ベルクートさんに捧げる7つのお題

5 はやぶさの紋章

*始祖の地 ネタバレ*










 聖地から続く洞窟を抜けた先は、肌を突き刺す冷たい冷気が漂う、白銀の世界だった。
 頬を打つ風は雪をまとい、凍てついた世界をますます冷気の閉じこもる空間に染め上げて行く。
「……ぅわっ、さっむ〜!」
 洞窟を出る時に、さりげに背後にリディクとリオンをかばった形になったカイルは、表に出るなり、ブルリと大きく体を震わせた。
 そのまま両腕で体を抱き止めるようにしながら、右へ左へと顔を動かせる。
「すごい……、一面の氷ですね。」
 はぁ、と白い息を吹きかけて、リオンが辺りを見まわす。
 ヒラリと吹きつけてきた一陣の風が耳を切りさくような痛みを残して、思わず首をすくめてカイルの後ろに隠れる。
「王子、寒くないですか?」
 剣を握る手がかじかんでしまうような気がして、ギュ、と握り締めたリオンが問いかけるのに、彼女と同じように白い息を吐き出して、リディクは首を傾げる。
「寒いけど、でも動いていれば、感じてるヒマはないよ、きっと。」
 大丈夫、と言うリディクの首筋はけれど、鳥肌立っているのが見えて、カイルが顔を顰める。
「王子が一番寒い格好をしてますからね〜……、なんなら俺の上着を貸しましょうか?」
 言いながら、女王騎士の上着をパチンとはずし始めるカイルに、リディクは軽やかな笑い声をあげる。
「カイルの上着を? そんな重いものを着てたら、動けないよ、カイル。 僕なら大丈夫。」
 そして寒さに強張った体を軽く動かして、手の指をニ度三度開くと、
「さ、体が完全に冷え切る前に、先に進もう。」
 大丈夫だから、と、そう笑みを作ってみせた。





 ──そう、動いている最中なら、肌を打ちつける冷えた風も、それほど気にはならなかったのだけど。





「────………………。」
 手のひらでむき出しの二の腕をさすりながら、リディクは上を仰いで、すぐ近くで交差する道を駆け抜けていくリオンの姿を目で追った。
 ゆっくりと視線を戻した先──少しでも風を塞いでくれるかと思ってぴったりと寄り添っている壁を見上げて、ピクリとも動かない雪の積もったソレに、小さく嘆息を零す。
「もう少し時間がかかりそうっすね〜。」
 少し離れたところで、リオンが駆け抜けていく先を見送っていたカイルが、額に手を当てて、鈍い光が差し込む曇天を見上げながら呟く。
 白い粉雪がザァッと舞い散り、風に煽られた金髪が揺れる。
「殿下、大丈夫ですか? お顔の色が真っ青ですが──。」
 寒いのでは、と心配そうに話しかけるベルクートも、その隣で銃を立てかけているキャザリーも、リディクと同じように冷ややかに冷えた壁を背にしているローレライも、辛い旅を潜り抜けられるようなしっかりとした生地の旅装に身を包んでいるせいか、寒さをあまり感じていないようだった。
 いや、寒いことは寒いのだろうが、ヒラヒラと舞うリディクの服に比べたら、ずいぶんマシなのだろう。
「ここはずいぶんと冷えるからな。」
 そう言いながら、辺りを見据えるキャザリーは、スラリとした背をまっすぐに伸ばしていて──まるでそうは言っていないように見える。
「まぁ、それ相応の装備はしてきてはいるが──ここまで寒いとは予想外だったな。」
 言いながら、首を傾げてローレライがリオン達が走りぬけて言ったものとは違う通路を、目を細めて見やる。
 方角から察するに、その道にはツヴァイクとゲオルグが姿を見せるはずだ。──あと、彼らと同行しているキリィと。
 それとも彼らもまた、リオンやリディクが道を開けない限り、どこかで足止めでも食っているのだろうか?
 そんなことを思いながら、彼女は背中から伝わる冷えた壁の感触に首をすくめながら、前髪に落ちた粉雪をハラリと指先で払いのける。
 三手に別れてからココまで、走って闘ってやって来た時には、寒いという感覚も鈍くなっていたが、こうして足止めを食っていると──横殴りの風が痛いくらいに冷たい。
 今はまだ指先に感覚が残っているが……正直、足の先の感覚が無くなって来ている。このままだと、足が痺れてまともに動かなくなるかもしれない。
 そんなローレライの言葉に、そうねぇ、と、リディクを挟んでローレライとは反対側で壁に持たれている美女が、のんびりと同意を返す。
「このままだと、壁が開く前に、凍死してしまうかもしれないわねぇ? ……ふふ。」
 艶やかな赤い唇に笑みを刻んで、こんな状況でも楽しんでいるように微笑む美女──ジーンは、寒空の下に映える白い肌を惜しげもなくさらし、雪が触れるがままに任せている二の腕を、さりげない動作でさすり上げる。
 白皙の肌も煙るような眼差しも──そして、熟れたように赤い唇も、豊満な胸の谷間も、くびれたウェストも。
 なぜか、リディクの蒼白さ加減とは対象的に、いつもと何ら変わりなく見えて、言葉の信憑性が薄く感じる。
 ──いつもならその「美女」を、失礼なくらいに凝視したり、びっくりするくらいわざとらしく視線をはずす男性陣は、なぜか今ばかりは一瞥たりともしない。
──だって、見ているこっちが寒くなるような格好なんですよ〜?
 カイルは、これほど魅力的な美女が目の前にいるのに、「寒いなら暖めてあげましょうか」という声すらかけられない──という状況を、今、初めて噛み締めていた。
 だってジーンさん、王子ですら唇が真っ青で紫色になっていて、寒そうにカタカタ震えてて、歯の根がかみ合わないのに、王子と違ってモンスターとの闘いに飛び出て行くわけでもない、後方支援で杖を構えてるだけなのに──ぜんっぜん、蒼白にもなってないし、鳥肌も立ってないんですよ!?
 怖いよ、もぅ!!
「う……うん、確かに寒い、けど……でも、耐えられないほどじゃない、し……、多分、すぐに壁も開くと、思う、し……。」
 あでやかな微笑を零すジーンよりも露出度は引く目のリディクは、奥歯がかみ合わないくらいに寒そうで、体がガチガチに強張った状態で、首をすくめてブルリと体を震わせる。
 そんなリディクの様子に、カイルとベルクートは顔をしかめる。
「王子、やっぱり俺の上着でも──……。」
 カイルがそういいかけた瞬間、
「そうだ! 時間がかかるようなら、焚き火でもするのはどうでしょう!?」
 壁の片隅で、寒さを避けるようにしゃがみこんでいたマリノが、ハッ、としたように顔を跳ね上げて、そう提案した。
 戦闘要人ではない彼女は、頭からマントを被り──そのマントの上にうっすらと雪を被らせながら、戦闘中はひたすら風と寒さを堪えて足踏みをしたり、その場に屈みこんで手のひらに息を吹きかけていたのだが、歩いている時は仕方がないと我慢していたけれど、今はそうではないのだから、と、嬉々とした表情で一同を見まわす。
「あ、それいいっすね〜。」
 上着を脱ぎかけていたカイルは、そんなマリノの提案に、ニッコリと相好を崩す。
「確かに、このまま動かないのなら、焚き火でもしていたほうがいいな……寒さで体力を奪われたら、それこそたまらない。」
 この先、何が待ち受けているのか分からないのだか、と、ローレライが冷えはじめた唇に指先を押し当てて、賛成を唱える。
「殿下、私もそうしたほうがいいと思うのですが──?」
 ベルクートは、心配そうにリディクを見下ろして問いかければ、柔らかな銀色の髪に、うっすらと雪化粧をつもらせたリディクは、かすかに顎を上げて──そんな動作ですら寒くて辛そうな顔で、コクリ、と一つ頷く。
 真っ青を通り越して紫色になった唇で、
「う、ん──、それじゃ……、焚き木を、探さないと……。」
「………………………………。」
「……………………………………。」
「………………………………。」
 一斉に、一同が黙り込んだ。
 その中、キャザリーは無言で辺りを見まわし、首を傾けると、
「……で? どこに焚き木があるんだ?」
 ──よしんば見つけたとしても、この雪の中だ……、しけっていることは間違いない。
「あぁぁぁ〜、そうです、そのことを考えてませんでした〜! すみません、王子様〜っ!!!」
 再び地面にしゃがみこんで、頭からマントを被ったまま頭を抱えるマリノに、やっぱりそうだよね、と、リディクが苦い笑みを張り付かせる。
 そんなリディクの様子に、これ以上はまずいかと、カイルは顔をしかめ──、一度、遺跡の建物の中に戻りましょうかと、そうリディクに問いかけようとした時だった。
「ふふ……その必要はないみたいよ。」
 ジーンが怪しい微笑を浮かべながら、ツイ、と形良い指先を前へと向ける。
 それと同時──走る殺気の気配に、ハッ、と一同は素早く陣形を取る。
 とたん、頭の上に大きな影が舞い落ちてきて……バサリ、と、言う翼の音と共に、凍てついた風がかき乱され、強く吹きつけてきた冷気に、ブルリとリディクは体を震わせる。
 そうしながら見上げた先──巨大なワイバーンが、その身を地面に下ろそうとしていた。
「ワイバーンっ!」
 一斉に武器を構える面々の中、リディクは震える指先で三節棍を握り締める。──構えるまではできなくて、ぎゅ、と何度か棍を握りなおした。
「殿下、殿下はどうぞ後列に。」
 すかさずベルクートがリディクの前に立ち、剣を抜く。
「いや、……大丈夫。」
 僕には魔法があるから、と。
 そう言って魔法を唱えようとするリディクを、しかしジーンがヒラリと片腕で制する。
「……ジーン?」
「──ふふ、アレほど大きかったら、とてもいい薪代わりになるわよ?」
 そういいながら彼女は、ヒラリと優雅に左手を舞わせる。
 その手に宿っている紋章の正体に気づいた瞬間、ハッ、とワイバーンに面していた面々が目を見張った。
 そこには凶悪な顔をしたワイバーンが、牙を剥いてこちらを睨み付けている。
 そのワイバーンを──、薪?
「……って、ジーンさん?」
「ワイバーンを燃やすのか?」
「確かに暖は取れるとは思うけど……。」
 前線に立っていたカイルが振り返り、銃を構えていたキャザリーがそれを下ろしてジーンを見やる。
 マリノが壁にペッタリとくっついた体勢で、微妙な表情を見せる中、ジーンは自信満々に陶然と微笑むと、
「現れてくれたのがワイバーンで良かったわ。……ふふ、顔箱やネメシスよりも、肉が多いから、さぞかし良く燃えてくれることでしょうね。」
 うっとりと見とれるような色香たっぷりの微笑を浮かべながら、言うことがまた怖い。
 そんな面々の──ちょっと非常識じゃないかなぁ、という視線を受けてもめげず、ジーンはますます笑みを深くすると、ワイバーンと視線を合わせて牽制させているカイルとベルクートに向けて、
「そういうわけだから、なるべくたくさん切り刻んでね。
 私が燃やすから。」
 パチン、と指と指をこすり合わせて微笑むジーンの言葉に、カイルとベルクートは顔を合わせる。
「……なるほど、分かりました。」
 こっくり、と頷いたベルクートはワイバーンに向かって腰を落とし──、
「それなら私が、はやぶさの紋章で。」
 そう告げるベルクートに、ローレライもムチを下ろし、切り刻むなら早くしてくれと、寒さで鳥肌の立ちかけた二の腕をさすり上げる。
 キャザリーもそんなベルクートに向かって、まったくだ、と頷き──、
「早く頼むわね。」
 ふふ、とジーンが妖艶に微笑む。
 そんなジーンをチラリと一瞥した後、土気色に近いほど血の気を失ったリディクの顔を見て──キリリとベルクートは顔つきを改めた。
 そして、目の前で翼をはためかせ──空中に再び舞い上がろうとしているワイバーンめがけて、スッ、と切り込む。
 そのまま、ワイバーンに向けて剣先を向け、思い切り良く振り下ろし──、
「ハッ!!!」
 力強く剣を往復させ──ワイバーンの翼と胴体を一気に切り離した。
 ベルクートがワイバーンの傍から飛びすさると同時、切り落とされたワイバーンは、グラリと体をかしがせ──ドゥンッ、と、雪煙を発しながら倒れこむ。
「キャーッ! ベルクートさん、ステキです!!!」
 とたん、マリノが両手を組み合わせてうっとりと叫ぶ声を背後に、ベルクートはふらりと足元をふらつかせる。
 足元の凍った地面に滑りそうになるのを、なんとかこらえ……紋章を開放した勢いで覚えためまいを振り払うように、ふぅ、と大きく息をつく。
 それから、目の前に倒れた巨体を見つめて──ホッ、としたような笑みを浮かべると、
「ジーンさん、もう少し切り刻んだほうが……。」
 いいですか、と。
 続けるつもりで開いた口は、そこで止まった。
「ふふ、いいわよ、そのくらいで。」
 シャナリシャナリと腰を揺らして歩いてくるジーンの、悩殺的な色香にやられたわけでは決して無い。
 歩み寄りながら、小さく呪文を唱えるジーンの──その揺れる髪の背後。
 さっきまでベルクートと共に前線に立っていたはずのカイルが、
「んー、王子、すっごく冷えてますよ〜。」
 その腕で、ぎゅぅ、と、リディクを背後から抱き込んでいた。
 ベルクートからは、カイルの肩先から銀髪しか見えないくらいに、しっかりと。
「な……っ、な、な──っ!」
「そういう、カイルは……体温、高いよね?」
 ガチガチ、と、歯の根がかみ合わないながらも、小さく、かすれるように呟いたリディクは、寒い、と赤く染まった鼻先をカイルの腕に摺り寄せて、はぁ、と吐息を一つ零す。
「そりゃもう、ふところが厚いのは男の甲斐性ですからね〜♪」
 楽しげな様子でカイルは笑うと、そのままクシャクシャとリディクの髪を撫でさする。
 そうしながら、編みこまれた髪に積もった雪を払い落としているのだが──第三者の目からみたら、いちゃついてるようにしか見えない。
 リディクは首をすくめながらそれを甘受しつつも、
「カイルのふところが厚かったことって、あったっけ?」
「って王子〜、何度かおごってあげてるじゃないですかぁ。」
「……え、ふところが厚いって、そっちの意味なの?」
 首を傾げて、いつものように軽口を交わす。
 そんな──ベルクートの脳裏に走った衝撃にまるで気づかない様子のカイルとリディクを背後に、ジーンはクスリと笑んで見せると、ス、と左手を掲げて。

「踊る火炎っ!」

 ボッ、と走った火の気配に、おっ、とキャザリーやローレライが暖を求めて移動する。
 豪快に燃え上がるワイバーンの死体に、カイルは少しだけぬくもりが戻った気のするリディクの体を解放すると、
「頼みますから王子、今度は倒れる寸前まで寒さを堪えるのは、ナシにしてくださいよー?」
 ソノ前に、本当に上着をお貸ししますから、ね? ──と。
 そう念を押すように言われて、リディクは小さく笑みを零す。
 その口元には、まだ血の気は戻っていなかったが、それでも──ベルクートがワイバーンに突っ込んでいった瞬間に、かじかんだ足を支えきれずに倒れかけた時に比べたら、ずいぶんマシになっているような気がした。
「王子が凍傷なんてことになったら、俺がリオンちゃんやミアキスちゃん、それにリムスレーア様に怒られちゃうんですから。
 俺の体温を分けることで王子があったまってくれるなら、いくらでもお貸ししますよー、ほんと。」
 軽い口調で──それでも目だけは真剣に心配の色を宿して言ってくれるカイルに、リディクはかすかに口元をほころばせて頷く。
「うん、分かった。気をつけるよ。」
 まだ寒さでかじかんだ顔は、上手く笑顔を作れなかったけれど──それでもカイルは、そんなリディクの表情にホッとしたようだった。
 巻き上げる炎に向かって歩き出しながら、「本当ですよ」とさらに念押しするカイルに、本当です、と頷いて見せて……、リディクは、豪勢に焚き上がる炎を背後に、呆然と立ちつくすベルクートに気づいた。
「ベルクート? ──さっきのワイバーンで……怪我でもした?」
 まだかじかんで上手く動けない足をゆっくりと動かして、彼の元に近づいて見上げた先──ベルクートは、ワイバーンの凍える息を受けたのかと思うくらいに、青白い顔をしていた。
 ギョッとするリディクが、指先を伸ばしてくるのに、ベルクートは、ハッと我に返って……それから。
「あ、い、いえ……なんでもありません。
 それよりも殿下、どうぞ炎の傍へ。」
 慌ててかぶりを振って──けどその動きすらぎこちないのに気づいて苦い色を刻み、それをリディクに気づかれないように、彼を促す。
 リディクはそんなベルクートを心配そうに見上げたが、かすかに微笑む彼の表情に、同じように微笑み返して、
「……うん、ありがとう、ベルクート。おかげで、みんな暖まれる。」
 ──見ていたジーンとキャザリーとローレライの三人が、「男泣かせ」とひそかに名づけた柔らかな微笑みと口調でもって、ベルクートを再び凝固させた。
 自分の笑顔の効果を知らないリディクは、炎の暖かさを頬に感じながら、
「この火、松明みたいに持ってあるけないかな?」
「そこらに落ちてる石をここに入れて、温石にして持ち歩いたらどーでしょー?」
「あ、冬にベッドに入れるみたいに?」
「そうそう。」
 カイルといつもの軽口を叩きながら、防寒策を練っていた。











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そういえば説明してないですけど、うちのハヅキさんは腐女子ですので、「ベルクートの恋を応援しよう」の会に入ってます。
でもって、カイルさんはサイアリーズ様に片思いしていて、リディク王子は普通に大事だと思ってる感じです。