7.身長差
時間軸:幻水3 エンディング数年後
「あら、クリス? あなた、とてもいい香りの香水をつけてるじゃない?」
窓の外がようやく白み始めた頃、クリスは柔らかなベッドから身を起こし、水の張られた白い陶器で顔を洗う。
寝起きがそれほどいいわけではない彼女は、そうやって冷たい水で顔を洗い流しても、すぐに目が覚めるわけではない。
特に今日は、昨夜遅くまで起きていただけあって、体の奥底に痺れるような疲れが残っていて、なかなか熱くほてった熱い瞼は開いてはくれなかった。
あふ、と小さくあくびを噛み殺して、クリスは緩くかぶりを振る。
そうすれば、寝ている間に乱れた銀の髪が、肩口からサラリと零れ落ちた。
それを指先で引っ掛けながら、クリスはもう一度あくびを噛み殺して、着ていた寝巻きの裾に指先を引っ掛ける。
そのまま一気に裾を捲りあげて、クリスは襟首から頭を潜り抜けさせた。そのまま脱ぎ捨てたシャツをパサリとベッドの上に投げ捨てると、背中を覆った髪をふぁさ、と躍らせた。
薄いカーテンからにじみ出る朝日に、クリスのきめ細かな肌が淡く照らし出される。
その腕にや肩口、腰や胸元に、うっすらと浮き出る傷跡がいくつか見えた。
その数え切れないほどの無数の小さな傷跡──それこそが、彼女が「ゼクセン騎士団長」の証でもあった。
クリスは、その無数の傷跡を隠すかのように、ベッドサイドの着替えを手に取ると、それを手早く着込んだ。
いつも鎧の下に着込むソレは、クリスの裸体にぴったりと張り付く。
クリスはその裾をぴったりと引き伸ばすと、そのままの動きで下のズボンを取り上げて、それを履いた。
ピシリと身なりを整えた後、クリスは今度は櫛を手にとって、それをしなやかな髪の毛に入れながら、隣室の方へと歩き出す。
クリスの通称に使われる長い髪は、ほんの二度三度櫛を入れただけで、さらさらと手のひらを零れていく。
扉近くの棚の上に櫛を置いて、クリスはテーブルに着く。
白いテーブルの上には、昨夜訪問してきた人から預かったばかりの書類が詰まれている。
クリスはそれを取り上げて、ぺらぺらと捲り始めた。
どこか得意げな顔でこれを手渡した青年の顔を思い出しながら、彼の筆跡を指でなぞる。
──ゼクセンとグラスランドが同盟を結んでから、たびたび、その中央の地点である「ビュッデヒュッケ城」で互いの現状を報告しあうことになって、どれくらいの月日が過ぎただろうか。
はじめは3ヶ月に1度だった定例報告会が、少しずつ多くなり──やがて今では、ビュッデヒュッケ城の年4回だけではなく、互いの集落を行き来することもあった。
今回のコレも、その一つだった。
前回のビュッデヒュッケでの定例報告会の時に、ヒューゴから持ちかけられたものだ。
そして、その定例報告会で、サロメやゲドたちから、「この報告書は、ちょっと……」と言われたのが、答えたらしく、この一ヶ月でルシアにずいぶん教育されたらしい。
「──……良かった……、みんな、元気なのだな。」
ヒューゴの書いた報告書は、確かに「報告書」というには、少しばかり雑で、少しばかり余計なことが書かれている。
けれど、この──「余計なこと」が、今のクリスにはありがたかった。
一人で静かにページを捲りながら──決して、カラヤクランの人間には直接聞くことができない内容を、クリスは見つめる。
カラヤクランの傷跡が、どれほど回復していったのか。
数年前までは炎を恐れていた子供が、自分の手で火をつけれるようになったこと。
鉄頭と呼んでいた人々が、「ゼクセンの」と言い方を改めたこと。
確かに「報告書」と言うには、雑念が多すぎる「手紙」だ。
けれど、クリス個人に当てられた報告書だと思えば──十二分ほどにそれは、いい報告書だった。
そのまま、十数枚にもなるヒューゴの字を読み進めていって……そこでふと、クリスは手を止めた。
コンコン。
控えめなノックの音に、クリスは手元に広げた書類を片付けて、外に向けて応えを返す。
すると間髪いれずに、聞きなれた声が返ってきて、ドアがゆっくりと開いた。
「おはようございます、クリス様!」
明るくすがすがしい声と共に、明るい髪の色の少年が飛び込んでくる。
そのまま、スチャ、と片手を額に軽く当てて、敬礼をするルイスに、クリスはゆっくりと顔をあげて、ニッコリ微笑んだ。
「あぁ、おはよう、ルイス。」
ルイスは、敬礼をした手とは違う手に、小さな箱を持っている。
クリスはそれに視線を止めて、かすかに首をかしげた。
「ルイス、それは何だ? 朝から書類を持ち込んだにしては、ずいぶん小さいようだが……。」
小さいどころか、どう見てもそれはただの小箱だ。
しかし、ただの箱だというには、それは華やかな色紙に包まれていて、かわいらしい布地で作られた花がついていた。
その花は、どこかで見た記憶がある──と思うと同時、クリスの頭の中に、違う柄の花がポンとひらめいた。
「──もしかしてそれは、リリィからか?」
「はい、先ほど届いたので、お持ちしたんです。」
ニッコリと、明るい笑顔でルイスは微笑むと、クリスの目の前のテーブルに、とん、とそれを置く。
コトン、と小さく音がして、目の前に置かれた箱の上で、ヒラリと華やかな布地で作られた花が揺れる。
それは、数年前──ビュッデヒュッケ城で、リリィと一緒にお茶をしていたときに、良く見た物だった。
華やかな布切れを使って、マーサやセシルが「内職なんですぅ」と言って、花を作っていたのを見て、リリィが自分の従者である男2人に、「作りなさい」と命じていたのだ。
あの後すぐに飽きたと思っていたのだが、そうではなかったらしい──もしくは、実はこっそり、花を作る喜びに目覚めた2人のうちどちらかが、あれからも作り続けていたということだろうか。
「一体、何を送ってきたんだ?」
「さぁ? 割れ物注意! って書いてありましたよ。」
ニコニコ微笑みながら告げるルイスの目は、好奇心に輝いていて、彼もまた、「あのリリィ」が送ってきたものに興味があるらしい。
それを横目に見上げながら、くすくすとクリスは笑みを零しつつ、箱の包み紙を開けた。
がさがさと小さく音を立てて、箱を開ききると、ふわりと鼻腔をくすぐる──花の香りがした。
「──……?」
軽く首をかしげて、クリスは細かな赤い敷き紙を指先で掻き分けて……それから、その中にひょっこりと首が見えたビンを取り出す。
華奢なビンのラインに、淡い色の液体。その中で、キラキラと黄金色の粒が光っている。
「わぁ……っ! 香水ですね、それ!」
明るい笑顔で、ルイスが両手を合わせる。
その彼の言葉に、そうだな、と相槌を打って、クリスはそれを視線の位置まで掲げた。
すると、蓋がされているにも関わらず、鼻先を甘い匂いが駆け抜けていった。
その、甘く癖のある──けれど後に残るさわやかな匂いには、覚えがあった。
「──……でも、なんでリリィさんは、香水をクリス様に送ってきたりなんかしたんでしょうね?
──普通、香水って、匂いの好き嫌いがあるから、贈り物には不向きなことくらい、リリィさんなら知ってるだろうに……。」
不思議だなぁ、と、小首をかしげるルイスの言葉に、クリスは唇を軽く引き締め──ただ無言で瞳を細めた。
鼻先に甘く香るソレが、何の香りなのか──……覚えがあるからこそ、厄介で。
それから視線を無理やりはがすように……鼻先に甘く香る「花」の匂いを感じないように、クリスは香水のビンをテーブルの上に置くと、箱の中に入っていた白い封書を取り上げる。
繊細な花の模様の描かれた封書の中には、同じ模様の入ったカード。おそらくは、この香水に付属していたものを使ったのだろう。
そこには、懐かしいリリィの字で、たった一言。
『見つけたわよ!』
「………………なぜおまえが知ってるんだ………………。」
自信満々なリリィの笑顔が脳裏に浮かんできて、クリスは歯噛みしながら低く呟く。
そんなクリスの、悔しさと羞恥が入り混じった台詞は聞えていないのか、ルイスは走り書きされたリリィのカードを見下ろしながら、緩く首をかしげる。
「あ、もしかして、クリス様がリリィさんに頼んだんですか?」
見つけたって、ことは。
そう、無邪気に笑って問いかけてくるルイスに、クリスは一瞬、う、と息を詰まらせた後──、
「……ん、いや……まぁ、そんなところ、……かな?」
ウソをつくのが下手な乙女は、あからさまに怪しい具合に視線を泳がせ、上ずった声でルイスに答える。
そんなクリスに、あきれた思いを飲み込んで──ルイスは、あえて気づかなかったフリをして、
「そうなんですか。それは、見つかってよかったですね。
──あ、モーニングティを煎れてきますね、クリス様。」
ニッコリと、ことさら無邪気を装って笑いかけた後、クルンときびすを返す。
そんなルイスに、クリスは気づかれないようにホッと安堵の吐息を零しつつ──、
「頼むわね。」
扉を開くルイスの背に声をかけた。
そうして、かちゃん、と音を立ててしまる扉の音を確認してから、彼女は再び視線をテーブルの上へ落とすと、リリィからの贈り物である「香水」を見下ろした。
ルイスは、「今朝届いた」と言っていた。
それはつまり──贈り物が「コレ」だということは、十中八九、今朝にあわせるように贈ってきた、ということだ。
「──……リリィ……おまえ、一体、どこまで知ってるんだ…………。」
低く……うなるように低く呟いて、クリスはたおやかな指先で、そ、と香水のビンを持ち上げる。
ふわり、と鼻先に香るのは、懐かしい甘い香り。
「花の匂い」だと言っていたけれど、その実物の花を見たことがあるわけではない。
ただ、匂いがとても甘くて心地よくて、その香りがする髪に顔を埋めると、とても幸せだと思うから。
──だから、この花の匂いは、とても、好き。
「……こんなの、つけて──どうしろって言うんだ、あいつは……。」
いつ、私は、あの娘に「この花の匂いがすき」だと、言ったのだろうか?
そう眉をしかめて考えるけれど、答えは出てこない。
言った覚えはない。
そもそも、リリィと香水の話をしたことですら──……。
そこまで考えた瞬間、ぽん、と──思い浮かんだことがあった。
それは、つい最近──そう、一ヶ月ほど前に、ビュッデヒュッケ城での会合で彼女と会ったときのことだ。
何気ない風が吹いて、髪が乱れると片手で髪を押さえた直後──ふと、風下にいたリリィが、目を瞬いて、こう言ったのだ。
『あら、クリス? あなた、とてもいい香りの香水をつけてるじゃない?』
はじめは何のことだかわからなくて、クリスは顔をしかめるばかりだった。
鎧姿でいるときに、香水などつけるはずがない。鎧の中に匂いが充満して、ひどく頭痛がするからだ。
だから、覚えがないと言うのに、それでもリリィは鼻をうごめかし、つけてる、と言い張った。
何のことだと憮然とたずねたクリスへ、リリィは顔を近づけて──そう、クリスの首元に鼻先を押し付けて、ひそやかに笑ったのだ。
『ほら──やっぱりつけてるじゃない。花の香りがする。』
とてもいい匂いね? 何の香水? それとも、シャンプー?
ニッコリ微笑んで問いかけてくるリリィの目元が、かすかに笑っていた気がするのは──今、思い出しても、答えは一つだ。
彼女は、クリスの首筋についた「香り」が、誰かの「残り香」であることを、知っていたのだ。
そう──、2人が共に良く知る少年が、髪を洗うときにつける、石鹸の……花の香。
『……い、いやっ、これは、さっき──そう、ヒューゴに会ったときに、グラスランド式の出迎えの挨拶をされて……っ!』
慌てて、両手を顔の前で振って否定したが、リリィが口元に浮かべた笑みは消えることはなかった。
それどころか彼女は、腰を折り曲げて、にんまりとクリスを見上げると、
『へぇぇ〜? 挨拶したくらいで、匂いがつくほど、密着したんだぁ?』
意地悪く、笑ってくれたのだ。
さらにクリスはそれを否定したけれど、顔が赤くなって、説得力がないと軽く笑われて、──終わった。
あれはあれで、話は終わったものだと、思っていたのに……。
「…………リリィ…………一体、何のつもりだ──……っ!」
思わず、突っ伏しそうになる脱力感と、形容しがたい羞恥心にかられて、クリスは手にしたリリィからのカードを握り示る。
そのまま、そのカードを投げ出そうかと──そう思ったときだった。
カードの裏面に、小さく走り書きがあるのに気づいたのは。
「……?」
何、と、カードをひっくり返して──またろくでもないことでも書いてあるのかと思ったら、そこにはやはり、「ろくでもない」ことが、書かれていて。
「同じ匂いをつけてたら、移り香されても、わかりにくいんじゃない?」
────どうやら、「親切」のつもりだったらしい。
その文句に、ことさらクリスは脱力を覚えて、チラリと香水のビンを見下ろす。
移り香されもわかりにくいも何も──リリィ。
普通、同じ香りをつけていたら、それだけで疑われるんじゃないだろうか………………。
「……………………………………ま、いっか。」
小さく呟いて、クリスは香水のビンを掲げる。
そしてそれを、そ、と己の鎖骨の辺りに当てて──抱きしめれば、彼の額が、ちょうどこのあたり。
そこへ、シュ、と一吹き……やさしい甘い香りに、小さく目を細めながら。
「今日は、ヒューゴに私の匂いを移してやろう。」
ほんの少しの、いたずら心を呟いて、柔らかな笑みを口元に上らせた。
+++ BACK +++
意味がわかりませんね(苦笑)、ええ、わかりません。
でも、そういうこともあるのです。(コラ)
エンディング数年後、ヒュークリは完全に出来上がってますが、周りに内緒です。
でもって、抱きついていちゃいちゃしてたら、においが移るわけですが、二人の身長差があるから、クリスの胸元に匂いが移るんですね。キャv(笑)
ただ、それだけの話しです(笑)。
ん、いいの、たとえ意味がなくても。
そして、本当は、2人が出迎えの抱きつくところを書きたかっただけなんだとしても!!(←書いてないじゃん!)
次回を待て!!(マジっすか!)