見た目と中身の反比例

1主人公:スイ=マクドール
2主人公:リオ




 狂皇子、ルカ=ブライト死す。
 そのニュースは、伝令よりも早く大陸全土を駆け抜けた。
 その強さ、残酷さ、凶暴さ――何一つとっても恐ろしいといわれ続けた戦武者は、もうこの世には居ない。
 リオが戦いを始めた理由であり、軍主として立った原因でもあるその人。
 あまり綺麗じゃない勝ち方をしたけれど、そうでもしなければ…………到底自分では勝てなかっただろう、猛者。
 彼を倒したのは、自分たちの力だけではないと、シュウが言った。
 ハイランドが、ルカを邪魔に思っていたからこそ、手を貸してくれた――その上に成り立つ勝利なのだと。もちろん、公でそれを明かすことはなかったが、いろいろな意味を含めて、そう諭してくれた。
 結果として、同盟軍はあのルカ=ブライトを破ることになったわけなのだけど。
「――…………。」
 正直な話、これでリオは、この同盟軍に居る理由は無くなったわけだ。
 リオもジョウイも、ルカの所業を許せなかったからこそ、戦いに身を投じたのだから。
 でも、個人レベルだけではうまく行かないのが、国と国の関係だということを、リオだって知らないわけじゃなかった。
 たとえハイランド側が、皇王となったルカを邪魔に思っていた結果、内密にこちらに手を貸していたのが事実なのだとしても――実際ルカを殺した同盟軍側に、いい顔をするとは限らないのだ。単に、同盟軍側を利用して、邪魔なタンコブを潰させただけなのかもしれない。
 それが、国と国との駆け引きで、政治の初歩の勉強で。
 しかも、世情はうまくハイランド側に同情が寄せられるように出来ていて、最初の休戦条約を破った同盟軍側に、ルカが怒って同盟軍の村々を焼き払ったことになっているし。
 真実が違うということを知るのは、すでにあの世へ行った元同僚達と、リオとジョウイだけ。
 今が一番大事なときだと、リオも分からないわけじゃなかった。
 分からないわけではないのだけど。
 それでも。
「……………………………………………………。」
 厳しい戦いを幾度となく切り抜けてきたときの緊張感とは無縁の、穏やかで暖かな日差し溢れる城下を見下ろしながら、リオはらしくないため息を零した。
 うまくシュウが采配を振ったとしても、互いに何らかの条件を提示した休戦条約に持ち込むのが精一杯だろうと、アップルが苦い顔で言っていた。
 リオなら、ジョウイとうまく話を持っていけるんじゃないのか、とシーナが彼女を慰めていた。
 ビクトールが、そうなりゃいいけどな、とどこか苦い顔で答えていた。
 何も言わず、フリックは酒を傾けていた。
 その意味が、わからないほど子供じゃないし、成長していないわけでもないと、リオは思っている。
 ルカ=ブライトが死んで、諸悪の根源とも言える存在が死んで。
 あの休戦条約破りは、ルカのしでかしたことだったんだと、僕とジョウイの二人が宣言したら、何もかも元通りになるのだろうか? ハイランドとジョウストンが仲良くなるとは思わないけど、休戦条約が元通り締結されて、僕達はキャロに帰れるのだろうか?
 何事もなかったかのように?
「それこそ、無理だ。」
――…………僕は、どうすればいいのだろう?
 ささやかなルカ=ブライトとの戦いの戦勝祝いの中、リオは一人で考えていた。
 自分の今の立場、これからの立場。
 同盟軍と、ハイランドと、ナナミと、ジョウイと、仲間達と。
 ハイランドから逃げ出して、ジョウストンで出会い、めぐり合った縁。
 アナベルさんが死に、あの当時ですら困窮していた同盟の結束は、更に薄れてしまうだろう。
 でも、それは本当に僕が居れば、固まるものなのだろうか?
 そもそも、僕とジョウイの二人が何とかしようとして、何とかなるような問題なのだろうか?
「そりゃ、僕は軍主だけど、結局決定権はシュウさんがほとんど握ってるしさ。」
 僕が、本当に何とかできる問題なのだろうか?
 考えても、考えても、答えが出ないことだとわかりながら、リオはため息を零す。
 今は、まだ答えは出ない。
 何も情勢は変わっていないから。
 ルカが死んだ、という「情勢」しか存在しないから。
 ルカを殺した――仮にも皇王を殺した同盟軍相手に、休戦条約を持ちかけてくるか、こちらから持ちかけた和戦条約に相手が乗るか。
 それは、ある意味賭けだとリオは考えていた。
 休戦条約にハイランドが乗れば、ハイランドの民達から不満を買うことになる。
 何せ、世には「ジョウストンはユニコーン少年隊を無残にも闇討ちした」として出回っている。そんな相手に、皇王を殺されて、休戦条約を飲んでしまったら、ハイランド王族は不信感を買うだろう。
 下手をしたら、内乱が起きるかもしれない。
「あーあ…………こんなことが、分かりたかったわけじゃないのになー。」
 ぽつり、と呟いて、リオはもたれた手すりにべったりと顔をつける。
 キャロで、三人で遊んでいた頃は、考えもしなかったことだ。
 ジョウイと、ユニコーン少年隊に居た頃だって、ラウドの趣味や癖の話で盛り上がるくらいで、その更に上のことなんて、思いもしなかった。
――――――いや、違う。
「………………………………ジョウイは、違ったのかもしれない………………………………。」
 ふ、と落とした視線の先に、右手の紋章があった。
 力が欲しいと、そう願った親友に答え、手にした「力」。
 盾の形をした紋章の向こうに――ジョウイがいる。








「和戦協定を結びに来たのですよ。」
 クールな顔に、不意に浮かんだ微笑は、とても柔らかで暖かだった。
 いつも難しい顔をしているという印象を与えがちな第一印象を裏切る、優しげな笑みだった。
 思わず突きつけられたナナミが、あら、と小さく声をあげた。
 彼の言葉を理解した町人達が、狂喜の声をあげる。
 それらを後ろに、リオは静かに彼を見つめた。
「あなたは――確か、クルガンさん…………でしたっけ?」
 相手の――ハイランド側の誠意は、彼がここに、たった一人で来るということえ果たされている。
 それはリオにも理解できた。
 何せ相手が言うことが本当なら、ハイランドの皇王は、自分の親友だ。
 十分信用するに値するのだけど。
「リオっ! 急いで城に戻って、シュウさんに伝えないとねっ!」
 ナナミが、無邪気に笑う。
 その彼女の笑顔に、リオはぎこちない笑みを広げて――コレではダメだと、内心密かに焦った、そのときである。
「リオ、驚くのは分かるけど、今は驚く場所が違うんじゃない?」
 軽く優しい口調とともに、ぽん、と右肩が叩かれたのは。
 え? と、あげた視線の先で、柔らかな琥珀の瞳が笑っている。
「親友が、自分に何も言わずに結婚したのは、そりゃショックだとは思うけど。
 とりあえず今は、和戦協定っていう、嬉しい知らせを耳に止めないとダメじゃない?」
 クスクスと、からかうように笑う彼に、リオは小さく言葉に詰まった。
 自分がショックを受けたのは、それにじゃない。
 けど、相手はそれもわかっているかのように、笑顔をクルガンに向ける。
「もー、リオは天然ボケボケなんだから。」
 心を和ませるようにそう笑って、背中を叩く彼の意図が、一瞬でわかって、リオは照れたように笑って見せた。
「だ、だって! ジョウイはまだ17なんですよ!? それなのに、結婚だなんて、びっくりじゃないですか! それも、王女様と!」
 興奮したように装う内面、ひどく冷めた自分が居た。
 それが嫌なのに、目の前の人は、軽く目を見開いてリオの顔を見つめて、リオを誘導していく。
「逆シンデレラだね、それって。」
「逆玉ですよっ! ジョウイがもともと面食いで、ジル皇女が初恋の相手なのは知ってたけど、それって何だか許せないんですー!」
 拳を握って、彼が望むように力説してみせると、そんなリオと「彼」との間の駆け引きめいた掛け合いに気づかないナナミが、口を挟む。
「えええええーっ!!? ジョウイの初恋って、ジル皇女なの!? うっそーっ! それって、いつの話!? リオもジョウイも、おねえちゃんにも内緒だなんて、水くさいぞっ!」
 いつも以上に、どこか力の入った言葉だった。
 その原因に、リオは思い当たることがあったけど――おそらくは、ジョウイのことがショックで、それを隠すのに必死なのだろう――、ナナミには関係ないよ、と嘯く。
 ナナミはリオの誘いにあっさりと乗ると、
「こらーっ! リオっ! それはどういう意味よっ!?」
 ぶんっ、と拳を振り上げようとした。
「わわっ! ナナミったら、乱暴なんだよっ!」
 慌てて、リオは「彼」の後ろに隠れようとする。
 そんな姉弟を、微笑ましそうに見ていたその人は、クスクスと笑いながら、蚊帳の外になってしまった客人を示した。
「二人とも、クルガンさんを放っておいたままだよ? せっかくのお客様なんだから、お城までお連れしないと――ね?」
 首を微かにかしげるようにして笑った人の、穏やかな空気に、リオは自然な笑顔を見せた。
「あ、そうでした、そうでした! ほら、ナナミ、そういうことだから、ね!?」
「んっもー…………後で覚えてなさいよ、リオ。」
「ええーっ!?」
 非難めいた声をあげてから、リオは慌てて取り繕ったような顔で、クルガンを見た。
 先ほどとは違う、無表情な顔でこちらの一連の出来事を眺めている。
 そんな彼に、リオは照れたように右手を差し出した。
 驚く彼に、
「僕が、同盟軍のリーダーを務めています、リオです。」
 握手を、とリオは願い出た。
 クルガンは、無言でリオの手を取ると、がっちりと握手を交し合う。
 「これ」がどういう意味を持つのか、リオは分かっていたから、あえて、にこやかに微笑んで見せた。
 偶然一緒にクスクスに来ていた「彼」が、わざと作ってくれたムードを、壊さないように――それを、最大限に生かすために。





 無邪気に、思う存分クルガンを引っ張りまわしたのは、一重にナナミと「彼」が一緒に居たためだと、リオは思った。
 城に行くには、船で行くのが一番ですから、とクスクスから船を出し、湖の遊覧を楽しんだ。
 その間、ナナミはクルガンにジョウイの様子を心配げに尋ねていた。
「ジョウイ、やっぱりにんじんとか残してます? それにほら、低血圧で、なかなか目が覚めないでしょ? ちゃんと起きてます? あのね、どうしても起きなかったら、頭に鍋をかぶせて、思いっきりお玉で殴ると効果的なんです。ジョウイ、これでいっつも起きるんですよ。」
「それは、誰でも起きると思うよ、ナナミ…………。」
 というか、その場面を思い浮かべるだけで、リオの顔は心持ち青ざめた。
 普通の人は、こういう起き方をすれば、寝覚は最悪である。
「あとね、ジョウイ、この時期になるといっつも風邪引くんです。夜更かしして、本を読むから、湯冷めしちゃうんですよ!」
「ナナミがこの時期に風邪を引くのは、腹出して寝てて、寝冷えしちゃうからだけどねー。」
 肩をすくめて、そんなことを突っ込めば。
「……………………リオー!!!」
「わわっ!」
 慌ててリオは、ナナミの魔の手から逃れようと、狭い船の上を駆け抜ける。
 そんな彼らに、クルガンが難しい顔になる。
「いつも、ああなんですよ、あの姉弟は。」
 「彼」はそう言って、微笑ましい笑顔を浮かべた。
「は…………そうなのですか。」
 答えるクルガンに、その人は頷く。
「元気だから見ていて飽きませんよ。――と、リオ、ナナミ。あんまり暴れると、船がひっくり返っちゃうよ。」
 まるでお兄さんのように注意する彼に、はぁーい、と二人が返事をした瞬間――彼の予想通り、船はひっくり返ってしまったのであった。
「ご…………ごめんなさい…………。」
 謝る二人の姉弟と一緒に、城について真っ先に向かったのは、お風呂であった。
 さらにお風呂から出たあと、「本当にごめんなさい」と連れて行かれたのは、レストランであった。なぜか今日はレストランで料理対決があり、うやむやにクルガンは巻き込まれてしまった。
 それが終わって、今度こそはと軍師の部屋に向かおうとした一行は、たまたま通りがかった劇場で、レアに見れるコボルトダンスを目撃してしまい、爆笑に爆笑を重ねてそれを鑑賞した。
 次に向かった上へと続く階段のあるホールでは、下へと続く階段から不気味な声が聞こえると、リオが降りていき――墓場で百本の蝋燭を立てているシドと、墓石にグルグル巻きにされて怪談話を聞かなくてはいけないチャコを見かけた。
 これなら害はないや、と言い捨てる軍主の背後から、「見捨ててくなよーっ」というチャコの悲鳴が聞こえたが、リオは一切聞かない振りをした。ナナミは真っ青になって、「彼」にしがみつくようにして階段を駆け上がっていった。
 今度こそ上への階段を上ろうとしたら、リオがあっさりと隣の扉を指差し、
「エレベーターで行きましょうよ。」
 と、クルガンには意味不明な名前を口にした。
 クルガンが不思議がるのに、楽しそうな笑みを浮かべて、ナナミが早く早く、と彼の背中を押した。
 その後、小さな箱が動く現象は、クルガンをとても驚かせたようで、リオとナナミはそんな彼に、笑いをかみ殺すのが大変だったようである。
 しかし、そこで冷静に突っ込んでくれたのは、「彼」であった。
「リオ…………笑ってるうちに、階数過ぎたよ? 会議室に行くんだろう?」
「あ…………あーっ!!!」
 ちーんっ、といい音を立てるエレベーターから、リオが慌てて降りる。
 そして階数を確認すると、
「うわっ、やっば…………早く下に下りましょう! そうしないと、捕まっちゃうっ!」
「?? シュウさんに捕まるんだったら、いいんじゃないの? だって、私達、シュウさんに用があるんじゃない??」
「違うってば! こういう場合の、捕まるっていうのは…………っ!」
 と、そのときである。
 ちゃらり〜ちゃらちゃら〜♪
 優雅な音楽が、どこからともなく聞こえてきたのは。
「おや、これは私の心の友、リオではありませんかっ! それにナナミさんとスイ殿まで!」
「お茶でもご一緒にいかがですか?」
 ボンジュール、と花を差し出してくる二人に、頭痛を覚えつつリオが無理に笑顔を作った。
「いえ…………あの、用がありますからー。」
「ハーブティには、蜂蜜垂らしてくれる?」
 断ろうとしたリオの背後から、にっこり笑顔のまま、「彼」こと、スイが尋ねた。
 それに喜びの色を示したのは、ヴァンサンである。
「ええ、ええ、もちろんですとも! 今日のハーブティは、友人の名にちなんで、メースにしました。効能は消化促進です。」
「うーん…………それに蜂蜜は嫌かなぁ…………。クルガンさんは、何がお好きですか?」
 にっこりと笑顔で見上げられて、クルガンは一瞬言葉に詰まった。
 はっきり言って、和平交渉に来ただけなのに、どうしてこんな状況になっているのか分からないらしい。
 そこへすかさず、
「はいはい! 僕は、ジャスミン! 絶対、ジャスミンティーっ! ちょっと中国茶が入ってると嬉しい配合で!」
 リオが片手をピン、と挙げて主張した。隣でナナミもコクコクと頷いている。
 しかし、ヴァンサンは難しい顔になる。
「ジャスミンですか…………ううーん、残念。ジャスミンは今ないのですよ。マロウ・ブルーならあるのですけど。」
 フルフルと頭を振るヴァンサンに、それじゃぁ、とスイが悪戯めいた微笑みを浮かべる。
「レモンを切ってもらおう。きっと、とても楽しい気分になるよ。」
「ああ、それはいいですね。」
 にっこりと笑うヴァンサンに、リオが不思議そうに首をかしげる。
 そんな彼に、スイは優しく笑った。
「さっき、レストランでお茶を飲む暇もなかっただろう? ちょっと、小休止しようよ。」
 そうしてナルシスト二人組みに連れられて、景色の良いテラスに連れて行かれた。花が咲き乱れる「空中庭園」と名づけられたそこには、華奢なテーブルが置かれており、お茶会の準備が着々と進められていた。
 おそらくレストランからかっぱらってきたのだろう、湯沸しポットとティーカップセットを置いて、ヴァンサンは一同に席を勧めた。
 クルガンを中心におのおの席についた一同は、彼が差し出すお茶を見て、ほう、と吐息を零した。
 それは、目の覚めるような青いハーブティであった。
「うわぁ、きれーい♪」
 ナナミが、キラキラと目を輝かせながらそう言うのに、レモンの輪切りをトングで挟んだスイが、楽しそうにそれを彼女に差し出した。
 ナナミは、軽く首をかしげる。
「スプーンにこれをつけてごらん。魔法が見れるよ。」
 進められるままに、ナナミはスプーンをつけた。
 そして、スプーンでハーブティをかき回してみる。
――と。
「…………え、ええええええーっ!!?」
 みるみるうちにあでやかな桃色に変わるハーブティに、リオもナナミも感嘆の吐息を零す。
 クルガンも、少し驚いたように目を見張っているのを、スイとヴァンサン、そしてシモーヌは楽しげに見ていた。
「すごい、すごーいっ! 何これっ!? 魔法っ!? 魔法ですか、スイさんっ!?」
 カップを両手で持って、興奮するナナミに、リオも興奮した面持ちで頷く。
「ほんと、すっごーい! うわぁ…………うわぁぁぁっ。」
 嬉しそうな声を出す子供たちに、クルガンも声を合わせる。
「ほんとうに――これはどうしてこうなるのですか?」
「これが、このハーブの癖だと思ってくださればいいと思いますよ。
 何もかもに、理由や理屈をつけるよりも、そのままの不思議を味わったほうが、何倍も楽しいし、美味しい。」
「…………………………………………。」
「……………………そうでしょう? クルガンさん?」
 にっこりと笑う彼の言葉には、何も含みがあるようには感じ取れなかった。
 感じ取れなかったのだけど。
 ――どうしてか、険があるように、感じた。
 そうして、そんなスイの姿に気を取られていたためだろう。
 クルガンは、気づけなかった。
 リオが、スイの言葉を聞いた瞬間、一瞬だけ――仮面が剥がれて、悲しそうな目をしたことに。
 決して、気づくことは、なかったのである。









「リオ、お前が決めろ。和戦協定を受けるか、否か。」
 シュウの言葉がどういう意味を持ち、どういう気持ちで口にしたのか、リオには分からない。
 分からなかったけど――シュウは優しいと、リオは無意識に思った。
 もしもここで自分が、「嫌だ」と言っても…………和戦条約なんか、受けない、といったとしても、シュウはなんだかんだと言いくるめて、リオに和戦協定の場に行かせることにするだろう。
 シュウ自身は、「行かないほうがいい」という立場を取るくせに、きっと、そうするはずだ。
 だって、シュウは優秀な軍師だから。
 だから、この「申し込み」が、否、といえないことを知っている。
 ――――僕が願うのは、これがジョウイの策略じゃないということだけ。
 いいえ。
「行くよ。」
「……………………そうか。」
 答えたシュウに、元気に笑ってみせる。無邪気に笑って見せた。
「願ってもない誘いだよね。」
 無邪気に、裏を知らない子供の振りをして、リオは笑った。
 そして、そのまま出て行こうとしたのだけど。
「…………すまんな、リオ。」
 シュウに、背中ごしに声をかけられた。
 リオは、決して振り向かなかった。
 シュウもまた、自分を見ていないと分かっていたから。








 船が進んでいく先には、クスクスとは正反対方向に位置する港がある。
 そこは、遠い昔のように感じる時――ナナミとピリカの手を取って、逃げ出した町だ。
 陥ちていくミューズを背に、目に焼きついてしまった親友の凶行ともいえるべき行動を、何度も何度も眼裏によみがえらせながら、逃げ出した場所だ。
 そして今。
 和戦条約を結ぼうと、ミューズに行くために、向かっている。
 それは、どこか皮肉な冗談のような気がして――無言でリオは水面に視線を落とす。
 キラキラと輝く水は、あのときには見る余裕のなかったそれ。
 でも、今も輝くそれを、綺麗だとは思えなかった。
 見る余裕があるわけではなく、ただ、今は余計なものを見たくないからかもしれない。
 そうやって船の縁から下を眺めていると、
「…………………………………………。」
 無言で、隣に立つ気配がした。
 視線を向けなくても、それが誰だかわかる。
 彼が自分を心配してくれているのも、良く分かっていた。
「……………………大丈夫ですよ、僕は。
 自分が甘やかされてるって自覚、ありますから。」
 言葉で軽くいうものの、笑顔まで貼り付ける元気はない。
 だから、無言で水を見続ける。
 深い色は、湖の深さを物語っていた。
「――…………甘やかされてる?」
 尋ねてくる優しい声に、リオは自嘲めいた笑みを刷く。
「いつも、考えなければいけないことは、シュウや皆が考えてくれたから。
 だから、物事を深く読む必要なんてなかったんですよ。」
「………………………………………………………………。」
「……………………だからって、何も分からないわけじゃ、ないんですよね。」
 苦く…………苦く笑みを刻んで、リオは俯いたまま、呟く。
 ナナミだけには悟られまいとしたこと。
 気づいていたことを、誰からも隠し――けれど、シュウには見破られてしまったこと。
 なによりも。
 隣に居る人には、最初から気づかれてしまっていたこと。
「考えれば、分かることなんですよね。って、わかっちゃう自分が嫌ですけど。
 わざわざクスクスの町に降り立って、公衆の面前で『休戦条約』の話をする、敵国の将軍。
 しかも、あえて僕がジョウイと――ハイランドの新皇王と知り合いであり、結婚式に招待しようとしたほどの仲であることを告知して。
 戦争におびえていた市民達は、ルカが殺されたことで、休戦を望む声に一にも二にも飛びつくよ。
 僕は、クルガンさんをあそこで追い出すことなんて出来ない。そうしたら、市民を敵に回すことになるから。
 しかも、僕とジョウイが知り合いでることを口にすることで、僕が休戦条約を飲まざるを得ない状況を作った。
 僕が、親友の言葉を疑い、休戦条約を蹴った軍主という――信用を落とすような真似をしないように。」
 言葉は、なぜかスラスラと口からこぼれた。
 その事件の間、ずっと一緒に行動していた人に話しているせいかもしれない。
 彼は、自分よりも早く「クルガンをよこした理由」を悟り、リオの考えを読み、フォローしてくれたから。
「だから君は、あえて、何も分からない振りをして、心の奥底から喜ぶ少年を演じたじゃない? 親友の使いを、心から招きいれ、彼とともに楽しい一時を過ごし、形だけじゃない、心からのもてなしをすることで――ジョウイ君をいっぺんとも疑っていない…………ジョウイ君を信用している演技を。」
 慰めているわけじゃなかった。
 けど、その言葉は、優しい雰囲気をまとっていた。
 君は、軍主として正しいことをした。
 けど、やっぱり、「人」として普通の少年であってほしいと、そう願う仲間達の気持ちは、守れなかった。
「…………演技じゃないですよ。ジョウイを信用しているのは本当です。
 もっとも、コレが罠だというのは、本当でしょうけど。」
「信用してるのに、そう思うんだ?」
「ジョウイなら、最悪の状況は作らないだろう。そういう信用はしてます。だから僕は、無謀だとも思える罠に乗ることにしたんです。
 ジョウイが勝つか、シュウが勝つか。
 二人に任せる僕は、卑怯でしょうか?」
 視線をあげるリオに、スイは静かに目元を緩めた。
「今から待ち受ける結末が、分かるかい、リオ?」
「ええ、わかります。
 きっとジョウイは、僕に刃を向けて、こういうんです。
 『ハイランドの軍門に下ってくれ』とね。
 今のハイランドは、そうでもしなきゃ、同盟軍に――圧倒的に、かつ必要以上の血を流さず、勝つことはできないから。
 あいつは、そういうやつなんです。優しすぎるから、誰かが血を流すよりも、自分の心が痛いほうを取るんです。」
「彼は、軍師としても失格だね。自分の性格を読まれているならば、それを逆手に取らないとダメだよ。」
 元軍主として、冷静に言いながら――スイは、手を伸ばしてリオの頭を撫でる。
 柔らかな髪に指をうずめて、囁く。
「リオ。」
「………………………………もっとも………………………………キャロに居た頃の……………………ジョウイと居た頃の僕なら、こんなこと、悟ることなど出来なかったでしょうけどね。」
「……………………………………………………………………………………リオ。
 答えはもう、出ているのかい?」
「…………………………………………はい…………………………………………最初から、出ています。」
「そう…………………………………………。」
「ええ。」
 寄り添うように、二人は水面を眺めた。
 そこに答えなど――この暗い場所の答えなど出ているはずもないと、分かっていながら。
 ただ。
 今、この瞬間だけは。
 水面しか見えないこのときだけは。
 「喜びの仮面」をつけなくてもいいのだから、と。
 静かに、湖面の輝きを眼に映し続けていた。







「リオ、頼む…………。」
 僕は、泣きそうな顔で笑ってこう言う。
 彼の目を見て、逃れることなく、彼の目を捉えて。





「それは……………………できない――。」





 その言葉が、新たな戦いの――辛い戦いの幕開けになると、わかっていても…………。






微妙にシリアスバージョンでした。
前から書きたかった「クルガンさんが上陸した背景の策略」編でした。
本当はこういう、裏の駆け引きとかの関係は坊の方が書きやすいのですが(ああいう性格だから)、やっぱりこの答えは、自分で宣言してもらわないとねっ!
ジョウイが治める国の下でなら、いい国が出来るだろうと思いながらも、自分の軍主という立場を自覚してしまっているリオは、どうしてもそれに頷けないのです。罠まではってでも戦いを終わらせようとするジョウイの方法に、どうしても納得できないのです。そんなことをしたら、ハイランドの民は納得しても、ジョウストンの民は納得しはしない、と。
どちらも譲れない一線がある。
ハイランドは、ジョウストンの下にはつきたくない、相手は休戦条約を破った(ことになっている)国だ、信用なんてできるか。
ジョウストンは、あれほど大虐殺したルカの居た国、そしてそのルカを滅ぼしたのはこちら側なのに、どうしてハイランドの下につかなければいけない? それは逆だろう?
それのバランスは難しいからこそ、二人には対決しか残されていないことを痛感する。
リオは、クルガンが来た瞬間に、自分とジョウイの避けられない戦いを、予感していた。けれど、それでも希望を捨て切れなくて、最後の最後まであがく気持ちも持ち――でも、結局自分の思い描いていたシナリオ通りの展開に進んでしまい、リオは、ただ断るしか出来ない。
そうして、ジョウイはこの瞬間から、自分が最悪の皇王となって、民から憎まれる役を買わなくてはいけないのかもしれない、ということを頭の隅に置き始める。けれど、それは最後の方法であり、ジョウストンに負けることが決まってからだと、思うのだけど。

展開的には、こう! 微妙どころか、本当にシリアスです。
でも、この二人を描き始めると大河ロマンになるので、これ以上はダメです。




さて、この小説の中での謎かけは、普通の謎かけです。
「マロウ・ブルー」のお茶にレモンを入れると、ピンク色になるのは、どうして?
スイ様がクルガンさん相手に誤魔化した謎ですね。
ヒントは、リトマス試験紙♪