アリーナが、世界に平和を取り戻すための戦いを終えて、数ヶ月──神隠しにあっていた人々が戻ってきたサントハイムは、最近になってようやくゆとりのある生活を送れるようになっていた。
 世界においていかれた空白の時間──それは、サントハイムの王女であるアリーナが、あどけなさを纏った少女からあでやかな華ある娘に育つまでの、実に貴重な数年間もの月日。
 サントハイムが、その月日を取り戻すことは、決してできはしない……けれど、さまざまな意味で、その月日があけた穴を、埋めることは出来る。
 その穴が、ようやく半分ほど埋もれてきたと、ほ、と息を抜けるような──そんなタイミングで。

「アリーナ……わしの代わりに、バトランドに行ってくれんかのぅ? 国王陛下の、生誕祭が行われるそうなんだ。」

 ようやく今日の公務が終ったと、豪奢に飾られていた髪飾りをポイポイとベッドに向けて放り投げていた愛娘に向かって、父……サントハイム国王は、そう言った。
「……私が?」
 すっとんきょうな声を出して、固まった髪の間に指を入れながら、アリーナが肩越しに振り返る。
 白く華奢なラインを描くまろやかな肩のラインに、グシャグシャと乱した髪を落とす姫に、国王はコックリと頷くと、
「贈り物の手配も船の手配も済んでおるのだが、急な政務で、どうにもわしは動けなくてなぁ。
 わしの代わりとなると──お前しかおらんだろう?」
 のう? と、困りきった顔と、笑顔とを半々に浮かべて促されて、アリーナはクシャリと顔をゆがめた後、溜息を小さく零す。
 他国のパーティに出席というのは、自国のソレよりも数段面倒臭い。
 しかも、国王の名代として出席となると──考えるだけでもウンザリするような格式ばった展開が待っていることは間違いなかった。
「ん〜……バトランドかぁ……。」
 コレで行く先が「ボンモール」だったりしたら、それこそ断っただろうけれど、今回は良く見知った行き先だ。
 何せバトランドには、アリーナが長く共に旅をしていた仲間がいる。
 あの精悍な面差しを思い出した瞬間、アリーナはゾクゾク来るような闘争心に心が沸き立つのを感じた。
 最近、サントハイムの兵士相手の組み手には、飽き飽きしていたところだ。
 ユーリルだって、村の再興が忙しいらしくって、最近はぜんぜん相手をしに来てくれないし。
「──分かったわ、お父様。私がお父様の名代として、バトランドに参ります!」
 デメリットとメリットを考えた瞬間、迷うことなくアリーナは「メリット」を選んだ。
 そんなアリーナの綻ぶような満面の笑顔に、父王も、喜びに顔を綻ばせて応えた。
「そうかそうか、行ってくれるか。
 ならば、バトランド王に、そう書状を出すとしよう。」
 喜んでそう応える父王に、任せて、と微笑みかけて、アリーナは、乱れた髪を手櫛で整えながら──ライアンとの手合わせの日に向けて、心躍らせるのであった。、








Lovery Princess
















 サントハイムから船でバトランド領域に入り、イムルの村のほど近くで下船。
 その後、バトランドの城下まで徒歩で歩くと言い張った姫君を説得して──というよりも、姫の護衛の1人として付いてきていた若き神官が、問答無用で黙らせたという表現の方が正しい──、イムルの村に使者を出し、馬車を用立ててもらい、そこから三頭立ての馬車で豪奢にゆったり旅。
 平原なのだから、夜も関係なしに走ったほうが速いという姫を再び説得して──ここでも又、姫の幼馴染である若き神官が活躍してくれたことは、特筆して言うことではないだろう──、夕刻前には天幕を張り、旅先とは思えない豪華な夕食を煮炊きし、睡眠はたっぷりと……そんな、先の戦いの旅とは雲泥の差のあるゆったりした陸旅を始めて3日。
 ようやく前方にイムルとバトランドの境目に当たる山脈のふもとが見えてきた頃には、心地よい旅を満喫しているはずの姫君は、退屈のあまり、暇をもてあましていた。
 船の上でも、神官の青年によって聖水を撒かれ続けていたおかげで、敵モンスターとは一度の遭遇も無し。
 父王やブライの目を盗んで、荷物に忍び込ませてきた炎の爪を、ドレスのスカートの下に隠して、持ち運んでいるというのに、その中に手を突っ込む機会もありはしない。
「クリフトが聖水なんか撒いたら、希望の祠の世界のモンスターでもない限り、エンカウントなんてするわけないじゃない。」
 そうブーたれて見るものの、もしかしたら──万が一の可能性で、夜になったら、世界中にはびこっていた凶悪モンスターの生き残りが、突然襲い掛かってくるかもしれないと、ワクワクしながら夜の強行突破を進めてみても、これもまたクリフトから却下された。
 更に、早くから天幕の中に押し込められた退屈さから、こっそり見張りの目を盗んで外に出ても、回りが平原のおかげか、すぐにクリフトに見つかって連れ戻されるし。
「こんなの、旅じゃないわ。」
 ただのピクニックでキャンプじゃないかと、アリーナは文句を言うのだけれど、返って来るクリフトの返事といえば、
「これは旅ではなく、ご公務であらせられます、姫さま。」
 としれっとした言葉。
 クリフトが言うには、旅行の中の体調管理──強いては、肌の管理(まるでマーニャみたいなことを言う)も、アリーナの大切な公務のうちなのだと言う。
 モンスターに襲われて傷を負ってはいけないし(この辺りのモンスター相手に、傷なんて作るわけないじゃない!)、強行軍で進んで目の下にクマを作るわけにも行かないし(森や山ならとにかく、平原で強行軍も何もないわよ!)、肌や髪がボサボサで艶をなくすようなこともあってはならない(クリフト、まるで女官長みたいなことを言うわ)。
 バトランドの国王──そして他国の王族や貴族達の前で、アリーナは「美しく、気品高いサントハイムの姫」でなくてはならないのだ。
 ここ数ヶ月もの間、アリーナが他国に対して、「サントハイムの外交官」として見せてきた顔を、更に強く印象づけるために。
「──そりゃ、私だって、分からないわけじゃないわ。
 今回のバトランド訪問は、お父様の代行ですもの、ちゃんとサントハイムの姫としての勤めを勤め上げたいと、思ってるわよ?
 でも、だからって──サントハイムからバトランドの旅程の間、ずーっっと、姫君らしくしなくてもいいんじゃない?」
 馬車の中に押し込められたアリーナが、素直にそれに従うはずもなく、馬車の窓を全開にして、そこから顔を覗かせながら、隣を歩いているクリフトの丈長い帽子を見下ろしながらしたり顔で説得しようとするのだけど。
 説得は、アリーナよりもクリフトの大の得意とするもの。アリーナのにわか漬けの説得が、本家本道のクリフトに適うはずもない。
「なりません。どこでどのような人物が、姫のことを見ているか分からないのですよ?」
「──ブライみたいなことを言うクリフトなんてキライ。」
 つん、と、最終手段だとばかりに顎を逸らしてそんなことを言っても、クリフトは穏かな微笑みを表情に浮かべると、
「尊敬するジイ様に似ているといわれるのは、このクリフトにとっては、何よりもの誉め言葉でございますよ、アリーナさま?」
 そ、と首を傾げるようにして微笑みながら見上げられて、
「──……イーッ、だ!」
 思いっきり口を横に引いて、舌を突き出してから、バンッ、と馬車の窓を閉めてやった。
 とたん、クリフトが外で小さな笑い声を上げるのを感じながら、アリーナは広い馬車の中で、バッタリとうつぶせに横になった。
 夜はココで眠るために、板の上に柔らかな布の敷かれたそこは、馬車の振動も吸い込んでくれるようで、あの旅の間、身近に感じた上下感は感じ取れない。
 近くに放り出していたクッションを手で探り寄せ、アリーナはそれを顎の下に敷くと──ちなみにこの姿を女官が見れば、悲鳴をあげて怒るに違いない。
「ぜんぜん、面白くない。」
 この3日の感想といえば、本当に、その一言に尽きるのだ。
 あの戦いで、世界中にはびこっていたモンスターたちは、そのほとんどが姿を消し──人里の近くに出るモンスターといえば、キリキリバッタやスライムがせいぜいのところ。
 鉄腕魔人だの、アームライオンだのを相手取り、命の駆け引きをした身である姫にとっては、酷く面白くない──平穏すぎる旅だったのである。 しかも、目前に見えてきた人工の洞窟にだって、ドラキー程度が生息しているだけなのは、身を持って分かっている。
「あーあ、こんなに休憩ばっかりの旅じゃ、ライアンさんと手合わせするときに、ガッカリさせちゃうわ……っ。」
 枕を抱きしめるようにしながら、ゴロリと体を反転させて、アリーナは馬車の天井を見上げた。
 このアリーナの独り言を聞いていたら、クリフトがすかさず、「ライアン殿と手合わせをするためにバトランドにいくわけではないということを、きちんと分かっていらっしゃっての発言ですか、姫様?」──と、米神に青いスジを立てて突っ込んでくれるだろうが、残念ながら彼は今、馬車の外で姫様付きの従者達と歩いていた。
「なんとかして、鍛錬する方法はないかしら……。」
 かく言う今も、馬車の中にはダンベルやハンドグリップ、腕立て伏せや腹筋のときにつけると思われる重りなどが転がっているのだが、こんなものはタダの筋肉の維持に使うトレーニング器具に他ならない。
 兵士相手に鍛錬をするのなら、この程度のトレーニングでも十分だが──ライアン相手には、それだけでは不十分だ。
 もっと気を澄ませて、もっと戦いに集中できないといけない。
 そのためにも、命の掛かった実戦が一番だというのに……、
「クリフトったら……、なんで聖水なんか持って来たのかしら……っ。」
 全くもう、と、アリーナは唇を軽く尖らせて、何とかしてクリフトから聖水を奪う方法はないものだろうかと、顎を枕に埋めながら、頭を悩ませた。







────そして数日後。








 彼女は、生き生きとした表情で、額に浮き出た汗を肩口の膨らんだ袖でふき取ると、そのまま満面の笑顔で辺りを見回す。
 深い森の木々に囲まれたその地点は、つい十数分前が嘘のように賑やかな見た目を持っていた。
 死屍累々と横たわるモンスターの群れを見下ろし、アリーナは、輝くような笑顔で、
「うん、コツが戻ってきた感じだわ!」
 ドレスのシャツを裂いて作った手袋代わりの布を巻きつけた手を、ギュ、と握りこみながら、右手に嵌めた炎の爪をヒュンと慣らして血のりを吹き飛ばす。
 小さく吹き出た炎が、傍に転がっていたモンスターに引火して、ボッ、と大きな火柱を立てた。
 その輝く朱色の炎を背後に、アリーナは後方を振り返り、そこにいるはずの馬車と従者達を探そうとしたが、視界に写ったのは、自分に背を向けて立つ一人の神官の影だけだった。
 青年は、手にしていた剣に付いた血のりを払い、それを腰の鞘に収めてから、素早く指先で十字を描く。それから祈りをささげる動作をした後、
「────……姫様……………………。」
 重い、重い声で、溜息を一つ零してくれた。
「あら? クリフトだけなの?」
 いつの間に、と、辺りをキョロリと見回すアリーナの姿に、クリフトは口元を引き締めると、
「──戦闘が始まってすぐに、彼らには先に進むように言いました。
 巻き込まれては大変ですから。」
「あ、そうなの?」
 あっけらかんと──馬車においていかれたと言う事実を聞いても、顔色一つ変えないどころか、パッ、と明るく笑う姫の表情に、クリフトはますます深い溜息を覚えずにはいられなかった。
「……姫様。」
「さ、クリフト、先を急ぎましょう! こんな血溜まりの中にいたら、次々にモンスターが現れちゃうわっ!
 馬車とは、どこで待ち合わせしているの?」
 深く、重く……地獄の底から響くようなクリフトの声に対して、アリーナの声は、至極明るく……言うなれば、「ウキウキ」していた。
 常識ぶってクリフトを促すような台詞を口にしてはいるものの、どうせなら、ドンと集団で来いと言わんばかりだ。
 何せさっきだって、ぐるりと馬車の周りをモンスターに囲まれた瞬間、彼女はひどく楽しそうに──嬉しそうに、その中に真っ先に飛び込んでいったのだから。
 右足と左足で違う方向へと攻撃を繰り出した瞬間の、あの嬉々とした顔! 右手で裏拳を決めながら、左足の裏でモンスターの攻撃を受け止め、そのまま蹴りが決まった時の、零れんばかりの笑顔!
 あまりの嬉しそうな顔に──その、狂喜乱舞しているとしか思えないほど素早いコンボに、クリフトは剣を抜くよりも何よりも、ただ唖然としたのだ。
「──気付かなかった私も、まだまだ未熟だということなのでしょうけど。」
 一言言い置いて、クリフトは自分の道具袋に入っている聖水の小瓶を取り出す。
 途端、先を行こうとしていたアリーナの足が止まり、びくん、と肩が揺れた。
 その彼女のぎこちない動きを感じながら、クリフトは、スゥ、と目を細めて、取り出した聖水に視線を当てる。
 そしてその半分ほど残っている中身を緩く振りながら、木漏れ日に向けてそれを当てると──柳眉をきつく顰めて、
「……コレ、も、中身は水になってますね…………?
 …………アリーナさま?」
「──……え、や……えーっと……ふ、不思議なこともあるものねぇ?」
 冷ややかな──突き刺さるような声の促しを受けて、アリーナは無理矢理歩き出そうとしていた足を、くるりと反転させて、クリフトの方を向かざるを得なかった。
 それでも、素直に自分のしたことを口にするわけにも行かず──そう、決して、洞窟の中にあった真水で、聖水の小瓶をすべて入替えた、なんて……知られるわけには行かない──、笑顔でなんとかごまかそうとするものの、その笑顔にだまされてくれるほど、クリフトはアリーナと付き合いが浅くもなかった。
 クリフトは、無言で襟元に指を入れて、キュ、とソレを引き上げるようにして上着を整えると、厳かに彼女を呼ぶ。
「…………姫様。」
「────はい。」
 逃げられない。
 それを確信して、素直にアリーナは顎を引いて俯き、クリフトの元にスゴスゴと進んだ。
「長く旅をしていた姫様なら、聖水がどれほど重要なものか、その点はきちんとお分かりいただいていると思います。
 特に今回の場合、モンスターの繁殖地を調べる必要もなければ、モンスターの生態系の調査でもありません。ましてや、モンスター退治の依頼を受けているわけでもありません。」
「……………………はい。」
「もちろん、サントハイムのただお一人の姫君の行幸ですから、護衛の任に着く者も、それなりの位と実力が必要です。今回は、将軍地位にある伯爵に来ていただいています。ですから、比較的安全な行程が望めるとは言えど、姫様に傷一つなく、またバトランド国王さまに届けるお荷物に、破損一つ無きよう運ぶためには、モンスターとの遭遇は、避けてしかるべきです。
 ──お分かりですよね、もちろん?」
「──そうね、確かに、せっかくのプレゼントが破損していたら、しゃれにならないもの。」
 そのためにわざわざ、ルーラやキメラの翼ではなく、海路と陸路での、長旅をすることを選んだのだ。
 ……まぁ、旅の最中にモンスター退治が出来るかもしれない、という理由が込められていたのも、本当なのだが。
 それは分かる、と、コックリと頷くアリーナの米神から額辺りにかけて、ジンワリと脂汗がにじみ出ているのを認めて、クリフトは益々冴え渡る微笑を深くした。
 周囲は、シン、と静まり返り、洞窟から抜けてからずっと聞え続けていた鳥達の声も届かない。
 ただ、回りには、むせ返るような血の匂いと、モンスターの体臭。
 できれば、ずっとココにいたいわけではないが、歩き始める前に、これだけは言っておかなくてはいけなかった。
「──姫様? 心配する観点が、まるで違うことに、ご自覚は?」
 穏かな……背後に十字架を背負っているかのように穏かなクリフトの笑顔に、アリーナは背中に戦慄が走るのを感じながら、クリフトから視線を逸らすように顔を俯けた。
 しゅん、と肩を落として、少し首をすくめるようにしながら、
「…………ごめんなさい。
 まさか、その……馬車とはぐれるなんて、思ってなかったの。」
 アリーナは、ひどく心配そうな表情で、クリフトを見上げて眉を寄せた。
 その、秀麗な容貌に浮かぶ、紛れもなく心からの心配の色に、クリフトの口元がヒクリと引きつる。
「…………………………。」
 微妙なクリフトの沈黙の理由に気付かず、アリーナは腰に手をあてながら、自分たちが歩いてきた方角を振り返った。
「将軍が付いてるから、大丈夫だとは思うんだけど……やっぱり、心配よね?」
 この辺りの敵は弱いとは言えど、今みたいに集団で来られたら──、自分たちならとにかく、彼らの手に負えるかどうか。
 最悪、馬車を放り出して逃げれば、次の宿場町まで無事に到着することくらいは出来るだろうけど。
「大丈夫かしら……? 移民の町で、せっかく素敵な誕生日プレゼントを選んだのに、壊れてたら、元も子もないわ。」
 せっかく、誕生日プレゼントのために、時間をたっぷりかけてきたのに。
 軽く首を傾げて、そんな心配をするアリーナに、クリフトはとうとう耐え切れなくなったかのように、米神に指先を押し当てて、ピクピク震える自分のソレを、無理矢理マッサージして落ち着かせる。
「──……姫様、私が心配しているのは……あなたのお体です。」
「──やだ、なによ、クリフトったら!? もしかして、私がこの程度の敵に、傷を負うかもしれないなんて心配でもしてたと言うの!?」
 それは心外だと、ムッと眉を寄せてクリフトをギロリと睨みつければ、クリフトは溜息を押し隠すこともなく零した後、
「モンスターに傷を付けられずとも、馬車から降りて……こんな森の中で。
 枝や葉で、お肌が傷つかない自信がおありですか、姫様?
 馬車においていかれたこの状態で、最近まるでお歩きになっていないその足が──痛まないという自信も?」
「……そ、……、れは──。」
 軽く瞠目して、アリーナはパチパチとクリフトの端正な容貌を見上げて後──言葉の先を失ったように口を閉ざした。
──確かに。
 クリフトに言われるまで、うっかり忘れていたことだが、森の中というのは、馬車が通るほどの道筋が用意されていても、思わぬところから枝が伸びていたり、草が伸びていたりして……本当に、思いもかけず、切り傷を作ることがある。
 特に戦闘中は、モンスターの動きには気を配っても、枝や葉の伸びた方向など気に留めている暇はない。
 さっきだって、モンスターを追って、茂みの中に二度くらい突っ込んでいた。──何も感じないけれど、もしかしたら、足元を良く見てみたら、何本か薄い傷が走っているかもしれない。
 これが腹部や足の内腿辺りなら、ドレスの中に隠れて見えないのだろうが、首筋や背中、腕や足首の辺りなどになったら──とてもではないがドレスでは覆い隠せない。
 サントハイムの国王名代として出席するパーティで、そんな傷だらけの姿を晒すわけには行かないことは、アリーナとて重々承知している。
「────…………。」
 そうなれば、結局、目の前の「お目付け役」としてついてきた青年に、回復魔法を請うことになるのは、目に見えて分かっていて──アリーナは、おずおずと視線を足元に向けた。
 見えたのは、動きやすいようにと破り裂いたドレスのぎざぎざとした裾と、そこから覗く膝小僧。
「いちおう……、手袋かわりに手の平には布を巻きつけてみたんだけど…………。」
 ぼそぼそ、と呟きながら、手に巻いたドレスと同じ生地の布地を指先で引っ張る。
 クリフトは、アリーナの目線を追うように視線を下に落すと、
「それに、姫様。」
「────…………え、まだあるの?」
「姫様は武術の達人ですから、そのような靴でも、十分に戦えていたようですけれど。」
 クイ、と目線で促されるようにされて、アリーナはウンザリした顔でクリフトの視線を追う。
「あっ、靴? ヒールのこと?」
 今回の旅路で、アリーナは「深窓のご令嬢」扱いを受けている。
 そのため、海路では豪華な部屋を与えられ、甲板に出れば必ず侍女が日に焼けないようにと大きな日傘を差して着いてきたし、陸路では馬車から一歩も降りることを許されず、室内でゴロゴロすることを強いられた。
 クリフトが途中で一度言っていたことだが、「どこで誰が見ているかわからない」状態のため、常に服装も今のようなドレスを身につけることを強制されていたし、上がドレスなのだからと、足元には低いヒールの靴を履かされている。
 ブーツに比べたら動きにくい靴ではあるが、もともとバランスのいいアリーナにとっては、それほど苦難なわけではない。
 特に最近……旅を終えて帰ってきてからは、外交官としてドレス姿で表に立つことが多くなったため、「どんな状況でも戦える世界一の武道家」を目指して、ヒールで攻撃する練習もしていた。
 今はその実戦訓練が出来たようなものだと──だからこそアリーナは、今、余計に上機嫌なわけなのだが。
「そうなのよ、クリフト! ほら、前にクリフトが言ってたでしょう? ドレス姿でモンスターと戦うわけじゃないから、ちゃんと普段は護衛をつけろって!
 あれを聞いてね、私、ドレス姿やヒールでも、戦えるように練習してたのよ! ふふっ、なかなか様になってると思わない?」
「………………努力することはすばらしいことだと思います。」
 自分が言いたかったことはそうじゃなかったのだと──あえてその辺りに突っ込むのは止めて、クリフトは満面のアリーナに向かって、緩く首を振ってみせた。
「問題はそこではなく──姫様?
 ……この山道を、そんな靴で、どうやって乗り越えるおつもりですか?」
「………………………………………………。」
 無言でアリーナは、自分のドレスの裾を引き上げて、ヒョイと覗いた白い靴先を見下ろす。
 それから、足を左右に揺らしてから、
「……ムリかしら?」
「馬車が通れるように慣らしてあるとは言え、山道ですから。」
 せめて、馬車が少し歩いたところで停止してくれていればいいのだが──、クリフトも、モンスターのあまりの多さに、とっさに、少しでも遠くに馬車を非難させようと、「次の宿場町で待ち合わせましょう!」……と、将軍相手に怒鳴ってしまったような記憶がある。
 そのときのことを思い出して、クリフトは自己嫌悪にズキリと胃の辺りが傷むような気がした。
 本当は──やろうと思えば、全員で馬車に飛び乗って、追いかけてくる敵相手にマヌーサなりザラキなりを唱えて、そのまま逃げ切ることも出来たのだ。
 ただ、そうしようとしても、アリーナは絶対に馬車から飛び降りて、飛び込んでいくのが目に見えていたから。──だから、あえて自分も残って、馬車だけを走らせただけで。
「ん〜……、ま、とにかく、いけるところまで行きましょう、クリフト!
 きっと、一晩か二晩くらい追いついてこなかったら、向こうから迎えに来てくれるわよ!」
 そんな、自己嫌悪に陥るクリフトに全く気付かず、アリーナは満面の笑顔で、ある意味追い詰められている状況にも関わらず──馬車に追いつかなかったら、何もない状態で野宿だと分かりきっているにも関わらず……いや、だからこそか。
 はじける笑顔と浮かれた言葉で、クリフトを慰めるような言葉をかけてくれたのであった。














 結局、馬車のわだちの後を追いかけながら歩いていたのだが、アリーナが踵の高い靴を履いていたため、歩く速度がそれほど伸びず──、宿場町の影どころか、馬車の影すら見えない状態のまま、日は暮れてしまった。
 これが、ホンモノの深窓の令嬢と、王宮付きのしかるべき神官の二人組みであったならば、こんな森の中でどうすればいいのだろうと路頭に迷ったところだろうが、二人とも「ホンモノの」深窓の令嬢と、王宮付きのしかるべき神官であるにも関わらず、こういう状況にはひどく馴れていた。
 路銀が無くて森の中で野宿をしたのも二度や三度ではない。もちろんその場合、食料は自給自足が当たり前だ。
 馬車を追いかけるようにして歩きながら──それでも二人は、今日中に馬車に追いつけないことを知っていた。
 おそらく馬車は、クリフトの予想どおり、「一番近い宿場町」辺りで待っているはずだ。
 そして、その一番近い宿場町まで、馬車なら数時間で到着するが、歩きだと丸一日はかかる。
 クリフトもアリーナも、旅馴れているから、丸一日はかからないものの──そう、アリーナさえ馬車から飛び出していなかったら、クリフトは馬車を追いかけて、今日の夜半過ぎくらいにはその宿場町に追いついていたはずだった。
 ──いや、アリーナがいても、それは夢ではなかっただろう。
 彼女がはいている靴が、普通の旅用の靴だったなら。
 結局、馬車のわだちを追うようにして歩きながら、二人は野宿のために枯れ枝や果物、木の実を集めて──日が暮れる少し前に、その日の野宿の場所を決めた。
 やるべきことは分かっていたので、野宿の準備をするのは簡単だった。
 ココに来るまでに集めてきた焚き火に火をつけ、川で水を汲み、手ごろな大きさの岩とハッパと枝を用意して、それを食器代わりにする。
 近くを流れていた小川から汲んできた水と、近辺を探索して見つけた野生の香草、キノコ、芋、──そしてアリーナが、しとめた野鳥とで、夕食はそれなりに豪華なスープが出来上がった。
 その手際のよさは、数ヶ月のブランクがあることなどまるで感じさせなかった。
 ハッパで作った鍋の中で煮込まれるスープを覗き込みながら、アリーナは待ちきれないかのように、枝をくりぬいて作ったスプーンを鍋の中に突っ込んで、その上澄みを掬い取った。
 ふぅふぅ、と湯気を立てるスープに息を吹きかけて、熱さが消えないうちに、パックリとスプーンごと口にくわえた。
 口の中に芳醇に香るのは、懐かしい青臭さが混じる──木の匂いと葉っぱの匂いのする、素朴なスープの味。
「ん〜! やっぱり、こういう野天の中でのご飯って、美味しいわよね!」
 思わず頬を蕩けさせるようにして笑って満足げな吐息を零した瞬間、
「……姫様っ! ツマミ食いだなんて、何を行儀の悪いことをなさってるんですか!」
 スープを煮込んでいる間、暖かな枯葉の寝床を──もちろん、愛しい姫のためだけに──作っていたクリフトが、眦を吊り上げて振り返った。
 そんなクリフトに、スプーンを口にくわえたまま振り返ると、
「──あっ、もちろん、クリフトの味付けがうまいからよ?」
 あくびれない笑顔で、アリーナはニッコリと笑って褒めてくれる。
 そんな彼女に、クリフトは小さく溜息を零すと、フルフルとかぶりを振る。
「お褒めに預かり恐悦至極でございますが、姫様? 野天の下というなら、昨日までもそうだったではありませんか?」
 昨日だって、おとついだって──、宿場町にも村にも立ち寄ることが出来なかったから、旅の空の下での食事と就寝となったはずだ。
 その時のほうが、今よりも断然豪華で、美味しかったことは間違いない。
 何せ今は、塩一つ満足にないこの状況で──香草で生臭さを隠すのが精一杯の味付けしかできていないのだ。
 確かに、鳥の骨でダシを取ってあるから、それなりに味わいは深いだろうとは思うが……それでも、昨日までアリーナが口にしていた料理に比べたら、雲泥の差があるだろう。
 どうして、世界を救う旅の中ではない……、「ご公務中の姫」相手に、このような質素な食事を食べていただかなくてはいけないのだろうかと、クリフトは溜息を零すしかない。
 本当なら、姫様は今頃、バトランドの城下町に入る一つ手前の宿場町で、最上級の宿で、たっぷりと湯を使って珠の肌を磨きあげ、翌日のバトランド入りを目前にして、輝くばかりの美しさを纏っている──はずだったのに。
「それは違うわ、クリフト! 天幕の下で、座布団とかクッションとか広げられて、空も見えない中で、お城でも食べれるような料理なんか食べても、ぜんぜん楽しくないし、美味しくないわ。」
 その、今頃は柔らかな月明かりが差し込む窓辺で、優雅に就寝前のハーブティなんぞをたしなんでいるはずの姫君は、白い肌を少しくすませて、ビリビリに引き裂いたドレス姿で、簡単に作ったハッパのおわんとスプーンを持って、野宿スタイルだ。
 まるで、どこかの盗賊に襲われたところを、命からがら逃げてきたような様相である。
 しかも、旅の時には履いていたストッキングをはいていないため、むき出しの膝小僧やふくらはぎがひどく眩しく良く見える。
 とてもではないが、一国の主の跡継ぎの姫には見えなかった。
 もしココで旅人とすれ違っても、彼らはアリーナを、「少し稼ぎの良い商人の娘」程度にしか認識してくれないだろう。
 ──一国の王女ともあろうお方が……。
 城を飛び出したアリーナと共に旅を始めた当初、毎日のようにブライと零しあっていたことを、再び心の中で呟かずにはいられなかった。
 アリーナは、そんなクリフトのクリフトの口に出せない困惑をまるで感じ取っていないような笑顔で、キラキラとすみれ色の瞳を輝かせながら、
「それに、クリフトが作る料理を食べるのも、本当に久しぶりだもの。」
 本当に嬉しそうに──幸せそうに笑って、小首を傾げる。
 サラリと零れた亜麻色の髪が、彼女の華奢な肩口を滑っていくのを見ながら、クリフトは、今日何度目になるか分からない溜息を飲み込んだ。
「……これは、料理なんて言えるようなものではありません。」
 天幕の下で座っているときよりも、木漏れ日のように差し込む月明かりの下でこうして笑っている方が、ずっとアリーナらしいと思いながらも、それを口にすることはない。
 そんなことを言ってしまえば、バトランドからの帰りは「ルーラ」でも「キメラの翼」でもなく、まさしく「旅」になってしまうのが目に見えるからだ。
「だったら、そのクリフトが言う『ちゃんとした料理』って言うのを、サントハイムに帰ってから作ってくれる?」
 スープが出来上がるのを待っているアリーナの隣へと歩み寄り、鍋の中を覗き込むと、クリフトは彼女が手にしているのと同じ形の木のスプーンを──手ごろな枝を、スプーンになるような形にくりぬいただけの簡素なソレで、スープを掬い上げた。
 ふぅ──と息を吹きかけて、少し冷ました後、それを舌先で味わいながら、うん、と一つ頷く。
 それを待っていたとばかりに、すかさずアリーナがハッパのおわんを差し出してくる。
 ニコニコ笑みを広げるアリーナの表情は、本当に嬉しそうで──クリフトは、それにつられるように笑みを口元に乗せながら、彼女のおわんを受け取り、そこにサラサラとスープを注ぎ込んだ。
 昨日までの暇な旅路とは違い、今日は久しぶりに歩いて運動したから、きっとおなかが空いているに違いない。
 そう思いながら、たっぷりと具を盛ってからおわんを彼女に戻すと、アリーナは輝くような笑顔で、そのスープを受け取った。
「わっ、美味しそう!」
「火傷しないように、ゆっくり食べてくださいね、姫様。」
「分かってるわ! 鍋から直接盛った、アツアツを食べるのも、野天料理の醍醐味ってヤツよね!
 ね、クリフト? 今日は二人だけだから、お代わりもしていいわよね?」
 クリフトが自分の分の碗にスープを盛り終えるのを待ちながら、アリーナがイタズラめいた笑みで問いかける。
 その言葉の裏に見える──懐かしい旅の中での「規則」に、クリフトは口元を緩ませながら、頷いた。
「そうですね、急がず、食べ過ぎないように──腹八分目ですよ?」
 ──この言葉を口にするのも、随分と久しぶりだ。
 旅の中では、当たり前のように、満天の星空の下で、温かで簡素なスープを作って食べた。
 パチパチとはぜる火の回りに、全員がグルリと輪になって──、「お代わりは早いもの順。ただし、一杯限り。」の言葉に、成長期だったユーリルとアリーナの二人が、こぞって競争するように口の中に突っ込むようにしてスープを飲み込み、舌を火傷したと顔をくしゃくしゃにゆがめていたこともあった。
 賑やかなあの頃のことを思い出すと、スープをすする間、二人の間に落ちる沈黙が、少しだけ寂しい。
「分かってるわよ。私だって、もうユーリルみたいなお子様じゃないんだから。」
 どこか呆れたように答えながら、アリーナは地面に直接座り込む。
 普通の姫君ながら、決して無頓着に座ったりしないものだが──アリーナには今更だ。たとえ今着ているドレスが、パーティ用のドレスだとしても、彼女は無頓着に地面に直接座り込むだろう。
 ヒラリと舞ったドレスの裂かれた裾から覗いていた足が、膝の上まで露わになったのを見咎めて、クリフトは秀麗な眉に皺を寄せる。
 【お子様じゃない】と言った口から、大人の女性にしては、あまりに頓着がなさ過ぎる立ち振る舞いだ。
 アリーナは、頭痛を覚えたように、米神に手を当てるクリフトに構わず、丸くくりぬいたスプーンに大きな鶏肉の欠片を乗せて、それに口を寄せた。
 ──唇から伝わる熱さに、少しだけ顔を遠ざけた後、ふぅふぅ、と息を吐く。
 そんな彼女の幼い仕草を見て取りながら、クリフトは無言で自分の襟元に指先を入れると、ぱちん、と上着のホックを外した。
 それから、アリーナの傍に跪くと、
「大人の姫君は、モンスターと戦いたいからと、勝手に聖水の中身を入替えたりしませんよ。」
 ──ちなみに言えば、神官とは言えど、れっきとした男を前にして、無造作に座り込んだりもしない。……しかも、裂けたドレスをそのままに。
 一番告げたい内容は、そうやって喉の奥に飲み込んで、冷えますから、とクリフトはアリーナの足もとに自分の上着をかけてやる。
 その段になって、アリーナはようやく、自分の足がずいぶん露出していたことに気づいて、ぺろりと小さく舌を出した。
「だって、クリフト。もう私、2週間もまともに戦ってないのよ? 腕がなまっちゃうわ。」
 礼を言う代わりに、焚き火の向かい側に戻っていくクリフトの背中に向かって、膨れた口調で異論を唱える。
 クリフトは、アリーナの向かい側に腰を落としながら、焚き火の照り返しを受けるアリーナの朱色に染まった容貌を見返す。
「だからって、人様を巻き込むのは、なりません。」
「それは……反省してます。」
 厳しい色を隠そうともしないクリフトの眼差しを受けて、アリーナは持っていたおわんを、一旦クリフトの上着の上に置いた。
「馬車を守りながら闘わなくちゃいけなかったのに、私、うっかり目の前の敵しか見えなくって……。
 この癖、旅をしているときに直したつもりだったんだけど──まだまだよね、私も。」
 ギュ、と悔しげに眉を寄せる。
 そんなアリーナの言葉に、クリフトは浮かびかけた笑顔を、固めた後、
「………………反省してください、姫様。」
「だから、反省してるってば!」
 帰りこそは、絶対に、馬車の外で戦闘しながら歩くわ、と、そう胸を張って決意を固めるアリーナに、クリフトは重い溜息が零れそうになるのを感じた。
 アリーナ様らしいと言えば、アリーナ様らしいのだけど……。
「姫様──反省する箇所が違います。」
 軽い頭痛を覚えた気がして、クリフトは米神に手を当てて、緩くかぶりを振った。
 そんなクリフトに、アリーナは不思議そうな顔をした後、ふたたびスープの入ったおわんを取り上げて、それに口をつける。
 少しだけ冷めたソレを啜りながら、アリーナはクリフトのいつもどおりの説教を右から左に聞き流しつつ、ふぅ、と熱い吐息を零して空を見上げる。
 明るい月の明かりが、木々の向こうにすかし見える。
 そう言えば、こんな風に森の中から空を見上げることも、本当に久しぶりだ。
「やっぱり──こういうのって、いいなぁ〜。」
「姫様。」
 思わず瞳を和ませて呟けば、その声の気配を感じたクリフトが、説教を中断して、キッと視線をあげてきた。
「何を暢気なことをおっしゃっているんですか。
 きっと今頃、将軍達は、私たちが宿に到着しないのを、とても心配していることでしょう……。」
 もしかしたら、日が暮れたにも関わらず、道を戻ってこようとしているのかもしれない。
 そう呟いて、クリフトは悲痛な表情で視線を落す。
「──あ、そうね……、本当なら、今日の夜半過ぎには、宿についてるはずだったのよね……。」
 クリフトの言葉に、アリーナは自分の歩みが遅かった事実を思い出し、視線を足元に落とした。
 実を言うと、すごく──というわけではないが、このヒールの靴で山道を歩いたせいか、少しばかりつま先と踵が痛かったりする。
 そんなことを零せば、クリフトは過保護にも薬草で手当てとかしだすだろうから、口に出しては言ってはいないのだけれど。
 クリフトの上着で、そのつま先を隠しながら、アリーナは苦笑を口元に刻んだ。
「夜中を過ぎても姿を見せなかったら、心配してるでしょうね……悪いこと、しちゃったなぁ。」
 多分、侍女たちも、一睡もせずに自分たちを待っているような気がする。
 そして、明日の朝一番くらいに馬車ごと道を戻ってきて──そのまま、皆で宿場町でもう一泊……というコースになりそうだ。
「こんなことなら、最初から私とクリフトだけでよかったわね?」
 スープの最後の一啜りを飲み込み、アリーナは空になったおわんに向かって溜息を零す。
 結局、こんな風に誰かに迷惑をかけるくらいなら、最初から二人だけで、バシバシとモンスターを退治しながら進んだ方が良かったかもしれない。
 そう零すアリーナに、何を言うのかと、クリフトが片方の眉を吊り上げる。
「それこそ、許されることではありませんよ、姫様。
 私は、神官といえど、男ですから──、未婚の姫と共に旅をするなんて、とんでもありません。」
 厳しい口調で、そうアリーナを叱咤しながら、自らの分のスープをよそった。
 アリーナは、そんなクリフトに向けて、空になったお碗を差し出してお代わりを要求しながら、ぷっくりと幼い仕草で唇を尖らせる。
 今ではもう、実の父の前ですら見せなくなった表情だ。
「3年前までは、一緒に旅してたじゃない。」
 この場合、示しているのは「勇者ご一行」のことではなく、その前の三人旅のことだ。
 あの時は、どうしようもなくて同じ部屋で泊まったこともあったし──宿で泊まれたほうが珍しいほどの貧しく厳しい時だってあった。
 それなのに、本当に今更じゃないかと、そう訴えれば、
「それとこれとは別の話です。──だいたい、あの時にはジイ様もいらっしゃったじゃないですか。」
 呆れたようにアリーナの碗に新しいスープを注いでやりながら、クリフトが答えてくれた。
 アリーナはそれを受け取りながら、ますますむっつりと唇を尖らせる。
「じいなんて、いてもいなくても一緒よ。夜中に何か起きても、なかなか起きてくれないんだから!」
「………………姫様…………。」
 その言葉は、聞く人が聞いたら、誤解しそうな言い方だと──、クリフトは、口元を軽く手の平で覆う。
 断じて言うが、寝ぼけたアリーナがクリフトのベッドにもぐりこんできたときも、何もしてはいない。それどころか、おとなしく姫に自分の寝床を譲って、自分は床で寝たくらいだ。──さすがに、片思いの相手が先ほどまで寝ていたベッドで寝るようなことは出来なかった。
「──なーんてね、ふふっ。
 ジイがいてくれたから、いろんなこと、とても助かったってこと……ちゃんと分かってるわよ、クリフト。」
 クリフトの苦渋に満ちた表情からナニを思ったのか、アリーナは軽やかな声をあげて笑って、お代わりしたスープにふたたびスプーンを入れた。
 そんな彼女に、クリフトは何か言おうと口を開きかけたが、それ以上何も言わず、口を閉じた。
 それから、何度かお互いにスープのお代わりをして──作り上げたスープが、明日の朝の分が残っているかどうかくらいの量になった頃、アリーナは、ようやくおわんとスプーンを地面に置いた。
 温かなスープのおかげで、体は芯から温まっていて、焚き火の照り返しを受けた頬が、仄かに赤く染まっている。
 おなか一杯だと、手の平を腹の上に当てながら、アリーナは満足そうな笑みを浮かべる。
「…………ふぅ〜、ごちそうさま、クリフト!」
「はい、おそまつさまです。」
 アリーナの言葉に、クリフトはスープを火の上から降ろした。
 それの上にハッパで蓋をして、スープを温めるだめだけに弱くさせていた火に、新しい薪をくべた。
 緩やかに──けれど確実に火の勢いを強くさせていく焚き火の形を、アリーナは懐かしげに瞳を細めて見つめる。
 膝を抱き寄せて、その膝小僧の上に顎を置いて、アリーナは口元に笑みを浮かべる。
 そうやって、しばらく静かに焚き火の明かりを見ていてが、火照った頬が熱くて──ソレが心地良くて、
「……ん──……なんだか、おなかがいっぱいになったら、眠くなってきちゃった。」
 ふぁ、と、小さく欠伸をかみ殺せば、パキン、と枯れ枝を折り曲げたクリフトが、穏やかに微笑みながら頷いてくれた。
「どうぞ、お先にお眠りください、姫様。
 明日も朝早くから歩かなくてはいけませんから。」
「……クリフト。」
 クリフトの穏やかな声音の中に、紛れもない「ごまかし」を感じ取って、半分降りかけていた瞼をムリにこじ開けながら、アリーナはジロリと彼を睨みつけた。
「そんなこと言って、見張り当番、全部やっちゃうつもりでしょ?」
「……姫様は、パーティを控えた御身ですから、寝不足では困るでしょう?」
 曖昧に微笑んで、首を傾げるクリフトに、アリーナは気を緩めると落ちてきそうになる瞼を必死で叱咤するために、指先で眦を左右に伸ばしながら、
「どうせ、明日は皆寝不足なんだから、宿場町でもう一泊するわよ。
 だから、今日はちゃんと交代で見張り番よっ!」
 ビシリっ、とアリーナが指先でクリフトに向けて宣言する。
「……姫様……。」
「言っておくけど、私が先に寝たから、そのまま朝まで起こさないって言うのもナシだからねっ!」
 そう宣言して、アリーナは眠気を拭うように、フルフルと軽くかぶりを振った。けれど、まるで眠気は飛んでいかない。
 それでも、クリフトの返事を聞くまではと、必死に目を横に引っ張っておきていようとするアリーナに、クリフトは顔を軽くゆがめて見せた。
 旅のさなかは、姫と従者という立場ではあったが、そう言ってはいられない状況が多かったからこそ、見張り当番を交互にすることだってあった。──できるだけ、ブライとクリフトで分けてはいたが、ブライは年だし、クリフトとて若いとは言っても、もともと旅馴れていたわけではない。だから、二人だけで危険な夜の野宿を分け続けるのはムリだったからだ。
 けれど、今は違う。
 少しムリをすれば、明日の昼過ぎには街に着くのだ。
 たった一晩──それくらいなら、徹夜くらいワケはないl。
 今の状況で、主君である姫に、見張り当番をさせるなんてとんでもない話だ。
 それでも、なんだかんだ言って頑固なアリーナのことだ。 ここで頷かないと、おとなしく眠ってくれないだろうと判断して、クリフトは彼女に向かって、しょうがない、という態度を崩さず、しぶしぶ溜息を零して、
「……分かりました、姫様。
 それでは、私が今から丑三つ時まで見張りをします。姫様は、そこから明け方までということで、よろしいですか?」
「……………………………………まぁ、時間配分に不満は残るけど、いいわ。」
 渋い顔で、アリーナは目を真横に引っ張りながら、ジットリとクリフトを睨みつけたが、特にそれ以上何も言わずに、しぶしぶ頷く。
 もう一度、絶対に丑三つ時に起こしてね、と念を押して、アリーナは眠気で熱さを持った瞼をしばたく。
「それじゃ、先に眠らせてもらうわね。
 クリフト、あなたの上着を毛布代わりに借りてもいい?」
 膝の上に乗せられたままのクリフトの上着を膝の上から取り上げると、彼は鷹揚に頷いて、盛大に火をあげる焚き火に向けて、新しく枯れ枝を放り込んだ。
 少しでもアリーナに暖かく……と、そう思いながら、傍に山のように積まれている枯れ枝にふたたび手を伸ばしたところで、
「……そうだわっ。」
 地面に作られた枯葉の褥に横になろうとしていたアリーナが、むっくり、と起き上がった。
「姫様?」
 不思議そうに目をあげるクリフトの前で、アリーナはいそいそと彼の上着を腕に引っ掛けて、そのまま立ち上がる。
「もしかして、寝心地が悪かったですか?」
 地面に直接寝るよりも、枯葉のやわらかな寝台で寝たほうが、ぐっすり眠れる。
 アリーナのために、湿気のない枯葉を選んだつもりではあったけれど、たまに同じように見える枯葉でも、ちくちくと肌に痛くてかぶれてしまうときもある。
 もしかして気付かないうちに、そんな枯葉を混ぜてしまったのだろうかと、眉を寄せるクリフトに、アリーナは緩くかぶりを振ると、
「違うの。あそこで寝てるとね、クリフトに起こされないんじゃないかって思って。」
 ふふ、と意味深に笑って、アリーナはクリフトの隣にチョコンと腰を落とすと、持っていた上着をクリフトに手渡す。
「姫様? まさか、ここで寝るおつもりですか?」
 街中や城内なら肩の一つや二つくらい貸すが、さすがにいつモンスターが現れるか分からないフィールド上で──見張り当番の最中に、それは頷けない。
 渋い色を見せるクリフトに、アリーナは益々楽しそうな顔になると、
「ふふ〜♪ ほら、野宿すると、いっつも背中だけ寒いじゃない?」
「はぁ……そうですね。」
 だから、上着を上掛けにするのではなかったのかと、眉を寄せるクリフトに、アリーナは上半身を傾けるように近づいて……クルン、と瞳を揺らして、彼を覗き込む。
「──だから、くっついていたら、寒くないでしょ?」
「……姫様。」
 まさかとは思うが、旅をしていた最中に、良くマーニャやミネアたちとやっていたように、一つ毛布に包まって見張りをしようというのではないかと、クリフトは眉を吊り上げる。
「分かっているとは思いますが、私の上着では、小さすぎて二人で一緒に入るなんてことはできませんよ?
 そもそも……。」
 未婚の姫が、と──続けようとしたクリフトの唇は、押し当てられた柔らかな感触に、ヒュッ、と飲み込まれた。
 目を見開いて見下ろせば、指先をクリフトの唇に当てた姫が、ひどく楽しげな笑みを浮かべて、笑っていた。
「……姫?」
「クリフトの上着は、クリフトが着ればいいの。」
 アリーナは、イタズラを仕掛けたような笑顔で、首を傾げて見せると、
「ほら、小さい頃、良くやってくれたでしょ? 私が本を読んで、その後ろからクリフトが字を追って……。
 あれ、すっごく、暖かかったじゃない?」
 それに──あれなら、クリフトの動きもとてもよく分かる。
 お互いに暖かいし、風邪も引かない。
 もし、モンスターが現れてクリフトが動こうとしたら、自動的にアリーナも起きることが出来る。
 そう言って、満面の笑顔を浮かべるアリーナに対し、クリフトは記憶を攫うように視線を泳がせる。
──アリーナ様が、本を呼んでいて、その後ろから私が……。
「──……って、まさか、姫様……っ!?」
 攫った記憶の中──その中でも古い方に入る記憶に、驚いてクリフトが片膝をあげて立ち上がろうとするが、それよりも早く、アリーナは行動に移していた。
 腰を浮かび上がらせるクリフトの膝を腕で押し戻し、そのまま彼の片腕をあげると、ヒョイ、と下を潜り抜け……、
「はい、クリフトの腕はココね。」
 先ほどよりもずっと近く……目と鼻の先で、小さく笑ってみせた。
 あげた腰を、しっかりとクリフトの膝の上に落として、彼の腰を跨ぐようにしてしゃがみこむと、彼の腕を自分の肩に乗せた。
 イタズラが成功したように笑うアリーナの体温を間近に感じて、クリフトは困惑したように唇を捻じ曲げて──それから、仄かに目元を赤らめたまま、
「……姫っ、はしたないですよ……っ!」
 小さく唸るように叱咤するけれど、
「いいじゃない、誰も見てないんだし?」
 ね? と、小首を傾げて、アリーナは自分の腕を彼の首に巻きつける。
「見ていなくても、姫ともあろう人が、人の体を跨いで……っ。」
 忙しなく視線を左へ右へとずらしながら、クリフトは鼻先で揺れるアリーナの亜麻色の髪に、なんとも言えない顔で苦虫を潰した。
 アリーナは、そんなクリフトに、笑い声を軽やかにあげながら、
「いいじゃない、小さい頃は良くしたでしょ?」
「お小さい頃は、逆向きでした。──なんでコッチを向くんですか。」
 全く、と溜息を零したクリフトは、そのままアリーナを自分の膝の上から落そうかどうしようか一瞬悩んだものの、彼女はクリフトの首に腕を回している。
 とてもではないが、彼女の腕を自分が引き剥がすのは無理だろう。
 本気になったアリーナに力で適うのは、ライアンくらいのものだ。
 そう一瞬で判断すると、クリフトはもう一度溜息を零して──今度は、今日何度も零した溜息よりも、ずっと軽くて、少しだけ甘い色が滲んだソレを、そ、と大切そうにもらした後、
「この方が、クリフトの顔が良く見えるじゃない。」
「こんな姿じゃ、なかなか寝れませんよ?」
 ニコニコと、嬉しそうに笑うアリーナの姿に、完敗だとクリフトは軽く肩を竦めて見せる。
 そのまま、首を傾けるようにして、アリーナの額に、コツン、と自分の額をぶつける。
 そうすれば、アリーナが楽しげにクスクスと軽やかな笑い声を零す。
「いいの! 寝れなかったら寝れなかったで、クリフトと一緒に一晩中起きているもの。」
「ですから、それは……。」
「最近、ぜんぜん二人で一緒に話せなかったでしょう?
 だから……、ちょっとだけ、ね?」
 クリフトにみなまで言わせず、アリーナは先に言葉を奪って、ね? と、ねだるように小首を傾げて、ジ、と彼の瞳を見つめる。
 アリーナの大きな瞳にマジマジと見つめられて──クリフトは、それ以上何も言えなくて。
「…………………………姫様………………。」
「いいでしょ、クリフト?」
 首を傾けて、ね? と、甘い唇を近づけて微笑むアリーナに──クリフトは、諦めたように溜息を一つ零す。
「……今日だけですよ。」
 額を当てたまま、アリーナの瞳に写る自分の顔を見つめれば、焚き火の明かりに照らされたその中で、この上もなく甘く──幸せそうな笑顔を浮かべている己が笑っていた。
 アリーナは、その言葉を聞いて、少し拗ねたように唇を軽く尖らせたが、すぐに諦めたように一度目を閉じて、ふ、と短く息を吐くと、
「うん、それじゃ──朝が来るまで、ね?」
 一転して幸せそうに笑って、そのまま上半身をクリフトに預けるようにして、ギュ、と抱きついた。
 スリ、と額を肩口に押し付けられて、クリフトは彼女の髪から漂う甘い香に苦い色を刻みながら──それでも、幸せそうに微笑みながら、
「はい、朝が来るまで──どうか、このままで。」
 ひそやかに……この夜の気配を掻き消さないように、そ、と彼女の髪に口付けて、囁く。
 肩を抱きとめていた手を、背中に回して──その華奢な腰を引寄せれば、アリーナが腕の中で、甘い声をあげて笑った。
 耳朶を擽る彼女の声に、クリフトは首を竦めてから、
「アリーナさま……。」
 彼女の耳元に唇を近づけて、一瞬の間をおいて……噛み締めるように、囁く。、
「…………愛してます、……だれよりも。」
「……うん。」
 こういうときでもない限り、決して囁かない……囁いてくれない台詞に、アリーナはうっとりと目を潤ませて、クリフトの首に回した手にしっかりと力を込めた。
 それから、コッチ、と、彼の顔を自分の方にむかせて──言い馴れない台詞に顔を赤く染めたクリフトに向けて、淡く微笑む。
 そんなアリーナの笑顔に、クリフトもつられるように微笑んで──そして、どちらともなく、そ、と唇を寄せる。
 互いの体温も、吐息も──交じり合うほど近く、うっすらと開いた瞳を、ゆっくりと閉じて、睫毛をかすかに震わせながら、羽根のように柔らかく互いの唇が触れる──その、刹那。
「──……っ。」
 ピクリ、と、お互いの肩が震えた。
 唇が震える寸前で、唇だけの動きで、
「……馬のひずめの音………………。」
 それぞれが、囁くだけの呟きを零す。
 互いの鼓動しか聞えないと思えた沈黙の中に、焚き火のはぜる音と混じって──聞き逃しようのない、騒音が近づいてきているのが分かった。
 ゆっくりと瞳を開ければ、苦笑いをした互いの顔。
「どうやら──朝まで待っていなかったようですね?」
 唇を触れ合わせる代わりに、コツン、ともう一度額をぶつけて、クリフトが笑いを交えた溜息を漏らす。
 アリーナもそれにつられるように、詰めていた息を吐き出して──グリグリとクリフトの額に自分の額を押し当てて、笑った。
「もう……っ、私もクリフトも、野宿なんて慣れっこなんだから、心配なんてしなくてもいいのにね?」
 どちらかというと、こんな夜中に馬車を走らせてきた「彼ら」の方が心配だと、肩を竦めながら零せば、アリーナの背をやんわりとなでたクリフトの手の平が、そ、と外れる。
「仕方がありません。いくら神官とは言え、男と姫様と一晩一緒にするわけには行かないのでしょう。」
「だから、さっさと婚約でもなんでもして、発表しちゃえばいいのに──って、マーニャもいってたわよ?」
「そ、れは……、だから。」
 ようやくクリフトを「恋人モード」にできたのに、と。
 アリーナは、ふたたび「神官モード」に戻ってしまった彼を、拗ねたような視線でねめつける。
 その責めるような視線を受けて、クリフトは苦い色を示しながら、彼女に自分の膝の上から退くように頼み込むと、
「今はまだ、国を戻すことの方が、優先ですから。」
 クリフトは、毅然とした態度でそうキッパリと告げて、さぁ、と先ほどとは違う感触の手の平で、アリーナの背中を軽く叩いて促す。
 そんなクリフトに、しょうがない、と溜息を一つ零したアリーナは、彼の肩に手を置いて、そのまま立ち上がろうと腰をあげた。
 その、瞬間に。
「アリーナさま。」
 小さく、耳元で名前を呼ばれたかと思うや否や、グイ、と軽く腕を引っ張られて。
「──……っ!?」
 ほんの一瞬、触れあうだけの……「続き」。
 驚いて、すみれ色の瞳を大きく見開けば、ホンワリと柔らかで穏やかな笑みを浮かべた「神官」が、
「………………次は、帰ってからですよ?」
 先ほどアリーナがしたように、彼女の赤く火照った唇に指先を押しつけて、イタズラ気に笑ってくれた。
 とたん。
「──……〜っ! き……急にするのは卑怯だって、いつも言ってるじゃないのーっ!!」
 アリーナは、まだ温もりが残っているような気がする口元を手の平で押さえて、バッ、と立ち上がった。
 ほんの一瞬──本当に、触れたか触れていないか分からないほどの一瞬だと言うのに、抑えた唇が、熱を持ったように熱くて……ジン、としびれていて。
「──もうっ、バカクリフトっ!!」
 これ以上真っ赤になる顔を見られたくなくて、アリーナは、プイッとクリフトに背を向けて、馬車が走ってくるだろう街道へと歩き始めた。
 プリプリ怒っているのだという気配を背中に向けて放ちながら──もう一度、こっそりと唇に手を当てて、こらえきれない笑みを零して、闇の中で、ふふ、と肩を震わせる。
 後ろからクリフトが剣を取り上げて近づいてくる気配を感じて、アリーナは歩みを少しだけゆっくりにした。


「……次は、帰ってから、ね?
 ────やくそくよ、クリフト?」


 そう間もおかず、クリフトはアリーナに追いつき、「今だけ」は、隣に立って歩いてくれるだろう。
 そう──馬車に追いつく、「今だけ」は。
 今は、それで我慢しなくてはいけない。
 サントハイムの世継ぎの姫は、まだ──身軽でなくてはならない理由があるから。

 けれど、いつか──きっと。
 当たり前のように彼の隣で微笑む日が来る。
 そう……、いつも、信じている。
 だから、いつか……、きっと。













──平和になった世界で、人々は祝杯をあげる。













+++ BACK +++



えー……私には、イチャイチャラブラブは、やっぱりムリだったのかもしれません……。
………………ラブラブにするまで長かった上に、ラブラブが……ラブラブじゃない……。
そして、クリフトが、無駄にかたくなだ……。
うちのクリフトさんは、どうしてこんなにお硬いんだろう──ガッカリ。