ベルクートさんに捧げる7つのお題
*フェイタス竜馬騎士団ネタバレ*
最近、私の胸は、少しおかしい。
突然、動悸が激しくなり、息切れまでしてくるのだ。
これは、何か危険な病気なのかもしれない。奴隷時代に、こう言った表情に倒れ、そのまま二度と目を開くことのなかった同僚たちのことを思い出し──一刻
も早く医師に見てもらう必要があると思ったため、医務室に行くことにした。
身体の具合がおかしい時に、医務室にすぐに行けるのは贅沢なことだ。
医務室のドアを開いて中に入ると、いつも訓練などで怪我をした人が数人居るそこは、シン、と静まり返っていた。
消毒薬の匂いのする医務室の白いベッドの上には、先日の──リムスレーア女王陛下の救出作戦の際、怪我を負ったリオン殿が、一人で本を読んでいた。
その本も、紋章学についての──しかもどうやら、太陽の紋章の印が入っているから、きっと黎明の紋章について、少しでも勉強をしようと頑張っているのだ
ろうと思われる。
彼女は、真剣な顔で本を読んでいたが、医務室に入ってきた私に気付いて、柔らかな微笑みを浮かべて、ぺこりと頭を下げてくれた。
「珍しいですね、ベルクートさんが医務室に来るなんて。」
お怪我でも? と、問いかけてくる良く響く優しい声に、少しだけ困った気持になった。
自分の体調が悪いことを、あまり知られたくはない。
この身体の不調が原因で、大事な時に王子殿下の力になれないのは、避けたいところだ。
そんな考えのために、一瞬、答えをためらったのに感づいたリオン殿が、白い面を曇らせて、
「──何かあったのですか?」
不安そうに、心配そうに問いかけてくる。
そんなリオン殿に、何と答えていいものか──かく言う彼女もまた、今は身動きならない状態で、きっと歯がゆい思いをしている。だから、きっと私の身に起
きている現象のことでは、親身に乗ってくれるに違いない。
そう分かっては居たが……それでも、正直に話すことはできなかった。
「いえ……、特に何かあったというわけでは──。」
ここはやはり、出なおしたほうがいいだろうかと、そう思ったときだった。
「……おや、なんだい、珍しい客人だね。」
白い立掛けの奥から、シルヴァ先生が顔を見せた。
「シルヴァ先生。」
一瞬、どうしようかと思った。
ここで話しを始めれば、リオン殿にも聞かれてしまう。
やはりここは、またあとから──そう、リオン殿が眠っているだろう時間帯に、再来したほうがいいかもしれない。
迷ったのは、ほんの数瞬。
すぐに私は、苦笑じみた笑みを浮かべて、シルヴァ先生に、「用事を忘れたから、また出直してきます」と、そう嘘をつこうとしたところで。
ジロリ、と、彼女の無遠慮な視線に、上から下まで見つめられた。
「──そこに座って、話を聞こうか。」
白衣の中に突っ込んだ手をそのままに、シルヴァ先生は、出入り口近くにあるイスを指し示す。
「あ……っ、いや、その──別に何か用があってきたわけじゃ……っ。」
慌てて顔の前で両手を振って──そのついでにチラリとリオン殿を見たのを見咎めて、シルヴァ先生はフンと短く鼻を鳴らす。
「バカを言ってるんじゃないよ。わざわざ医務室まで来て、用がないってことはないだろう? ──あぁ、リオンのことなら気にすることはない。あの子は口が
固いからね……そうでもなきゃ、女王騎士見習いの、王子の随従なんてやってないだろ?」
口を挟む暇を与えることなく、スラスラと続けて言って、シルヴァ先生は、傍の診察机の上から紙とペンを取り上げたかと思うと、そのままの動作で、ん、と
イスを顎でしゃくった。
「いや……、し、しかし──……。」
それでも、ためらい続ける私に何を思ったのか、シルヴァ先生は溜息を大仰なほど深く付くと、
「何か体調が悪い兆しがあるなら、隠そうとせず、さっさと言って楽になりなよ? あんた、王子と一緒に出かけることもあるんだろう? 主力パーティのくせ
に、いざという時に動けなくなって、いいわけないだろう?」
そう──グサリ、と、胸を射抜くようなことを言いながら、老いてますます耀いているのではないかと思うほどの鋭い眼光で、ジロリと見上げてきた。
その言葉は……確かに、その通り、だ。
自分もそう思ったからこそ、こうして医務室に来たのだから。
「う……。」
思わずうめいて──そのまま、ふらつくようにイスの上に座れば、シルヴァ先生は、よしよし、と言うように頷いた。
そして、手近にあったイスを自分の元に引き寄せると、シルヴァ先生は、私の顔を覗き込んで、
「で、見たところ健康そうだけど──何があったんだい?」
そう、問いかけてきた。
思わず溜息が零れそうになったが、それをグと堪えて、私はここ最近、とみに回数が増えてきた現象について話すことにした。
すなわち──、
「突然、胸が苦しくなったり、痛んだりするんです。──それも、頻繁に。」
「……熱は?」
「今はないのですが、突然、あがることもあります。」
「突然? 熱があがる?」
ヒョイ、と、眉を跳ね上げて、シルヴァ先生は唇を引き締めた。
その真摯な顔に、思わずこちらの顔も引き締まる。
──自分でも、おかしな症状だとわかっている。
けれど、こんな状態が──突然胸が苦しくなったり、息切れしてきたり、時には眩暈すら覚えるのだ。それも、自分でも分からないくらいに不定期にこれが起
きるありさまときている。
せめて、クスリか何かで押さえられればいいのだが──このままでは、殿下に随行を許された時に、足手まといになってしまうのは目に見えて分かっている。
それだけは、何とかして防がねばならない。
「原因がわかるか、特効薬でもあれば、ぜひそれをお願いしたいのです、先生。このままでは、私は……。」
うなだれ、グ、と拳を握り締める私に、シルヴァ先生は難しい表情を崩さない。
「ふむ──ほかにどこか痛む所とかはないのかい?」
「特には。」
他の症状、と考えて見るものの、その症状に出会ったときは、どうしてか思考もはっきりとしなくて、ただクラクラするばかりなのだ。
時には指先さえも震え始める。──もしかしたら、私は、もう戦士としての寿命を終えてしまっているのだろうかと、そう思うと、ズキリと胸が痛んだ。
けど、この痛みさえも、あの「発作」の時と同じような痛みを含んでいて、この痛みが発作から来ているのか、そうじゃないのかすら分からない。
フルフルと力なくかぶりを振る私に、シルヴァ先生はますます難しい顔になる。
「あの……先生。どんな検査でも受けます。ですから──どうか、原因を見付けてくれませんか!?」
いつまでもこんな状況のままで居るわけには行かない。
一人で気ままに旅を続けていたときならとにかく、今は──少しでも多くの力が、王子には必要な時期なのだ。
そのときに──恐れ多くも主力メンバーの一人に数えられている私までもが抜けてしまうのだけは、避けたいのだ。
そう必死に頼む私に、離れたベッドの上で、話を聞いていないフリをしてくれていたリオン殿が、ピクン、と反応して顔を上げた。
今この城の中で、私の気持ちが良くわかるのは、他ならない彼女だからだろう。
リオン殿は、目を大きく見開いて──それから、本を横に放り出すようにして身をこちらへと乗り出した。
「ベルクートさん、そのお気持ち、すごく良くわかります!
先生、どうか私からもお願いします、ベルクートさんのお身体の原因を、ぜひ見付けてあげてください!」
必死に言ってくれるリオン殿の言葉を受けるように、私も頭を膝に張りつけるようにして、シルヴァ先生にお願いした。
「お願いします!」
そんな私の動作を倣うように、リオンも、同じようにベッドの上に正座して頭を下げようとして……、
「……いたっ。」
小さく悲鳴をあげて、胸元に手を当てる。
慌てて顔をあげた私の前で、シルヴァ先生は呆れたように肩越しにリオン殿を見ながら、安静にしておいで、と一言声をかけていた。
リオン殿は、肩を竦めるようにして、「はい」と短く答える。
きっと彼女も、王子の傍で戦えないことを、とても歯がゆく思っているに違いない。
その気持は、痛いほど良くわかった。
やはり、王子の力になるためには──、この病をなんとかしなくてはいけない。
そう、決意を固めた私の前で、シルヴァ先生は、重い溜息を一つこぼす。
「そんなに言わなくても、あたしだって、そのつもりではいたさ。
──流行病だと、困るからね……。」
特にこういうところでは。
そう眉を潜めて呟く彼女の言葉の怖さは、私も良く知っている。
……闘技奴隷だったころ、私たちの一番の敵は、まさにソレだったからだ。
闘う場で死ぬのなら、それはまだ最後の最後まで、家族のために金を送ってやれるのだからいい。
けれど──流行病で倒れるのなら。
それはすなわち、もうそれ以上闘えない事実を示し……そのまま、捨て置かれることも珍しくはないのだ。
人間以下の扱いを受け、それでも必死に体調を崩さないように──もしくは崩しても、決してそれを気付かれないよう、勝ちつづけなくてはいけない。
あそこは、イロイロなイミで地獄だった。
そのことを思い出して、少しうつむいた私の上で、シルヴァ先生はポケットの中に手を突っ込んだまま、やれやれとつぶやく。
「それじゃ、ベルクート。ちょっとあんたの症状を、もう少し詳しく聞かせてもらおうかね? だいたいの見当をつけないと、検査しようにもどこをどう検査し
たらいいか分からないからね。」
「は、はい!」
とっさに顔をあげて返事をすれば、リオン殿が明るく笑うのが見えた。
良かったですね、と、全身で表現してくれる彼女に、笑いながら頷いたあと、シルヴァ先生を見た。
「まず、その症状が出る前後の状況を……そうだね、ここ2、3日分のだけでいいから、聞かせてもらおうか。」
ペンでコリコリと頬を掻いたあと、そう問いかけてくる彼女に、私は二度三度と頷いて、それから、ここ2、3日のことを思い出した。
動悸を覚える時のことは、とても良く覚えている。
だって、そう──動悸息切れ酸欠状態になるのは、いつだって、同じような状況なのだから。
一番最近の「動悸息切れ」現象は、つい今朝のことだった。
いつものように、円堂の屋上で、ベルクートはセラス湖を見つめていた。
吹き込む風は少しだけ熱気を吹くんで柔らかく、サラリと彼の髪を撫でて行く。
耳を澄まさずとも、活気あふれる城の至るところから聞こえてくる声が、巨大な湖の湖面を薙ぐ波音のように強く弱く聞こえていた。
「ベルクート! 今日の鍛錬はいつからするのだ?」
「…………ハヅキさん……。」
波の音やざわめきに耳を傾け、しばしの平穏を感じ取っていたベルクートに平穏があったのは、本当に少しの間だけだったらしい。
振り返れば、そこには和風の美少女が仁王立ちして、キッ、とベルクートを睨み上げていた。
「鍛錬」と口にするものの、ハヅキが何を狙っているのかは一目瞭然だ。
その事実に、ベルクートは溜息を覚えずにはいられない。
「鍛錬、ですか。」
「うむ。」
こっくり、と頷く彼女に、ベルクートは少し考えるように視線を横手に投げやる。
ちょうど円堂からは横手に当たる場所に、竜馬たちが住む庭園があり、その入り口付近でダインがリューグ達と話をしているのが見えた。
「今日は早朝からダインと一通り済ませましたから、午後からは走り込みや腕立て伏せくらいでしょうか。」
──心の中でコッソリと、こんなこともあろうかと思って、早朝から軽く剣を流しておいて良かったと、微笑みを深めて見せた。
途端、ハヅキは軽く目を見開いて、少しムッとしたように眉を寄せる。
「早朝から? もう済ませてしまったと?」
「はい。今日は殿下が外に出るかもしれないと言っていたので、私もダインも、いつお声がかかってもいいようにと。」
「…………なるほど、リディク様に置いて行かれぬよう、必死だと言うことか。」
「…………ハヅキさん?」
何か少し、不穏な響きを宿していた言葉を吐かれたような気がして、首をかしげるようにして彼女を覗きこもうとした──その瞬間。
バンッ!!
「ベルクートさん! お茶を入れたので、ご一緒にどうですかっ!!?」
円堂の屋上いっぱいに響き渡るかと思う音を立て、それ以上の大音響で叫んで、マリノがにこやかに宿から飛び出てきた。
ベルクートとハヅキが二人揃って振り返れば、マリノは顔に浮かべた微笑みを軽く引きつらせ──それでも、にぃっこりと微笑みを深くさせて、
「良かったら、ハヅキさんもご一緒にどうですか? お茶請けも用意したんですよ?」
フフフフフフ……と、ちょっぴり黒い色が見え隠れする笑顔で、さぁ、と宿の中を指し示して見せる。
そんなマリノに、ハヅキは軽く眉を寄せたあと、チラリとベルクートを見上げ、はぁ、と軽く溜息を零す。
「リディク様の傍に上がるために努力をしているというなら、仕方ない。今日は諦めるか。」
「……は、はぁ、そう言っていただけると──。」
一体、ハヅキが何を言っているのか分からず……いや、正直にその言葉を額面通りに受けとって、ベルクートはコクリと頷いたあと、こちらを急かすマリノに
頷いて歩きだす。
そんな彼の後について歩き出しながら、ハヅキはポツリと、
「今日は選ばれなくて残念だったな、ベルクート。」
ぽん、と──一応、本人なりに慰めらしい言葉をかけて、背中を叩いてくれた。
ますますベルクートは、その行動の意味がわからなくて、はぁ、と零すしかなかった。
首をひねりながら宿の方に歩いて行くと、マリノが満面の笑顔で、
「さぁさぁ、ベルクートさん! ──とハヅキさんも、どうぞどうぞ。」
ドアを全開にして、どうぞ、と二人を中に導きながら顔をあげたところで、あれ、と、目を瞬いた。
かと思うと、塔の入り口の方に身体ごと向けると、
「王子ーっ! リディク様ーっ!!!」
先ほど以上の大きな声で、ブンブンッ、と手を振った。
とたん、宿に入ろうとしていたベルクートの動きが、びたり、と、止まる。
ハヅキはそれをすぐ背後から見上げて、彼の変わりにマリノが見ている方角を見やった。
「……あぁ、本当だ、リディク様がいる。」
低く呟いてやれば、ますますベルクートの動きがぎこちなく震えた。
それを愉悦の笑みを浮かべて見上げて、ハヅキもマリノが見ている方向へと身体を向ける。
円堂の柱の間から見えた塔の1階の入り口に姿を見せた銀髪の少年は、すぐにこちらに気付いて、ニコリと笑ったようだった。
ひらひら、と手を振ってくるのに、ハヅキは軽く頭を下げて一礼し、マリノはますます嬉しそうに顔をほころばせると、
「王子も一緒に、オヤツにしませんかぁっ!? 今日は、レツオウさんから、アップルパイを分けていただいたんですよ!」
ブンブンブン、と更に大きく手を振って、来て下さい、と誘う。
そんなマリノの声に反応して、ベルクートの身体がますます強張って行くのに、ハヅキは楽しげに目元を緩める。
リディクはと言うと、マリノの誘いにニッコリと目元を緩めると、背後に居たらしいミアキスを振り返る。
ミアキスはと言うと、聞かれるまでもなく、甘い物は大好きだとばかりに、コクコクと上下に頭を動かせて、
「はぁーい! マリノさぁーん、今からぁ、私と王子と、ベルちゃんと一緒にぃ、行きますぅ〜!!!」
「……ベルちゃん?」
元気に飛び跳ねるようにして叫んでくれるミアキスの言葉に、マリノとハヅキは揃って首を傾げて、自分達の背後に立っているベルクートを見上げる。
ベルクートはそこでようやく、二人の視線に反応するように顔をあげて、自分を見つめている二人に首をかしげる。
「ベルちゃん??」
ベルクートから視線を外して、塔に目を当てれば、ミアキスがリディクの背中をポンと叩いて、踵を返すところだった。
「誘ってきますからぁ、王子は先に、行ってて下さいねぇ〜!」
そのまま、ルンルンと足取りも軽く塔の中へと入っていくミアキスに、コクリと頷いたリディクが、すぐに傍の階段を上り始める。
それを見ながら、マリノはますます不思議そうに首をかしげる。
「ベルちゃんって……ベルクートさんのことじゃ、ないですよねぇ?」
「他にベルと言えば……あぁ、ベルナデット殿か。」
そう言えば、ミアキス殿とベルナデット殿は、気があうのか味覚があうのか、良く一緒に居たな。
そう零すハヅキに、マリノは反対側に首を傾げて、そうなんですか、と納得したように頷いた。
「あー、ビックリした。ベルクートさんったら、何時のまにミアキスさんとそんな仲になったのかと……。」
最後のほうは、照れたように口の中だけでモゴモゴと消え入るような言葉であったため、ベルクートには聞こえていないようだった。
──いやソレ以前に、ちょうど渡り橋を歩いてきたリディクを見ていて、マリノとハヅキの会話すら耳に入っていないようだった。
「お誘いありがとう、マリノさん、ハヅキさん。」
渡り橋を渡り終えたところで、姿を見せたリディクが、にっこりと柔らかに微笑む。
初めて出会った時のような繊細な美貌が、ホロリと花が綻ぶように優しい色に変わる。
リオンが倒れてすぐの辺りは、毎日張り詰めているような雰囲気に満ちていたけれど、今はずいぶんと落ちついていて、以前のような優しい表嬢を浮かべるこ
とも多くなった。
頻繁に会っているわけではなかったけれど、遠目に見ても分かるほどにリディクが張り詰めているのを見ていたマリノは、向けられた彼の微笑みに、安堵した
ように吐息を零して、ニッコリと笑い返した。
「いいえ、人数は多いほうが楽しいですから! ね、ベルクートさん!?」
笑顔のまま、マリノはベルクートを振り返ってみれば、
「え、ベルクート?」
キョトン、と目を見開いたリディクが、そのときになってようやく気付いたように、宿の入り口に立ち尽くしたままの男に気付いた。
ベルクートは、そんなリディクに向って、ペコリと頭を下げる。
「ベルクートは、甘い物も平気なの?」
リディクは、微笑みを口元に浮かべながら問い掛けてくる。
その言葉に、ベルクートは少しだけぎこちなく見える頷きを返して、
「大好物と言うわけではありませんが、好き嫌いはありません。」
「そうなんだ? それは良かった。」
「良かった? とは?」
どういうイミかと、すぐ傍までやってきたリディクを見下ろしながら問いかければ、リディクは苦笑じみた笑みを浮かべながら、
「ミアキスがベルナデットさんも連れてくるって言ってただろう?」
「あ……やっぱり、ベルちゃんって、ベルナデットさんだったんだ。」
リディクの言葉に、マリノが小さく呟いて、ハヅキが同意をするように頷いた。
「二人とも甘い物には目がないから、きっと、レツオオウさんに頼んで、色々新商品とか貰ってくると思うよ。」
「えっ、そうなんですかっ!?」
思わず、といった感じで両手をパチンと叩き合わせて、笑顔を浮かべるマリノを振り返って、リディクはコクンと頷いた。
「うん、増えるのは確実だ。」
「わ〜、何を持ってきてくれるんだろう、楽しみです〜!」
そんなリディクの言葉に、大喜びしたのは勿論マリノだ。
彼女は、お皿も用意しないと、と呟きながら、人数が更に増えることを思い出して、あ、と短い叫びをあげた。
「そうだ! お湯をたくさん沸かさないとっ!
すみません、王子様! 先に用意してますから!」
そして、お茶、イス、お皿! と、呟きながら、騒がしく宿の中に飛び込んでいった。
ハヅキはそれを見送りながら、無言でベルクートとリディクに視線をやる。
「殿下は、甘い物がお好きなのですか?」
「うん、大好きって言うわけじゃないけど、ソルファレナに居た時には、リムや……叔母さんと一緒に、ケーキとか食べてたからね。」
一瞬──その人の名前を口にするときだけ、ためらいが見えた。
そんなリディクの微笑みが、微かに曇ったのを見て取り、
「あ……いや、その──す、すみません……。」
こう言うとき、気の利いた台詞の一つも飛び出てこない自分が、悔しくて、視線を伏せる。
「謝ることじゃないよ、ベルクート。
僕はただ、甘い物が大好きじゃないって言っただけで、嫌いとは言ってないから。」
リディクは、そんなベルクートに向って、分かっていて少しだけ矛先を反らした言葉を口にして、笑った。
笑いながら、首を傾けて彼を見上げると、
「そう……うん、ベルクートと一緒だね?」
人々泣かせなキラキラしい光たっぷりの笑顔を向けて、ね? と、同意を求めるように言った。
「──……と、言うわけなのです。」
沈痛な面差しでそう話しを締めくくったベルクートは、グ、と眉を寄せて──決死の覚悟でシルヴァを見上げた。
そのベルクートの視線の先で、シルヴァは白紙のカルテに向かい合った体勢のまま、固まっていた。
「────…………で?」
「はい。」
「……何が、と、言うわけなんだい?」
ベルクートの話を聞きはじめた当初、良く動いていたペン先は、なぜか途中からピタリと動くこともなく──結局そのまま、最後の最後までペンは動かなかっ
た。
カルテには一言、「早朝に鍛錬(ダインと)、円堂の屋上(今朝の天気は晴天)」とのみ書かれている。
「いえ、ですから、今の話で以上なのですが──。」
生真面目な顔で答えるベルクートに、シルヴァはますます顔を顰める。
そんなシルヴァの表情に、やはり何か重要な疾患が!? と勘違いしたベルクートが、
「先生、どんなことでも、遠慮せずに口になさってください。」
決意を込めた表情でそう言ってくれるものの、
「──いや、遠慮もせずにというか……、まぁ、あえて言わせてもらうとだね?」
「はい!」
固唾を飲んで見守るベルクートに、シルヴァは溜息を一つ。
「一体、今の話のどこに、動悸息切れがあったと?」
問題は、ソコだ。
「え! ありましたよ!」
ベルクートは、さも当然のように言ってくれるが、一緒になってベッドの上で聞いていたリオンも、首をかしげるほど、話の中に「動悸息切れ身体の不調」と
通じるような展開は無かった。
「あるもなにも、──早い話が、いつもの場所に居たら、ハヅキに話しかけられて、マリノにお茶に誘われて、それに王子殿下とミアキス殿とベルデナット殿が
参加することになった、……というだけだろう?
……あぁ、もしかして、その動悸とかは、そのお茶の最中に起きたのかい? それなら、食べたものと飲んだものを教えてもらおうかね。」
もしかしたら、食べ物アレルギーかもしれない、と続けるシルヴァに、ベルクートは難しい表情で、いや、と首をかしげる。
「確かに、お茶をしている最中にも動悸はしましたが──あ、電流が走ったみたいな衝撃もありました。」
「電流? お茶でかい!?」
一体、どういうお茶だ、とぼやくシルヴァに、ベルクートは重々しく頷く。
「ですが、動悸息切れは、紛れも無く、お茶をする前から感じていました。」
「…………。」
シルヴァは、コリコリとペン先で頬を掻きながら、今聞いたばかりの話を思い返しながら──、もしかして、と、30も間近な男の顔を、マジマジと凝視し
た。
まさか、とは思う。だって、10代前半の──そう、それこそニックやヨランならとにかく……自覚がないなんて言うことは、ありえないだろう、と。
けれど、ベルクートが自他ともに認める剣一筋の男で、さらに言うならマリノからアレほどあからさまな恋心を向けられていて、気付いてすらいないありさま
だ。
万が一、と言うこともある。
「それじゃ、幾つか聞かせてもらうけどね……ベルクート。」
「はい。」
「あんたがその動悸を感じ始めたのは、ハヅキに声をかけられてからかい?」
「……いえ、違います。」
まずは最初に問いかけた言葉から、シルヴァは口元の先を歪めて笑んで、なるほど、ともっともらしく頷く。
──マリノの一番の恋仇である女性は、とりあえず「対象」ではないらしい。
なら、と、シルヴァは少しだけ身体を前のめりにさせて、
「マリノが宿から出てきて、あんたを誘ったときはどうだい?」
これで、ベルクートが「そうだ」と言えば後は簡単だ。
初々しいカップルの出来あがり──という寸法なのだが、
「いえ、それも違います。」
返ってきた返答は、酷く早かった。
生真面目にかぶりを振るベルクートの表情にも目の耀きにも、「そういう」色は見えない。
普通、好きな相手を思うときは、もう少し目なり口なりに表情が出るものだろうに、とシルヴァは顎に手を当てて、ふむ、と首を傾ける。
「それじゃ、今のどういうタイミングで、一番始めに動悸を感じたんだい?」
「それは──、マリノさんが。」
そこで一瞬視線を落として、ベルクートが微かなはにかみを見せる。
それを認めて、なんだ、やっぱりマリノじゃないかと、シルヴァが苦笑を浮かべようとしたそのタイミングで。
「塔に向って、殿下の名前を叫んだ辺りが最初だったかと……。」
「……………………殿下の?」
「はい、その後はもう、ずっと心拍数があがりつづけて……、何が原因なのかは、まるで分からないのですが……、ようやく心拍数が収まった頃にはもう、お茶
会も終わっていて、解散した後だったんです。」
そう言えば、殿下に「甘い物が好きなのは一緒」だと言うようなことを言われたときには、少し熱があがったような気がしたけれど、あれは、男が甘い物を好
きだと言われて、少し恥ずかしかったせいかもしれないと、苦い笑みを浮かべながら告げるベルクートの言葉に。
シルヴァは、虚ろな笑みを口元に張りつけて、白紙に近いカルテを見下ろした。
「……──そぉかい、殿下のねぇ……。」
さまざまな戦場を駆け抜けた医師であるシルヴァは、「そういうこと」に関して、町医者よりもずっと理解力があった。
勘が鋭いのも、医者としては必要なスキルだ。
「本当に、一体、何が原因なのか……。」
まさか、人が大声を出すのにビクビクして心拍数が上がっているなんて──そのようなことはないだろうと思うのだが。
そう言って、顔を曇らせるベルクートに、シルヴァは浅い渇いた笑いをあげかけた。
──何が原因かもなにも、分かり切ってるじゃないか、どう考えても。
しかし、分かっているからといって、軽軽しく口にしていい「病名」と言うわけでもない。
「んー……それはだね……。」
さて、何と言っていいものかと、首を傾けるシルヴァに、ベルクートが、ハッとしたように顔を跳ね上げる。
「原因が……分かるのですか、先生!?」
「…………とりあえず、確かめさせてもらいたいんだけどね、ベルクート?
あんたが心当たりがある動悸息切れの最中は──いつも殿下が一緒に居なかったかい?」
これで本当に、そのものズバリだったら、なんて言って説明しようかねー、と、ちょっと投げやりになりながら問いかけたシルヴァの言葉に、ベルクートは
ハッとしたように目を見開く。
「そ──そうです! 言われて見れば、いつも殿下が一緒に……──。
……ま、まさか私は、殿下に……。」
……お、説明しなくても、分かってくれるみたいだと、シルヴァが片眉をあげたところで、
「殿下に、この妙な奇病を移してしまっていないだろうかっ!!!?」
「………………。」
本気で言ってるのだろうかと、疑問を覚えないでもなかったが、ベルクートの目は真剣だ。
一体、どうしたら──……と、悩みはじめたりするのを見ながら、シルヴァは溜息を零す。
「その病気は移らないから安心してもいい。
それよりも、その……あー……殿下に対してのみ反応するソレはね、なんていうか──。」
今にもイスから立ちあがってしまいそうなベルクートを宥めて、──宥めながら、なんて説明していいものかと、うんざりした気持ちで思った。
……まさにその瞬間。
「あっ! わ、わかりました、ベルクートさんっ!!」
突然、リオンが声も高らかに叫んだ。
彼女は、なぜかパッと表情を明るくさせて、ベルクートに向ってそれはそれは楽しそうな笑顔を見せると、グ、と胸の前で拳を握り、
「その症状には、覚えがあります。城に居た時にも、何人かの人が、王子を前にするとそのような症状になると、言っているのを聞いたことがあります。」
キラキラと目を輝かせて言ってくれる内容に、シルヴァがマズイといった表情になり──王子は凛々しくもあるが、例えようもないほどに女顔だ。何せ、アル
シュタート陛下に、本当にソックリだから。
しかもその上、雲の上の人のように感じるアルシュタート達とは違い、王子は小さい頃からサイアリーズに連れられて、城下にもちょくちょく顔を出していた
せいか、とても気安い性格だ。にも関わらず、気品はしっかりと兼ね添えている。
そんな王子に、「そういうイミ」で、懸想する者がいてもおかしくはない。
ベルクートは闘技奴隷出身だと言うから、そういう恋愛を知らないわけではないだろうが──……自分が「そう」だと知るのは、やはり少し、酷じゃないだろ
うかと、眼差しを煙らせるシルヴァに気づかず、ベルクートはリオンの言葉に耀きを見出したようだった。
「本当ですか、リオン殿!? それではコレは……っ。」
「はい、病気なんかじゃありませんよ、ベルクートさん。
それは、王子を前にして、緊張してしまうだけなんです。」
リオンは、胸を張って堂々と、そう答えた。
──が、
「…………………………ん?」
確かに、「緊張」は緊張だろうが、少し意味合いが違うような──あっているような?
「私にも覚えがあります。フェリド様や陛下のもとに参じた時は、いつも緊張して、胸がドキドキして──お優しい言葉をかけていただくと、熱があがったみた
いになって、指先が震えることがあるんです。」
「あぁ! それです、同じです、リオン殿!!」
「そうですよね? きっと、お話を伺って、そうじゃないかと思ったんです……っ。」
キラキラキラ、と、問題を解決したように──そして、互いに同志を見付けたように、ベルクートとリオンは、お互いに笑みを交わせあった。
「最近の王子は、本当に私ですら眩暈がするほど凛々しくなられて──王族としてのご自覚は前からおありでしたが、本当になんていうか……。」
「光り輝いていらっしゃる。」
「そう! そうなんです! きっと、陛下とフェリド様のように、人々が心酔するような耀きが、出てきたということだと思うんです!」
「そうですか──、それでは私もきっと、王子殿下の素晴らしいオーラに触れて、緊張しているのかもしれませんね。」
「きっとそうです。私も、前と違い1日一緒に居ることがなくなってからというもの、王子に会うと、ちょっとドキドキするんです。……少し見ないうちに、立
派になったような気がして……。」
「あぁ、それは良くわかります、リオン殿。」
シルヴァは、自分の目の前とベッドの上とで交わされる会話に、どっぷりと溜息を付かずにはいられなかった。
彼等二人はまるで気付いていないようだが──、シルヴァの存在すらも、もうすでに忘れ去っていることだろう。
嬉々として、最近の王子のステキぶりを話し合うその姿は、なんていうか……。
「城の中のミーハーな女官の会話かい、まったく。」
──いや、ミーハーな女官のほうが、ずっと上手だ。
「天然記念物モノだね……まったく。」
あきれたように溜息を零す以外、シルヴァにできることはなかった。