はもちろん私の物


 その日は、節分であった。
 この時期は、キャロの町は雪に埋もれてしまう。そのため、山荘も静かになり、人々はひっそりと家の中で暮らすのだ。
 雪を積んで作った雪だるまがそこここで見られる以外は、夏と異なり、とても静かな……はずであったが。
「おばちゃん、おばちゃぁぁーんっ! 豆! 豆、まだ残ってるぅっ!?」
 町外れの道場に住む、元気印の少女が、飛びこんできたのは、その日もくれようとしている時間であった。
 くるん、とカールした髪の先が、彼女の赤く染まった頬を掠める。
 大きくてパッチリとした目をキラキラと輝かせるさまは、思わず微笑みを誘われる。
「ああ、ナナミちゃんかい。豆ならあるよ。たんとね!」
 店じまいにしようかと思っていた店主の女は、笑いながら、店の角に詰まれたザルを指差す。
 ナナミはそれを見て、にやり、と笑った。
「じゃ、それちょうだい! えーっと、……ざる一籠分くらいかなぁ?」
 カウンターに手をついて、ナナミは元気良く笑う。
「ざる? 一籠? 何に使うんだい? 煮物?」
 言いながら、それは違うだろうと思った。
 実はつい一時間ほど前に、彼女の義弟が買い物に来たばかりなのだ。それも、今日中に食べなくては行けないような、賞味期限の怪しい魚を。
「ううん! あのね、蒔くの!」
 ぶんぶん、とかぶりをふって、ナナミが笑っていった。
 それを聞いた瞬間、おばさんは、はぁ? と目をしばたかせる。
「えーっと、どこだったかでやる行事? 見たいなものらしいの。ジョウイが本で見つけてさ。面白いからやってみようってことになったんだよ! 福を呼ぶんだって! おばちゃんもやる?」
 にこにこにこ、と全開の笑顔を向けられ、女はきょとんと目を瞬く。
「へぇ、ジョウイが?」
 ジョウイというのは、キャロの町でも有名な、大きなお邸の持ち主さんの家の長男である。
 やたらに綺麗な顔をしていて、キャロの町でも一番だと定評である。しかも礼儀正しく、優しい。はっきり言って、娘の婿には彼が欲しい! という母親が後を立たない。
 それでもそんな母親が、それを無理強いしないのは、ジョウイの親が、アトレイド家であるということと、彼自身についての出自が問題とされていたからだ。……ジョウイは、彼の母の不義の子ではないかと、言われていたから。
 何よりも、ジョウイが大切にしている二人の幼馴染のうち一人が、この目の前のナナミであるからでもあった。
 ナナミと彼の弟、リオは、その持ち前の明るさと可愛らしさで、町でも好かれていた。
 小さい頃は、あのゲンカクの養子で、戦争孤児だということからいじめられていたようだが、ジョウイという友人を持ってからというもの、2人は見る見るうちに自信をつけ、今ではキャロの町の人気者、とまではいかずとも、みんなに受けのいい者になったのは確かである。
 もっとも、それに反感を抱く者もいたが。
 そんなナナミと仲の良いジョウイを、密かに年頃の娘の母親達は決めつけていたのだ。
 彼はきっといつか、ナナミを嫁にもらうつもりだ、と。
 自分の娘にも幸せになって欲しいが、ナナミにも幸せになって欲しいと思っているおばさんたちは、そろって娘を差し出すのはあきらめた、というわけである。
 まだ2人の間に愛情があるとも限らないのに。
「そうなの! だから、豆を蒔くのよっ! で、えーっと、その豆を年齢分食べるんだっけ? ま、その辺はあとでジョウイに聞けばいいか。」
「で、豆を蒔いて、なんで幸せになれるんだい?」
 ナナミが首をひねてっいる間に、言われたとおりにザルに豆を持っていたおばさんが笑いながら尋ねる。
 道場の持ち主であった、ナナミたちの養父が死んだのが、半年ほど前のことであった。
 あの時からナナミたちは、見て分かるほどに落ちこんだりはしなかった。
 けれど、今のように何かしよう! と騒ぐことが無くなっていた。
 だから、どんな物であれ、こうしてナナミがやる気を起こしてくれるのが、おばさんにはとても嬉しかった。
「それはね! 鬼を追い出すからなんだよっ!」
 うきうき、とナナミが言う。
 しかし、そんな説明でおばさんがわかるはずも無かった。
「はぁ?」
「あのね、えーっと、その年一年の悪いことや、自分の中の悪い所……つまり、鬼ね。それを、豆で追い出すの。で、部屋に豆を蒔いてって、最後に玄関に蒔くのよ。その蒔いてるときにね、鬼は外、福は内、って言うの! しゃれてるでしょー?」
「へぇぇー。面白い祭りっていうか、行事があるもんだねぇ。」
 感心したように言って、おばさんはナナミにザルの中にはいった豆を手渡してくれた。
 それを受けとって、ナナミは懐に手を伸ばす。
 しかしおばさんは笑いながら首を振った。
「いいよ、代金は。」
「え? でも──……。」
 ナナミが困惑したような表情になるのに、おばさんは豪快に笑って、彼女の華奢な背を叩く。
「いいこと教えてもらったお礼だよっ! うちに福を呼んでくれる代金だと思っておいてよ。」
 ナナミはそれに、きょとん、とした顔をしたが、すぐに破顔して、頷いた。
「うん! ありがと! じゃ、リオたちが待ってるから……っとと、おばちゃん! でもね、その節分っていうんだけど、それって、実は明日の夜にするんだよっ! んー、明日、ジョウイと一緒にちゃんとしたの、教えに来るねっ!」
 豆を持って、ナナミは来たときのように勢い良く、雪の中へと飛びこんで行った。
 おばちゃんはそれを見送って、首を傾げる。
「明日……? じゃ、なんで今日、買ってくんだい……?」
 しかし、その疑問に答える声はもうなく、明日聞くしかないのであった。




 リオは、暖炉に火をくべて、姉の帰りを待っていた。
 側ではジョウイがイスに座って、本をめくっている。今から行う「お遊び」のための本である。
 かまどには、なべがかけられており、もうすぐ沸騰しそうだった。
 豆がいるね、とジョウイが言った瞬間に、止めるまもなくナナミが出ていってのが、つい先ほどである。
 どうせいつもの店に行ってるのだから、すぐに帰ってくるだろう。
 このお湯が沸騰するまでには。
「……リオ、いわしを玄関に干すって、書いてあるけど。」
「いわし? 今日の夕飯は、さばだよ。値切って買ってきたやつ。」
 ジョウイが本から顔を上げて言うと、リオがなべの近くに置いたままの魚を指差す。
 そうして、2人はしばし考えた。
「ま、今日のメインは豆まきのようだしね。」
「だしね。」
 どうやら見なかったことにするつもりらしかった。
 リオはそのままジョウイの側に歩みより、イスの背に手を置いて、彼の手元を覗き込んだ。
「どう? 面白そうなのある?」
「ん? ああ、星祭みたいなのがあるよ。」
「星祭……。」
 ジョウイが見ている、とある国の民族について書かれた本は、ゲンカクの遺品を整理していたときに見つけた物だった。
 もしかしたら、ゲンカクの生まれ故郷の事かもしれないと、笑いながら見ていた。それにジョウイが興味を持って、貸してくれといったのが、つい一週間くらい前の話である。
 そして今朝、これを持ってきて言ったのだ。
 明日やる催しみたいなので、面白いのがあるんだって。
「ほら、これだよ、7月7日。たなばた、だって。」
「七夕……七つの夕べ? なんか、不思議な字だね。」
 ジョウイに指で示されて、リオはくす、と笑った。
 思い出すのは、ゲンカクに星祭の出店に連れて行ってもらった日のこと。
 空に輝く星を見上げながら、ナナミと2人、手をつないで帰ったあの日々。
 もう戻ってこない日。
「幸せになりますように……そんな行事が多いね。」
 指で一年の行事をなぞって、リオが笑う。
「そうだね、幸せに──なりたいんだよ、皆。」
 そういうジョウイの顔が、どこか悲しくて、リオは不思議そうに首を傾げる。
「あたりまえだろ? そんなの。誰だって、辛くて悲しいのより、幸せになりたいって、思うよ。」
 それはそうなのだけど。
 そう言うのはとても簡単なのだけど。
 ジョウイは何も言わず、苦笑して見せる。
「それはそう、なんだけどね。」
 何と言って良いのか迷うジョウイの頭には、きっと寒い家の光景が浮かんでいたのだろう。
 暖房が効いていて、暖かいはずの家。何も不自由のない家。でも、あそこはジョウイにとって、冷たい針の上の家なのだ。
 幸せ……そう、あれも幸せと言ったら幸せだ。食べる者に不自由もしない、生活するのに何もしなくてもいい。
 母は自分に笑いかけてくれるし、父もそれなりの体裁を向けてくれる。弟だって……──。
 でも。
 自分が求めてる幸せはそれじゃない。
「でもね、ジョウイ。僕、今幸せだよ?」
 ふと、リオがそんなことを言った。
 目を向けると、彼は照れたように笑いながら、目を細める。
「じいちゃんは死んじゃったけど、ナナミがいて、ジョウイがいるでしょ? 何かね、胸のあたりが、いっつもぽかぽかしてるの。これって、しあわせ?」
────どうして、そう言う風に彼は、自分の求めている物がわかるのだろう?
「だから、本当は福を招かなくてもいいかなぁって思うんだよね。
 でも、ナナミやジョウイには幸せになってほしいから……って、うわっ、はずかしッ! 今のなし! なしだからねっ!」
 がばっ、と背もたれから身をもぎ離し、リオが背を向ける。
 そしてそのまま、放ったらかしだったさばを手にした。
 ジョウイはそっとイスを立って、リオの肩に手を置く。
「ありがとう。」
「…………────うん。」
 くす、と笑いあって、2人は顔を見合わせた。
 と、
ばんっ!!
「おねえさまのお帰りだよーっっ! 豆豆豆ーっっ!!」
 雪の色と、冷たい風とともに、ナナミが来襲した。


 ぐつぐつと煮こむ豆が、なぜか異臭を放っているのを、ジョウイとリオは、変な思いで見つめていた。
 こそこそこそ。
「ね、ジョウイ? ただお湯で豆を煮てるはずが、何であんな色になってるの?」
「僕のほうこそ聞きたいよ。僕がちょっと席を外してる間に、何を入れたんだい、ナナミは?」
「わかんないよ、それこそ。だって僕、マス探してたもん。」
「やっぱりさ、豆は煮こまないで、生のまま蒔いたほうが良かったんじゃないの? この匂い、絶対残るよ?」
「うーん、でもさ、鬼は、こっちのほうが逃げると思うけど?」
 こそこそこそこそ。
 ナナミが鼻歌を歌いがらなべを掻き回している後ろで、2人はこそこそと話を交し合った。
 異臭香り立つナナミの背中は、まるでどこかの悪い魔女が、変な薬を調合しているかのようであった。
「でもさ、福も逃げてしまわないかい? これだと。」
「…………────あ、そうかも。」
 リオが納得してしまったところで、ナナミが上機嫌に振り返る。
「さ、リオ! 豆、出来たよ〜。早速蒔こうかっっ。」
「……──あ、やっぱり蒔くの? 今日? や、やっぱり明日にしないぃ?」
 さすがに、一晩置いたほうが、この馬鹿なくらいの匂いもなくなるだろう、と思ったのだがっ!
 ナナミはそれに、ちっちっち、と指を振る。
「ばっかねぇ! 今日やることに意義があるんじゃないの!」
「で、でもさ、ナナミ? 一応節分は明日なんだし。」
 ジョウイが引き攣りながら言って見るが、
「だからこそ! よっ! いい!? 明日は皆に福が行っちゃうでしょ!? だから、今日中に蒔いて、私たちが福を多めに貰っておくの! リオとジョウイが幸せになるためにもねっ!」
 腰に手を当てて、きっぱりと言い切ったナナミに、ジョウイは驚いたように目を見張った。
「ナナミ……。」
 ナナミも、リオと同じように、自分とリオのために幸福を招くといってくれたのだ。
 それが、嬉しくて、思わず頷いていた。
「うん──ありがとう。そうだねっ! ナナミとリオにも、人一倍幸せになってもらわなくちゃねっ!」
 こうして、前日の節分が決行されたので、あるが。

「…………ジョウイ、僕ね、やっぱり人一倍の幸せなんて、無茶なこと言わないよ。
 だって、今の僕、幸せじゃないもん。」
 次の日、自分の部屋から異臭がするリオが、朝からそんなことを呟いていたとか、どうとか────。
 


…………なんで俺の書くジョウイって、こんなに暗いんだろう。
そしてどうしてジョウイとコンビのリオって、こんなに……くさいこというんだろう。
青いよ、君らも青いよーっっ!

ま、なんにせよ、節分ストーリーはこれでおしまい! おそまつ様でした!