ベルクートさんに捧げる7つのお題
*グッドエンディング ネタバレ*
久しぶりに訪れたソルファレナは、最後にやって来た時よりもずっと明るい雰囲気になっていた。
船着場から太陽宮へと直接繋がっている回廊を歩きながら、マリノは眼下に広がるソルファレナを眺めていく。
太陽宮奪還の戦いの只中で、ドラートやフェイタス竜馬騎士団などと言った、大きな町をいくつか見てきたけれど、このソルファレナはそれ以上に大きくて──もし、回廊を上ってこなかったら、絶対に迷っていたに違いない。
「ソルファレナの見物もしてみたいけど──、私だけじゃ迷いそうよね。」
ヒョイ、と手すりの上から眼下の町並みを見下ろして──すっきりとして見える構造なのに、実際はとても入り組んでいるその状態に、マリノは困ったように眉を寄せた。
宿のおばさん達のお土産も買いたいのに、と、そう呟こうとしたマリノは、ふと何かを思いついたような表情で、パッと顔をほころばせた。
「そうだ──……、ベルクートさんなら……。」
こみあげてくる気持ちを噛みしめるように思いをこめて呟いて──マリノは、ふふ、と、短く笑った。
こうして離れ離れで暮らしているのだから、会える時には積極的にならなくっちゃ。
マリノはあの戦いの中で知ったことを頭の中で復唱して、残り短くなった太陽宮への道を、早足に駆け抜けて行った。
──チャキン、と、手入れを終えた刀をしまいこみながら、ハヅキは隣でわら人形を片付けているベルクートを見上げた。
「……今日はマリノ殿が来る日なのか。」
「え──あ、あぁ、そう手紙で言っていましたね。
今日は久しぶりの休みを貰ったので、ソルファレナで何かを探したいとか言っていました。」
何か、宿のおばさんとおじさんに、贈り物でもするのでしょう。
……そう、心から疑ってないような表情で、穏やかに微笑むベルクートに、ハヅキは軽く目を細めて見せた。
けれど、特に何か言うこともなく、ゆったりとした動作でその場に立ち上がると、
「ということは、今日はおまえはマリノ殿とデートをするということか?」
「デート? そんなんじゃありません。」
驚いたように軽く目を見張り──それから、笑顔でフルリとかぶりを振るベルクートに、ハヅキは何も言わず、そうか、とだけ呟いた。
それから、視線を少しそらして、青い空を見上げると、
「どうやらマリノ殿の道行きは、まだまだ遠いらしいな。」
一人で納得したように呟いて、なるほど、と一つ頷いてみた。
もちろん、それが聞えて居ないベルクートは、あぁ、そうですね、と、何でも無いことのように笑顔を広げながら、
「良かったら、ハヅキさんも一緒にどうですか? どうもわたしは、女の人が好むお店とかは分からないので、一緒に来てくれると心強いのですが。」
「………………なるほど。」
ベルクートは、こうやってマリノ殿をやきもきさせているのか。
だから、私は、マリノ殿に会うたびに、なにやら睨み付けられたり、悔しそうな顔をされたりするわけだ。
そんなことを無表情な顔の奥で思って見るハヅキの「なるほど」に、ベルクートは破顔してみせると、
「それではハヅキさん、後で議会堂の前で待ち合わせしましょう。マリノさんともそこで待ち合わせなんです。お昼ごはんくらいはおごりますよ。」
これで、今日のソルファレナの案内は、何も心配することはない。
そんな、ホッとしたような笑顔を浮かべて、ベルクートは(ハヅキにとっては)一方的に約定を交わし、着替えのために立ち去ってしまった。
ハヅキは、そんな彼の背中を見送りながら、
「……………………そんなことよりも、手合わせをしてくれたほうが、ずっと嬉しいんだが……。」
いつになったら、再試合を組んでくれるのだろうかと、溜息を一つ、大きく零して見せた。
ストームフィストにいた時よりもずっとめかしこんでいるように見えるのは、首都にお出かけだから気合を入れてきているのか、はたまた──ベルクートとデートをするためなのか。
そんな微妙な乙女心はまったく分からないハヅキだったが、
「な……なな、なぁーんで、ハヅキさんも一緒に居るんですか……っ!?」
つい先ほどまで、頬を赤く染めて、満面の笑みを浮かべていたマリノが、ヒクリ、と引きつって──それでも必死に笑い顔を崩さないようにしている理由の見当くらいは付いた。
「ベルクートが誘ってくれたからだ。」
ハヅキは平然とした顔でマリノに答えた後、
「ちょうど私も、城下で買い物がしたいと思っていたのだ。
マリノ殿、いくつかいろいろな物を見立ててくれるとありがたい。」
「か、か、買い物って……。」
何か言いかけたマリノの言葉はしかし、
「あぁ、それはいいですね。マリノさんはセンスがいいですから。」
にこにこ、と──マリノとハヅキの間に走った、微妙な緊張にまったく気づかない様子で、ベルクートが口を挟んでくれたから……彼女は、その先に続くはずだった言葉を、ぐ、と飲み込まずにはいられなかった。
「──そ、そんな……センスがいいだなんて。」
ぎりぎりと、ベルクートに見えない場所で拳を握りながらも、好きな相手からほめられて悪い気がするはずもない。
マリノは、ほんのりと頬を染めながら、米神を引きつらせるという、器用な事をしながら、彼の視線を盗んで、チラリとハヅキを睨み上げた。
「買い物なら、ほんとう、いつでも付き合いますよ、ハヅキさん。
──……でも、……なんでよりにもよって、今日、なんですか……っ。」
──前半の台詞はにこやかに、ベルクートにも聞えるように。
そして後半の台詞は、声を潜めて……涼しい表情のハヅキにだけに、聞えるように。
正直に言えば、乙女心の思うがままに、「今日は止めてください! 絶対についてこないで!」──と言いたいところなのだが、そこまで叫ぶことは出来なかった。
こうなったら、ハヅキが買い物に行きたいと言う場所へ、一番初めに行って──そう、さっさと彼女を追いかえそう。
そんな決意をしたマリノに向かって、ハヅキは首を傾げながら、
「明日だと、私もベルクートも休みが取れないから仕方があるまい。
ベルクート。」
「──はい?」
「おまえも、アレは買うのだろう? 一緒にマリノ殿に見立てて貰ってはどうだ?」
ごく当たり前のように話を持っていくのだが──それを聞いたベルクートはと言うと、何を言うのかと言いたげに、目をパチパチと瞬いていた。
──が、マリノはと言うと、
「えっ、なんですか!? ベルクートさん、何か、ご入用なんですか!?」
これこそまさに、ベルクートさんとの「買い物」! とばかりに、目をキラキラ輝かせて、ベルクートの顔を仰ぎ見る。
頭の中では、ベルクートと一緒に、新しい食器を決める──まるで新婚カップルのような自分たちの姿が思い描かれているに違いない。……ハヅキはこの際、見なかったことにして。
そんなマリノの、本当に嬉しそうな──楽しそうな笑顔を前にして、ベルクートは、困ったように眉を寄せる。
「……い、いえ、わたしは特に何も……。
──というか、アレ、というのは、何のことですか、ハヅキさん?」
ベルクートの視線が、助けを求めるようにハヅキに落とされたのを見て、マリノは、かすかな苛立ちにも似た感情を抱く。
ハヅキはと言うと、遠く立ち並ぶ店を見ていた視線を、ゆっくりとこちらに引き戻して、
「──何のこと、とは……まさかおまえ、覚えてないのか?」
秀麗な眉をひそめながら、なぜか声のトーンを一つ下げて囁いてくる。
たったそれだけの動作で、奇妙に物事が秘密めいて思えるから不思議である。
「…………と、いいますと?」
「いや、このような場所で堂々と言っていいことかどうか、私では判断はつかないんだが……。」
ハヅキはなぜかためらうように口元に手を当てて、そ、と睫を伏せて見せる。
「ハヅキさん?」
そんなハヅキに、不安そうに──自分は一体、何を忘れているのだろうかと、眉を寄せるベルクートの姿を見て、マリノは面白くもなさそうに軽く唇を尖らせる。
今日のデートに、ハヅキがついてきているのだけでも、面白く無いと言うのに……こうして、同じ職場の2人だけに通じる話をされるのは、もっと、ぜんぜん、面白く、ない。
ベルクートの視線は、ハヅキにばかり行っているし、だいたいそもそも、2人は悔しいけれど、いつだって会えるじゃないか。
こうして休みの日にしか会えない自分のことを──しかも、2人で同じ日に休みなど取れるわけじゃないのだから、せっかくの休みでも、丸一日いられるわけじゃない。
そんな、貴重な……貴重な逢瀬なのだ。
ただでさえでも疎くて鈍感なベルクートに、少しでも自分の気持ちに気づいてもらいたくて──、貴重な時間のすべてを使って、積極的にアプローチしても、まだ足りないくらいなのに。
その、大事な時間のほとんどを……ハヅキに邪魔ばかりされてるような気がする。
「……もぅっ……、こうなったら、王子様に頼んで、ベルクートさんとハヅキさんの一騎打ちを、闘神祭の模擬試合か何かで実現させてもらおうかしら……っ。」
そうしたら、ハヅキは用は済んだとばかりに、ベルクートの前から立ち去るに違いない。──ううん、絶対、そう。
マリノは、悔しげに唇を噛み締めて、顔を付き合わせるようにして何事か囁いているハヅキの──無表情に近い瞳が、キラキラと輝いているのを睨み付けた。
ベルクートが鈍くて良かったと思うのは、こういう時だ。
誰が見ても、ハヅキのその表情は「好きな人を前にした乙女」の顔だ。
──ハヅキもどうやら気づいていないらしいのが、マリノの救いと言えば救いなのだけれど。
ハヅキは、ベルクートを見る時、闘志やライバル心以外の光を、その目に宿す。
しかも、普段話している時は別だけれど、そうやってベルクートに顔を近づけて、何事かをひそひそと話す時は、その整った顔にうっすらと嬉しそうな笑みすら浮かべて──そう、今のように頬を赤く染めたりなんかして!
「──……っ、もうっ。」
自分に聞かせたくない類の仕事の話にしても、それはあんまりにも近づきすぎなのではないか、と。
マリノは、肩を軽くそびやかせて、カツカツカツと2人に近づいた。
そして、そのまま、にこやかな……ちょっと引きつった笑顔で、今にもくっつきそうだったベルクートとハヅキの肩の間に割り入ると、
「ベルクートさん、ハヅキさん。ゆっくりしてると、お店、閉まっちゃいますよ。何を買うのかは、道ながら、ゆーっっくりと、聞かせてくださいね?」
我ながら、すごいと思うほどの絶妙な笑顔で、2人の顔を交互に見てやった。
すると、ハッ、としたように目を見開いたのはベルクートで。
「す、すみません、マリノさん。」
日に焼けた肌の目元が、ほんのりと赤いのは──、一体、何のためなのか。
そうかんぐれば、チクリと胸の中が痛んだ気がして、マリノはうつむきたくなる気持ちに、慌ててかぶりを振って堪えた。
「ううん、いいんですよ、ベルクートさん。
さ、それよりも、早く案内してください! 私、本当にいろいろ楽しみにしてたんですよ! 女将さんやおじさんにも、お土産を買って行く約束もしてるんです! そういうお店も、教えてくださいね!」
ニッコリ、と、宿屋でいつも浮かべている、とびきりの接客用の笑顔で無理やり微笑めば、ベルクートはそれがマリノの作り笑いだとも気づかずに、ホッとしたように笑って頷いた。
「はい、マリノさん。私に出来ることでしたら、荷物持ちでもなんでもしますよ。」
その、邪気のない笑顔を目の前に見せられて──マリノは、クラクラと眩暈にも似た気持ちを抱く。
あぁ、やっぱり、ベルクートさん、格好いい〜!
そう叫びだしたくなる気持ちを、ググッと堪えて、マリノはベルクートに向かって頷く。
「それじゃ、遠慮なく、大きいお土産とか買っちゃおうかな?」
言いながら、辺りの店をグルリと見回すような仕草をするマリノに、ベルクートはもちろんですと大きく頷いて──それから、あ、と、不意に顔を輝かせる。
「そうだ、それならマリノさん。マリノさんも、一緒にアレを買ったらどうでしょう?」
「……アレ?」
思いもかけないところで出てきた「アレ」に、マリノは驚いたように目を瞬く。
ハヅキが声を潜めて言うから、てっきり──、
「それって、今、ハヅキさんが言っていた……?」
「アレ」と言うのは、仕事で使う極秘の何かだと思っていたのだけど──一緒に買うって、どういうこと?
マリノの戸惑いに気づかず、ベルクートは満面の笑みで──そう、さっきまで以上の笑顔で笑うと、
「ええ、ちょうど三日前に私も聞いたところで──次の休みに見に行こうと、そう思っていたところだったんですよ。」
「うっかり忘れかけていたじゃないか。」
照れたような表情でそう言うベルクートに、ハヅキは片目を眇めるように突っ込むと、ヒラリと身を翻して先に立って歩きはじめる。
そんなハヅキに、マリノは険しい視線をジロリと向け、ベルクートは慌てたようにその後に続く。
マリノは、ベルクートがハヅキに追いつくのを見て、ますます目元を険しく顰めたが、何も言わずに無言でその後に従った。
そして、一気にベルクートとの間合いを詰めると、
「ベルクートさん、その──アレって、何なんですか?」
そう問いかけたところで、少し先を歩いていたハヅキが、肩越しにマリノを振り返り、かすかに口元をほころばせて微笑むと、クイ、と顎先で近くの店を指し示した。
──正しくは、店の前に置かれた、「商品見本」を。
マリノは面白くもなさそうにハヅキが示す先を見て──そして、遠目にも分かる品物の姿に、驚いたように目を見開き、あ、と短く声をあげる。
あげずには、いられなかった。
「あれ──……、あれって、もしかして……王子様の……っ!?」
「そう、姿絵だ。」
指で指し示し、人の上半身ほどの大きさのある額縁に入った見覚えのあるバストショットに、すっとんきょうに声を張り叫べば。
なぜか、満足げにハヅキが頷いて答えてくれた。
マリノは、そんなハヅキを凝視して、それからもう一度店先に掲げられている王子の姿絵を凝視すれば、その店に向かって歩いていたベルクートが足を止めて、彼女を振り返って、
「殿下が臨時ではありますが、女王騎士長になったのを記念に、殿下の姿絵を絵師に書かせたところ、これがとても評判が良くて……、それで、その絵の写しなんですけど、それを、みやげ物として販売を始めたらしいんです。」
なぜか、照れたように笑いながら、頬を掻く。
マリノは、目が零れるかと思うほど、大きく目を見開き──、ダッ、と店に駆け寄った。
近くで見れば、その絵は大きく……そして、殿下その人をそこに写し取ったように、見事だった。
触れると柔らかそうな銀色の髪といい、意思の強い綺麗な瞳といい、数ヶ月前に見た王子殿下その人にそっくりだ。
「すごい……、ほんとうにそっくり!」
マリノとて、ストームフィストで、「王子殿下」の姿絵もどきが売られているのは、何度か見ている。
あの内乱で見事勝利し、リムスレーア陛下をお救いしたリディク王子は、「英雄」として人々から絶大な支援を貰っている。
しかもその上、リディクは、見目麗しい若者で──その絵姿は、女性のみならず、男性からも人気はあった。……ただし、王室公認でない姿絵もどきは、質が悪くて、マリノはそれを買った宿の客に、いつも「王子はもっと気品があって、もっとお綺麗なんですよ!」と、言うのが口癖になっていたくらいだ。
なのに、目の前の姿絵は、着ている服装こそ、マリノの知らない豪奢なものであったが──たぶん、女王騎士長の正装なのだろう──、本当に、リディクに似ていた。
ストームフィストの姿絵もどきでは、王子殿下が目の前にいても、「その人がモデル」だとは、なかなか気づかなかっただろうが、これは違う。
「そうでしょう? これは絵の写し絵なのですが……、本物の絵はもっと殿下に似てらっしゃいます。──その目の光までも。」
呆然と絵を見上げて、それに見入るマリノの興奮具合に、ベルクートは口元を緩めて微笑みながら──彼もまた、それに見入るように瞳を細める。
「これ、私も一枚ほしいです!
だってコレを宿に飾って置いたら、ストームフィストの粗悪な姿絵なんて、売れなくなるわ、絶対!」
宿の土産にではなく、自分の土産として、これを買って行きます。
そう、目をキラキラさせて絵を示すマリノに、ベルクートもそれはいいと大きく頷いて同意を示す。
「では、マリノさん、私からプレゼントさせてください。」
「──……えっ!」
驚いたように、マリノはベルクートを見上げて──それから、見て分かるほどに、ボッ、と顔を真っ赤に染めた。
「で、でも──その、……。」
「これくらいはさせてください、マリノさん。
私も、殿下の粗悪な姿絵が流通しているのは、許せませんから。」
男前にニコリと笑うベルクートに、マリノはますます顔を赤くして、肩を縮めてみせた。
それから──嬉しそうに、はにかむような笑みを口元に貼り付けて、こっくり、と頷く。
「それじゃ……、お言葉に甘えて。」
首をすくめるようにしてマリノが甘い声でそう答えれば──その声は、本当に嬉しそうで、聞いているこちらが恥ずかしくなるほど甘かった。
「ええ、遠慮しないで、お好きな絵を選んでください、マリノさん。
──私の分を買うついでですし。」
ベルクートは、マリノに優しく微笑みながら、さぁ、とマリノの背を軽く押した。
マリノは、そんな彼を、うっとりとした目で見上げながら、はい、と嬉しそうに笑って頷いて──、そうして、2人そろって店の中に消えていく。
その、遠目に見たら初々しい恋人同士に見えないこともない2人の背を見送って。
「…………。」
ハヅキは、ヒョイと肩をすくめて、店の前に置かれた王子殿下の麗しの肖像画の写しを見上げた。
「……マリノ殿も、なかなか鈍いな。」
腰に手を当てて、ハヅキは首を傾げながら呟いた後──、コツン、と手の甲で額縁を軽く叩いてから、2人の後を追って、店の中に入った。
──とりあえずは、リオンから頼まれた「王子の姿の移し絵」を、自分も購入しなくてはいけない。
「この場合、三角関係に……、私は入らないのだがな。」
マリノのライバルは、私ではないと言うのに。
ハヅキは、いつも心の中で思っていることを、今日も心の中で思いながら、仲良く肩を並べて、リディクの肖像画の写しを見ている彼らの元へと、ちょっと軽い足取りで近づいていった。