9.「コレもらっていい?」
時間軸:DQ2 金のカギ入手後
「お兄ちゃんたち、今ごろ、どこにいるのかなぁ?」
サマルトリア城のバルコニーに置かれた、白い丸テーブルと、白い椅子。
うららかな日差しが舞い落ちてくる中で、彼女は透き通るような琥珀色の液体を見下ろした。
華奢なラインを描く陶器のカップと、上下二枚に設置された皿に盛られたサンドイッチとケーキ。
かぐわしい香を胸いっぱいに吸い込みながら、彼女──淡い栗色の髪の少女は、まだ幼さの残る指先を組み合わせて、サンドイッチとケーキを交互に見やった。
サンドイッチもケーキも、食欲のそそるいいにおいをさせていたし、鮮やかな彩りもとてもおいしそうに見えた。
けれど、どうしても手が伸びなくて、セシルは手にしていたカップをテーブルの上に戻して、そのまま隣の椅子へと手を伸ばした。
椅子の上には、先ほどまで──ティータイムのお菓子が来る前まで見ていた地図が、ちょこんと乗せられている。
世界地図と呼ばれるそれを、ふたたび手元に引寄せて、彼女はガサガサと大きなそれを広げた。
広大な……城の教師から毎日のように広げられては、各地の気候や地名を覚えさせられるソレには、ところどころにバツ印と日付が書かれている。
指先を最初に当てるのは、もう今から1年以上前の日付が書かれたここ──サマルトリア。
それから指先をずらして、南のムーンペタ、そこから北西のルプガナ。少し東のラダトーム。
そこまでは、日付は順番に続いているし、間隔も短い。
けれど、ラダトームを出た後は、バツ印もてんでバラバラな上に、日付もバラバラ。
──船を手に入れて、彼らはどこへどのような順番で行ったのか、まるで分からない。
そのバラバラな日付を眼で追って、セシルは指先を、地図の南端近く──ベラヌールと書かれた地名の上に当てた。
書かれた日付は、もう二ヶ月も前のもの。
二ヶ月もの間、何度も復唱したそれを、今また同じように復唱する。
「……ベラヌール、か……。」
兄からベラヌールに着いたという手紙を貰ってすぐに、地理の教師に話を聞いた。
ベラヌールという町は、湖がすぐ目の前にあって、水がとても豊かな国なのだと。
サマルトリアからは随分遠くにあって、気候も商業も何もかもが違って──兄は今、本当に遠いところに居るのだと思った。
それならと、地理の教師と地図を広げて、兄が次に行くのはどこだろうと、笑顔で交し合ったのも、──もう、二ヶ月も前。
船の上での生活が長くなると、どうしても手紙が届くのは遅れてしまう。
それは分かる。……わかるけれど、でも。
「だから、船の中で鳥を飼えばいいんだって、言ったのに。」
そうしたら、いつでも手紙を届けることができるじゃない。
そうしたら、届いた鳥に返事を持たせて、兄達の下へと返すことも出来るのに。
「──……おにいちゃん……、今度はいつ、手紙を……出してくれるのかなぁ?」
船を手に入れた兄達が、ベラヌールを出た後、どこへ向かったのか、全く予想はできない。
同じ大陸に居たときよりも、手紙が届く頻度が減るのは、当たり前のことなんだが──さすがに二ヶ月も空いたのは初めてで、正直、心配でしょうがなかった。
食欲がめっきり落ちたセシルのことを労わって、父や侍従がこうやってオヤツの量を増やしてくれてはいるけれど。
「……ぁーあ。」
それでもやっぱり、見上げたサンドイッチとケーキに手を伸ばす気力は、さっぱり湧いてこない。
地図をガサガサと椅子の上において、セシルは湯気が随分と薄れた紅茶を取り上げて、それに唇をつけると、ゆっくりとカップを傾けた──その瞬間。
「……姫様! セシルさま……っ!!!」
バタバタバタ──……と、激しい足音と共に城の中から乳母の叫び声が飛んできた。。
日頃から口がすっぱくなるんじゃないかと心配するくらいに「姫様たるもの、お行儀良くですね……」といい続けた女と同じだとは思えない、泡を食った調子で、彼女はバンと窓を叩きつけるようにバルコニーに飛び込んでくると、
「姫様っ! た、大変です!!」
「大変なのは、ばあやのお顔よ。」
思わず呆れたように注意してしまうほど、確かに乳母の顔は汗にまみれて、大きく開いた口からは、舌がベロリと伸びていた。
ぜえはあと息を繰り返す乳母に、セシルは可愛らしく鼻の頭に皺を寄せてみせると、
「それで、なにが大変なの?」
彼女がそこまで息を切らせるような何かがあったのかと、そう、問いかけたセシルへと。
「は、はは、はい! カイン様が──……っ、王子様が、今、お戻りに……っ!!!」
「お、お兄ちゃんが──……っ!!!?」
ガタン──……と、思わず座っていた椅子を倒して、セシルは顔を真っ赤に染めて、興奮を露わにコクコクと頷く乳母を凝視する間もなく、ダッ、とバルコニーを飛び出した。
サマルトリア城の玉座の間に、その三人の若者はいた。
若木のような凛々しさと清清しさをかね添えた青年──ローレシアの王子、ユリウス。
あでやかな大輪のバラを思わせる美貌の娘──ムーンブルクの王女、リィン。
そして、 木漏れ日のように穏かで優しい雰囲気と、おっとりとした物腰の青年──ここ、サマルトリアの王子、カイン。
記憶にある姿よりも凛々しく、精悍に──そしてどこか研ぎ澄まされた刃のような雰囲気を携えながらの、帰還であった。
玉座の間に飛び込んだ瞬間、サマルトリア王の前に立つ三人を認めて、セシルは喜びに大きく目を見開いた。
「お兄ちゃん……っ!」
歓喜に飛び上がり、そのまま三人に向けてセシルは駆け出す。
甲高く響き渡る声に、サマルトリア王が、そして同じく玉座の間にいた兵士達が、驚いたようにこちらに視線を寄越すのが分かった。
その中、三人の若者達だけは、少しだけ反応が違った。
お互いに目配せをしあうようにして、くすりと笑いあいながら──ゆっくりと、こちらを振り向く。
その、一年と半もの間──彼らが旅に出たとき以来に見る、懐かしい容貌を認めた瞬間。
「──……っ。」
なぜかセシルは、飛びつこうとしていた足を緩めて──トン、と、数歩前で歩みを止めた。
年頃の娘らしくなく飛びつくものだとばかり思っていたサマルトリア王は、驚いたように目をパチパチさせて、彼らの頭ごしにセシルを凝視している。
それは、この場に揃う重鎮にしても同じことのようで、みんな一様に、揃えたかのような視線で、マジマジとセシルを見下ろしている。
「……お……かえりなさい、……お兄ちゃん。」
セシルは、喜びにか悲しみにか……何にか分からないまま、顔をクシャリと歪めて、掌でギュとドレスを握り締めた。
セシルが抱きついてくると思っていたカインは、広げかけた両手を見下ろして、ニギニギと掌を開いて閉じてした後で──ゆるく首を傾げて──それから、一年半前と同じ、穏かで優しい笑顔を浮かべて、うん、と一つ頷いた。
「ただいま、セシル。」
セシルだけに向けられたその笑顔は、昔の──旅に出る前の兄のものと、同じものだった。
セシルはそれに、ほ、とするのを覚えながら、へへ、と照れたように笑って、改めてリィンとユリウスを見上げる。
「リィンさまも、ユリウスさまも、お久し振りです。
──お元気そうで、なによりです。」
少しだけ拙い言葉で語られた挨拶の言葉に、リィンはあでやかな微笑みを口元に浮かべながら、足を一歩踏み出す。
「……久し振りね、セシル。」
掌を差し伸べられて──いかつい杖を持っているとは思えないほど繊細で柔らかで……なのに、少しだけささくれている指先で、ギュ、と手を握られる。
記憶にある手よりも、ずっとしっかりと大きくて──それから、かさかさに渇いている感触に、セシルは驚いて、目を見開いてリィンを見返す。
遠目に見た時には、リィンは昔と変わらず──いや、最後に会った2年前よりも、ずっと美しく、女らしく……あでやかになっていると、そう思ったのに。
間近で見ると、透き通るようだった肌はくすみ、柔らかでいい匂いのする髪は、痛んでいて、先端が淡く色が抜けていた。
長く整然と揃った睫も、形良い鼻梁も、甘い色を漂わせる唇も、何もかも記憶よりも整ってきれいなのに──。
なんだか、悲しくなって、眉を曇らせるセシルに、リィンは軽やかな笑い声をあげて、
「ごめんなさいね、セシル? 最近、【どこかのバカ】が、無駄遣いしちゃったものだから、野宿が長くって──手、痛かったかしら?」
するり、と掌を剥がし取られる。
その行為と言葉に、慌ててセシルは、そんなことはないと大きく頭を振ろうとしたが、それよりも早く、
「ちょっと待てリン。なんだよ、その『どこかのバカ』って言うのは!」
斜め前から、記憶にあるものよりも数段低くなった声が、不穏な響きを宿して聞こえてきた。
これにも驚いて顔をあげれば、一年と半年前に見かけた時よりも頬の丸みもなくなり、体もがっしりとした青年が──男臭さが増した男が、腕を組んで、顔を歪めて、リィンを見下ろしているのが分かった。
──その人が、誰なのか、分からないわけではない。
けど、リィンと違って、重装備をしている男が、自分の知っているユリウスとは別人のように感じて、セシルは忙しなく目を瞬く。
──……さっき、彼らに飛びかかろうとしたのを思いとどめたときと同じような──焦燥感にも似た疎外感が、むくり、と胸の中で頭をもたげる。
「リィンのミンクのコートのために貯めてたお金で、ドラゴンキラー買っちゃったユーリのことじゃないの?」
のほほーんとした口調で、カインが首を傾げる。
その仕草も、口調も、何もかもが旅に出る前と同じなのに、身につけている物が違うだけで、なんだかその色すら違って見えた。
「そうよ、他に誰がいるのよ? 買い物するときは、もっと賢く買いなさいって、何度言ったら分かるのかしら、ユーリの軽い脳みそは!」
腰に手を当てて、グルリと首をめぐらせるようにしてユリウスをジロリと睨み挙げるリィンは、ここがサマルトリア城内でなかったら、いかづちの杖の力を問答無用で発揮させていたことだろう。
代わりにリィンは、ユリウスの腰にぶら下がっているドラゴンキラー──サマルトリア城の誰もが見たことがないような、奇妙な形の剣のような爪のようなソレを顎でしゃくってみせる。
とてもではないが、他国の玉座の間でする行動ではないが、リィンは全く気にしていない──ソレはもちろん、幼い頃からこの城を知っているユリウスにしても同じことで。
「賢い買い物だろうが! たった8000だぜ、8000!? このあいだ買ったカインの力の盾に比べたら、ぜんっぜん、かわいいもんじゃないかよ、おい!? っていうか、今俺らが激貧なのって、どっちかっていうと、カインの力の盾のせいじゃないのか!?」
言いながら、ニコニコと2人の楽しいコミュニケーションを見守っているカインの腰にぶら下がっている、光沢の見事な盾を手で指し示す。
そのユリウスの動きにつられて、一同そろって、見たこともない鮮やかな文様が刻まれた美しい盾に視線を移す。
カインも釣られたようにそこに視線を落として、撫で撫で、と盾をなで上げた。
リィンは、そんなカインの動きに目を留めた後、ふん、と短く鼻で息を蹴飛ばして、ユリウスを睨み挙げた。
「バカじゃないの? 良く考えてみなさいよ、ユーリ?
カインと私は、あんたと違って、今までずーっと同じ皮の盾を、ずーっとずーっと使ってきてたのよ!? しかも、今身につけてる魔法のよろいだって、あんたのお下がりじゃない!」
「しょうがねぇだろっ! カインが皮の盾以外装備できないんだから!」
「そうなんだよねー、僕、どうも重いのはダメだし、剣を持ちながら盾ももてるなんて、ほんと、ユーリはスゴイよね〜。」
のほほーん、としたユリウスを誉めるカインに、すかさずリィンが、ビシッ、と手にしていた杖の先端で床を叩き付けて、
「ただの脳みそまで筋肉バカなだけじゃないの!」
「だっれが、脳みそまで筋肉バカだとーっ!!?」
グイ、と一歩足を前に進めて、ユリウスは腕を伸ばして、リィンのみかわしの服の襟元を掴み挙げる。
その乱暴な動作に──これこそ本当に、一国の王の前ですることではないだろう仕草に、セシルは飛び上がるほど驚いた。
「ゆ、ユーリさま……っ、リィンさま……っ!」
けれど、掴まれたリィンはというと、余裕の笑みを口元に浮かべたまま、細くしなやかな──先ほどセシルの手を、ギュ、と握った指先で、彼の指先を包み込むと、
「目先のことしか見えてないから、筋肉バカだって言ってるのよ、ユーリ? あとすこーし我慢してくれたら、もう8000出すだけで、光の剣が買えたのに……もったいない。」
「──……うっ。」
嫣然と微笑むリィンの笑顔に、ユリウスは額を付き合わせていた彼女の襟首から、するりと手を放す。
さらに追い討ちをかけるように、彼女はますますつややかな微笑みを口元に浮かべると、
「まぁ? そのおかげで、予定よりも早くカインがロトの剣を使えて、私もそのお下がりでこうしていかづちの杖を手に出来るんだし?
──ほんっと、ユーリってば、お買い物上手ねぇぇ?」
キレイな掌に不似合いな無骨な杖でトントンとユリウスの腕を叩く。
その慣れた仕草に、思わずユリウスは足を一歩引いて──すばやく杖を一瞥させると、そこにほとばしる光が宿っていないのを確認した後、再びグイと……今度は額が付きそうなほど、顔だけを近づけて。
「いっやみたらしいな、お前っ!」
「イヤミだもの。」
ギロリと睨みつけるように見下ろすと、にっこり可憐にリィンが微笑む。
そんな2人の様子に、ユリウスとリィンをめまぐるしく交互に見やっていたセシルは、困惑した様子と──胸にズシンと来るような疎外感を、噛み締めずにはいられなかった。
昔から──そう、昔からこの2人は、「ケンカするほど仲がいい」とは思っていた。
とても仲がいい、という表現なら、自分とリィンや、兄とリィンのほうが、ずっとしっくり来る。
けれど2人は──そう、小さい頃からこうやって、所構わずこんな調子で……いつ見ても不思議とそれが。
「……いやー……ユリウス王子もリィン王女も、ほんっとうに、仲がよろしいなぁ……。」
セシルが思っても、口に出さなかったことを、のほほーんとした口調で、玉座の上から父王が零した。
はっ、と見上げると、自分の目の前で喧々囂々と言い合いを始めた二人の王子と王女を、いとおしむかのような視線で、サマルトリア王は見下ろしていた。
おそらく彼もまた、セシルたちと同じように、凛々しくたくましく──見違えるように鮮やかになった「ロトの血を引く一行」に、かすかな疎外感を覚えていたのだろう。
にも関わらず、目の前でやりあいはじめるところは、年中行事での顔を見合わせたときそのもので──少しだけ、ホッと安堵するような、柔らかな色が見えた。
そんな父を見上げて、のんびりと2人のやり取りを見守っていたカインが、同意を示すように頷く。
「でしょー? 僕もねぇ、2人に挟まれて、いつもアツアツで困っちゃうなー、なーんて。」
──とたん、セシルの制止の声は全く耳に入っていなかったユリウスが、がばっ、とカインを振り返り、
「ちょっと待てー!!! カイン!! お前、おかしなこと言うなよ!!」
そのユリウスを押しのけるようにして、リィンも美貌を顰めて振り返りながら叫ぶ。
「そうよっ、カイン! 私がこーんな男とアツアツ何してるって言うの!」
「こーんな男」というくだりで、リィンはバシンといかづちの杖でユリウスの背中を叩く。
勢いが篭ったその衝撃に、けれどユリウスは軽く眉をひそめるだけで、体はピクリとも動くことはなかった。
そうして──その、リィンとユリウスに向けて、カインはお日様のようなゆったりとした笑顔を向けると、
「何って……メラミとかイオナズンとかー?」
「────────…………………………。」
それは……ちょっと、お兄ちゃん…………フォローにしては、意味が……………………。
たらり、と、セシルの額に冷や汗が浮かんでいるのは、間違いではないはずだ。
その証拠に、室内にいるほとんどの人間が、ガックリと肩を落としている。
けれど、笑顔を向けられた先で、リィンはと言うと、少し考えるように顎に手を当ててから、
「──……そうね、アツアツね。」
小さく、呟き返す。
思わずそのリィンに向けて、何をいってるんですか、と叫びたくなったセシルであったが、わが意を得たりとばかりに、カインが一足早くニッコリ笑顔を浮かべて、
「アツアツでしょー?」
「アツアツねー?」
同じくニッコリと、リィンも微笑み返す。
そのまま、ニコニコと微笑みあう二人に──今度はユリウスが、がっくり、と肩を落とした。
「────…………カイン……お前なぁ…………。」
ユリウスの声にも態度にも、どこかかすかな疲れが見えて──けど、すぐに彼はそれを払拭するかのように、軽い笑みを口元に浮かべて、やれやれと顔をあげた。
その表情が、一年半前に──旅に出た時と、同じようで違う。
カインやリィン、セシルに向けていた笑顔は、いつも同じ種類の笑顔だったはずだ。
なのに──今は、ぜんぜん、違う。
「──……っ!」
なぜか、堪えきれない感情が漏れ出てきた気がして、ギュ、とセシルは拳を握り締めた。
激情にも近い感情が胸から湧き上がり、とっさに兄と父の元に駆けつけて、叫びそうになっていた。
──私も一緒に旅に出る! 連れてってっ!!
けれど、それを無理矢理──強引に、グ、と飲み込んだのは、間近く見えればすぐに分かる、ユリウスの腕や首元に刻まれた見慣れない傷跡や、先ほど握ったリィンの乾いて少しゴツゴツした指の感触を思い出したからだ。
──セシル、旅は、お前が思っているほど、楽なものじゃないんだよ。
不意に、まざまざと、カインから帰って来た返事の内容が思い浮かんだ。
顎を引いて上目遣いに兄の方を見上げれば、かすかにこけた頬と、荒れた唇。
笑う顎の当たりがシャープになっていて、でも、浮かんだ表情は柔らかくて。
「────…………。」
見る人が見れば、これほど穏かに笑いあっていても、三人の周囲の雰囲気が研ぎ澄まされていることが分かっただろう。
身につけた武具に見合うだけの命のやり取りを、彼ら三人は何度も何十回も潜り抜けてきているのだから。
セシルは無言で視線を落とした。
すると、ピカピカに磨かれた床の上にゆるくラインを描く白いドレスの裾が見える。その先から、ちんまりと顔を覗かせるのは、新しく買ってもらったばかりの靴だ。
カインからの手紙の返事があまりにも届かないので、元気が無かったセシルを、少しでも元気付けようと、父がプレゼントしてくれたものだ。
そのつま先を見下ろしながら──セシルは、小さく溜息を零しかけて、慌ててソレを飲み込んだ。
それから、そのまま、キュ、と唇を一文字に結んで、胸を前へと張って、腰を手に当てて。
「ところで! お兄ちゃんもリィンさまもユーリさまも、旅の途中報告のために立ち寄ってくれたんだったら、こんなところじゃなくって、お茶でも飲みながら、ゆっくりしたらどうかしら?」
そう──この一年と半年で身につけた、お姫様ぶった態度で、ツイ、と視線をくれて告げてやった。
そうだ……何もこんなところで、立ち話なんてすることはないはずだ。
そう続けるセシルのセリフに、ユリウス達三人は、目を丸くさせた後──、
「あっ! ロト!!」
「懐かしさにうっかり忘れていたわっ、ユーリじゃあるまいし!」
「そうそう、それでこっちに寄ったんだよね〜。」
それぞれに思い思いに、驚いたように叫んでくれた。
そうして、呆然と眼を見張るサマルトリアの面々に気付く様子もなく、マイペースに、三人でさっさと話を進めていってしまう。
「っておいリン、お前、言うにことかいてなんだよ、その言い方はっ。」
「ユーリ、そんなことより金のカギ、金のカギ! あれで開くところにあるんだよね?」
「というか、さすがにローレシアみたいに、鍵をなくしちゃったなんてことはないんじゃないの? サマルトリアは。」
何のことか分からない会話を続ける三人に、セシルは無視された気持ちで、むぅ、と唇を尖らせる。
「もう! 何よ、お兄ちゃんもリンさまもユーリさまも! 一体、何の話!? 私たちにも分かりやすく話してよっ!」
ズイ、と足を一歩前に進めながら、ふたたび腰に手を当てて、三人の顔をぐるりと見回す。
胸の中で、沸き立つような苛立ちがグルグルと回っているのを自覚しながら、セシルは勤めて澄ました顔で、つん、と顎を逸らした。
兄達が旅に出る前なら、拗ねた顔の一つでもしてみせて、ユリウスの下に駆けつけ、彼の胸を拳で叩きながら、「バカバカ、お兄ちゃんを独り占めするな!」くらいは言ったかもしれないけど──私だって、もう15歳だ。レディなのだ。
そんな子供っぽいことはしない。
──そう思うセシルの、つん、と顎を逸らして腕を組む仕草は、子供らしくて可愛いことこの上なかったが、それはさておき。
「そうじゃな──カイン、ユリウス王子、リィン姫。お前たちで話が完結しても、わしたちには、一向にイミがわからん。
もうちぃと、丁寧に話してはくれんかな?」
短いあごひげをしごきながら──サマルトリア王が緩やかな微笑を口元に浮かべつつ、息子と同じようなノホホンとした声で話しかけてくる。
その台詞を聞いて、リィンは、あ、というように口元に手を当てると、羞恥に目元を赤らめた。
ユリウスならイザ知れず、自分までもが「説明」をすることを忘れていたなんて──どうやら、思っていた以上に浮かれていたらしい。
リィンは、コホン、と軽い咳払いをすると、ユリウスを一瞥してから、サマルトリア王を正面から見据えた。
「申し訳ありません、サマルトリア王陛下。
実は私たち、ロトの遺産を探してるんです。」
胸に手をあて、突然のことで申し訳ない、と美貌を憂いの色に染めるリィンの台詞に、温和なサマルトリア王も驚いたように眼を見張り、軽く身を乗り出す。
「……ロトの……。」
「遺産っ!!?」
父王の言葉を奪うようにセシルも驚いて口に手を当てて、マジマジと兄達の姿を見比べ──そして、ローレシア・サマルトリア・ムーンブルクの三国が国旗に刻まれている不死鳥ラーミアの……ロトの紋章と同じ文様が刻まれている剣を兄が差していることに気付いた。
驚愕にますます眼を見開けば、おそろいのようにユリウスが腰から同じ文様のペンダントのようなものを下げているのも見えた。
──つまり、それは。
「お……っ、おおお、お兄ちゃんの……──ソレも!?」
そう言えばさっき、リィンが「ロトの剣」なんていう台詞を言っていたような気がする。
あまりの驚きと畏怖に、指し示した指先が、かすかに震えた。
そんなセシルの言葉につられて、その場に居た全員が自国の王子の腰に目をやり──おおっ、と、感嘆の声をあげた。
そしてその期待の満ちた声を受けた主たるカインはと言うと、
「あ、うん、そう。竜王さんのお城で見つけたんだよねー。」
まったく、感慨深い色も見せずに、アッサリしたものだった。
「竜王のお城──今の竜王さんが、ひっそりと暮らしてるって言ってた、あのお城よね?」
セシルは、両手を胸の前で組み合わせて、兄から貰った手紙の内容を思い返す。
──兄達は、本当にすごく色々なところを旅しているのだと、しみじみと噛み締める彼女に、うん、とカインは一つ頷いて、
「ほら、うちのお城の宝物庫にも、ロトの鎧とか剣とかのレプリカがあったじゃない? 鉛で作ったみたいに重いやつ。
だからてっきり、僕たちは、ロトが使った武具なんて、もう残ってないものだと思ってたんだけど……。」
そこで一度カインは、自分が腰に差した剣を、ぽん、と叩いて──、
「精度は落ちてる上に、鍛えなおす鍛冶職人も居ない状態だが──確かに、ロトの剣は存在した。」
カインの言葉の先を、ユリウスが奪った。
さらにその後をついで、リィンが受け継ぐ。
「オリハルコンでも年数がたつと精度が落ちるのね……というのは、新たな発見だったけど。
でも、それ以前に、数百年も経っているにも関わらず、切れ味は本当にすばらしいの。
だから……ロトの武具や遺品が、私たちの役に立つかもしれないと思って、旅の合間に探していたんです。」
わざわざ全力で探すことではない。
けれど、少しの時間を割くことくらいなら、できる。
紋章探しの合間に、情報を集めようとはしていたが──結局、集まる情報は、全くないに等しかったのだけど。
「……実は、ひょんなことから、どんなカギでも開けれるカギって言うのを手に入れまして。
それを使って、ちょっと強引にラダトームの国王陛下と、四人でみっちりお話させていただいたんですけど。」
リィンが、嫣然と微笑みながら──チャリ、と金の音を立てるユリウスを一瞥する。
その隣でカインは、穏便な話あいとは言えないよねー、と、暢気な呟きを零していた。
「そうしたら、意外なことが分かったんです。
ロトの遺産は、さまざまな場所に散らばっていたのではなく、各国の王に手渡されていたのだ、と。」
「各国って──まさか!?」
そこでようやく、サマルトリア王は、カインたちがなぜココに戻ってきたのか悟って、己の足元を見下ろした。
そんなカインの父の姿に、ユリウスは袋から取り出した金の鍵をチャラリと揺らしながら、もう片手で腰からぶら下がった印を──「ロトのしるし」を揺らして、
「そ、俺たちも知らなかったんだけど、巧妙に隠してあるんだ──ロトの遺産は無いように見せかけながら、そこに必ずあるように。」
ロトはきっと、またいつか必ず、これらの遺産が必要になることを知っていて──そして同時に、だからこそこれらを「闇」が狙うことを予測して、子孫達にも分からないように、巧妙に隠してきたのだろう。
「ちなみに、ローレシアにはコレ……ロトのしるしがあったんですけど、これがまた、宝物庫の壁の文様の一つに埋もれてて、ぜんぜん気付かなかった。」
チャリチャリとロトのしるしを手でもてあそびながら、ユリウスは視線をリィンにやると、彼女はコクリと神妙な仕草で頷いて、サマルトリアの国王を見上げた。
「しかも巧妙なことに、ロトの血を引く『魔法探知能力』がある物にしか、見えないような仕掛けになってました。
ある一定以上の魔法力を持っていないと、決して見つけることはできません。
宝物庫に入れる人間なんて限られている上に、壁なんて誰も注視しませんから……、今まで誰も気付かなかったのでしょう。」
静かな口調で語るリィンその人こそが、宝物庫に入ってロトの紋章を見つけ出したのは間違いないだろう。
そして彼らは、今度はココ──サマルトリアに次なるロトの遺産があるのではないかと、睨んでいるというのだろう。
「……うぅ……む。
──だが、ロトの遺産ということは……鎧と、盾と、かぶと……ということになるか?」
「サマルトリアにあるのは、ロトの盾だよ、父上。
ラダトームには兜、ムーンブルクには鎧が継承されてるみたいだから、消去法でうちは盾。」
渋い色であごひげを撫で上げる父に、カインが左腰に下げられているロトの剣の柄を撫で上げながら、ニッコリ微笑む。
その言葉に、驚いたように腰をあげるサマルトリア王に──リィンは、コクリ、と頷く。
実は、このサマルトリアにきたのは、一番最後なのだ。
それにしては、ロトの紋章が入っているものが見えるのは、剣しかないようだが──と、王室の面々が思っているのは間違いないだろう。
だがそれには理由があるのだ。
ラダトームに継承されていた「ロトの兜」は、数代前から聖なる祠に預けられていて──この聖なる祠の主は、正当なるロトの子孫にしか渡せないから、ロトの子孫だと分かるものをもってこいと言った……その証と言えるだろう「ロトのしるし」は、すでに手には行っているから、いつでも取りにいけるとして。
その次に立ち寄ったローレシアでは、ロトのしるしを探すのに一週間近くかかった。──ローレシアでも「ロトの遺産」がどれなのか分からないからこそ、皆で色々なところを探し回ったのだ。
そうやって、ローレシアの城の隅々まで探したカインとリィンの二人は、とあることに気付いた。
ローレシアの宝物庫に無くて、サマルトリアとムーンブルクの宝物庫にあったもの。
それは──ロトの鎧、兜、剣、盾のレプリカだった。
そう、サマルトリアにもムーンブルクにもあるソレが、ローレシアには無かったのである。
ということはつまり、そのレプリカの中の一つが「本物」という可能性がある。
そこで一同は、まずはじめに宝物庫の扉が壊れているムーンブルクに向かい──そこで、「鎧」だけが盗まれていてないのを発見した。
ハーゴンが軍勢を率いてやってきたときに、ハーゴンがその存在に気付いて持ち帰ったのだろうと思われる。
代わりに、牢屋の片隅にあった水の紋章が手に入ったが。
そんな理由から──消去法で、サマルトリアにある「レプリカ」の盾が、本物の「ロトの盾」ではないかと、睨んだのである。
「だから、そういうわけで、宝物庫に入ってもいいかなー? って聞きにきたんだよ、僕ら。」
言葉にすれば、ただその一言で終るのかもしれない。
けれど。
にっこり微笑んだカインたちの言葉一つに、さまざまな冒険と苦難の色が見え隠れして──セシルは、なんだかたまらない気持ちになって、「許可しよう」と告げる父の口元を睨みつけながら、キュ、とドレスの裾を強く握り締めていた。
果たして、サマルトリア城の宝物庫に、狙いたがわずその「盾」はあった。
飾られていたときには、他の兜や鎧となんら違わないものだと思っていたのに、ユリウスの手に治まった途端、輝きが何倍にも増して見えるから不思議だった。
その手に握られた盾が、いやに神々しく見えて、セシルはつまらないような悔しいような気持ちになった。
何度か手の具合を確かめて、上下に緩く振ったユリウスは、それを顔の前まで翳して見せた後、
「ん、すげぇ手になじむな。」
「ほんと? 防御力も高いみたいだし──良かったね、ユーリ。」
「これであんたに力の盾を買わなくても済むわね。」
穏やかな笑みで、ぱふ、と手を合わせるカインに対し、リィンは安堵した表情を浮かべる。
──これで私のミンクのコートに、また一歩近づけた気がする、と。
ちなみにこの場合、光の剣を買うのは、当分お預けになるのは確定である。
そう言外に告げるリィンの意図に気付いたのか、へぇへぇ、とユリウスは肩を竦めると、自分の腰につけていたはがねの盾を剥がし取り、代わりに手に入れたばかりのロトの盾をつけると、ひょい、とそれをリィンに向けて差し出して、
「ま、これでも売って、お前のコートの足しにでもしろ、リン。」
「………………1500ゴールドね。」
受け取ったはがねの盾を上に下にとひっくり返した後、リィンは小さく溜息を零す。
そんな彼女が手にしている盾は、ところどころ痛んでいて、小さな傷が幾つもついていた。
随分乱暴な扱いを受けてきたのか、手持ちの部分は擦り切れていて、盾に描かれた模様は擦れ始めていた。
1500ゴールドと口にしたものの、もう少し値切られても仕方がないかもしれない。
リィンが、溜息にも似た気持ちで思った瞬間だった。
「それ、いらないなら、私、欲しいっ!!」
突然、右手から弾けるような声が飛んだ。
驚いて視線をやると、セシルがキラキラと眼を輝かせながら、リィンが持っている盾を凝視していた。
思いも寄らない方向から掛けられた声に、ユリウスは驚いたように眼を軽く見張って、セシルと盾とを交互に見た後、顔をゆがめて、
「セシル……お前、こんなもん貰ってどうすんだよ? 使わねぇだろーが。」
「壁に飾るの! だって、なんだかステキじゃない!?」
胡散臭げなユリウスの言葉に叩けば響くように、セシルは叫び返していた。
「────…………ステキ?」
「ステキかしら?」
「セシルって、いつの間にこんなに趣味が悪くなったのかなぁ?」
かろうじて明確な台詞を避けたユリウスとリィンの心の声を代弁するように、カインは小首を傾げて呟く。
どう見ても、リィンが持っているはがねの盾は、王女が壁に飾るような類のものではない。
ロトの盾や力の盾ならとにかく。
「ステキなの! だって……壁だったら、毎日見えるもん…………。」
ギュゥ、と、握り締めた手に力を込めながら、キュ、と唇を一文字に結んだセシルの言葉に、ますますユリウスはワケの分からないと顔をゆがめた。
けれど、リィンとカインは、何も言わず無言で視線を交し合うと、小さく溜息を零してから、コクリ、と頷きあって。
「……セシル、飾る前にはちゃんと消毒してもらいなさいよ。──これ、さっきまでユーリが腰にぶら下げていたのだから、とても汚いから。」
リィンは、しぶしぶと──本当に心の中からしぶしぶと言った仕草で、手にしていた盾を彼女の前へ差し出した。
ばっ、と顔をあげたセシルの顔に、満面に広がる笑みが浮かんでいくのを認めて、リィンはますます苦い色を口元に刻んだ。
おずおずと手を伸ばしたセシルは、ひんやりと冷たい盾を手に取り──その、くすんで鋼くさい匂いのするそれを、そ、と手元に抱え込んだ。
「……うんっ、ありがとう、リィンさま!」
「わっけわかんねぇよ……お前…………。」
本当に嬉しそうに笑うセシルに、ユリウスは理解するのを諦めたように溜息を零してみせて。
そうして、そんなユリウスを一瞥したカインとリィンは、ますますウンザリした視線でお互いに顔を見合わせると、
「……ほんっと、セシルって趣味悪いわよね……。」
「っていうか、ユーリって……鈍いよね……………………。」
お前らに言われたくねぇっ、と、ユリウスが聞いていたら思わず叫ぶようなことを、小さく──小さく呟きあうのであった。
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久しぶりにドラクエ2を書いたら、楽しかった……キャラ暴走中です。
──うーん、やっぱり三人コンビは好きですね〜。