ドォォォンッ!!

 打ち鳴らすような激しい音と共に、天上に舞い上がった火の玉を見上げて、ヒュゥ、と短い口笛が零れた。
 遠くの空まで見通せる場所──この辺りで一番高い建物の屋根の上に、少年は一人、立っていた。
 見上げた空には、千切れたような雲が二つ三つ浮かんでいて、それを囲むように瞬く星々が、頼りない光を地上に届けている。
 太陽の光を反射する月も、今日ばかりは姿が見えず──屋根の上に上っていると、地上は暗闇に溶け込んでいるように見えて、まるで底のない谷の上に立っているような感覚に陥る。
「──……すっげぇ。」
 幾億もの星明かりは、どれほど瞬いていても、地上に届くにはあまりにも遠く弱くて──見上げた空を騒々しく飾り立てて、うるさいほどだというのに、見下ろす地上には一つも届けてはくれない。
 それなのに、その空の花が打ち上げられるたび、世界はパァッと明るく照らし出されるのだ。
 眩しいわけではないその可憐で美しい花が咲くたび、夜空は明るい色を宿し、地上はまるで満月の夜のように浮き出される。
 同じように、闇夜に溶け込んでいた少年の姿も、光の花が打ちあがるたびに、仄かにその姿が浮かび上がるようだった。
 実際は、遠く見える光の花は小さくて、ここまでその強い光を届けることはなかったのだけれども。
「…………綺麗だな………………。」
 ウットリと零れた言葉に自覚ないまま、少年は唇を半分開いたまま、何度も打ちあげられる花と、その光の饗宴によって浮かび上がる遠くの景色を見つめた。
 これほど遠く離れた場所にも聞こえる音すら気にならないほど──胸をドンと打つ音に心を奪われないほど、眼に焼きついた光は強烈に美しかった。
 そのすべてが、今、自分だけのものだということが奇跡のようだと、ふとそう思って。
「すげぇ、綺麗だよな……っ、ブラ……っ。」
 笑顔を浮かべたまま、後ろを振り返る──昔、したように。
──今となっては遠い……二度と戻ることのない、昔のように。
 けれど、振り向いたそこは、ただ夜の闇が広がるばかりで──昔のように、闇夜に溶け込む巨体があるわけではなかった。
 それを認めた瞬間、口から零れかけた「彼」の名前が、奇妙に引きつれて喉の奥に消えた。
 もう「彼」は居ないのだと、きちんと理解して、たくさん泣いてきたはずだというのに、それでも……思わずしてしまった自分の行動に、ひくり、と喉が鳴った。
 胸に去来するやりきれなさと苦しさと後悔とが、ない交ぜになって、グルグルと回る。
 泣きそうに眉を寄せて、唇を噛み締める。
 そんな彼の背後で、ドォンッ、と、小さな花火が鳴る。
 花火に照らし出された自分の影が、一瞬薄く長く伸びて……その影の先にも何もないことが、眼に映った。
「──早まった……かなぁ?」
 小さく、零れた声は震えていた。
 キュ、と手を握り締めて、少年は顔をうつむける。
 足元は、再び闇に沈んでいたけれど──もう、影が薄く伸びることもなかったけれども。
 湖の中央の城で、同じように花火を見上げているだろう人々のことを──仲間たちのことを思い浮かべた。
 彼らと共に見上げていたならば、こんな気持ちを抱くこともなかったのだろうか?
 ──そうやって、「彼」のことを思い浮かべることのない自分を思っても、やりきれない気持ちで、胸が痛いくらいに鳴くくせに。
 それでも、今はただ、一人でこんな場所に来てしまったコトを、少しだけ……後悔した。
 同時に、そんな自分に──ここではなく、あの城に居ればよかったと、そう思ってしまっている自分に、何とも言えない苦い物を感じて、
「………………やんなっちゃうぜ…………もぉ…………。」
 ずずず、と、少年はその場に、力なく座り込んだ。







夏の夜の夢













 執務室の机の上に、年季の入ったランプが一つ、置かれている。
 丁寧に手入れされたランプは、中に灯された炎を美しく照らし出している。
 けれど、必要最低限の量の油しか乗せられていないランプは、広い部屋の中を照らし出すには不十分であり──部屋の四隅の辺りは、開け放たれた窓の外と同じ、夜の闇に支配されていた。
 文字を読み書きできるのに不自由ないほどの灯りを保っているのは、机の上だけで──その机の上には、ランプの明かりを十分に届けさせるのに障害となるような本が、山積みに積まれている。
 机の中央には、半分ほどまで減ったインク壷と、先がつぶれているペン先、黒いインクの付いた布が置かれていて、書きかけの書類が、重厚なペーパーウェイトの下でヒラヒラと端を躍らせていた。
 全開に開かれた窓からは、涼しげな夜風が入り込み、執務室の天井を覆い尽くすような「紙の洗濯物」を揺らしている。
 壁と壁を繋ぐ形でロープが張り巡らされ、そこにビッシリと挟みで紙をぶら下げているのだ。
 床の上にも、乱雑に詰まれた書物と書類が束になって置かれている。そのどれもが、中途半端に開かれ、付箋されている。
 窓が開け放されているせいか、インクの匂いは仄かに香る程度にしか残されては居なかったが──真新しいインクが乾くのは遅く、吊るされた紙にビッシリと書かれた文字は、まだ半乾きのものが大半であった。
 それらの乾き具合を確認していた男……この部屋の主は、最初に書いた書類が、ほぼ乾き終わったのを確認して、挟みからそれを回収する。
「雨が続いて、乾かないのは洗濯物だけかと思ったら……まさかコッチもだとは、思いもよらなかったな。」
 苦笑を刻んで、彼は乾かし終えた書類を束にして、その上をクリップで留める。
 そして、それを乱雑に積んであった書類の最上部に置くと、つい先ほどまで書いていた、机の上の一番新しい書類へと目をやる。
 数多くの資料に囲まれた中央に鎮座している紙は、中ほどまでビッシリと字で埋め尽くされた書類だ。
 その隣に置いてある黒いインクがにじんだ布は、書いている最中に手の下に敷いて、字が滲まないようにしていた物。
 さらに、一応用意してあった羽は、インクが乾かないという理由から、まるで使われてはいない。
「……この紙とインクは、あまり良くないな。」
 まだ半分ほどしか使っていないインクは、書きやすくて中身が減りにくいですよと、解放軍で道具屋をしている男から紹介されたものであった。
 普段から物書きばかりをしているユーゴやサンチェスからも、安価で節約にはもってこいだと進められたから、使ってはみたのだが──正直な話、元のインクと紙に戻そうかと、心で決めてしまっているような状況であった。
 どれほど安くて、どれほど長く持とうとも、結局質が悪くては、使い勝手が悪いことこの上ないのだ。
 晴れている日には、それほど気にならなかった「インクの乾き具合」であるが、雨が続き、湿気が多くなってくると、インクが半日乾かないなんてことも当たり前の状況──とてもではないが、実用性は少ないだろう。
 おかげで、仕事が増えたような気がすると、部屋一面に張り巡らされた「紙の洗濯物」の状況に、男は苦笑を噛み殺さずには居られなかった。
「まぁ、気分転換にはなっただろうがな。」
 思えば、竜達が原因不明の病で倒れてからこっち、デスクワークに調べ物にと、肉体的にも精神的にも辛い日々が続いていた。
 それが空けて現在──、解放軍に力を貸すことになり、竜洞騎士団始まって以来の「処罰」も起き……と、やってもやっても仕事が次々に沸いてくるような状態だ。
 些細なことから、念入りに行わなくてはいけないような仕事まで、まさにえり好みはしていられない。
 そんな状況下で、ある意味、気分転換になった「紙の物干し」は、デスクワーク続きだった体には、ちょっとした運動になったわけではあるが、あまり見栄えが良いものではなく──朝一の謁見の前には、綺麗に片付けなければいけないなと、そんなことを彼が考えていた、その時であった。
 トントン。
 控えめな──ノックの音がした。
「────……誰だ?」
 低く誰何しながら、銀縁の眼鏡の縁を──夜、仕事をするときだけつける眼鏡を人差し指と中指で押し上げながら、天井に連なる紙の群れを見上げる。
 巡回の兵士が相手ならば、この部屋に入らないようにして帰らせることが一番であろう。
 ──あまり見せびらかしたい光景ではないのだから。
 けれど。
「──ミリアです。」
 少しの逡巡の後、帰ってきた答えは──今、この砦には居ない、出向中の副団長の物であった。
「……開いている。入りなさい。」
 扉の向こうから帰ってきたミリアの声は、どこか固いものであった。
 何よりも、こんな夜に──まだ日が暮れてそれほどの時間が経っているわけではなかったが、あの解放軍からココまで、たとえスラッシュを駆ってきたのだとしても、相応の時間は掛かるはずだ。
 何かあったとしか、思いようがなかった。
────────つい先日、内々の話だがと、軍師から手紙を受け取っていた。
 もしかしたらその件で……そう、「解放軍にスパイがいる」という件で、何か事態が急変したのかもしれない。
 そう思えば、眼鏡の奥の目が鋭く細まり、厳しい顔つきになる。
 ソロリと開いた扉が、まだためらうように開ききらないのに、彼は焦燥を覚える。
「……ミリア?」
 促すようにそう口に出すと──珍しく手袋をつけていない女の手が、扉の端を掴んだ。
「──……ヨシュア様…………。
 このような時間帯に、突然──すみません…………。」
「?」
 歯切れの悪い口調は、彼女らしくないものだった。
 まだ若い娘ではあったが、副団長として、常に凛々しく冷静にある彼女は、どのようなときであっても、その態度を崩すことはなかった。──ある意味、ヨシュアが心配するほどに。
 けれど、今の彼女は任務に忠実な副団長としての物ではなくて……その姿に、疑問を抱くと同時に微かな不安も覚える。
 何が──あったのだ、と。
 そう、問いかけたくなる気持ちを堪えて、ヨシュアは彼女が姿を表すのを待った。
 本当に解放軍で何かがあったのなら、このような時間に、ミリアが一人で帰ってくることはないだろうと、そう思ったからだった。
 ──しかし、彼女が扉の向こうからこちら側へ入ってくるのに、逡巡する理由は、ソコではなかったのだ。
 おずおずと……まさにその表現が的確に似合うだろう様子で、執務室に入ってきた彼女は、いつもの彼女ではなかったのだ。
「──……っ。」
 思わず、驚きのあまり、目を見張った。
「────…………っ。」
 そして、ミリアは、それを感じたのであろう──白い頬に朱を散らせ、綺麗な紅が塗られた唇を、キュ、と真一文字に結んだ。
「ミリア──その姿は、一体…………?」
 唖然と言う表現が似合うだろうヨシュアの零したセリフに、ミリアは益々顔を赤らめて、唇を結び、顎を落とした。
 細く頼りないランプの明かりでは、ミリアがどのような表情をしているのか良く見ては取れなかったが──彼女が今着ている物だけは、はっきりと分かった。
「竜騎士の証であるサークレットだけは外してくれるなと、そうお願いしたのですが──。」
 竜洞騎士団では、この人アリと恐れられた赤い閃光とは思えない姿で、彼女は酷く居心地悪そうに身じろぎする。
 長い袖がヒラリと揺れて、その残影が美しく映える。
「──いや……そういう姿を見るのは初めてだが、良く似合っているよ。」
 十中八九、解放軍の個性的な女性陣に、面白がって着せられたに違いない。
 ヨシュアは口元に微笑を上らせながら、ミリアを優しく見つめる。
 その視線を受けて、ミリアは紅潮した頬を強張らせて、敬愛する主君向けて敬礼してみせた。
「──……っ! はい、ありがとうございます。」
 ヒラリ、と舞った袖に、彼女は軽く眉を顰めて、化粧の施された顔を歪める。
 そのまま、ヨシュアに向けて歩み寄ろうとして──いつもと違う裾具合に、踏み出しかけた足を戻す。
 そのまま、無言で足元を見下ろす彼女に、ヨシュアは苦笑を零して机の上のランプを手にした。
「足元にも頭上にも注意をしてもらわなくてはいけないが──他の部屋で話を聞こうか?」
 幸い、ちょうど一段落がついたところだった。
 今はミリアが持ってきた、解放軍の知らせを聞くほうが重要であろう。
 そう思い、提案したのだが──ミリアは、緩くかぶりを振って、ヨシュアの言葉を否定した。
「いえ、大丈夫です。話と申しましても……伝令を受けてきただけですから。」
「伝令?」
 いぶかしげに問い掛けると、彼女は着慣れない服装に、居心地悪げに体を揺する。
 ミリアの手前までランプを持ちながら歩み寄ると、彼女の姿が艶やかに目に飛び込んできた。
 美しい金の髪は、綺麗に梳かれて香油を濡らされたのだろう。微かに花の香りがした。
 いつもの竜騎士の額飾りの代わりに髪につけられているのは、見慣れない紅のかんざし。
 そして、しなやかな肢体は、今日ばかりは首筋だけを見せた──鮮やかな模様の浴衣に包まれている。
 足先は、歩きにくそうな草履で、はだしの足で履いたその先端には、マニキュアが塗られていた。
「はい──。」
 このような姿で──確か、浴衣というのだということは分かってはいたが──彼女がワザワザ竜を駆ってまで竜洞騎士団に戻ってきたというのなら、それは早急に対策を練らなければいけないような伝令のはずだと思うのだが、それならそれで、ミリアはそのことを真っ先に告げているはずだ。
 ということは。
「…………また、何かあったのか?」
「何か、といえば、そうなのですが。」
 眉を落として、ミリアはそう呟くと──浴衣のはしょりの辺りを掴んで、はぁ、と溜息を零す。
 冷静沈着で職務に忠実な……ある意味忠実すぎるそのさまを、年頃の娘らしくないと心配していたヨシュアは、あの軍に派遣されてからというもの、随分「人間らしくなった」ミリアに、苦笑を噛み殺せずに先を促す。
「──────一刻後、トラン湖沿岸区域……正しくは、テイエン西の湖岸にて、花火大会を行うんだそうです。」
「…………………………………………………………………………。」
 多分、ミリアにこんな格好をさせていることから考えて、何かお祭りみたいなことをするんだろうなとは、予測はしていたが──そして、あの軍主と軍師が行うのである以上、おそらくそれは、「面白おかしくやる」ということを前提に置いた、「スパイいぶりだし作戦」の一貫であろうとは、思うのだが。
「…………テイエン西の湖岸……というと────?」
 頭の中で、地図を描いたそこは、竜洞とを区切る山脈のある近く──すなわち、川を挟んだ向こう側は、次に攻め入ろうと計画しているはずの、セナン地方だったりは、しないだろうか?
「──はい。
 軍主殿の言い分によりますと、『花火をあげて、それを見て相手方がどう行動するのかを見て、スパイが本当に存在するかどうか確認する』──とのことでしたが。」
「……つまり、花火の音を聞いて、相手が『砲撃』とみて戦闘態勢を行うかどうか──その仕草を見せるかどうかを、見定めるということだな?
 もし、まるで動く様子も見せなかったのなら、相手に花火大会の情報が漏れていると見るつもりか。」
 口にしながら、それは随分ずさんな作戦だなと、ヨシュアは顎に手を当てて眉を寄せた。
 もし万が一、本当に相手が「敵襲」だと見て、花火大会会場に魔法の一つでも打ち込んできたらどうするつもりなのだろう?
 セナン地方を治めるのは、仮にも青い月のカシム・ハジル──帝国5将軍の一人だというのに。
「はぁ……。
 どちらにしろ、偵察が来る可能性が大ですから、そのために解放軍全員、こういうお祭りの姿をするんだそうです──私は、できることなら、ハッピの方が良かったのですが…………。」
 肩をガックリと落とすミリアは、この動きにくい浴衣が、あまり嬉しくないようであった。
 多分に、解放軍で着替えた直後、さまざまな人からからかわれ、綺麗だと褒められたこともあるだろうが。
「──で、軍主どのは、私は何をすればいいと?」
 溜息を零すミリアには悪いと思ったが、似合っている彼女に、ココで着替えていきなさい、なんていう無粋なことを言うつもりはなかった。
 ミリアとフッチがこの砦から姿を消して、寂しがっている者達も多い。
 そんな現状で、彼女がこんな綺麗な姿で砦を歩いていれば、多くの者の心の慰めにもなるだろうことは間違いない。
──ミリアもまた、生真面目であるが故に、自分の魅力に気付いていないところもあったから、たまには、こういうのもいいだろうと、ヨシュアは微笑みの裏でそんなことを考えていた。
「はい。花火の音は非常に大きいので、竜達が驚かないように気をつけてくれとおっしゃっていました。
 後は、こちらでも──花火を愛でて楽しんでください、と。」
 キリリと顔つきも真摯に答えたミリアであったが、最後の一言だけは──フワリと、花開くように微笑んで告げた。
 そんな彼女の様子に……ヨシュアは心からの微笑を零してみせた。
「そうだな──ちょうど良い息抜きになるだろう。」
 ここしばらく、竜の病の件で、皆、随分と心を砕いてきた。
 その心休めだと思えば、ひと時の夢のような時間もいいだろう。
 そう思うと同時に、あと一刻の間に、砦中の者に伝令をして、「爆音らしきもの」が聞こえても慌てないように──竜達の様子を見るための配置を決めなくてはいけないし、もちろん、皆が花火を見れるように考えてやらなければならない。
 次々に頭の中に浮かんでくる「新しい仕事」に、一気に仕事が増えたなと、ヨシュアは苦笑を漏らさずには居られなかった。
 ランプを持っている手とは別の手で、眼鏡を外し……ヨシュアは、眼前に立つ浴衣姿の美女に苦く笑いかけた。
「──ミリア、すまないが、時間がない……手伝ってくれるか?」
「はい。及ばずながら、力の限り。」
 ビシッ、と、いつもの癖で敬礼してみせたミリアは、またもやヒラリと優雅に舞った袖に、なんとも居心地悪げな表情を浮かべてみせるのであった。











 ドォォンッ!!




 遠く──空気を震わせるような小さな音が聞こえた気がして、音のした方向を見上げる。
 けれど、音よりも早く閃いた花火は、夜空には姿形も見えない。
 雷が光ってから音が届くまでに誤差があるように、花火にしても同じなのだろう。
 かがり火を焚いたこの辺りまで届く大きな光の花は、これほどの距離を隔てても尚、辺りを濃く鮮明に浮き立たせる。
 とは言っても、花火の光の影響がココまで届いているわけではなく、光った周辺の光景が、明るく眼に飛び込んでくるだけなのだが。
「すっげぇー……本当に夜空に花が咲いてる…………。」
 唖然として呟く竜騎士の声に、興奮した色が宿っている。
 空に光る輝きといえば、太陽と星、月──そして雷くらいの物しか知らない。
 あれほどさまざまな輝きを従えた、大きな花を見る機会など、あるはずもない。
「照明弾などとは比べ物にならないな。」
 感心したように呟くもう一人に、声もなく魅入られている者がコクコクと頷く。
 そんな一同の様子を、少し離れた場所から眺めていたヨシュアは、好評らしい「花火大会」に、微苦笑を零す。
 喜んでもらえてよかったという微笑みと、これから先に戦いを控えた身で、これほど火薬を使っても大丈夫なのだろうかと思う気持ちと。
 そして、
「…………ヨシュア様。」
 不意に、間近くで名を呼ばれ、ヨシュアは隣に視線を落とす。
 そこには、見慣れない格好をしたミリアが、微かな不安を宿した眼で、自分を見上げていた。
「──どうした、ミリア?」
 もしや、自分の心配が事実になったのではないかと──この機に乗じて、攻め込んできたり、竜を攫おうとしたりなどと考えている何者かが居たのではないかと、険しく尋ねるヨシュアに、
「……実は──フッチが、どこにも居ないんです。」
 ミリアが小さく吐いた言葉は、ヨシュアに小さな安堵と──新たな不安とを植え付ける。
「フッチ、が? ここにきているのか?」
 つい先ごろまで竜騎士見習として、幼いながらも仕事も与えていた少年──この竜洞騎士団始まって以来の、「処罰」の対象となった者だ。
 そのようなことになってしまったフッチのことを、ヨシュアも気にはしていたし、彼のことを旧知の仲であるハンフリーに頼んではいたが……信頼はおけるが、無口ということについては、非常に困ったところのある男とフッチとの関係について、悩んでいないといえば嘘になった。
「はい。私がこちらへ来ることを聞いて、自分も連れて行ってくれと──テレポートで一緒に来て、そのまま私は団長の下へ向かい……フッチが迷うわけはないからと、自由にさせておいたのですが……………………。」
 言いながらも、ミリアの表情は曇っていく。
 いくら生まれ育った場所だからと言って──同時にココは、つい先ごろ辛い目にあったばかりの場所でもあるのだ。
 そう思えば、自分の判断が浅はかだったような気がしてならなかった。
 キリリと唇を噛み締めるミリアに、ヨシュアは眇めていた目を戻し、ぽん、とミリアの肩に手を置いた。
「大丈夫だろう──フッチが迷うことはないだろうし……戻るときには、ちゃんと姿を見せるだろう。」
「────…………はい…………。」
 ミリアも、それは思っていたのだろう。
 今は竜騎士ではないとは言え、フッチも見習い竜騎士であった身だ。
 強さも、あり方も、自分たちと同じように学んできている──この人から。
 だから、道を踏み外すことはないと、そう思いはするのだが……まだ、幼い子供のことだからこそ、心配ではあるのだ。
 目の前で竜を失い、悄然としたフッチを、見てしまっているからこそ、余計に。
────もしかしたら、明日はわが身かもしれないと、そう思う心も、あったのかもしれない。
 昔は、竜を失うくらいなら、自分も命を絶つと、そう思っていたけれど……今は、そう思えないし、言いたくないと思っている。
 これもまた、騎竜を失ったフッチを見ているからこそ思うことなのかもしれないが。
「──────…………。」
 竜を失った竜騎士の気持ちは、フッチ以外には分からない。
 だから、自分たちは踏み入れないし、踏み入ることはできないのだ。
 これは、フッチが自分で答えを見つけるしかないことなのだから。
 きゅ、と、手を握り締めて、ミリアは無言で空を見上げた。
 パァツ、と、花開く光が、山の上に輝いて消える。
 その、花火が見える場所──この領域で一番高いだろう場所に、人影が、見えた。
「…………っ!」
 ソレが、微かに動いた瞬間、ミリアはヨシュアを見上げていた。
 ヨシュアも同じように、体を反転させるようにして、背後の壁のさらに頭上──すなわち、砦の屋根を見つめていた。
 声に出すことなく、二人は同時に同じことを思い、目だけで屋上を追ったまま、こくん、と頷きあった。













「……………………………………。」
 意地なんて、張らなきゃ良かった。
 そう呟いた声は、引き寄せた膝を抱えた腕の中に消えた。
 背中がさびしいと思うのは、ココが竜洞騎士団だからだ。
 生まれ育った場所に帰ってきて、今まで張り詰めていたものが、消えてしまったからだ。
 ココに居たときに居た相棒が、居ないからだ。
──どこよりも居慣れた場所が居心地悪いとそう思うのは、そのためなのだ。
「……………………………………。」
 上目遣いに睨み付けた空に、再び花が咲く。
 けれど、もうフッチはその花に眼を奪われることはなかった。
 それが綺麗であれば綺麗であるほど、どうしてか心が寒くなってきて、泣きたくなってきたからだ。
 どうしてなのかは分からないけど、ただ、寂しいと──そう、思った。
 これだけうるさい星が瞬いている空に対して、自分がたった一人で、こんなところで膝を抱えているのが、寂しくてしょうがなかった。
「……っだよ、クロンもテンプルトンも、城に残るなんて、言い張るからさ……っ。」
 花火は、近くで見たほうが綺麗だって、そう言っているのに──絶対に城で見るなんて言い張るし。
「フッチは湖岸へ行けば、なんて言われて、はいそうですか、って行くかよ……っ。」
 でも、湖岸で見たいと思ったのは本当なのだ。
 だから、二人を説得しようと思った。
 思いのほか頑固で、聞いてくれなかったけど。
──でも、一番イライラして、一番泣きたくなるくらい嫌気がさしているのは、自分にだ。
 それなら一緒に行こうかと、そう誘ってくれた──笑ってくれたリーダーの手を、払いのけてしまったから。
「もういいって……かんしゃく、だよな、アレ。」
 ずず、と、更に顎を埋めて、フッチは小さく呟いた。
 払いのけた後の、リーダーのキョトンとした顔に、一瞬罪悪感が浮かんで──何よりも、その彼の後ろで無表情で立っていたハンフリーの顔が、眼に焼きついていた。
 閉じた眼の裏にも、その顔が浮かんで……ギリ、とフッチは唇を噛み締める。
 あの人は、何も言わなかった。
 ヨシュア様から、俺のことを託されていたはずなのに、俺の態度にも何も言わなかった。
 ────それが、どうしてか、胸に、痛い。
「────────……………………。」
 こうして、逃げてきても……追ってこない。
 追ってきてくれない。
 そう思うのが、「甘え」だとわかっているからこそ、嫌気がさす。
 そして、この場所を……いまだに「逃げ場」にしている、自分自身にも。
「意地なんて…………張らなきゃ良かった…………。」
 もう一度小さく呟いて──竜洞騎士団で竜騎士見習をしていた頃には抱かなかっただろう感情を、思い切り持て余しながら、フッチは小さく溜息を零した。
 きっと、ミリアと共に素知らぬ顔で解放軍に戻っても、彼らは「どうだった?」と明るく聞くだろうし、ハンフリーは何もなかったようにしているだけだろう。
 こんな感情を持て余しているのは、自分だけに違いないのだ。
 そう思えば、益々そのことに囚われて、感情が乱れている自分が惨めに思えてきて、フッチは抱えた膝の間に、額を押し付ける。
 夜風が冷たく彼の肌をかすめ──ブルリ、と肩を震わせた、その時であった。
 ふわり──と、柔らかで暖かなものが、上からかけられる。
「──……っ!?」
 ソレが、毛布だと理解するよりも早く、肩が大きく跳ねた。
「屋上は風が強くて、夏とは言え、肌寒いだろう?
 風邪を引くぞ。」
 暖かく柔らかな声が……聞こえた。
 それが、誰の物なのか──頭が理解するよりも早く、染み付いた本能が口走っていた。
「──────……! だだだ、団長っ!!!?」
 がばっ、と、思い切りよく顔を跳ね上げるようにして見上げると、いつのまにかフッチの後ろには、流れる風に髪を靡かせたヨシュアと、浴衣を着て不機嫌そうに顔を歪ませているミリアが居た。
 いつの間にというのは、彼らの接近に気付かなかった自分が悪いのだとしても、
「どうして、ここに……っ!?」
 こう言う権利くらいはあるはずだ。
 ヨシュアにかけられた毛布の裾を掴みながら、眼を白黒させて尋ねると、
「下から、見えたんだ。──探したぞ、フッチ。」
 低く、唸るようにミリアが答えた。
 その不機嫌そうな声に、はっ、とフッチは思い出す。
 そういえば、彼女に無理矢理ついてきて、一緒にテレポートしてもらった立場上……彼女は、一時とは言え、フッチの身柄をハンフリーより預かった扱いになっていて──つまり、フッチの姿が見えなかったら、いやでも探しにこなければいけなかったのだと言うことに。
 せめて一言、「花火が見える場所にいます」とでも伝言をしておけばよかったのだ。
 そうすれば、ミリアにこのような手間をかけさせることはなかった。
 そして、それに付き合うように、ヨシュアにココまで上ってこさせることもなかったのだ。
「す……すみません…………。」
 毛布に包まれるようにして縮こまり、フッチは自己嫌悪に自分を埋めて行く。
 そんなフッチに何を思ったのか、ミリアは苦虫を噛み潰したような顔で、唇を引き締める。
 なんだか、気まずい雰囲気が流れたときであった。
「──ああ、ここは、花火が良く見えるな。」
 穏やかに──ヨシュアがそう呟いた。
「……ヨシュア様…………。」
 どこか咎めるような、困惑したような口調で、ミリアがヨシュアの名を呟く。
 そんな彼女に、ヨシュアは朗らかに微笑みかけると、
「ちょうど誰もいないし、私達もここで見るとしよう。」
「……え、ヨシュア様っ!?」
 驚いたように顔を上げるフッチの隣に座り込んで、ヨシュアはミリアを見上げる。
 ミリアは、無言でそんな二人を見下ろしていたが、やがて溜息を零すと、フッチを挟んで、ヨシュアの反対側に腰を落とす。
 ちょうど正面に当たる場所に、ぱぱぱっ、と連続して花火が散る。
「…………綺麗だな。」
「……………………………………。」
 満面の微笑を貼り付けてそう呟くヨシュアに、フッチは無言で眼を落とし──それから、ソロリ、と視線を上げた。
 隣でヨシュアは真っ直ぐに前を見つめている。
 この砦に居た頃には、これほど間近で見上げることなどないと思っていた、憧れの人の横顔。
 さらに反対側には、凛々しい表情で──綺麗な姿をしたミリアが、空に散る花に眼を細めていた。
 微かな灯りが、二人の白い肌を照らし出している。
 その二人の顔を、コッソリと見上げて、フッチは気付かれないようにソ、と溜息を零した。
 この竜洞騎士団を「追放」されたのは、つい最近の出来事だ。
 あの事実の直後、解放軍に行ってからは、慣れない環境に慣れるのが精一杯で──ミリアのスラッシュ以外、竜を見かけることのない状況が良かったのか、ここまで落ち込んだのは最初の数日くらいのものだった。
 後は、生きることに精一杯だったというか……新しい仲間歓迎の儀式とかいう、ワケの分からない儀式に参加させられてからというもの、心の傷がなくなったわけではなかったけど、悩んだり、苦しんだりする時間はなかった。
 仲良くなった友達も出来たし、むかつく魔法使いも居るし、保護者は何を考えているのか分からないし──問題はたくさんあったけれど、楽しいことは楽しかった。
 もちろん、ブラックのことを忘れたわけじゃないし、己の身に圧し掛かった現実を楽観ししていたわけじゃない。
 けど、それどころじゃない状況が、その悲しみや苦しみを心の奥底に封じることを成功させていた。
 ──でも、ふとした拍子に出てくるのだ。
 自分は、もう、どこにも帰る場所はないのだ、と。
 その寂しさや、辛さや、痛みが……、今日は抱えきれない。
「──。」
 閃く花が、美しく咲き誇り……掻き消えていく。
 ドドドドドドッ……。
 連続で夜空に打ちあがる音が、小さく届いた。
 その小さな音を耳にしながら、フッチは抱えた膝を抱く手に力を込めた。
 ミリアについてきたけれど、自分がココへ来ることは、本当はいけないのだと、分かっていた。
 左右に座るヨシュアもミリアも、何も言わないけど──……その優しさに、甘えていてはいけないのだ。
「…………火薬は……使いようによっては、このように美しい花になるのですね………………。」
 ポツリ、と零れたのは──真っ直ぐに視線をあげて花火を見上げるミリアだった。
 その唇から零れたセリフに、は、とフッチは顔を上げる。
「あぁ──そうだ。
 他にも、崖崩れの岩壁を破壊したり、火事の火を吹き飛ばしたり──さまざまなことに使われる。」
 ヨシュアが答えて、首を傾げるようにしてミリアの方を向いた。
 そのまま──ヨシュアは、視線を落としてフッチを見下ろす。
「──……っ。」
 思わず、強張ってしまった体を、フッチは隠しとおすことが出来なかった。
 ヨシュアは、そんな少年に何ともいえない表情を向けた後、フッチが身体を強張らせたのに気付かない風を装って、再び花火へと眼を逸らす。
 そんなヨシュアを、チラリ、とフッチは下から見上げて──辛そうに眉を寄せた後……きっと、団長にも心配をかけているのだと、そう押しつぶされそうな自己嫌悪を抱えながら、もう一度目線を落とそうとした。
 そこへ、
「フッチ。」
 小さく、ミリアが名を呼んだ。
 ビクン、と、再び肩が跳ね上がるのを止められず、フッチは落としかけた目線をそのまま固定して、ジ、と床を睨み付ける。
 きっと、一人で勝手にココに来た挙句、団長に迷惑をかけたことへの叱責が待っているのだと、そうフッチは疑うこともなかった。
 昔のような竜騎士見習でもない自分が、竜洞騎士団の団長に迷惑をかけるなんて、何事だ、と。
──ミリアは、そういうことに非常に厳しいのだ。
 怒鳴りつけられるのを覚悟して、抱えた膝をさらに強く抱き寄せたフッチの耳元へ、ミリアが囁いたのはしかし──フッチが思っている物とは、まるで違うものだった。
「火薬が、あれほど美しい光景を生み出し、それによって私達の心が和むように──同じ言葉でも、同じ態度でも、受け取る人によっては、違う風に映ることが、あるのだと思う……もう一度、話し合ってみたらどうだ?」
 まるで労るように、小さくそう紡がれて、フッチは勢い良く顔を上げる。
 ミリアのセリフは唐突で、意味の脈絡もないような言葉のように感じるけど──つい先ほどまでフッチが悩んでいたことを指し示すのだということに、すぐに気付いた。
 零れそうなほど眼を見開いて見上げた先で、ミリアは真摯な眼差しで自分を見下ろしていた。
 その瞳に宿るのは、怒りでもさげすみでもない──静かな優しさの色。
「知って……?」
 掠れた声で小さく尋ねたフッチに、ミリアは重々しく頷く。
 その彼女の態度に、フッチは信じられない思いで緩くかぶりを振る。
 自分がミリアと共に、竜洞騎士団に逃げるようにやってきた理由を知っていたというのだろうか? その上で彼女は自分がココへ来ることを許諾したと言うのか?
 冷静で生真面目なミリアには、思いも寄らないことだと、フッチはマジマジとミリアの美貌を見返す。
 くだらないことで悩んでいたのかと、そう一蹴されるのだとばかり、そう思っていたのだ。
 なのに、かけられた声は、労るような優しい促しと説得で──一体どういうことだと、態度に滲み出てしまったのも仕方のないことだろう。
 ミリアは、自分らしくないことを口にしたと自覚しているのか、それともフッチの顔に宿る表情を的確に読み取ったのか──バツが悪そうに眉を寄せた。
「一人で、こんな場所に……放っておいたのは、悪かった。」
 口の中に消えてしまいそうな声で、呟いたミリアの言葉に、今度こそ本当に言葉を失って、フッチはパクパクと唇を動かせる。
 ミリアは、そんな少年の態度に、唇を一度結び──視線を逸らすように中空に彷徨わせて……フッチの向こう側に座っているヨシュアが、素知らぬ振りで正面を見ながらも、口元が笑っているのを見咎める。
 そんな相手に、なんともいえない恥じらいを覚えたが──言いかけたことを途中で放棄するわけにもいかないと、こほん、と恥じらいを紛らわせるように咳払いを一つ零して、唖然としているフッチに、再び口を開いた。
「──ハンフリー殿が無口なのは、昔からだから……少し、時間は必要だとは思うけど、私から見ていても、あの人はお前を心配しているし──同じくらい、信用しているんだと思うよ。
 …………私の、私見だが。」
 最後に一言付け加えるのを忘れないミリアに、ヨシュアはついに堪えきれなくなったのか、こちらに背中を向けて、クツクツと肩を震わせ始める。
 それが、絶対に、「なれないことをしているミリアを見て面白いと思っているに違いない」笑みだと確信したが、ミリアは藪に棒を突っ込むような真似はしない。
 ヨシュアもミリアも、この前例のない待遇に置かれた少年のことに、心を砕いているという意味では、同じなのだから。
「寂しいのを無理に堪えることはない。
 ……自分を責めないでと────前にも言ったでしょう?」
 首を傾げるようにして、顔を覗き込まれて。
「………………っっ。」
 不意に、喉が鳴った気がした。
 労るような、痛みを堪えるような──そんな彼女の瞳に、見覚えがあった。
「…………あなたは、一人じゃない。
 一人では、ないのだから…………。」
 しっかりと呟くミリアの言葉に、フッチは切なそうに瞳をゆがめる。
 それから、頷くようにうつむいて──きゅ、と掌を握り締める。
 ミリアも、そんな彼に弱弱しく微笑み……視線を上げて、自分を見つめているヨシュアに気付くと、少しだけ首を振って見せた。
 そんな彼女とフッチを──ヨシュアは黙って見つめていた。
 二人には、竜洞騎士団だけを見て育って欲しくはないと、そう思ってはいた。
 いずれ、外の世界の風を感じ、さまざまなことを学んでいくのだろうとも、それだけではない、外の世界を学んでいって欲しいと思っていた。
 新しい風を恐れることもある。けれど、その新しい風を妨げることはしてはいけないのだ。
 それは──いつの時代でも言えることのはずだった。
 かつて……ヨシュアが、前の団長からこの座を譲り受けたときのように。
 その新しい風を受けて、育っていこうとしている二人を……まるでいとし子を見つめるかのように、優しくヨシュアは見つめた。
 これはまだ、小さな糸口にしか過ぎないのだろうけど──それでも、こうして解放軍の出向から報告などで戻ってくるたびに思うのは確かだった。
 彼女たちもまた、成長していっている。解放軍とともに……新しい時代の風となるために。
「…………ごめん……なさい…………っ。」
 小さく、小さく──フッチが呟く。
 うつむいて、きゅ、と膝を抱える手に力を込めて、彼はそう小さく呟く。
 他に、なんて言っていいのか分からなくて、なんていえば、自分のこの自己嫌悪を吹き払えるのか分からなくて、そう呟くしかなかった。
 昔、ココに居た頃には──ブラックが隣に居てくれた頃には、抱かなかった感情を、持て余しているのはフッチ自身にも分かっている。
 でもこれは、自分で解決しなくてはいけない問題だというのに、あのミリアが、慰めの言葉をかけてくれている。
 その事実が、痛くて……呟いたセリフに、また自分の胸がえぐられるのを感じた。
 ミリアは、なぜ謝る……と、やはり不器用に顔をゆがめて呟いて──辛そうに目線を落とした。
 そんな二人の、どこか不器用な様に、ヨシュアはこみ上げてきた笑みを押し殺して、微笑ましい気持ちで、フッチの頭をクシャリと乱した。
「そう言うときは、『ありがとう』と言えばいい、フッチ。」
 ヨシュアがそう笑みを滲ませた声で囁く。
 その、優しさが滲んだ声に、フッチはますます顔を伏せてしまった。
 膝の中に埋もれるほど顔を伏せてしまったフッチに、まったく、とヨシュアはかつての部下であった者に苦笑を噛み殺さずにはいられなかった。
 しかも、更に視線を横へと飛ばした先では、自分が似合わないことを言ってしまったことに対して、なにやら思っているらしいミリアまで、うつむいたままだ。
「……不器用だな──まったく。」
 誰にともなく呟いて──ヨシュアは再び視線を前方に戻す。
 その彼の目に、鮮やかな白い閃光が映った。
 新しい花火かと、まぶしい光に軽く眼を眇める。
 フッチは、聞き取れなかったヨシュアの呟きに、彼にばれないように、チラリ、と眼だけをあげた。
 その目元が、かすかに赤く染まっていた。
「…………………………。」
 見上げた先で、ヨシュアの顔が白く反射して輝いていた。
 少し眩しげに眼を細める彼の眉が、かすかに寄せられているのを見て、それは自分のせいだろうかと思うと──胸が痛くなるはず、だったのだけど。
 どうしてか、先ほどまでの自己嫌悪に浸っていた心は、元のように胸の中に帰っては来なかった。
 なんて自分は現金なのだろうと、心を叱咤してみるが、その先からミリアとヨシュアの言葉が──自分を気遣う言葉が蘇ってきて、カァッと頬が朱色に染まった。
 慌てて再び、フッチは引き寄せた膝の間に頬を埋める。
 ブラックが居ない、と、冷えるばかりの胸を抱えていた先ほどとは違って、湧いてくるのは、暖かな感情ばかり。
 そんな自分に当惑しながら──嬉しくて、動悸が跳ねすぎているだけだなんて、ミリアとヨシュアに言うわけにも行かず、でも、このまま黙っているわけにも行かず……フッチは、先ほどとは違う意味で、眼をグルグルとまわした。
 どうしよう……この花火が終わるまでには、答えを出さないと。
 キュ、と、唇を引き締めたフッチの正面で、閃く光が散った。
 残念ながら、お互いにうつむいていたミリアもフッチも、その光景を見ることが出来なかったが、ココまで届くほどの光が、辺りを昼間のように染め上げた。
 その艶やかな光に、思わず二人が顔をあげたタイミングで、

どぉぉぉぉおんっ!

 この辺りの空気も震わせるほどの音が、鳴り響いた。
 よほど巨大な花火だったのだろうと見当をつけて、見ても居ないくせに、綺麗ですね、なんて、口に上らせようとしたフッチであったが、ぽん、と──ヨシュアの手が肩に置かれて、口を閉ざす。
 見上げたヨシュアの表情は厳しく、先ほどまでの穏やかな色はどこにもない。
 彼は無言でフッチを見下ろすと、瞳に何とも苦い色をはいて……こう、呟いた。
「フッチ……、湖岸に行かなくて正解だ。」
「へ……?」
 思わず間の抜けた言葉を零したフッチが、何のことだと、眼を瞬いた刹那。
「あっ、あれ……っ!!」
 ミリアが、喉に引っかかるような声で、小さく悲鳴をあげた。
 その彼女の指差す先──先ほどまで美しい花火が上がっていた辺りから、空に向けて。


ごぉぉぉぉぉーっ!!!


 なぜか、炎が噴出していた。
 それも、近くの山が反射して赤く映えるほど、巨大な炎が。
「………………………………………………。」
「……………………………………火?」
 ぽつり、と、小さく呟いた自分の言葉が、グルグルと頭の中でリフレインする。
 それと同時、花火だと舞い上がっていた昼間の自分の態度と、それに反するテンプルトンとクロンの態度も、アリアリと脳裏に蘇ってきた。
 厳しい顔つきで腕を組んだテンプルトンの、
『湖岸は……やめとけよ、フッチ。』
 ヒラヒラと手を振るクロンの、
『うん、船に積んでるの見たから、僕は城に残るよ。』
「………あいつら…………さては、知ってたのか……っ。」
 フッチが、「このこと」を知ってのうえで自分たちを誘ったと思ったのか、そうではないと思ったのか、それは分からなかったけど。
 自分の身を惜しいと思っている人間にしてみたら、確かに、湖岸に行くのはご免こうむりたいことであろう。
 なんだか、それを認めた瞬間、悩んでいた自分がバカみたいで──というよりも、バカだなぁ、としみじみと思えてきて、フッチは、力ない笑みを零さずにはいられなかった。
「はは…………っ…………俺、後で、あいつらにも……謝ります……。」
 いまだ勢いが衰えることのない炎の周囲を、火花を飛び散らせて花火が駆け抜けていくのが見えた。
 確かに、あんなところに──今、地獄絵図のようであろう場所に、連れて行こうとした自分も、問題アリなのだからと、そう自覚して力なく笑って見せたフッチに、
「ああ、そうだな…………。」
 ヨシュアも、髪を掻き揚げながら──力なく、笑って見せた。
──まったく、良いのか悪いのか、理解に苦しむ環境だな、解放軍というのは……。
「本当にもう、あの人達ときたら……っ。」
 下唇を噛み締めて、キリリと眦を上げるミリアの顔を横目で見やって、フッチは苦い笑みを貼り付けたまま、こう答えてやった。
「しょうがないよ、だって、解放軍だもん。」
 きっと、それが──一番しっくりくる答えなのだと、そう思いながら、フッチは微笑を口に上らせて、ミリアとヨシュアの顔を見上げたのであった。
 その、ふっきれたらしい微笑に──ミリアは驚いたような顔を一瞬浮かべて、ヨシュアは微かに笑みを浮かべて……二人は、フッチの頭越しに視線を交し合った。















 夏の夜の、幻想的でちょっぴり恐怖と暴動を起こした花火大会は、こうして幕を閉じたのでありました。


暑中お見舞い申し上げます。

今年は少し肌寒い日々が続いておりますが、日中、お日様が顔を出して、風がそよとも吹かなかったりすると──暑いですね。
でも、熱帯夜にはまだまだ程遠く、なんとなく安心して寝られる今日この頃ですが。
…………暑中お見舞いです(笑)。

題材は、「眼鏡団長」と、「浴衣ミリア」です。
…………すみません、それだけ、です(笑)。
いえ、一応副題は、「花火」なのですが、でもやっぱり、書きたかったのは、上の2つだけ………………(汗)。
花火が届く距離感がどれくらいなのか、ちょっと測りにくかったので、とりあえず一山越えるくらいは目に見えて、微かに音が聞こえるだろうと──騒音があまりなくて、風向きが良かったのだと思ってください。
微妙にシリアスが混じってしまったので、オチが……弱くなってしまいました。残念です。

ミリアに似合う浴衣は何があるかと、色々考えたんですけど、思い浮かばなかったので、適当に誤魔化して置きました。
髪が金色だから、淡い色で模様が小さいのとかだと、ボケるかな、とか、でも模様によっては似合うかな、とか、色々考えて、浴衣販売サイトとかにまで顔を覗かせたのですが、惨敗しました。
なんだか私が書くと、団長もミリアさんも嘘っぽくて、非常に人間味溢れすぎてしまうのですが──でもまぁ、ギャグですので……はい、ギャグなんです、これは。(言い切り)
理想の姿を書けるのは、まだまだ遠いようです……ふぅ。


こんな風に仕上がりましたが、暑中見舞いフリー小説ですv
2003年8月31日まで、ダウンロード可でございます。使ってやってください(←何に?)。

2003年 7月22日 庵 百合華 拝





「……まったく、このようなお遊びでこれほどの火薬を使うなんて……。」
 ブツブツと呟く軍師も、今日ばかりは酒の杯を傾けるペースが速い。
 そんな彼に、笑いながらビクトールが酒ビンを傾けてやる。
「まぁまぁ、固いこと言うなって。これからの戦いは、あっと言う間に進んで、終わっちまうようなものばっかだろ?
 ここらで息抜きしようって言う、アイツの優しさってヤツさ。
 ──色々なことで、頭悩まして、疑いを抱いているヤツらの心を纏めるのにも、最適だしな。」
「お前の口から、そんなまともなことが出てくるとはな……。」
 あきれたように呟くのは、ビクトールの背中に自分の背中をもたれさせて、ブツブツ文句を言いながら杯を進めているフリックである。
 ドォォンッ。
 上空で新しい花火が舞い上がり、おおーっ、と、辺りから歓喜の声が飛ぶ。
「火薬がもったいない。」
 ぶつくさと零すのは、珍しく頭から被っている布を払っているクライブだ。
 彼は、鼻の頭に皺を寄せ、今日もシュトルトを手放さずに腕に抱え込みながら酒を飲んでいる。
 どうやら、火薬が足りなくなったら、シュトルトに花火を詰め込んでみよーか、という、軍主様の非常識な発言に、恐れを抱いているらしかった。
「でもさ──ああやって、ドカーンッっと花火が上がると、なんだか、私達のぐちゃぐちゃした気持ちも、全部弾けて飛んでしまいそうな気にならないかい?
 …………決して、その思いがなくなるわけじゃないんだけどね。」
 近くの木にもたれかかって、静かにワインを傾けていたクレオが、切なげに眼を細めてそう呟く。
 そんな彼女も、今日ばかりは鎧を脱いで、他の女性たちと同じように浴衣に身を包んでいた。
 簡素な紺色の布地の浴衣は、お世辞にも華麗で美しいとはいえなかったが、しっとりとした色香をそこはかとなく漂わせている。
「────……ああ……そうかもしんねぇなぁ。」
 しんみりと、新たに上がった花火向けて、そうフリックが零した瞬間。

 どっごぉぉぉーんっ!!!

「!!!!!!」
 その場で和みムードに入っていた面々は、がばっ、と身体を上げて顔を見合わせた。
 そして、揃って見やった先では。
「…………まぁ、そういうことも、ある。」
 まるで悪びれず、しれっとした顔で告げる、極悪美少年魔法使いその人。
 さらに、その隣では、両耳を手で覆った──ある意味、この爆発が起きるとしっかり分かっていたらしい人物──が、
「わざとだろ、ルック?」
 ジロリ、と美少年を睨みあげている。
「なっ、何をやっているんですか、あなたはっ!!」
 慌てて叫んだマッシュに、「ついうっかり花火を暴発させてしまった」ルックは、
「ただの手違いの魔力の暴走。」
「そうだよ、マッシュ、気にしない気にしない。」
 しれっとして言い切り、軍主も軍主で、パタパタと手を振ってくれたものだから、始末に終えなかった。
「………………っ。」
 マッシュは、更に何か言い募ろうとしたが──ルックの目の前に置かれている、花火筒らしきものを複数個認めて、ジロリと二人の少年を睨み付けるだけに抑える。
 そしてそのまま、元のように席に戻ろうとしたのだけど。
「それじゃ、ルック。今度こそ、ちゃんとコッチに火をつけてよね。
 わざわざ本拠地から持ち出してきたんだからさ。」
 ルックの前に置かれている、「花火の筒」を示して、軍主。
 さらに続けて、
「ちゃんと放射の炎の設定も、モースに頼んで最高位に上げてもらってるから、予定通り、炎の川渡りが出来るくらいの火力が…………。」
 ビシリ、と、湖に流れ込んでくる川を指し示してくれて。
「ん。」
 ルックはそれに、鷹揚に頷くと、右手の平に力を集中し始め、自分の目の前にある花火筒らしきものに似せてある、「火炎槍の束を詰め込んだただの筒」向けて、火の紋章を解放する。
 刹那、
「って、ぼっちゃん! それは、火炎槍じゃぁ……っ!!!!???」
 このメンツの中で、一番軍主様と付き合いが長い女性が、ようやく、「筒」の正体に気付いて叫んだ。
 思わず昔ながらの呼び方で呼んでしまったという事実に気付くよりも先に、
「そんなものまで、持ってきたんですかっ!!!??」
 お怒りマックスなマッシュの叫びが──。

ぐごぉぉぉぉ…………どっぉぉぉぉぉごっっぉぉぉぉーんんんんんんん!!!!!!!!

 本日最高最大の、クライマックスによって、掻き消えたのであった。
 ────そう、これが、今日のメイン。
 炎の川登り、なのであった。


そして反省のかけらもない軍主様のお言葉。
「いや、楽しかった。凄く楽しかった。
 炎の川っていうのが見たくてね、それじゃぁ、ちょっとやってみよっか、ってことになったんだけど、まさか、炎の滝登りが見れるとは思わなかった。
 ま、飛び火した火が、ついウッカリ花火の尺玉に点火しちゃったのは、まずい事故だったと思うけど、マッシュの髪の毛も無事だったワケだし。
 ちょっとくらい、岩山が溶岩化したってくらいで、あんな半日も説教することないと思うんだけどねぇ? そう思わない、ルック?」
同じく、反省のかけらもない極悪魔法使いのお言葉。
「ああ、そうだね。
 あの程度の火力で、ガタガタ言うなんて、彼らも随分肝っ玉が小さいもんだ。
 これなら、一度思い切り、クラウリーさんと一緒に、最後の炎をダブルでかまして、湖炎上とか言うのを見せてやるという計画も考えたほうがいいかもしれないね。
 ──でもキミ、反省文を書いてなかったかい? それも、いつもの倍の400枚くらい。」
「書いたよ? 412枚と半分。」
「反省してないように見えるけど?」
「したよ、失礼な!
 紙面の上では。」
「ああ、なるほど。つまり、
 心にも思っていないことを、延々と412枚と半分書き続けたわけだ。」
「うん、そう。なかなか楽しかった。」
「……楽しかったのか。」
「うん。心にも思っていないこと書き続けるのって、頭の運動になるみたいだね。ボケ防止にキミもどう? ルック?」
「ああ、そんな肉体労働はご免だね。それくらいなら、心にも思っていないことを、堂々とすまなさそうに、うそ泣きも交えて、軍師殿に平謝りしたほうが、百倍マシだね。」


そして、そんな会話をコッソリ聞いてしまった、可哀想な青雷さんのお言葉。
「…………誰か……誰か、あいつらを…………止めてくれ………………っっ。」


それは、草津の湯でも直せない、悪癖なので、無理です。