1主人公:スイ=マクドール
「こんにちはっ! ここは、解放軍本拠地、シュタイン城だよ。」
にっこりと笑顔で説明してくれるのは、サラサラの黒髪に、ちょこんと帽子を乗せた少年である。
彼は、いつも城の前に立ち、訪れる人にそう教えてあげるのであるが。
「…………お、おう。」
訪ねてきた者のほとんどは、自分の半分ほどしかない少年の、場違いな明るい声にほうけるのである。
屈強な志願兵を前にしても物怖じせず、少年はにこにこと笑って、あ、と続けた。
「まだ僕の名前を言って無かったよね。僕はクロン。
このお城の名前専門の、案内係りなんだよ。」
にっこりと、お子様特有の天使の笑顔を浮かべる少年に、更に困惑の色を広げた男は、無言で聳え立つ城を見あげた。
すさんだ空気と、どこか威厳ある城壁を構え持つ城は、遠目に見たときには、船の上から眺める分には、迫力もあったし、まさに本拠地という感じだったけど。
見下ろした目の前で、クロンがにこにこと笑っている。
名前専門の案内係りと本人が名乗ったとおり、彼はそれ以上何の説明もするつもりはないらしい。
ただひたすら、にこにこと笑って男を見あげている。
男は困惑したように、少年に尋ねた。
「で、お前は、ここで何をしているんだ?」
「訪ねてきた人に、名前を教えてるんだよ。」
にっこりと、笑顔とともに答えが帰ってきた。
とりあえず男は、歴戦を潜り抜けてきた戦歴を活かして、平常心を取り戻すと、偉そうに胸を張り、
「私は、解放軍に力を貸そうと思い、ここへやってきた。
軍主殿か、軍師殿はどちらにいられるか?」
「知らない。」
にっこりと、クロンが答える。
その純粋無垢な笑顔に、さしもの男も動きを止めた。
知らないって……あんた…………仮にもこの解放軍に居るんじゃないのか…………。
呆気に取られる男の頭上から、不意に声が降ってきた。
「クーローンー。昼飯どうするー?」
入り口の真上の窓から、ひょい、と見下ろすその姿は、クロンと同じか、それより少し年上かという年齢の少年であった。
少し乱れた髪を、バサバサと風に揺らしながら、窓の桟に腕を置き、こちらを覗き込んでいる。
その少年は、クロンの側に見なれない男が居るのを認めて、軽く目を眇めた。
険の篭った眼差しを受けて、男は一瞬ギクリと肩を揺らした。
まさかとは思うが、自分がこの少年をいじめているように映ってはいないだろうかと、そう思ったのである。
階上から見下ろす少年は、狼狽する男をつまらなそうに一瞥して、再びクロンに視線を移すと、
「クロン、あんまり訪問者いじめしてるなよなー。」
そう告げた。
男は、唐突にかけられた言葉の意味を理解できずに、クロンと頭上の少年とを見比べる。
クロンは、にこにこと笑うと、
「人聞き悪いこと言わないでほしいなぁ、テンプルトンじゃあるまいし。」
顎をツンと反らすようにして、窓から顔を覗かせる少年を見あげた。
どこかいたずらめいた言葉は、彼が十分にそのつもりであったようにしか感じ取れなかった。
けれど、それを感じたのはテンプルトンと張本人であるクロンだけであったようで、男は何が何だかという表情をしている。
そんな彼を一瞥して、二人の少年は同時にこう思った。この兵士は、解放軍ではやっていけない、と――。
テンプルトンは、更に身体を乗り出すと、
「とりあえず、お昼食べよーぜ。フッチが先に行ってるってさ。」
「あ、ほんと? 今行くよっ!」
クロンは、慌てた様子で頷くと、入り口向けて走り出す。
それを確認してテンプルトンは顔を引っ込めた。
クロンは、そのまま入り口に入ろうとして、慌てて何かに気付いたかのように振り返った。
そうして、未だそこに立ったままの男を振り返ると、
「この城の地図はね、テンプルトンが作ってるから、テンプルトンに見せて貰うといいよ。」
と、親切心を出して、そう教えてやった。
教えてあげながら同時に、テンプルトンに出会う前に、解放軍仲間入りをあきらめるだろうけど、と心の中で呟いてみたのだが。
「てめぇっ! ビクトールっ!!!」
恐る恐る踏み込んだ解放軍入り口。
唐突に正面の怪しい扉が開いたかと思うや否や、飛び出してきたのは、筋肉質な大男と、声であった。
「んな怖い顔するなよーっ!」
野太い声で笑いながら、熊に似た男は、彼の隣を走り抜けていった。
慌てて身を翻した志願兵は、扉が開いたままの場所から、若い男が飛び出してくるのを見た。
怒りに引きつった顔で、
「人の物を勝手に探るなと、口うるさく言ってるだろうがっ!!!」
「ちょっと待てっ! 剣を抜くのはまずいだろうがっ、フリックっ!」
「うるさいっ!! オデッサの露にしてくれるわっ!」
青いマントを翻し、志願兵の隣を駆け抜けて行く。
呆然と、彼はビクトールとフリックという二人のコンビを見送った。
その矢先、
「あーあ、今日も元気だねぇ、あの二人。」
「毎日毎日、懲りないねぇ。」
長い髪を三つ編みにした少女と、ポニーテールにした少女とが、隣を通り過ぎて行く。
彼女達と正面からすれ違った少年が、それに笑いながら一言突っ込む。
「無駄無駄。いつものことじゃん、あの二人の場合。
それよりもさー、テンガちゃんにメグ? 今おひまー?」
整った顔立ちと言える少年の、軽い口調を聞いて、
「シーナに構ってる暇はないのーっ!」
いーだっ、とメグと呼ばれた方が舌を出した。
シーナは冷たいなぁ、と笑っている。
そんな、町中で見たら微笑ましい(?)光景を背後に、志願兵はフリックとビクトールと呼ばれた男達が飛び出して来た方向を見やった。
普通の城は、兵舎があって、そこで志願兵の受け付けなどをしているのだが、この城に限ってはそれがなかった。
出入り口の瞬間から、コレである。
「一体――どこに行けばいいのだ? テンプルトンという少年は…………。」
どこに、という言葉は途切れ、彼は大きく目を見張った。
フリックとビクトールという2人ぐみが飛び出してきた扉の奥には、本当に小さな密室があったのだが、それが唐突に動き出したのだっ!
「なななっ!」
焦るのは、彼ばかりで、他には誰もいない。
部屋が、勝手に上へあがって行くというのに、どうして驚かないんだっ!?
呆然と立ちすくむ男に、解放軍の人は無情であった。
「はいはい、邪魔だよ邪魔。こんなとこ突っ立ってんじゃないよ、木偶の坊。」
荒々しい言葉でずかずか歩くのは、一見清楚な美女風の女性であった。何故か大きな籠一杯に、洗濯物を詰め込んでいる。
「こんな所で立ってると、危ないよ。さっき船着き場で、ゲンさんとカマンドールさんが喧嘩してたから、そろそろこの辺りを――。」
親切に教えてくれた、奇麗な顔立ちの少女が、のほほーんとした声で注意を促してくれたが、時すでに遅く。
「どけどけどけーっ!」
「ゲンッ! 何度言ったらわかるんじゃーっ!!」
暴走車と化した船のエンジンに乗ってゲンが飛び出してきて、それをカマンドールが怪しい樽に乗って追いかけてきたという、非常に非常識な光景にぶちあたってしまった。
「なかなかいい走りっぷりだな、うん。」
満足そうに頷いているのは、でっぷりと太ったお腹を揺らして笑う、ちょっとキテレツな格好をしている男であった。
「さっすがジュッポおじさんっ!」
さっき通り過ぎていったはずのメグが、うっとりとした目で樽と追った。
「そういう場合じゃないと思うんだけどね。」
呆れたように呟くのは、テンガアールで、
「非常識だわっ!」
憤慨したように、眼鏡を押し上げるのは、アップル。
そうして、
「あっぶなぁーいっ!!!」
さきほど注意してくれた少女が、持っていた杖を、エエイッ! とかざした。
どうやら、ゲンとカマンドールにぶつかりそうだった志願兵を助けようとしてくれたのであろうが。
「ビッキーちゃぁんっ!?」
「駄目だよ、それはっ!」
「あっちゃぁ。」
悲鳴が沸き上がった。
それが何によるものなのかと疑問を抱いた瞬間、志願兵は自分の目の前が歪んだのを感じた。
そして、身体を襲うのは――浮遊感。
びゅんっ!
耳元で風が切ったような音がした。
何が起きているのかと、瞳を細めた志願兵の目の前に、奇麗な顔が映った。
曇りひとつない、美しい白い肌。奇麗な輪郭を覆うのは、つややかな薄い金の髪。唇はバラの花びらのようで。
その、戦い一辺倒であった男ですらも、美しさを愛でたいと思うくらいの美貌の中にある、形良い唇が、ふ、と開いた。
どくん、と胸が鳴る。
一体この唇から、どんな言葉が語られるのか――そう思った彼の耳に、
「……あの天然ボケ娘っ。」
典雅で優雅で、耳朶を優しくくすぐるような鈴の音色が聞こえた。
その声の美しさにうっとりしていて、言葉の意味までは耳に入らなかったが。
慌てて顔を遠のけると、全体に華奢な美貌が見て取れた。
「あっ、あの……っ!」
「志願兵は、さっさと担当のところへ行ってくれる?」
頬を紅潮させ、声までも震わせた男の声は、冷徹な少年の一言によって、あっさりと掻き消えた。
再び目の前が歪み、浮遊感が男を包んだ。
ひゅんっ、と、穏やかな音とともに飛び出したのは、湯気と良い匂いに支配される、どこかの厨房であった。
目を瞬く男の目の前で、金髪の男が不思議そうな顔をしている。
片手にお玉、もう片手に味見用の小皿を持っていた。
「えーっと……あのぉ? 新しいつまみ食いの手段ですか?」
頬に十字の傷が走っている所は、妙に歴戦の戦士風なのであったが、のほほーんと聞かれた言葉は、それを裏切っていた。
白いエプロンを身につけ、頭には三角巾を着けている。
「……………………。」
一体何が起こっているのか分からず、志願兵は目を細めて辺りを見回す。
どうやらここは、厨房のようであった。
向こうでは、テーブルを囲んで談笑する少年の姿が見て取れた。
その中の一人に、先ほど見たクロンという少年と、テンプルトンという少年がいた。
共に席についているのは、黒い髪に額飾りをした少年である。
これで、この城の地図は確保できたと、男が脚を踏み出したその時であった。
「ちょっとっ! そこのあんたっ! ちゃんと順番を守りなよっ!」
ごぉんっ! と、頭に衝撃が走ったのは。
はっ、と顔をあげると、トレーを片手にした少年が不機嫌そうに眉をあげていた。
「なっ、なっ、何を……っ!」
言いかけた志願兵を、彼は強い瞳で睨み付けると、
「順番守れって言ってんだよ。俺の方が先なんだよ。」
はっきりと言い切る。
そんな彼に応援するように、金髪の男が笑った。
「そうですよぉ。クインシーさんは、さっきから並んでたんですから。
えーっと、で、今日のお昼は……。」
「A定食。っていうか、グレミオさんが食事当番の日は、いっつもセルフサービスで、面倒なんだけどさ。」
「そう言わないでくださいよー。私一人でやってるんですから。」
会話する二人を横目に、志願兵はテーブルに腰掛けているテンプルトンへと近づく。
そうして、地図を、と話し掛けようと手を伸ばした。
ちょうどその手が。
「あのっ、グレミオさん! 私、B定食で……っ。」
す、と姿をあらわしたカスミの目の前に突き出され。
むにゅ。
「………………き、きぃやぁぁぁぁぁぁーっ!!!」
その豊かな胸をわしづかみにしたのは、ちょうど偶然だったのか、彼を解放軍へ入れさせないための罠だったのか。
顔を真っ赤にさせた屈強な戦士に、近くのテーブルに座っていた少年が立ち上がり、女の敵とばかりに、女性陣が武器を手にする。
「あいつっ! 痴漢だったのかっ!」
「さいてーっ!」
「ほんと、男の風上にもおけないよなっ!」
テンプルトン、クロン、フッチの三人の言葉に、違うっ、と叫びかけた男の悲鳴は、
「あんたっ! 現行犯で、言い逃れはできないよっ!?」
「この解放軍で痴漢行為なんて、良い根性してるね?」
「貴様、そこに直れ。」
ローレライが叫び、クレオがナイフを構え、ソニアが言い放つ。
その殺意としか言いようのない気配を目前に迎えた男は、身体の奥底から震えが来るのを感じながら、ジリジリと後退した。
解放軍に志願しに来ただけなのに、一体何がどうなっているのだろうと、フルフルとかぶりを振り――そのまま、脱兎の勢いで踵を返す。
「あーっ! 痴漢が逃げたぁっ!」
ミーナが指を差して叫んだのに、男は更に速度を上げた。
背後から迫ってくる殺気は、今までどの戦場で味わった物よりも恐ろしかった。
「俺は……俺は何もしてないっ!!!」
叫んで、曲がり角を曲がったその瞬間。
「のろい人形ーっ!!!」
それはそれは嬉しそうな、楽しそうな声が聞こえ――男の耳元に、衝撃とともにこんな音が響いた。
ごっつぅーんっ!
そうして、それを最後に、男の意識は消え去った。
唐突に曲がり角を曲がってきた男は、物言わず倒れてしまった。
そんな屈強な筋肉を、つんつん、とつついて、スイは自分の背後に立つマッシュを見上げた。
マッシュは、ただでさえでも細い目を細めて、顔を顰めていた。
その顔を見上げてスイが告げたのは、
「やっぱり、廊下は走ると危ないよね?」
こんな台詞であった。
マッシュは、無言で男の額に出来たたんこぶを見てから、スイが手にしているのろい人形を見た。
「同じくらい、歩きながらのろい人形を振っているのも危ないということですよ。」
「のろい人形には罪はないよ。」
「持っていたあなたに、罪はあるでしょうけどね。」
答えたマッシュに、持っていたのろい人形を改めて見直して、スイは首を傾げる。
「そうかなぁ? どっちかっていうと――。」
言いかけたスイは、向こうから聞こえてきた激しい足音に顔を上げた。
待つこともなく、足音の主達が曲がり角を曲がってくる。
「居たっ!!」
「痴漢男っ!」
と、倒れている男を指差すではないか。
スイとマッシュは、無言で男を見て、それから殺気立っている女性陣を見上げた。
結論。
「たまにはいいこともするもんだねっ!」
「偶然の事故でしょうが。」
かくして、本日、無実を叫ぶ男が一人、牢屋に入れられることとなったのであった。
彼がこの後、無事に解放軍に入れたかどうかは――誰も知らない。