DARK MAZE
長い人生、そんなこともあるよ、と。
なんとなく紙に書いて自分を慰めてみる日々。
「陛下ー、俺もそろそろ、引退したいんですが。」
ある日、ちょっぴり物悲しくなったカッフェは、そう魔王陛下に訴えてみた。
振り返ってみれば、四天王在位暦、歴代トップ。
いい加減、歴史を更新するのも止めたくなった。
というか。
「俺もっ、運命の出逢いとかしちゃって、カワイイお嫁さんとかもらいたいんです!」
コレが本音だった。
実を言うと、先日、かわいいカッフェの弟が、結婚してしまったのだ。
お相手は、女官の1人で、それは良く出来た娘で、小舅をする気満々だったカッフェも、思わず彼女の両手を握って「うちの弟をお願いしますっ!」と言ってしまうほどの、素晴らしい女性だった。
その背後で、「このコに文句があるなら、わたくしにおっしゃいっ!」という視線をガンガンと、アルタミラが飛ばしていたのが理由ではなく。
心の奥底から、応援したくなるような、そんな素敵な夫婦になってしまったのだ。
何せ、彼女は、あのアルタミラの掌中の宝珠。時期女官長候補の1人である。
新しく四天王になったばかりの、注目度ナンバーワンの灼熱の四天王との組み合わせは、闇の宮殿内で、今年一番のベストカップルに選ばれてしまったほどの、──まさに、ビッグカップルなのである。
もちろん、そんなビッグな二人の恋愛だから、くっつくまでの間に、なんやかんやといろいろあった。
本当は、「うちの弟に相応しい嫁かどうか、俺が判断してくれよぅっ!」と、探偵さながらに活躍する気満々だったカッフェが、二人の間に、あんまり色々ありすぎるから、つい、率先して、二人をくっつけるための恋のキューピッド役にまでなってしまったほど、なんだかんだとあった。
必死に骨を折ってくっつけた二人の、結婚式は、それはもう、涙をボロボロ流すほど嬉しかった。
──あぁ、これで俺が、妻帯者であったなら、仲人役を、アルタミラ様なんかに取られることもなかったのにぃぃぃっ……と、悔しがるほどには。
そこで鋭く、「実兄が仲人になれるはずがないでしょうが」と、至極当然の突っ込みが、アルタミラ様から飛んできたことはさておき。
とにかく、大団円で二人がくっついて。
結婚式も終わって、灼熱の四天王宮で、バカップル新婚夫婦が楽しく暮らしているところに、ちょくちょく顔を出すようになって。
ふ、と、カッフェは、むしょうに淋しくなったのである。
振り返れば、「いつかこんな夫婦になるんだ」と、目指していた祖父と祖母はすでに他界し。
祖父の風呂屋は、昔、ちょっと色々あって弟子入りしたバッカスという青年の手腕によって、いつの間にやらチェーン展開までして、人間界にまで進出している状態。
すでにカッフェが割ってはいるような隙間はなくなっていて。
しかもその青年もすでに結婚していたりして。
こないだ訪れたら、随分とツヤツヤした顔で、幸せ満面顔で、生まれたばかりの赤ん坊まで抱かせてくれた。
父と母も老いらく状態で、すでに楽隠居生活に入っている。
その二人を訪れて、本当だったら、すでに孫の結婚式まで見れたかもしれないのに──なんて、しみじみといわれてしまっては。
カッフェとて、
「今からでも遅くはない!
俺だって──……っ!」
と思わずにはいられなかったのだ。
ここに誰かがいたならば、「お前、いっつもそう言ってるよなー」と突っ込んでくれたに違いないが、残念ながら、突っ込んでくれそうな者は、その時、カッフェの側には居なかった。
かくして、カッフェは、一大決心をし、魔王陛下に向かって、引退を願い出たのであった。
──が、しかし。
メラメラ燃えて退職を願い出る最古参の四天王に向かって、
「お前は、100年置きに引退を願い出るんだな。
いい加減、飽きたぞ。」
魔王陛下は、頬杖をついて、欠伸を噛み殺しながら答えてくれた。
そのまま、つまらなそうな仕草で、しっしっ、と手を振ると、
「そろそろ、もっと目新しい冗談でも考えたらどうだ?」
俺は眠いんだ、と、チラリと視線を流してくる。
魔王陛下の前で頭を垂れていたカッフェは、陛下の余りに酷い言葉に、がばっ、と勢い良く顔をあげた。
「冗談なんかじゃないですよっ! 俺は、毎回、本気で言ってるんです!!」
そういうカッフェの表情も、瞳も、真摯なことこの上なかった、が。
カッフェの真摯な言葉を受ける魔王陛下の態度に、やる気は見えなかった。
陛下は、ヒラリと形良い指先を揺らし、わざとらしく顔の前で、指を一本折ると、
「100年前は確か、弟が四天王試験を受けるみたいだから、エコひいきしちゃわないように、四天王を止めさせてもらいます、だったか。
その更に100年ほど前には、人間界で冗談半分で始めた商売が当たったので、しばらくそれに没頭したいから止めます、だったか。」
ゆっくりと二本折ったところで、チラリ、と魔王陛下はわざとらしく意地悪げな眼差しでカッフェを見下すと、
「……私利私欲ばかりだな、お前。」
「うぅぅぅ、俺、もうちょっと高尚な言い方をしたと思うのですがっ!」
カッフェは、がくり、と首を落とす。
そんな彼に、三本目の指も折ろうかどうしようかと言うように、ひらひらと中指を揺らしながら、魔王陛下は愉悦を滲ませた笑みを零した。
「どんな言い方をしようと、お前が私利私欲のためだけに、高尚なる四天王を止めたいといったことには変わらんだろうが。
三百年前の辞職願いも、くだらん理由だったしな?」
それも口に出して言ってやろうか? と、美しい容貌をニタリと歪めて笑む魔王陛下に、カッフェはフルフルと頭を振って、丁重に辞退申し上げる。
「いえ、確かに、どれもこれも、わたくしめのつまらぬ私利私欲でございました。陛下のおっしゃるとおりでございます。」
再びかしこまり、深く頭を垂れるカッフェに、魔王陛下はつまらなそうに鼻を鳴らすと──どうも付き合いが長いためか、最近、カッフェは引き下がるのが絶妙になってきた。もっとも、それで許してやるつもりは、毛頭なかったが。
「そんな反逆行為を口にするたびに、たかだか更に100年の四天王任務だけで済ませてやってる俺の優しさを、もう少し感じ取って欲しいものだがな。」
ゆったりとした動作で、玉座に深く腰掛けて、軽く顎を引いてカッフェを見下ろせば、灼熱の髪を持つ四天王は、ただ床を凝視したまま、魔王陛下に厳かに答える。
「陛下の優しさは、それはもう、常日頃から感じていますから、もうおなか一杯で満タンです。むしろ返したいくらいです。」
口から出た内容は、あまり厳かではなかったが。
四天王になって、早2千年も経つというのに、カッフェの言葉遣いは、一向に直る気配はない。
きちんとやれば直るのに、思ったことを即決で言う単純さは、いくつになっても──この闇の宮殿でもまれにもまれても、そのまま残り続けている。
これほどの、「面白逸材」を、どうしてたかが2千年程度で手放すことが出来るだろうか?
魔王陛下の目元が、底意地悪く撓んだのに気づかず、カッフェは、キリリと眉を顰めると、
「それよりも、俺は、そろそろ、次世代の若手達に、この闇の国の未来を託したいと思っているのです!」
整った容貌いっぱいに、真剣な色を浮かべて、魔王陛下にそう進言した。
カッフェ的に、「よし、やったっ! 完璧っ!」と思えるほどの出来であった。
──が、しかし。
やはり魔王陛下のほうが、一枚も二枚も上手だった。
陛下は、唇を歪めて微笑むと……罠にかかった獲物を、ゆっくりと手繰り寄せるような、勝利を確信した笑みを浮かべると。
「つまりそれは、若手ではない俺への反乱表示ということか?」
愉悦に満ちた声で、カッフェに問いかけた。
とたん。
カッフェは、自分の血が、音を立てて引いたのが聞こえた気がした。
しまった、ミスったっ! と思う間もなく、カッフェは慌てて片膝をあげると、
「ちっ、ちちち、違いますぅぅぅーっ!!!!」
ぶんぶんっ、と両手と頭を振って、否定する、が。
一度出た言葉が口の中に戻ってくるはずもなく、魔王陛下は、カッフェの悲鳴を右から左に素通りさせながら、ひどく楽しそうに喉を震わせて笑った。
「仕方ないな、反乱すると言う意思表明を、二度も見せたんだ。
とりあえずこの先500年は、俺の側において、お前の動向を見守らなくてはいけないか。」
くっくっくっ、と。
楽しくて楽しくてしょうがないというように肩を揺らして笑いながら、魔王陛下は、心底満足したような表情で、カッフェの絶望に揺れる双眸を、ひたり、と見下ろした。
「俺の懐の厚さに感謝しろよ、カッフェ?
お前、あと500年はこのまま四天王据え置きだ。よかったな。」
その、言葉に。
カッフェは、ぱくぱくと口を開け閉めして。
──っていうか、なんで500年っ!?
ちょっと辞職したいんです、って言っただけなのに、なんで500年もすえ置きっ!? 何それっ!!!?
つぅか、いいわけねぇだろっ? よくないっ、全然よくないっ!
けど。
………………よくない、なんて言ったら、命令造反罪まで適用されてしまう……っ!
「えーっと、えーっと…………。」
魔王陛下の、ニコニコニコと笑み崩れる、それはそれは美しい容貌を前に、カッフェはパクパクと口を開け閉めして、間抜けな顔をぞんぶんにさらした後──、
「…………あ…………ぁ、…………ありがたく拝命いたし、ます…………。」
がっくりと両肩を落としながら、そう答えるしかなかった。
そんなカッフェの、淋しそうな旋毛を前に、魔王陛下は、ますます楽しそうに笑って、
「よきにはからえ。」
そう──答えてくださった。
結局今年も、魔王さまに言いくるめられてしまった炎の四天王は、あーあ、と、がっくり頭を落としながら、四天王宮の頂上から、闇の宮殿を見下ろしていた。
カッフェが四天王になって、早2千年近く。
3千年の寿命を誇る闇の世界にあって、カッフェの人生の三分の二が、四天王業務に費やされているのが現状だ。
これほど長く四天王に従事している者は、闇の国の歴史長しとは言えど、カッフェくらいのものだろう。
おかげで、見たくないものや、見てはいけないものまで──さまざまなものを、見聞きしてきた。
今のカッフェは、体と脳みそそのものが、闇の国のトップシークレットと言えるほどの存在になってしまっている。
だから──本当は、自分が、そうやすやすと闇の宮殿から離れられる存在ではないことだって、わかっているのだ。
けれど、魔王陛下ならば、カッフェの存在から、魔力を奪うことも、記憶を失わせることも、できるから。
その覚悟を持って、退位を願い出ているというのに。
「今年も惨敗なんだよなー……。」
ふぅ、と溜息を零して、カッフェは己の両手を見下ろした。
本来なら、そろそろ壮年の年齢に差し掛かるところだ。
──にも関わらず、カッフェはいまだに、30手前ほどの外見年齢を維持していた。
一重に、魔王陛下が、ムダに「お前、汚い老人になりそうだから、宮殿にいる間は、若い頃の一応美形ランクのままでとどめておけ」と無茶をいってくれたからである。
そのため、カッフェは、無尽蔵に涌いて出ているのではないかと思う能力の半分を、細胞の活性化に使っていた。
正直、それも、疲れたのだ。
「ふつーに風呂屋やって、ふつーに恋愛して、ふつーに結婚して、子供生んで……って生むのは俺じゃなくって奥さん。で、ふつーに子育てして。
そんで、ふつーに、奥さんと一緒に、年老いてくものだと思ったのになぁ。」
ソレが今では。
史上最長老の四天王。
最も長く四天王を共の過ごした同期たちは、すでに退位し、ゴールドとリヴァンの子孫が四天王に入ってくるほどの──そんな月日が流れてしまった。
同期のティティスだって、ようやくなれた四天王を、すでに退位してしまい、良い感じにロマンスグレーになって、若い女の子達から人気を集めている。
あんなに小さくてかわいかった弟は、外見年齢だけで言ったら、カッフェとほとんど変わらない年齢にまで育ち、今じゃ、若手ナンバーワンの、注目の四天王の一人だし。
しかも、かわいい嫁さん付き。
「別に、年を取らないようにするのは、そんな手間じゃないし、面倒じゃないんだけどさー。
なんていうか……、俺もさ、もういい年なわけじゃん?」
本当なら、見下ろしたこの掌にだって、人生と苦労の数だけ皺が刻まれて、灼熱の髪も、チョット色あせて、いい感じに渋みの出た壮年になって。
ティティスと張って、闇の宮殿真っ二つに割れるほどのロマンスグレーの片割れっ、みたいに言われて……、は、無理かもしれないけど。
「なのにさー……この年まで独身って、お前、どんだけ仕事人間なんだよ! みたいな。」
はぁ、と溜息を零して、カッフェは両掌をグッと握り締め、暗闇に染まる空を見上げ、
「……俺だって……俺だって──自分の子供を抱いてみたいんだーっ!!!」
長年、こっそりと隠し続けていた本音を、空に向かって吼えてみた。
その本音を、魔王陛下は十二分に知覚していたのは、まず違いないだろう。
「だってさっ、小さくって、やわやわで、しかもめっちゃかわいいんだぞっ!?
もーっ、こないだ、バッカスに抱かせてもらったあの赤ちゃんっ! ぷっくぷくで、かわえかったぁ〜っ!!」
もう、こんなでこんなでっ……と、掌で、この間実家に帰ったときに抱かせてもらった赤ん坊を、形作りながら、ほぅぅぅ、と両手を抑えて、幸せそうに笑う。
小さくてかわいい生き物は、幸の象徴だと言うが。
あの小さな赤ん坊は、まさにそれだ。
あれが一体居るだけで、空気が違う。
初対面の人でも、知らない人とでも、あのコをはさんで会話が出来てしまう(ちなみにカッフェは、はさまなくても会話が出来る)。
「あぁぁぁっ! 他人の子供であんなにカワエエんだもんな〜っ!
俺の子供だったら、またひとしおだってっ! くぅっ!」
くやしいなぁぁっっ、と呻いて見せれば、ぽむっ、と小さな音を立てて、カッフェの古き友、イフリートの孫であるイフリータちゃんが顔を覗かせた。
イフリート君は、すでに結婚し、かわいい孫娘を4体、孫息子を8体も抱えているのだ。
その孫の全てが、カッフェに懐いており、用事もなく、呼ばれてもないのに、良くこうして出現する。
今回も、イフリータちゃんは、無意味に、カッフェの髪にグリグリと頬刷りをして、
『カッフェ、赤ほしいの? 赤ほしいの???』
ニコニコと笑いながら、カッフェの髪を引っ張って問いかけてくる。
カッフェはそれに、うんうん、と頷いて、
「そうっ、俺も赤欲しいー……やっぱ、オヤジとお袋にも、孫くらい抱かせてあげたいしなーっ。」
バッカスの子供を抱き上げたときの、両親の顔を、カッフェは忘れられなかった。
自分の孫を抱き上げたいと、彼らは思っていたに違いない。
なのに、カッフェは学校を卒業した後、3年か5年に一度しか顔を見せず、孫どころか嫁を娶る気配すらない。
さらに弟のキースまでもが、士官学校に入り、闇の宮殿に仕官し始めた挙句、四天王になって──もう、孫は諦めていたに違いないのだ。
ちなみにカッフェの両親たちは、カッフェがそうであるから、『普通、四天王というのは、滅多に家に帰れず、結婚してはいけない』と思い込んでいた。
賢明な皆様はわかっているだろうが、そんなのは、カッフェだけである。
事実、キースは、しっかりと月に1度も2度も里帰りしているのだ。
そして今回、結婚も無事に果たした。
だから、ここにイフリートがいれば。
『いや、カッフェが作らなくってもさー、キースが作ってくれるから、いいんじゃね?』
って言ってくれたに違いないが、残念ながら、ここにはイフリータちゃんしか居なかった。
イフリータちゃんは、カッフェの髪を弄りながら、
『そっかー、カッフェちゃん、赤欲しいのね。』
ニコニコニコ、と笑いながら、小さな両手を合わせて、どんな赤にしようかなぁ? と、不穏なことを呟いている。
けれどカッフェは、それを気にも留めずに、その場にしゃがみこんで、頬杖を付いて、はぁぁ、と何度目かの溜息を漏らした。
「あんなにかわいい嫁さんを、俺も欲しい、なんて贅沢は言わん。
何せ俺、2千年も生きてて、ぜんっぜん、モテねぇからなー……。」
うーん、と腕を組み、切ない呟きを零せば、両掌に小さな赤い炎を出していたイフリータちゃんが、ハッ、としたようにカッフェを見下ろした。
そして、慌てて赤い炎の玉をそこらに放り出し、ぽんぽんぽん、と小さな手でカッフェの頭を叩いて慰めはじめる。
『だいじょぶだよぅ、カッフェちゃん。
カッフェちゃん、しゃべってうごかなかったら、いい男だって、グランパ言ってたよっ!』
「うーん、ありがとな、イフリータ……っていうか、それ、慰められてんのかなぁ。」
かっくり、と首を傾げながら呟いた後、カッフェはイフリータが放り出した炎の玉を引き寄せ、それを掌でクシャリと潰してから──以前に一度、放り出した玉をそのままにしておいて、危うく、四天王宮大惨事になるところだったのだ──、ぱっ、とそれを灼熱の光に変えて解き放ちながら、
「嫁さん、なんて贅沢は言わないけどさ──せめて、子供だけでも居たら……俺の人生も、張りは出てくると思うんだけどなぁ。」
っていうか、嫁さん居ないと、子供はできねぇか、と──ガックリ肩を落としかけたカッフェは、ふ、と目を見開いた。
……嫁さんがいないと、子供は、できない?
いや、違う。
そうじゃない。
「……そういや最近、人間界では、未婚の親ってのも、はやってるよなぁ?」
思わず顎に手を当てて、ふむ、とカッフェは目を伏せる。
頭の上でイフリータちゃんが、右へ左へと小首を傾げている。
『ミッコンのオヤ?? それ、美味しいおやつ??』
「……そう、未婚の親っ。」
本来は、喜んでなるものではない。
けれど、今のカッフェには、その言葉がとても魅力的なもののように感じた。
結婚して、嫁を貰って、家庭を持つのが一番──それは確かだ。
けれど。
今の現状、嫁を探すことは出来ても……難しいとは思うが──、家庭を維持することも大変だと思うのだ。
それなら──そうっ、お嫁さんが来てくれないのなら……っ。
「子供を作ることくらいなら……っ!」
両手をグッと握って、カッフェは、キラキラ目を輝かせて空中を見据える。
『こども? カッフェちゃん、こども作るの??』
イフリータちゃんは、頭の上で頬杖をついて、クリ、と小首を傾げる。
そんな彼女に、うんうん、とカッフェは頷いて、
「そうっ、結婚なんかしなくっても、子供って、生めちゃうだろっ!?」
そもそもの問題は、そんなカッフェのところに、「子供を生んでくれる女性」が現れるかどうか、だと思うのだが。
そもそもの女性が居なかったら、嫁問題も解決しなければ、子供問題も解決しない。
その当たりの根本的な部分を、誰も突っ込むことはなかった。
何せ、ここは四天王宮の頂上。
辺りには、カッフェ以外、誰の姿もないのだ。
単細胞なカッフェを、とめる者は、誰もいなかった。
「俺だって、もう壮年って言う年だしっ! 本当なら、孫を抱いて、おっとり隠居生活……っ、とかしててもおかしくないしなっ!
そうだっ! 今からだって遅くないっ! 年齢的には壮年だけどさっ、俺、見た目はまだ30代前半だしっ!
子供を生もうと思えば、生めるはずっ!!!」
このままでは、闇の宮殿の女性に、片っ端から「俺の子供生んでくれないっ!?」──と、カッフェが歴代に残るようなアフォなナンパをしてしまう──……っ!
そんな危機の瞬間だった。
『──……っ!』
イフリータちゃんが、ブルリと大きく身震いしたかと思うと、カッフェに何も告げずに、しゅんっ、と姿を消す。
それと、ほぼ同時だった。
「……ほぅ、お前、そんなに子供が生みたいのか?」
ひんやりとした気配と共に、楽しそうな声が、降ってきたのは。
カッフェが今居る場所は、四天王宮の頂上……頭上には、空以外何もない。
そんな風景の中、頭の上から声が降ってくるはずはないのだが、カッフェはそれに疑問も覚えず、「声」に向かって、うんうん、と大きく頷いた。
──それが、自分の運命の分岐路になるとも知らずに。
「そりゃもう、もちろん! 自分の子供をこの手で抱くのって、めちゃくちゃ、夢じゃないかっ!!!」
──って、まぁ、生むのは俺じゃなくって、だれか母親になってくれる人なんだけどなー……と。
言いかけた言葉は、カッフェの口の中に生まれることすらなかった。
「ほぅ?」
カッフェの呼びかけに答えた、その「声」が。
誰の声なのか、気づいて。
「────………………っ。」
ひゅっ、と、カッフェは喉を鳴らして、正気に返った。
はぅっ、と、慌てて口を塞いだものの、時、すでに遅く。
両手で口を塞いだまま、カッフェは恐る恐る背後を振り返った。
──そしてそこには。
思ったとおりの人物の姿が──暗闇を従えた魔王陛下が、ひどく楽しそうに目元を緩めて、笑っていた。
「へ……へへへへ、陛下……っ。」
思わず声を引きつらせながら、ずざっ、と後ろに後ずれば、魔王陛下は、そんなカッフェに、生ぬるい微笑を見せてくれた。
その笑みに、カッフェはフルフルと頭を左右に振るが、魔王陛下は全く聞いてはいなかった。
それどころか、イヤそうな顔をするカッフェを、ひどく楽しそうに見つめると、
「なら、カッフェ? お前の希望通り──生ませてやろうか?」
「いぃ……いぃぃにゃぁぁぁーっ!!!!!!!!」
違うっ……違うっ、た、単に間違えただけですぅぅーっ!!!
──と、カッフェは、最後まで叫ぶことは出来なかった。
それよりも早く、楽しそうな──たくらみ顔の魔王陛下その人から、問答無用で術をかけられてしまったからである。
カツカツカツ、と、彼女はブーツの音を高らかに鳴らしながら、回廊を歩いていた。
耳元で、肩に届くか届かないかの長さの髪が、シャラシャラと揺れる。
光を弾いて朱金色に輝く髪は、色あでやかな灼熱の色。
それに象られた面差しは、透き通るように白く、勝気な色に染まった魅惑的な双眸が、ひどく印象的だった。
10人とすれ違えば、10人が振り返るほどの存在力と美貌に恵まれた主は、しかし、振り返った瞬間に興ざめしてしまうほどの乱雑な仕草で、ブルンと頭を振って頬にかかる髪を振り払った。
肉惑的な赤い唇を、キュ、と一文字に結んで、彼女は真っ直ぐに前を見据える。
向かう先は、四つの四天王宮の中心地──闇の宮殿に間近い中庭だ。
限られたランクの者しか出入りが許されない、さまざまな珍しい植物が植えられ、高価な宝石が埋め込まれた彫刻が美しく並びたてられた、見事な中庭だ。
その中心近くの贅を凝らした東屋に、彼女は用があった。
正直、行きたくなどなかった。
普段ならとにかく、今の時間は──昼食時でもある今は、この国内において、最高のステータスを誇る四天王の方々が、あそこで「昼食会」をしているからだ。
そんな──四天王の方々が、「昼食会」を催している時間に、わざわざソコへ行く、ということは。
同時に、「闇の宮殿内において、今、一番、注目を集めている場所に向かう」ことでもあった。
下々の者にとって、雲の上の存在──一生に一度お目にかかったらいい、とまで言われる闇の宮殿の仕官人たちですら、「そのお姿を拝見した日は、幸運の日」だとまで言わしめる、「四天王」の方々。
その方々を一目でも見たいと、たくさんの宮廷人たちが、あの中庭が見えるスポットに、集っているはずだ。
そんな中──あの中庭に入り、四天王たちに会いに行かなくてはいけないなんてっ!
「……っ、冗談じゃない……っ。」
ぎりり、と下唇を噛み締めて、悔しげに彼女は前を睨み据える。
大股に前へ進むほどに、肌に触れる空気の密度が変化していく。
薄く冷えた空気が、濃密になり、密度を上げていく。
吐いた息が熱気に包まれ、空気の中に溶け込んでいく。
それを感じながら、彼女は柳眉を顰めてみせた。
一歩前へ進むごとに、空気中に含まれる熱が、一つあがるのが感じ取れる。
そのごくわずかな違いを感じ取れるのは、一部の人間だけだが──彼女は、それを身近に感じることが出来た。
少し遅れて、風に乗って、人々の喧騒の声が聞こえてきた。
若い娘たちの上ずった声に、男達の野太い声。
そのどれもこれもが、期待や嬉しさに弾んでいるのを聞き取りながら、中庭へと抜ける曲がり角を曲がった瞬間。
「──……なんだこれ……。」
彼女は、目の前に広がる光景に、絶句した。
絶句せざるを得なかった。
四天王たちが昼食会を──そういう名の報告会をしているときに、たくさんの宮廷人が集っているのは知っていたが。
「……まさかココほどまでとは…………。」
思わず、じり、と後ろに数歩下がって、彼女はコリコリと頬を掻いた。
四天王の昼食会が行われている広大な中庭は、白い柱が等間隔に並ぶ回廊に、ぐるりと囲まれている。
その回廊に、みっしり、ぎっしりと──人垣が隙間もないくらいに埋まっていた。
それはもう、隙間もないくらいに。それはもう、この時間外なら、あっさりと見渡せる中庭が、まったくもって、見えないくらいに。
「……………………。」
無言で、右から左へグルリと視線をさまよわせた彼女は、さて、どうしようかと、腰に手を当てて首を傾ける。
何せ自分は、この中に、今から突撃しなくてはいけないのだ。
「……混雑してて、中に入れませんでした〜、って言うんじゃ……通用しないよなぁ。」
キャァキャァと楽しそうに笑っている人々の後姿の更に奥から、ブーツのかかとをあげて、中庭を覗き込もうとするけれど、その向こう側に見えるのもまた、人の頭しかなくて。
「──うーん、やっぱり、昼食時は避けて、後でそれぞれの四天王宮に行ってお知らせする……っていうのは、どうだろう?」
顎に手を当てて、なかなかいい案じゃないかな、と微笑んで、彼女は、一人でコクコクと頷くと、早速それを実行しようと、ヒラリ、とその場から身軽に立ち去ろうとした──その瞬間。
ずっきぃぃぃーんっ
「──……っ!!!!」
言い知れない鈍痛が、彼女の米神に走った。
思わず両手でガバッと頭を抱えた彼女は、すぐに自分の指先に触れる金属環の存在を思い出す。
白い額に華奢に巻きつけられた、サークレットの存在だ。
額の中央に当たる部分に、彼女の瞳ほどの大きさの粒のビジョンブラッドがぶら下がっている、贅沢な一品である。
彼女に良く似合うソレは、贈った相手の趣味の良さを示していたが、今の彼女にとって、それは贅沢な装飾品ではなく……厄介で忌々しい、拘束具に他ならなかった。
「……解かってますよ──……っ、ちゃんと伝えればいいんでしょう、伝えればっ。」
ギリギリと、まさに孫悟空の戒めの輪のように額に食い込むサークレットに指先を引っ掛けながら、呻くように呟けば、途端に彼女の米神を襲っていた鈍痛が引いた。
いまだに尾を引く痛みを感じながら、ギリリと唇を噛み締めた彼女は、かるく頭を振った後、うんざりした顔で再び前を見据えた。
人の、山、山、山。
正直、普段でもこれを乗り越えるのは、ごめんだと言うのに。
「──……まぁ、スカートで乗り越えろって言うよりも、まだマシ、か。」
ざ、と、両足を肩幅に開き、脚線美を強調するピッタリとしたスラックスを見下ろし、よし、と顎を引いて頷く。
そして彼女は、小さく呼吸を整えると、目の前の集団──一種熱狂的なものを感じる群れの「上」目掛けて、回廊を蹴った。
とん、と最初にブーツの先をつけたのは、中庭へ回廊の壁の、一番端──右手に折れる角の部分。
その天井近くに飛び上がり、ブーツの土踏まずの部分がちょうど治まるように脚をつけて、二度目の躍動。
チラリと見下ろした熱気渦巻く人込みは、色とりどりの頭がみっしりと密着し、なんと、最前列から数えて5層もの列を織り成していた。
中庭を外周を回っている広い回廊の、ほぼ3分の2を締めていることになる。
その誰も彼もが、隣や後ろなど気にもせずに、ただ、目の前の──広大な中庭の一角にある東屋に居る、小さな人影のようにしか見えない四天王を、凝視しているのだ。
その姿を見て、声をかけてもらえるわけでもないのに。
「……ここまでして見るほど、四天王、って言うのは、霊験あらたかなのかな〜。」
角から飛び立った二度目の跳躍で、あっさりとその5層に連なる人影を飛び越えた女は、回廊の天井を支える柱──中庭に最も近い柱に一度脚をつけると、間をおかず、そのまま中庭の中に向けて、再び飛んだ。
人込みの群れの外から、飛ぶこと3度。
あっさりと、壁と柱を使って、人込みを飛び越えた女は、とん、と地面に降り立つ。
変則の三段跳びを見事にこなして見せた女は、地面に脚をつけると同時、ぐらっ、と足もとを傾がせて、軽くバランスを崩す。
「──……っとと。」
けれどそれも一瞬、すぐにバランスを持ち直すと、彼女は、とんとん、と踵の具合を確かめるように地面を踏みしめると、軽く首を傾げてブーツの裏を見下ろす。
「踵が高い靴って、バランス取りにくいなー……。転ぶかと思ったじゃねぇか。」
柳眉を顰めて呟く女に、「普通、踵の高い靴で、そんなことはしません」と突っ込む者は、その場には居なかった。
何せ、そこに居た者達は、こぞって──突然、こつぜんと現れたとしか思えない女が、どうやってそこに現れたのか……まったく解からなかったからだ。
中庭の中央にある東屋に意識が向いていた宮殿の者達は──それでも、「闇の宮殿」に仕えるほどの実力を持つ者たちばかり。
なのに、その誰もが、彼女が中庭に降り立つまで、女の存在に気づくことはなかった。
まさか、普通にやってきて、魔力も何も使わずに、普通に飛び越えた──なんて、思いも寄らないのだろう。
彼らには、女が、何らかの方法で──しかも、猛者揃いと言っても過言ではないこの場の誰もが、チリとも気づかないような、思いつかない方法で「空中から突然現れた」ようにしか思えなかった。
神出鬼没の正体不明の女。
中庭に四天王がいるときは、不可侵だとされている中庭に、あっさりと、どこからともなく舞い降りた女。
──中庭を取り囲む宮廷人たちには、そう見えていた。
息を呑み、絶句し──そうしながら、宮廷人たちの反応は早かった。
突然目の前に現れた「闖入者」向けて、警戒態勢の邪魔になるものは、中庭の最前列から退き。
警戒態勢の第一線となるものが、中庭の前線に飛び出し──一瞬で、あれほど混雑し、蠢いていた回廊の者達が、警戒態勢に入れ替わったのである。
その中、女は。
「……あー……おっくうだ。」
自分を中心に、宮廷人たちがピリピリした緊張感をまとう理由にも、纏っている事実すらも気づかない様子で、両手を腰に当てて、うんざり気味に溜息を零す。
本当なら、昼飯時以外に、それぞれの四天王を捕まえたかったところなのだ。
なのに。
──どうっしても、この昼食時じゃないとダメだって、言うから。
「あれは、絶対、イヤがらせ以外の、何物でもないよな。」
蠱惑的な印象を与える赤い唇を軽く尖らせて、女は小首を傾げながら、チラリと中庭の外の回廊を流し見る
その視線に──長い睫がフと影を落とす、言い知れない色香を放つ視線に、びくり、と、幾人もの肩がはねた。
それは、彼女が持つ美貌が故ではない。
彼女の存在感に──その身から放たれる、隠しようもない「実力」から放たれる存在感に、畏怖を覚えたからだ。
正面から視線がぶつかった男は、女との実力の差を、一瞬で理解した。
理解せざるを得なかった。
ツバを飲み込むことすら許されないような、そんな視線にさらされて、唇を大きく引きつらせる男に、女は、にっこりと笑う。
「できれば、人払いを、と願いたいところだけど──この姿では、誰も聞いてはくれないだろうな。」
最後の辺りには、苦笑じみた色が乗った。
そんな女を、それぞれが様々な意図を持って、身構え見据える。
この場に居る者が一斉に攻撃すれば、女とてただでは済まないだろうに、彼女はそれすら考えていないかのような──自分を囲む人々が、己に対して警戒と敵意を持っているというのに、緊迫感の欠片も抱えていないような態度で、軽く首を傾げると、
「──ま、俺がそんなことを願い出なくても、あいつらがすぐに気づいてくれるだろうとは、思うけど、な。」
意味深に形良い唇をすぼめて、ふ、と短い息を零して呟く。
ス、と目を細めながら、視線を回廊から中庭の東屋へと視線を飛ばせば、四天王の昼食会に動きがあったことが見て取れた。
当然だろう。
仮にもこの世界を治める魔王陛下直属の四天王たちだ。許可もなく女が中庭に出現したことに、気づかないはずがない。
そして、その女に対して、中庭の回廊のギャラリーたちが臨戦態勢を取ったことも、彼らは肌で感じ取ったはずだ。──仕官者たちが、臨戦態勢をとったにもかかわらず、女に動きを見せていないという事実も、見えているかのように、知っていることも、間違いない。
そうなった場合、彼らがどういう行動を取るのか──彼女は、良くわかっていた。
だから、のんびりと腰に手を当てながら、さて、と眉を顰めるしかなかった。
────まず最初にココへやってくるのは、一体、誰なのだろう?
これから起きるだろう騒動を、出来るだけ小さく済ませるには、どうしたらいいのか。
うんざりした気持ちで、女は東屋をヒタリと見つめたまま、視線を外さない。
そんな彼女の視線を追うように、周囲の者たちもまた、同じように警戒の色を隠さないまま、東屋に視線を送る。
そうしながらも、彼らは女の一挙手一同にすぐに行動に移せるように、全身に絶え間なく気を張り巡らせている。
さすがは、闇の宮殿につかえるレベルを持つだけある、と、ここは褒めるべきなのだろう。
「ま……、及第点、ってところか。」
まさか、こんなところで仕官者たちの抜き打ちテストみたいな真似をするハメにはるとは、思わなかった、と。
女が、面白そうに喉をクスクスと震わせた──まさにその瞬間。
「──敵意はないようだが、誰の許しを得て、ここに踏み込んだ?」
何の気配もなく──空気に透けるような声が、女の耳元を掠めた。
それは、中庭の回廊に集う者達の中の誰のものでもない──存在感に溢れる、絶対の「大地の主」の御声。
突如として存在を露にしたその存在に、ザワリ、と空気が大きく揺れたのは、中庭の回廊の中だけ。
女は、己の背後から聞こえてきたその声に、全く驚く様子を見せずに、己の肩越しにチラリと視線を流す。
回廊の柱の手前──茂みの只中に、先ほどまでは居なかった男の姿があった。
大地に逆らうようにして波立つ金色の髪、褐色の肌──全身からにおい立つような存在感を放つその男が誰なのか、女は良く知っていた。
「……大地の四天王。」
ひっそりと囁くように呟く女の、艶やかな──あでやかなその視線に、大地の四天王は、険しい表情を刻む。
「今、この場が四天王の集りの場であることは、誰もが知っているはずでしょうに?」
この場に響くような涼やかな声は、女の斜め左前──こちらに目線をやれば、美しい実をつける木の幹に、スラリと背の高い白銀の髪をした青年が立っていた。
目も眩むような美貌の主たる青年に、女は唇に笑みを刻み込む。
「水泉の四天王。」
女が呼びかければ、美貌の青年は片眉をあげて女をジロリと睨みつける。
その仕草にも──いや、ただ立っているだけのように見えても、そうではないことを、女は良くわかっていた。
だからこそ──水泉の四天王は女を睨みつけているのだ。
彼らは、女が何者なのか分からないまでも、女を拘束しようとして、自らが得意とする術を「使った」のだ。
けれど、それは実を結ばず、目には見えない場所で、押しつ押されつを繰り返している。
術を放っている張本人である二人の四天王と、術を受けている女だけが知っている、水面下の戦いの模様に──グンッ、と、もう一つの圧力が加わった。
その正体も、女は良く知っている。
そして予測もしていた。
だから女は、何でもないことのように、新たに自分の体に加わった圧力をアッサリと退けながら、その力が向かってきた方角に視線を向けた。
女の斜め左前──そこに、灼熱の目を持つ青年が険しい表情を向けていた。
「灼熱の四天王。」
三人の四天王に、三方位を囲まれて──更に目に見えない重圧をかけられている中で。
女は、あでやかな笑みを形作ると、く、と顎を引いて。
「ようやく、全員揃ったか。」
満足げに、よしよし、と頷く。
その無防備に見える仕草に──しかしそう見えて、水面下では、想像を絶するような圧力の戦いが繰り広げられているのだが──、三人がますます険しく眉を顰めた瞬間。
「悪いな、いつもマジメに参加できなくってよ。」
女は、乱雑な仕草でパシリと己の髪を豪快に払うと、その美貌からは想像もつかないような口調で、にぃ、と口元に笑みを広げると、
「──つぅか、だからって、来るなり早々、こういうお出迎えは、あんまり楽しくねぇんだけどなぁ?」
──ま、そりゃ確かに、しょっちゅう、「お昼の会合」をサボってるけど、な?
と。
豪奢な美女然とした女性が誰なのか、──容易く想像が付きそうな発言を、してくれた。
──とたん。
「──……ぅ、……ぇっ!?」
最初に狼狽して、意味不明なうめき声を零しながら、ジリ、と背後に後ず去ったのは、四天王の中で今一番の若手である、大地の四天王であった。
彼は、大きい図体に似合わぬ狼狽っぷりで、女性にかけていた圧力を霧散させ──まさか、と、喉が潰れたような声で呻く。
そんな彼を再び肩越しに振り返り、女は、ヒョイ、と身軽な動作で肩を竦めた後、
「──まさか、気配を感じ取っても、俺が誰なのか、気づかなかったわけじゃねぇだろうな? お前ら?」
底意地の悪い仕草で、す、と目を細めて、大地の四天王を下から見上げる。
その仕草に、うっ、と揺れたのが、水泉の四天王と、灼熱の四天王だった。
「……似ているとは思いましたが……、まさか、本当に、その、まさか、ですか。」
形良い流麗な指先で、ぐ、と口元を覆ったのは、水泉の四天王だった。
いつも美しい声ばかりを聞かせる彼が、潰れているような声を上げるのを聞くのは、数えるほどしかない。
そんな声をあげて見せる彼に、女はチラリと視線を投げかけた後。
さて、と、意味深な視線を灼熱の四天王によこした。
とたん、灼熱の四天王は、気配を千々に乱れさせながら、視線をさりげなくアッチへコッチへとずらしつつ、
「あ、え、いや──その……、えーっと。
……兄上がいつも昼食会に参加なさらないのは、陛下からの信頼が厚く、お忙しいからだと、みな、良くわかっておりますので、お気になさらずに……。」
この上もなく怪しい仕草を誤魔化すように、えへ、と笑って、そう伝えてみた。
その瞬間。
「「「「えええええーーーーーっ!!!!!!!!
かか……カッフェ様ぁぁーっ!!!!!???」」」」
闇の宮殿をひっくり返すかと思う絶叫が、中庭を大きく揺るがしたのであった。
基本的に、昼食会は、四天王が全員集るものだとしてはいるものの──どうしても急用があることもあり、そのときは、その人物だけ除外されることがある。
カッフェは、この「除外」対象に、良くなっていた。──というか、昼食会に参加できる回数のほうが、少なかった。
何せ彼は、四天王の最古参にして、歴代の四天王の中でも、在位暦の長寿を誇る、レコーダー保持者でもある。
彼が若いころは、「寵愛だけの実力が伴っていない四天王」だの、「お飾り四天王」だのと、さんざん言われたものだが。
さすがに在位暦2千年を越え、彼が就任した当時の面々がすべて四天王位を退いた後からは、その実力が見る見るうちに認められ……今では、右に左に引っ張りだこの状態で、忙しい。
そのカッフェの弟であるキースからしてみれば、忙しいのは、四天王になったその日から──だったらしいけど、ということだが。
あれは、単に魔王陛下に遊ばれていただけなので、今の忙しさとは、少し質が違うことは確かだ。
そのため、毎日行われている昼食会に、カッフェの姿がないのに、誰一人として疑問を挟むことはなかった。
同時に、中庭に闖入者の気配を感じたときも、それが「カッフェ」である可能性を、誰一人として考えつかなかった。
それくらい、カッフェが昼食会に来るのは久しぶりのことだったのである。
──というか、一体、誰が。
「……なんで兄上、そんな格好をしてるんですか……?」
目の前にリンと立つ美女が、「カッフェ」だと気づくというのだろうか。
思わず額に手を当てて、小さく呻いて見せた灼熱の四天王──カワイイ愛弟のキースを見上げる「兄上」は、長い睫を揺らして、
「何も聞くな。」
1も2も言わず、断言してくれた。
途端、
「カッフェさん……また、何か陛下の逆鱗に触れたんですね。」
はぁ──と、水泉の四天王が、切ないため息を零してくれる。
「聞くなぁぁぁーっ!! って言ってるだろっ!」
思わず叫んだカッフェに、それまでなんとも言えない顔で黙りこくっていた大地の四天王が、慌てて顔をあげて、
「えーっと、えーっと……か、カッフェさん……び、美人ですよ!」
フォローにも慰めにもなっていない言葉を、一生懸命吐いてくれた。
「それ、慰めてねぇからっ!!!!」
思わず裏手突込みをしたカッフェは、そのままその手を額に押し付けると、はぁぁぁ、とため息を零す。
そして、フルフルと弱弱しく頭を振ってから、何かを思い切るように、ぐ、と拳を握ると、
「とにかく、俺のこの姿について、言及はするなっ。
今はそれよりも、俺は、陛下からのお言葉を伝えるっていう重要な使命があるから、てめぇら、心して聞くよーにっ。」
なんとも言えない表情をしている三人の同僚の顔を交互に見据えて、半ば投げやりに、「わざわざこの時間にこの場所に来なくてはいけなくなった理由」を、口にした。
「明日より、四天王各位は、女官長が指定する衣装で、出勤することになりました!
四天王宮女官頭に、毎日、女官長ナティスゲータの元に聞きに行くように、伝令を済ませよ。」
「…………………………。」
「………………………………。」
「……………………………………。」
カッフェが口にした言葉の意味を、一瞬、四天王たちは理解できなかった。
何度かその言葉を頭の中で繰り返した後──そろって、いぶかしげな顔をしながら首を傾げあう。
「えーっと──つまり、四天王も制服制になるってこと? 女官たちのように?」
それ、どういう意味があるんだ? というように、首を傾げるキースに、水泉の四天王も同意を示す。
「祭典の時などの正装は、基本的に指定があるのだから、意味は無いのではないのか?」
だいたい、基本的に四天王が着ている正装は、闇の宮殿付きのデザイナーが献上した品々の中から、魔王陛下が自らお選びになったものばかりだ。
それとはまた別に用意するというのだろうか?
しかも、毎日??
それの必然性はあるのだろうか?
そう、首を傾げあう三人に、カッフェは、まだまだ分かってないな、と、チッチッチッと慣れた仕草で指を左右に揺らしてみせた。
「あのなー、お前ら?
陛下が思いついたことすべてに、必然性なんて求めてたら、四天王なんて長年勤めてられねーぜぇ?」
さすがに2千年も付き合っているだけあって、カッフェの言葉の重みは、非常にあった。
何せ、2千年付き合った挙句、今現在、女性体にされているカッフェの存在こそ、何の意味があるのかわからないのが現状だ。
抱いた疑問の答えにはなっていなかったが、その言葉を聴いた瞬間、全員が、「あぁ」とあっさり納得する。
というよりも、どんな疑問を抱こうと、魔王陛下の勅命には逆らえるはずもなく。
それなら、問題は、たった一つか、と、彼らは微妙な顔つきで視線を交し合う。
「それじゃ、明日から、俺達は女官長の趣味の制服を、毎日着せ替えするってことになるのか……。」
それが、どんな服であろうとも、だ。
──そう呟いた瞬間、ゾッと背筋に冷たいものが走った気がして、大地の四天王は大きく体を震わせる。
冗談じゃない、と思った。
これが普通に、普通の制服や正装なら、何も文句は言わない。
ちょっと人間界のヲタク文化とやらが入っていないか? と思うような服装でも、見た目がそれなりな物ならば、文句は言えない。
ただ。
「…………ナティスゲータ様の服のご趣味って、確か……。」
キースが、新妻の言葉を思い出すように視線をさまよわせ──そう言えば、彼女もまた、ナティスゲータ様から服を頂いたことがあったっけ、と思い出した瞬間──、誰も彼もが、ぞっ、と背筋を震わせずには居られなかった。
確か、今の女官長の趣味は、一言で言うなれば。
バレエスタイル。
他の趣味はすばらしく良いというのに、趣味に走った物に関して言えば、それはもう、ものすごい。
趣味と職業は別です、と毎日言い張るのが正しいと思うくらいに、彼女の「趣味」の世界は、別なのだ。
そして、魔王陛下は、今回の件で、ナティスゲータに、「四天王をお前の趣味で着飾ることを許可する」と言ったも同じ状態ということで。
それは、つまり。
「わ……私、イヤですよ──……っ、し、白タイツなんてっ!」
己の体を抱きしめて、ぶるぶると頭を振る水泉の四天王に、大地の四天王がイヤそうに顔を歪ませて同意する。
「それは誰だって同じだっ。というか、シィエンは似合うからいいだろうっ!?
俺なんて、そんなの履いた日には、すね毛剃れだとか言われるのがオチだ……っ。」
「あー……すね毛は剃らないと、白タイツは履けないよねー。」
キースが、ちょっと現実逃避に遠くを見たところで。
「はいはいはい、白タイツとかスケスケ袖とかフリルとか頭に冠とか、そういうことで恐れおののいてたら、四天王は勤まらないぜー。」
パンパンパン、と、何の感情もない仕草で両手を打ち叩いたカッフェが、一同の注目を自分の下に戻した。
何かに怯えるような目線の──ついさっきまで「侵入者」と思っていた相手に向けていた表情を想像もできないような、そんな頼りない顔を向けてきた後輩達に、先輩たるカッフェは、偉そうに胸を張って、彼らに言い切った。
「服を着て仕事できるだけ、全然マシだろうっ!!!」
カッフェは2千年もの間、3人の女官長を渡り歩いてきた男だ。
アルタミラの前の女官長からは、新人時代に面白おかしく飾り立てられ(何せ、貴族達の着飾りや礼儀作法・正装の仕方も知らなかったカッフェを、仕立て上げたのは彼女なのである)、アルタミラが女官長になってからは、その年の流行から流行じゃないのから、萌えだのガチンコだのと、良くわからない格好をさせられ続けてきた過去を持つ。
主に、魔王陛下からの罰として、与えられたものばかりだが。
そんなカッフェが、長年の間に出した結論が、コレだった。
「…………………………ぇ……ちょ、それって……どういう…………。」
思わず聞かなくてもいいのに、そう問いかけた大地の四天王に、カッフェは豊かな胸の前で腕を組み、うん、と一つ頷くと、
「俺は良く、お仕置きだと、犬耳や猫耳と尻尾を生やされただけの姿で、首輪と鎖をつけられ、陛下の足元につながれて仕事をさせられたことがある。
陛下直属の女官達には、ほんっと、弄ばれたんだよなー。」
あれは怖い。
あの遠慮のない視線がビシビシと素肌に突き刺さっていたのは、マジで怖い。
新しい快楽に目覚めるといいなー、と、楽しげにのどを鳴らしていた陛下も怖かったが、ものすごく冷めた目で、カッフェの大事な部分を一瞥したアルタミラが、フッ、と鼻で笑ったのも怖かった。
そういう目に、何度あってきたことか──……っ!(←そのたびに、当時の同僚達に、「いい加減学習能力を身につけろっ」と怒られたものだった)
それに比べたら、バレエスタイルだろうがかぼちゃパンツスタイルだろうが、服を着て仕事を出来ることは、恥でも何でもなかった。
「ってことで、お前らも開き直って、毎日、服装に見合った髪形とかアクセとかつけて来いよ。
下手に舐めてかかると、陛下の不況を買うからな。合ってない格好なんぞしてみろ。
【服を舐めてる者たちに、服など必要はないだろう?】とか言って、身包み引っぺがされるからな。
俺、前にそれで正装引っぺがされて、マッパで光の宮殿行かなくちゃいけないことになりかけたことがあって、マジで肝が冷えたことあったからな。」
もー、裸で陛下の執務室に居るのも大変だけど、何も着ずに光の宮殿なんか行ったら、宮殿に入った瞬間に、光の女王に瞬殺されちまうからな?
しかも、陛下に不名誉な噂までついちまう。
だから、ほんっと、あの時は大変だったんだー。
──と。
カッフェが、シミジミと呟く内容を耳にして、後輩達は、なんとも言えず遠い目になった。
「……そ、それで……どうしたんですか?」
「どうもこうも無いだろう? 陛下の代わりに挨拶には行かなくちゃならねぇし、それをヘマするわけにも行かねぇし。
かと言って、そんな格好じゃどこにも入れねぇからさ。
しょーがないから、炎出して、服みたいに見せかけて、体に纏ったんだって。」
ひょい、と肩を竦めたカッフェは、それしかやりようがねぇよなぁ? と、軽い口調で笑って見せたが。
同意を求められた面々は、その言葉に、なんとも返事のしようがなかった。
そもそも、だ。
カッフェの魔力値がケタはずれなのは分かっていたが、こういう過去の話を聞くたびに(中身は大抵、ばかばかしいものばかりなのだが)、彼がどれほど「ケタ違い」なのを認識せざるを得ない。
これが水を身にまとって、だとか、土を身にまとって、などなら話は別だ。
それを行うのは比較的容易い。それらは形があるものだし、触れることも出来るものだからだ。
けれど、炎となると、そうは行かない。
炎は触れられないもので、触れた瞬間、燃やし尽くしてしまうものだ。
また、燃焼性があるゆえに、「服の形」を取らせることなど出来なく、また、それをクリアしたとしても、炎の熱気を他者に感じさせないように調整しなくてはいけないという、難問もある。
他にもイロイロと、問題はあるだろうに。
それを、あっさりと、「しょうがないから」の一言で行ってしまうカッフェの実力は、考えるまでもない。
カッフェは、昔から「陛下の寵愛をほしいままにしている才能のないクズ」だとか、「能力なし」だとか言われ続けて来ていたが。
こうして同僚になると、つくづく思う。
力がないのではない、才能がないのではない、能力がないのではない。
──ただの、能力の持ち腐れ状態をしているだけなのだ、と。
「カッフェさん──……、それ、普通、しないっす。」
パタパタパタ、と、力なく手を振りながら否定した大地の四天王を、あははは、とカッフェが笑い飛ばす。
「そりゃ、普通は裸で宮殿来訪なんてする事ないからなーっ!
だから、俺は、そうならないように、ちゃんと身なりをきれいにしろよー、って言ってるんだよ。」
先輩からの忠告だって、と。
明るく笑い飛ばしてくださる先輩に、三人の後輩は、なんともいえない表情を見交わしあった。
そうすることしか、できなかった、とも言う。
とりあえず、三人に出来ることは。
「そういう【先輩】こそ、ちゃんと気をつけて、身なりも服装に見合ったのにしてくださいね。」
そう忠告をすることだった。
十中八九、目の前の先輩は、自分が「女」だと言うことを忘れて、うっかり男仕様で身なりを整えてしまい、陛下や女官長から、勝ち誇ったかのような「不合格」を押されるに違いないだろう、と。
目に見えて分かっていても、先輩の2千年の月日を思ったら、その程度の忠告しか出来ないのであった。
そうして、忠告する先から、彼らは目に見えるように分かっていた。
きっと明日カッフェは、「女性なら必ずする」髪形や髪飾り・アクセサリーや化粧なんてものの存在を忘れて、そのまま素で顔を出し、魔王陛下と女官長の狙いを、見事に射抜いてくれるのだろう、と。
「……今は女性体だから、さすがに、裸で執務室で仕事──なんてことだけは、避けてほしいですよね。」
ちょっと真剣に呟いてみた水泉の四天王の言葉に、「そーだなー」と、残り二人の同僚は気合のこもってない相槌を返しながら、女官長や魔王陛下が、早くコスプレセクハラに飽きてくれないかなー、と、他人事のように願うのであった。
む、ちょっとオチが弱かったかにゃw(爆笑)
ということで、前々から書いてみたかった、「うっかり失言をしてしまったせいで、魔王陛下に性別逆転させられて、セクハラ三昧」な日々のカッフェさんでした。
他の四天王の方々は、魔王陛下のセクハラに巻き込まれセクハラです(笑)。
この後、3年くらいカッフェは女性体のまま、放っておかれます。
その間に、何も知らない男性に告白されたり、狙われたり、いたいけな男の子のハートを奪ったりしてます。本人無自覚のまま。
で、魔王陛下に夜な夜な呼び出され、「今日は何があった?」と、酒の肴にされるのです。
そんな風に、毎日魔王陛下の寝る前のお話を聞かせるカッフェの姿は、他の貴族達から、「恥知らずにも、四天王の地位だけに飽き足らず、女の体になってまで、魔王陛下のハーレムに入ろうとしているのかっ!」と誤解され、せっかく築いてきていた信頼も一気に崩れ落ちることに……。
そうこうするうちに、
「で、カッフェ? お前、せっかく俺がお前が子供を生めるようにと女性体にしてやったのに、まだ子供を作ってないのか。
きちんと子作りに励まないとダメだろう?」
とか陛下が言い出すんですよ。
で、
「なんで俺が生まなくちゃいけないんですかーっ!」
「お前が生みたいといったんだろうが。親切心を働かせてやった主に対して、なんだ、その言い草は。」
「いやっ、そりゃ、確かにそういったかもしれませんけど、あれは、いい間違いって言うか……っ!
俺は、自分の子供が抱きたかっただけでっ!」
「だから、生めばいいだろうが。」
「だーかーらー……っ……っていうか、俺、この人の子供が生みたいっ、と思うような相手がいませんよっ!」
「ほー、つまり、生みたいと思うような相手が居たら、生むわけだな?」
「うっ──……ま、まぁ、でも、そういうこと、です。(どうせ俺が、男相手に生みたい、なんて思うわけはないしなー)」
「よし、わかった。
それじゃ、暇つぶしに、お前の種付け馬探しパーティでもするか。」
「って、ちょ……っ、ちょっと陛下ーっ!?」
「城下からも募集するか。
ナティス、すぐにポスター作成に取り掛かれ。
炎の四天王カッフェの花婿探しだっ!」
「って、ちょっと陛下ーっ!!!!! 俺、花嫁は欲しいですけど、花婿は要らないっすよーっ!!!!!」
という、新しい展開になって、カッフェから血の気が引く、みたいなw
これもこれで楽しそうww(爆笑)