1主人公:スイ=マクドール
2主人公:リオ
空は快晴。
心地よい風が吹く中、どこまでも高く透き通るような空が印象的な日だった。
故郷とは、それほど離れていないはずだというのに、少し小高い場所にあるこの城は、不思議と、空に近いようで遠い。
目を細めて、雲ひとつない空を見上げ続ける。
湖から吹き上げてくる風はヒンヤリと冷たく、湿気を含んでいる。
少し乱れた髪に手を当てると、しなやかな髪先が指先に絡みついた。
そんな感触を愉しむように、二度三度指先で髪を絡めた後、彼女は目の前に置かれた湯気の立つお茶を手にする。
優雅に白い指先でティーカップを持ち上げて、鼻先に見事な紅の色を宿した紅茶を近づけた。
フワリ、と、白い湯気に混じって香る気品高い紅茶の香りが、鼻腔をすんなりと潜り抜けていった。
「うん、なかなか良いお茶じゃないの。」
少し語尾を跳ね上げるように笑んで見せると、同じテーブルについていた二人組みが、コッソリと視線を交わすのが見えた。
彼女はソレを、いつものように切れ長の目でジロリと睨み上げると、
「何よ、何か言いたそうね?」
形良い唇をすぼめるようにして、陶器に触れかけていた唇を遠ざける。
その目に宿る剣呑な光りを、見間違えるほど、彼らもまた彼女と付き合いが浅いわけじゃない──否、彼女に苦労させられていないわけではなかった。
「いえ、なんでもないですよ、お嬢様。」
ひょっこりと肩を竦める色黒の男に、コクコクと優男風の男も頷く。
「ふぅん?」
意味ありげに目を細めて見せたが、「お嬢様」は、それ以上なにやら口にすることはなく、再び紅茶を口に含もうとして、彼女は突然その手を止めた。
そのまま、唖然と目を見張り、唇を小さく開く。
何かを見て驚いているような仕草に、ナニがあった、サムスが片目だけを歪めて相方を見る。
その相方はというと、少し首を伸ばすようにして「お嬢様」のカップを見下ろすと、
「お嬢様、虫でも入りましたか?」
おずおずと、自分よりも年下のワガママ女王様に向かって尋ねる。
チラリと見た程度では、虫や葉っぱがカップの中に入った様子はない。
その事実にホッと胸を撫で下ろしながら──何せ、今お嬢様が飲んでいる紅茶は、非常に高価なものなのだ。この城では満足いく紅茶が飲めないと、そう愚痴を零していた彼女のために──いや、正しく言うとかんしゃくを起こしたのであるが──、わざわざゼクセンの六騎士から譲ってもらったものなのだ。
その苦労といえば、表現できるものではなかった。
その末に、ようやく銀の乙女から分けてもらった大切な紅茶だ。
それに虫が入っただの葉っぱが入っただのと、飲まないで捨てられてはたまらない。
そう心配した二人の考えは、お嬢様の口元で止まっているカップの中身がきれいに透き通ったままなことから杞憂であることは分かった。
わかったが──そうなると、なぜ突然彼女が動きを止めてしまったのか分からない。
サムスはリードにチラリを視線をよこし、すばやく小さく囁きかけてくる。
「おい、リード、お前、砂糖の量を間違えたんじゃないのか?」
「まさか、サイコロ一個だろ? 間違えるはずが──あ……掻き回すのが足りなくて、砂糖が滞っていたとか?」
とたん、二人はバツの悪そうな顔になる。
目の前のお嬢様──ティント共和国の大統領グスタフの一人娘である彼女は、小さい頃からそれはそれは可愛らしく、甘やかされて育ったためか、ワガママ娘になっていた。
それがどれほどのワガママぶりかは、一緒にお供をするようになった二人に染み付いた奴隷根性……いや、下働きの見事さが証明してくれるほどである。
砂糖をしっかり混ぜなくて下に固まっていたなんてことになったら、眉を寄せて──あとに続く文句が、今から想像できて、リードはコッソリと首をすくめて、目の前のお嬢様を見た。
けれど、リリィは、そんな二人を見てはいなかった。
手にした紅茶もそのままで、瞳を大きく見開いて、南の空を凝視している。
「──あれ…………何よ………………。」
呆れたように開いた唇からこぼれたのは、少し震えた声。
ゼクセンの騎士団にも堂々と胸を張って渡り歩く度胸のある娘の者とは思えないほど、かすれた声だった。
このリリィにこんな声を出させる「何か」が、彼女の視線の先にあるのだ。
二人は、テーブルと椅子の背もたれに手を置いて、あわてて自分達の背後を振り返った。
そうして。
「………………り…………竜……………………?」
南の空を、悠々と泳ぐ巨大な体躯を見つけて、リリィと同じように呆然と、呟いたのであった。
空の王者──この城の百八星の一体である竜とは、まったく正反対の色合いをした、巨体の主の名称を。
いつものように船の甲板で、白い竜の体を洗い流しているとき、その騒動はやってきた。
本当は、一緒にお風呂に入るところなのだが、この城の風呂の主であるゴロウが、風呂桶が壊れるからやめてくれ、と嘆願したのだ。
その日から、フッチはいつも、風呂から分けてもらってきた暖かなお湯で、フッチの体を洗い流してやることにしていた。
今日も、午後一番の空の散歩を終えて、上機嫌なブライトを前に、フッチは桶の中に沈めたタオルを片手に、尻尾をブンブン振り回しているブライトの背中を流してやっていた。
おそらく、生まれた頃のことをしっかりと覚えているのだろう。
湯気とお風呂が大好きなブライトは──そういえば、15年前もお風呂でブクブクになるのが好きだった──、湯船に浸かれないのを不満に思っているようだったが、大好きなフッチの手によって拭い取ってもらうのはうれしくてしょうがないらしく、空の散歩中と同じように上機嫌なままである。
ブンブンと振る尻尾と、フッチが少し動くたびにキョロリと追ってくる首と目に、フッチは苦笑を隠せず彼の頬に手を寄せた。
「ブライト。少し落ち着いてくれないと、きちんと拭けないよ。」
しょうがないなぁ、と笑うフッチの顔も、甘い色がにじみ出ていて、説得力がまるでない。
ブライトの首を丁寧にぬぐってやり、鱗を一つ一つ磨いてやる。
とても大切な宝物をふき取るような様子のフッチは、きっと子供が出来たら凄く可愛がるタイプに違いない。
そんなことを思いながら、甲板の手すりに腰掛けて、膝の上に両肘をついて頬杖をつきながら、蚊帳の外のシャロンはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
そもそもフッチは、ブライトに甘いと思う。
それは、故郷のいるときに、母も、その母の補佐をしていた副団長も言っていた言葉だ。
母ですら、自分の竜と一緒に風呂に入ることはないと言っていたにも関わらず──更にいえば、シャロンは多忙な母と一緒にお風呂に入った記憶が余りない。──ブライトは、フッチとしょっちゅう一緒にいる上に、寝床も一緒だ。
昔からそうだったのだと、フッチは言っていたが──これだけ巨体になれば、それはさすがにおかしいだろうと、シャロンですら思わずにはいられないのだ。
母は、シャロンがソレを指摘すると、いつも苦く笑いながら、「離れているのが不安に思うのだろう」と言っていたが、コレは度が過ぎていると思った。
「だからフッチは嫁の来てがないんだ。」
竜洞騎士団内で、軽口のように騎士たちが言っていた台詞を口の中で零して、シャロンは、あーあ、とため息を再び零した。
──竜騎士たちにとっては、シャロンがフッチにべったりと困らせている、ということも含めての揶揄だったのだけど、当の張本人であるシャロンはその事実に気付いては居なかった。
湖から吹いてくる少し強めの風にあおられながら、ぼんやりとフッチの動きを見つめる。
優しい目と穏やかな微笑を浮かべながら、ブライトとじゃれているようにしか見えない彼の頬に、水滴がキラリと光っていた。
白い鱗と皮膚を持つブライトは、その優美な体を惜しみなく太陽の光の真下で輝かせている。
野生のタマゴから孵ったという竜は、フッチに出会えて幸せだったのだろう。
もし他の誰かがブライトを見つけていたなら、きっと彼はこの世には居なかったのだから。
「僕も、いつか、フッチみたいに卵を見つけたいなー……。」
それはまさに『奇跡』なのだから、決してそのような期待は抱くなと、母にも強く厳しく言われていたのだけど。
それでもやはり、抱いてしまうのは仕方がないと思う。
だって自分の教育係りというか、目付け役が、フッチなんだから。
視線を再びブライトからフッチに戻す。
竜騎士の中にあって、ブライトが竜だと分かるまでの間旅に出ていた彼は、他の誰よりも出世と教育が遅れていたのだと聞いている。
それでも、共に彼と旅をした人のおかげで、竜洞騎士団に戻ってから、すごい速さで出世を遂げて、今ではブライトは騎士団随一の速さを誇るとか。
今の自分と同じ年頃の頃に、フッチはブライトと出会ったと言っていた。
運がよければ、自分もこの地で見つけることが出来るだろうか? ──そんな、「奇跡」に。
真っ白いブライトの体が、キラキラと光りを反射してまぶしかった。
思わず目を眇めてみせたシャロンは、ふ、と──その光りの向こう……あこがれてやまない青の空の向こうに、黒い何かがあるのが見えた。
これが竜洞騎士団なら、「あぁ、誰かの竜かな」と思い納得するところなのだが、ここは竜洞騎士団ではない。
なら、アレは一体何なのか、と──シャロンが更に目を眇めた瞬間であった。
「きゅぅ?」
フッチに鼻先を押し付けてじゃれていたブライトが、不思議そうに顔を上げたのは。
「ブライト?」
いぶかしむようにフッチは愛竜の名を呼び、視線をブライトと同じ方向に向けた。
その方角を、シャロンも同じように見つめていた。
3対の視線の先──青い空にぽつんと浮かんだ異物が、見慣れた姿をとるまで、そう時間は掛からなかった。
「────…………竜………………?」
呆然と──ぬれたタオルを持ったまま、フッチが呟く。
その不確かな問いかけに近い声は、飛んでくる影が大きくなるに従って、確定にと変わっていった。
「竜、だよね──。」
「きゅぅぅー。」
小さく呟くフッチに同意するようにブライトが小さく鳴く。
その目に宿る光りと、少し甘えた口調が宿る鳴き声に、どうやら近づいてくる竜が「野生」ではないことを悟る。
「……ということは、竜洞騎士団の竜──だよな?」
まだ肉眼ではハッキリとは分からないが、確かに黒い竜は今の竜洞騎士団にも居る──昔を思わせるその漆黒のボディを持つ竜が、誰のモノかまでハッキリと思い出せる。
けれど、その人物がわざわざグラスランドまで──知らせもなく突然やってくるとは、一体どういうことなのだろうか、と、眉を寄せずにはいられないフッチの呟きに、
「えっ、まさか僕を連れ戻しに来たとかっ!?」
それまで傍観を決め込んでいたシャロンが、あわてたように手すりから飛び降りた。
そしてそのまま、遠く羽ばたく竜から自分が見えるわけもないだろうに、フッチの体に隠れるように、すばやく彼の背中へと回ってしまった。
「──……それはないと思うな──ミリア団長のことだから、シャロンがこうしてついてきたならしょうがないって思ってるだろうし。」
キュ、と、意地でも離すまいと言うようにフッチの服の裾を握り締めるシャロンに、苦笑いをかみ殺しながら、その先の言葉は口の中に消した。
────ミリア団長も、僕と同じように、この程度のことじゃ動じないし、ね。
だがしかし、本当にナニがあったのだろうかと、ドンドンと近づいてくる──そうするにつれて、ハッキリと黒い竜であると見て取れるようになった飛行物体に向かって、フッチが首をかしげた瞬間であった。
バンッ! ドタドタドタッ!
荒々しい音が、右手から聞こえたかと思うや否や、
「ふふふふ、フッチさんっ! なな、なんか飛んできてますけどっ!? あああ、あれって、竜……ですよね!?」
どこか泣きそうに顔をゆがめながらも、しっかりと瞳に強い光りを乗せて、この城の城主が姿を現した。
昔の自分が知っている他の天魁星の誰とも違う「天魁星」の登場に、
「ちょうど良かった、トーマスさん。」
さっそく、飛んできた竜の──おそらくは同僚の誰かの竜の──降下地点を相談しようと、穏やかに微笑んで見せた。
しっかりと腰にしがみついてくるシャロンの肩を、安心させるようにポンポンと叩いてやりながら、フッチは慌てた様子のトーマスに視線をやった。
穏やかなフッチの表情に、トーマスは小さく目を瞬かせ──それから、おずおずと、フッチを見上げる。
「あの──やっぱりあの竜って……フッチさんのお知り合い、なんですか?」
上目遣いにたずねるトーマスの声に微妙に入り混じった不安を払拭させるように、フッチは大きくうなずく。
──知り合いというか、実際これほど遠目では、あの竜が誰のものなのかなんて、サッパリ見分けがつかなかったが、ブライトが警戒していないのだから、「知り合い」であることは間違いないだろう。
黒い竜と言っても、光の加減や少しの模様加減で、色合いが違う。
間近までこないと、あの騎竜が誰のかなんてわかるはずもない。
「ええ、竜洞騎士団の同僚の者だと思います。──先の知らせはなかったですが……何か起きたのでなければいいんですけど。」
そう言いながら、苦虫を噛み潰したような顔になるシャロンの肩をたたいて、彼女をやんわりと引き剥がした。
「とにかく、あの竜が着陸する場所を確保したいんです。
さすがにこの甲板の上に降りられるわけには行きませんし、空から目につきやすい場所の方がいいと思いますし。」
いつもフッチが使っている着陸場所では、この地の地形になれた者ならとにかく、来た事がない人間なら辛いはずだ。
本来ならブライトと一緒に飛び立って誘導してやったほうがいいのだろうが、残念ながらブライトはまだ水浸しのまま──緊急事態でもない限り、上に乗るわけにはいかない。さすがに滑って危ないし、ブライトに大きな負担をかけることになってしまう。
「えっ、あ、そうですね──。」
フッチの要望に、軽く目を見張らせたトーマスは──少し視線をさまよわせたあと、ニコリと唇をほころばせて微笑んでくれた。
「それなら、牧場はどうでしょう? あそこで旗を振れば、十分なスペースがあると思いますし。」
提案してみせたトーマスの言葉に、南の空から飛んでくる黒い塊にしか見えない竜の位置を見上げて、うん、とフッチは頷いた。
「うん、十分だ。」
ありがとうございます、と礼儀正しくトーマスに礼と言ってから、すぐにその牧場へと向かおうと考えて──フッチは、あ、と気づく。
手に握られた冷え切った濡れタオル。
そして、まだ濡れたまま、消えかけている白い泡をところどころに乗せたブライト。白い湯気を頼りなく上げている桶。
「…………あ、と────。」
ブライトをこのままにしておくわけにはいかない。
けれど、あの竜がこの城の上空にくるのはすぐだろう。
「牧場には僕が先に行ってきます。フッチさんは、ブライトさんを洗い流してからいらしてください。」
フッチの逡巡を即時に理解したトーマスは、フッチに安心させるように微笑んで見せた。
「そう言って下さるとありがたいです。
──シャロン、君もトーマスと一緒に行ってくれ。」
「ええぇぇぇぇー!!」
タオルを握っている手とは違う手でヒラリとシャロンの肩を押すと、それまで黙って空の竜を見上げていたシャロンが、悲鳴に近い声をあげる。
「シャロン……。」
「だ、だって、もしアレが、僕を連れ戻しにきたんだったらどうするんだよ!」
なんだかんだわがままを言いながら、自分がだいぶ無理を言ってフッチについてきているという自覚はあるらしい──連れ戻されても仕方がないと思っているあたりに、苦笑を覚える。
「ソレはないって言っただろ、ミリア団長がわざわざそんなことに竜を使うわけがない。」
きっぱりと言い切るフッチに、それでもシャロンは抵抗したいのか、すねたように唇を尖らせてよそを向く。
フッチは小さくため息をこぼすと、
「もし何か急用なのだとしたら、大変だろう? 僕もすぐに行くから……。」
本来なら、先触れもなしにやってきた竜騎士が相手なら、フッチが自ら迎えなくてはいけないところだ。
ただ今の時点では、ことが急ぐのかどうかもわからない。
だから、竜騎士ではないが、竜洞騎士団の人間に着陸地点に居てもらった方がいい。
フッチのそんな判断が間違っているわけではない。それがわかるからこそ、シャロンはそれ以上彼の言葉にはむかうことはできなかった。
それ以上何か言うことはなく、しぶしぶの体ではあったが、身を翻してトーマスの傍に歩み寄った。
「フッチもすぐに来てよね。」
すねたような表情をそのままに、そう言うシャロンの、どこか甘えたような口調に、フッチは苦い笑みを刻みながら頷いた。
「それじゃ、トーマス、シャロン、頼んだよ。」
フッチの言葉にトーマスが頷き、シャロンを伴って甲板から去っていく。
少し急いだその足取りを目にとめてから、フッチはパンと音を立ててタオルをはたいた。
そのままブライトを見やると、彼は近づいた竜を、ジ、と見つめていた。
その視線につられるように、もう一度竜を振り仰ぐ。
竜洞騎士団からやってきただろう黒い竜は、優雅に上空で旋回体勢に入るところだった。
「急がないとダメだな……。」
まぶしげにそれを見上げてから、フッチは視線をブライトに戻す。
「さぁ、ブライト──急いで洗い流して拭き取るからね。」
言いながら、ぬるくなった湯を掬いあげて、小さな泡を洗い流す。
いつもなら、湯をかけてやりながら丁寧に撫でてあげるところだが、今はそんな暇はない。
シャロンとトーマスに任せはしたが、自分もなるべく早く牧場に向かった方がいいからだ。
「きゅぅ……。」
甘えるように首を摺り寄せてくるブライトの首を撫でてやりながら、フッチは水気をたっぷりと残した体にタオルを当てて、乱暴にならないようにブライトの体を拭き取った。
たっぷりと水分を吸い取ったタオルを強く絞り、それを片手に持ちながら、
「ブライト、悪いけど今日はお前の体が乾くまで傍に居てやる時間はないんだ。
このままココに残っていてくれよ?」
ブライトの綺麗になった体をいとしげに一撫でする。
「ぐるぅ……。」
そんなフッチの仕草に、不満げに鼻先を突きつけてくるブライトに、苦い笑みを刻み付ける。
「ダメだよ、ブライト。冷えた体で飛んだら、体を壊しちゃうだろ? 戻ってきたら午後の散歩に付き合ってやるから、僕が戻ってくるまではココで日光浴でもしてて?」
甘やかしていると、同僚が聞いたらすかさず突っ込んでくるようなことをささやきながら、フッチはブライトに微笑みかける。
「きゅぅぅ……。」
向けられたフッチの微笑みと声に、不満げな表情を隠しもせず、ブライトは小さく鳴いたが、フッチがそれを許してくれないと知ると、しぶしぶと尾を翻す。
ドシドシと音を立てながら水浸しの甲板の上から、さきほどシャロンが居た場所まで移動して、たっぷりと太陽の光が落ちるソコに、どっしりと腰を落とした。
──その仕草や態度が、なんだかシャロンに似ているな、と、そう内心思ったことは隠して、フッチは、うん、と一つ頷いてやった。
タオルを持ったまま腰をかがめて、桶の中身を湖に捨て、空になったソレを小脇に抱える。
これで今日のブライトの沐浴は終了だ。
「それじゃ、ブライト、行ってくるからおとなしくしているんだよ?」
素直に甲板にしゃがみこんだブライトの首を一度撫でてやってから、フッチはさて、とまずは桶とタオルを借りた風呂屋に向かうことにした。
上空を見上げると、降下体勢に入るために旋回を大きめにとり始めた竜の姿が見て取れた。
急げば降下した直後には間に合うかもしれない。
そう判断したフッチは、慌てて階下へと続く階段へと、走っていった。
パタン、と、ブライトの尻尾が落ちたのは、その瞬間であった。
「きゅぅぅ?」
甘えた声を零して、キョロリと目を回す。
白い体の中、ひときわ際立つ黒い目で射抜いた先──悠々と飛ぶ己よりも大きな竜の姿を認めて、彼は、歯を剥き出しにして鳴いた。
「くぅ。」
喉の奥で呟くように鳴いたその声は、ひどく嬉しそうな響きを宿していた。
木々に囲まれた、ぽっかり空いた牧場地──放し飼いにしてあった馬を急遽馬小屋につないで確保した広々とした空間。
その中央付近に立って、トーマスは華奢な腕で大きな旗を振っていた。
ちょうどいい目印の旗が見つからなかったので、振っているのは会議室に飾られていた飾り用のフラッグである。
これがまた重く──二度三度振っただけでもう、腕が重く鉛をつけたようになっていた。
「んー……なんかアレ、見たことある竜なんだよね。」
そんなトーマスの隣で、腰に手を当てて顎を逸らして鼻の頭にしわを寄せるシャロンに、そうなんだ、と答えようとして、トーマスの口から荒い息がこぼれる。
腕がビリビリと痺れていたし、荒い呼吸のおかげで唇も喉も乾いていた。
「黒いけど、あの部分が白だから、ブチ……だと思うんだけど。」
「ブチぃ?」
少し迷うように首をかしげたシャロンに、柵に腰掛けて同じく竜を仰いでいたキャシーが叫ぶ。
いくらなんでも、犬猫につけるような名前を、あの優美な竜につけるのはどうかと思ったらしい。
「竜騎士がつけた名前は別にあったんだけど、なんか長ったらしいから、僕がつけたんだよ、愛称。」
足を肩幅に広げて堂々と立つシャロンの言葉に、あぁ、なるほど、とキャシーが頷く。
シャロンは、上空で旋回する竜を見上げて、やっぱりそうだ、と小さく呟いた。
ということは、やはりフッチが言うように、竜洞騎士団の竜であることは間違いない。
もし、母さんからの伝言とか受けていたらどうしよう──そう思うと、気が重くてしょうがなかった。
そんな、気もそぞろな彼女に向かって、トーマスはヨロヨロの動きで旗を振りながら、
「──はぁ、はぁ…………も、もうそろそろ……気づいてくれたかな…………?」
急がなくちゃと、慌ててやってきたのはいいが、やっぱりフラッグを振るのは、ココに来る途中で声をかけてくれたペギィにお願いすればよかった。
そんな後悔を覚えていた。
風がないのが幸いであったが、それでも普段飾り用に使われている旗は重い。
戦闘中に、旗持ちとして参加しなくてよかった、と思うと同時に、もう少し腕力を鍛えたほうがいいかも、と思ってしまう。
明日は絶対に筋肉痛だと、そう思いながら尋ねたトーマスに、
「え、あ、あぁ、ゴメン! もう降下姿勢に入っているから、旗降ろしてもいいよ。」
シャロンは、ようやくトーマスの存在を思い出したと、すまなそうに眉を寄せて答えてくれた。
トーマスはその言葉に、ドッと疲れを覚えて、ドスンッ、と地面に食い込むようにして旗のソコを落とした。
そしてそのまま旗を地面に横たえると、ビリビリと痺れた感のある手を振る。
「──お、重かった……。」
たったアレだけのことなのに、足もパンパンに腫れたような気がしてならなかった。
はぁ、とため息を零して、汗をべっとりと掻いた手の平をズボンに押し付けるようにする。
「大丈夫、トーマス?」
少し眉を寄せて尋ねてくるシャロンに、平気、と疲れたように笑ってから、トーマスは視線を上空に上げた。
上空を優雅に回っているように見える竜は、真下から見ても迫力があった。
ゆったりと風を切る翼。空を横切る尾。
ここから見てもハッキリと肉眼に移るくらいだから、大きさも結構大きいのかもしれない。
竜といえば、ブライト以外見たことがないトーマスには、どれくらいの大きさが竜の通常の大きさなのかはわからなかったが──フッチが言うには、人が乗せられるようになっただけで、ブライトもまだまだ子供なのだとか言っていた。
それを思うと──、
「…………────どうなんだろ…………。」
はぁ、と上ずった吐息が唇からこぼれた。
ゴクン、と喉を鳴らすと同時、
「来る……っ! 離れて、トーマス、キャシー!!」
バッ、と腕を真横に出したシャロンが、鋭く叫んだ。
「え、離れてって……?」
ガラン、と落とした旗を見て、上空の竜を見上げて──その竜が、クルリと鼻先を変えて舞い降りてくるのを認めたトーマスは、大きく目を見開いた。
まるでココへ突撃でもしてくるように見えたのだ。
「って、コレだけ離れてるから大丈夫じゃないの?」
ブラブラと、物見気分で足を揺らすキャシーに向かって走り出しながら、ええぃっ、とシャロンはトーマスの首根っこをつかんで引っ張った。
「ブチは、大きいから、降下の時にすっごく風が起きるんだよっ!」
「あぁ……やっぱり大きいんだ…………。」
ずるり、とシャロンが引っ張ったおかげで、肩から脱げたベストを指先に引っ掛けて戻しながら、トーマスもシャロンに続いて走った。
そうしながら顔を上にあげると、どんどん近づいてくる竜の顔がよく見えた。
大きな目と、いかつい顔──薄く開いた口からは、今にも炎が飛び出して来そうだ。
キャシーが居る柵のあたりめがけて走るシャロンとトーマスの上に、黒い影が舞い降りてくる。
それと同時、ブワリッ、とあたりの草が沸き立った。
「ぅわっ。」
バサリッ、と、耳を打つ風の音がする。
その音が何の音なのか、わからないわけでもない。
頭の上を影が通り過ぎて、それでも風はシャロンとトーマスの後ろから吹きすさんでくるだけで、一向に収まる様子を見せなかった。
あともう少し走れば柵のあたり──と言うところで、シャロンはようやく足をとめた。
ざわざわと揺れる草の上、しなやかな足でトンと立ち、トーマスの襟首をつかんでいた手を放す。
トーマスは、ゆがんだベストと襟首を撫で付けながら、バサバサと耳元で揺れる己の髪を掻き揚げた。
一段とひどくなった風の中に、獣のにおいが混じっている。
コロクやコボルトたちが持つ匂いとは違う──そう、どちらかというとリザート達のソレに似ている。
強く吹き付ける風に目を細めて、必死に足を踏ん張りながら、振り仰いだ先──すぐ目の前に、バサリと揺れる羽根の先があった。
「──……っ。」
ヒュッ、と、思わず息を呑んだトーマスの隣で、シャロンが足を少し開いてたたずみ、目の上に手のひらをかざしているのが見えた。
彼女の髪もまた、バサバサと音を立てて揺れている。
同じようにトーマスの服も風を孕み、激しいほどに強く揺れた。
それを片手で押さえつけながら、ふとトーマスはどうでもいい事実に気づく。
──そうか、だから竜騎士の人や、蟲使いの人は、体にピッチリした服を着るんだ。
竜が舞い降りる地点から、草が外へ向けてなびいていっている。
強い風がソコから生まれているのだとわかる光景に、少し膝を落とした。
そうやって、身構えていたのもほんの数瞬。
トーマスがどうでもいい事実に気づいて納得したときには、竜の足が地面についていた。
かと思うや否や、あれほど荒れていた風も、ストン、と勢いをなくして、草がソヨリと揺れるだけになってしまう。
残されたのは、バサバサに髪の乱れたトーマスとシャロン。
そして、帽子を吹き飛ばされないように身を屈めたまま、柵から落ちてしまったキャシーの姿だった。
「────…………わぁ……………………。」
風がやんだのに気づき、恐る恐る目を上げたトーマスは、すぐにポカンと口を開いてしまった。
フッチがこの城にやってきたときも、彼が乗ってきた竜の姿に驚いたものだけど、生まれて二匹目に見る竜は、もっとすごかった。
何がすごいかというと、大きさである。
ブライトはまだ幼年期の中だし、少しほかの竜とは種族が違うみたいだから、すべての竜がこうじゃないよ、とそうフッチが言っていたことが、今よくわかった。
目の前の竜は、足をしっかりと落とし、その場に腰を落とし、さらに翼まで仕舞っているというのに、その大きさは──見上げるほど巨大。
てかてかと光る黒い体には、シャロンが言ったように「ブチ」のように見えないこともない白い模様が少し走っていた。
それがその体を見劣りさせるかというととんでもなく、眉間のあたりに入る白い模様がまた、その竜を美しく見せている。
思わず感嘆のため息が出るほど、立派な竜だった。
乗り手らしい人が、竜の首の付け根のあたりにつけた手綱を手にして、竜の首を何度かなでさすってから、こちらを見やるのがわかった。
でもソレに反応できず、ただトーマスは、口を開けっぴろげにしたまま竜を見上げた。
雄雄しい尾は地面の上でクルリと巻かれ、しなやかな背には小さな籠のようなものが一つ載せられている。
折りたたんだ翼すら見とれるほど美しく、ギョロリと動くその黒い目は、理知あふれる輝きが宿っている。
ブライトの、どこか落ち着きのない可愛らしさとはまったく別の、りりしい格好よさが目の前にあった。
まさに、「物語の中の格好良い竜」そのものだった──ブライトには申し訳ないと思うが。
「あー…………えーっと…………。」
城主であるトーマスが固まってしまって、シャロンは居心地悪そうに身をよじった。
ツンツン、と肘でトーマスをつつくが、彼は目をキラキラと輝かせて竜の姿に目を奪われているばかりだ。
初めて竜を見るなら仕方がない態度ではあったが──シャロンとしては、苦い感情を抱かねばなるまい。
つまり、この竜の騎手の相手を自分がしなくてはいけないのだ。
「あー……もう……っ。」
面倒だと、顔に貼り付けながら、シャロンは一歩足を踏み出した。
グイッ、と見上げた竜には、籠が載っている。
あの籠を載せるということは、ソコに誰かが乗っているということだ。
──まさか、母さんじゃないよね……?
あの母が、自分を連れ戻すためにココに来るはずがないと思ったし──なんだかんだいいながら、フッチのことを信用しているようだし──、そのために私用で竜を使うようなことはないと、フッチに言われるまでもなく知っている。
だから、母に怒られる用件ではないのだとわかっていたが、それでもイヤな予感はぬぐえなかった。
「…………遠路はるばるご苦労さまですっ!」
声を張り上げて言い切るつもりだったのに──言葉は少し掠れてしまった。
ゴクン、と喉を上下させて、シャロンが見上げた先──竜の手綱を縛り、ちょうど降りてこようとした竜騎士と目が合った。
長身の男は、苦い笑みを唇に貼り付けたかと思うと、ひょい、と身軽にシャロンの前に降り立った。
「突然の訪問に驚かれたと思います──シャロンさま。」
「──……フッチなら、もう少ししたら来ると思うけど……誰か連れてきたの?」
不安げに眉を寄せて尋ねるシャロンに、男は少し困ったように首をかしげた後、シャロンの言葉への返事を避けて、彼女の隣に立っていたトーマスへと視線を当てた。
「こちらは?」
あからさまに問いを交わされたと、シャロンは籠へと視線を飛ばす。
ちらり、と見上げただけでは、籠の中身は見えない。そこに入っているのが人なのか荷物なのかすらわからなかった。
鼻の頭に皺を寄せたシャロンの隣で、トーマスが慌てたように我に返り、いつのまにか目の前に現れた男に向かって、ピョコリと頭を下げた。
「あっ、す、すみませんっ! 僕は、このビュッデヒュッケ城の城主をしております、トーマス、と申しますっ!」
ガバッ、と勢い良くお辞儀をするトーマスに、少し目を見開いた男ではあったが、すぐにトーマスが言った台詞の内容を思い返して、
「城主殿でしたか……それは、ご挨拶が遅れて申し訳ございませんでした。
私は、竜洞騎士団の竜騎士を勤めさせていただいている者で──今日は所用で立ち寄らせていただいた次第です。」
丁寧に一礼した。
それにトーマスも慌てて一礼し返す。
「いえいえ、こちらこそ、不手際ばかりで──困らせてしまったかと思います。」
「とんでもありません。先触れもなく訪れたこちらの方が不手際だったのですから。」
もう一度恐縮して頭を下げようとするトーマスを制して、竜騎士はシャロンを一瞥した後、トーマスに向かってかすかに微笑んた。
「わが竜洞騎士団のフッチとシャロンがお世話になっているそうで、本当にご迷惑をおかけいたしております、と──わが団長からのご伝言も承っております。」
最後に零した一言に、ピクリ、と反応したのはシャロンであった。
彼女は、わざと逸らしていた視線を、ちらり、と竜騎士へと向ける。
すると、ちょうど意味ありげに視線を飛ばしてきた竜騎士と視線がぶつかった。
思わずシャロンは、首をすくめるようにして視線だけを宙に飛ばした。
──やはり母は、しっかりお見通しであった。いや、多分、なんだかんだでフッチが報告しただけだと思うが。
「いぃぇっ! ご迷惑だなんてとんでもないっ! こちらこそ、本当に助かっているくらいです! その……竜洞騎士団さんの竜騎士さんを戦力に借りているのも、申し訳ないくらいで──……。」
本当に申し訳なさそうに眉尻を落とすトーマスの台詞に、トーマスが悪い人物ではないと判断を下した竜騎士は、ちらりと籠の上を見やった。
そしてそのままの動作で、コックリと頷いた──何かの合図のように。
それに気づいたシャロンが、顎を引き上げ、ヒタリと籠をにらみつけると同時、
「あっ! 本当に竜が居るわっ!!」
背後から──先ほどシャロンとトーマスが来た方角から、声が飛んできた。
それと同時に、
「おっ、お嬢様っ! 危険ですよーっ!」
その声にいつも付きまとっている──いや、付きまとわされている?──男たちの声も聞こえる。
籠の方へやっていた視線を、シャロンは思わず引き戻し、背後を振り返っていた。
案の定、予想通りの姿が、柵の数歩手前で歩みを止めた。
ピタリ、と胸を張って立ち止まる姿も、片手を腰に当てて見据える強い目も、何もかも、想像通りの娘であった。
「ほら見なさい、やっぱり竜だわ。」
言い切る赤茶色の髪をした娘は、悠然と顎を引き、トーマスの前に立つ男を見据える。
シャロンやフッチと同じ額飾りをした男が、この竜の主であることは間違いない。
「竜って指摘したのは、俺なんですけどねー……。」
どこか軽い口調で、それでもボッソリと呟かずには居られなかったサムスの向こう脛に、すかさずリリィの蹴りが決まった。
女性のブーツは凶器である。
思わずしゃがみこんだサムスを一瞥することなく、リリィはカツカツと柵へと──からだを起こして、ペタン、とその場にしゃがみこんでいたキャシーの隣に立つと、
「あなた、いったい何の用でこのお城にやってきたのかしら?」
スゥ、と瞳を細めて、声も高らかにそう聞いた。
なんだかこの場で一番えらそうなリリィの態度に、はぁ、とリードは額に手を当てる。──また始まった、と言いたげであった。
「──……彼女は?」
竜騎士の男は、勇ましい姿の女性を一秒ほど見つめてから、トーマスとシャロンを交互に見やる。
そんな二人が、なんと言って良いものかと、困惑げな視線を交わしたとき。
「すみませんっ! 遅れて……っ!!」
ようやく──フッチが到着した。
「あっ、おっそーい、フッチっ!」
思わず……安堵を覚えるとともに、非難の声をあげて飛び上がったシャロンは。
「………………何、アレ………………?」
走ってくるフッチが背後に引き連れた、物見高いギャラリーを見て、思い切り良く眉をしかめてみせた。
「──……アヒルの行列?」
そう思うほどに、フッチの背後には──竜が舞い降りてくるのを見た人間たちが、続いていたのである。
後から続いてきた大勢の人に、思い切り顔を歪めてみせたシャロンに、ようやく牧場まで辿り着いたフッチは苦笑を刻ませながら柵を一越えする。
「すみません、遅れてしまって……。」
もう一度軽く謝りながら歩み寄ってきたフッチの傍らに、スルリと逃げ込むようにシャロンは近づいた。
そんな彼女に苦笑を覚えながら、フッチは自分の隣に立つ彼女を一瞥してから、黒い竜に乗ってやってきた同僚を見やった。
頼もしい微笑を浮かべる男は、フッチよりも年下ではあったが、彼よりも実務経験は長い──そんな彼がココへ来る用事が、少し気になり、険しい表情になるのをとめられない。
そんなフッチに、男も困ったように微笑み、
「いや、別にたいした用件じゃないんだけどね。」
ひょい、と気安げに肩をすくめる。
「でも、君がわざわざ先触れもなく来るんだから……。」
言いながら、フッチは竜を仰ぎ見る。
相変わらず丁寧に手入れされた竜の体は美しく、思わず目を眇めて見とれるばかりだった。
背後でも、柵の周りにたかったギャラリーたちが、口々にすげぇ……だとか呟いている。
確かに、普段の甘ったれブライトを見ている人々にとったら、この竜は王者の竜のように感じることだろう。
こういうとき思う──戦闘時にどれだけすばらしい才能を見せても、普段の姿が物を言う……自分は相当ブライトを甘やかせているのだと。
「急ぎの用だって、団長から聞いたんでね……急遽空いている俺がこうして送ってくることになったんだけど……。」
男も、そう口には出しながらも、釈然とするものがないらしい。
なんともいえない、あきれたような苦いような顔つきをしながら、チラリ、と自分の愛竜の背に乗った籠を見上げる。
その籠は、フッチにも覚えがある。
まだ小さいブライトに乗せたことはないが、まだ彼が幼かった頃には、同じようなものを使ったことがあった──初仕事の時に、一度だけ、ではあったが。
あの時も同じように、黒い背中に籠を固定したのだった。──6人もの人間を乗せて。
「団長が急ぎの用だと言うなら──たいした用件じゃないっていうのは……おかしいんじゃないのか?」
団長と急ぎ、という言葉が出るたびに、シャロンは半歩ずつフッチの後ろに隠れていく。
それほど母が気になるのなら、無理矢理フッチについてくるだとか、母に内緒で着いてくるだとか言うことをしなければいいのに、いつもこうやって後の祭りなのだ──シャロンは。
もっとも、なんだかんだ言いながらシャロンに甘いフッチにも問題はあるのだが。
「イヤ──単に客人を……お前を訪ねてきた客人を乗せてきただけなんだよ。
その客人が急用だって言うからさ──。」
「客人?」
クイ、と顎でしゃくりあげるように、再び籠を示す竜騎士に、フッチは眉をさらにしかめた。
通常の竜騎士ならば、他所の土地から己を訪ねてくる人間など、まずいないに等しいだろう。
だが、フッチは違った。
竜洞騎士団始まって以来の「追放者」であり、「出戻り者」なのだ。
だから、ほかの竜騎士と違ってほかの土地での経験や、旅の経験、知り合いの多さも群を抜いている。だからこそ、こうして他所の土地の偵察などに使われることが多いのだけど──わざわざ今の自分を訪ねてくる人間なんて言ったら、誰がいただろう?
首をかしげる間にも、男は小さくフッチに零す。
「いつもだったら追い返すのに、なんでかその人に限っては、団長がココへ送っていってやれって言うからさ……それも早急に。
どういう知り合いなんだよ、フッチ?」
「団長が…………送ってやれって………………。」
意味がわからない、と眉を寄せる男を、マジマジと見つめ──フッチは、驚いたように竜の背を仰いだ。
その籠は、下から振り仰いだだけでは、中身を見ることはできなかった。
まさか、と──思い浮かぶのは一つの顔しかなくて、フッチはそれを確かめようと、黒竜の元へ、一歩足を踏み出す。
「おい、フッチ?」
「ちょっと……フッチっ!」
自分を追い越して竜に近づこうとするフッチに、男が驚いたように声をかけ、同じようにシャロンも非難もあらわに彼の名を呼んだ。
けれど、それすらも耳に入らない様子で、フッチは籠を見上げる。
誰も入っていないように見えるその籠──けれど、今男が送ってきた人物が入っているはずだった。
──そうだ、確かに彼は知らないだろう……いや、覚えてないだけかもしれない。
何せアレは、18年も前のことだ。
自分よりは竜騎士の経験が長いとは言っても、彼も当時はまだ4歳か5歳くらいだったはず。
そもそも、現在の竜騎士で、あの人のことを覚えているのは、ほんの一握りの人間だ。
まだ戦にも参加していなかった彼が、覚えているはずもない。
「まさか────…………。」
呆然と、籠を見上げるフッチに。
「…………タイミング逃したんだけど、もう出て行ってもいい?」
少し、呆れたような、疲れたような声が聞こえたのは、偶然でもなんでもなかった。
ハッ、と、あたりを見回したフッチの視線の隅……黒竜の体の影から、歩み出てくる人影があった。
記憶の中にある姿と同じ──漆黒の髪を覆う深緑のバンダナ、ほんのりと日に焼けた肌、整った造作、その中でひときわ目を見を引く琥珀色の瞳。
このあたりでは見かけない形の紅の胴着の上から、マントをまとっている。
どこをどう旅してきたのかと思わせるような服装は、昔と何も変わらない。
「────…………………………。」
「フッチ、お前の知り合いなんだな?」
確認をよこしてくる竜騎士に、頷く暇もなかった。
ただ唖然と、フッチはその姿を見下ろす。
昔は、見上げていた姿。
少しして、同じ目線で見た姿。
そして今は──いつ頃からだったか、最後に出会ったときに見下ろした位置よりも、さらに小柄に見えるような……。
「降りても良いっていうまで降りるなって、運転手さんが言うから、ずーっと待ってたんだけど──。」
「さっき、合図は送ったと思うけど?」
運転手、呼ばわりされて、カチンと来たらしい竜騎士が、自分が乗せてきた人物の危険度を知らずに、ぞんざいな口調を聞く。
それをとめなくてはと思うけれど、フッチは竜の首の下を潜り抜けて、自分の目の前に軽い足取りで姿を現した人物に視線をそそぐのが精一杯だった。
頭の先から足の先──当時と着ている服や靴は多少様変わりしていたが、見た目の印象はまるで変わらない。
第一印象は、どこかおとなしそうな少年、だ。
「送ってもらって、向こう側に降り立ったんだけど、その後なんかいろいろ立て込んでいるようだったから、ずっと待ってたんだよ。」
少しすねたように唇を尖らせる態度が、見た目の年齢を裏切っていない。
それどころか、少し幼く見えるくらいだ。
──人畜無害だな、確かに……見た目は。
その、様変わりしてない人の顔を、ただマジマジと見つめていると、ふと、こちらを見た少年目が合った。
彼は、やんわりと目元を緩めると、
「──やぁ、フッチ。」
いつもと変わりないように、挨拶してくれた。
「……こんにちは、スイさん。」
だから、こちらもいつもと変わりないように挨拶を返す。
いつ頃からだったか……自分たちの間にできた、約束事項だった。
突然ある日現れても、つい先日別れたような顔で、態度で挨拶する。
それが、多分彼にとって、最高の出迎えになるに違いないから。
「珍しいですね、あなたが俺を訪ねてくるなんて。」
軽口を叩くようにそう笑って尋ねると、フッチの口調に、シャロンと竜騎士が驚いたように顔を見つめてくるのがわかった。
ちょうど2倍ほど年が違うように見えるからだろう。
フッチが、目の前の──旅でボロボロになった服を着た少年相手に、丁寧語を使う事実にビックリしているのだということもわかる。
そして、後ろのギャラリーたちもまた、興味津々で話を聞いているということも。
スイもそれに気づいているだろうに、なんでもないことのように首を傾げると、
「そうかな?」
可愛らしく笑って見せた。
はにかむような、花がほころぶようなその微笑は、まさに天使の微笑み──……何も知らない一見人をだますには、最適な笑顔であった。
「そうですよ。」
さすが天然たらし──完璧にこの場の人間を落としにかかっている。
呆れたようにフッチが言葉を返すと、スイはゆったりとした歩みをフッチの手前で止める。
「いつも会うのは旅先だったと思いますから。」
「──あぁ、そうかもね。」
何年ぶり──というほど会ってなかったわけじゃない。
それでも、いつも会えば短い時間しか共にいなかったことを考えれば、こうしてゆっくりと会話を交わすこと事態がひどく久しぶりなのじゃないかと思った。
時には旅先で事件に巻き込まれた最中に、なぜか人質として捕まっていることもあった──どう見ても、人質になって楽しんでいるようにしか思えなかったが。
時にはとある村ですれ違うように出会ったこともあった──なぜか、賞金首を追っている最中なんだと叫んで去っていったが。
時にはとある町で頼まれたなぞの湖炎上事件を調べに行って、そこで実験道具と結果報告書を書いている姿とぶつかったこともあった。
「………………スイさん…………何が起きたんですか、今度は。」
思い返した出会いのほとんどが、事件がらみだったことを思えば──そう、確かに状況が状況なので、ゆっくり会話をする時間があるわけがなかった──、思わず半目でそう問うてしまったのも仕方がないだろう。
なのに、その事件の中心人物だったりした人物は、不思議そうに首をかしげて、
「何か起きた? ──って、何も起きてないよ?
ただちょっと、フッチに会いたくなったから、竜洞騎士団によってみただけなんだよ?」
パチクリ、と目を瞬いてフッチを見上げてくれる。
この不思議そうな顔と、外見年齢相応の表情を見れば、疑った自分が悪かったとそういうべきなのだろう。
べきなのだろうけど──フッチは、そこで聞き流してしまうほど、スイとの付き合いが短いわけではなかった。
「タダそれだけなら、ミリア団長があなたをココへ運んでやれなんていうはずはありません。」
きっぱりはっきりと言い切ってやる。
フッチのまだ直らない半目を見返しながら、スイはさらに首を傾げて、
「え、でも、グラスランドまで行くの、大変だなー、って言ったら、お任せくださいって言って、手配してくれたよ、ミリア?」
きょとん、と目を見張ってくれる。
そんな彼の言葉に、ミリアはきっと何か得体の知れないものを感じたのか、行くのが面倒だからそのまま竜洞騎士団で待ってるとか言わないように、さっさと手配をしてくれたのか──きっと両方のような気がした。
つまり、ハッキリ言ってしまうと、ミリアはフッチに彼を押しつけたのである。
「…………ミリアさん…………。」
う、と、思わず団長になってから呼んでいない呼び方で、フッチが恨みがましく彼女の名を口の中で零した瞬間であった。
「ちょっとあんたっ! 母さんを呼び捨てにするなんて、どういうつもりだよっ!?」
「そうですよっ、団長と呼び捨てにするなんてっ!」
シャロンと竜騎士が、噛み付くようにフッチの隣から怒鳴った。
その怒鳴り先は──もちろん、スイである。
スイは、突然自分に向かって怒鳴った二人をマジマジ見て──特に金の髪と赤い目のシャロンをマジマジと見つめて、彼女の名を呼んだ。
「……シャロン?」
「だったら何だって言うの!?」
キッ、と目つきを鋭くさせたシャロンに、ぅわー、とスイは驚いたように目を見張った。
「子供って、大きくなるもんなんだねぇ……。いや、ビックリした。
ミリアに似て綺麗になってきたじゃない、シャロン。」
「なっ……。」
素直な感嘆の言葉に、思わずシャロンが言葉に詰まった瞬間、スイは軽く腰を曲げるようにしてシャロンの目線に自分の視線を合わせると、
「あと数年もすれば、誰もがほうっておかないくらい綺麗になるね──君のお母さんもそうだった。」
柔らかに──「108星殺し」の微笑みを浮かべて見せた。
それを真横から見ていたフッチは、あ、出た……と、数年ぶりに見るその微笑の威力を直視することになった。
シャロンが、大きく目を見開いてスイの瞳を見つめ……見る見るうちの顔が真っ赤に染まっていくのがわかる。まるで音が立っているかのようなソレの直後、ゴクン、と喉が上下される。
ココまでくれば、もう陥落したも同然だ。
「あぁ──そういえば、僕の名前を名乗ってなかったっけ。」
シャロンが、パクパクと口を開け閉めしているのが、自分の名前を知らないため、名前を呼ぶことができないのだと判断したスイは、さらに微笑を深くさせると、ピンクオーラ垂れ流しの状態で、
「僕はスイ。──君のお母さんとフッチの、古くからの知り合いだよ……。」
本来なら、たかが14、5にしか見えない少年が吐くにしては、おかしい言葉を、平然と吐いてくれた。
──そして、その言葉の影に隠された事実に、とろけるような微笑の直撃を受けたシャロンも竜騎士も、気づくことはなかった。
それが幸いなのかどうなのかは、まったくわからなかったが。
あーあ、と、フッチはため息を零し、自分の額に手を当てた。
結局、スイが竜に乗ってココに連れてこられた原因はわかったが、なぜ彼が自分を訪ねてきたのかはわからないままだ。
できれば早急にそのなぞを解明したいところなのだが──。
「………………自室に移ったほうがいいんだろうな…………。」
チラリ、と視線をやった先で、トーマスがポカンと口を開いていた、柵の向こうでは自分の後についてきた物見高いギャラリーたちがひしめいている状態だ。
このままだと、しゃれにならない事態になる──たぶんもう少しすれば、ゼクセン騎士団の六騎士か、シックス・クランの代表者たちが様子を見に来てしまうだろう。
できることなら、スイのことは隠して起きたい。
特に、彼と一度あっているルシアには。
「とにかく、スイさん。時間があるんでしたら、俺の部屋に行きませんか?」
すばやく目配せして、とにかくココから立ち去りたいということを伝える。
それから視線を横へ流し、黒竜に乗ってきた同僚を見て、彼にはこのままトンボ帰りしてもらおうか、少し休んでいってもらおうかと、判断しかねて眉を寄せたフッチに、
「そうだね、しばらく厄介になるわけだし。」
スイは、当たり前のように微笑んで答えてくれた。
「………………なんですって?」
思わずフッチが、グルンッ、と首を回してくれるようなことを、当たり前のように続ける。
「だから、しばらく厄介になるし。」
「────…………あー……えーっと…………。」
ニコニコと、悪びれず笑ってくれるスイの態度はいつものことだ。
なんだか頭痛を覚えてこめかみをグリグリしてみるが、それでいい考えが浮かんでくるわけでもない。
そこでフッチは、素直にスイに尋ねてみることにした。
「それはつまり──僕に会いに来たっていうのと、関係あります?」
「ぅん? そうだね〜? フッチには、人探しを頼みに来たんだしね。」
なんでもないことのように、アッサリと吐いてくれた台詞に、なんだか胃痛を覚えたくなったのも気のせいではない。
というか……僕に頼むような人探しって、なんだ?
普通に人を探しているのなら、スイの持っている人脈を使えばいいはずだ。
たとえば、ロッカクの里の人間だとか、たとえば、元ハイランドに使えていた忍び集団だとか、たとえば口に出すことはできないようなツテだとか。
そういう人脈が、彼にはイヤになるくらいはびこっているはずだ。
「…………まさかとは思いますけど────今このあたりで有名な人、とか……言いませんよね…………?」
恐る恐る──スイにだけ聞こえるような大きさで問うてみる。
スイがわざわざ探している人物と言うと、思い当たるのはほんの少し──それも自分に探させようと思っているということは、自分も知っている人間となる。
それを思えば、イヤな予感がしてもしょうがないのだったが。
「ううん、ソレはレックナートさまから大体の話は聞いてるから、つい2週間前にあってきたトコ。」
アッサリ。
パタパタと手を振って返ってきた台詞は、あぁ、そうなんですか、ではすまない台詞だった。
「あ、会ってきたっ!!?」
思わず心のままに声を荒げてしまい──慌ててフッチはココが公衆の面前だったことを思い出し、続きそうだった悲鳴を押し殺した。
「会ってきたって……あってきたんですかっ!?」
「そう、で、目の前に現れて朗らかに挨拶したら、言葉を交わす前に強制的にテレポートさせられたんだ。」
なんでもないことのように話してくれるスイの、どこか楽しそうな口調に、イヤだったが何が起きたのか、アリアリと想像できた。
きっと彼は、ヒョイヒョイと神出鬼没な渾名の通り、「彼」の前に現れて、挨拶したに違いない。
その挨拶言葉がどういうもので、どう相手の勘に触ったのかはわからないが、魔力を挙げた「彼」の手によって、アッサリと目の前から輩出されてしまったのだろう。
「で、気づいたらトランでね、さすがにあそこからグラスランドまで戻るのは時間かかるだろー?
だから、フッチに送ってもらおうかなー、って思って──ついでに人探しも手伝ってもらおうと思って、竜洞騎士団に行ったんだよ。
そしたらフッチがいないって言うからさ、ミリアに、どうやってグラスランドまで行こうかな、て相談したんだけど。」
「………………………………………………。」
クラクラクラクラ。
久しぶりといえば久しぶりすぎる、「普通に考えたらありえないだろ」的展開に、思わずフッチはそのまま地面にのめりこみそうになった。
というか、グラスランドからトランまで一気にテレポートさせる「彼」もどうかと思うが、グラスランドまで戻るために自分のブライトを利用しようと竜洞騎士団までやってくるスイもスイだ。
そして、結果的に、スイはグラスランドまで竜を使って送って来てもらうことに成功した……というわけなのだろうが。
「────それって……人探しって…………テレポートされたことに対して一矢報いるため……ですか…………?」
これは、確実に人探しというのは、「アイツ」に違いないだろう。
そうフッチは断定しながら、チラリ、と額を抑えた手の隙間から目線をあげて尋ねると、
「いや──人探しはソッチじゃなくって……。
実はさ、テレポートさせられた時に、旅の連れも居てね。その連れを探さないとダメなんだよ。」
そうしないと、厄介なことになるからねー……と、しみじみと呟くスイの態度に、ポンッと頭に思い浮かんだのは一人の「過保護者」の顔だった。
「──って言うと……グレミオさん、ですか…………?」
フッチの頭の中では、相変わらず頭に花でも飼ってそうな能天気な下男の顔が浮かぶ。
長い間会ってないけれど、彼はいつも「ぼっちゃんぼっちゃんぼっちゃん」と叫んで居そうなイメージがある。そして常に、スイの隣には彼の姿があるに違いない。
だから、今回の連れもグレミオだと思って尋ねたのだが──考えてみたら、グレミオももう年が年なのだから、確かに一人でほうっておいては危ないかもしれない。しかも今、グラスランドは一触即発ムードなのだから、余計だ。
「いや──って、ああ、そうか、忘れるところだった。」
フッチの懸念をアッサリと否定して、スイはグルリと首をめぐらせて竜騎士の男を見上げると、
「すみません、帰ったらミリアに──貴殿の団長殿にご伝言をお願いできますか?」
まだ先ほどの「陥落笑顔」の余韻を残している男に、よそ行きスマイルを向ける。
「あ、は、はい……っ。」
竜から降りた直後とはまったく違った対応に、スイは軽く首を傾げつつ、それじゃぁ、と先を続けた。
「僕の家に、帰りは歩いていくことになるから、半年後になるって伝えておいてって、そう言っておいてくれるかな?」
にっこり微笑みで告げられた言葉は──なんだか伝言にしてはおかしかった。
つい先ほどまでの男とシャロンなら、団長と伝言代わりに使うなと起こっていたに違いないが、まだ余韻が残る二人は素直だった。
「あ、は、はい……わかりましたっ! ──あの、でもよろしかったら、おっしゃってくだされば俺がまた向かえにきますけどっ!」
さらに、ココまで言う始末だ。
「いや、いいよ。帰りはまたのんびりと旅をして帰りたいし……ああ、でも、伝言だけは本当に忘れないでね?
そうしないと、グレミオとレパントが暴走するから。」
心配そうに眉を寄せて呟かれた最後の一言に、フッチはグルリと首をめぐらせる。
そして、物憂げに眉を寄せて竜騎士に念押ししているスイに、すばやく低くささやいた。
「グレミオさんとレパントさんが暴走するってナンデスカ。」
「いや、フッチのところに行って来るって出かけただけだから、心配するかなー、と。
ほら、レパントってば、なんだかんだで大統領を辞任してからも、権力だけはあるからさ。
暴走したら、まずいでしょ?」
自分を知ることは良いことだが──これが過剰評価ではなく、本当にやってくれそうなレパントとグレミオが怖かった。
あぁ、確かにそうだな、と頷いたフッチは、
「それじゃ、僕も書面で送っておきます……お屋敷宛に。」
そう確実な案も提案しておいた。
彼が伝言し忘れたり、ミリアが伝言を忘れるなんてことはないだろうが──もしかしたら、彼らが信じない可能性もあるからである。
ぜひ手紙には、スイにも一筆書いてもらわねばなるまい。
そう思ったフッチの心を悟ったのか、スイはフッチの顔を覗き込みながら、
「そうそう。スイは預かった、返して欲しければ、今すぐ英雄の部屋を取り壊せ、とかねー?」
にっこりと提案してくれた。
思いっきり自分の自己満足を口にして。
「さり気に僕を誘拐犯にしないでください。」
そんなこと書いたら、本気でレパントとグレミオが襲い掛かってきそうだと、ブルリと肩を震わせてやる。
そうすると、スイはとても楽しそうに笑った。
そんなスイの笑顔を見ながら、フッチは苦笑に近い微笑みで、再び尋ねる。
「で、結局誰を探すんですか、旅の連れって?」
ソレがわからないことには、どうにもならないじゃないか。
促すフッチに、スイは今度はアッサリと探さなければならない相手の名前を口にしてくれた。
「あぁ、リオとジョウイ君だよ。」
────公開捜査は無理そうな二人組みであった。
これならいっそ、グレミオさんの方がナンボかマシだよ…………。
思わずフッチは、心の中でそう呟いた。
何せ、スイもスイなら、リオとジョウイもリオとジョウイだ。
その上、ついこの間からこの本拠地の劇場では、「赤月帝国」を舞台にした劇と、「ジョウストン都市同盟」を舞台にした劇をしている最中だ。
さらに言うならば、この城の中の重要人物は、絶対リオとジョウイのことは知っている。
デュナンの英雄と、ハイランドの最後の皇王なのだ。知らないはずはない。
「──あったま痛い組み合わせだな……もう…………。」
本気でコレは、自分以外に手を借りれる人間が居ないんじゃないか、と、その場で頭を抱えてしゃがみこみそうになった。
そんなフッチの耳に──遠く、風を切るように聞きなれた音が届いた。
ハッ、と顔をあげ、迷うことなく視線を城の方角へと当てる。
その方角──突然目を上げたフッチに倣うように、誰もが視線を上げた。
美しく広がる空──陽光を反射して、輝くような体を悠々と空に浮かべているのは紛れもない……竜。
「ブライトっ!!」
思わず思いっきり声をあげて叫んでしまったのは、本当なら愛竜は、船の甲板で自分の帰りを待っているはずだったからだ。
自分の仲間とも言える竜がやってきたからと言って、彼が自分の言ったことを無視して飛んでくるはずはない。
ならどうして──と、飛んでくるブライトに向かって足を踏み出す。
ブライトは、大きく翼を真横に広げ、低空姿勢になったかと思うと、牧場めがけて降下姿勢に入った。
ゴォッ、と巻き起こった風に、ギャラリーたちも、そしてシャロンたちもまた上半身を屈める。
スイも同じように顔の前に両腕を立てて、なんとか姿勢をこらえながら、ブライトが牧場の上に降り立つのを見た。
フッチが怒ったような顔でそんなブライトを出迎える。
「ブライトっ! ちゃんと待ってろって言っただろうっ! あぁ……っ、もう、まだ乾いてないじゃないかっ!」
まるで子供に怒るような口調で、ブライトの翼の付け根を確かめるフッチに、白竜は目を細めて顔を摺り寄せる。
フッチの頭にスリスリと頬を摺り寄せるさまは、非常に可愛らしかった。
どうやら、フッチに謝り、許しを求めているらしい。
「そんな風に甘えてもダメっ! 今日の午後からの散歩はなしだからなっ!
まったく、冷えた体で飛んだらダメだって言っているのに……。」
ブツブツと言いながら、フッチはそれでもブライトが甘えてくるように擦り寄ってくるのを止めるわけではない。
そんな光景に、
「甘いなぁ……。」
げんなりとしたように、苦い笑みを刻みながら竜騎士が呟く。
確かに、フッチは昔からブライトに対する態度があまり変わっていないような気がする。
あれから15年も経っているのに、だ。
「確かに甘いねぇ……。」
クスクスと、小さく笑いながら、竜騎士の独り言に同意して、スイも足を一歩踏み出した。
すると、ブライトはスイに気づいたのか、バタンバタンとせわしなく尻尾で地面を叩く。
自分の翼に触れているフッチの肩越しに、顎を上げて目をぱちぱちとせわしなく瞬いた。
「こら、ブライト!」
突然やんちゃに暴れ出したブライトを小さく叱るけれど、ブライトは落ち着こうとしない。
かと思うと、そのまま大きく乗り出すように首を長く伸ばした。
フッチは、そんなブライトを半分支えるような体勢で、何があるのかと肩越しに後ろを見て──上機嫌に目を細めているブライトの頬を、スイが撫でているのに気づいた。
それも、わざわざフッチの体に負担をかけさせるような体勢にして、スイの手が届く高さまで首を下ろして、である。
「────ブライト…………。」
疲れたように呟き、嬉しそうに鼻を鳴らすブライトにソ、とため息を零す。
「覚えていてくれてるんだね……ありがと。」
やさしく甘くささやくスイの声に、彼が動物に好かれる体質だったことを思い出す。
森の中で昼寝していると、よくムクムク達の乗られて目が覚めるんだと笑いながら言っていたこともあった。
そしてブライトも、一番フッチに懐いていたのは確かなのだが、スイのことも大好きだったのだ。
「──……まったく……。」
ポンポン、と、上機嫌の相棒の背中を叩いてやってから、体の下からスルリと抜けだしたフッチは、間に挟まった邪魔者が居なくなって、存分にスイにじゃれ付くブライトに、もうしばらく付き合わされるハメになった。
──もちろんブライトにしないと言い切った「午後の散歩」も、スイを乗せて行うことになるだろうことを、この時点で予測していた。
だからシャロンに、しぶしぶの様相を装いながら、
「僕の部屋に行って、手綱を持ってきてくれ。」
そう頼むのであった。
結局、ブライトにもスイにも甘いんだなぁ……と、自覚しながら。
NEXT>>> SIDE2
ようやく第一部アップです……すみません、長らくお待たせいたしました。
いろいろ試行錯誤の末、こういった展開になりました。
なんだか予想と違って、幻想水滸伝3舞台のくせに、幻水1のキャラが出張ってます。
まだ幻水3の主人公が出てきません(涙)、トーマス以外。
そして次回も出てくるかどうか疑問です。多分最後に三人そろって出てくるとは思うのですが──。
次回は、最後にチラリと出てきていた、「旅の連れ」編です。
SIDE3は、炎の英雄も出てくるハズv 多分それぞれの話は短編でも読めると思うのですが……どうなるかはまだ……。
次回SIDE2は、ストーリー展開はできているので、早かったら今年中にはお目見えできると思います。
ご、五周年までには完成させますのでご勘弁ください〜(><)