4.この気持ち何で気づかないかなぁ?
時間軸:DQ3 旅立ち後
旅をしていると、情報を収集するために酒場に立ち寄ることも多くなる。
また、宿の中に酒場も併設されていて、そこが食堂がわりになっているところもある。
そんなこんなで、今日も旅の勇者様ご一行は、とある町の酒場で、本日の夕飯を取るついでに、情報収集に励んでいた。
──が、宿を取った時間がすでに夜遅かったせいなのか、荷物を片付けてすぐに酒場にやってきたにも関わらず、酒場の中には酒の匂いが充満しており、すでに「出来上がってる客」が、大勢居た。
賑やかな酒場の一角──あまり目立たないテーブルを陣取って、どっかりと座り込んだシェーヌの隣に腰掛けながら、リィズは漂ってくる酒の匂いに、かすかに鼻の頭に皺を寄せる。
そしてすぐに、居心地悪そうに尻の位置を変えるのに、シェーヌがつまらなそうに頬杖をつきながら、手を伸ばして、リィズの背中に流された髪を指先で摘むと、ハラリとそれをリィズの頬に落とした。
「お前、ちょっと顔隠しとけ。目立ってる。」
「──…………はい。」
困ったように眉を寄せたリィズは、けれどすぐに素直に頷いて──実際、アリアハンを出てから今まで、自分の「必要以上に整いすぎた顔」のせいで、何度かトラブルが起きたことは覚えていたので、背中の中ほどまで伸びた髪で自分の顔を隠して俯いた。
品質の良くない木のテーブルを見下ろして、リィズは、はぁ、と溜息を一つ零す。
レヴァはその隣に腰を落としながら──ビールジョッキを掲げて笑いながらも、チラチラとこちらに視線を飛ばしてくる「客」の視線からリィズを隠すように、さりげなく椅子の位置を変えて座った。
最後に、フィスルが腰を落とすと、すぐに給仕の娘が飛んできて、注文を聞いてきた。
「麦酒と、水、あと──お前ら、何か飲むか?」
顔をあげて注文をするフィスルの日に焼けた顔が、朗らかな表情を持って問いかけてくるのに、シェーヌはチラリと視線をあげて、ニコヤカな笑みを貼り付けている給仕の娘を一瞥した後、
「俺、ワイン。後は適当に今日のオススメの飯。安いのを人数分。」
そっけない仕草でそう呟く。
「──って、俺らの食う飯まで決めるなよ、おい。」
思わず突っ込むフィスルに、シェーヌはス、と目を眇めた後、ジロリと彼を見上げて、
「懐具合をかんがえろ、バカ。
とにかく、お姉さん、それで頼む。レヴァとリィズは水でいいだろ?」
「あ、はい。」
「うん。」
慌てて頷く二人に、そうだろう、とシェーヌは鷹揚に頷いた後──、クイ、と顎でしゃくるようにフィスルを見やった。
フィスルはそんなシェーヌの言葉に、はぁ、と溜息を零すと、給仕の娘に、シェーヌの言葉どおりのことを告げた。
彼女は、フィスルの顔を見下ろして、ニッコリ微笑んで頷くと──どこか、名残惜しそうにテーブルから離れていった。
レヴァはそれを見て、口に出さずに心の中でこっそりと、またか、と思った。
元アリアハン王宮の戦士であったフィスルは、一行の「盾」であると自ら名言している通り、上背もあり、たくましい体つきをしている。
筋肉隆々──というわけではないのだが、同じ男でありながらも、細身のリィズやレヴァ、イファンとは筋肉の鍛え方や付き方がそもそも違うらしい。
容貌の造作も整っているというよりは精悍的で、クシャリと笑う顔が年齢よりも幼く見えるのがイイ──というのは、どこだったかの女海賊の台詞だったか。
しかもアリアハンの戦士は、幼い頃から「フェミニスト」を教え込まれていて──正しく言えば、戦士たちの師匠であるところの「シーズ」様が、「戦士は強いばかりじゃダメだ。女に優しくしてこそ、もてるってもんだ」というのを持論にしているからだと言う──、フィスルは基本的に女に優しく弱い。
そんな色々な意味が複合して……こういう、場末の酒場で情報収集をしていると、自然とフィスルに女性の視線が集まる。
もちろん、不思議な雰囲気を放つ美しい美少女──にしか見えないリィズや、ざっくばらんな態度の野性味溢れる美貌の美少年にしか見えないシェーヌも注目を集めるには集めるが、それはすべて「ものめずらしさ」から来るものばかりだ。
けれど、フィスルは違う。
フィスルは、給仕の女やバーテンダーの女、踊り子や旅の女──さまざまな女から、色目を使われる意味で「見られて」いる。
フィスルはそれを感じているのか感じていないのか、今も首筋の辺りに違和感を感じたかのように、コリコリと掻いている。
これで自分たちが上に上がっていって、フィスルだけになったり、フィスルとシェーヌだけになったりすると、近くのテーブルからほろ酔い加減のいい女がふらりと近づいてきて、豊満な体を押し付けながら、「ご一緒にどう?」とか尋ねてくるのだ。
一度か二度、その光景を見たことがあるから、それは確かである。
リィズやレヴァのような、どう見ても未成年者に過ぎない人間が混じっている時は、一応遠慮はしてくれているらしい。
──が、今日は少しばかり様子が違った。
酒場が賑わいのピークに達しており、すでにちょうど良く酔ってしまった人間が多いせいか、無遠慮にフィスルやシェーヌを値踏みする女の視線や、果てはリィズを色よい目で見る男の視線が、ちくちくとそこかしこから飛んできている。
これはさぞかし、リィズは気分が悪いだろうし、シェーヌは機嫌を損ねているだろうなと、チラリと見上げれば──案の定、シェーヌは不機嫌そうな顔つきで唇をゆがめていた。
「ったく、うっとおしい……。」
「──上で、ご飯食べればよかったね。」
髪をかきあげながら、ウンザリした顔で呟くシェーヌに、レヴァが苦い色の笑みを乗せて呟けば、リィズが溜息を一つ零す。
これは、ゆっくりと美味しいご飯を食べることは無理そうだ。
簡単にそう結論づけると、はあ、と溜息を零しあう一同に、フィスルは不思議そうに首をかしげる。
「そうか? 確かに、ちょっとうるさいかもしれないが、いつもこんなもんだろ、酒場って?」
「──……激ニブ男は黙ってろ。」
すかさずシェーヌがジロリと睨みつけてくるのに、不機嫌きわまりない色を感じ取って、あーあ、とレヴァは口元をゆがめる。
──本当に、まったく、なんていうか。
どうしてフィスルさんは、こうもあからさまなシェーヌさんの態度に、気付かないんだろう?
「激ニブ男って──そりゃ俺は、魔力とか無いけどさ……、気配くらいなら分かるぜ、戦士だからな?」
「気配が分かってどうするってんだよ、全く。──あ、おねえさーん、そのワイン、こっちな。」
ケッ、と吐き捨てるように呟いて、シェーヌはそのまま不機嫌な顔でヒラリと先ほどの給仕のお姉さんに向かって手の平を振った。
クルリと踵を返してやってくるお姉さんの手からワインを受け取りながら、彼女の手の甲を指先でツイと撫でて、シェーヌはニッコリと微笑を浮かべた。
「サンキュー。」
手にしたワイングラスをクイと掲げて目を細めるように笑うシェーヌに、給仕の娘は思わず銀色のお盆を抱え込むようにして、キュ、と唇を一文字に結んだ。
それから、かすかに火照ったように赤くなった頬をそのままに、はんなりとした笑みを口元に浮かべると、チラリと色艶めいた流し目をシェーヌに一つくれて、気取った態度でクルンと踵を返して戻っていく。
その、ス、と伸びた背中を見送りながら、同じテーブルに着いた男どもの視線は、自然とシェーヌに集まった。
自分が何をしたのか全く気付いていない様子で、そ知らぬ風にワインを傾けるシェーヌは、苦虫を噛み潰したようなフィスルの視線にすぐに気付いて、片目を軽く眇める。
「──んだよ、フィル?」
口の中に広がる安物のワインの味に、溜息を覚えかけていたところに、ぶしつけな視線だ。
思わず不機嫌そうに鼻を鳴らしてしまうのも仕方がないじゃないかと、シェーヌはフィスルをジロリと睨みつけてやった。
そんなシェーヌに、フィスルは軽く肩を竦めると、
「別に──今更だしなぁ。」
──全く、素で女を口説くよな、お前は。
きっと、このテーブルに運ばれてくる食事は、すべて彼女が運んでくるに違いない。
「は? ──……イミわかんねぇよ。」
シェーヌは不機嫌そうな様子を隠そうともせず、眉に皺を強く刻み込むと、自分に絡み付いてくる視線を振り払うように、ぶるりと頭を振った。
それから、半分ほど残っているワイングラスをテーブルの上に置くと、ツイ、と指先でそれをフィスルの方に押しやって、
「すっぱい、いらない。」
飲め、と、顎でフィスルをしゃくる。
フィスルは、先ほどの娘がシルバートレイの上にビールと水を乗せて歩いてきているのを横目に止めてから、赤いワイングラスを見下ろす。
ツヤツヤといい色に輝いている赤い液体は、酸化しているようなすっぱい匂いをさせている。
「──……お前な……。」
「その代わり、俺がフィルのビール飲んでやるからさ。」
ポンポン、と軽快に肩を叩かれて──、リィズが小さく吐息を零す。
「なら、最初からシェーヌさんもビールにしておけばよかったじゃないですか……。」
「本当はワインが飲みたかったんだもん。」
つーん、と顎を逸らしてシェーヌが零すと同時、給仕の娘がビールと水を持ってきてくれた。
それにまた鮮やかな笑顔と言葉で礼を言うと、彼女は先ほど以上に嬉しそうな顔で笑い、わざとらしく胸元の開いたシャツを強調しながら、シェーヌの顔を覗きこんで、
「お代わりも、遠慮なく言ってね。」
語尾の辺りを浮かれたように甘く囁いて、去っていった。
そりゃどうも、とヒラリンとつれなく手を振るシェーヌに、いけずだわ、と言わんばかりに娘は紅の塗られた唇を尖らせて、クルンとターンして去っていく。
なぜかカウンターへ戻っていく足取りは軽く、形良いヒップが楽しげに跳ねているように見えた。
「──……シェーヌさんって………………。」
思わず、げんなりした声で呟くレヴァに、シェーヌはいぶかしげに眉を寄せる。
「どうかしたのか、レヴァ?」
「うぅん──……なんでもない。」
──フィスルさんも確かに激ニブだとは思うけれど、シェーヌさんも自分に注ぐ視線を、全く理解してない人だと、思う。
レヴァは手元に置かれた水の入ったグラスを掴み上げながら、シェーヌにばれないように小さく溜息を零す。
そのまま、口の渇きを潤すために、生ぬるい水を口に含んで飲み下すと、
「──……ぅえ。」
すぐ間近で、小さく──何かを無理矢理堪えるような声が聞えた。
思わず目を瞬いて視線を飛ばすと、シェーヌから無理矢理押し付けられたワインを口に含んだらしいフィスルが、口元を手の平で覆って、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
とっさにリィズが、手にしていた水入りのグラスを差し出すと、フィスルはそれをグイと掴み取り、一気にその水を煽った。
そんなフィスルに、シェーヌは楽しげに喉を震わせて笑いながら、ビールの泡を舌先で舐め取る。
「──んな〜? すっぱいだろー?」
あははは、と楽しげに指先でツン、と頬をつつかれて、フィスルはますます苦い色を噛み潰して、ペシリとシェーヌの手を叩いた。
「お前な〜……っ。」
くそっ、と、短く吐き捨てるように呟いて、フィスルはそのままグシャグシャと髪をかき混ぜる。
そんなフィスルに、シェーヌはさらに楽しげに喉を震わせて笑った。
「ははは……ま、どうしてもって言うなら、ビールを追加で頼んでもいいぜ〜?」
目元を緩めて、シェーヌはフィスルの憮然とした顔を覗きこむ。
からかうような色合いを含んだ、ひどく楽しそうな顔に、フィスルは呆れたように頬杖をついて、はぁ、と溜息を一つ零した。
「──って、お前な……っ。」
誰のせいで、こんなすっぱいワインを飲むことになったと思ってるんだと、テーブルに上に置いたワイングラスを握る手が、フルフルと震えるのを感じながら、フィスルはシェーヌの整った顔に向かって、低く凄もうとした──刹那。
「はぁーい、お待たせしました〜! 本日のAディナーですぅ。」
ふわん、と鼻腔を擽るいい香りが、フィスルとシェーヌの狭い間に入り込むように、ス、と差し出された。
立ち上る湯気に、慌ててフィスルが身を引けば、間にできた空間に無理矢理体を割りいれるようにして、女がうっとりとした笑みを浮かべながら、フィスルに背を向けて、シェーヌに向かって食事を差し出す。
「どうぞ、冷めないうちに召し上がってくださいね。」
うふ、と──甘えたような鼻にかかった声で、女は微笑みながら、狭い空間を利用するようにシェーヌの肩先に胸元を押し付ける。
柔らかな感触を武器にするかのように、彼女は艶やかな唇に笑みを刻み、軽く小首をかしげる。
その仕草は、同じテーブルに着いたほかの男達から見ても、あからさまなくらいに「魅力的」な態度であった、が。
「サンキュ。」
かすかに目を細めるようにして笑み返したシェーヌの表情には、普通の男が浮かべてしかるべき感情の色は一つとして浮いていなかった。
己の肩先に押し付けられた柔らかな女の胸の感触は、人好きのするスライムの感触だとでも思っているかのように、チラリと女の顔を一瞥した後で、シェーヌはそのまま目の前に置かれたホカホカの食事に指先を添えると、
「リィズ、ほら、先に食え。」
ス──……、と皿を滑らせて、リィズの目の前に食事をずらしてやった。
女が軽く目を見張らせて、心外したように唇をゆがめて、シェーヌの隣に座っているリィズに目を走らせた。
突然目の前に差し出されたホカホカの料理を前にして、リィズはパチパチと目を瞬き──困ったように、シェーヌにあからさまなアプローチをしている女を、チラリと見上げた。
途端、リィズの頭を不機嫌そうに見下ろした女の表情が、ハッ、と固まった。
「──……っ。」
蝋燭の明かりの元照らし出されるリィズの美貌に、目が引き付けられ、一瞬息が止まった。
浮き立つ滑らかな白い肌も、寄せられた形良い柳眉も、幾億の星を宿すパッチリとした瞳も。
何もかもが、神から与えられた至高の宝玉のような美しさを宿していた。
酒場のくすんだテーブルや椅子に腰掛け、旅の粗末な服装に身を包んでいても、リィズの美貌は決して損なわれることはない。
湯気の向こうで、不安げに眉を寄せるリィズの美貌に、思わず感嘆の溜息を零した女は、すぐにハッと我に返り、なんとも言えない顔で唇を引き結んだ。
そんな女の表情が、リィズの隣に座るレヴァからは良く見て取れた。
──こういうとき、自分はなんと口を挟んでいいのか分からなくて、レヴァは手元に置かれたぬるい水の入ったコップを取り上げる。
リィズは、困ったような顔のまま、シェーヌとフィスルを交互に見やるが、「モテモテなシェーヌ」に、溜息を覚えているらしいフィスルが救いの手を差し伸べてくれるわけもなく、また、あからさまな女の誘いにちっとも気付いていないシェーヌがそれに気付くはずもなく、
「何やってんだよ、リィズ。遠慮せずに先に食ってろ。どうせ俺たちの分もすぐに来るからさ。」
いつまでたっても手を動かそうとしないリィズにじれたように、ビールを口に含みながら、片眉をそびやかす。
「──……え、あ……、は、はい……。」
リィズは、そんなシェーヌの催促に、ますます困ったように眉を寄せて、小さく苦笑いを浮かべた。
それでもスプーンを見下ろすばかりで、決して手に取ろうとはしないリィズに、しょうがないな、といわんばかりにシェーヌは笑みを口元に上らせると、フイに、自分の肩に豊満な胸を押し付けている給仕の女を見上げて、
「──……だろ、お姉さん?」
かすれた甘い声で、首を傾げてとろけるような笑みを浮かべて見せた。
途端、リィズの美貌に見入っていた女は、はた、と我に返り、
「え…………、あ、は、はい。あの、すぐにお持ちしますね……っ。」
慌てたように、手にしていたお盆をギュ、と抱きしめて、シェーヌから体を話して、赤く染まった頬を隠すように、顔を背けて走り去っていった。
ざわめきが支配する酒場の中へ、タッ、と駆けて行った彼女の頭の中はきっと、「あんな美人の彼女がいたんじゃ、とてもじゃないけど適わないわ」──に、500ゴールド。
レヴァは、手の平でグラスを温めながら、思わずそんなことを心の中で零してしまった。
「……──お前な…………。」
レヴァですらそう思ったのだから、フィスルもそう思ったに違いない。
彼は呆れたような声音で、隣で頬杖を付きながら、腹減った、と零すシェーヌをウンザリ顔で見ていた。
シェーヌは、ほ、と胸を撫で下ろして、ようやくスプーンを取り上げたリィズを、ニコニコと嬉しそうに見ている。
その視線は、どう見てもカワイイ弟を見ている優しい眼差しにしか見えない──が、それを分かっているのは、同じテーブルに着いているフィスルとレヴァだけだろう。
「リィズは食うのが遅いからなー、ゆっくり噛んで、早く大きくなれよー。」
「──……シェーヌさん……〜。」
楽しそうに笑うシェーヌに、リィズはスプーンを咥えたまま、拗ねたように軽く眉を寄せる。
そんなリィズに、ますますシェーヌは楽しげに喉を鳴らして笑うと、手を伸ばして、クシャリとリィズの髪をかき混ぜた。
その突然の仕草に、リィズはスプーンを握り締めたまま、軽く首を竦める。
「シェーヌさぁん……っ。」
「あははは、いいから、ゆっくり食べろって。」
「だからって、そんなことされて、食べれるわけ、ないでしょう〜!」
「え、でも俺んちの近所の犬は、撫でれらながら食ってたぞ。」
「犬と一緒にしないでくださいよ……っ。」
もうっ、と、シェーヌの手の平の下から逃れて、リィズはさらに軽く唇を尖らせる。
リィズのそんな幼い仕草に、シェーヌは楽しげに喉を鳴らせて笑う。
──そんな、どこかのカップルかと思うような可愛らしいじゃれあいに、周囲のテーブルから、小さなざわめきが生まれた。
リィズにちょっかいを出して楽しげに笑っているシェーヌを見ていたレヴァとフィスルの耳に、近くのテーブルから聞えてきた「ざわめき」の内容が届く。
「……可愛いカップルね……。」
ボソボソと呟くのは、妙齢の女の声だ。
振り向かなくても分かる。先ほどからシェーヌとフィスルと色っぽい眼差しで見ていた女二人組みの片割れだろう。
そんな女に答えるように、
「美男美女ね……。」
色つやめいた声で、もう片割れが呟き──語尾をかすれさせながら、チラリ、とフィスルに視線をやるのがわかった。
この場合、「美男=シェーヌ」で、「美女=リィズ」なんだろうなと、レヴァは溜息にも似た気持ちで頬杖を着いた。
テーブルで顔を寄せ合うように話していた女達の眼差しが、続いてフィスルに集中するのを感じながら、レヴァはもう一度溜息を零した。
──早い話が、フィスルも気になるがシェーヌも気になっていたご婦人方が、「シェーヌは超美少女とラブラブ」だと判断して、標的をフィスル一人に絞ったと言うところだろう。
正直な話、同じ男としてl、レヴァは少々複雑な心地であった。──確かに年齢的に標的外となっても仕方がないのであるが。
呆れたように視線を戻すと、シェーヌがビールを一気にあおって、空になったジョッキをドンとテーブルに置くところだった。
口元をグイと手の甲で拭って、ふぅ、と満足げにシェーヌが喉を鳴らすのに、フィスルはどこか不機嫌そうな視線を向けて、手の中の赤ワインを見下ろした。
中身が入ったままのワイングラスを脇に避けて、フィスルは自分の分のビールを追加で頼もうと顔をあげると、キョロリ、と辺りを見回す。
すぐ近くに給仕の人が居ないかと視線をさまよわせるフィスルに、シェーヌが何か言おうと口を開いた刹那……、
カツン、と──甲高いヒールの音が、耳障りに響いた。
と同時、フワリと香る、甘い女の匂いが、フィスルの鼻腔を擽る。
「ね……戦士さん? 良かったら、これ、一緒に飲まない?」
しっとりと濡れたような声に、驚いたように顔をあげると、目の前でチャプンと揺れる酒瓶が一つ。
その口を掴む赤いツメ先が、繊細な指を派手に彩っていた。
「──……って、え?」
驚いたように顎をあげるフィスルに、彼の椅子の背もたれに片手を落とした女は、キュ、と赤い唇に笑みを上らせると、す、と身をかがめて、フィスルの耳元に囁く。
「……ね、どう? 一緒に?」
見て分かるほどあからさまに誘いかける声に、フィスルは戸惑うように目を瞬く。
すぐ目前で振られる酒が、自分たちの貧乏旅行では到底飲めないような格の高い酒であることは、知っている。──こう見えても、故郷では母が酒場を経営していたからである。
その女の持つ酒に、興味がないわけではない。シェーヌから回ってきたすっぱい赤いワインの口直しとして飲むには、これ以上ないくらいの贅沢だ。
しかも、艶やかな爪先を持つ女は、むき出しの肩から胸元へと続く絶妙なラインを強調するように、フィスルに向かって頭を傾けながら、甘い吐息を吐き──「誘って」くれている。
思わず視線が豊かな谷間へ行くのを堪えながら、フィスルは喉が渇くのを覚えた。知らず、喉がゴクリと上下する。
──同じテーブルにティナが居るときなら、こんな誘いは勿体無いが断るしかない、が。
今のパーティメンバーは、こういうのを嫌う「年若い女」は居ない。
そう思う事実が、つい、鼻の下を伸ばしてしまう結果になったのだろうか。
フィスルが自分でも気付かないうちににやけさせた口元にいち早く気付いた隣の席から、指先が伸びてきたかと思うや否や──……。
ぎにゅ。
「──……っつっ!」
思いっきり良く、頬が抓られた。
慌てて顔をブルリと振るが、しっかりと自分の頬を抓った幼馴染の指先ははがれない。
視線を横にやると、軽蔑したような眼差しで──かすかな怒りの色をちらつかせたシェーヌが、口元に凍てつく笑みを乗せていた。
「──フィール? まさかとは思うが、俺達を残して、別のテーブルでハーレム……なーんて、するつもりじゃ──……。」
見た目は優しい笑顔を貼り付けながら、けれど目だけは決して笑わずに、シェーヌはフィスルの頬を抓る指先に力を込めながら、ゆっくりと首を傾ける。
一度言葉を区切って──ゴクリ、と先ほどとは180度違うイミで喉を鳴らすフィスルの視線を捕らえて。
「……ないだろうな?」
一瞬で低く凄んだ声で、言葉を突きつける。
その、凶暴なまでの響きを持つ言葉に、びくぅっ、とフィスルの背がしなった。
それは、シェーヌがモンスター相手に見せる、凶暴なまでの苛立ちに似ていた。
まさに、最後の即死の一撃を食らわすときのようだと、フィスルは肉食獣に睨まれた哀れな子羊のような気分で、ゾクゾクと背筋を震わせる。
見た目はどう見ても女めいた優男で、年だって下だし、力だって戦士であるフィスルには適わない──にも関わらず、幼い頃から位置づけられた支配体制は、大きくなっても変わらないもので。
「──……い、いうわけ、ないだろ──……、やだな、あははははははは…………。」
だらり、と脂汗がにじみ出るのを感じながら、フィスルは乾いた笑い声をあげる。
そのまま、自分の椅子の背もたれに手を置く女を見上げる気にはなれなかった。
──もしここで、女を見上げて、一瞬でも彼女の色気にクラリと行ってしまったら、即座にシェーヌによって床に沈められるような気がして、ならなかったからである。
壮絶なまでの表情で自分をニッコリと見上げるシェーヌの視線に釘付けになりながら──背中でいやになるくらい冷や汗を掻いている自分を知りつつ、フィスルが乾いた笑いを上げつづけるのを、酒瓶を持った女は、不審そうに見下ろす。
シェーヌは、フィスルの頬を抓った手をゆっくりと剥がし取ると、幼馴染に向けていたのとは全く違う種類の笑みを浮かべて、フィスルになれなれしく近づこうとしていた女を見上げると、
「──ごめんね、お姉さん? でも、コイツは、うちのパーティの唯一の用心棒だからさ──酒に弱い分だけ、誰にも貸せないんだ。」
ふんわりと笑って、そう告げた。
その言葉に込められた独占欲にも似た感情に、気付いたのは一体どれくらい居ただろうか?
シェーヌは、そういう感情を別の感情に摩り替えて見せるのがうまい──だから、今回もいつものように、そう囁きながら、リィズに気付かれないように、チラリとリィズの方を見ることで、「心配している相手」が別にいるのだということを訴えた。
「……あら、彼、お酒に弱いの?」
少し驚いたように目を見張るお姉さんに、シェーヌは口元に笑みを刷いたまま、
「そ。ほら、食前酒だって、ぜんぜん手をつけてないだろ? だから、勘弁してくれるかな? ……俺でよかったら、いくらでも付き合うんだけど、ね?」
最後のとどめとばかりに、「すっぱくて手をつけていない」ワインを顎でしゃくった後、とろけるように笑って見せた。
──この瞬間が、とどめになったと、一部始終の『真実』を見抜く賢者は思った。
そしてレヴァの読みどおり、シェーヌの言葉に納得した様子で、女は彼の椅子にかけた手を引っ込め、ヒョイ、と肩を竦めた。
その間、シェーヌの先ほどの迫力に飲まれたフィスルは、一言も発することができない。
「なら、しょうがないわね。──ふふ、可愛い彼女も居るんだもの。心配になるのは分かるわ。」
女は、あっさりと手を引くことを認めると、少しだけ名残惜しそうにフィスルの肩を指先でスルリと撫でる。
けれどフィスルは、シェーヌの見せた凶悪なまでの殺気を思い返して、その色を誘うような仕草にも、曖昧な表情しか浮かべられなかった。
そんなフィスルの態度に、女はこれはダメだと思ったのだろうか。
素直に踵を返して、自分が座っていたテーブルの方へ戻っていった。
「……………………………………。」
フィスルが無言で視線を落とすのを横目に、シェーヌは、はっ、と短く息を吐き捨てると、空になったビールジョッキを脇に避けて、そのまま頬杖をついた。
「──……で、フィル?」
ぞんざいに顎でしゃくるシェーヌに、フィスルはのろのろと背もたれにどっしりと全身を預けつつ……、疲れたような顔でシェーヌを見返す。
「で、……って、何がだよ?」
「お前さっき、本気であの姉ちゃんに着いてこうとしてたよな?」
「──……っ! え、い、いやっ、そ、そんなことはないぞっ!? お前ら残して、行けるわけがないじゃないか……っ!」
ジットリと睨み揚げてくるシェーヌの目に、慌ててブンブンと両手を振って否定するが、
「……フィルさん、あからさまに怪しいです…………。」
スープにスプーンを突っ込んでいたリィズから突っ込まれて、うっ、と言葉に詰まる。
助けを求めるようにフィスルの視線がレヴァにいくが、残念ながらレヴァも、怖い目で笑っているシェーヌに逆らうつもりはなかったため、
「フィルさん──、未成年を残していくのは、感心しないよ?」
両手で水のグラスを包みこむようにして、困ったように笑ってみせた。
そんなレヴァの言葉に、フィスルはますます言葉に詰まって、荒くれ者が集まる酒場には不似合いなメンツがそろう自分のテーブルを──隣の美少女めいた幼馴染と、どう見ても美少女にしか見えない僧侶と、未成年の賢者を順番に見比べた後……、ガックリ、と肩を落とした。
そして、コリコリと頬を掻いた後、苦い笑みを口元に貼り付けると、シェーヌをチラリと見上げて。
「──、だな。レヴァのいうとおりだな……。
悪い、シェーヌ。──またお前に助けて貰ったな。」
しょうがないな、俺も。
──と、言葉を続けた。
それから、照れ隠しのように小さく笑いながら、あの人に「酒に弱い」って言ってしまった以上、もうビールは頼めないか、と、ちょうど残り三人分のご飯を運んできた給仕の娘に、水を追加注文する。──ついでに、シェーヌの先ほどの手助けをねぎらうように、シェーヌの分のビールの追加も。
シェーヌは、そんな心配りを見せる幼馴染の野暮男を見上げて、
「────………………わかってねぇ………………。」
ウンザリした顔で、ぽつり、と零した。
その、どこか憮然とした顔はけれど、フィスルの手によって目の前に置かれたホカホカのスープを前にして、
「さ、さっさと食べて、さっさと寝るか。──明日も早いしなっ!」
フィスルのクシャリと笑う顔を見て。
「……………………この気持ち、何で気づかないかなぁ……………………?」
──多分に、シェーヌ以外の人間なら、すぐ答えが分かるような問いかけを口の中で小さく呟いた後、はぁ、と溜息ごとスープの中に吐き捨てて。
かちゃん、とスプーンを手に取り上げながら、
「──なんでこんな男がモテるのか、俺には良くわかんねぇよ……ったく。」
苛立ち紛れにグルグルとスープをかき回したのであった。
そうして──そんなシェーヌの複雑な気持ちを、この場で唯一知る人間としては。
「…………──そういう鈍感なところも、好きなんでしょ……結局は。」
そんな言葉も、こっそりと胸の中でだけ、呟いてやることにした。
+++ BACK +++
あからさまなヤキモチなんだけど、勇者が戦士を好きだってことを知っているのは賢者のレヴァだけなので、結局空回り。
──っていう感じのすれ違いも、大好物です★