ある日、トロデ王がトテトテと歩きながらやってきて、こうおっしゃった。
「イニスよ、ちょいと頼まれてくれんかの。」
もちろん、イニスに否やはなかった。
今はモンスターの姿をしているとは言えど、目の前にいるのは主君たるその人だ。
時々はどうかと思うところも見受けられるが、古くから伝わる王国の主として、申し分のない器量を持つ方の『頼みごと』だ。
どうして断れるはずがあろうか。
真摯な顔で頷くイニスに対し、共に旅する仲間たちの反応は冷たかった。
「また、今度はなんでやんすか? あんまり兄貴に迷惑かけるんでないでがすよ。」
鼻クソをほじくりながら、チラリとトロデ王を見ながら、ヤンガス。
さらに続いて、火を囲みながらゼシカに次の町でデートでもしないかと誘っている最中だったククールが、
「まったくだな。こないだみたいに、わざわざ山奥まで行かされたあげく、山自体を勘違いしてた……なんてパターンはごめんだぜ。」
ひょいと肩を竦める。
そう──実際に、あの時は本当にひどかったのだ。
「ちょっと頼みがあるんじゃ、イニス。
なーに、ちょちょっと行って、ちょちょっと帰ってくる寄り道じゃ。そんなに長くはならんぞ。」
と、軽い口調でおっしゃってくださったトロデ王の言葉を信用して、彼の道案内の通り、とある山に向かったのだ。
その山の頂上にいる男に用があるのだと言うから、山を登ることになったのだけれど──しかし。
この山というのが、物凄く険しいガケで出来た、よじ登る以外、登る方法がないという山だったのだ。
ガケばかりの山肌の、とても登山には向いていない山を前に、「本当にココでいいのかっ?」と、ククールもゼシカも、何度も何度もトロデ王に確認した。
けれどトロデ王は、間違いない、と、胸を張って堂々と答えてくれたのだ。
だから、一行は、「これのどこが、ちょちょっと、だ……」と文句を言いつつも、頂上にそびえ立っているはずの小屋を目指して、がけのぼりをはじめたのだ。
あまりの急勾配に、馬が登るのはムリだからと、ミーティアには中腹で待ってもらうことになり。
トロデ王は、ヤンガスの首にしがみついて負ぶさりながらのぼり──「ラクばっかりでやんす」と文句を言うヤンガスを全く気にせず、トロデ王は、「酒、酒♪」と奇妙な音程の歌を歌い続けていた。
その変な歌をバックミュージックに、一行は、爪がはがれるかと思いながら、必死に登り続けたのだ。
その末──「ちょちょっと」とは思えないほどの道のりの厳しさに、頂上にそびえ立つ小屋が、本当にあるのだろうかと何度も思ったが、自信満々に言うのだから、きっとそうなのだろうと──そう自分に言い聞かせつつ、一行は延々と登り続けた。
そうして、山を登りきったときには、全員、ボロボロになっていた。
それも、モンスターと戦った挙句──というのではなく、本当に単純に、ガケのぼりをしたせいで、だ。
ゼシカは、カギザギが出来たスカートを持ち上げながら、「こんなことなら、下でミーティア姫と一緒に待っていればよかったわっ!」と盛大に文句を零してくれた。
けれど、これでようやく目的の小屋に到着したぞ、と。
帰りはリレミトかルーラで帰ろうか、と、イニスがそう微笑んだ途端。
一行は、一つの事実に気づいたのだ。
──すなわち。
「……この山の頂上に、小屋……ないんじゃない?」
致命的な結末であった。
そう──つまり、アレである。
トロデ王は、登るはずの山を、隣と間違えていたのである。
あれは──本当に致命的だった。
「確かに、あれは酷かったわね。
そのあげく、手に入れたのは、酒一本ですもの。ありえないわね。」
そのことを思い出した、ぐぐ、と鼻の頭に皺を寄せるゼシカに、まぁまぁ、とククールが甘いマスクに笑顔を浮かべて、さりげに肩に手を回そうとする。
すかさずゼシカは、そんな色男の手を叩き落しす。
トロデ王は、その言葉にピョンと飛び上がり、
「何を言うか、ゼシカ! あの酒は、物凄く貴重な酒なのじゃぞっ!
100年間熟成に熟成を重ねて、この上もなく甘露となった美酒! あれを手に入れるのに、わしがどれほど苦労したか──……っ!!!」
ぐっ、と小さな緑の手を握り締め、口ひげをピンと立てて叫ぶ。
ククールは軽く片眉をあげると、ゼシカに叩かれた手の平を、ヒラヒラと揺らした。
「アレが? そんな大層の酒なのか? てか、酒には見えなかったよな。」
あれほどクタクタになって手に入れた酒は、奇妙なツボに入っていて、黒っぽくドロリとしていた。
とても酒には見えない、と誰もが奇妙な顔をする中、トロデ王だけが大絶賛して、「わし以外お触り厳禁!」と書いた札を張って、馬車の中に隠していた。
あんなものが、それほどベタ褒めする酒には思えない、と告げるククールに、トロデ王は、どこから胴体でどこから胸なのかわからない場所を、えっへん、と張った。
「お前らには、あの酒の価値がわからんのも、無理はないのぉ。
世界でも偉〜くて、すご〜くて、人徳のある人間にしか、知れ渡っておらんからの!」
ますます胸を張るトロデ王は、それが自分のことだと言いたげに、顎をあお向ける。
「そのままだと、後ろから倒れるわよ。」
チラリ、と流し目を一つくれて、ゼシカは自信満々の彼に溜息を一つ零す。
そんなゼシカの声も何のその、トロデ王は鼻を大きく膨らませると、
「あの、世にも珍しい酒を作れるのは、あの山に住む酒仙人だけなのじゃっ!」
「確かに、世にも珍しいでげすな。」
あのドロドロを酒と呼べる人間も、相当スゴイと思うでげすが……。
そう続けて、つまらなそうに鼻毛を引っ張りぬくヤンガスに、あえてイニスはノーコメントを貫く。
そして、もちろんトロデ王は、ヤンガスの突込みには全く耳を貸していなかった。
「けどの、あれは、年に1本しか作れなくっての! 手に入れるのは、それこそ、どんなお宝を手に入れるよりも難しいといわれておるっ!」
わしも、随分昔から手に入れようと、金をためながら、予約を入れて、ずっと待ち続けておったんじゃ。
そうして、ようやく、待ちに待った順番が回ってきたのだ!
そのままトロデーンに居れば、トロデ王専用の酒を造ってくれた酒仙人の使いのものが、持ってきてくれるはずだった。
──が、しかし、トロデ王は、旅の空の下であった。
なので、トロデ王は、酒を取りに行くと、そう仙人に伝えたのだ。
結果として、全員で険しい山をよじ登ることになった。
……正しくは、「険しい山の隣にある普通の山」にであったが。
つい先日のこの事件を思い返すと、とてもではないが、トロデ王の「頼みごと」に頷く気にはなれなかった。
「イニス、お前、よく内容も聞かずに、ほいほいOKするなよ?」
ククールが手の平を揺らしながら言うのに、イニスは、困ったように眉を寄せる。
「けれど──陛下も姫も、お城を出てから不便なさってるから……少しのわがままくらいは、聞いてあげたいかな、と。」
思うんだけど、と続くはずだったイニスの言葉はしかし、
「どっこが少しよ、どっこがっ!!!」
ゼシカの絶叫に近い声に、イニスは思わずビクリと驚いたように肩を揺らした。
ゼシカは軽く上半身をかがめて、豊満すぎる胸の谷間を強調するように、イニスの顔を下から覗き込む。
「あのね、私のわがままよりも、ずーっっと、酷いと思うわよ、トロデ王のはっ!
この間のだって、ちょちょっと、どころじゃない寄り道だったじゃない!」
分かってる? と、びしり、と人差し指を突き刺すゼシカに、イニスは両手を自分の前にかざして──なんとも答えられないと言いたげに、困ったように眉を寄せる。
そのゼシカの隣に、さりげない動作で立ったククールは、スルリと腕を彼女に細い腰に回しながら、
「そうだぜ、イニス。おまえの普段の寄り道と、どっこいどっこいくらいの寄り道だった。──しかも今度は、イニスの時と違って、何の実にもならなかったしな。」
ふっ、と、さらりと銀の髪を掻き揚げる。
しゃらん、と心地よい音が耳元で鳴り、彼の白皙の頬を掠める。
格好つけた絶妙の角度で、す、とイニスに流し目をした──ところで、ゼシカの容赦ない肘鉄が、ごすっ、とわき腹をえぐった。
「うぐっ!」
「身にはなったじゃろう! 最高の美酒を手に入れたんじゃぞっ!」
腹を抱えて前のめりに半身を折るククールに、トロデ王が反論をするが、「最高の美酒?」と、誰もが半信半疑の視線を彼に向ける。
「それにの! わしは毎回、身にならぬ寄り道など、頼んだことは1度もないぞっ!」
ピョン、と小さな体を飛び跳ねさせて、トロデ王は大きな声で言い張る。
それに、「そうですね」とは──さすがのイニスも言えなかった。
確かに、トロデ王にとっては、身になる寄り道ではあった。
けれど──イニスたちにとっては、何の実にもならなかった。
山登りは……まぁ、それなりに力を鍛える修行にはなったかもしれないけれども。
「へぇへぇ、っすね。
んじゃ、今回は、どういう用件で寄り道をするんでげすか?」
全くトロデ王の言い分には興味が無い──と言いたげな様子でヤンガスが問いかける。
トロデ王はそれに、良くぞ聞いてくれたっ! と言わんばかりに鷹揚に頷くと、にかっ、と笑って、
「今度はの、本当にちょちょいと言って戻ってこれるぞっ!
ちょいと、トロデーンまでルーラをしてほしいんじゃ!」
「トロデーンまで、ですか?」
イニスは突然出てきた名前に、驚いたように目を瞬く。
確かに──トロデーンなら、ルーラで戻れる。
けれど、今、トロデーンに行くという理由が分からなかった。
あそこは今も、イバラに包まれ、それに包まれて数多くの知り合いが眠りについていた。
トロデーンに居た人間で、とらわれていないのは、今ここに居るトロデ王とミーティア姫、そしてイニスの三人だけだった。
けれど──あそこに戻っても何もないのは、他ならないトロデ王その人が良く知っているはずだ。
城を出たときに、良く見知った城の隅から隅まで、しっかりと確認した。盗賊が入り込み、大切な物を盗まれては困るからと、イニスはトロデ王の指示で、それらも普通では決して見つからない場所に閉じ込めてきた。
それらが無事であることは、つい先日──トロデーンの図書館で調べ物をするために訪れた際に、確認しているはずだ。
それに──、
「ですが、陛下。……今や城は、モンスター達の住処になっております。
下手に近づけば、モンスター達を刺激してしまう可能性もあります。」
そうすれば、イバラにとらわれている人々も──今は、イバラのおかげで、モンスター達に「ひと」として認識されていない彼らも、何かの拍子に認識されてしまわないとも限らない。
そうなってしまえば、眠りについた人間に、モンスターの牙を避けられるわけがなく。
イニスは、自分に優しくしてくれたおばさんや、仲良く剣を交し合った友人達の面差しを思い出し、ふ、と目線を落とした。
あの、のろわれた城に戻るのは──正直、酷くおっくうだった。
同じようにのろわれた身であるトロデ王とミーティア姫を見ているのも、ただ一人のろいを受けていない身であるイニスには、至極辛いことだ。
けれど、この親子は、そんなイニスの悲しみや悔いを吹き飛ばすほど、いつも前向きに朗らかで居てくれるのだ。
自分の身に呪いが降りかかったことに関しては、やはり不安や憂いもあるようだが、それはそれとして、今の姿にも活用方法があるのだと、それらを見出そうとしていることすらある。
特にミーティアに至っては、けなげだと思うほどに、馬である事実を受け入れてくれ、その身で出来ることをしようとしてくれているのだ。
そんな二人だからこそ、その呪いに関しては、イニス自身も前向きな気持ちになることが出来た。
──でも。
トロデーンの城に関しては、そうは行かない。
それは、ただ、呪いの形そのものとして、そこにある。
血の気を失ったように、死んでしまったように、ただ眠り続ける同胞達。
その姿は、生きる屍同然。──それを見れば、前向きな気持ちよりも、沈み落ち込む気持ちのほうが出てきてしまうのだ。
どうして自分は、──ただ一人動けたのに、何もできなかったのだろう、と。
それを見るたび、「がんばってのろいを解かなくては」と奮起するトロデ王やミーティアが居るからこそ、自分もそれに頷くことは出来るけれど──実を言えばイニスは、呪いを解き終わるまで、できるだけトロデーンには近づきたくはなかった。
──何もできない自分を、思い知らされて、心が痛くなるからだ。
だから、少しばかり渋い表情をしてしまったイニスに、トロデ王は、む、と顔を歪める。
「そうか……そうじゃの、その可能性もあったか。」
それは考えもせんだ。イニスはさすが、色々思いつくのぅ、と。
感心したように頷くトロデ王に、イニスはなんともいえなくなって、無言で視線を落とす。
本当は──ただ、行きたくないだけなのだけれど。
「んで、おっさんは、なんでトロデーンに行きたがるんでやんすか?」
面倒そうな顔で問いかけるヤンガスに、トロデ王は、よくぞ聞いてくださいました、と言わんばかりに、うむ、と頷くと──、
「実はの! トロデーン城の厨房に、こないだの美酒によ〜く合う、チーズを熟成させてあるのじゃっ!!!」
チーズっ! ──と聞いて、ピクンと顔をあげたのは、イニスのポケットに入っていたトーポだけだった。
他の全員は、無言で目が皿になる。
そんな冷たい視線に気づかず、トロデ王は拳をフルフルと握らせながら、
「このチーズもの、料理長に特別に作らせた、この酒のためだけに作らせた一品での! もうそろそろ、食い頃のはずなのじゃ……あぁ、あれを肴に美酒をたしなむその瞬間が…………。」
さらに続くトロデ王の言葉に、ククールは肩を竦めて、クルリと踵を返す。
ゼシカは肩を落として、大きな溜息をわざとらしく吐くと、
「さ、イニス。先を急ぎましょ。」
くい、と、顎で先を指し示す。
そして、彼女もまた、ククールの背を追うように、さっさと歩き出してしまう。
「まったく、食い意地の張ってるおっさんでやんす。」
やれやれと、ヤンガスですら、コンボウを肩に担ぎ直して、ゼシカたちの後を追って歩き出してしまう。
イニスは、無言で眉を落とし──心配そうに自分たちを見つめていたミーティアと視線を交し合うと。
「……しょうがないね。」
苦い笑みを口元に刻んで、苦笑しあうのであった。
──さて、トロデ王のために、チーズを取ってくるべきか、取らざるべきか。
久しぶりに書いたら、ヤンガスの口調が分からなかったvv(←そんなのばっかりです・笑)
あと、イニスの性格が微妙にわからないvvv
理想の主姫が書きたい&読みたいな〜……