1 ドキッ!
時間軸:幻水2 ルカ=ブライト戦死イベント後
そばかすの良く似合うカワイイ宿屋の娘──エリは、困ったような顔で、ホウキを片手にぼんやりと空を眺めていた。
どこか夢見るような瞳が、空をゆっくりと流れていく雲を眺めている。
そんな彼女の瞳に、なぜかしらふと目が止まって──カスミは、かすかに首をかしげた。
このバナーの村には、小さい頃から良く出入りをしている。
特に、3年前──ロッカクの里が壊滅の危機に陥り、解放軍に助けを求めた後……ロッカクの里の復興に手を貸してもらう変わりに、己自身が、トラン共和国の内部で働き手になることを誓った時から──何度も、何度も。
グレッグミンスターを出た後、北に向かったのだと聞いて──もうこの辺りには居ないと分かっていながらも、ロッカクの里に帰るたびに必ず、バナーの村に足を運んだ。
時には、仕事の関係でそのまま北上してジョウストン都市同盟に入ることもあったが、大抵はここまでやってきて、川の流れを見て帰ることがほとんどだった。
その、見慣れた穏やかで緩やかな時間が流れるバナーの村の中……見知ったエリの顔が、どこかいつもと違うような気がして、カスミはその茫洋とした眼差しを、ひたり、と見つめた。
宿の娘として、人の視線にはそれなりに敏感であるはずの年頃の娘は、カスミのその視線に全く気付かず、ホウキを両手で握り締めて、ぼー、と流れる雲を見つめている。
宿の前を掃除するつもりなのだろうが、その手が動く気配はまるで見れない。
一体どうしたことだろうかと──何かあったのだろうかと、カスミが声をかけようかどうしようか、一瞬の逡巡をした時だった。
「あの宿に泊まってるのは、リオ将軍なんだよっ!!」
すぐ間近で、弾けるような幼い声が聞えた。
ハッ、と、エリに取られていた気が、一瞬で戻ってくる。
それと同時に、自分はなんて失態を犯していたのだろうと、舌打すら覚える気持ちで、慌ててカスミはなんでもない様子を装いながら、声のする方角──ここに一緒に来ていた「連れ」の元へと足先を向けた。
宿の角を曲がれば、バナーの村の小さな広場に立つ、赤い色の胴着姿の幼い少年と、その少年の前に立つ人の後姿がすぐに見て取れた。
興奮した面持ちで頬を紅潮させる幼い少年が誰なのか、カスミは良く知っていた。
先ほど見ていた「エリ」の弟で、ヤンチャざかりの「コウ」だ。
崩れかけたジョウストン都市同盟同士の絆をふたたび結びつけ、若くして「リーダー」と呼ばれている「リオ」のことを尊敬し、あこがれるあまり、リオの「コスプレ」をして村をパトロールしているつもりの少年。
──彼は、目の前に立つ自分と同じような格好をしている少年が、その「リオ将軍」であることにはちっとも気付かず、ニコヤカな笑顔を浮かべて、両手を真横に広げて自慢げに笑っている。
「リオ、が……宿に、泊まってる、って……?」
パチパチと目を瞬いて、コウを見下ろして、ナナミが不審そうな顔でチラリと隣を見る。
その視線がさらに少しずれて、カスミの方に飛んできた。
カスミはそのナナミの視線に曖昧に微笑んで、首を軽く傾ける。
何の話をしているのか分からなくて、ナナミの視線を見返すが、ナナミはもっと理解していないような顔で、困ったような顔をするばかりだ。
変わりにナナミの隣に立っていたシーナが、ヒョイ、と腰を屈めてコウと目線を合わせた。
「なんだよ、コウ? お前、憧れのリオ将軍に、会ってサインなんか貰っちゃったわけ?」
にやり、と笑って問いかけるシーナの声に、コウは興奮治まらぬ様子で、ブンブンとかぶりを振る。
「ううんっ、違うよ! リオ将軍でしょ? って内緒で聞いたけど、違うって言われたんだ。」
頬を紅潮させてかぶりを振るコウの言葉に、ナナミとリオが目線を交し合うのが見えた。
一体何のことなのか分かってないまま──誰かとリオを間違えていることは間違いないだろうと、判断したらしい。
まさかこんなところで、自分がリオなのだとばらすつもりはないだろうとは思うが……、と、リオの隣に立っていたフリックが、鼻の頭に皺を寄せる。
ルカ=ブライトを自分たちが倒してから、まだそれほどの月日が経っていない。ハイランドの動きは全くと言っていいほど無く──相手が何を考えているのか、軍師も日々監視を怠らないような状況だ。
また、ルカへの襲撃で受けたこちら側の傷も大きく、それを建て直す時間も欲しいというのが正直なところ。
もし──こんな、ジョウストンとトランの境界に過ぎない「辺鄙」なところで、刺客にでも襲われたら、たまらない。
ロッカクの里が近いから、そのようなことはないとは思うが、そうと言い切れないのが現状だ。
何よりも──悲しいことだけれども、トランの誰も彼もが、ジョウストンに力を貸すことを喜んでいるわけではない。──特に、北方に位置し、ジョウストンとの小競り合いを幾度も経験している者たちは、特に。
そんな中で、リオがバナーの村を「通過」するならとにかく、「泊まっている」などと言う噂が立つのは、良くなかった。
「なんだ、それじゃ、本当にリオ将軍かどうかなんて、分からないじゃないか。コウ、カンチガイして相手の人を困らせたんじゃないのか〜?」
ツン、と指先でコウの額をつつくシーナの口元に浮かぶ、からかうような笑みの色には、かすかな安堵の色が見て取れた。
そう、安堵の色だ。
──今、宿に泊まっている人が、リオの名をかたる偽者でなくて良かったと、そう思う色だ。
ラダトの町でリオの名をかたっていた「ばか者」はまだいいほうだ。彼はまだ、ジョウストンの圏内で名乗っていた。
けれど、もしこのバナーの村でそんなことをしていたら──その、名をかたっている人物の命が危ないということも、ある。
「英雄」の名を騙る以上は、危険と紙一重だと分かっていてしかるべきだと、捨て置くことも出来たけれど……リオはきっと、そうはしないだろう。
だから、シーナが軽口を叩くようにしながらコウ相手に情報収集をするのを手伝うように、腰を折り曲げて同じようにコウに向き合うと、
「なになに? それじゃ、宿の人も、僕たちとおんなじような格好してたの?」
「うーん──ちょっと違った。」
首をかしげるコウに、そうなんだ、とリオは両頬を包み込むようにして答える。
──そうなんだ。
「それじゃ、リオとは限らないじゃないか。相手も否定したんだろ?」
フリックが腰に手を当てながら──ホッとしたような表情で呟くのに、でもっ、とコウは大きな目でフリックを睨みつける。
「あの人は、絶対、リオ将軍だよ!」
「コウの勘ってヤツか。」
シーナはなるほどなるほど、と頷きながら、チラリ、とリオの顔を見上げる。
リオもナナミも、なんとも言えない顔をしている。
──あの人は、絶対、リオ将軍だよ……なんていわれても……、本物は、君のすぐ前に立ってるよ、なんて教えるわけにもいかない。
フリックは苦い色の笑みを刻み、どうしようかと視線を絡ませている姉弟を横に置いたまま、
「なんでそう思うんだ、コウ?」
柔らかな口調で問いかける。
そんな風に聞いてくるフリックに、コウは話そうかどうしようか悩んだような表情を見せたが──すぐにウキウキした様子を隠そうともせずに、
「聞きたい?」
と、グルリと自分を見下ろしている六人を見上げてくる。
そのニンマリと笑みの形に歪んだ瞳に、話したくてしょうがない色を見つけたシーナとリオとナナミは、もちろん、と即座に頷いてみせた。
「もちろん、聞きたい。」
「教えて、コウ君。」
ねだるように尋ねられて、コウは悪い気はしなかったらしい。
ちょっとばかり得意げな顔になって、しょうがないなと手作りのトンファーもどきで、くい、と宿のほうを指し示した。
「あのね、数日前から泊まってるお客さんなんだ。
赤い服着てて、只者じゃないって感じだし、一緒に居た人はお付きの従者って感じだったし。」
「ただものじゃ、ない。」
「……従者付きだったら、そりゃ普通、只者じゃないんじゃないの?」
少し離れたところに立っていたルックが、呆れたように呟いたが、それにはフリックが唇を無理矢理閉じるような顔で堪える表情を見せただけで、誰もかまわなかった。
「すっごく、強そうだった?」
キラキラと目を輝かせて、リオがコウの顔を覗きこむ。
その隣でナナミが、リオの袖をクイクイと引っ張りながら、
「もしかしたら、宿星かもしれないね、リオっ。」
と、コソコソと囁いているのが聞えた。
シーナは、そんなリオとナナミに、「お前ら、ホイみたいな仲間がまだ欲しいのかよ」と呟きそうになり、おっと、と口を片手で覆った。
コウは、リオの言葉に、もちろん、と大きく頷く。
「いつもね、向こうにある釣り場で、一日中釣りばっかりしてるんだけど、僕、見たんだ!」
「……そこで池に落ちてたら、まさにリオそのものだね。」
はっ、と、バカにしたようにルックが興味なさそうに呟くのに、思わずシーナはプッと噴出しそうになるのを必死で堪えながら、興奮を露にして拳を握っているコウに相槌を打つ。
「見たって──何をだ?」
「朝、早い時間に、ここで従者の人を相手に、えーっと……たん、れん? ……っていうの、してた!」
ここ、と、コウは持っていたトンファーもどきで地面を叩いて、ますます興奮したように目を輝かせる。
その輝く瞳に、カスミは微笑ましいものを覚えて、唇に笑みを刻みながら、つい、と視線をずらした。
宿の角に立つエリが、顔を横に向けて東のほうを見ているのが分かった。
その東──そこに確か、コウの言っていた釣り場があるはずだ。
どうやら、その「只者ではないお客様」に、心を奪われてしまっているのは、コウだけに限った話ではないらしい。
「へー……強そうだったか?」
コウにそんなこと聞いても、分かるはずないかとそう思いながらそれでもシーナは、軽口を叩くような声音で、彼にそう問いかけた。
するとコウは、ますます興奮したように頬を紅潮させて、コクリと大きく頷き、
「すごかった! 僕、動きがぜんぜん見えなかったもん!!」
途端、ぴくん、と、フリックとリオ、ナナミ、シーナの動きと表情が変わった。
なんか綺麗だったとか、すごそうだった、──なんていう子供の意見は、まるで信頼できない言葉だ。
子供の主点というのは、曖昧だから。
けれど、「動きがぜんぜん見えなかった」という表現は──最低でも、それだけの素早さを持つということを示す。
少しでも鍛錬を積んだものにしか身につかない力のはずだ。
その鍛錬を──、わざわざ早い時間に、人目につかない時間を選んでやるということは……。
「リオ将軍だよ、絶対!」
コウはそう興奮した面持ちで続けるが、それを受け取る六人の表情はなんとも表現しがたいものだった。
──可能性の一つとしてルカ=ブライトの隊に入っていた負傷兵が、ここに逃げてきているというものもある。
わざわざ「同盟国」のトラン共和国との境界に逃げ込んでくるなんてことはありえないとは思うが、その可能性も捨てきれない。その場合は、もちろん──今ここにいるリオを守るに他ならない。
カスミは、じり、と足をずらして、釣り場へ続く道が見渡せる場所まで後退する。
そのカスミの意図に気付いて、ルックが無言で視線を寄越してくる。
──加勢はいるか?
そう問いかける視線に、カスミは同じように視線で答える。
──いいえ、まずは、間諜だけですから。
そんなやり取りを交わすカスミとルックに、釣り場の件は任せることにしたらしいフリックとシーナが、さりげない動作で剣の柄を利き手の近くに引寄せるのが見えた。
そのままカスミは、足音もせずに、まずは森の中へと姿を消す──つもりだったのだけど。
「でも、その人は、リオだって名乗ってなかったんでしょ?」
「あれは偽名だよ。だって、将軍が本名なんて名乗るはずないもん!」
「え、じゃ、何って名乗ってたの?」
リオとナナミの問いかけに、なぜかふと、足が惹かれるように止まった。
何と答えるのか。
そう思って背を向けたまま足を止めた先。
背中の向こうで、自信たっぷりにコウが言う言葉が聞えた。
「宿帳には、スイって書いてあったよ。」
ドクン──……っ!
高く一つ、心臓が鳴った。
全身が震えるかと思うほど、大きな音だった。
先へ進みかけていた足が止まり、喉から悲鳴が飛び出るかと思った。
思わず、バッ、と振り向いていた。
それは、他の誰にしても同じだったらしく──ナナミとリオだけは、平然とコウの相手をしていた。
ルックが、愕然と目を見張り──そのまま視線を東へと投げるのが見えた。
その柳眉が顰められる瞬間、彼の目に映ったなんとも言えない感情の正体を知りたいと……何を感じたのかと、襟首を掴んで揺さぶりたくなった。
「スイ? ……なんか、どっかで聞いた気がするね、ナナミ?」
「うーん──……そういえば。」
暢気に首をかしげるのは、リオとナナミばかりだ。
シーナは、ただ唇を結び、目を見開いてコウの顔を見ていた。
キリンジの柄に伸びた手が、キュ、と柄を掴んだのが見て取れる。
「──…………それ、は…………どういう、二人組み、だった?」
フリックの声がかすれている。
それでも、コウにそう問いかけられただけ、フリックは「大人」なのだと思う。
いや、動揺し続けているだけなのかもしれない。
だって。
まさか、こんな近くで。
この三年間、何度も何度も通ってきたこの道で。
何度も何度も通りながら──あの人が国を出て行ったときに、この道を、この村を通ったのだろうかと、思い続けてきた、こんなところで。
カスミは、グラグラと地面が揺れるような感覚に、思わず体を抱きしめた。
ドクドクと、鼓動が強く鳴り打ち、耳が痛いと思った。
それでも必死で耳を澄まし、フリックの問いかけに答えるコウの言葉を待つ。
コウは、瞬間走った絶妙な緊迫に気付かず、得意満面な微笑を崩すことなく──、
「年だって、リオ将軍と同じくらいだったし、優しかったし、すごく格好よかった!」
そう、あの人は、寂しさと気品と優しさとピンと張り詰めた冷たさと強さと冷酷さと甘さと苦さと──……あぁ、何もかもを抱え込んでいた。
その、ただ静かで前を見つめる瞳が、いつも自分たちの前にあった。
その、強い光を宿した背が、いつも大きく目に映った。
「赤い服着てて、──あ、でも、トンファーじゃなくって、コン? を持ってたよ。
でもそれはきっと、変装だと思うんだ。」
ずくん、と、心臓が痛む。
体が震える。
唇が震えて、カスミはもうそれ以上一歩も動けなくなった。
そのまま走り出したいような、確認したくないような──複雑な気持ちで、それでも彼女はゆっくりと視線をあげて、東の方角……「リオ将軍」とコウが言う人物が居る場所を見つめた。
うっそうと茂る青い木々。木漏れ日に包まれた釣り場への道の先は、ここからは見えない。
けれどそこに──道の開けた先にある小さな釣り場に、居るかもしれない。
あの頃──まともな組み木もされていない傾いた釣り場で、ノンビリと釣り糸を吊るしていた少年が。
「でね、従者の人……金色の髪のおにいさんに、ぼっちゃん、って呼ばれてた。
──ヒュッ、と……喉を走った衝撃は、誰の口にも、言葉にも、表せない。
カスミは、そのまま衝撃を堪えるように、全身をきつく抱きしめた。
ドクドクと、心臓が高鳴っている。
言葉が唇から零れだしそうなのを、必死に堪えた。
感情を抑えるすべも、感情を飲み込むすべも、殺すすべも──何もかも知っているはずなのに、零れるこの思いを堪えることができなかった。
「──……そ、うか……。」
ぼんやりと呟くフリックの声に、どうして声を出すことができるのかと、カスミは問いかけたくなった。
それほどに、今、全身を駆け巡る衝撃は大きい。
声など出せない。
ただ、体が震えて、全身が強い鼓動を打っていた。
会える──この先で、会える。
──ううん、違う。
「──……今、わたしは…………。」
きゅ、と、体を渦巻く甘い感傷に、自然と唇が綻んだ。
「……スイさま、と……同じ空気に…………触れてる………………。」
甘い、甘いうずきが、ズキンと胸を駆け抜けるのを覚えながら──……。
三年前から囚われた思いは、殺しきれていなかったことを……噛み締める。
──……えーっと…………。
「ドキっ!」
じゃなくって、「どくん」だよね……?
っていうか、カプ? カプなの?
謎のまま終る。
私はカスミが、切ないまでの甘い疼きを持って、坊を思うのが好きです。
純愛路線で片思いがすき。