5.ほんの出来心
時間軸:DQ8 不思議な泉立ち寄り後
木漏れ日が差し込む、人里離れた森の奥深く。
深い色合いを宿す木々の群れが、ぽっかりと開いた小さな泉が、キラキラと太陽の光を七色にはじいて輝いていた。
雨上がりの後の濃厚な緑の匂いが、辺りを覆いつくしている。
その泉のほとりに歩み寄った青年は、手に握りしめた手綱の先──優美な美しい白い馬を見上げて、かすかに口元に笑みを侍らせた。
「姫、ご所望の泉です。──お飲みになられますか?」
少しばかり格式ばった口調で、目元だけやんわりと緩めてイタズラめいた色を宿して、青年はパッチリとした瞳の美しい馬を見上げて、かすかに首を傾ける。
その彼の言葉に、白馬は短くヒンと鳴いて答える。
──本当は問いかけなくても、答えは分かっていた。
美しい牝馬である「彼女」は、昨夜も夢の中に現れて、「おねだり」してくれたからだ。
姫君をエスコートするように、丁寧な手つきとゆったりとした足取りで泉に向かう。
手の角度、足を向ける位置、彼女と自分の立ち位置──「故郷」となった地で、近衛兵になることが決まった時に、上司から口うるさく何度も言われたことだ。
王族の傍に立つことを許された以上は、「姫」のエスコートも相応に学ばねばならない。
そしてそのエスコートは、完璧な見た目でなくてはならない。
そう言って教え込まれた仕草は、こんな場面でも、つい、出てしまう。
白馬が蹄を踏み鳴らして、昨夜の雨で緩くなった地盤を踏みしめる。
一歩一歩、優雅に踏み出す牝馬は、少し手前を歩く青年の手に委ねるように、ゆっくりと泉の傍に近づいた。
濃厚に漂う緑の匂いに、むせ返るような感覚を覚えながら、青年は視線を前へと飛ばす。
耳に届くのは、静かな森の中に響く幾種類もの鳥の歌声。
目を閉じて耳を澄ませば、今の自分がどのような姿で、どのような状態でこの泉の前に立つのか、忘れてしまうような気すらした。
────穏やかな時間が訪れるほどに、自分たちの身に起きている現実を、突きつけられるような気がする……、いつも。
さわやかな一陣の風が舞い、それと共に、泉の喫水線間近を飛翔した鳥が、ツイ、と水面にくちばしをつけて、波紋を大きく広がせる。
そのまま飛び去る鳥の軌跡をなんとはなしに目で追うと同時、
「──……って、あれ、なんだよイニス? まだミーティア姫に水を飲ましてないのか?」
背後から、呆れたような声が飛んできた。
聞きなれた声に、泉の傍に向けて歩き出した足を止めて振り返ると、白馬もそれに倣うように首をもたげて振り返る。
毎日綺麗に梳かれた長い鬣が、サラリと白く優美な首を滑り落ちる。
「ククール……。」
イニスが小さく名を呼ぶと、銀色の髪の青年は、右手をヒラリと回せてから軽く肩を竦めて、
「俺はもう、てっきり、姫があの愛らしい笑顔で俺を振り返ってくれるものだとばっかり思って、期待してたんだぜ?」
そんな軽口を叩きながら、つぶらな瞳で自分を振り返っている白馬に気付いて、
「……っと、もちろん、姫は馬の姿でも、十分愛らしいですけどね?」
キザったらしく片目を瞑って、ニ、と口元に笑みを吐く。
そんなククールに、イニスは困ったように眉を寄せる。
チラリと視線をあげると、大きな瞳を伏せた白馬の姫が、ブルル、と口を震わせて何か言葉に出したように感じた。
けれど、姫の穏やかな眼差しが怒っているわけではないのだということ以外は、まるで分からない。
その静かな瞳を見つめながら、イニスは馬の頬の辺りを手の平で撫でて、小さく笑った。
──今ここで、眠ることが出来たら、彼女が何を言いたいのか分かるだろうか?
ふとそんな思いが胸を掠めたが、自分が今から何をしようとしていたのか思い出して、イニスは自嘲じみた笑みを零す。
つい、と視線を横手に逸らせば、雨上がりの露に濡れた草に囲まれた泉が、キラキラと光を反射して輝いている。
「さぁ、姫……。」
促すように手綱を緩く引けば、白馬はそれに従って歩みを進める。
「そうそう、早くミーティア姫と話したいしな。」
泉の入り口に立ったまま、鷹揚にククールが頷く。
そのまま何が楽しいのか、泉の入り口に立ったままのククールを、チラリとイニスは肩越しに見ながら、ゼシカとヤンガスはどうしているのかと問おうか悩んだが、それも一瞬のこと。
ツン、と柔らかな感触が頭の上に降りてきて、思考はそこで一度止まった。
顔をあげれば、品の良い姫君が、ねだるように鼻先を髪に押し付けている。
「──……すみません、姫。」
随分待たせてしまったと、苦い笑みを刻むと、そうです、と言わんばかりに、コックリと馬が頷く。
その仕草が、昨夜も夢の中に現れた姫君の微笑を思い起こさせて、イニスは口元に柔らかな笑みを浮かべて見せた。
目線を少しあげれば、涼やかな姫の瞳が、ニコリと笑った気がした。
あと数歩の距離の先──、目の前の泉の水を口に含めば、姫は昨夜夢の中で見た姿で、自分の前に現れてくれるだろう。
「さぁ、姫。」
ゆっくりと促して、イニスは白馬の手綱を引いて泉の縁へと歩み寄る。
幾度となく繰り返してきた仕草を、今日も繰り広げようとして、イニスは彼女の首筋に手を当てて、そのまま白馬にしゃがみこむように促そうとした。
──が、しかし、寸前になって、イニスは慌てて手綱を引いて、馬姫がその場に膝を曲げようとするのを静止する。
ひん、と、短く非難を示すようにいなないた姫に、小さく謝りながら、イニスは彼女を後退させると、
「すみません、姫。地面が濡れていますから──しゃがまれては……。」
眉を軽く寄せて、自分が踏みしめている泉の縁の地面を見下ろす。
濃厚な緑に包まれた地面は、葉の上にたっぷり残った露で濡れている。
イニスの履いたブーツも、くるぶしを覆う程度の草によって、その部分だけ色を変えていた。
イニスたちのように、ただしゃがみこむだけならいいが、姫は泉の水を飲むためには体を伏せなくてはいけない。
そんなことになれば、姫の足はもとより、体の下側はすっかり濡れてしまうことだろう。
かと言って、姫が濡れないように彼女の体の下に敷くような布地も見当たらない。
泉の入り口で、ノンビリ突っ立っているククールのマントを引き剥がして持って来るかとも思ったが、ククールのマントが、牝馬になった姫の体を覆いきれるものではないのは確かだった。
顎に手を当ててかんがえること少し。
どう考えても、最初に浮かんだ案より他に、言い考えは浮かばなくて、イニスは姫の顔を覗きこむように見上げた。
「姫、少しだけ我慢してください。」
不思議そうに首を傾げる姫に小さく頭を下げると、イニスは泉のすぐ岸まで小走りに駆け寄った。
そして、自分のズボンや上着の裾が露で濡れるのも構わず、その場に跪くと、底が見えるほど透明度を誇る泉に、掌を差し伸べる。
ヒヤリとした水の感触が心地よい。
両手をソロリと水に浸けて、そのまま水を掬い上げる。
掌にタップリと乗った水は、指の小さな隙間から、水滴をぽたぽたと落とし、水面に小さな波紋をいくつも描いた。
掌の中の水が次々に滴り落ちていくのを感じながら、イニスは急いで立ち上がり、ほとりに立つ姫の下へと駆け寄る。
「俺の手で申し訳ないのですが──……。」
本当は、コップか何かがあればいいのだが、荷物の入った馬車は、この泉の近くの隠者の家に置いてきてしまった。
冷たい水が滴る掌を、顔の前に差し出せば、馬姫が大きくつぶらな瞳を細めた。
嫌がられるかと思ったが、彼女はそのまま目を閉じると、す、と鼻先をイニスの両掌の上に落とした。
縦に長い馬の鼻が、すぐ目と鼻の先に迫ってくる。
キラキラと光を反射して輝く長い睫が、とてもキレイだと──眩しいものを見つめるように、イニスは瞳を細めた。
丁寧に水を飲む馬姫の鼻先が、掌に当たって、ムズ痒いようなくすぐったいような感触に、かすかに身体を揺らした。
面映い気持ちで見下ろす先、白馬の滑らかな毛並みが、キラキラと光を放つように見えた。
初めて見た時には驚いたものだが、慣れた今は、光がジワジワと増していくのが、どこかじれったく思う。
時間にしたらほんの数秒のことだ。
白馬の全身を光が覆い尽くしたら、後は駆け足のように一瞬で全てが変化していく。
凝視してはいられないほど光が強く輝き始め、とっさに目を閉じても尚、瞼の上から光が容赦なく差し込んでくるのを感じた。
さらに強く目を閉じて、いつもなら顔の前に腕を翳すところが、今日ばかりは水を持っているため出来ない。
目に染みるほどに強い光に、堪えるように唇を引き締めたのも一瞬。
すぐにその光が穏かに引いていくのを感じて、ハッ、とイニスは目を開いた。
光が収まる先に何が待ち構えているのか、誰よりも良く知っていた。
だから、この瞬間だけは見逃すわけにはいかない。
光の中から現れる影を、決して見逃してはいけない。
まだチラチラと白い残像が飛び散る瞳を叱咤しながら、目を凝らした先で、光が急速に収まっていくのが分かった。
その光の中、ぼんやりと浮き出るような影は、先ほどまで見上げていた白馬のそれではない。
イニスが立つ位置から、ほんの一歩先。
トロデーンに居た頃に覚えた「角度」よりも少し下──視線を落とせば、差し出した掌に覆いかぶさるように、さらりと揺れる、漆黒の髪。
カチューシャで抑えられただけの髪は、サラサラと柔らかなラインを描いて、華奢な肩を滑り落ち、かすかな風に揺れていた。
みるみるうちに光は彼女のしなやかで細い体の中に納まり、しん、とした静寂がイニスの耳を打った。
濃厚な緑に覆われた泉のほとりの光景が、まるで色あせたように感じた。
代わりに、目の前に忽然として現れたように感じる娘が、ひどく色鮮やかに目に飛び込んでくる。
見下ろした視線の先に見える小さな旋毛と、華奢な肩のライン──そこから続くしなやかな背のラインに、めまいにも似た甘い疼きが、ぞくぞくと背筋を駆け抜けた。
衝動にも似たその感覚を、キュ、と唇を引き締めることで何とか飲み干して、イニスは小さく彼女の名を呼んだ。
「……姫さま?」
いつもなら、呪いが解けたと同時に、ニッコリ微笑んでイニスを見上げてくれるのに、彼女は俯いたままだ。
掌に掬われた水が、ポトポトと雫をたらしている。
その掌に顔を伏せるようにして立つミーティアは、両手を胸の前で組み──指先を絡み合わせながら、かすかに首をかしげた。
それから不意に、ス、と頭を低くすると。
ぴちゃん。
水音が、一際高く、自分の耳を打った気がした。
「──…………っ!! み、ミーティア姫っ……っ!」
慌ててイニスは手の平の水を打ち捨てて、バッ、と背後に身を退かせる。
それと同時、ぱしゃん、と小さな水音が立ち、残り少なかった水が地面に散った。
もしかしたらミーティアの服にかかってしまったかもしれないが、イニスはそんなことを気にしている余裕はなかった。
バクバクと脈打つ心臓を必至で堪えながら、濡れた掌を握りしめるのが精一杯。
掌に残った、ほんの少しの濡れた感触に、困惑の色を隠せず、視線を目の前の姫に当てれば──彼女は、首をすくめるようにして、白い頬をほんのりと赤く染めて、笑っていた。
「……ふふ……っ。」
楽しげに喉を鳴らしながら、ミーティアは胸の前で合わせていた掌を口元に当てて、形良い大きな瞳を、笑みの色に染める。
「……姫……っ。」
怒ったように──顔に登った熱い色を別の色に染め替えようとするかのように、震えた声音で呼ばれて、ミーティアはチラリと上目遣いにイニスを見上げた。
視線がかちあった瞬間、ミーティアは、はにかむように小さく笑った。
そのつややかな濡れた唇の合間から、赤い舌先が見えた気がして──心臓が、どくん、と強く脈打った。
それと同時、濡れた掌が、急激に熱さを持った気がした。
その感覚を散すように──先ほど掌に感じたフワリと触れた柔らかな感触を殺すように、イニスは強く、強く掌を握り締める。
そんなイニスを、ミーティアはいつものように穏かに微笑んで見上げる。
けれど、間近に見えるそのエメラルドの瞳が、イタズラめいた色を浮かべているのを、見逃すイニスではない。
「ミーティア姫……っ。」
キリリと奥歯を噛み締めて──彼女の思惑通り、動揺を露わにしないように、彼女の名を再度呼ぶと、ミーティアはクルンと瞳を揺らして、
「なぁに、イニス?」
軽く首を傾げて問いかけてくる。
愛らしい仕草を見せるミーティアに、イニスは開きかけた口をパタリと閉ざして、軽く眉を寄せた。
「……………………。」
言うべきことを考えあぐねるように、なんとも言えない顔で自分を見下ろすイニスに、ミーティアは堪えきれないように、くすくすと声を漏らして笑う。
楽しそうに聞こえる声に、イニスはますます顔を顰めて、
「からかわないでください。」
憮然とした声で告げた。
どこか不機嫌そうに感じるイニスの声に、ミーティアは心外したように柳眉を寄せると、
「からかってなんか、いません。」
軽く頬を膨らませて、唇を突き出した。
その子供じみた仕草に、イニスの眉尻がかすかに揺れるのを見上げて、ミーティアは「わがままな王女」じみた仕草で、つん、と顎を逸らした。
「イニスの心遣いには、いつも感謝しています。」
仕草と言葉が全く逆だと、ますます憮然となるイニスを、ミーティアは片目を閉じて一瞥する。
それから、かすかに首を傾げて──唇に触れた冷たい水の感触が残る唇を、キュ、と笑みの形に歪めて、イニスの顔を覗きこむ。
「ただ……。」
イニスの目をまっすぐに覗き込んで、薄く開いた可憐な唇から言葉を続けようとして、ふとミーティアは口をつぐんだ。
「ただ?」
いぶかしげに見返してくるイニスの顔を、マジマジと見上げながら、ミーティアは少しだけ困った表情で、指の背を唇に軽く押し当てた。
──ただ。
「姫?」
どうかしたのですかと、その名を呼べば、なぜかミーティアは白皙の頬をかすかに赤らめて、長い睫を伏せた。
恥らったように見える表情に、イニスはパチパチと目を瞬く。
「──姫?」
ふたたび声をかければ、ミーティアはソロリと睫を揺らしてイニスを見上げて──はにかむように、唇をほころばせる。
ほんのりと赤く濡れた唇が、あでやかな笑みを形作るのに、イニスは一瞬、短く息を飲み込んだ。
頬の辺りに熱が集まり、なぜか視線がそこから離せなくなる。
濡れた赤い唇──それがなぜ濡れているのか思った瞬間、手の平がジクリと熱く滲んだ気がした。
慌てて、ギュ、と手の平を握りこむが、手の平に蘇ったしっとりとした感触は、それで拭われることはない。
薄く開かれた唇からかすかに覗く白い歯と、その奥に隠れた赤い舌先。
水を掬い上げた手の平に落ちたあの感触を思い出すと同時、カッ、と目の前が赤く染まった気がして、イニスはとっさに視線を逸らした。
「──……っ。」
落ち着け、と──忙しなくなる鼓動に言い聞かせながら、イニスは爪が食い込むほどに強く手の平を握り締めた。
この痛みで、あの感触を早く忘れてしまわないと、とんでもないことをしてしまいそうで、なぜか怖かったのだ。
そんなイニスを、ミーティアはソロリと見上げた。
そして、彼が自分を見ていないのに気付いて、複雑な表情を浮かべる。
唇に当てた己の細い指先を見下ろし、その繊細なラインを描く感触を柔らかな唇に感じながら──水で濡れた感触の喪われた唇から、ほぅ、と熱い吐息を零す。
「──ただ……。」
イニスではなく、己の指先に呟くように──ミーティアは、小さく、続ける。
「…………なんだか……、いつもと、違う味が、したから……。」
その言葉が、声が、かすかに震えた色を宿しているのに気付かず、彼女はどこか遠くを見るような目で、指の背を唇で食む。
柔らかな指に、舌先を軽く押し付けると、土と草の匂いがしたような気がした。
──舌先に感じた、水の味とは違う、塩っぽい味。かすかに鼻腔を付く──イニスの、におい。
「………………っ。」
堪えきれず、ミーティアは首を竦めて、指先を握りこんだ。
開きかけた唇をキッチリと閉ざし、その指の腹を唇に強く押し当てた後、それをすぐに取り払い、彼女は茫洋と泉を見ているイニスを振り仰いだ。
「イニス。」
頬に走った赤い色を、強引に取り払うように、ミーティアはニッコリと可憐で明るい微笑を乗せて、彼の名を呼ぶ。
静かに──けれど、目で見て分かる程度に動揺の色を隠せず、振り返ったイニスへ、ニッコリと極上の微笑を浮かべながら、
「お水、……おいしかったわ。」
そう告げた。
途端、イニスは歯がゆいような、恥らうような──複雑な表情を交互に浮かべてみせたが、ニコニコと笑みを崩すことのないミーティアに、とうとう諦めたように……すとん、と、肩を落とした。
改めてミーティアに向き直り、彼は憮然とした表情を作り直すと、
「……はしたないですよ、姫。」
他にも言うべきことは色々あるけれど、まずはこの一言を、零した。
「はしたなかったかしら?」
頬に手を当てて首をかしげるミーティアに、イニスはコクリと頷く。
「はい、はしたなかったです。」
──そう、はしたない。
とてもではないが、一国の王女がする仕草ではない。──もっとも、トロデ王に言わせれば、普段の馬姫の姿で彼女がしている数々のことも『王女ともあろう者が、なんて不憫な』といったことになるのだが。
「そう……なら、もうしません。」
なぜかほんの少しだけ寂しげな微笑を浮かべて頷くミーティアに、そうしてください、とイニスが生真面目に頷く。
そんなイニスに、ミーティアは面白くなさそうに軽く唇をとがらせかけたが──ふと、いいことを思いついたように、大きな瞳をクルンと回した。
一転してイタズラめいた表情になるミーティアに、何を、とイニスがいぶかしむよりも早く……彼女は自分の指先を、ツイ、とイニスの口元に突きつけて──、
「……イニス以外には。」
意味深に、ニッコリと微笑んで、つん、と──イニスの唇を、指先でつついた。
「──……っ!! ……ミーティア姫……っ。」
驚いて、後にも引けずにただ目を見開くイニスに、ミーティアは愛らしく目元を赤く染めて、ふふふ、と笑った。
「ふふ……なんだか、昔に戻ってみたいで、ミーティア、嬉しかったんですよ、イニス?」
「………………姫………………。」
頬の辺りを赤く染めて、キュ、と唇を一文字に結ぶイニスに、ね? と、ミーティアは答えを促すように首をかしげる。
その、どこか楽しげで嬉しそうな顔に、イニスは小さく──小さく溜息を一つ零すと、
「──そ、う……、です、ね……。
…………俺も、昔に戻ったみたいで──ちょっとだけ、嬉しかったです。」
キュ、と、両手を握り締めながら、答えた。
ぐ、と堪える表情で告げられた台詞に、ミーティアはかすかに眉を寄せると、
「ちょっとだけなの?」
「ちょっとだけです。」
そっけなく答えると、ミーティアは拗ねたように唇を軽く尖らせると、
「……イニスのケチ。」
上目遣いにイニスを睨みつけた。
覗きこんでくるミーティアの整った美貌に、イニスは握り締めた両手を、さらに強く握り締めた。
──両手は、やっぱり、塞がってないと、ダメだ。
「ケチ、とか、そういう問題じゃ、ないです。」
ぷく、と幼い仕草で頬を膨らませるミーティアから、イニスはさりげない仕草で視線をずらした。
そしてそのまま視線をそらし、泉の入り口へと顔を向けると──、
「──……あ、終ったか、いちゃつき?」
獣道へと続く木の根元にしゃがみこんでいたククールが、手にしていた小さな文庫本から顔を上げたところだった。
さらに、
「サンドイッチ持って来たの、みんなで食べましょう。」
いつの間に現れたのか、片手に持った大きなバスケットを翳して、ゼシカが笑った。
「………………………………いつのまに……………………。」
思わず唖然として呟けば、ククールが持っていた文庫本にしおりを挟んで、ぱたん、と閉じながら、シニカルな笑みを口元に浮かべる。
「俺はさっきからずっと居ただろ。」
あんまりにも二人の世界に浸ってくれるから、忘れられてたけど。
文庫本を真横に置き去りにして、ククールは身軽な仕草で立ち上がると、目の前に立っているゼシカの隣に立った。
「で、私はミーティア姫が元に戻ったときに来たの。
声かけたけど、ぜんぜん気付いてなかったみたいね?」
ゼシカは持っていたバスケットを、ククールに手渡し、自分はビニールシートを濡れた草の上に広げた。
それから、ククールに向かって、クイ、と顎でしゃくった後、
「さ、食べましょ、ミーティア姫、イニス。
すぐにヤンガスとトロデ王が飲み物とデザートを持ってきてくれるわよ。」
ニッコリと笑って、真っ先にビニールシートの上に腰を落とした。
「はい! ありがとうございます、ゼシカさんっ!
ミーティア、サンドイッチなんて食べるの、本当に久しぶりです。」
両手を胸の前で組み合わせて、柔らかに微笑むミーティアの心からの言葉に、ハッ、と、一同は思わず息を呑み、動きを止めた。
ミーティアは周りの一瞬の緊迫を──彼女が普段は草しか食べていないことを思い出した彼らの困惑にも似た色を──、全く感じずに、彼女は身軽な動作でビニールシートで待つゼシカたちの下へ駆けて行く。
華奢な背中で揺れる漆黒の髪を、眩しいものでも見るように見つめて──イニスは、視線を落とす。
強く握られた指先が、白く染まっていた。
その強張った指先を、少しずつ解して手を開いた後──、
「………………──────、昔、みたいに…………。」
その手の平の上に落ちた熱い感触を思い出すように、そ、と──己の手の平の上に、唇を触れさせた。
+++ BACK +++
主姫はほのぼのラブラブしてればいいと思う。
でもって、なかなか次の段階に進まなくって、いじましいほどラブってればいいと思う。
ファーストキスは、呪いが解けた後とかだといい。「あれ」はセカンドキス希望(笑)。
両思いなのに、お互いに「誰か」のために身を引こうとする──そんな二人なら、なおさらいい。
でも、真よりも通常エンディングのが好きです。