暑中お見舞い小説・七夕編

をとめ達の密談 天然星祭り

※実在の人物・団体とは関係ありませんv







「それにしても、暑い……。」
 ついこの間まで、いつ雨が降るか分からない曇り空だったというのに、この天気のよさと、嫌なくらいの熱視線は何だと言うのだろう?
 ジンワリと汗が染み出てきた背中に、溜息を零しながら奈緒は溜息を零す。
 その息すら熱を持っているようで、どこかウンザリした。
 体中から力が抜けて、だるくなっていくような気もする。
 この分だと、来月には夏ばてになっていそうだと、明るいばかりの日差しに目を細める。
──そう思った瞬間、不意に頭の中に浮かんだのは、今から会いに行こうとする男のことだ。
 線の細い──といえば表現が可愛らしいほど、病的さに心配ばかりが湧き上がってしまう細い友人。
 つい先日も、倒れたという話を聞いたときには、「またか」と思うほどに、体が弱く──そのせいで、約束をしたことを反故にされたことも、一度や二度じゃない。
 今回、わざわざこうして家まで出向いてきたのも、その時交わした約束を果たすためであった。
「これだけ天気がいいと、アイツ──倒れるんじゃないかなぁ、また?」
 自分が夏バテしそうだと思うほどの暑さなら、ありえないことでもなかった。
 出会って7年。ゲンナリしながらも、そう呟いてしまうのも、一度や二度じゃない。
 これほど長い付き合いになったのも、一重に趣味が合っているからだ。
 あまりにも付き合いが長いため、回りの一部からは「恋人ではないか」と囁かれていたが、キッパリハッキリ言い切れる。
 「アレは、小学生以下。男じゃない。」
 普通、異性の友人なんてものを持ったら、「男とは思ってないよ」と口には出しながらも、どこか相手の仕草などに、「男」を感じる一瞬というものがあるはずだ。
 だが、奈緒はキッパリと言えた。
 あの男相手に、そんな一瞬も持った覚えはなかった。出会って7年、ただの一度たりとも。
「今年の夏は、猛暑かなぁ?」
 なら、絶対アイツは、家から出ることはないだろう。
 家から出さえしなければ、体調を崩すこともないはずだ。
────たぶん。
 7月らしく、暑くなりそうだと見上げた空の色は、まるで天気を崩す気配を見せなかった。
 珍しく空には雲ひとつ無いし、通り過ぎる風も穏やかだ。
 この分だと今日の夜は、無事に天の川が見れそうだと、そんなことをチラリと思い──夜まで天気が続いたなら、地元でやっている七夕祭りに顔を出すこともいいかもしれない。
「七夕は、毎年天気が崩れるって言ったのにねぇ?」
 そんな風に思いながら、熱い太陽の視線から逃れるために、訪問先の家のドアの軒下へと脚を踏み入れた。
 途端、体をジリジリと刺激していた熱さが無くなり、心なし涼しくなったような気がする。
 いつものように、慣れた仕草でドアベルを鳴らし、中から返事が返ってくるまでの間、ぼんやりと自分が歩いてきた道を振り返った。
 いつもの場所に車を止めて、ココまで来る間──ほんの数分歩いただけの道は、まばゆいばかりの太陽の光に晒されていて、影から見ているだけでも輝いている。
 目を細めないと見通せない世界は、年々光の強さを増していっているように感じた。
 七夕が過ぎれば、後は猛暑に一直線。
 そう思えば、これでもまだマシなほうなのかと──これから訪れるであろう、夏の日を思えば、思わず零れるのは溜息ばかり。
 そのため息すら、もう熱く──火照ったような色を宿していた。
「やぁ、いらっしゃい。」
 そんな奈緒の背に、軽やかな声が掛かった。
 少し語尾が掠れたテノールは、すでに聞きなれた男のものだ。
 振り返ると、ドアを開けたままの体勢で、Tシャツとズボンというラフな格好をした男が、穏やかに笑っていた。
「こんちは。どう、加減は?」
 自然と唇に上る皮肉げな微笑みに、彼は苦い笑みを見せる。
「んー、まぁまぁかな?」
 そういう顔が、なんだか前よりもやつれている。
 すでにもう夏ばてしてるのかよ、と思わず突っ込みそうになった声を喉で飲み下し──それでもしっかりと、眼鏡の奥に見える目に隈が出来ているのを認めて、ヤレヤレと思った。
 そんな奈緒の顔を、長い付き合いからか、しっかり感じたらしい男は、
「結構太ったんだよ、僕も〜。」
 そう笑いながら、家の中へと奈緒を通した。
 中に踏み入ると、ヒンヤリと冷たい風が流れてきていた。
 風通しの良いこの家は、こうして窓を開けていると、日差しが入らない場所は、扇風機も要らない程度には涼しい──もっとも、そう言っていられるのも8月に入るまでであろうけど。
「…………………………どこが? 今あんた、何キログラム?」
 靴を脱ぎながら、目線だけをあげて目の前の男……すでに腐れ縁と言ってもいいような輝和をジロリと睨み付けると、相手はその問いに一瞬喉を詰まらせ──不自然に目を泳がせると、
「ん〜? 54キロぐらい?」
 首を傾げた。
 喉仏の浮かび上がる喉の細さは、奈緒が片手でガッシリと掴めば、折れてしまいそうだった。
 っていうか、本気で折ってやろうかと思ったのは、奈緒の心の中だけの秘密だ。
「嘘つけ。」
 思わず問答無用で突っ込んだ。
 身長から考えて、54キロというのは、女の場合の平均体重だ。
 男である彼からしてみたら、全然足りないはず──だが、奈緒はキッパリ言い切れる自分を物悲しく思いながら、
「絶対、45,6くらいだと思うけど?」
 勝手知ったるとばかりに、玄関に上がりながら、彼の体を無遠慮に上から下まで見やって、連絡していない間に、病院で点滴生活でもしていたのではないかと思うほど、やつれているような気がすると──そう思って気付いた。
 気付いた瞬間に、びしぃっ、と指で示す。
「っていうか、あんた、Tシャツ裏表逆。」
 どうして間違えているのだろう、と思うほど、一目瞭然な光景を、とりあえず突っ込んでやった。
 寝癖で頭が跳ねているよとか、そういうことは二の次──何せ、いつも家に居る彼の頭がピンと寝癖づいていることなど、日常茶飯事で、今更突っ込むこともなかったからだ。
 そして、そんな正直極まりないご親切な奈緒の言葉に、
「え………………? …………………………? ………………あ、ほんとだ。」
 そのワンテンポずれた感じが、さすがに輝和さんって感じだった。
「どおりで息苦しいと思った……。」
「いや、思ってないでさ。」
 ポテポテと、廊下を歩み進んでいく彼についていきながら、そのボンヤリ天然ホヤヤンな男向けて、裏手で突っ込みたくなる。
 コレで30歳を迎えたいい年だというから、しっかりした嫁の貰い手を心配してしまいたくなるのだ。
 というか、お願いです。輝和のお父さんお母さん、私のことを彼の嫁候補にあげないでください。
 そんなことになろうものなら、あたし、この地域から出奔します。
「んー……。」
 前を歩きながら、彼は廊下を歩き出しつつ、Tシャツを脱ごうともがき始めた。
 歩きながらTシャツを脱ごうとする行為について、とやかく言うつもりはない。
 しかし、彼は今、眼鏡をしたままだった。
 そのままの体勢で、Tシャツを脱げばどうなるか、眼鏡歴が長いだろう男に、分からないはずもない──と思うのだけど。
「………………カズ?」
 思わず呼びかけるが、彼は必死にTシャツと格闘していた。
 もぞもぞもぞ、と音がするような動作をした後、ひょろりとした背中が剥き出しになり──……そこで唐突に動きが止まった。
 このまま行けば、突き当たりの廊下でぶつかってしまうんじゃないかと、一瞬期待してしまった。
 拳を握った手で、「よし、そのままゴーッ!」とか呟いてしまいそうになったのは、この後約束している友人の影響かもしれない。
 しかし、残念ながら、奈緒の希望はかなえられることはなかった。
 さすがの輝和も、そこまで天然ではなかったようである。
 突き当たりの直前で、ぴたり、と動きを止めてしまったのである。
 チッ、と、彼に聞こえないように残念そうに奈緒が舌打ちをした瞬間、
「………………眼鏡ひっかかっちゃった。──まー、いーや。」
 肩口あたりまで脱ぎかけたTシャツを、スルスルスル、と元に戻し、そのまま何事もなかったかのように突き当たりを左に折れた。
 それを──奈緒は、呆然と見送った。
「──じゃ、歩きながら脱ごうとするなよ。」
 思わず力なく突っ込んでしまった奈緒を、一体誰がいさめることが出来ようか?
 ああ、と頭痛を覚えながら、奈緒は額に手を当て、フリフリと力なく頭を振って見せた。
 そして、それ以上何か言うでもなく、無言で輝和の後をついて突き当たりを左に折れ、その先にある階段を上っていく。
 二階にある輝和の部屋に、招かれるままに入った瞬間、唐突に輝和はTシャツを脱いだ。
 それも豪快に、一言も断りもなしに。
「……………………。」
 目の前で脱がれ、露になった白い肌の露出に、多分普通の女ならば、「きゃっ」とか声をあげたりとか、一瞬何かを期待したりとかするのだろうが、奈緒はそんなことはなかった。
 ──というか、奈緒の知る限りでは、輝和の裸に期待するような人は周りには居ない。本人はひたすら否定したがるだろうが、彼女の妹分のような友人にしても、彼の裸を目の当たりにして笑顔で言ってくれたものだった。
『骨格標本?』
 そう、彼の裸を見て思い浮かぶ単語といえば、この場面に非常に的確な表現ばかりであった。
 そう、このまま手に支持棒を持って、今すぐ講義をすることもできる。
 びしっ、と彼の薄い胸板を示し、
「これが胸郭!」
 と示して見るのも一興であろう。
 ──そんな講義、聴きたい人など居ないだろうけど。
 いや、思えば、奇特な友人二人なら、爆笑しながら聞いてくれるかもしれない。でも、そんな生徒は嫌だった。
「────…………あのさ………………。」
 さて、この場面で一体どういう対応をしたらいいのか──非常に冷めた目で、上半身裸になった男を見つめて、呆然を通り越してあきれた眼差しで、奈緒は輝和を見下ろした。
 彼は、着ていたTシャツを広げて、裏表を直そうとシャツに手を突っ込んだところであった。
「ナニ?」
 振り返る男の、筋肉とは無縁の体に、思わず同情を覚えてしまったのは、彼の心のためにも内密にしておかねばならないだろう。
 ならないのであるが、いくら7年の付き合いになるとは言っても、これだけは言っておかなくてはいけないと、奈緒はわざとらしいほどわざとらしく溜息を零すと、
「私、前にも言ったと思うけど。」
 重々しく、前置きをして。
「カズの貧弱な体見ても楽しくないから、頼むから、人の前で裸にならないでくれ。」
 ────聴く人が聞けば、「ソッチの方が酷いと思いますヨ?」と、眉を顰めて言うであろう言葉を、呟くのであった。









「……って、言うことがあってさ…………。」
 はぁ、と溜息を零しながら、そう語りだす奈緒に、うんうん、と頷いていた年下の友人は、最近切ったばかりの髪を耳元で揺らして、ニッコリと笑ってくれた。
「それじゃ、今夜、カズ兄さんを元気づけるために、人前で裸で踊ってもらったほうがいいですね♪」
「………………ハイ?」
 思わず聞き返したのは、何も奈緒が彼女の言葉を聞き取り逃したためではない。
 顔をグルリと向けて、真正面から見やった先で、娘はニコニコと微笑んでいた。
「ほら、今日、七夕じゃないですか。」
 ぱふ、と両手を重ね合わせて、微笑む顔も、目も、ひたすら穏やかに微笑んでいた。
 微笑んではいたのだけど。
「──七夕、だねぇ。」
「ええ、晴れてますしね。」
 同意した奈緒は、心の中で首を傾げていた。
 ──おかしい、私は単に、「親しき仲にも礼儀アリって言うじゃない!?」という話をしたかっただけであって、こっちが男扱いしてないからって、もう少し考えなさいっていう、愚痴を言いたかっただけであって。
「きっと、今日、お祭りありますよ。」
 奈緒が微笑みを強張らせたのに気付いているのか気付いていないのか、彼女はニコニコと笑って、そう続けた。
 その未由の言葉に、ああ、と奈緒は納得したように頷く。
 そうだ、今日は七夕──地元では、七夕祭りが開かれるのだ。
 屋台が並び、中央の櫓の上では太鼓が鳴り響き、その回りで浴衣を着た人達が、大勢踊るのだ。
 きっと、未由はそのことを言っているのだと、奈緒はかすかに唇をほころばせて笑った。
「今夜、だね……晴れるかなぁ?」
 見上げた空は、つい先日までの雨模様が嘘のような快晴。白い雲ひとつ無い澄んだ青空──その中を優雅に飛ぶトンビの姿が目に入り、ああ、夏になったんだな、とシミジミと感じる。
 ジリジリと照りつける太陽はまぶしく、目に差し込む光が寝不足の目に痛かった。
 それでも、と、彼女は両足を踏ん張り、片手に持ったかばんを豪快に肩に担ぎなおす。
 降り注ぐ太陽の視線は、日焼けしにくい皮膚にチリチリとした痛みを訴えた。
「昼間晴れてても、夜になると──っていうのが、毎年のパターンだしねぇ?」
 煌々と照りつける太陽に、額に手を翳して彼女──奈緒は、溜息を零す。
 朝から雨が降れば、夜は晴れないだろうかと願い、朝から晴れていても、夜になったら雨になるのではないかと不安に覚え──そうしてすでに10年。
 まともに天の川を見た記憶が無かった。
「大丈夫ですよ、きっと。」
 ナニの根拠もないだろうに、未由は笑ってパタパタと手を振る。
「毎年そう言っているような気もする。」
 笑いを滲ませた声で、奈緒は自分よりも頭一個小柄な娘を見下ろした。
「なんてったって、今年は私、浴衣を買いましたから!」
「ソレとコレとどういう関係が?」
 うん、と、力強く拳を握って頷く娘に、奈緒は胡乱げな目で尋ねるが、未由は思い切りよく頷いて、
「勘です!」
「………………………………。」
 それで雨が上がれば、世話はない。
「ま……晴れてたら──浴衣着るなら、手伝うよ?」
 とりあえず、そう苦笑を滲ませながら未由の顔を覗き込むと、彼女は大喜びで諸手をあげて笑った。
「わーい♪ 浴衣浴衣〜〜。」
 一体ナニが嬉しいのかは分からないが、新しく浴衣を買ってから、ずっと浴衣を着る機会を狙っていた娘は、やっとそれをお披露目できることが嬉しくてしょうがないようであった。
 ──自分で着付けも出来ないのに、浴衣を買おうと考える辺りが、少し考えて欲しいところであったけど。
「って言っても、私、帯の結び方一つしか知らないんだけどね。」
「大丈夫! 私は一つも知らないから!」
 奈緒の苦い独白に、未由は威張ってそう答えてくれた。
 果たしてそれは、威張って言うことなのだろうか?
 けれど彼女は、両手を腰に当てて、えっへん、と胸を張ってみせる。
 その姿が、妙に苦笑を誘うやら、どうにもなぁ、とあきれるやらで、ヤレヤレと奈緒が息を零した瞬間であった。
 ふと、何かに思い当たったかのように、未由は唐突に黙り込み、視線を彷徨わせ……軽く首を傾げると、
「──…………って…………良く考えてみたら、あたし…………下駄持ってないやvv」
 えへ、と、軽く自分の頭を叩くようにして、そう笑って見せた。
「…………………………………………。」
 本日何度目になるか分からない溜息を零した奈緒は、ダメじゃない、ソレジャ……と、額に手を当てる。
 あーあ、と、わざとらしくどうしようもないと訴えるように頭をフルフルと力なく振って見せるが、未由はまったくそのことに気にしなかった。
 それどころか、非常に前向きな性格の彼女は、ううーん、と顎に手を当てて、この打開策に頭を巡らせている。
「最近は、下駄じゃなくって、ミュールやサンダルも……いやいや、良く考えてみなくても、あう色のミュールがないしなー……。
 これくらいなら、こないだの夜店で売ってた980円下駄買っておけばよかった。ヤレヤレ。」
 まったくもってその通りである。
 どうしてその時に、買っておかなかったんだ、あんたは! と奈緒が口を開いてそう突っ込もうとしたところ、
「うーん……やっぱり、浴衣にピンヒールって言うのも、なかなか斬新で……。」
「履くなぁーっ!!!」
 さすがに、真剣きわまりない声でそう呟く娘に向かって、すぱこーんっ! と、思わずハリセンでひっぱたきたくなった奈緒であった。
 長い付き合いになってしまう奈緒は、良くわかっていた。
 今、未由が口にした「ピンヒール」は、十中八九、普通にかかとの高い靴、という意味ではない。
 彼女の頭の中にあるのは、まさに凶器以外の何物でもないピンヒールなのである。
 だからこそ、思い切りよく拳を握って、唾すら飛ばす勢いで怒鳴りつけた奈緒に、むぅ、と未由は唇を尖らせると、
「えええええええーっ、でも、やっぱりキンニク祭りには、ピンヒールは居ると思うんですよー。」
 そう、抗議してみせた。
「………………………………はい?」
 ──が、奈緒の頭には、彼女のセリフの真ん中くらいに聞こえたセリフで思考回路が止まっていた。
「ほら、キンニク祭りの主役は男でしょー。だから、女は回りでピンヒールっていうのが当たり前だし。」
 指折り数えるように、そう語ってくれる彼女に、奈緒は益々首を傾げた。
「────…………だから、はいぃ?」
 寄せられた眉が、ヒクヒクと引きつるのは、止められない。
「カズ兄さん、キンニク祭りに出るなら、やっぱり最前線なんでしょうね!」
 ぱふっ、と両手を叩き合わせるようにして、未由はキラキラと眼差しを輝かせる。
「そう! そして、裸で踊ってもらえば、きっとカズ兄さんの機嫌も上昇! あっ、もしかしたら、夏バテへのご利益もあるかもしれませんよ!?」
 それは一体、ナニの祭りだ!?
 困惑のあまり、思考回路と呼吸が停止しかけていた奈緒は、ごくん、と必死の思いで唾を飲み下し──おずおずと、未由に問い掛ける。
「────…………あの、すみません、未由さん? その、キンニク祭りって、ナニ、ですか?」
 ぽそり、と、零された疑問に──一瞬、痛いくらいの沈黙が落ちた。
 キョトン、とした未由の目が、みるみる内に大きく見開かれたと思うや否や、彼女は、ズザザッ、と勢い良く後退し、驚愕に唇を震わせる。
「────えぇっ!? 知らないんですかっ!?」
「それって、知ってなくちゃいけないことなの!?」
 悲鳴をあげるように叫んだ未由に、そのまま悲鳴で答える奈緒。
 きっと、常識人としては、奈緒の反応に100点満点を挙げたくなることだろう。
 だが、この目の前に居るのは、常識人ではなくて未由であった。
 彼女は、ふぅ──……と、それはそれは悲しそうに溜息を零すと、片手を頬に当てて、呟く。
「………………それは…………人生半分くらい、損してますね…………ふぅ。」
「半分も!?」
「ええ、半分もです。」
 更に驚く奈緒に、きっぱりと未由は頷く。
 それから、彼女はキリリと眦を吊り上げると、奈緒の顔を正面から見上げる。
「こうなったら仕方ありません。
 今年は、カズ兄さんを連れてきてください、奈緒姉さん。」
 その眼差しは、非常に真摯であった。
 真摯ではあったのだが。
「いや、連れてきてくださいって…………だから、筋肉祭りって、ナニですか?」
 とりあえず、最初の疑問に戻ってみた。
 すると、今度はその問いに、未由は完結に笑顔で答えてくれた。
「男と男の、女のためのお祭りです。」
 きっぱりはっきり。
 自信満々な上に、輝くばかりの眼差しが眩しい、そんな答えであった。
「……………………すみません…………わかりません…………………………。」
 っていうか、分かりたくありません。
 なんだか、泣きたくなるような気がして、奈緒は空を見上げた。
 空は──歴代の七夕以来ではないかと思うほど、晴れていた。
 奈緒は、生まれて初めて思った。
──今夜、雨、降らないかなー……と。
「知らないのですか、本当にっ!? これじゃ、奈緒姉さんの将来は、お先真っ暗ですね……っ。」
 奈緒の心を知らず、年下の友人は、溜息を零す。
 更に、もうこれ以上は……と言いたげに、頭まで振ってくれた。
「んな、同情するように言われても……で、キンニク祭りって、ナニなの、ホントに?」
 出来れば聞きたくない。
 聞きたくないが、興味がある。
 その「キンニク」って言うのが、何を差すのか……いや、知りたくないような気がするのだが、不幸なことに、奈緒の好奇心は人一倍旺盛であった。
 この年下の友人と付き合いはじめて7年。
 すでにだいたいの行動パターンは読めているとは思っていたが──7年目にして初めて知る、彼女の言う「七夕祭り」の意味。
 これを知らなかったら、きっと、この先友人関係は続けていけないような、不思議な強迫観念もあった。
「筋肉のお祭りです。七夕の。」
 シャラリ、と髪を揺らして、微笑んで答える未由の顔を、表情を無くした顔で凝視しながら、それは果たして、七夕とナニの関係があるんだろーかと思いつつ、先を促した。
 未由はそれに、鷹揚に頷くと、
「綺麗な天の川の下で、キャンプファイヤーを灯して…………、
 その周りを──円を描くように、上半身裸の筋肉男達が、覆面をして踊りまわるんです
 ドンタコス、ドンタコス、ムッキムキ、って。」
 朗らかに、微笑んで、説明をしてくれた。
 それも、まるで、「今日の献立は、筋肉シチューにしてみようと思ってるんです。キンニク男がムキムキとキンニクを躍らせながら、かき回すんですよ」と説明しているかのような、清清しい説明であった。
 ──いや、今、奈緒の頭の中に浮かんだたとえも、どうかと思うが。
「………………………………。」
 一瞬、奈緒の脳裏に、その光景がグルリとめぐった。
 空は雲ひとつ無い美しい夜空。紺碧の空には、瞬く星。その隅の方で、こっそりと欠けた月が傾いている。
 その月光の下に響き渡るのは、力強い太鼓の音。
 ドンタコスッドンタコスッ!
 そして、その音にあわせるように、地面が揺れている──ドンドンと。
「で、それを見守る女性たちは、ピンヒールで地面を叩きながら、男達を応援するんです。」
 両手を組み合わせて、ウットリと語る未由の脳みそに、ちょっと待てコールをかけたかった。
 が、そこをグ、と堪えて──というか、頭の中に浮かんだリアリティー溢れる想像に、奈緒は苦痛のあまり目の端から涙が零れるのを止めるのに、一生懸命だったのだ。
 未由は、朗らかな微笑みで、奈緒を見やった。
 それは、まるで慈愛溢れる微笑を息子に向ける母親のような、そんな笑顔であった。
「ちなみに最前線は、カズ兄さん指定席でよろしくお願いします。」
 口から零れるセリフさえ、無かったら。
「していせきってなに。」
 淡々とした声で、奈緒は尋ね返す。
 そうしている間にも、彼女の脳裏では、どこかの広間の中央に、ゴウゴウと燃える炎を囲んでいる男達の光景が浮かび上がっていた。
 皆一様に頭には覆面。それも、レスターのように華やかなものなら少しは心が和むものを、皆一様に白い覆面だった。
 そして、浴衣を腰まで肌蹴させ、ムキムキの自慢な上半身を夜風に晒しながら、炎の回りで円を描くようにグルリと。
「ですから、炎の最前線です。
 カズ兄さん、体力ないから、覆面男に混じって踊れないと思うんですよ。
 だから、炎の回りで一人だけ、ひょろりらー、って踊るんです。」
 奈緒の頭の中の想像は、ダイブ耐えられないところまで来ていた。
 カツカツカツカツ! と、急かすようになる女たちのピンヒールの音。男達を見守るように、端の方で浴衣を着てピンヒールを履いた女たちが、浴衣の裾を捲り上げて地面をヒールで叩いている。
 それを受けて、興奮した男達は、マッスルポーズを取りながら、一歩進んではマッスルポーズ、二歩進んではムッキムキ! と、円を描きながら、汗を飛び散らせながら、ピクピクとキンニクを動かせている光景が────……っ。
「ひょろりら〜?」
 だから、私は、筋肉は嫌いだって言ってるでしょぉうっ!?
 自分の豊かな想像力に、嫌悪と吐き気を感じつつ、力なく奈緒は問い掛けた。
 それと同時に、炎の近くで──円から外れた場所で、一人貧弱な上半身を晒した輝和が、へろへろへろ〜と踊っている光景が浮かんで、今度こそ本当に、眩暈をおぼえて倒れかけた。
 必死でそれを堪えて、額に手を当てる。
 そんな奈緒に気付いてか気付かずか、
「ええ、筋肉星祭りの目玉男。
 『筋肉ほしい祭り』の代表として。」
 未由は、ギャグのつもりなのか、しゃれのつもりなのか、サッパリ見えない笑顔で、のたもうてくれた。
「…………………………………………。
 …………………………ごめん…………未由、ちょっと聞いていい?」
 さすがにそれ以上の思考をストップさせるしかなくて、奈緒は片手を挙げて、未由の唇の動きを止める。
「はい?」
 彼女は、言葉をとぎらされたことへの苦痛も不満も何もせず、ただ笑顔で首を傾げる。
 その、未由へと。
「それ…………誰が考えたお祭りなのかしらん?」
 精神的苦痛から来る、「今日は絶対、眠れないわ……」という、今夜見る夢を暗示するような眩暈を飲み込み、そう尋ねた奈緒へ、
「…………? ああ、私です。」
「────…………でっちあげかぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーっ!!!!」
 きっと、目の前にちゃぶ台があったらひっくり返していたことだろう。
 思い切りよく、自分の頭の中に浮かんだ想像すべてを吹き飛ばす勢いで叫んで見せた奈緒に、未由はキョトンと目を瞬くと──その顔いっぱいに、にんまりと笑みを浮かべて見せた。
 先ほどまで見せていた、したり顔の微笑みとも、営業スマイルに似ている微笑とも違う、してやったり、系な笑顔である。
「いや、だってカズ兄さんに似合いそうだと思ってさ。
 筋肉星祭り。」
「いや…………そりゃ、そうだけど、さ………………。」
 そうして、そんな未由が口にした、「あんた、それって最低」的一言に、同意してしまう自分も自分かと──つい先日見たばかりの、貧弱な身体を思い出しながら、奈緒は溜息を零すのであった。
 もし、その祭りに参加して、ご利益が本当にあったのだとしても。
「………………でも、私を巻き込むのだけは、やめて。」
 類友だなぁ──なんて言葉の意味を、しみじみと感じつつ、そう未由に言ってみせるのであった。













ヤマなし意味なし落ち無し。


暑中お見舞い申し上げます。

いよいよ夏本番となってまいりました。
プール開きに海開き!
こうなった以上、いっそ筋肉開きでも! と思って、筋肉開いてみました。
どうでしょう?


ちなみにキャラクターの性格は嘘八百です。
そして名前も、お借りしているだけで、嘘八百です。



奈緒「私って、なんだかんだ言いながら苦労人だと思うのよねー。」
未由「ええ!? ナニを言ってるんですか!? そんなこと言っていると、このドレスも着こなせませんよ!?」
奈緒「ワケわからないんですが、っていうか、そこであんたは、どっからソレを?」
未由「奈緒姉さんに着てもらおうと思って、また買っちゃいましたの♪ ほら、これ、胸の谷間の部分が、紐になってるんです〜。
 あ、もちろん、着るときはノーブラでお願いしますねv」
奈緒「いや、お願いしますね、じゃなくって。」
輝和「……いやぁ、ほんと、未由さんってワケわかんないねー、あはははは。」
奈緒「笑ってるな、そこ!」
未由「──それじゃ、カズ兄さんも、着て見ます? こないだ奈緒姉さんから貰った、メイド服? フリーサイズだから、着れますよ?」
輝和「──────どーしてそうなるわけ?」
未由「いや、筋肉祭りに出ないなら、やっぱりお盆に行われる、『メイドフェスティバル』には出ておかないと、その道で有名になれないと思うんです。」
奈緒「メイドフェスティバルってナニっ!?」
未由「ええっ!? この道に入った人間なら、一度は通らないといけないという、あの有名なイベントを知らないんですかっ!?
 奈緒さん、それじゃダメです! それじゃ、一人前のフェチとはいえないです!」
奈緒「って、ちょっと待てこらーっ! 私は、カズみたいに髪の毛フェチでもないし、あんたみたいに脚フェチでもないわよっ!?」
輝和「髪の毛フェチって酷いなー、俺のは、単に髪の毛を触るのが好きなだけだよ。」
未由「初対面の人に髪の毛触らせてくださいって言う時点で、フェチだと思います。しかも、膝の上に乗りあがって、髪の毛に顔を埋めて『いいにおい〜』って言うのは、フェチです、そうギネスブックにも載ってます(注:載ってません)。」
輝和「………………未由さんは、脚フェチっていうの、否定しないんだね。」
未由「ええ、私に脚を語らせたら、1日でも。」
奈緒「ったく、類友よね、あんたら。」
輝和「て、俺も一緒なの!?」
未由「いやですわ、奈緒姉さんったらv 一人だけ知らない顔して!
 私が知らないとでも思ってるんですか? 奈緒姉さんのしゅ・みv」
奈緒「?? バイクに乗ることとか、ゲームとか……ほかに何かあったっけ??」
輝和「ああ、俺を苛めることとか!?」
未由「まぁ、Sの気まであるんですね、さすがお姉さま…………。」
奈緒「いや、待てそこ。」
未由「待てません、だって奈緒姉さん、胸フェチですよね?」
奈緒「……はい?」
未由「胸。雑誌見て、シリコン入れてるかどうかを必ずチェックするところとか、胸の流れ具合を研究しているところとか、胸フェチ、ですよね?」
輝和「ああ、フェチ入ってるね。」
未由「でしょ?」
奈緒「…………フェチって言うなーっ!!」
未由「それじゃ、今年は三人で、メイドフェスティバルに出ないと。」
輝和「…………? っていうかさ?」
未由「はい?」
輝和「──フェチとメイドフェスティバルって、どういう関係があるわけ??」
未由「…………………………ちっ。」
奈緒「ナイス突っ込み!」
未由「────メイドも好きなのになー……男の夢と、女の夢なのになー……ちっ。」
輝和「…………………………。」
奈緒「…………………………。」
輝和「っていうか。」
奈緒「──……あんた、一回、頭洗濯してらっしゃい。」