「坊ちゃん! 明日は節分ですねっ。坊ちゃんが豆をまくんですよ。」
ウキウキした付き人の声に、まだ幼いマクドール家の嫡男は、勢い込んで頷いた。
「うん! いっぱいまこうねっ、グレミオ!」
にこ、とお日様笑顔を向けると、彼もまた、にっこりと笑い返してくれた。
物心つくときから側にいたグレミオは、いっつも笑顔で自分を見守っていてくれる。
そんな彼のために、彼の部屋にはいっぱい豆をまこうと、幼い心に決意をにじませ(笑)、少年は言った。
実は豆をたくさん蒔いたほうが、掃除が大変なのだが、幼い彼にそんなことがわかるはずもなかった。ただ頭にあるのは、グレミオの部屋にいっぱい福を呼んであげようという、それだけだった。
「豆はいくつくらい買いましょうか。うーん、坊ちゃん、お豆食べますか?」
グレミオは、買い物篭を左腕に引っ掛け、右手で坊ちゃんの手を引いて、商店に歩きながら、尋ねる。
通りすがる人が、グレミオの顔や坊ちゃんを振りかえっては、ほほえましく去って行く。
本人意識はしてないが、グレミオは美形である。
そんな彼に手を引かれながら、必死にグレミオについていこうとしている少年は、とても愛らしく映るのだ。
旅の人にしろ、そうじゃないにしろ、振りかえる人の割合がとても高い。
「食べる! ねぇねぇ、グレミオ。今年は誰が鬼をするの?」
てってって、とグレミオが必要以上にゆっくり歩かなくていいように、少年は必死で歩む。それを分かっている付き人もまた、彼に分からない程度にゆっくりと歩いていく。
「そうですねぇ、私かパーンさんがするんですけど……今年はいっそ、2人でやりましょうか?」
豆に当たるのが痛い為、本当は鬼役なんて頼まれてもやりたくないのが本音である。特にマクドール家の当主が、息子にイイトコロをみせようと、毎回毎回手加減せずに投げてくるので──やりたくないったら、ない。
しかし、坊ちゃんが喜んでくれるなら、少しの痛みも我慢できると言うものである。
そう思って提案したのだが、坊ちゃんは少し不服そうに頬をふくらませる。
「だめだよ。今年はグレミオも豆をまくの! 一緒に。」
「私もですか?」
きょとん、とグレミオが目を瞬く。
もともと節分と言うのは、その家の男子がまくのが慣わしであった。
だから、マクドール家の居候であるグレミオやクレオ、パーンには豆を蒔く権利はない。
いや、たぶん蒔きたいといったら蒔かせてくれるのだろう、あの優しくも厳格な主は。
でも、グレミオたちはいつも、テオやスイに幸あれと願っているので、自分たちが蒔くより、2人に蒔いて欲しいと思っていたのだ。
「そう! だって、グレミオ、今年はじゅなん続きだったでしょ?」
使いなれない言葉を使ったため、すこし言葉をもつれさせるスイに、グレミオは眉を顰める。
スイはそれを見て、少し悲しそうに言った。
「だってグレミオ、今年の春にこいびとと別れたって、クレオが言ってたよ?」
「…………クレオさん。」
なんで余計なことを言ってくれるかな、あの人は。
「しかも……えっと、ねとられた? んだってね。それも親友とか思ってた人に! で、そのひとともおんしんふつうだって、聞いたよ。」
誰だ、こんな情報をまだ六つになるかならないかの子供に教えたのはっ!!
密かに心の中で激怒しつつも、グレミオはそれを表に出さず、にっこりとスイを見下ろして聞いた。
「坊ちゃん、一体誰ですか? そんなこと言ったのは。」
それは穏やかな仮面であった。
だから、人生経験のあまりないスイは、その笑顔にコロッとだまされ、ついポロリと答えた。
「パーンとね、父上!」
「……──────あのひとたちは…………。」
パーン、今夜の夕飯抜きは決定のようであった。
「だからね、グレミオ可哀想なんだって。今年はいっぱいいいことあるといいねって、僕お祈りしたの。ほら、初日の出にお祈りするの。あれでね。」
きゅ、とつないだ手が、急激にあったかく感じた。
なんて良い子に育ってくれたんだろう、と母冥利に尽きた。
が、その原因がいかんせんダメであった。
「可哀想なんかじゃないですよー。私は。坊ちゃんも健康ですし、テオ様も順調に手柄をたててくださいますし、ね? ほら、いいことばかりじゃないですか!」
言いながら、こんなことばっかり言ってるから、恋人にも愛想つかされるんだよな、とか自分で突っ込んで見た。
実際、別れたときはそうショックではなかった。彼女に他に男がいるのは、うすうす分かっていたのだ。
しかし、それが自分の親友と思っていた男だったのは、ショックだった。
そしてそれっきり、2人は駆け落ちでもしたかのように音信不通になってしまった。それにも笑えるといったらない。
しばらく落ちこんで、正気に返れなかったくらいだ。
まぁもっとも、愛想つかされてもしかたのない状況だったのだから、しょうがないのだが。
「………………。」
明るく言ったのに、スイは疑わしげにグレミオを見上げる。
「ほっぺ。」
そして、やおらうつむいて、ぼそり、と呟いた。
「……は?」
「ほっぺ! その傷! それだって、この間……僕のせいで────。」
きゅ、と唇を噛んでしまったスイに、ああ、とグレミオは無意識に左手でなぞる。
頬に走った、まだ真新しい傷跡。
これは、今手をつないでいる、スイが誘拐されたときについたものだ。
あの時スイ自身も、命に別状はないものの、傷を負っていた。
「そう思うんでしたら、今度からは、妙な人についていったらだめですよ〜?」
くす、と笑いを含ませて言ったら、スイは困ったようにグレミオを見上げる。
「ついてかないよ、もう。だって、それでグレミオが痛くなるの、嫌だから。」
真摯な眼差しにそう囁かれ、将来が末恐ろしくなるグレミオであった。
なんと魅力的な目でそう言うのだろう。きっとこの子は将来、すばらしく人を惹きつける子になるに違いない!
親ばかとしか受け取りようのない台詞が、実現するのは、まだほんの少し先の話である。
「ねっ!? グレミオ、悪いことばっかりでしょ!? 僕、初日の出にお祈りしたのに、グレミオったら、先週も嫌な目にあったんでしょ?」
「先週……?」
何のことだと、眉をひそめるグレミオに、唐突にスイが両手でグレミオの右手を握り締めた。
「先週の初めの日だよ。あの日、変な男の人が家に来て、グレミオを縛って行ったでしょ!?」
「……──────っっ!! ぼ、ぼっぼぼ、坊ちゃんっ! そ、それはぁぁぁぁっっ!」
慌てるグレミオに気づかず、スイは深刻そうに眉を顰める。
「僕、助けなきゃって、言ったんだよっ!? でもね、クレオが、危険ですから、坊ちゃんはお部屋に行ってて下さいって……。」
しゅん、とスイはうなだれる。
どうやら、あの時、クレオにしたがってしまったことを後悔しているようだ。
「すぐにクレオが助けてくれたでしょ? 強盗って、いうんだよね、ああ言う人のこと。」
ごめんね、助けられなくて。
スイがすまなそうに謝るのに対し、なぜかグレミオの額に脂汗がにじみ出ていた。
「そ、そーですねっ、ええ、クレオさんには、ほんっとうに危機一髪のところを……ええっ! ええ、そうですそうです。」
なぜかスイの手を握る手が、汗ばんでいた。
でも賢いスイは、それがグレミオがあの時の恐怖を思い出しているからだと勘違いした。
そう、スイだって怖かったのだ。グレミオがやめてくれといっているのに、男は愉悦すら浮かんだ表情で、何やらぼそぼそと呟いていた。
見た瞬間、グレミオを縛って喜んでいる男が信じられなくて、怖くて怖くて、動けなかったのだ。
いつも助けてもらってるグレミオを、助けなくてはいけないというのに!
小さな正義感に罪悪感を覚えているスイのつむじを、グレミオは恐ろしい者でも見るかのように見つめた。
一体いつから見られていたのだろう? まさかあの時ではあるまい。
やはり、酒はいけない、そう、酒だけはいけない。
まさか軽い気持ちで誘ったのが、ああいうことになったとは言えない。いや、クレオは分かっていたようだが。
そうか、それで夕飯のときに、スイが必要以上にべったりしてきたわけだ。
だらだらとあせがにじむのを感じながら、グレミオはクレオに帰ったら問いたださなくては、と心に誓った。
「ねっ! だから、グレミオは今年、いっぱい豆をまいて、鬼さんを追い出さなくッちゃ! それで、福をいっぱい取らないと!」
「………………。」
さて、この場合の鬼とは、自分の周りにいるものだろうか、それとも身のうちにいるものだろうか。
思わず真剣に悩んでしまうグレミオであった。
スイは大きな目を真剣に輝かせ、グレミオに誓った。
「大丈夫! グレミオ! 今度こそ、僕が幸せにしてあげるからねっ!」
「────あ、ありがとうございます、坊ちゃん…………。」
さて、その日の夜のことである。
「グレミオグレミオ! 僕ね、いいこと考えたんだよっ!」
ホカホカの湯気を立たせながら、スイがお風呂から一直線にグレミオのもとまで走った。
「? どうかしたんですか?」
夕飯の後片付けをしていたグレミオの背後から抱きつくと、スイはにこにこと笑って彼を見上げた。
お勝手の入り口には、クレオが濡れた髪を拭きながら立っていた。
「さっきね、坊ちゃんとお風呂で話してたんだよ。」
言いながら、クレオがくすくすと笑った。どうやらスイは、先週の1件を話したようであった。これからクレオにその件について口止めしようと思っていたグレミオは、なんとなく居心地の悪い思いを味わう。
「今日! グレミオの部屋だけ、節分すればいいんだよっ!」
「……?」
「坊ちゃんはね、グレミオに特別に福をあげたいんだってさ。いや、男冥利に尽きるねぇ。」
ふふふ、と笑って見せたクレオに、グレミオは引き攣った笑みを返す。完全に面白がっているのが、手に取るように分かった。
「あのね、一日早く豆をまいたら、その分だけグレミオのところに、他の人よりもいっぱい福が来るの。ね? すごいでしょ?」
にこ、と全開の笑顔で笑ったスイに、グレミオはじぃん、と胸が熱くなる。
「ぼっちゃぁ〜んっ!」
そして、皿を洗っていた手をそのままに、がしぃっ、とスイを抱きしめた。
「グレミオは、グレミオは幸せ者ですぅぅ〜!」
スイはにこにこと笑っていた。それはそれはうれしそうに。
「じゃ、グレミオ! 今から、幸せになるための豆まき、しようね!?」
クレオはそんな2人を眺めながら、ふふ、と天上を仰いだ。
そして、そっと呟く。
「その幸せも、所詮明日の夜まで……。」
明日になったら、他の人が福を招くので、そこに幸福は吸い取られて行くのである。
幸せは独り占めできないのがサガというもの。
そして、グレミオが不幸なのは、所詮ただの自業自得だと分かっているクレオは、スイのように、わざわざ彼を幸せにしてやるつもりなんてなかった。
だから、何も言わず、賢いスイが明日になって、しみじみと呟いた時のグレミオの反応を想像するだけにした。
「グレミオ……昨日節分しちゃったから、今日、グレミオのところに皆の所から、鬼が迷い込んじゃうんだね。──失敗?」
きっと、彼はエヘ、とか笑ってそう言って、グレミオをまた泣かすのであろう。
エンド!
イミナシ! っていうか、俺的には、途中の「しばられ……」の話を書きたいなあ…………
おいおい(突っ込み。ばしっ!)