、と思っていたサロメとクリスも、ボルスのそんな台詞に、そういう事もあるのかもしれない、と思った。
 思うと同時、それなら、と三人は茶色の袋の中身を取りに行くことにした。
――巨大な茶色の袋の中にたっぷりと詰まった、白い甘い粉…………砂糖を、たっぷりと鍋の中に入れるために。
 数分後。
「なんで砂糖を、そんなに鍋に入れてるんですかー!?」
 さしものクールなパーシヴァルさんも、人の背丈ほどもある茶色の砂糖入れを、クリスとボルスが二人がかりで鍋の中に入れている姿を見て、絶叫をあげてしまうのであった。
 ――すでに、半分ほどが入ってしまった後であったけれども。











 料理対決の行われている場所から、少しばかり離れた場所で、彼女達は黙々と手を動かせていた。
 ひょい、と軽い足取りで城の地下2階から続く階段を下りてきた少年は、交易所の近くで大きなテーブルを広げて何やら腕を動かせている師匠に気付き、あれ、と声を上げた。
 近づくと、かすかな灯りの下で、白い湯気の立つ白米の入った米びつを横に、アップル、ジーン、アヤメ、イク、サナエ、シズ、ネイ、ユミィ、ルシア、ルースが、テーブルの周りでおにぎりを握っていた。
 ホカホカと美味しそうな湯気を立てているおにぎりには、おかか、焼き鮭、ツナマヨなどが入っているようである。――どう見ても、普通のお結びであった。
「?? 何やってんの、アップルさん? 今日は料理対決の日だから、別に料理は作らなくてもいいんでしょ?」
 ひょい、と顔を覗かせたシーザーは、ボンヤリとしているように見える目を、師へと向けた。
 彼女は、湯気に曇りかけた眼鏡を軽く持ち上げて、苦い笑みを刻み付ける。
「料理対決で、みんな気持ちも盛り上がるだろうし、今まで溜まってきたストレスも無くなるでしょうけど――だからって、好みの食事にありつけるとは限らないでしょう? ……まともなご飯が食べれるとも、限らないしね。」
 彼女は、慣れた手つきでおにぎりを一つ完成させると、すでに幾十も作られている皿の上に、おにぎりを乗せていく。
「ふふ……だから、私達が――今まで有志として、料理を作るのに参加していた面々が、こうして、誰でも食べれそうな物を作っているというわけ。」
 おにぎりなら、多少好みが分かれたとしても、「辛すぎる」だとか、「濃すぎる」だとか、「変な味がする」という文句は出ないはずだ。
 それなら、普段普通に食べている米も食べれないはずなのだから。
 ジーンは、かすかに首を傾げて、悩ましげな肩のラインから、身につけたエプロンの紐を落としてみせる。
 そんな彼女の仕草に、おっと、と視線をずらしたシーザーは、彼女達が器用におにぎりを次々に完成させていくのを見守る。
「全員分の口にあうような料理を作るのは至難の業だけどね――。
 料理対決であぶれたり、お腹がたくさんにならなかったりした人の分を作るのは、それほど難しいことじゃない。
 別におにぎりじゃなくても良かったんだけど、コレが一番手っ取り早くて、万民に好かれやすいって、アップル殿がおっしゃるのでね。」
 おにぎりを握りながら軽く肩を竦めるルシアに、丁寧に握りこめていたユミィが笑う。
「でも、私、こういうの、好きですわ。」
「わたくしも。」
「これも花嫁修業の一貫だと思います。」
 きりり、と顔つきを険しくさせて告げるサナエが、その拍子におにぎりに力が篭りすぎて、ボロリと手の端から飯が零れる。
 慌ててそれを片手で支えようとするサナエに、アヤメが素早く手を伸ばし、飯を掬い取った。そしてそれをサナエに返してやる。
 そんな一連の出来事を眺めていたシーザーは、目を瞬かせて――すぐ側で燃えたつような賑わいを見せている一角を見やった。
「なるほど。」
 料理対決ですべてが解決できるわけじゃないっていうことを、アップルは見通していたわけか、と――こういう事に関しては、どうもマダマダだなと、シーザーは苦笑を覚える。
 何もかもを見通しているようなとぼけた顔のシーザーが、珠に見せる表情を見て、クスリとアップルは笑った。
「この案は、私の案じゃないのよ、シーザー。」
「…………じゃ、トーマスの?」
 もともとはトーマスから発案された「料理対決」であったはずだと、そう思い巡らせたシーザーに、更にアップルはかぶりを振った。
 そうして、チラリ、と城を――酒場がある辺りの城の壁を見上げて、柔らかに微笑む。
「料理対決の話を聞いて…………メイミがね。」
「…………メイミが?」
 未だに医務室のベッドの上で、疲れを癒している最中のはずの少女の名前を出されて、シーザーはいぶかしむような顔になる。
 そんな彼へ視線を戻し、アップルは見舞いに行ったときに彼女が告げていた言葉を思い出しながら、シーザーに内容を伝えた。。
 確かに料理対決ならば、別々のテーブルで別の料理を作るから、ゴッタ煮になることはないだろうし、料理を作る上での混乱もなくなる。いろんな人種が、いろんな料理を作ろうとするから、混乱するのは当たり前なのだ。だから、いっそのこと、料理を作る時間すらもイベントに変えて、じっくりと一種類の料理を、三グループが作るというのは、いい案だと思う。それを見物している面々だって、自分達が審査員だと思うと、普段なら食べない料理も口にして、味を見ようと思うだろうし――それがどんな味であったとしても、三種類も食べたら、お腹は膨れるだろうし、最低でも1種類は自分の舌にあう味を見つけるかもしれない。
 けれど、すべての味が合うとも限らないし、それですべての人がお腹が一杯になるとも限らない。
 事実、出された料理のすべてが舌に合わないと言い切る人だって居るのだ。
 なら、その人のお腹を膨らませるための料理を用意したいと、メイミは言ったのだ。
「――だから、私達が引き受けたのよ。料理対決の後なら、食べたいと思う人だって、少ないでしょう? それくらいなら、おにぎりでいいかな、って思って。……昔良くマッシュ先生が、作ってくれたのよ。」
 ふふ、と楽しそうに笑うアップルに、シーザーはなんとも言えない顔になった後、かり、と米神を掻いた。
「それじゃ――こっちは任せたよ。」
「ええ、任せて頂戴。」
 ぐ、と握りこぶしを掲げて、アップルは笑った。
 ちょうどその瞬間、料理対決の現場から、再びドラムが鳴り響いた。
 ハッ、と誰もが肩を揺らした。
――料理対決が、終了したのである。







「レディース エーン ジェントルメーン! さぁ、料理ができたようです!
 まずはハルモニア辺境警備第12小隊、ゲド隊長と愉快な仲間達のメニューから!!」
 ばぁんっ、と右腕をしならせて、良く響く声で堂々と宣言したナディールの頭に、どっごんっ、とエースのブーツが飛んだ。
「誰が愉快な仲間だ! せめて、強くかっこよく頭も良いエース様と、おかしな仲間達と言え!」
 きらりん、と顎に指を二本立てて45度の角度で格好つけるエースに、容赦なくクイーンがお盆を落とした。しかも、お盆に重石をテープで止めて落とすという、おまけつきである。
 ごぅんっ。
「あぐっ。」
「誰がおかしな仲間だい、誰が!」
「一番おかしいのは、エースじゃん。」
 ひょい、とクイーンの隣から顔を出して、アイラが呆れたように顎をそらした。
 隣でジャックが無表情にエースを見て――ぷっ、と小さく噴出した。
「まったくじゃ。」
 ひょい、と肩を竦めて見せたジョーカーが笑いながら、巨大な鍋をガラガラと引いてくる。更に隣には、たっぷりと肉汁が滴るバーベキューの肉がたくさん焼かれて置かれていた。
 ゲドは、ナディールに向かって皿を示すと、
「さきほど焼いたばかりだ。まだ材料もある。」
 そう言い切った。
 ゲドが思い切りよく捌いた牛の肉が、生のまま鉄の串に刺さって、山と置かれている。もちろん野菜もたんまりと串に刺されて置かれていた。
 ジャックとアイラが、テーブルの立ち並ぶ中、少し大きめの竈の準備を始める。ここで、残りの肉を焼こうというのであろう。
「おおっ! これは、なかなか高得点が出そうだっ!!」
 ナディールも、ゴクンと喉を鳴らせて、上等の霜降り肉とツヤツヤと鮮やかな野菜を見つめた。
 もちろん、観衆の心もゲットされている。
 ゲドは、そんな彼らを一瞥したあと、
「さぁ、食べてくれ。」
 さっさと。
 最後の一言だけ心の中で呟いて、この料理対決が早く終わればいいと、そればかりを考えていた。
――時を同じくして、ガラガラと一際大きな鍋を押してきたのは、ヒューゴと軍曹、フーバー達であった。
 ちゃぷん、とすっぱ辛い匂いをさせたスープの香が鮮やかに辺りに漂う。
 大きな皿には、巨大なパンが置かれていた。モチっとした食感と、あっさり風味をした薄いパンで、スープにつけて食べると美味しい物である。
 その鼻腔を擽る香につられて、ナディールはヒューゴたちの方を向いた。
「ヒューゴ殿の料理もできたようですね! こちらは、トムヤムクン! カラヤの特徴的な辛そうな匂いが、食欲をそそります!」
「ぅおおおおおー!!! うまそーだー!!!!!!」
 マイクを持ち直して叫ぶナディールの語尾にかぶさるように、ハレックが雄たけびを上げて、ドンドンドンドンっ、と自分の胸を叩いた。
 その目が、なぜかトムヤムクンの入った鍋ではなく、その隣……こげた羽根を気にしている軍曹に行っているような気がして、ススス……とヒューゴは足を蟹歩きさせ、軍曹の前に立つ。――ハレックやワン・フーたちの目に映らないようにと。
 一同の視線を集めて、ヒューゴは戸惑ったかのように目を揺らしてから、
「え、えーっと……たくさん作りましたので、食べてください。」
 ぺこん、とお辞儀をしてみせた。
 うぉぉぉーっ! と湧く場内に、どうして湧くんだろうと、不思議に思うヒューゴの肩へ、ぽん、と軍曹は手を置いた。
「ヒューゴ。後は結果だけだな。」
「だ、ダメだよ、軍曹! 今表に出たら、食べられちゃうっ!!」
 慌ててヒューゴはジョー軍曹を背中へ庇おうとし、軍曹は不思議そうに顔を歪めてみせる。
「???? 表に出さないと、食べれないだろうが???」
 会話がかみ合っていないのを承知で、ヒューゴは叫んだ。
「だから、食べられたら困るから、表に出さないんだよっ!!」
――と。
 さて、そんな美味しそうな鶏騒ぎが起きている現場へ、最後に出てきたのはゼクセン騎士団であった。
 彼らもまた大鍋と、ご飯の入った米びつ、そして大きなサラダボウルを用意してきていた。
 香ばしいカレーの香と、甘いバターライスの味が格別である。
「ゼクセン騎士団のシーフードカレーとバターライス、海藻サラダの登場です! 
 こちらもまた美味しそうです。
 さぁ、クリス殿? 料理をゲド殿、ヒューゴ殿と並べて設置してください。」
 ナディールの声に従い、クリスは大きな鍋を、そろそろと移動させた。
 結局、水をすべて捨てて作り直した品は、パーシヴァルの指示のもと、「人数が居たからなんとか出来た」という状況で、ギリギリ出来たものであった。
 パーシヴァルは、ゆっくりと煮込みたかったようであったが――時間がそれを許してはくれなかった。
 が、シーフードカレーの場合は、煮込みすぎると具が固くなってしまうということもあるから、それで良かったのかもしれない。
 ちょうどいい具合に色艶良く炊けたバターライスも、適当にした割には水加減も最高で、一粒一粒が立っている。
「…………すまん、パーシヴァル。世話になった。」
 鍋を設置し終えたクリスが、ちらり、とパーシヴァルを見て、小さく詫びる。
 パーシヴァルは、笑うやら呆れるやら疲れるやらで、苦笑を滲ませるようにして頭を振った。
「いえ、クリス様のお役に立てて、喜ばしい限りです。」
「パーシヴァル!」
 恭しく礼をして、クリスの手をさり気に取ろうとしたパーシヴァルを、すかさずボルスが怒ったような口調でとめた。
 それを聞いて、ヤレヤレと彼は両手を挙げて、何もしてないと言いたげにボルスに向かって笑ってみせる。
 ボルスは頭から湯気を立ち上らせたような顔で、何をしようとしていた、と詰め寄ろうとするが、
「さすがの俺も、シーフードカレーを作ろうとして、カラメルソースを作りかけた出来事は初めてだったと言っていたんだ。」
 しれっとして、ボルスの生涯に残りそうな汚点の一つを、楽しげに口にしてみせた。
 その台詞は、同時にサロメとロラン、クリスの心臓にもグサリと刺さり、彼女達はさり気に自分の胸元に手を当てる。
「う……そ、それはだな…………っ。」
 ボルスは言葉を詰まらせ、思わず空を仰いだ。
 もちろん、そこに答えはあるわけもなかったのだけど。
 そんな彼らを見て、レオはヤレヤレとため息を零す。
「――……何はともあれ、料理が出来たこと自体が、驚きだな。」
 いい香のする――味見をしても、カレー以外の味がしなかった鍋の中身を見て、ただただ感心するばかりであった。
――――――こうして、三人の対決者の作り上げた料理が提示され、料理対決の審査が始まるのであった。
















 あーあ、と両手で空を仰いで、少女は軽やかな足取りで階段を駆け上がった。
 とん、と最上段に足をつけて、彼女は身軽にクルンと振り返り、後からゆっくりと上がってくる「保護者」を見下ろした。
「料理対決! 面白かった!!」
 に、と唇の端から八重歯を見せて笑う少女の、こまっしゃくれた笑顔を見上げて、フッチはかすかに唇を緩ませる。
 興奮と楽しさが溢れていたあの場は、つい昨日までの、嫌な気分が溢れる食事場とはまるで違うように見えた。
 どうしても見たいというシャロンに無理矢理つれてこられて、ブライトの食事を早めに済ませて、彼女と一緒に料理対決を見たけれど――あれなら、明日はブライトと一緒に観戦しても良いかもしれない。
「――明日は、誰が対決すると言っていたっけ?」
 クルクルと両手を広げて回るシャロンが、夜空を埋め尽くす星空を見上げて、うん、と動きを止めた。
「確か、デュパさん達と、トーマスさん達と、リリィさん達だって言ってた。
――あーあ、ぼくもやりたいなぁ。そしたら、みんなに竜洞騎士団の名物料理をバーンッ! ってひろめられるのに。」
 軽く唇を尖らせてフッチを見下ろすシャロンに、フッチは苦く笑って見せた。
「しょうがないよ――誘われてないんだから。」
 ちぇーっ、とつまらなそうに呟くシャロンの声を耳に止めながら、フッチは彼女と同じように空を見上げ、煌々と照り輝く月を見つめた。
 軽く目を細めて…………苦く刻んだ微笑を歪め、唇の端を落とす。
「――――………………。」
 実は、昨日トーマスから参加してくれないかと言われたことは、フッチの胸の内だけの秘密にしておくことにした。
 何せ、それはその場できっちり、フッチがトーマスに断りを入れたのだから、もう誘われることはないだろう。
「あんなもの――世に出すわけには、行かないしね…………。」
 ぽつり、と呟いて、フッチはそれらを忘れるためにかぶりを振って見せた。
 どちらにしても、まだ料理対決は続き、そしてそれに自分達が参加することはないのだから。
「……それじゃさ、フッチ!」
 明るく笑って、最上段まで追いついてきたフッチに、シャロンは顎をそらして見上げて声をかける。
「ん?」
 優しく促すフッチに、シャロンは、
「今日アップルさん達が作ってたおにぎり! あんな感じで、竜洞騎士団の料理を出すっていうのは、どうかな!? アレなら、参加権もいらないでしょ?」
 これ以上ないくらいの良い案だと、提案してみせた。
 しかし、見下ろした先にある上司の娘の顔に――フッチは、笑顔を凝固させたまま、細く…………答える。
「いや…………ジーンさんは喜ぶかもしれないけど――……アップルさんも、それ、絶対、反対するし。」
「えーっ。なんで提案する前から、そう断言するのさ!」
「なんでも。」
 力なく言い切りながら、フッチはわざとらしいくらい視線をそらした。
――だってあの二人も、知ってるからさ……………………。
 そう、意味深な台詞を、こっそりと呟きながら。










 数日後、無事にトウタ先生のお墨付きを貰って復活したメイミは、なかなか好評だったらしい料理対決の結果に、トーマス達にこう提案した。
「一ヶ月に一回くらいの割合でさ、こういう料理対決もの、やってみるのもいいんじゃない?」
――彼女のこの提案が、どう処理されたのかは、目安箱の「賛成」の数が示していたという。
 かくして、ビュッデヒュッケ城では、毎月料理対決だけではなく、さまざまな催しが行われることになるのであった。
 それがまた、かの城を、少しだけ有名にしたというのは……また少し、別のお話。






天魁星様

55555代行ヒットありがとうございました☆
随分長くなったなー……と、しみじみと感動しておりますが、いかがなものでしょうか。
本当は、天魁星様のホムペの10万ヒット記念に間に合わせようと思っていたのですが、こんなに長くちゃ無理でした。
結局、結果はドレが一番だったのかは、あえて明記はしませんでしたが……お好みでお選びくださいませ(笑)。
ちなみに私は、料理で選ぶならカレーですが、ギャグ度で選ぶなら、ゼクセン騎士団、作った人で選ぶなら、ゲドさん達です(大笑)。いや、このメンツの中だと、一番まともな料理を作ってくれそうですから……(笑)。

最後に、おまけとして付け足した「竜洞騎士団」ネタの、「名物料理」=「竜殺し」で設定されておりますことを、ご理解いただければ幸いかと思います(笑)。