「桜の遊歩道」

桜遊歩道










 うららかな春の日差しの下、颯爽と中央街道を進む馬車が一台。
 空はすがすがしい青。ふわふわと柔らかそうな白い雲が浮いている。
 先日までの冬の様相が嘘のように、暖かで過ごしやすくて、今日は前線組である4人──ユーリル、アリーナ、クリフト、マーニャたちは、馬車の中から出て、パトリシアと共に歩いていた。
 パトリシアの手綱を引きながら進んでいたユーリルの隣を、アリーナが軽やかな足取りで歩き……時には先へ駆け走り、何かを見つけては立ち止まり──馬車に追い越されて、クリフトに急かされて、慌ててクリフトと一緒に追いつく。
 マーニャはそんな彼らに呆れたような顔を隠そうともしなかったが、道端に咲いている花を摘んできたアリーナに、その花を差し出されて嬉しそうに微笑んでいた。
 なんだか、戦いの只中の旅だとは思えない、穏やかな道中だった。
 ちょろちょろと元気良く馬車の周りをうろうろするアリーナに、馬車の中からブライの叱責が二度、三度飛んだが、そのたびにアリーナは、ヒラヒラと元気良く腕を降りながら、
「大丈夫よーっ! 今日はぜんぜん、魔物の気配しないもの!」
 ──と、ブライが心配しているのとは違う方面の心配を否定して、またヒラリと蝶のようにどこかへ舞っていってしまう。
 そんなアリーナに、ヤレヤレと小さく溜息を零しながら──それでもどこか嬉しそうに口元を緩めたクリフトは、馬車から花咲く草原のほうへ駆け出したアリーナの後を追った。
「アリーナさまっ! あまり遠くに行ってはいけませんっ!」
「クリフト! おぬしは行動が遅いんじゃ!」
 ブライの叱責が背後からとび、クリフトは慌ててブライを振り返り、ペコリと顔だけお辞儀する。
 そんなクリフトに、早く姫をとめんかっ、とブライが怒鳴り、慌ててクリフトは、ほど近くで足を止めて屈みこんでいるアリーナに駆け寄る。
 何か一言二言告げているらしいクリフトを、アリーナが見上げて、ニッコリ笑って手元に掴んだ何かを見せる。
 それを見下ろして、クリフトも破顔する。
 馬車から数歩遅れて、のんびりと歩いていたマーニャは、大分後方に行ってしまったそんな二人を振り返りながら、
「ちょぉーっとぉ、早くしないと置いてくわよー。」
 ふあぁぁ、と退屈だわ、と呟きながらあくびをかみ殺す。
 両腕を頭の後ろで組みながら、軽く胸を反らせるようにして空を見上げると、かすかに吹く風に、ゆっくりと白い雲が移動しているのが見えた。
 心地良い気温は、肌を優しく撫でていくようで、マーニャはそのままウーン、と伸びをした。
 そしてそのまま、馬車の後部から頭を突き出して、アリーナとクリフトをハラハラしながら見守っているブライの奥──まったく、と柔らかな微笑を浮かべているミネアに視線をやる。
「ミーちゃん、後でさー、馬車の中と外、変わってよ。」
「──……何? もう疲れたの、姉さん?」
 話しかけると、呆れたようにミネアが軽く目を見張った。
 言外に、「もう年なんじゃないの」と言われた気がして、ム、とマーニャは眉を寄せるが、すぐにそれを解いて、
「そうそう、お姉様はお疲れなのよん。だからお願い、ね?」
 男に対して甘えるときとは色が違う甘えを見せて、うふ、とミネアに向かって微笑みかけると、笑みかけられた相手は、男達のようにデレ、と鼻の下を伸ばすどころか、逆にますます顔を顰めてみせた。
「まさか姉さん? あんまりにも日差しが気持ちよくって、寝たいから変われって言うんじゃないでしょうね……っ!?」
「あったりーっ! さっすがミーちゃん! あたしのことが良く分かってるぅ♪」
 パチンッ、と指を鳴らしたマーニャの前で、ミネアはフルフルと肩を揺らして──そのまま、唇を開いて、何か叫ぼうとニンマリと笑っている姉の顔を睨みつけたが……、
「──……っ。」
 ミネアの震えた唇からは、言葉が零れることはなかった。
 代わりに彼女は、ど、と疲れたような溜息を零し──馬車の幌に頭をつけると、そのままハァァァと溜息を零す。
「──春眠暁を覚えず、ね……。
 そう言えば毎年、姉さんは春になると、いつも寝とおしだったわ…………。」
 全くもう、と小さく零して、ミネアはフルフルと頭を振った後、もう相手にするのも面倒くさいというようにヒラヒラ手を振ると、
「ユーリルがそれでいいって言うなら、別に変わってあげてもいいわよ、姉さん。」
 そう答えてやった。
 するとマーニャは、ありがと、と投げキッスを一つ零すと、そのまま軽やかに──舞うようにして馬車の前へと駆け出していく。
 ミネアはすれ違うように駆けていく姉を見送りながら、視線を再び走る馬車の後方……自分の正面へと戻した。
 慌てたように駆け寄ってくるアリーナとクリフトの手には、小さな黄色の花が幾つも付いている、可憐な花。
 降り注ぐ日差しに照らし出された草原の、キラキラとまばゆい光を反射する花びら。
 楽しそうに笑いながら走り戻ってくるアリーナとクリフトを見ていると、このいい天気の中、ゆったりと散歩するのもいいような気がしてきた。
 アリーナも言ったように、魔物の気配は微塵もないことだし。
 ガタガタと揺れた頭を幌に預けながら、ミネアが穏やかな笑みを口元に貼り付けた瞬間だった。
「……アレ、なんだ、あの木……。」
 馬車の前──、パトリシアの手綱を守っていた少年が、突然小さく呟いて、足を止めた。
 動きを突然止めたユーリルに従うように、パトリシアもパカパカと音を立てて歩いていた足を止める。
 軽いゆれと共に馬車の動きが止まって、ミネアは慌てて揺れる体を支えながら、背後を振り返った。
 御者台に座っていたライアンが、隣に置いてあった剣を手に取るのが見える。
 ようやく馬車に追いついたアリーナとクリフトが、フッとその顔つきを変えた──かと思うや否や、
「ユーリル!? モンスターっ!?」
 アリーナが何か考えるよりも先に、ダッ、と走り出す。
 彼女の髪が後方に漂うと同時、ヒラリと黄色い花が散った。
 そのアリーナの後を追うように、無言でクリフトの姿も消える。
「……木ってことは、きりかぶおばけでしょうか?」
 それなら、何も問題はないと思うのだけど──と、口元に手を当てながら、トルネコやブライと共にライアンの座る御者席に近づくと、間をおかずにユーリルの声が前方から聞こえた。
「マーニャっ、アリーナ、クリフト、見ろっ!!」
 どこか緊迫した声で駆けつけた仲間の名前を呼びながら、緑髪の美少年は、ビシリとはるか前方──緩やかに続く道の先を指先で指し示して、
「あの木、葉っぱがピンク色だっ!!」
 新手のモンスターかもしれない、と、真剣きわまりない表情で、叫んだ。
 馬車が突き進む街道の先──、まだ300メートルはあるだろう前方に、かすむような桃色の木々が広がっていた。
 もしそれが全部モンスターなら、避けたほうがいいと、そうきっぱり言い切り、パトリシアの手綱を握っている形になっているライアンを振り仰ぐ。
 真剣きわまりないユーリルのその台詞と態度で、
「ライアンさんっ。」
 そう、呼びかけられたライアンはというと。
「────………………。」
 なんとも言えない表情で顔をゆがめ──ヒクヒクと髭と口元を揺らしていた。
 答えようにも、どうにも答えることができない、そんな表情であった。
 ユーリルは振り仰いだライアンの、なんとも奇妙な表情を見上げて、不安そうに眉を曇らせる。
「ライアンさん──もしかして、逃げることも出来ないくらい、凶悪なモンスターだったりするの?」
 キュ、と唇を真一文字に引き結んで尋ねるユーリルに、ライアンは堪えきれないように顔を赤く染めて──顔を横にずらすようにして、クツクツと肩を揺らした。
 そんなライアンの様子に、一体どういうことなのだと、ユーリルはますます不安そうな顔になる。
「ライアンさん──……?」
 もう一度ユーリルが呼びかけた途端、ユーリルの声に答えたのは彼に背中を向けて、必死で何かの発作を堪え続けているライアンではなく。
「──ユーリル…………。」
 どっぷりと疲れたような、そんな色を乗せた、クリフトの声であった。
 こちらもまた、ユーリルが最初に問いかけたときのライアンのような、そんな複雑な表情である。
 なんと説明したらいいものかと、クリフトが米神を指先で揉む隣から、翳していた鉄の扇子をパチンと閉じたマーニャが、あーあ、と腕を頭の後ろで組んであからさまな溜息を零す。
「まったく……なーに言うかと思ったら、ユーリルったら。」
 アレが、モンスターに見えるの?
 と、呆れを隠すこともなく、マーニャは扇子の先でピシリと前方のピンク色の塊を示す。
 遠目に、それがコンモリと乱雑な形で山が幾つも重なっているように見えた。
──いや、正しく、「コンモリと群れる木々の群れ」なのだが。
「なんだよ!? だって、ピンク色の木だぞっ!?」
 あれは、どう見ても紅葉じゃないだろっ!!?
 そう向こうを示して叫ぶユーリルの頭を、マーニャは軽くペシリと扇子で叩き、そのまま腰に手を当ててフ、と息を吐き捨てる。
「バッカねぇ〜、ピンク色で当たり前じゃない。だって、あれ、桜よ?」
 まったくこの子は、何を言ってるのやら。
 そんな呆れ顔で告げる──当たり前のことを口にするマーニャの、その紅色の唇を、ユーリルはマジマジと見つめた。
 それから、改めて顔を正面に当てて、薄い霞かかるようなピンク色の木を見やる。
「さくら?」
 小さく、確認するように呟くユーリルに、そう、とマーニャが二度三度頷く。
「桜。」
 断言するマーニャが、まったく、早とちりねぇ、と呟いた瞬間、ユーリルは空色の瞳を大きく見開き──、バッ、とマーニャを勢いで振り仰いだ。
「さくらって──……葉っぱがピンク色なのかっ!!!?」
 驚いた、と、顔に満面に描かれた台詞を吐くユーリルに。
「ぶっ。」
 とうとう、堪えきれずに御者席にライアンが、笑いの発作を吐き出した。
 そのまま、御者席に屈みこむようにして笑うライアンと同じように、彼の背後に固まっていた面々が、それぞれに口元を手の平で覆い、笑いはじめる。
「え、ち、違うの?」
 もしソコが、普通に建物の中だったりすると、ほとんど全員が腹を抱えて爆笑していたに違いない。
「……って、何ボケてるのよ、ユーリル。」
 呆れたように、溜息を零すマーニャに続けて、クリフトがかすかな笑みを口元に乗せて、
「ユーリル、違いますよ──あれは、花の色です。」
 ユーリルのカンチガイを正してやる。
──皆、大笑いに笑っているが、おそらくユーリルは、桜を見たことがないのだろう。
 そう判断して、かすかな苦い色を見せたまま告げるクリフトに、ますますユーリルは目を丸くして、クリフトの顔と前方の桜色を見つめる。
「──……花、って…………、あの木、葉っぱはないのか?」
 言いながら、ユーリルは目を眇める。
 しかし、どう見てもあの桜色の群れの中に、葉の緑色は見受けられない。
 普通、どれほど木に満開に花が咲いたとしても、枝の合間に花が咲いているから、あんな風に全体に霞がかったように見えることはないはずだ。
 葉だって、花よりも大きく見えるはずだから、遠目に花が咲いていると分かっても、あんなに見えることはない。
 ということは、やっぱりハッパも桜色なのかと、そう拳を握るユーリルに、
「何言ってるのよ、ユーリルったらっ!」
 パシーンッ、と、明るい色と声で、アリーナがユーリルの肩を叩く。
 思わず前につんのめったユーリルを追い求めるように、さらにアリーナは細く華奢な腕をユーリルの首に回して、グッ、と自分の方に引き寄せる。
 そして彼の顔に、にんまりと笑みを作った顔を近づけると、
「桜って言ったら、花が散った後に葉が出て来るものなのよ。」
 えへん、と、お姉さんぶってユーリルに講釈ぶる。
 いつもなら、それくらい知ってるよと、アリーナ相手に薀蓄を垂れられるのがイヤらしいお子様のプライドを総動員するユーリルであったが、今日はそうではなかった。
 彼は驚いたように目を瞬いた後、改めて満開の桜──桜並木を凝視すると、
「──……花が出た後にハッパが出る〜? なんだよ、それ!?」
 語り聞かせたアリーナが、嬉しそうに顔をほころばせるのが分かっていながら、思わず叫んだ。
 自分の首にかじりついている形になったアリーナを見上げると、彼女は思ったとおり、嬉しそうに顔を緩めていた。
 その、お姉さんぶったように見える顔に、どこかムッとするものを覚えないでもないが、アリーナが知っていて自分が知らなかったのは本当だ。
 ──しかも、
「あらぁ、何よぉ。ユーリルったら、本当に桜を見たことがないのぉ?」
 呆れたようなマーニャの口調に付け加え、馬車の中から聞こえる忍び笑いから察するに、どうやら自分が知らなかったことは、「常識知らず」の範疇のようだし。
 思わず憮然と唇を尖らせるユーリルに、さらにアリーナが薀蓄を嬉しそうに──ユーリルと一緒にクリフトの説明を聞くことは良くあっても、ユーリルに自ら説明する機会なんてまるでない──、口を滑らせようとするよりも、少し早く。
「仕方がないだろう──。わがバトランド城の森と、山脈を挟んだブランカの北の森の辺りは、自生する桜が無かったはずだ。」
 クツクツとこみ上げ来る笑いを必死に押し殺していたライアンが、ユーリルを援護するように口を挟んだ。
 そのまま彼は、フ、と目を細めるようにして前方の桜を見つめて、言葉を続ける。
「かく言う俺も、話には聞いていたが、実物を見たのは旅に出た後だったしな。」
 確かイムルには自生していたはずだが、季節が違ったしな、と続けて、さてどこで見たのだったかと首をかしげるライアンの台詞に、へぇ、と感心の声をあげたのはアリーナだった。
 ユーリルにしがみついていた腕を解きながら、彼女はクリフトを見上げる。
「桜がない国なんてあるのね? 私はてっきり、季節じゃないから咲いてないだけだと思ってた。」
 もちろん、その問いかけの視線を受けて、クリフトが答えを渋るわけはない。
 彼はすぐさまコクリと頷くと、
「そうですね、もともと桜……特にこれほど淡いピンク色に咲く花は、自生地が限られていますから、見る機会がない人は、一生見ることはないでしょうね。」
 ふんわりと淡い微笑をアリーナに向けて見せる。
 その、とろけるような甘い笑みを、アリーナと一緒に見上げて、ユーリルは再び桜を見やった。
 淡いピンク色の桜。
「へー……やっぱり花なんだ。」
 花畑とは違うな。
 そう呟くユーリルに、マーニャがペロリと舌なめずりをしながら、
「花畑はピクニックだけど、桜はやっぱり、花見酒よね〜。」
「マーニャさんは、花より酒ですか。」
「あら、他に何があるのよ?」
 ふふん、と鼻で笑って、そこで一休みするのもいいんじゃない? と続けるマーニャに、パチン、とアリーナが両手を叩く。
「お花見!? 賛成っ!
 私もお城にいたころは、この季節になると、皆で花見をしたのよ、ね?」
 いいでしょう? と馬車を振り返り、ニッコリ微笑むアリーナに、思わず御者台に乗り出したブライとトルネコが、顔を見合わせる。
「花見──ですか。まぁ確かに、ちょうど昼飯時ですしねぇ。」
「そうじゃの……久しぶりに花を見て和むのもいいのぉ。」
 なぜか緩む口元は、久しぶりに花を見て和むことを楽しみにしているというよりも、マーニャが口にした「花見酒」の方に心奪われているように感じる。
 ミネアはそんな中年と老人を、呆れたように交互に見たが、二人の頭越しに見える向こうの桜色の花に、ふと昔の──楽しかった花見の記憶が掻きたてられて、それもいいかもしれないと思う。
 何よりも、ユーリルが「見たことがない」というのなら、こういう機会を経験させておくのもいいはずだ。
「桜並木があるなら、さっきの街でお弁当でも作ってくれば良かったわね。」
 思わずそう零すミネアに、アリーナが大きく頷く。
「そうね! やっぱりお花見にはお弁当だわっ!
 昔は良く、クリフトがサンドイッチを作ってきてくれたわよねっ!」
「──……いえ、姫様。アレは花見に行ったのではなく、姫様がいつもお城からサランの桜を見て、飛び出してきただけです。
 ……それから、あのサンドイッチは、私のお弁当です………………。」
 桜の季節になると、いつも姫様はサランの町に出没してたんだから。
 そう、当時の気苦労を思い出して溜息を零すクリフトに、そうだったかしら? と首をかしげたアリーナは、そのままふわりと笑みを浮かべて、
「でも、サンドイッチ、美味しかったわよね!
 それに、桜って遠くから見ると、ピンク色でとても綺麗なのよね──見ていると、ウズウズして、見に行きたくなるんだもの。」
 ほら、そう思わない? と、アリーナはさやさやとかすかな風に揺れているような桜を指差す。
 柔らかな桜の色は、確かにアリーナの言うとおり、とても綺麗で。
「──うん、分かる気がする。」
 なんだか、ウズウズしてきて、そのまま桜の元までダッシュで走りたいような気になってきた。
 そう、肩を揺らしながら……けれど、
「でも、やっぱり不思議だよな〜、緑じゃなくって、ピンクの木って。」
 違和感が、どうしても拭えない。
 「アレ」が、全部ハッパじゃなくって花なのだと言われても、どういう花なんだと考えてしまう。
 アジサイやタンポポみたいな感じか?
 首を傾げて、マジマジと桜のピンク色を凝視するユーリルの隣に立って、マーニャはヒョイと額に手を当てると、彼と同じ方向を見据えながら、軽やかな笑い声を立てる。
「あぁ、見慣れない人間には、そー見えるかもねぇ。
 あたしは、どうせ見慣れない木なら、ゴールドの木とか見てみたいと思うけど。」
 ふふふ、と意味深に笑うマーニャへ、同意を求めるようにトルネコがワハハハ、と明るい笑い声を上げた。
「そりゃまた豪勢ですな、マーニャさん!」
 そのトルネコの裏では、ミネアが頭痛を覚えたように額に手を当てて、溜息を零していた。
「姉さんは夢がないわ──……。」
 全く……。
 小さく溜息を零すミネアの声が聞こえたなら、きっとマーニャはこういうに違いない。
 「ゴールドの木だって豪勢な夢じゃない!」──と。
 そんなミネアの脱力を物ともせず、馬車の外では、アリーナとユーリルの間で、ほのぼのとした会話が進められている。
 どうやら、話は桜並木の下で花見をする路線で進んでいくらしい。
──ということは、すぐに休憩に入るということだろう。
「でね、近くで見ると、ピンク! ってわけじゃないの、薄い桃色で、淡くて……なんだか触れたら消えちゃいそう。
 ヒラヒラ舞ってくると、とっても綺麗よ。」
 大きな手振り身振りで桜を伝えようとするアリーナの動作に、ユーリルは、うんうん、と真剣な顔でそのたびに頷く。
 そんなユーリルにアリーナはさらに気を良くした様子で、ますます話は盛り上がる一方である。
「舞うのかっ!? ピンク色がっ!?」
 驚愕に目を輝かせるユーリルに、そうなの、とアリーナが両拳を握って力説する。
「舞うのっ、ヒラヒラして、頭とか肩に花びらがつくの。後ね、桜茶って言うのをクリフトが出してくれるわっ!」
「お茶っ!? え、お茶なのかっ!!!?」
 ──この二人、どうして会話が通じてるんだろう。
 ちょっぴり遠い目になりながら、クリフトは小さく溜息を零して、頃合を見計らって二人の会話の間に割り込む。
「お茶、は──そうですね、アリーナさまがお飲みになるのなら、ご用意しますよ。
 それから、ユーリル? 花びらが散った後に葉が生えると、アリーナ様がさきほどおっしゃったでしょう?
 桜の花の盛りは、ほんの一週間ほどですよ。蕾が開いて、すぐに木いっぱいに満開になって──そうして、散っていくんです。」
 その様が、風に舞って、とても綺麗なんですよ、とクリフトが言葉を続ければ、その語尾に乗るようにマーニャが明るく笑う。
「散っていく時のほうが私は好きねぇ。なんだか豪勢で、ばぁっ! って桜吹雪が吹くと、あたしの踊りは三割り増しだわ。」
 途端、そのマーニャの言葉尻に突っ込むように、馬車の中からミネアがヒョッコリと顔を突き出して、
「料金も三割り増しに取るのよね、姉さんは。」
 呆れたように口を挟む。
 その皮肉げな口調の中にも、どこか楽しげな呆れたような色が見え隠れしていて、マーニャはそれにつられるよに破顔してみせた。
「当たり前でしょー? 期間限定なんだから。」
 ふふふ、と笑うマーニャが、そのままクルンと軽やかな足取りで回転する。
 ヒラリと舞う鮮やかな髪と色鮮やかな布地に、はるか前方に見える桜色の花びらがフラリとまとわり付いた気がした。
──あぁ、姉さんなら、桜の下で人の目を引く踊りを見事に踊りとおしてしまうことだろう。
「商売人ですねぇ、マーニャさんも。
 ──いやしかし、花見相手に屋台を開くって言うのもアリでしょうなぁ。」
 顎を撫でながら、トルネコまでもが目をキラリと光らせて商売の方面に頭を進ませ始める。
「あーら、トルネコさんには、あたしの踊りのおひねり係りをしてもらわないとだめよぉ〜?」
 楽しげに軽い会話を交わす二人を見ながら、ライアンがパトリシアの手綱を握りなおした。
「さて、ユーリル殿。そろそろ出発しましょうか。」
「え……もういくのか?」
 軽く目を見張るユーリルの瞳に、どこか名残惜しい色が見えて、ライアンは思わず笑みをかみ殺して、小さく頷いた。
「休憩するなら、この先の桜並木でしましょう。
 ──それで、いいんでしょう?」
 和やかに目元を緩めると、途端に、パァッ、とユーリルとアリーナが顔をほころばせる。
 手綱を握り、いつでも出発OKですよと微笑むライアンに、ユーリルは大きく頷き、もちろんだと手を叩きあって大喜びする。
 かと思うや否や、ヒラリとアリーナは身を翻し、一足早く地面を蹴って駆け出す。
「桜並木で休憩ねっ! 私、桜並木って初めてなのっ!」
 はずむような明るい声で叫びながら、あっという間に距離を駆けて行ってしまう。
 そんなアリーナに、遅れを取ってはならないとばかりに、クリフトが慌てて地面を蹴り付ける。
「姫様! 突然、走ると危ないですよ!!」
「って、待てよ、アリーナっ! 僕も行く!!」
 慌てて走っていく二人に、マーニャが他人事のようにのんびりと呟く。
「あーあ、お子ちゃまは元気ねぇ。」
 そんな能天気な声をあげるマーニャに、ライアンは御者席を少しずれてやると、
「マーニャ殿、行くぞ。」
 上れ、と、そう言外に告げる。
 マーニャはチラリと目線をあげるようにして──キュ、と紅色の唇を歪めて微笑むと、右手を優雅に頭の上まで持ち上げて、
「手くらい貸しなさいよね、朴念仁。」
 そう言って、笑った。
 ライアンは艶やかなマニキュアの塗られた指先を見下ろして、かすかに狼狽したように目を白黒させたが、すぐに気を取り戻した様子で──見た目はあまり変化がない──、身を乗り出すようにしてマーニャの手を取り、彼女を御者席に乗り上げさせた。
 そして手綱を改めて握りなおした頃には、すでにもう、目の前を走っていたアリーナが豆粒のように小さく見えた。
 その後を追うユーリルとクリフトが必死に見えて。
「あーあ、もう、なんだかお子ちゃまたちは、本当に楽しそうよねぇ〜。」
 しみじみと、マーニャは呟いてから──軽やかに、笑い声を上げて笑った。












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