まもるばしょ












久しぶりに帰ってきた故郷は、ひどく寒かった。
 ──否、肌に触れる空気そのものは、温かい。春の日差しと言っていいほどに、優しい色を宿していた。
 空は蒼く、雲ひとつない快晴で、輝く太陽を遮る物は何もなく──時折吹く風は、冷たさなど一つも宿さず、心地よく吹き抜けていった。
 バルバロッサ・ルーグナー皇位10周年の記念祭が開かれるのにふさわしい、上天気であった。
 けれど──テオは、この帝都が、今まで感じたことがないほどに寒いと、そう思わずに居られなかった。
 思わず両手でむき出しの二の腕をさすりかけ──その自分の仕草に苦笑を覚えて、小さくかぶりを振った。
 気温の寒暖で言えば、今までテオが居た北の国境付近のほうが、ずっと寒かった。
 朝と夜の冷え込みは特に厳しく、日差しの届かないトランの山道は、夜になれば息が白くなるほどであった。
 その寒さに比べたら、このグレッグミンスターは初夏のように感じるほど温かいというのに。
「──……寒い、な。」
 小さく呟いて……テオは、苦笑を零す。
 手の平が、知らず動き出しそうな気がして──テオは、ぐ、と拳を握り締めた。
 体はこれほど温かさを感じているというのに、心の中には寒風がふいているようだった。
 それは──北方に居たときも、時折感じていた物だったが……今ほど強く感じたことは、一度たりともなかった。
 その理由は、考えるまでもなく思い当たる。
 いつも……この帝都に帰ってきたときに、皇帝陛下の次に向かう場所に──今は、誰も居ないからだ。
「テオ様、いかがされましたか?」
 グレッグミンスターの門の外に立ったまま、無言で門を見上げ続けるテオに、彼の後ろにつきしたがっていたグレンシールがいぶかしげな声をあげる。
 もしや、何か不穏な気配が? と、眉を寄せたグレンシールの隣で、アレンがカチャンと剣の柄に手をかける。
「よもや──解放軍がココまで?」
 この10周年祭に乗じて、解放軍がスパイや暗殺者でも放ったのだろうかと、アレンは眉を寄せて低く問いかける。
 そんな彼に、テオは、はは、と軽い笑い声をあげて、アレンとグレンシールに早とちりをするなと言いたげに、片手を挙げて二人を制する。
「落ち着け、なんでもない。
 ただ──ここまで盛況な帝都を見るのは久しぶりだと、そう思っていただけだ。」
 そう答えながらテオは、ゆっくりと視線を上にあげた。
 大きく開かれた門の左右には、門番がそれぞれ立ち、通行人たちに目を光らせている。
 その門の奥に広がる帝都は──記憶にあるのと同じ形をしていながら……まるで、昔のように多くの人が行きかっていた。
 祝祭を告げる旗が掲げられ、家々の前には花や旗が吊るされている。
 踊りだしたくなる軽やかな音楽が幾重にも響き渡り、笑い声が何十にも重なっていた。
 最後にテオがこの帝都を出発してから──愛息が仕官を始めたあの日のことが、脳裏に鮮やかに浮かんでくる。
 あの時、背にした帝都は、ここまで賑やかではなかった。
「確かに……賑やかですね。」
 グレンシールは小さく頷いて、テオに同意を示す。
 門の内側からは、まるで最盛期の頃のようなグレッグミンスターの活気が伝わってきた。
「観光客もたくさん居るみたいです、ね。」
 ス、とグレンシールは目を細める。
 アレンが先ほど身構えたその原因が──入り込んでいないとも限らない、と、そう思ったようだった。
 不穏な雰囲気を見せるグレンシールに、テオは、はは、と軽く笑うと、
「そう気を尖らせるな、グレンシール、アレン。
 都の守りには、守備隊が付いている。──何も心配することはないだろう。」
 いいながら、テオは、行こう、と二人に声をかける。
 マントを翻し、カツン、とブーツの音も高らかに鳴らせば、門を守護していた帝都の守護隊が、ハ、と顔をあげたようだった。
 門番達に応えるようにテオが軽く顎を引けば、二人はパッと顔を輝かせ、ビシリと帝国兵の敬礼を整えた。
「お帰りなさいませ、テオ・マクドール将軍っ!」
「ご無事で何よりですっ!」
 リン、と響く声に、テオは唇の端を歪めるようにして笑みかけ──こくり、と頷く。
 アレンとグレンシールの二人は、そのテオの後ろで門番に向かって、軽く目礼をよこす。
 その──三人が入ろうとしていたもんの向こう側で、
『テオ?』
『テオ・マクドールって言ってなかった?』
 門番達の声が聞こえたらしい通行人が、驚いたように──そして戸惑うようにあたりをキョロキョロしているのが見えた。
 テオたちと共に門を潜り抜けようとしていた観光客らしい人たちが、驚いたようにテオたち一行を凝視している。
『テオ──って、あの、百戦百勝将軍のっ?』
『五将軍の一人の──あの人が……。』
 観光客の間からも、ぼそぼそと、遠目にこちらを見る視線が感じた。
 その中に──微かなあざけりめいた色が見えて、む、とアレンは顔を顰めた。
 その色が何なのか……彼らもまた、良く知っていた。
 北方からこちらに降りてくるにしたがって、増えてきた類のものだからだ。

 それは──テオが、このグレッグミンスターに感じる郷愁の理由の一つであり、二度と「ここ」では会うことのない、たった一つの存在。

『……裏切り者の、父親。』
 憎しみすらも込めて、ひそり、と囁かれた言葉に、カチンッ、とアレンが顔を跳ね上げる。
 ギッ、と、彼が思わずその呟きを漏らした人の方へと鋭い視線を向ければ、ざわり、と、人垣が揺れたような気がした。
 テオは、そんなアレンに、ふ、と笑みを零すと、
「アレン、あまり浮かれるな。
 久しぶりの帝都で嬉しいのは分かるが、そんな顔では、喜んでいるのか怒っているのか、わからんぞ。」
 ははは、と──軽やかに、軽口を叩くように、優しく目元を緩ませる。
 そんなテオの声に、何を──っ、と、言いかけたアレンの言葉は、しかし、
「全くだな、アレン。テオ様の言うとおりだ。
 そんな顔では、女の子にもてないぞ。」
 グレンシールの──滅多に聞くことのない軽口に、ぴたり、と口の中に消えた。
「グレンシール! 何を言っているんだ、お前まで……っ。」
「照れるな、ますます目つきが凶悪になってるぞ。」
 全く、困ったものだ、と、グレンシールはシニカルな笑みを浮かべると、強引にアレンの肩を抱き寄せた。
 そしてそのまま自然に顔を近づけて、耳元に──そ、と、囁く。
「俺達が騒ぎの中心になってどうするんだ。
 今は──テオ様のお立場も考えろ。」
「──……っ!」
 ハッ、としたように、アレンは間近に迫ったグレンシールの顔を凝視した。
 今の、テオの立場。
 帝国五将軍の一人で──否、その表現は今の状況に正しくない。
 「帝国五将軍のうち、すでに2人が反旗を翻した、残り3人のうちの一人。」
 そうして──その、反旗を翻した二人が居る場所こそが。
 テオのただ一人の実子……スイ・マクドールが率いる、解放軍なのだ。
「すまない。」
 微かに顎を下げて、アレンは下唇を噛み締める。
 そうだ──ここは、北方ではない。
 テオ・マクドールその人に忠誠を誓い、彼の皇帝への忠誠を疑う者など一人も居ない、忠実なる部下ばかりの地ではないのだ。
 テオの故郷でありながら──今のグレッグミンスターは、彼にとってはすでに油断の出来ない場所なのだ。
 少しでも油断をしたり、隙を見せたりしたら──即刻叩き落される。
 テオの立場と今までの実績だけで、何もかもが切り抜けられるような……そんな甘い場所では、もうなくなってしまっているのだ。
 たとえ、テオの心が、皇帝その人の下に変わらずあるのだとしても──それを、誰が信じてくれるだろうか?
 テオが、目に入れても痛くないほど可愛がっていた息子が……反旗を翻してしまった、今となっては。
 痛いほどの視線を感じながら、それでもテオは朗らかに笑って、グレッグミンスターの門をくぐった。
 パン、パン、ドォンッ──。
 激しい音を立てて、花火が昼間の空に上がる。
 その音に、彼は視線をあげて、柔らかな笑みを零す。
「本当に賑やかだな。──めでたいことだ、そうは思わないか、グレンシール? アレン。」
 なんともいえない表情を隠せなくて、俯いたアレンを振り返ったテオの顔は、朗らかだった。
 この祭りを、心から喜んでいるようにも見えた。

 今の帝国は、ピンと張られた一本のロープのようなものだ。

 どんどん力を増していく解放軍。
 そのリーダーとして立つのは、まだ16になるかそこらの子供。──けれどその子は、継承戦争で活躍した、バルバロッサ・ルーグナーの腹心の部下である百戦百勝将軍の、たった一人の息子で。
 幼い頃から、徹底的な軍事教育を施されている。
 しかもその少年は、ただ一人で反旗を翻したのではなく──テオ自身の長年の腹心の部下であった、飛刀のクレオや、グレミオも連れ出している。
 更にその元には、あのシルバーバーグの人間が軍師として付いているのだという。
 皇帝の下に居るシルバーバーグの人間とはケタが違う──まさに天才の名を持つ、軍師が。
 けれど、それだけならば。
 スイという少年と、シルバーバーグの軍師だけなら、まだ、帝国の威信にかけても、解放軍おそるるに足らずと、そう言いきることが出来た。
 でも──あの少年は。
 グレッグミンスターを帝国兵に追われるように飛び出して、たった半年で。
 鉄壁の守護を誇るクワンダ・ロスマンを──五将軍の一人を。己の中に招き入れたのだ。
 更にそれから半年も経たぬうちに……今度は、皇帝に永遠の忠誠を誓った、あのミルイヒ・オッペンハイマーすらも!
 それの為す意味を──そうして、それらの意味を踏まえた帝国の民が、テオを疑いの目で見るのも、仕方がないことだった。
 仕方がないと、そう、思うけれど。
「──それでもやはり、いい気分じゃないな。」
 我慢できずに、アレンは口の中で小さく悪態づく。
 そんな彼に、グレンシールはヒョイと眉をあげると、
「同感だ。」
 少しだけウンザリした色を混ぜて──何せ、北方から下り、この帝都に来るまでの間に、何度もこのような視線にさらされ続けてきたのだ。
 更にこれからもさらされないといけないのだと思うと、イヤになってくる。
 それでも──テオは、ここに、この祭典に参加しなくてはいけないのだ。
 黄金皇帝の、即位10周年記念の、祭典には。
 たとえ、今まさに追い詰めようとしていたロッカクの里の襲撃を中途半端に止めたのだとしても──来なくては、いけなかったのだ。
 「今」だからこそ。
 皇帝への、絶対の忠誠を。
 テオの忠誠を信じて疑わぬ皇帝陛下にではなく──周りの人々に、見せしめるために。
 ふん、と、グレンシールは鼻を軽く鳴らして、全く、ばかばかしいことだと、内心そう思わずには居られなかった。
 テオの忠誠を、どうして皇帝陛下その人にではなく、腐っていくばかりの軍人どもに知らせなくてはいけないのだというのだろう。
 そんなグレンシールの心の声が聞こえたのか、黄金宮殿へのルートを歩いていたテオが、ふとそこで肩越しに振り返り、
「グレンシール、アレン。──こうして、帝都に戻ってくるのも、いいものだな。」
 心の奥底から、そう思っているような表情で、そう言った。
「は。」
 短く応えるグレンシールとアレンに、テオはほんの少し懐かしむように目を細めて──あたりを見回しながら。
 一瞬、ふ、と……自分の屋敷のある方角の辺りで視線を止めて。
 切なげに双眸を細めたが、すぐにそれを掻き消して、
「私たちが守っている民の生活を、この目で見るのは、身が引き締まるだろう?」
 この手で──この人たちを守るのだ、と。
 そう……誓う気持ちになるだろう?
 テオは、そう言って……己の両手を見下ろし、ぐ、と、それを握り締めた。



 一番守りたいと思っていた人は、もうココにはいないけれど。
 いつか、共にこの国を守るのだろうと思った人は、もう、横に立つことはないだろうけど。



 それでも。






「ここが……私が守る場所なのだ、と。

 ……そう、思うだろう?」






 人で溢れる都を見つめて──テオは、そ、と、柔らかに微笑むのであった。



















……アレ? テオ様たちだけの、シリアスな話になりました。

そう言えば、「父殺しの英雄」だとか言われてるスイ様の話しとかは良く書きましたが、「裏切り者の父親」、と呼ばれるテオ様は書いてなかったなーと思ったので、この機会に書いてみました。

スイが解放軍のリーダーとして力量を発揮すれば発揮するほど、テオの肩身は、実は狭くなっていったんだと思うんですね。
ただ、テオはああいう性格で、ああいう人ですから、その辺りはまるで感じさせない、感じてない──それどころか、自らの過去の重みと存在そのもので、そういうのを吹き飛ばしていたとは思います。
もちろん、部下も皇帝も、テオを疑ったことは1度もない。
ソニアもカシムも、そしてクワンダもミルイヒも、何があってもテオは、決して解放軍には参加しないと、そう思っていたに違いありません。
たとえ息子と刺し違えても、彼だけは皇帝のために生きるのだと。
でも、周りの人や、帝国の人は違うんです。
あの百戦百勝将軍までもが解放軍に行ってしまったら、──とか、不安を抱くんです。
もしかしたら、スイと裏で繋がっているんじゃないか、だとか。
そんなはずはないと思いながらも、テオその人の人柄を知らないから。

その中で──故郷に帰ってきたのに、敵地に入っているかのような緊張を強いられつつ、それをまるで表に出さないテオ様、っていうのが書きたかったのです。


ちなみにこの後、ソニアと少しだけ再会したりします(←それを書いてやれよ)



ということで、解放軍戦争当時、皇帝さん即位10周年を迎えたので、帝国民に、「帝国はまだまだ大丈夫だよパフォーマンス」をするため、盛大に10周年記念祭を催してみたのでした、話でした。