ぁーすとんぷれっしょん 3

*王子が後天性女体化するお話です。苦手な方はバックプリーズ*










 シーツに包まれるようにして、あどけない寝顔をさらしているリディクを覗き込んで、ミアキスはゴクリと喉を上下させた。
「さすがは、陛下のお血筋ですねぇ。」
 寝ているリディクを起こさないように、ぼそぼそ、と呟かれた言葉に、リオンは微笑みながら、
「そうですね、王子は、陛下に良く似ておいでで……。」
 言いかけたと同時、ミアキスの視線がどこにあるのか悟って、リオンは、パッ、と頬を赤らめる。
「ミアキスさまっ! どこを見ていらっしゃるんですか……っ!」
 やはり声を潜めて、眦を釣り上げて怒るリオンに、ミアキスは目をニンマリと撓ませながら、
「だってぇ、ほらほら、見てみて、リオンちゃん〜。
 こぉんなに山と谷ができてるんだよぅ〜。」
 ほらほら、と、指先で、シーツの上から、静かに上下する双丘を突付こうとするから、慌ててリオンは彼女の体に抱き付いてそれを阻止する。
「だっ、ダメですよ、ミアキスさまっ! 王子が起きちゃったら、どうするおつもりなんですかっ。」
 耳元で声を荒げて抗議するが、ミアキスは、コレくらい大丈夫だよぅ、と取り合ってくれない。
 すぐ側にいるリディクが起きないように、こそこそと二人が攻防を繰り広げている横で、
「でも、ほぉんと、リディクちゃんったら、こういうところもお母さん似なのねぇ〜。
 リムちゃんの数年後も楽しみだわぁ。」
 ハスワールが1人、のほほーんと、そんなことを言いながら──何やら、机の上に広げ始める。
 黒いレースや白くて薄い何かを、掌に広げながら、うーん、と首を傾げるハスワールの背後──リディクのベッドサイドでは、リオンとミアキスが、小声で言い争い続けていた。
「ちょっと触ってもむだけだからぁ、起きないわよねぇ〜?」
「起きます! 普通、起きますから!」
「えええぇ〜、この間、リオンちゃんは起きなかったじゃないぃ。」
「怪我で起きれなかっただけで、ちゃんと目は覚ましてましたっ!」
 目元を赤らめながら、顔をズズイと近づけて噛み付くように叫ぶリオンに、ミアキスはわざとらしく口元に手を当てながら、
「えぇ〜、起きてたのぉ〜? リオンちゃんのえっちぃ〜。」
「なっ、だっ、だっ、誰が……っ、どっちがエッチなんですかぁぁっ。」
「だって、胸触られてるのが分かってたのにぃ、リオンちゃんったら〜。
 イヤンv と、頬を赤く染めながら、チラリと横目に流し見てくるミアキスに、リオンはカッとなってこぶしを握り締める。
「みっ、ミアキスさまっ!!」
 低く、押し殺したような声で、リオンが目つきを険しくさせるのに、ふふふー、と、ミアキスは酷く楽しそうに目元を緩めて笑った。
 リオンは目元を真っ赤に染めながら、とにかく、と出来るだけ小さな声で、けれど力強く、
「リディク様を、起こしたくはないと、先ほどから言ってるじゃないですかっ!
 ですから、ミアキス様もハスワール様も──……。」
 このまま、そ、としておいてくださいね、と。
 続けるはずだった言葉は、不意にそこで途切れた。
 なんというか──不穏な気配を、背後から感じたのである。
 例えるなら、「桃色」と、言うか。
「……ハスワール、様?」
 背後というと、確か先ほど、ハスワールがなにやら紙袋のようなものを取り出していたっけ? ──と。
 ミアキスとの攻防戦と、気絶したように眠り込んでいる王子のことで頭が一杯だったリオンは、ようやくその事実を思い出して……、
「ねぇねぇ、リオンちゃんと、ミアキスちゃんは、これとこっち、どっちがいいと思うぅ〜?」
 みるみる内に顔を青ざめさせたリオンに、追い討ちをかけるような、楽しげなハスワールの声が彼女の背中にかかる。
 振り返るのも恐ろしくて──きっとハスワールは、ウキウキとして、なにやら掲げているに違いない。
 その、可憐な両手につままれている物体を見るのが、しのびなくて──それを見てしまったら、王子に悪いような気がして、リオンは唇を軽く震わせて、振り返るに振り返れない状態で、じ、と佇んだ。
 そんな彼女を物ともせず、隣に立っていたミアキスは、
「はぁい、なんでしょ〜? ハスワール様……って、わぁっ! すっごいじゃないですかぁぁーっ!!!」
 ウキウキした色を隠せず──それはそれは嬉しそうに、語尾を跳ね上げさせた。
 かと思うや否や、ひらりとスカートの裾を翻して、ハスワールが居る机に向かってスキップで向かっていくミアキスに、リオンは、自分の予感が的中したのを知った。
「ね? ねぇ? すごいでしょ〜?
 うふふ〜、ちょっと頑張ったのよー。」
「ハスワール様、素敵ですよぅぅ〜!」
 間延びした二人の浮かれ声が、なんだか、とても、哀しい。
 ──というか、振り返りたくない。
「このレースのぉー、ヒラヒラしたところなんて、王子に似合いそうですよね〜。」
「そうなのよぅー。アルちゃんが若い頃に着ていたのなんだけどねぇ? うふふ、取っておいて正解だったわぁー。」
 楽しそうに弾む会話に、リオンは、ちょっと遠い目になってみた。
──どうして、そんな昔の服が、「今」、「ここ」にあるのかと、そう聞いてみたい気はしたが、とてもじゃないけれど聞ける気分ではなかった。
 これが、普通に宮殿で見せられた物であったなら、「これが陛下のお若い頃に着ていらした!」──と、大喜びで見るのだけれど……今は、そんな場合ではない。
 何せ、リムスティーアではなく、リディクに着せようと考えているのだ──後ろの高貴なお方は。
「………………。」
 ちょっと泣きそうな気持ちになりながら、情けない表情で、リオンはキュと眉を寄せた。
 その下で、リディクが夢見が悪いのか、自分の身に起きたことを悟っているのか、眉根を顰めて魘されているようだった。
「王子……すみません……。」
 その顔を見下ろした途端、リオンは、ポツリとその寝顔に向けて呟かずにはいられなかった。
 背後でキャピキャピ聞こえる二人の、ものすごく楽しそうな声から現実逃避しながら、リオンは、リディクの体にかけた毛布を、そ、と肩先まであげてやる。
 そうすることで、胸元辺りの毛布の陰影がさらに濃くなり、ボリュームのある胸の存在が、さらに強調された気がした。
 それを見下ろし──リオンは、胸元にこみ上げてくる切なさに、拳を、きゅ、と握り締めた。
「私の力不足です……。
 コスプレを阻止することも出来ず──せめて、王子に、変な格好をさせないように……それだけは尽力を尽しますので──……っ。」
 堅く……心から堅く誓った、その瞬間。
「り・お・ん・ちゃーん♪」
 つつつつ……、と。
 楽しそうなミアキスの含み笑いが、耳元で聞こえた。
「……ッキャァァァーッ!!」
 背中に走ったミアキスの指先の感触と、口に出来ない痒いようなくすぐったいような感覚。
 ミアキスと長い間離れていた間に、すっかり忘れていたその感覚に、ゾゾッと鳥肌立つのを覚えながら、リオンは爪先立ちになり、背中を反らせながら悲鳴をあげていた。
 ──と同時、慌てて、バッ、と両手で口元を覆う。
 そして、フルリと体を震わせて、全身に走った感覚を振り払うと、キッと背後を睨みすえた。
「…………みっ、ミアキスさまーっ!!」
 低く……声を強く出さないように気をつけながら、恥じらいに赤く染まった目元で睨みつけるリオンに、うふふー、と、ミアキスは酷く嬉しそうに目元を緩ませた。
「んもーv 相変わらずリオンちゃんったら、び・ん・か・んv」
「び……っ! そ、そういう問題じゃありませんっ! 何をなさるんですかっ。」
 もうっ、と、眉尻を吊り上げるリオンに、まぁまぁ、とハスワールが朗らかな微笑を持って二人の間に入ってくる。
 その手に、白い布地がもたれているのを見て──その裾が、ヒラヒラと上等のレースに包まれているのを見て、リオンは一瞬、クラリと眩暈を覚えた。
 ──それ、どーして手に取って、こっちに向かって歩いて来たのでしょうか、ハスワール様……。
「リオンちゃん、落ち着いてねぇ〜? 大丈夫よ、ふふ、リディクちゃんは、まだちゃんと眠って…………、あら?」
 眠っている間に、早くお着替えコスプレを楽しみましょうね〜、と、続くはずだった言葉を飲み込み、ハスワールは指先を口元に当てる。
 そして、そろり、と体をかがめてリディクに近づく。
 今の今まで魘されていたように眉根を軽く寄せていたリディクの顔は、いつの間にか、ひどく魘されているかのように、眉に力がこもっていた。
 それどころか、両腕にも力がこもっているように見える。
「あらあら、魘されているのかしら、リディクちゃんったら。」
「あー、本当ですねぇ〜、王子ったら、どうしたんでしょうか〜?」
 のほほーんと、ミアキスもハスワールの横から覗き込む。
「キレイな顔が、台無しですよー、リディクちゃん〜。」
 ハスワールは、白い指先で、つい、とリディクの眉間の皺を解きほぐす。
 その、能天気とも言える発言と行動に、リオンは米神の辺りがピクピクと震えるのをとめられなかった。
「魘されますよ、普通っ。」
 突然伯母に薬を盛られて、女性になっちゃうなんて──まだ王子はその状態を完全に理解していないとは言えど、体の構成はすでに完全に変換されてしまっている。
 そのような状態で。
 どうして魘されずにスヤスヤと眠れるというのだろうか。
 特に王子は、今──ひどく厳しい状況下に居るというのに。
 その上、こんなに精神的に磨耗するような状況が立ち起こって、どうして魘されずにいられるというのだろう。
 もうっ、と、リオンが、今こそ二人に説教をするときだと、キリリと眦を吊り上げた──その瞬間だった。
「──……ぃ……お、ン──……っ?」
 かすれた声が、リディクの唇から零れたのは。
 ハッ、と、リオンが顔を跳ね上がる。
「あらー? リディクちゃん、起きたのー?」
 のほほーん、と、ハスワールが小首を傾げるようにしてリディクを覗き込む。
 リディクの整った──男であったときよりも、少し細く柔らかになったように感じる柳眉が、魘されているかのように引き絞られていた。
「王子っ。目を覚まされたのですかっ?」
 リオンが、悲痛を滲ませた声で、リディクの名を呼ぶ。
 あぁ──できることなら、コスプレは防げないまでも、王子が目覚めさせることだけは阻止したかったと言うのに!
 コスプレは、王子が寝ている間に済ませて、ミアキスとハスワールの二人に満足してもらうつもりだったのに……、まさか、目を覚まさせてしまうなんて。
「王子っ、私はここにおります。大丈夫ですかっ?」
 夢見が悪いというのなら──まぁ、状況が状況だから、仕方ないのだけれど──手を握って差し上げることも出来る。
 けれど、もし……「女体化」の薬とやらが、粗悪品で、王子の身に何か起きていたのだとしたらっ!
 今更ながらにそのことに気づき、リオンは、ザァッ、と顔を青ざめさせる。
 そして、慌ててリディクの枕元に寄り添おうとした──その瞬間、
「あららー、どうやら〜、リオンちゃんの悲鳴で、起きちゃったみたいですねぇ〜♪ 王子♪」
 ミアキスが楽しそうな口調で含み笑いを零してくれた。
 とたん、リオンは顔を跳ね上げてミアキスを見上げる。
「──……っ! わ……、私、ですかっ?」
 そう言えば先ほど、ミアキスに背中を擽られて、声を抑える間もなく、悲鳴をあげてしまっていた。
 あの声が──王子を起こしてしまったなんてっ!
 とっさに口を両手で抑えるが、今更、飛び出した悲鳴が消えるわけはなかった。
 そうだ……優しい王子が、リオンの悲鳴を聞いて、起きないはずがないのだ。
 昔からリディクは、そうだった。
 例え風邪で魘されて寝込んでいても、枕元でリムスレーアが呼びかければ、いつもうっすらと目を開いてくれていた。
──優しい、人なのだ。
 そんなリディクが、起きないはずがないというのに。
「あぁ……私、なんてことを……っ。」
 リオンは、この世の終わりが訪れるかというような表情で、絶望にも似た声を零す。
「せめて……少しでも長く、王子が寝ている間に、いろいろと済ませて頂こうと思っていたというのに……っ。」
 ミアキスとハスワールの二人のことだから、寝ている王子相手にコスプレを楽しんでいても、そのうち「目が覚めてないと面白くないですぅぅ」とか言い出して、自分の制止を振り払って、王子を叩き起こすに違いないとは思っていた。
 だから、二人が寝ている王子相手にイロイロするのに飽きるまでは、寝かせておいてあげようと──王子が気苦労しないようにと、そう思っていたというのに!
 よりにもよって、己自身が、眠りを妨げてしまうなんて!
 しかも、「こすぷれ」が、何一つ済んでいない、こんな状況下でっ!
「すみません、王子──っ。」
 けれど、少しでも長く王子を寝かせておいてあげたいと──そう思っていた。
 寝ている間に薬が効いている時間薬の効果が切れるまでの間、少しでも寝ている、そう思っていた張本人である自分が、よりにもよって、王子の眠りを妨げてしまうなんてっ!
 その事実に、へにょり、と眉が情けなくもハチの字に曲がる。
 そんな、今にも泣きそうな顔になったリオンに、トドメを刺す様に、
「リディクちゃん〜、起きたのなら、一緒に遊びましょうね〜。」
 ハスワールが、嬉しそうに両手に持ったレースの美しいドレスを胸の高さに掲げてくれた。
 ひらり、と揺れる美しいレース飾りが映える──薄めの生地の美しいドレスは、けれど、妙に胸元が開いているような気がした。
 それを認めると同時、リオンは、血の気が引くような思いで、胸の前で両手を組み合わせる。
「そ、それは──っ。」
 お願いですから、勘弁してください、と。
 リオンがハスワールに願い出ようとした瞬間だった。

 ギシっ、と。

 リディクのベッドが、鈍くきしむ音がした。
「──っ。」
 とっさに体が反応したのは、ミアキスだった。
 何を考える間もなく、その音と気配に、自然と体が動いていた。
 条件反射とでも言うべきだろう。
 彼女は、柔らかな笑みを浮かべていた表情を一転させ、きゅ、と唇を一文字に結ぶと、数歩後ろに下がる。
 そうしなが右手でハスワールの体を自分の方に倒すように巻き込み、己の体の背後に庇う。
 今の音が、リディクが身じろぎしたために出た音だと、頭では理解していたのだが、思わず取った行動は、侵入者を迎えるための「それ」であった。
 とっさの行動に、しまった、とミアキスは思ったのだが、途中で体の動きが止まるはずはなく、彼女の視界を、ハスワールが抱えていた白いレースが横切る。
「あら〜?」
 状況を理解しているのか理解していないのか、ハスワールは何が起きたのか分からないまま、ミアキスの体を回るように振り回される。
 そのままの動作で、左手を自分の胸の前にかざすようにして低く身構えたミアキスの背中に庇われる。
 あらあら、と目を瞬くハスワールの耳に、ベッドのスプリングが大きくたわむ音が聞こえたのは、ちょうどその刹那。
 それと同時に、ミアキスは、とっさに自分が身構えてしまった理由を知った。
 ベッドの上で横になっていたリディクが、殺気にも似た闘志を宿しながら、飛び上がったのだ。
 びりっ、と、間近で感じる、肌を突き刺すような闘志。
 これを無意識の内に感じ、体が反応してしまったのだろう。
 そう理解すると同時、ミアキスは全身に走らせていた緊張を、す、と掻き消す。
「王子っ。」
 リオンが、起きぬけとは思えないほどの身軽さを見せた主の名を叫ぶ。
 かの人は、身軽な動作で、すとん、とベッドの下に降り立っていた。
 ふぁさり、と、緩くあまれた銀色の髪が、華奢な背中に落ち──寝ていた時ですら、存在を強調していた双山が、大きく上下に揺れた。
 それはもう、少し前まで一緒に行動していたサイアリーズを思わせるような、豊かな揺れ方であった。
 計らずとも、それを目の前で見ることになったミアキスは、シャツ一枚隔てた豊満な胸に、おぉっ、と、感嘆の吐息を零す。
「す……スゴイ迫力ですぅ〜。」
 思わず、パチパチパチ、と小さく両手で拍手を送ってしまうほどの、すばらしい眺めであった。
 ──もしそんなことを、敬愛するリムスレーアの前で口にしたら、真っ赤になった顔で「な、何を考えておるっ!」と怒鳴られたに違いないだろうが。
「さすが、陛下のお血筋ですぅ〜!」
 目をキラキラさせながら、ミアキスは呟く。
 そんなミアキスの言葉に、何のことかと、リオンは軽く眉を顰めた。
 リオンの位置からは、ベッド際に降り立ったリディクの背中しか見えていなかったのである。
 スラリとした立ち姿は、いつもよりも少し小さく見えるが、なにら代わりないようにすら見える。
 けれど、やはり違う。
 柔らかな銀色の髪の向こうに見える首筋は、いつもよりも細く見えたし、背中の美しいラインから続く肩口は、常よりもずっと柔らかなラインを描いていた。その証拠に、シャツが大きすぎるのか、いつもよりも大きな皺の影が出来ている。
「あの……王子。」
 リオンは、困ったように眉を寄せて、リディクの名を呼ぶ。
 どうして突然、ベッドから飛び起きたのか──自分の身に起きた変化に驚いての行動というには、眼を覚ましてから飛び起きるまでの間が、妙なくらいに短かった。
 それに、そう説明するのなら、今、リディクが身に纏っている闘志の意味がわからない。
 夢見が悪かったのか──まぁ、このような姿になってしまったのだから、夢見が悪くても仕方ないのだろうけど──、ハスワールとミアキスの、不穏な(欲望の)気配を感じて、敵襲と勘違いしたのか──これもありえそうな路線だ──。
 というか、おそらく、十中八九──リディクは、ハスワールとミアキスの不穏な気配を敵襲と勘違いして、警戒しているのだろう。
 寝起きとは思えないほどの険しい表情で、素早く周囲に視線を走らせるリディクの姿に、リオンは溜息を漏らしたくなりながら──、大丈夫ですよ、と、声をかけるつもりで、いつものように彼に近づこうとした。
 リディクは、そんなリオンに、ふ、と視線を揺らし──そうして、ゆっくりと、目を瞬く。
 美しく揺れる色素の薄い双眸が、不意に戸惑うような色を宿す。
 何かがおかしい、と、そう感じているのか、銀色の柳眉をキュと寄せた直後──そこでようやく、リディクは、己の視界の下隅に、見慣れない何かを見つけた。

「──……。」

 今、視界の片隅を掠めた、何か、は。
 決して、あってはならないものでは、なかった、か?
 なんというか……数年前に、叔母さんにおんぶしてもらったときに見下ろしたことがあるような──そんな懐かしい光景だったような、気が。

「………………………………。」

 そう思った瞬間、ふ、と頭をよぎったのは、自分がベッドに横たわる前に見聞きしたことだった。

『王子、もしかして、効果が出てきたんですかぁ〜?』

 ミアキスが、目をキラキラさせて、そう聞いてきていた。
 効果。
 その言葉を聴いても、あの時は、まったく分からなかったのだけれども。
 もしかして、と。
 リディクは背中に冷たい汗が滴るのを感じた。
 視線は、強張ったまま、真っ直ぐに前を向いてピクリとも動かない──いや、動かせなかった。
 下にずらすのすら怖いと思った。
 そんな風に、かすかな引きつりを乗せて動かないリディクに、
「あ、あの、王子……。」
 おずおず、と言った風に、リオンが声をかける。
 それに答えようと──ちょっと下に見えたものから現実逃避をしようと、リディクは視線を彼女に向けようとした、瞬間。

 たぷん。

 ────その、「なにか」が、かすかに揺れた。
 その感覚は、つい先ほど、ベッドから降りたときに感じた、痛みにも似た何かに似ているような気がして……リディクは、一瞬、思考をとめざるを得なかった。
 視線の下で揺れた何かに、覚えがあるような、ないような……いや、あるはずがない。そう、自分の身に、そんなものがあるはずが、と。
 そう、思いはしたのだけれど。
 いつまでも現実逃避をしているわけにも行かず──リディクは、そろり、と、視線を落とした。







「…………っ、ぅ……っ、わぁぁぁっぁあっっ!!!!!!??????」






 果たしてソコには、想像だにしなかった、常にないほど豊かなふくらみがあった。
 思わず絶叫し、のけぞり──その少しの動きに反応するように、胸の上の筋肉がかすかに引き攣れるような感覚を訴える。
 擬音で例えるなら──ふるん、とでも言うべきか。
 その事実に、くらり、と眩暈を覚える。
「おっ、王子っ!」
 先ほどのリオンの比にならないほどの悲鳴をあげるリディクに……普段の温和で冷静なリディクを知っているだけに、悲鳴をあげざるを得ない状況に陥ってしまったリディクの心境を思い、慌ててリオンは彼の背中に手を当てる。
 今にも倒れてしまいそうなリディクを支えるつもりだったのだが、それ以上、何を言えばいいのか、何をしたらいいのか分からなくて──リオンは、唇を一文字に結んで、細く白い首筋を見つめることしか出来なかった。
 近づけば、いつも以上に近く、リディクの細い面が見えた。
 目線はリオンの双眸よりも少し上。──本当に少しだけ上。
 滑々した白い頬も、ふっくらと甘く柔らかそうな桃色の唇も、驚くほど間近に見えた。
 そういえば、数年前までは、王子と背丈もこれくらいしか違わなかったんでしたっけ、と。
 不意に懐かしい思いに駆られたリオンが、ふ、と目元を和らげたその目の前で。
「…………僕が寝ている間に、ふ、太って脂肪がついちゃったとか、そういうこと……だったら、いいなぁ……。」
 がっくり、と、リディクが現実逃避がしたいと言わんばかりのセリフを口にする。
 その姿は、考えることを放棄しているようにすら見えた。
「あのっ、えーっと、それは、その〜っ。」
 なんと説明したら、王子は絶望感を覚えずに、この現実を納得してくれるのだろうか。
 リオンは、なんと説明していいのか分からず、視線を左右にさまよわせてみる。
 しかし、何を口にしても、リディクが現実を受け入れてくれるようには思えなかった。
 だって──信頼する伯母に一服盛られた挙句、女にされて、その上さらに……。
 ちらり、と、リオンはリディクの肩越しに、ミアキスとハスワールを見やる。
 ミアキスの背中に庇われるような体勢でいたハスワールは、ミアキスと同じように、キラキラ輝く目でリディクを見つめていた。
 その顔は、「寝ているリディクちゃんも可愛かったけど、起きてるリディクちゃんは、もっとすごくカワイイわぁ〜。」と語っていた。
 そして、両手にしっかりと握られている白い胸元が大きく開いたドレスの存在。

 ────あれを、今から着せられる上に、着せ替えさせられると言う事実を、もしも知ってしまったなら。

 一体、王子は、どう思ってしまうのだろうか。
 リオンは、顔を俯けて、く、と強く両目を閉じた。
 そのことを思えば、とてもではないが、リディクに本当のことは告げられなかった。
 できれば……そう、できれば、このまま王子には、何もかも忘れて、眠っていていただきたいと、リオンは心からそう思った。
 ──が、しかし。
 リディクが起きることを心待ちにしていたミアキスが、優しい気持ちで見逃してくれるワケはなかった。
「え〜? いやですよー、王子〜♪」
 にこにこにこー、と、満面の笑顔を貼り付けたミアキスが、足音も立てずに、すー、と近づいてくるなり、
「どこからどう見ても、それは、王子の胸v じゃないですかぁ〜♪ えい☆」
 つぅーん、と、形宵胸を、指先で突付いた。
 とたん、むにゅぅぅ、と、思った以上に柔らかく肉に埋もれていく。
「おぉっ。」
 指先を包み込む弾力とぬくもりに、思わずミアキスは驚きの声をあげた。
 ──と同時、
「うわぁっ!!!」
 胸元に何かが埋もれる感触──常には決して感じ取れない、むずかゆいような感覚に、リディクは大きく身を震わせて、ばっ、と両手で胸を庇うように手を当てる。

 むにゅぅ。

「ぅーわーぁぁぁっ!!!」
 なんて表現したらいいのか分からない感触に襲われ、リディクは悲鳴をあげて両手を万歳するように胸からはがし、全身を毛羽立たせる。
 なんというか──そう、一言で言うなら──……、「気持ちが悪い」。
 胸元に感じた己の腕の触感よりも、腕に感じた柔らかで弾力のある感触のほうが、ずっと衝撃的だった。
「な……なな、なんだよ、コレはーっ!!?」
「アルちゃん譲りの〜、リディクちゃんの、胸〜、……よ、ね?」
 うふふ、と、上品そうに口元に指先を押し当てて、ハスワールが笑う。
 けれど、リディクはそれに答えている余裕はなかった。
 己の胸元についている──自分の足先すらも見えないほどの、豊かな……豊かすぎる二つの山を眼下に、泣き叫びたい恐怖を抑えるのに、必死だった。
 できれば、その胸を両手でもぎり取り、投げ出してしまいたかった。
 けれど、その「胸」を両手で握ることが、何よりも怖い。
 今しがた腕に触れた感触と、その腕に押される脂肪を感じた感触が、ありありと蘇ってきて、恐怖にブルリと体を震わせる。
 すると、その豊かな胸元で、ぶるん、と、脂肪が揺れた。──二個とも。
「うぅぅわぁぁぁぁーーー…………。」
 泣きそうな顔で、非常に情けない表情で、くしゃり、とリディクは顔をゆがめる。
 なんだ、この感触は……。
 大きな胸の、豊かな柔らかさ、というのは、今までも何度も味わったことがある。
 優しい笑顔を浮かべる母に抱きとめられるとき。
 豪快な仕草で伯母が抱きしめてくれるとき。
 リディクの頭や顔、背中に当たるその胸の感触は、いつも柔らかで暖かく、いい匂いがした──リディクにとって、優しい愛情の印だった。
 その、優しい思い出にしかならない「巨乳」という感触が。

 いま、まさに、悪夢の触感として、リディクの胸についていた。

「……り、りり、りお、ん。」
「は、はい──王子。」
 歯切れの悪い声で名を呼ばれ、リオンは、この上もなく辛そうな顔で、リディクに答える。
 ぎぎ──と、音がしそうなほど機械的に見たリディクの表情は、まさに青白かった。
「──これ、どういうこと?」
 これ、と、手を動かすことすらもイヤだと言うような仕草で、そろり、と手をあげたリディクの細い指が指し示したのは、胸元。
 豊かな……白い素肌が強調された、それはもう、山、としか例えようのないくらい豊かな、双山。
「そ、それは、ですね……。」
 だらだら、と汗を流しながら──いかにして、王子を傷つけず、真実を伝えるべきかと、リオンが思わず視線を天井にさまよわせた所へ。
「それはぁ〜、今日一日ぃ、王子がぁ、王女になったって言うことなんですぅ〜vvv」
 この上もなく嬉しそうに──ウットリと両目を潤ませて、ミアキスが簡潔に事実を告げてくれた。
「──……は?」
「リディクちゃん、今日だけ、女の子になってもらったのよー。」
 うふふふ、と、ハスワールまでもが微笑みを口元に登らせて告げる。
「──……えぇ?」
 理解できない。──というより、理解したくない。
 そんな表情が顔一杯に張り付いたリディクの整った容貌を間近に見上げて、リオンはいたたまれなさに、そ、と視線をずらす。
 目元に涙すら浮かんできた気がして、リオンは指先で己の目じりをぬぐってみた。
「……おんな、の、こ?」
「そうなの〜。イサクにちょっとお願いして、ね?」
 うふ、と、ハスワールは全く悪いとは思っていない、この上もなく綺麗な顔で笑った。
 おっとりとした、優しい柔らかな従伯母の微笑を受けて、リディクは表情を無くしたような顔で──途方にくれたような、そんな顔で、己の手の平をゆっくりと持ち上げた。
 見下ろした手は、柔らかで優しい輪郭をしている。
 パッと見た目は、何も違わないように感じるけれど、毎日見ているものだから分かる。
 この手は、己のいつもの手とは違う。
 女の柔らかな手の平だ。
「女……。」
 呆然と呟くリディクに、ミアキスがピョコンと跳ね上がるようにして笑う。
「はい〜、そうなんですよぅ〜、王子♪
 あ、でもー、1日だけのことですしぃ、私たちだけの、ひ・み・つ〜、ですからぁ、安心してくださいね〜?」
 両手をパフン、と合わせて笑うミアキスは、今にもリディクの体に触れて……いうなれば、その頭にリムスレーアと同じ色のカツラを載せて、早速コスプレをさせたくて仕方ないように見えた。
 そうして、リムスレーアのコスプレをさせた王子を、存分に抱きしめて頬刷りをして愛でるのだろう。
 ハスワールが、アルシュタートとサイアリーズのコスプレをさせて、同じようにしたいと考えているのと同様に。
 そんな、両手をワキワキさせた二人の女の欲望に全く気づかぬ様子で、リディクは自分の体に視線を落とす。
 柔らかな、華奢な手足。
 すらりとした首筋と、いつもよりもくっきりと映る鎖骨。そこから続く、ありえないほどのふくらみ。

──あぁ、そうか。
 寝ているときに、胸が重かったけど。
 それで、起きたときから、なんか両肩が重いと思ってたけど。
 ──てっきり、霊か何かが僕の体に乗っかっているかと思っていたんだけど。

 そうじゃなくって、これは。

「…………胸の重みだったんだ…………。」

 ぽつり、と言葉に出した瞬間。
 飛び出た言葉の意味に、リディクは今度こそ昏倒するかと思うほどの衝撃を受けた。







「──……って……っ……ミアキスっ、おばさんっ! なんでこんなことをしてるんだよっっ!!!!」






 泣きそうな声で、絶叫を迸らせながら──。








4 へ続く




はー、ようやくリディクが起きて、自分が女だと自覚してくれました。

……長かったよ、この道のりがっ!!!


──っていうか、三人の女性が延々と出張ってるだけですよね。

……あははははははははははははははははは……