剣の煌き

1主人公:スイ=マクドール




 涼しい湖城にあって、唯一の熱の篭った部屋には、常に奇妙な緊迫した空気が流れていた。
 それは、城主が城に帰ってくる時ほど、酷くなるのが常であった。
 この日も、朝から軍師直々に「軍主が帰られるので、要注意ですから」というお知らせをいただいていて――城内の全ての施設に携わる人が、緊張と覚悟を決めていた。
 この熱の篭った一室である――「鍛冶屋」もまた、そうであった。
「ねぇねぇ、聞いた聞いたっ!? スイさん帰ってきてるよ!」
 大きな紙袋を両手一杯で抱えたマースが、飛び込んでくる。
 丸々とした頬を目一杯紅潮させて、マースは嬉しそうに紙袋を掲げる。
「ってことは、またいろいろ土産話が聞けるよねっ!」
 満面の笑顔を浮かべるマースに、その何度目かの「報告という名の忠告」を受けていた彼の先輩達は、ガックリと肩を落とした。
 不思議そうに首を傾げたマースの後ろから、ひょい、と顔を覗かせたミースが、彼が掲げた紙袋の中に無造作に手を突っ込むと、
「それと同じくらい、厄介な物を土産に持ってくるんだよ、あの人は。」
 真っ赤に色づいたリンゴを手にして、それを服の裾で拭く。
 そのままかじりつこうとした瞬間、
「おいおい、ミース。その服は汚すぎるだろうが。」
 呆れたように、ムースが声だけで止めた。
 剣の柄を拭いていたムースの台詞に、ん? と視線を落としたミースは、自分がかじりつこうとしていたリンゴに、黒い炭が付いているのを認めて、顔を歪める。
 そう言えば、さっきまで大師匠であるメースの手伝いをしていたのだった。
「顔も真っ黒ですよ、兄貴。」
 マースが、持っていた紙袋を近くのテーブルの上に置きながら、布を捜してキョロキョロと頭を振った。
 けど布という布は、全て剣を拭いたりするのに使われていて、いまいち奇麗ではなかった。
「何か拭くもの――。」
「めんどくせぇなぁ。」
 ぼやくミースに、笑いながらメースの側で釜を確認していたモースが、自分が腰に付けていた布をシュルリと解くと、
「ほら、これならここで一番奇麗だぞ。」
 投げて渡した。
 慌ててそれを受け取って、マースがミースにそれを手渡す。
 思わず受け取った白い布を、ミースは広げて確認してみた。
「お前な……。」
 モースが呆れたように呟くのに、大丈夫だと判断したミースが、それでリンゴを拭く。
 そのままシャリ、とかじりつき、うん、と大きく頷く。
「うまい。誰から貰ってきたんだ、これ?」
 リンゴは、この城には生えていないから、誰かが調達してきたことになる。
 毎日毎日城の中に居るのも飽きるので、戦争中だとか、危険な時でないときは、自由に船での出入りが許されてはいるが、出るには許可が必要だし、入る時も手続が面倒と言えば面倒である。
 何よりも、船の調達が面倒なので、ほとんどの人が、何か無い限りは城の中に居る事がほとんどであった。あるいは、手続がフリーな軍主様に同行するか、である。
 リンゴひとつであったが、手に入るにはそれなりの苦労が伴うはずなのだけど、と、それを勝手に奪い取って食べているミースが言うべき台詞ではなかったが、そう訪ねてみた所、至極あっさりと、
「さっき、下でスイさんに会って、貰ったんです。」
 マースは、答えてくれた。
「…………会ったのか?」
 確認するように尋ねたミースに、その言葉に隠された苦渋に気付かず、うん、と頷いて。
「グレミオさんに、アップルパイ作ってもらうとか言ってたんだ。それのあまりだって。」
 笑顔で、紙袋の中身――買い出しの内容を確認しながら、当たり前のように答えると。
「あー……っと、師匠。俺、ちょーっと――お手洗。」
 ミースが、にこ、と笑って火の前に立つメースに声をかける。
 それと同時、
「あ、そうそう、そろそろ炭が足りないなぁ。持ってきますわ。」
 モースが、高々と積み上げた炭を無視して、よっこいしょ、と立ち上がる。
 無言で視線を向けてくるメースの視線を逃れるように、さっさと走り去るついでに、ミースが置いた自分の布を取りあげ、それで顔を隠すように頭から被った。
 ほっかむり状態のムースに、不思議そうな視線をやったマースの近くで、今度はムースが、
「師匠。この剣を返してきます。」
 がちゃがちゃと、手入れをしていた剣を抱えあげる。
「え? え??」
 驚くマースを置いて、さっさと三人は出ていった。
「剣って、だって、剣は、いつも持ち主が持ちに来てくれるんじゃ……え……あの…………兄貴???」
 マースの問いかけにも答えず、さっさといなくなった兄気分達に、パチパチと目を瞬いていると、カン、と剣をうつ手を緩めないで、メースが冷静に呟く。
「まだまだ人間が出来てないということだろう。」
「へ? な、何が……一体どういう…………??」
 紙袋の中から、新しい布や、剣を砥ぐための道具を取り出しながら、マースはどうにも分からないと言いたげに眉を曇らせる。
 そんな一番年若い弟子を見ながら、メースは白い髭で隠れた口元を緩ませた。
 一番「非現実」に順応するのは、若い弟子の方が早いらしい、と、そう思ったようである。
「ま、軍主殿に関して、いろいろあるということだ。」
「………………あー……そうなんすか?」
 やっぱり良く分かっていないマースが、首を傾げつつも、無理矢理納得しようとした瞬間である。
「くそっ!!」
 乱暴な口調とともに、先ほど出ていったばかりのミースが駆け戻ってきたのは。
 大きく目を見開いて、荒い顔立ちに忌々しい表情を浮かべている兄気分を見あげて、マースは不思議そうに尋ねる。
「お手洗、早かったですね。」
「………………〜〜〜真に受けんなよ、てめぇもよっ!!」
 苛立ったような顔で、ミースが荒々しく怒鳴る。
 それに対して、きょとん、とマースが目を瞬く。
 彼が「軍主」から逃げたのだと、思いも寄らないマースなのだから、訳がわからないのは仕方ないのだろうけど。
「ま、出会い頭よりも、ここで待ち伏せしてたほうがいいってヤツだけどな。」
 ひょい、とミースの後ろから顔を覗かせたのは、足りない炭を持ってくると言っていたモースであった。
 彼は、当たり前のことなのだが、手ぶらであった。
 マースは、ますます分からないと言う顔になる。
「今、風呂から出てきた所らしくってね。」
 やれやれと、肩をすくめて入ってくるのは、ムースだった。
 彼もまた、担いで出ていったはずの剣を、まとめて持って帰って来ていた。
「………………???」
「なら、こっちに来るのもすぐだろう。」
 首を傾げるばかりのマースに、額から滴った汗を拭いながら、メースが呟く。
 それを聞いて、誰が、と口を開こうとした瞬間――、
「今日もガスパーはいいカモだった♪」
 楽しそうな声で、「思ったとおり」の人物が飛び込んできた。
 漆黒の髪に、トレードマークのバンダナ。
 明るい笑顔は、いたずらっ子のそれであった。
 ただし、見るものが見たら、それは「悪魔の微笑」と呼ばれるものとなる。
「あ、スイさんっ! さっきはリンゴをありがとうございましたっ!」
 明るい笑顔で、彼に挨拶をするのは、この一室の中ではマースだけであった。
 別に彼が嫌いなわけでもないし、苦手なわけでもない――尊敬しているし、どちらかというと、好きな方である。
 だがしかし、彼が「自分が勤めている施設に用があるとき」には、絶対に会いたくなかった。
 特に、施設外で会ってしまったときは、最悪である。
 剣を渡され、「鍛えておいて」と言い置き、料金を踏み倒すなんてことくらい、平気でやってくれる――いや、正しくは、料金を踏み倒すのではない。彼に笑顔で賭け事を持ち掛けられ、結果、賭け事で負けてしまうのである。 
 それに乗らなければいいのだろうが、ついつい乗ってしまうように乗せてしまうのが、彼の詐欺的な手柄であった。
 やはり、百八人を誘惑した口先と笑顔を持つのは、ダテではないのであった。
 さわやかな空気を纏って現れたスイは、マースに笑顔で頷く。
「あ、それなんだけど――ごめんね、やっぱりあれも使うってグレミオが……それで、悪いんだけど、返して欲しいんだよ。」
 それを聞いた瞬間、ミースが、そろり、と出入り口めがけて歩きはじめる。
 マースに向けて、言うなよ、とジェスチャーをするが、マースはさっぱりそれを見ていなかった。
 変わりに、スイに申し訳なさそうな顔を浮かべて、
「いえ……それが、ミース兄貴にあげちゃって――。」
「あ、そうなんだ? それじゃ、ミースが、食べちゃったの? それじゃ……仕方ないね。」
「はい、すみません。……あ、美味しかったらしいですけど――ね、兄貴っ!」
「だぁぁぁぁっ!! 俺に話を振るなぁっ!!」
 出入り口から出て行こうとしたミースが、慌てて笑顔でこっちを見ているマースに叫んだ。
 そして、馬鹿、と言いたげなムースとモースの視線の先で、あ、と慌てて口に手を当てた。
 振り返っている暇があったなら、さっさと逃げていれば良かったのである。
 が、それも今では後の祭りであった。
「そう……食べちゃったのかぁ……。」
 にっこりと笑った軍主様の笑顔に、ひやり、とミースの背中が凍った。
 スイは、何気ない足取りでミースに向かいながら、微笑みを深くする。
 そして、まるで金縛りにあったかのように立ち止まっているミースの肩に、ぽん、と手を置くと、
「あれ――一個、いくらで買ってくれる?」
 まるで、全てを計算していました、と言いたげな声と微笑みで、ミースを覗き込んだ。
 いや、違う。
 全てを計算しつくしていたのだ。
 マースにリンゴを持たせたら、ミースかムース、モース辺りが食べるだろうと、確実に計算していたのだ。
「か、買うって……っ。」
「ただで貰うものほど、怖いものはないっていうのが、ミースの信条だろ?」
 ね? と首を傾げたスイに、メースが炎から視線をずらし、しょうがないと言いたげに告げた。
「ミース。お前の負けだ。」
「………………〜〜〜っっ。スイ〜っ!!!!」
 握りこぶしをして呟くミースに、モース達もしょうがないと言いたげに笑う。
 マースは、何がなんだか分からない顔で、スイとミースとを見比べる。
 スイは至極満足したように、
「出せないなら、バンジージャンプでもいいよ? 最近凝ってるんだv」
 かるーく首を傾げた。
 ミースは、乱暴にガリガリと頭を掻くと、
「好きにしやがれ、こんちくしょうっ!」
 両手を広げて、覚悟を決めたように怒鳴るミースに、マースは困惑した表情のまま、スイを見やると、
「あの……スイさん、アップルパイ用のリンゴ――俺、買ってきましょうか?」
 心配そうにそう言った。
 聞いた瞬間、スイは面白そうに目を瞬かせる。
 そうして、少し考えるように首をひねると、そうだね、と笑った。
「明日――買いに行こうか、一緒にね。」
「はいっ!!」
 大きく頷くマースに、メースは無言で視線を当てた後、ああ、と納得したように呟いた。
 そうか、
「――単純で素直というのが、生き延びるいい方法と言う事か。」
――――――と。