山の早朝の空気は、ひんやりと肌に冷たい。
これが夏ならそれは心地よいと感じるのだろうが、今は春──気温の低い山の上では、とてもではないが上着なしではいられなかった。
霧が立ち込める、うっすらと白い早朝の空気を胸に吸い込みながら、2人は肩を並べてキャンプ地の上に続く道を歩いていた。
まだ冬の名残を残す天山峠の頂上付近は、むき出しの岩肌に白い色が積もり、踏みしめる足元で、ジャリ、と柔らかなものを踏む音が聞こえた。
はぁ、と吐き出した息は白く、2人の頬を撫でて空気の中に溶けていく。
「……はぁ──。」
口を大きく開くようにして息を吐けば、吐き出した息は白く、2人の頬を撫でて空気の中に溶けていく。
その白い息と、白い世界に染まる雪を見渡しながら、とび色の髪の少年は、見慣れた青と白の兵士服の中で体を竦ませて、ブルリと体を震わせた。
「ねー、ジョウイ? 本当に、桜なんて咲いてるのかな?」
クイ、と隣を歩く少年の服の裾をつまめば、ひやりと冷たい。
霧でスッカリ冷え込んでいるようだと、眉間に皺を寄せて拗ねたように呟いて、霧の中に消えてしまいそうに白い肌を持つ親友を見上げる。
そんな風に、拗ねた色あいを宿す言葉をかけられて、ジョウイは苦い色を唇に刻み込んだ。
「それは僕にも分からないよ。だってバクが見たって言ってるだけなんだし。」
言いながら、自分たちとは違うテントで寝起きしている「同僚」の顔を思い出す。
一年前に、このユニコーン少年隊に志願したときに、一緒にココへ配属された少年達の一人で、食い意地ばかりが張っている。そのため、配給の夕食では足らなくて、良く夜中にキャンプ地をコッソリ抜け出しては、草木の少ない天山の峠の森の中で「夜食」を済ませてくるのが日課だった。
実がならない今の時期は、秋にたっぷり「貯納」しておいたヒミツの場所に、取りに行って食べているのだとか、自慢げに言っていたのを覚えている。
夜になるとテントの中で毛布に包っていても寒くてしょうがないこの時期になると──ちなみにリオは、寒いからと言って、しょっちゅうジョウイのベッドに潜り込んでくる──、夜通しの見張り当番もいやでいやでしょうがないというのに、おなかが空いたからとキャンプ地を抜け出る根性は、恐れ入るものである。
そのバクがある日、「夜食」から帰って来るなり、自慢げに言ったのだ。
──このキャンプ地の向こうでは、桜が満開に咲いてて、とても綺麗だった、と。
「バクに桜が咲いてたって証拠を持って来いって言っても、持ってきてくれなかったじゃん。」
興奮した面持ちで──そして得意げにそう言ったバクに、話を聞いた同僚たちはみな口を揃えてそう言った。
桜が満開だったというなら、枝の一本でも持ち帰って来いと。
けれどバクは、とてもじゃないが取れやしないと、そう言って、桜が咲いていた証拠を持ってくることはなかった。
そもそもが、まだ雪も溶けていない山で、どうして桜が咲くと言うのだろう?
「絶対、夢でも見てたか、何かを見間違えたんじゃないかって、皆言ってるよね。」
けれど、本当に桜が咲いているなら、見てみたい。
そう思って、こっそりリオはジョウイと一緒に、キャンプ地を抜け出して、天山の峠へと上っているのだ──朝も早くから。
この上の──ジョウストン都市同盟まで続く滝近くの崖の上から見下ろせば、桜色の塊が遠目に認めることが出来るはずだ。
「──でも、桜が咲いていてもおかしくはない時期だよね。
……もう、4月なんだから。」
かすかにジョウイの言葉に寂しそうな色を宿るのを見て、リオは一瞬言葉を止めたが、すぐになんでもないことのように、そんなになるんだ、と呟いて頭の後ろで手を組んだ。
見上げた空は、薄い霧にかかっているばかりで、もう朝日が昇っているとは思えなかった。
霧が多いのは、すぐ近くに川が流れているからだ──それも、この天山の峠の頂上付近から叩きつけるような滝壷から続く、川が。
並んで歩くと、遠くからかすかに、ドドドドド……という音が聞こえた。激しく落ちる滝の音だ。
何度かあの近くまでジョウイや同僚と一緒に行ったことがあるけれど、川が落ちる音が激しくて、はるか下方で滝つぼが深い色を宿し、白いしぶきをたくさん散らせていた。
その滝つぼを挟んだ向こうには、ジョウストン都市同盟に続く森が広がっていて──、思い出しながら、
「……あぁ、もしかしたら、ジョウストンの桜なのかも……。」
ふと今更ながら、その事実に思い当たった。
ポツリと呟いたリオの言葉に、え? とジョウイが振り返る。
霧でしっとりと濡れた前髪を撫で付けながら、不思議そうに首をかしげるジョウイに、うん、とリオは一つ頷いて、身軽な動作で前に足を踏み出す。
シャクリ、とブーツの底で雪が崩れる音を立てた。
「天山の峠の川を挟んだ向こう側は、ジョウストンの領地だろ?
で、ソッチはきっと、山の下だから春だと思うんだ。」
山の上はまだ冬将軍がのさばってるけど、山の下は春。
──ジョウイがさっき、『もう4月なんだから桜が咲いていてもおかしくはない』と言ったように、きっと今頃、山の下の大地では、桜は咲き誇っているに違いないのだ。
そう、去年の今頃は、ジョウイとリオも桜の木の下で花見をしていた。
ただ今年は、このユニコーン少年隊に志願してしまったから、地上よりもずっと遅い春を、今か今かと寒さに震えながら待ち続けるしかないのだけど。
「──……そう、だね……山の下は、きっと桜で満開だね。」
はんなりと、どこか儚げに笑うジョウイが、何を思い返しているのか、分からないわけじゃない。
──去年の今ごろ、僕達は、生まれ故郷であるキャロで……あの裏庭で、満開になった桜の木の下で花見をしていた。
風に揺れる桜の花びらを見上げながら、伸ばした膝の上ではムクムクが春の日差しにのんびりと体を伸ばしていて、ナナミが桜のにおいを吹き飛ばすような真っ赤な皿の上の「何か」を、じゃじゃーん! と嬉しそうに差し出してきて──思わず、ウッ、と二人と一匹で顔を見合わせたり。
秘密だよと、リオがこっそり出してきた酒を見て、酒癖の悪いリオに飲ませまいと、慌ててジョウイとナナミが必死で止めたり。
その桜の木の下で、木の幹に背を預けながら、いつか適ったらいい優しい夢を語り合った。
春の、優しい夢のような出来事。
──毎年、当然のように訪れるに違いないと思っていたその優しい夢は、結局、今年は訪れなかった。
それどころか、ナナミは一人で桜の木の下でムクムクを抱きかかえながら、桜を見上げているだろうし。
自分たちは、桜どころか雪の中だ。
寂しげに瞳を細めて、霧に包まれた道先を見つめるジョウイに、リオは、うん、と明るく笑った。
「だから、ジョウイ!」
リン、と響くリオの声に、ハッ、とジョウイが顔を上げると、少年は片手をジョウイ向けて差し出して、早く行こう、と促す。
「滝の上に出たら、きっと桜が見えるよ!」
「──リオ……。」
「毎年恒例の花見だもんね。コレを逃したら、来年まで待たなきゃダメなんだから。
ほらほら、ラウル隊長に見つからないうちに、帰らないとダメなんだよ、ジョウイ。急いで、急いで!」
桜を見なくちゃ、春が来た気がしないんだ。
どこまで本気か分からない口調で、そうきっぱり告げるリオに、ジョウイは軽く目を見張り──それから、ふわりと笑みを唇に上らせた。
そのまま、手を口元に持ってきて、クツクツと込み出る笑みを漏らしながら、
「そう、だね──。ラウル隊長に見つかったら、またこの間みたいに、徹夜で見張りニ連続だ!」
差し出されたリオの手を握って、先に立って走り出すリオに二歩で追いついて、揃って霧に包まれた道を駆け上がっていく。
耳に近づく滝の音が、ひどく近くに感じる。
寒さに濡れた肌が、かすかな熱を持っていく。
「げ〜……二日連続はイヤだな〜。
それで普通に昼間の演習も受けなくちゃいけないんでしょ?
絶対、僕、寝る。」
眉を寄せながら、きっぱり言い切るリオに、ジョウイは苦い笑みを刻み込む。
──そうだ、リオは前回も、前々回の「罰」の時も、二日目の徹夜の最中、コトリとジョウイに肩を預けて寝てしまったのだ。
同じ毛布に包まったリオの温もりは暖かくて、ジョウイもそれにつられて眠りそうになるのを堪えるのは、正直な話、非常に辛かった。
「だから、ラウル隊長に見つからないように、さっさと行って、さっさと帰ってこようよ。」
ほら、とグイと握った腕を引っ張ると、リオも神妙な顔でコクリと頷いて同意を示す。
そしてそのまま、二人揃って息がはずむほどに力強く地面を蹴って──天山の峠の上へと、駆け上がった。
ゴォォォォ…………。
波しぶきが立っている。
間近で滝が唸りをあげて、白い煙めいた霧が立ち込めていた。
激しい音を立てている滝の姿が見えないほどの濃い霧の中、一寸先の地面が霧を乱反射している光に照らし出されている。
足跡一つついていない白い雪の中に揃って足を踏み入れると、しゃくり、と立った音が滝の音に掻き消えた。
「ぅわ〜……ぜんぜん、見えない。」
霧の中、足をそろそろと踏み出しながら──リオが、滝のある方向を向いて額に手を当てた。
「リオ、気をつけてね。滝に落ちたら大変だよ。」
「分かってる〜。」
言いながら、そろそろと足を前に進めながら、向こう側の川が見えないかと、リオは身を乗り出す。
深い霧の向こうで、うっすらと緑の群れが見えたような気がして、お、をさらに身を乗り出すリオに、
「リオ、だから危ないってば。」
その辺りは、確か崖の境目だったはずだ、と──慌ててジョウイが彼の肩と腕を掴んでこちら側へ引き寄せる。
「え、でも、もうちょっと──……っ!」
「どっちにしても、この霧じゃ無理だよ。
また、明日にしよう?」
ね? とジョウイに首を傾げられて、リオは、うーん、と唇を横に結んだ。
そして、名残惜しそうに霧深い滝を見下ろして──どれだけ目を細めても、桜色どころか緑の森の色すら見えなくて、リオは残念そうに肩を落とした。
そんなリオの肩をポンと叩いて、帰ろう、とジョウイが促す。
けれどリオはそれに頷いて帰ろうとすることはなく──、滝の激しい音を耳にしながら、リオはポツリと呟いた。
「──……ココから桜が見えるって分かってたら、ナナミに手紙を出しておくんだった。」
「……え?」
てっきり、霧が晴れるまでココにいる、とワガママを言い出すのではないかと思って身構えていたジョウイは、突然リオの口から零れた言葉に、小さく問いかけを返す。
リオは一度目を閉じて、すぅ、と冷たい息を吸い込んだ後、ニッコリと笑顔で振り返った。
「だから! ナナミに手紙を出しておいてさ──! 何日の日に、ナナミも明け方に花見してねっ! って。」
「────…………リオ…………?」
「そうしたら。」
両手を真横に広げて、リオはそこで一瞬、笑顔を途切れさせて──目をかすかに伏せた。
パチン、と瞬きする目の端に、かすかに憂いの色が見えて、ジョウイはハッと息を呑む。
「──……そうしたら、ナナミと一緒に、花見、出来たのに。」
たとえ、距離を隔てていても。
同じ時間に、同じ朝日を見て、同じ空を見ながら。
違う場所で桜を見る。
ただ、それだけでもいい。
「朝日が綺麗だね。」
「桜が綺麗。」
「空気が美味しい。」
言葉は届かないと分かっていても、そう笑いながら呟いたら、ナナミに届いているような気がする。
──同じように花見をしていても、ナナミはきっと今頃、布団の中だ。
誰も居ない静かで広い屋敷の中で、また寝言を呟きながら、布団を抱きしめているのだろう。
「…………リオ…………。」
視線をさまよわせるように、地面を見て、むき出しの岩を見て、霧に包まれた空を見て。
それからリオは、かすかな笑みを上らせて、ジョウイを見た。
「やっぱり──ナナミと花見をしないと、春が来たって気が、しないんだよね……。」
かすかな笑みは、リオが呟く間に、苦い色を帯び、すぐに一転していつもの明るい笑顔になった。
「で、桜の下で、ナナミと花見団子の奪い合いをするんだ! 僕だって、一番上のピンク色が欲しいって言うのに、ナナミはいっつも、『ピンクは私の色よ!』って奪い取るし!」
あの頃を思い出すように、両腕でブンブンと戦うフリをするナナミに、ジョウイは浮かび上がる微笑を上らせて、アハハ、と小さく笑った。
「リーオ? 花見団子って言うのは、普通、赤白緑の全部を食べるものなんだよ?」
「それはナナミに言って。」
「あと、ムクムクは白が好きだよね。」
「そう! 僕とナナミがピンクを奪い合ってる間に、ムクムクが全部白いのを食べちゃうの。」
「──で、残った緑が僕の皿の上。」
たった一年前のことなのに、懐かしいと感じる思い出を口にしながら、二人はくすくすと笑って肩を寄せ合う。
「団子は団子だし、いいじゃないか。」
何色でも。
そうヒョイと肩を竦めて締めくくるリオに、ジョウイは軽く片方の眉を上げてみせたが──あえて、「ピンク色」にこだわりつづけてるのはリオとナナミじゃないか、というのは口にすることはなく──、
「そうだね。おととしの、ナナミ団子よりはずっとマシかな?」
代わりに、そんなことを口にした。
途端、リオがグッ、と喉を詰まらせて──すぐにその手を自分の喉元に当てて、眉をきつく振り絞った。
「………………思い出させないで、ジョウイ………………。」
そのまま、その場にズルズルと崩れ落ちるようにしゃがみこむリオに、また大げさだな、とジョウイは苦い笑みを貼り付けた。
けれどまぁ、その気持ちも分からないでもない。
ピンク色の団子は「食用色素(赤)」を使うのだとは知らなかったナナミが、ピンク色を出すために使った材料というのが、たっぷりの赤唐辛子に、牛乳と生クリームを混ぜた──……。
「……………………────うっ……………………。」
思い出した瞬間、ジョウイの苦い笑みもまた、リオと同じように青い色に変わった。
あの、思わず噴出しそうなほど辛さと、同時にザラザラした口ざわりと、なんとも言えないクニュクニュした甘さ。
今でもまざまざと思い出せる奇妙な味は、思い出したと同時に口元を手で覆い、リオと同じようにガバッと地面に屈みこまざるを得なかった。
込み上げてくる吐き気を堪えること少し。
吐き出すこともできず、飲み下すこともできず、顔を白黒させるジョウイの隣で、だー、と口から吐き出していたリオの光景が、ひどく懐かしく思い出せる。
それと同時に、あの時の──ナナミの声も、言葉も、顔も。
懐かしい、おととしの思い出。
まだゲンカク老師も生きていて、繰り返されるハイランドとジョウストンの小競り合いも、まだずっと、遠くのように感じていた。
『何よ、何よーっ! リオったらっ! なんで吐き出すのっ!?』
ぷっくりと、頬を膨らませて唇を尖らせて、もう年頃の娘だと言うのに、いつまでたっても幼さと無邪気さが抜けないナナミは、皿の上に乗った丸い団子を持ったまま、一口目で憤死しかけたリオを睨みつけていた。
リオが噴出した団子が、チラホラと舞う桜吹雪の中にころりと転がっていく。
そのピンク色は、綺麗なのに──見た目と味は全く違う。
そう、ナナミの手料理はいつもそうだ。彼女は見た目は似せたように作っても、中の味とか使った材料が全く違うのだ。
例えば、マーボ豆腐に使うのは豆板醤だというのに、色と粒具合が似てると、イチゴジャムを使うような──。
『な……なんでって……ナナミ! また味見しなかっただろっ! なんだよ、これ! 食べられない!!』
きっぱりはっきり──命の危機を感じたらしいリオが、目じりに出た涙を拭って叫べば、さらにプックリとナナミの両頬が膨れた。
『味見くらいしたわよ! 何よ、リオったら! ちゃんと食べもしないで、味なんて分かるの!?』
いいながら彼女は、自分が持った皿の団子串を手にとると、ほら、とその先をリオに向ける。
鼻先から漂ってくる唐辛子と生クリームのにおいに、なんとも言えない顔になるリオの渋面が、ジョウイは十二分に理解できて──ナナミの視線がリオに向かっている間に、こっそりと手の平を口元に当てて、ぺ、と口に含んだ団子を吐き出した。
そしてそのまま、吐き出した団子を背後に放り投げる。──その放り投げられた団子に、ムクムクが近づき、クンクンと鼻先を近づけたが、すぐにムクムクはギョッとした顔になって、それを慌てたように土の中に埋めた。
怖いものは埋めろ。
ムクムクは自然の本能に従ったらしい。
『……味見……したんだ………………。』
うぅ、と、さらにピンク色に続く白い色の団子に何が入っているのか怖くて、ジョウイはそれ以上口にすることはできなかった。
アレを味見して、平然としているナナミって、スゴイ。
『ちゃんと食べれないから言ってるんだよ〜! もう! ナナミ、ゲンカクじいちゃんに、食べてもらってみろよ!』
いつもなら、ナナミがどんな料理を作ろうとも、リオは文句を言いながらもきちんと全部食べる──もちろんジョウイも食べるが、大抵は水で無理矢理飲み込むようなものだ──。
けれど、今回のこれは、あまりにもひどい。
リオはきっぱりと、最後の「奥の手」を出した。
ゲンカクじいちゃん。
リオとナナミの育ての親でありながら、二人が一番尊敬している人だ。
それは同時に、「これは食べられないな。」とナナミの料理に最終的に判断を下せる人物でもある。
ジョウイはリオのその台詞を聞いて、ナナミには悪いと思いながらも、ホ、と胸を撫で下ろした。
リオの口からこの台詞が飛び出せば、さしものナナミも不安に思い、ゲンカク老師のところに向かうはずだ。
そうなれば後は、彼女はいつものように慌てて胃薬を持って駆けてくる──いつもの光景だ。
きっと今回もそうなるに違いない。
ジョウイがそう思って視線をあげた先で──なぜかナナミが、勝ち誇ったように微笑んでいた。
その笑みを見て、リオがいぶかしげに目を細める。
『ナナミ?』
『ふふーんだ、残念ね、リオ! ゲンカクじいちゃんには、もう味見してもらった後よ!!』
胸を張り、えっへん、とナナミが言い切る。
──瞬間、一瞬置いて。
『えええええええええーっ!!!!!!』
絶叫は、リオだけのみならず、ジョウイとムクムクのものも含んでいた。
頬に手を当てて、今しもやせ衰えそうになるほどの勢いで叫ぶ二人と一匹に、なによー、とナナミが目を細める。
リオはそんなナナミに、がしっ、と掴みかかると、
『ななな、なななななな、ナナミ! そそ、それで、じいちゃん……じいちゃんは……っ!!!?』
『私の団子を食べた瞬間、これはスゴイ! って叫んで、また寝ちゃったわ。』
『ぅわぁぁぁぁー!!!!』
堂々と言い切るナナミに、それはまずいだろっ、と叫ぶジョウイの声と、リオの頭を抱え込んだ悲鳴が重なった。
そして二人は、そのまま顔を見合わせると、ダッシュで揃って駆け出した。
何はとにかく。
『じいちゃん!』
『ゲンカク老師!』
『今行くから、死なないでーっ!!!』
──心は一つだった。
ほほえましい、そんな記憶が、二人の脳裏を駆け巡った。
そのまましばらく、地面に膠着していた二人だったが、やがて肌に触れる気温が暖かくなったのに気づいて、ふと顔をあげあう。
すぐ目の前で、お互いの顔が見えて、かすかに微笑みあいながら、ゆっくりと身を起こすと──……ザァァァ、と落ちる滝の流れが、目に見えた。
二人が座り込んでいたすぐ手前に、石碑のように立つ岩が一つ。
そしてもう数歩歩いたところは、崖にまっさかさまに落ちていくような、崖際。
やはり、あそこでリオを止めたのは正解だったなと、ジョウイが胸を密かに撫で下ろしたときだった。
「ジョウイ……アレっ!」
地面を見つめていたジョウイの服の袖を、強くリオが引く。
「り、リオ?」
危ないよ、と、そう注意しようと、視線を上げた先。
ふわりと残り香のように漂う霧が、うっすらと透ける向こう岸。
はるか下方の森の、川岸が。
「──…………ぁ…………………………。」
桜色に、染まっていた。
「ねっ、ジョウイ! 桜だよ! 満開だ!!」
興奮した面持ちを隠せず、リオはグイグイとジョウイの服の裾を引っ張ると、紅潮した頬に満面の笑みを浮かべる。
そして、足を進めて──崖の縁ギリギリのところまでジョウイを連れたって歩いてくると、滝壷にモウモウと上がる白い煙から少し離れた場所に、咲き誇る桜の木の群れを指で指し示す。
「やっぱり、バクの言うとおり、桜は咲いてたんだねっ!」
キラキラと輝く瞳で、ね、と笑いかけるリオに、ジョウイは、ただ答えることもできず──ゆっくりと目を瞬いて、新緑の絨毯の上にリンと咲き誇る花を──頭上から見下ろせる桜の群れを、ただ静かに見つめた。
「──……綺麗だ…………。」
流れる川と、緑の大地。
咲き誇る桜と、緑の森。
そして、その向こうでどこまでも続いていく青い空と白い雲。
──僕達がいる、踏みしめている大地は、ただ荒涼とした岩と、雪ばかりだと言うのに。
高さと川を一つ挟んだだけで、なんて違う世界なのだろう?
下からと、、滝から吹いてくる強い風が、辺りに立ち込めていた霧を吹き飛ばす。
「うん、綺麗だね。」
今年も桜が見れて良かった。
小さくリオが続けた、どこか安堵を含んだ言葉に、ジョウイはチラリと彼を見た後──彼の視線を追うように、桜並木を見下ろして。
「──……そうだね……、春が、来たね。」
たとえこの大地に──僕達が今踏みしめている大地に、春は遠くても。
僕たちが守る大地には、「春」が訪れている。
ナナミの元にも……母の元にも。
そう思えば、フワリと、胸の中に灯が灯ったような気がして。
ジョウイは穏やかな心地で、そう、呟くことができた。
二人がそのまま、時が経つのも忘れて、眼下の桜を見続けた結果。
ラウル隊長に頭ごなしに叱られ、またもやユニコーン少年隊に所属して以来、「十数度目」の罰を喰らうことになるのは……当然の話である。