となりのひと

















 ビュッデヒュッケ城の表広場──噴水の縁に腰をかけて、フッチは本を読んでいた。
 つい先ほど、城内の図書館で借りてきたばかりの歴史の本だ。
 あまり本は好きではないのだけれど、この辺りの歴史を知るのは、やはりその土地の本を調べるのが一番だからだ。
 それでもやっぱり、本を読むのがイヤだから、アイクさんに、「この本の内容って……」と聞いてはみたのだが、彼のとうとうと語る内容は、どうにも頭をすり抜けて、脳裏に留まってくれず──言うなれば、眠気を誘うというか──、どうしようもなかったので、借りてくることにしたのだ。
 昔、同じような雰囲気で話す人と旅をしていたことがあったけど、あの時は、一言一言が、ずっしりと脳裏に残っていたはずなのにな、と思ったところで、フッチは、あぁ、と苦笑を覚えた。
 そうだ──あの人は、寡黙すぎるくらい寡黙だったから、ボソリと低く呟かれた言葉が、あまりに印象的で……だから覚えていられたんだ。
 50年以上前の出来事を詳しく書かれた本の内容に目を通しながら、フッチは頭の中で、別のことを考え始める。
 団長の娘であるシャロンの保護者であるフッチは、彼女の身を任された立場として、少しでもここの状況を知っておく必要があった。
 昔、共に旅をしていたあの人は、フッチが尋ねることに、ほとんど答えを返してくれるほど博識だったから──できれば、あんな風になりたいと、そういう願望もあった。
 何が起きて、シャロンの身に危険が迫るともわからない。
 竜洞騎士団という存在が、この土地にとってどういう意味合いを持つのか、古くから遡ってでも調べなくてはいけない。
 なにせ、ここには……、と、フッチは苦笑を滲ませながら、左足の腿の上に右足のふくらはぎを置くようにして足を組みつつ──眉を軽く寄せた。
「……100年以上を生きてる化け物みたいな人が、ほんっと、たくさんいるからなー……。」
 そもそも、ありえないよね、と。
 20年近く前に出会ったときから、ちっとも衰えていない美貌を称えている謎の紋章術師とか。
 こちらは生まれて30年かそこらだけれど、やはり美貌の衰えていなかった神官将とか。
 前の団長も100年以上の月日を生きていて、なお、年老いることはなかったけれど──そう言えば、見た目の年の頃は、ゲドがちょうど同じ位かと、どうでもいいことを頭の片隅で思いつつ──、ここまでこの城に集っているのは、どうかと思った。
「なんか、普通に旅とか生活とかしてると、絶対に関わらないはずの人たちなのに──どうして、こういう『場』って、そういうのが集りやすいのかなぁ。」
 別に、特別そういうつながりが欲しいわけじゃないんだけど、僕に至っては、もう3度目だ、と。
 フッチは、情けないやらで溜息が出てくるのを感じながら──頬杖を付いて、本のページを捲る。
 そのページに映し出されたのは、一枚の人物絵だった。
 前を見据え、まっすぐに右手を差し出し、なにかを指示しているのか……絵でありながら、圧倒的な存在感をかもし出す人物。
 『炎の英雄』──このグラスランドで「英雄」と言えば、この人だと言わしめるほどの有名人である。
 そして……今現在、このグラスランド・ゼクセン地方で起きている戦に、最も深く関わる存在でもある。
「──……英雄、か。」
 炎の英雄の肖像画を見つめながら──フッチは脳裏に、二人の面影を描いていた。
 英雄。
 フッチにとって、その響きを持つのは、ただ二人きりだった。
 トランの英雄、スイ・マクドール。
 フッチが最初に出会った【英雄】にして、フッチ自身の運命に深く関わったその人。──フッチが初めて抱いた「軍主」。
 そして、もう一人は、デュナンの英雄、リオ。
 今のフッチの相棒であるブライトとの出会いに、手を貸してくれた人であり、フッチが二度目に手を貸した「軍主」でもあった。
 二人は、歴史を大きく変える偉業を成し遂げた人であり──悲しい運命を乗り越えて、立つ人たちでもあった。
 物語や詩吟の中で称えられることが多い「近年の英雄」であり──同時に、今でも名をはせた有名人でもある。
 事実、 この城の図書館にも、二人のことを描いた本はあったし──それは子供たちにも人気で、良く貸し出されていたし。
 最近では、ヒューゴ達が脚本を手に入れてきたため、「決戦ネクロード」だの、「帝国の愛」だのと言った、なんとも言えない劇が開催されている。──ちなみに、フッチも無理矢理役者として参加させられたのだが、なんというか……、マルロもミルイヒも、夢を見すぎだと思う。
 当時の当事者的には、微妙な苦笑を浮かべるしかない作品であったが、観客には、なぜか物凄く受けが良く──他の劇に比べて、上演する回数が多かったりする。
 その結果として、リオとスイのことは「二大英雄」と呼ばれ始め──まるでアイドルのように、もてはやされ始めている。
 その事実に、実際にあの二大英雄と接したことがある面々だの、彼らと敵対する関係であったルシアだのは、苦笑をばかりを覚える始末だ。
 トラン共和国では、いまだに「英雄の部屋」と呼ばれるものがあるし、デュナン国では、「統合軍リーダーの像」なんていうものが、ミューズに建てられており──生まれた子供に名づけられる名前ナンバーワンは、トランではスイ、デュナンではリオ、だということから、まだまだ人気が高いのは知っていたが。
 まさか、ここ、グラスランドでも人気が出てくるとは思わなかった。
──っていうか。
「まさか、誰も思わないだろうなぁ……。」
 フッチは、本の挿絵から目線をあげて、なんとも言えない視線を、自分の隣に投げかけてみた。
 その視線の先には、一人の少年が座っている。
 年のころは、15、6。
 サラサラの黒髪に、陶器のように美しい白皙の肌。
 折れるように細い首に、男にしては華奢な手足。
 膝には分厚い本を置き、そのページを手繰る指先は細くしなやかで、一見したら、「美少女」に見える。
 実際、10人中4人は、彼を「美少女」と答え、残り6人は「美少年」と答えるだろう。
 そんな、成長期前の少年にありがちな、中性的な容貌をしていた。
 いつもは力強い色を宿す双眸を伏せて、長い睫の影を頬に落としている。
 柔和な輪郭のラインを緩やかに覆う柔らかな髪が、襟首を薄く覆い、時々、ゆるり、と首を傾げるたびに、サラサラと形良い耳を擽っている。
 まとう雰囲気は例えようもなく綺麗で──、柔らかな日の光に照らされた噴水の水が、キラキラと光を反射する光景を背後に背負った姿は、まさに絵画のような光景であった。
 思わず──ほぅ、と、感嘆の吐息を零したくなる。
「………………。」
 フッチは、真剣な表情で本を読み薦めている少年の姿に、なんとも言えない表情で、溜息を一つ零す。
 目の前に居るのは、つい先日──とは言っても、もう一ヶ月以上も前のことになるのだけれど。
 ヒューゴが遠征帰りに、ブラス城の近くの宿場町で、「拾って」きた、トランの英雄と同じ名前を持つ「少女」であった。
 本人が意識的に「女性じみた格好」をしていたせいで、数日間はずっと、「女」だと思われていた挙句──ヒューゴを始めとする数人の男どもに、ほのかな恋心を抱かせてしまったという、男泣かせな人物だ。
「…………。」
 けれど、こうして本を読んでいる姿を見ていると、ごく普通の10代の少年にしか見えない。
 静かな表情でページを捲り──時々、単語がわからないのか、ゆるりと首を傾げて、指先で文字を辿っている。
 読んでいる本が、見慣れない文字でタイトルが書かれてさえいなかったら──どうやら、シンダル遺跡のことに関する本らしいのだが、フッチには何語かすらわからない──、本当に、どこにでも居そうな、毛色のよろしい少年に見える。
──けど。
「こんな人が、そこらに転がってたら……本当、世界って終わりそう……。」
 思わずボソリ、と呟いてしまう程度には──目の前の、「拾われた少女」は、凶悪な存在だった。
 その事実に思い当たり、フッチは、あぁ、と頭痛を覚えたように米神をもみこむ。

──この「事実」を知るのは、ほんの一握りの人間だけである。

 何せ、15年前の「歴史」以降、英雄の名をつけられた子供は、とても多かったから──実際、「同じ名前を持つ少年」の存在を、誰も疑うことなどなかったのである。
 フッチたちだって、ヒューゴが拾ってきたのが、「スイ」という人だと聞いたときに、真っ先に思ったのが、「トラン出身の子かな」程度だったのだ。
 15歳前後の子供は、男も女も問わず、「スイ」と名づけられることが多かったから。
 だから、その子もきっと、トランからやってきた「英雄の名前を授けられた子供」に過ぎないのだと──そう、思っていた。

 当人に会うまでは。

 あの時のことを……このビュッデヒュッケ城で数年ぶりに再会したときのことを思い出していたせいだろうか。
 思った以上にぶしつけに、スイを見つめてしまっていたらしい。
 不意に、視線を感じたのか、スイがゆっくりと顔をあげる。
「──? 何、フッチ? 僕の顔に何かついてる?」
 美しい琥珀色の双眸が、ひたり、とフッチの目を見つめた。
 その、まっすぐな視線は、酷く綺麗で──まるで、吸い込まれてしまいそうな気がした。
「あ、いえ。──すみません、そんなつもりはなかったんですけど……。」
 コリコリ、とフッチは頬を掻いて、照れたように笑う。
「ただ──この本を見ていたら、この間スイさんと再会したときのことを、思い出しちゃって。」
「あぁ、一ヶ月前のこと?」
 くすくすくす、と、楽しそうに喉を鳴らして笑う少年に、フッチはまぶしい物でも見るように、ス、と目を細める。
 今はもう、その程度の微笑みでは、全くうろたえたりはしないけれど──一ヶ月前は、あまりに久しぶりに見る笑顔の威力に、本気で撃沈してしまったのだ。 
 久しぶりに見た──その綺麗な容貌に浮かべられた、かの人の最大なる武器……類稀なる「微笑」を見た衝撃は、まさに、「衝撃」だったのだ。
 久しぶりすぎたが故に、あれは、一種の暴力だった。
 微笑一つで、彼は108人をたやすく陥落させるのだ。
 その笑顔を、惜しげもなく向けられてしまったら──もう、何も考えられなくなる。
 ただ、彼の言葉に頷き、イタズラ気に微笑んだ少年の指先が唇をなぞり挙げるのを、恍惚と受け入れるしかなかった。
「突然、『──ということだから、あまり騒ぎになりたくもないし……僕のことは、ナイショにしておいてね?』なんて言われるんですから、何のことか、分からなかったな、って思って。」
 ナイショ話をするように、そ、と囁かれた内容に、フッチはそれが何のことなのか分からず──ただ、笑顔に釣られるままに、はい、と返事をしてしまっていた。
 その時のことを思い返しながら──しみじみと、あれは醜態だったなぁ、と。
 シャロンがいなくて良かった、と、胸を撫で下ろすフッチに、スイはことさら楽しそうに笑う。
「フッチは、アップルから事情を聞いてたと思ってたんだよ。
 そしたら、何も知らないっていうから……僕のほうがビックリしたよ。」
 ヒョイ、と肩を竦めて告げるスイに、フッチはなんともいえない表情になる。
 笑いながら言う声は、記憶にある昔のソレよりも、ずっと柔らかな声音だった。
 長い月日の間に、人間性も少し丸くなったような──そんな雰囲気がある。
 そして、それに比例して、彼の魅惑の能力は、うなぎのぼりに登っていたりも、する。
「いえ、何も知らなかったわけじゃないんですよ?
 ヒューゴ君が、看護婦さんを仲間に入れた、とか──その人がどうやらスイという名前の女性らしい、とか……そういうのは、知ってはいたんですけど……。」
 しょうがないじゃないか。
 まさか──その噂の人こそが、自分も良く知る「スイ・マクドール」その人だなんて。
 絶対、誰も思わないと思う。
 憮然としてそう告げるフッチに、スイは軽やかな笑い声をあげる。
「そう思われないように、僕だってがんばって振舞ってたからね。」
「今は、そう振るわなくてもいいんですか?」
 確か──「男」だとばれてからも……更に言うならば、ヒューゴに「トランの英雄」だとばれてからも、スイはネコをかぶって生活している。
 本来のスイなら、もうそろそろ、10か20くらいのトラブルを起こしていてもおかしくはないのに──今日も今日とて、図書館で逢ったフッチを「ちょっと噴水で本読みデートしない?」と誘ったくらいで、何もイタズラなど仕掛けてはこない。
 まさか、こんなところまで大人になってくれたのかと、そう思う反面──何か裏があるんじゃないかと、そう思ってしまうのは、深読みのしすぎなのだろうか?
「フッチ相手に、ネコかぶっててもしょうがないだろ。
 どうせ、本性ばれてるんだし。」
「ヒューゴ君には、まだかぶってるんだ?」
「ルシアさんの前でもかぶってるよ、もちろん。」
 にっこり、と。
 15年前を思い返させるような質の笑顔を浮かべて、スイは何かを企んでいるかのように、双眸を緩やかにアーチさせる。
 その──背筋がゾクゾクするような……かつ、見とれずには居られないような笑顔を前に、フッチは、イヤな予感を覚えて、眉を引き絞る。
「まさか──ここでも、何かしようとか、考えていたりします?」
「うん? さぁ、どうかな?」
「スイさん……、頼みますから、ココの城も、変な人が多いんですから……これ以上、おかしな騒動を起こす手伝いなんて、しないで下さいよ?」
 はぁぁぁ、と深い溜息と共に両肩を落とせば、スイは、さて、どうしようかな、と意地悪い笑みを浮かべつつ──ふと、その視線を己の右手の甲に落とすと。
「──ん、でも、そうだね。」
 手袋に包まれたその右手を、そ、と左手で包み込みながら、スイは穏やかな微笑を浮かべてみせる。
「?」
 不思議そうに見下ろすフッチにではなく、自分の膝の上に乗せた本に向かって囁くように──スイは、小さく続けた。
「今はまだ、何も知らない人たちの中で、平穏を味わってみたいな、って思うから。
 もうしばらくは……きっと、おとなしくしてると思うよ。」
 今度は、リオのときのように、戦闘力として役立つんじゃなくって──それこそ、トウタ先生の手伝いの看護士として役立つ……なんていうのも、楽しいよねー、と。
 どこまで冗談で、どこまで本気かわからないことを、笑顔で続けてくれた。
 そんなスイに、フッチは、どこか気遣わしげな表情を浮かべる。
──まさか、また、右手の紋章が……?
 彼は、新たな苦しみを、更に増やしたのだろうか、と。
 数年前に起きた、ハイ・イースト動乱を思い出し──あの中には、トウタももちろん、ビクトールやフリックも関わっていたと聞いている。
 その時の動乱に、ソウルイーターが、動いたという可能性もある。
 そうして──その最中、スイは、また新たな枷を自らに嵌めてしまったのだとしたら?
 そんな不安に、フッチが双眸を揺らした、まさにその瞬間であった。
 スイは、にっこり、と、柔らかな微笑を浮かべると、


「それに、ほら──、このグラスランドじゃ、五行の紋章のコントロールが難しいから、合体魔法は使えないし、炎の紋章はコントロールしないといけないし、パーティはバディ制で組むとか決まってるらしいし。
 そういう面倒臭い戦闘に参加するくらいなら、サポートメンバーとして、皆が戦ってるのを、面白おかしく見つつ、さりげなく邪魔してたほうが、楽しそうじゃない?」


 くり、と、小首を傾げて──凶悪なトラブルメーカー宣言をしてくれた。
「……………………って、邪魔しちゃ駄目ですよ、スイさんっ!!!!!」
 思わずフッチは裏手で突っ込みながら叫び、彼がそれを実行するのを阻止しようと、必死に試みた。
「え、大丈夫だって。邪魔したことに気づかれないように、うまくやるから。」
 けれど、スイは、全くそれに答えてやるつもりはないようだ。
「それは余計に駄目ですってばっ!! 何かあったら、どうするんですかっ!」
「大丈夫だよ。クリスさん、真なる水の紋章宿してるんだろ? 何かあったら、すぐ癒してくれるって。」
「だから、何かあってからじゃ遅いんですってばっ!!
 っていうか、スイさん、そんなことしたら、ルックの回し者とか思われて疑われたらどうするんですかっ!!」
「えー……それじゃ、しょうがないから、疑った人を、飲むしか??」
「飲むしか?? じゃないですよ! っていうか、なんで右手の手袋脱ぐんですかーっ!!!」
 思わず絶叫したフッチが、今にもなきそうになっている──まさにその時。




「あと、スイをサポートメンバーに入れたいんだけど。」
 今から遠征に行こうとしているヒューゴが、シーザーに、こんなことを言っていた。
 せめてこの場にアップルが居てくれたら、彼女が全力で阻止してくれただろう。
 だがしかし、残念ながら、この場にはシーザーしか居なかった。
 そして、ヒューゴもシーザーも──スイの優しくて朗らかな笑顔の裏が、あんな凶悪な本性だとは、全く知らなかった。


 かくして。



 スイ・マクドール氏の、華麗かつ暗躍的なサポートメンバー生活が、始まるのであった。




「ちなみに、スキルは暗殺ってどう? 戦闘終了時、ランダムで誰かが気絶してるの。」
「駄目じゃないですか、そんなのっ!!!」
 ──ついでに、フッチの苦労生活も、今、まさに始まろうとしていた……。















「僕のお嫁さん」か、「僕のお嫁様」の設定か、どっちにしようかなー、と思った挙句。


「はにーらいふ」の設定になりました(大笑)

ちなみに、リオが出てくるはずだったのですが、そういや、本編でまだ出てきてないなvvv って思ったので、リオはお預けです。

……早く本編も書かないとね……。