ベルクートさんに捧げる7つのお題

3 王子殿下

*ロイさんネタバレ*










 円堂の屋上から、ふと何かに惹かれるように視線をあげた。
 塔の3階──軍議の間があるだけの階のバルコニーに、人影が一つ、立っていた。
 湖からの吹き晒す風を受けて、銀色の髪をキラキラと耀かせた少年は、少しけだるそうな仕草で首を傾げ、いつも編んでいる髪に指先を引っ掛けた。
 かと思うと、そのままスルリと髪に指先を絡めるようにして──一瞬で、それを解きほぐした。
 ぱさ──……と、乱れる風に一気に煽られて、銀色の髪がキラキラと耀きながら、散って行く。
 煌く銀色の髪の合間から見える、ス、と通った形良い顎先に透き通る白い肌。
 はらりと零れた銀色の髪が、下から吹きつける風に煽られて──白い項がクっきりと見えた。
 その瞬間、言い知れない震えが足先から駆けあがってきた気がして、ベルクートは咄嗟にそこから視線をはずした。
 バクバクと心臓が強く鳴り、首筋から額にかかえて一気に熱が高まって行くのを感じる。
 フルリと頭を振って、その熱を少し冷ましながら、ベルクートは苦笑を浮かべて──もう一度、惹かれるようにその人へと視線を走らせる。
 銀色の髪を乱れさせたままのその人は、指先でクルクルと髪を弄ぶようなしぐさをしながら、少しだけ顔を伏せた。
 リディクが人前で服装や髪を乱れさせるのは、ひどく珍しいことだ。
 彼が髪を解くことも稀で、お風呂でも髪を洗うときでもない限りそのままだ。
 その彼が、そんな場所で──本拠地の敷地内ならどこからでも見ることが出来るような場所で、髪を解くなんて……何かったのだろうか?
 ふとそう思って、不安に感じたベルクートは、手すりに手をかけて、身を乗り出すようにしてリディクの姿を見上げる。
 ベルクートが見ていることに気づいてか気づかずか、リディクは乱れる髪にブルンと頭を振って──それから、不意に右手で髪を掻き毟るような仕草をした。
 その、らしくない仕草に、ベルクートが顔を顰めたその刹那──、掻き毟っていた髪の毛が、ずるり、ずり落ちた。
「──……なっ?」
 ガシッ、と、指先に力を込めて身体を前のめりに持ち上げれば──陽光に煌く銀色の髪が翻ったのが見て取れた。
 その銀色の髪は、リディクの整った顔からではなく……手の平から生えている。
「──────………………。」
 喉が、一瞬、震えた。
 ガリガリと頭を掻き毟る右手はそのまま──銀色の髪ではなく、濃茶の髪をかき乱していた。
 そして、それでも我慢できないのか、顔を歪めた「リディク」は、ブンブンと頭を左右に激しく振った。
 そのまま、リディクとは思えない仕草で、首をグルリと回して、手に持ったままの銀髪の髪を腰に引っ掛けて、両手を腰に当てる。
 いつもの優美な立ち姿とは全く違う雰囲気のソレに、一体、リディクに何が起きたのかと──心配してしまうほどの変わりようだ。
 目を見開き、茫然とそれを見守るベルクートに、
「……ベルクートさん? どうかしたんですか?」
 不思議そうな声が背中からかかった。
 ハッ、と振り返れば、キョトンとした顔のリオンが、両手に小さな籠を持ち立っていた。
「リオン殿──。」
「今、レツオウさんに頼まれたクッキーを、マリノさんのところに届けるところんだったんですよ。ベルクートさんも、良かったら少しだけどうですか?」
 身を乗り出していた体を元に戻すベルクートに、リオンは和ませるように穏やかな微笑みを浮かべながら、籠を少し持ち上げる。
 小さな籠の中には、袋に詰められたクッキーが幾つか入っていて、その上に白いレースの布がかけられていた。
「クッキー、ですか。」
 心の中の動揺を押し隠すように、リオンの言葉を繰り返すベルクートに、彼女は嬉しそうにニッコリ微笑んだ。
「はい。今度から、宿の部屋にお菓子とお茶のセットを置くサービスをはじめるらしくって、それで私が──……、どうかしましたか、ベルクートさん?」
 嬉しそうに顔をほころばせて話していたリオンは、ふとベルクートの表情に気づいて、パチパチと目を瞬いた。
 恐る恐るといった仕草で、彼女は足を前に踏み出し──そろりとした仕草でベルクートを覗きこむ。
「……いえ、なんでもありません。」
 軽くかぶりを振って──それでも気になるように、ベルクートは顔をあげて塔の3階を見上げた。
 リオンは不思議そうな顔で、そんなベルクートの視線を追うように視線をあげて──……あっ、と、小さく口元に手を当てた。
「……ロイ君ったら、また──……っ!?」
 そんな呟きを零しながら、リオンは顔つきも険しくベルクートの隣から身を乗り出すようにして、3階に立っていた「リディク」を睨み付ける。
「……ロイ君?」
 聞き覚えのない名前に、ベルクートが顔を顰めて問いかければ、リオンはこっくりと頷き、憤然やるかたないと言った雰囲気のまま、
「そうです! ベルクートさんもご存知でしょう? セーブルで起きていた王子の偽者のこと!」
 まったくもう、と、リオンは身を翻して、そのまま塔の方角へと駆けていく。
 その背中が、いつになく憤っているのを見送りながら──ベルクートは、茫然と再び「リディク」……いや、ロイへと視線を送る。
 首をコキコキと鳴らしたロイは、腰につけた銀色の髪──かつらを再び取り上げると、それをヒョイと慣れた仕草で頭にかぶせ、チョイチョイと指先ではみ出ていた茶色の髪を押し込めると……それだけで、遠目にはリディクその人になる。
 そのままリンと背筋を伸ばし、右と左を交互に見やるその仕草は堂に入っていて……まさに、リディクそのままだ。
「──……にせもの。」
 茫然と呟き──本当に、呆然と呟くしかなかった。
 つい先日、セーブルで起きた「偽王子騒動」については、ベルクートも良く知っていた。
 何せあの騒動が起きたときには、自分も一緒につれて行って欲しいと、そう願い出たほどなのだ。──もっとも、向こうでボズと合流する予定だから、今回はSレンジの戦士を連れていくつもりはないといわれて、渋々諦めたのだが。
 その王子の偽者と……王子の名を貶めた偽者と、リディクを間違えることなんて、ぜったいにないと思っていた。
 なのに。
「──……。」
 サイアリーズですら、あまりに似てるからビックリしたとそう言っていただけはあると、血を吐くような気持ちで思った。
 けれど、例えそう自分に言い聞かせて見るものの、湧きあがるようなどす黒い後悔は消えなくて──ガックリと、ベルクートは手すりの上に顔を伏せた。
 そのまましばらく、なんとも言えない苦い気持ちをかみ殺していると、不意に鼻先を掠めるような風のような何かを感じ取った。
 ふ、と、顔を上げたところで、
「ベルクート、リオンを見なかったか?」
 ソレを待っていたかのように、左手から声をかけられた。
「……王子殿下!?」
「リオンがマリノさんのところにクッキーのお裾分けに来たと思うんだけど……来てない?」
 必要以上に驚いて、思わず手すりに背中を押しつけたベルクートに気づかないそぶりで、リディクは彼の隣に立って首を傾げた。
 その拍子に、後れ毛がさらりとら肩口へと零れて、際立つ細い首筋に目が奪われた。
 ハッと目を見開いて、ぽかんと自分の顔を見下ろしてくるベルクートに、ますますリディクは首を傾げた。
「ベルクート?」
 問いかけるような呼びかけに、ベルクートはハッと我に返って、照れたように目元を赤く染めた。
「──……ぁ、い、……ぃえ、その──、リオン殿、ですよね?」
「うん。マリノさんにクッキーをおすそ分けしたら、叔母さんと一緒にお茶をする約束になってたんだけど……。」
 必死でなんとか我を取り戻そうと、カリ、と頬を掻いて誤魔化すような笑みを浮かべるベルクートに、リディクは少し不思議そうな顔をしたものの、彼が自分の求める答えを知っているようだと、先を促すだけにとどめた。
「リオン殿なら先ほどココにいらっしゃいましたけど、つい今しがた……。」
 言いながら、先ほどまで見上げていた方角に視線をやると、リディクも倣うように彼の隣で手すりを掴み、ヒョイ、と顔を覗かせる。
 そのままベルクートの視線を追うように、キョロリと辺りを見回そうとして──すぐに、彼が見ている先に立つ人物を認めた。
 自分と同じ姿かたちに、風にたなびく銀色の髪。
「……あれ、ロイ?」
 一目見て、「それ」がロイだと気づくことが出来るのは、今のところリディクとリオンくらいのものだろう。
 手すりから身を乗り出すようにして、ロイは一体、あそこで何をやっているのだろうと、リディクは首を傾げる。
「なんであの格好してるんだろう? 確か今日は、練習の日じゃなかったと思うんだけど……。」
「れ、練習……ですか?」
 ベルクートは、すぐ隣に立っているリディクと、遠目に見えるロイの姿を見比べて、いぶかしげに顔をしかめる。
 リディクはそれに顔をあげて頷いて、微笑を口元に上らせると、
「ロイには、これから僕の影武者をしてもらうことになっただろう?
 セーブルみたいに、僕のことを良く知らない人が居るところなら、見た目だけでいいんだろうけど、もしかしたら会合の場とかに出てもらうことにもなるかもしれないからって……。」
 そこまで言って、リディクは苦い物を噛み殺すように瞳を伏せた。
 キラキラ光る銀色の睫が薄い影を作り綺麗に輝く瞳が、少しだけ暗い色を宿す。
「殿下?」
「……ん、いや。」
 リディクはフルリとかぶりを振って、口元に微笑を上らせると、ベルクートを再び見上げて、
「最低限の礼儀作法とか、僕の仕草や口調を覚えて貰わないといけないからって、この間から練習をしてもらってるんだ。」
 だから、その練習のある日は、ルクレティア公認でリディクの格好をして、なるべくリディクそっくりに行動するようにさせている。
 ──その効果が、違う方向に出ていることは知っていたけれど、それを苦笑の中に押し込めて、リディクは薄い笑みを口元に上らせた。
「──でも、今日はその日じゃないはずなんだけど……。」
 これは、また……「遊んで」るのかな、と。
 困ったな、と──これはまた、近いうちに目安箱に覚えのない苦情がくるかもしれないかと、リディクはキュと眉間に皺を寄せた。
「それでは、ロイ殿は……。」
 ベルクートが、小さく呟いた瞬間、ロイが何かに気づいたように後方を振り返った。
「……大丈夫。リオンが行ってくれたみたいだ。」
 振り返ったと同時、ギョッとしたように身を後方へと引いたロイが、慌てて銀髪のカツラに手をかけるのと、息を切らせて出てきたリオンが、愛らしい眉を寄せて何かを叫ぶのが、同時。
 遠く離れた円堂からは、リオンが何を叫んでいるのか──そしてそんなリオンに、ロイが何を言い訳しているのかはぜんぜんわからなかったけれど、すぐにロイがあの扮装を止めるだろうことだけはわかった。
 ベルクートは、銀髪のかつらを落とし、茶髪になった少年の姿を遠目に見上げて──グ、と眉間に皺を寄せた。
 そのまま、生真面目な表情で、クルリとリディクに向けて踵を回した。
 3階のテラス部分で繰り広げられている光景に、くすくすと笑みを零していたリディクは、
「殿下。」
 厳しい色合いを含んだ声に呼ばれて、リディクは、ハッとしたように顔をあげた。
「ベルクート?」
 改まって、どうかしたのかと、首を傾げて問いかけるリディクにベルクートはガバッ、と思い切り良く体をくの字に折り曲げた。
「申しわけありません……っ、私も、彼を、ロイ殿だと見抜けませんでした──っ。」
「……──って……?」
 目の下に見えるベルクートのつむじに、リディクは目をぱちぱちと瞬かせたが、すぐに彼が言う意味を理解して、あぁ、と頷く。
「気にしないでよ、ベルクート。
 ロイのことは、叔母さんですらすぐには見抜けなかったんだから。」
「いえっ! そのようなわけには行きません。わが剣を捧げた王子殿下を見間違えるなんて──……っ!」
 はじかれるように顔をあげて、ベルクートは、柔らかな微笑を浮かべているリディクに向かって小さく叫ぶ。
「二度はないようにいたします──決して。」
 厳しい声色で、真摯な双眸で、そう告げるベルクートに、リディクは驚いたように目を見張って──それから、ふわりと解けるように笑った。
「……わかった。」
 コクリ、と頷いた後、リディクはもう一度視線を塔の3階に投げ飛ばし──リオンに腕を引っ張られていくロイを認めた。
 この分だと、リオンもそう間も無いうちに、サイアリーズの元にやってくるだろう。
 そう判断して、リディクはベルクートと別れを告げようと顔をあげて──ふと、いたずらめいた笑みを口元に浮かべた。
「そうだ、ベルクート。」
「はい。」
 ロイをリディクと見間違えたことを、ずいぶん悔しく思っているのが眼に見えてわかって──そういえば、サイアリーズもカイルも、リディクがロイと一騎打ちをしている時、どちらがどちらかわからなくて悔しい思いをしたと……そう言っていた覚えがある。
 きっと今のベルクートも、同じ気持ちなのだろう。
 ──それなら、「気にしてないよ」と言うよりも。
「一瞬見分けられないのは仕方ないけど──面と向かって話して、それでもわからなかったら……、許さないから。」
 目元を緩ませて、そう笑って見せるのが、一番、いい。
 そう──サイアリーズは、言った。
 だから同じような表情で微笑みかけて、そう言って見せれば、ベルクートはキリリと顔つきを改めて、ハッ、と、敬礼を返してくれた。
「肝に銘じます。」
「……うん。」
 必要以上に厳しい表情を見せるベルクートに、リディクは満足したような笑みを乗せて、頼むよ、と続けた。
 その柔らかで暖かな微笑みに、ベルクートは、ホ、と胸の中の何かが落ち着いたような気がして──安堵の吐息を零した。
 そうして、それじゃ、と、ヒラリと踵を返して塔の中へと歩いていくリディク王子の背を見送りながら、よし、と、ベルクートは心の中で決意を固める。

──次は絶対に、見た目であっても、見間違えたりはしない、と。






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