机の上に埋もれるようにして無造作に置かれていた書類を取り上げ、慌ててそれに目を通した。
(多分)重要書類だろうに、端っこの辺りにコーヒーのシミがついている。
ザックスは思わず顔を顰めながら(つい昨日の夜、クラウドも同じようなシミがついたザックスのシャツを見つけて、「洗濯に出せよっ!」と叫んでいたことを彼は知らない)、ザッとすばやく書類に目を通した。
最初に書かれているのは、この薬を作ろうと思い至った動機についてだ。
そんなものはどうでもいい。
箇条書きにされている項目を幾つか飛ばし、ザックスは二枚目に差し掛かる。
この辺りでようやく、薬の成分が出てきた。
見慣れない横文字の羅列に、ザックスはそこも読むのを飛ばした。
そしてそのまま、ザックスが知りたいわけではない「今回の薬を作る注意点」当たりも飛ばして読み進み──ようやく彼は、目的の文章が描かれている段落を発見した。
『この薬を飲んだ者は、肉体と精神体とが分離し、肉体は仮死状態に、精神体は幽体離脱をした状態になるはずである。』
……「はず」という表現に、少しばかり突っ込みたい気がしないでもないが、問題はソコではない。
今、ザックスが見たくて見たくてしょうがないのは──、
「──でっ!? どうやって、薬飲んだ人間を、認識して、解毒するってんだっ!?」
飲んだ薬は「毒」ではないのだが、まさに今のザックスはそういう気分だった。
薬で幽霊になったと言うよりも、毒を飲んでウッカリ死にかけ体験してます〜……のほうが、的確な表現だからだ。
目を皿のようにして、右から左へと走り読みしたザックスは、数行先に書かれた、お愛想程度の一文に、ぴくり、と肩を跳ねさせる。
余りに簡素に、当たり前のように描かれたその一文は…………、
『また、現時点で、幽体を目視できる手段はないため、実験を行うときは、霊能力者の存在が不可欠であると考えられる。』
宝条が、「せっかく薬は完成したのに、実験の許可も下りないではないか! えぇいっ、しょうがない。こうなったら、いつも通り、見つからぬように実験すればいいだけのこと……。」と、「いつものように」行ったであろうことを、推測するに足りる一文でもあった。
つまり、早い話が。
「結局、あいつら帰ってくるか、霊能力者が見つかるまで、俺、このままかよっ!!!?
ちょ……俺の肉体、腐ったらどうするんだーっ!!!???」
バサァァッ!!!! ──と。
勢い良く持った紙を空中に放り投げながら、ザックスは、誰にも聞こえない絶叫を、ほとばしらせずにはいられなかった。
「──……、ん?」
どこかで、誰かが……強いていうなれば、ザックスが絶叫していたような気がして、クラウドは、鈍く重い気のする頭を、コトリ、と小さく揺らした。
そしてのっそりと腕を伸ばして、頭の下に敷いていた枕を、きゅ、と抱きしめる。
ほんのりと良い香のする枕カバーに顔を埋めて、布団の中でうつぶせになったクラウドは、体中がキシリときしんだのを感じて、夢うつつに眉を寄せた。
頭の中は半分夢の中で、半分現に帰ってきている。
芯はトロリととろけるように眠りを欲していて、体もシーツの中に落ちていくように疲れていて重く──、今日も朝早くから起きて、ザックスの部屋の洗濯をしなくてはいけないのに、もうこのまま昼過ぎまで寝ていようかと思うほど、眠かった。
クラウドは頬に当たるシーツの感触に熱いため息を零して、再び夢の中に落ちようとした──その瞬間。
「──……っ!?」
ゾクリ、と、背筋が震えるような「何か」を感じ取った。
夢の中に陥りそうだった意識が、一瞬で鋭敏にとがった。
先ほどまで心地よく体に触れていた布団の感覚がなくなる。
モンスターに対峙したときよりもずっと鋭敏な感覚は、けれど、生死に関わるソレとはまた違ったものだった。
この感覚を、クラウドは良く……イヤになるほど良く、知っていた。
聴覚がビンと研ぎ澄まされる。
現実には聞こえないはずの「音」が、感覚として耳に飛び込んでくる。
ギリ、と奥歯を噛み締めて、クラウドはその音を無理やり遮断しようとした。
遮断したとしても、決して何も変わらないと分かっていながらも、クラウドは頭の中からその「音」を閉め出そうとした。
けれど、音から耳をふさごうとする一方で、手足がジンと痺れ始める。
この感覚も、クラウドには馴染みであった。
『クラウドーっ! クラウドっ、クラウドっ、クラウドーっ!』
それこそ、子供の頃から、イヤと言うほど味わった──真夜中に、泣いて母の布団に忍び込んだのも、一度や二度じゃない。
「──…………はぁ。」
ため息を零しそうになって、クラウドはそれを飲み込んだ。
小さい頃から慣れているからこそ、こういうときにどうすればいいのかも、大体分かっている。
もう少ししたら、己の体の上に、「音」がするものが圧し掛かるのだ。そうしてソレは、クラウドの自由を奪い……いわゆる、「金縛り」と言う現象を起こすのだ。
──金縛りが起きると、体が、すっごく疲れるんだよな……。
とにかく、一刻も早く金縛りが解けるように、理性の許す限り抵抗しようと考えて、クラウドは腹にグッと力を込めた────その瞬間。
『────大変なことになっちまったっ!!!!!』
ドシィンッ、と。
いまだかつてないほどの衝撃で、クラウドの背中に、「何か」がぶち当たった。
「……っ。」
それは、現実には感じないはずの衝撃だった。
しかし、クラウドは息が途切れるような圧迫感を感じた。
『クラウドーっ! クラウド、頼む、俺を感じてくれっ!!
お前、確か前に、霊感あるとか言ってたよなっ!?
な、なっ!? 俺が見えるか? 声が聞こえるか!?』
どれだけ重いんだと──まるでお相撲さんが乗ったみたいじゃないかと、苦々しい気持ちを込めて、クラウドは腹から飛び出た空気を、再びゆっくりと溜める。
そして、意識を集中して──一言、
「…………退け……っ。」
そう苛立ちをこめて、心の中で叫ぶ。
『あちっ! ……? なんだ、今の? なんかぴリってきた……。
はっ!? そんなこと言ってる場合じゃねぇっ! 俺の体がかかってるんだ! くーらーぅぅぅーどぉぉぉー!!!』
いつもなら、この一言で──強い念でもって、金縛りの「元」は、スゥ、と霞のように溶けて消えていくはずだった。
けれど、今回の「もの」は違った。
『なぁなぁなぁなぁ、クラウド、起きろってば、なぁ、クラウド〜っ! 起きて、俺を助けてくれってば〜!』
クラウドの強い念に退くどころか、逆にぺったりとクラウドの背中に張り付いてきたのである! しかも、両足と両手を腰に回され、しっかりと──まるで妖怪子泣きジジイのように、しがみついてくるではないか!
「……──しぶといな……。」
『クラウド〜、なぁ、頼むから俺のこと、わかってんだろ?
俺達、親友じゃねぇか、な、クラウドってばぁ〜。』
舌打ちすら覚えて、クラウドは再び腹に力を込める。
そして再び──今度は先ほどよりも強い意志でもって、背中にしがみついている「もの」へ向かって叫ぶ。
「だから……さっさと退けって言ってるんだ……っ!
俺は、お前に構ってる余裕なんかない! さっさと寝たいんだよ……っ!!!!」
──と。
『──……っ! わっ! ななっ、なんだっ!? なんか飛ばされそう……っ!? ……うーっ、こなくそっ!! クラウドの傍から離れるわけにはいかねぇんだっ! クラウドが俺の命綱なんだからなっ!!』
その強烈な思念の叫びで、大抵のものは、瞬く間に霧散していくはずだった。
それは、このミッドガルに来てから学んだ「一つの方法」であった。
クラウドはそれを、今回も実行したのであった。
何せ、今頃どこかにいるだろう誰かさんのせいで、クラウドは訓練かと思うほどにグッタリと疲れているのである。
とにかく、眠りたい。
出来ることなら、仕事開始の直前まで、ぐっすりと眠りたいのだ。
にも関わらず、こんなところで金縛りなどに遭っていたら──眠れないどころか、体が疲れてしまう一方ではないか!!
睡眠不足の体力消耗状態で、仕事に臨めば、途中で倒れてしまう。それだけは避けなくてはいけない。
そう思っての、「必死」の念であったが、クラウドの後ろにしがみついたモノは、退いてはくれなかった。
『クラウドっ! 俺の声が聞こえてるんだろ? つぅか起きてるんだろ〜? なぁなぁ、俺のこと助けてくれよ……頼むよ、クラウド! お前だけが頼りなんだってば〜。』
このままでは、ずっと「コレ」にしがみつかれたまま、時を過ごすことになってしまう。
夜ならばまだ、「明け方になったら剥がれるか」となるところだが、今はすでに朝だ。──ということは、昼を過ぎたあたりには剥がれるといったところなのだろうか?
────それまでずっと、「コレ」にしがみつかれたまま、寝ることもできず、ただ体力を消耗させるのか…………?
「冗談じゃ……っ、ない……っ。」
ギリリと奥歯を噛み締めて、クラウドは必死に頭をめぐらせる。
『なぁ、起きろってば、ク・ラ・ウ・ドv
起きないと、お前の項にチューしちゃうぞ〜。
んちゅー。』
途端、ゾワゾワゾワッ、とした寒気が首筋に走り、クラウドは背中をしならせる。
クッ──と、下唇を噛み締めて、魂が抜けそうになる感触を振り払いながら、自分の体にしっかりと回っている手と足の重みに、苦々しい表情を隠せない。
手でそれを払いのけようにも、子泣きジジイのような体は、ビクともしてはくれない。
これは、何とかして相手の意識を逸らして──先ほどのような「退け」という力技ではなく、何らかの方法で、思わず力が揺るむようなことをする必要がある。
──って、言っても。
『おきねぇな……いつもなら、俺がおはようのチューしようとしたら、跳ね起きるくせにな。
──はっ!? そうか、俺の体が今、お子ちゃまだから、危険を感じないって言うことか!』
眉を寄せた瞬間──ゾワッ、と、背筋が凍りついた。
首筋に、生ぬるい空気が触れた。
言い知れない嫌悪感が体中を走り、クラウドは体をひねった。
けれど、背中に圧し掛かった「何か」が、それを許さない。
唇を噛み締めて、クラウドは悪寒を飲み込む。
とにかく、後ろにしがみついている「何か」が、油断するような瞬間を作らなくてはいけない。
どうするべきか……どうするべきか。
『クラウドー。クラウドー、くーらーうーどぉぉー。』
背中に圧し掛かったものが、さらにしっかりとクラウドの体にしがみついた。
その足がクラウドの腹をガッシリと掴み、両手がクラウドの胸元を圧迫する。
『クラウド、おねがい〜、ザックスのお願い聞いて〜。
なぁなぁ、俺の声、聞こえてるだろ? なー、頼むから、聞いてくれってば!!』
その手元が胸を上から下になぞり上げたところで、クラウドはブルリと体を震わせる。
そして、一瞬強く目を閉じた後──キュ、と唇を引き結ぶ。
「……まるでザックスみたいだな……っ。」
忌々しげに呟いたところで、
『そうなんだよーっ! ザックスなんだって!! クラウドーっ! お前だったら分かってくれると思ってた! 愛してるぜーっ!!』
ギュゥッ、と、体への締め付けがきつくなった。
「……んぐっ。」
思わず小さく悲鳴をあげて、クラウドは強く眉を顰めた。
手のひらがさらに強く自分を抱きしめているのが分かる。
その強さに、苦しくて、開いた口から薄く息が漏れた。
「…………っ。」
『クラウド〜vv その調子で、俺の声を聞いてくれ!!』
さらに首筋に当たる何かが、グリグリと頭に押し付けてきているのを感じて、さらに背筋が反り返った。
このままじゃダメだ。
どう考えても、相手は剥がれてくれない。
しかも、これほどしっかりとしがみつかれて、さらに体を押し付けられているということは……。
イヤな予感が胸によぎって、クラウドは下唇を噛み締める。
────色情霊って言う、オチじゃないだろうな……っ!
思いついた途端、嫌悪感に体中が鳥肌だった気がした。
そう──故郷ニブルヘイムでは、一度たりとも会ったことはなかった、その口にするのもおぞましい「存在」。
神羅の社員寮に入ってからは、うんざりするほど金縛りに遭ったが、その中でも特に精神的に参ったのが、ソレ……「色情霊」であった。
さすがに男所帯ばかりの社員寮の中に居るだけあるというか。
この間、遭遇したのは、男でもイイという類の「ソレ」で。
シャワーを浴びてるときから、なんだかイヤーな視線を感じるとは思っていたのだ。
それが、ベッドに潜り込んでウトウトするなり──待ってましたとばかりに圧し掛かってきて。
あまりのその早急さに、抵抗することすら頭から吹っ飛んだ。
──あのときのアレは、はっきり言って、思い出したくも無い。
あの時も、首筋に荒い呼吸を感じた。体中を這い回る手の感触もあった。なのに、そのすべてが一枚布を隔てているかのようにおぼろげで、「嫌悪」という言葉にはすぐ結びつかなかった。……だから油断してしまったのだ。
けれど、今は違う。
今は、あの時よりももっとリアルに、濃厚に感じる。
それはつまり。
「──……っ。」
あのときの霊よりも、今、自分の上に圧し掛かってるヤツのほうが、ずっと、強力だということだ。
厄介な、と、クラウドは口の中で舌打ちをする。
あの時は、色情霊の手が一番大事なところに触れた瞬間、鳥肌立って、「ふざけるなぁぁーっ!!」と叫んで拳を突き出した瞬間……目も体もすっきりと目覚めたけれど。
ちなみにそれと同時に、体もガバッと起きて拳を突き出していたため、「何の夢を見たんだよ、クラウド」と、同室の2人から呆れたような視線を貰うハメになった。
そのときのことを思い出すと、今でも全身に鳥肌が立つ。
けれど、今はそんなことを言っていられる状態ではないのだ。
あの時よりも、もっとずっと強烈な色情霊が相手なのだとしたら──、
「──…………っ。」
最後まで、イタされてしまう可能性だって、ありえないわけではない。
考えた瞬間、ゾゾーッ、と頭から血の気が引いた。
それだけは、絶対、イヤだ。
いくら、特務の仕事で、女装したり、男に口説かれたり──時には口説くこともあるとは言えど、クラウドの性癖は、あくまでもノーマルなのだ。
確かに、最近色々あって──正しく言えば、特務の仕事のせいで、知り合ってしまった面々に、半分口説かれているような状態のおかげで、「ザックスとクラウドは出来てる」だとか、「セフィロスのお稚児さん」だとか、「副社長に取り入ってる」だとか、色々言われているが!
断固として、彼らには良くしてもらっているだけで、それ以上のナニとかソレとかはないのだ。
仕事だから、腰を抱かれたりホッペにチューくらいはされたりしたりもするが、それ以上は許しては居ない。
「……くそっ──。」
悪態づいて、クラウドはグリグリと顔が項に押し付けられるのを感じながら、どうするべきかと必死に頭を絞った。
実体がない幽霊と、どうやって「ナニ」するのかは分からなかったが、それでも、「気持ち悪い」と思えるのは確かだった。
だから、なんとしても阻止しなくてはいけない。
──が、どうすればいいのか、まるでわからない。
しっかりとしがみついている物を、引き剥がさなくてはいけない──が、背中にしがみつかれている上に、体が小さいため、引き剥がすのは困難だ。
──ならば。
相手の力が抜けたところを、すかさず攻撃……が、正しい手段だ。
そう思った瞬間、ぽん、と、クラウドの頭に浮かんだのは、先日のセフィロスとのやり取りであった。
クラウドが特務で女装している時に、時々姿をあらわす英雄──ムダに色男で、美形で、それから思っていた以上に、部下に優しい、まさに男として理想の人。
なぜか、初対面から気に入られて、今に至るまで、特務で女装するたびに会っていると言っても過言ではない状態だったりする。
先日も、「クラウディア」姿で表を歩いていたら、どこからともなく現れた英雄に捕まって、そのままホテルのティーラウンジに連れ込まれてしまったのだ。
その時に、妙に「良い先輩顔」をしたセフィロスから、最近困ったことはないか、と聞かれた。
──ので、正直に、
「ハイデッカーのセクハラが酷いです」
と答えてみたのだ。
さらに言えば、最近、プレジデント神羅が新しい愛人と別れたらしく、ルーファウスに指名されての特務仕事中に、妙にねばっこい視線も感じたりもする。
特務を始めた当初は、全くそういうのを感じ取れず、疎いばかりだったクラウドも、最近では、めっきり視線の質に敏感になっていた。
プレジデントのアレは、確実に、値踏みする視線だ。
しかもどうやら、自分は合格してしまったらしい、というのもわかっていた。
その先の展開を思えば、ちょっとどころか、多いにゲンナリしたのだと、そう言外に告げる
そうすれば、彼は、ほぅ、と言いたげな顔をして、「クラウディア」のクルクルに巻いた巻き毛を指先で弄びながら、艶やかな笑みを浮かべて、こう教えてくれた。
「ディアは、どうやら、色事の駆け引きが苦手なようだな?」
確かにそれはそうだったので、威勢良く頷いてみたら、セフィロスは、力技で来られたときに効果的な方法を、楽しげに教えてくれた。
その内容というのが──……。
「………………………………。」
クラウドは、あの時のセフィロスの仕草や表情をアリアリと思い出して、ぼす、と枕に顔を突っ込みそうになった。
男の色香を無駄にクラウド相手に振りまきながら、彼は低い美声でもって、わざとらしいほどわざとらしく、クラウドの耳元に囁いてくれたのだ。
あの動作と声を思い出すだけで、ゾクゾクと背筋が震えた。
──アレは凶器だ。あれは、絶対、凶器だ。
俺が男だから良かったようなものをっ、本物の女性相手にあんなことしたら、どうなるか、ちゃんと分かってやってるのか、あの人はっ。
思わず拳を握り締めて、そう思うくらいの、凶器めいた色香だったのだ、セフィロスの「アレ」は。
それでも、同時に。
セフィロスのソレを間近に見たおかげで、クラウドは、彼が言う「提案」が、理にかなっていると知った。
つまり。
「……えー、と。」
今の状況では、「それ」が一番いいと、わかっていても。
正直、実行したくはなかった。
なんとか他に手段はないかと、必死で頭をひねって考えてみるのだが。
『ぅわぁぁーんっ、クラウドっ、クラウドぉぉっ!
お前だけが、俺のチ○ポを助ける唯一の手段なんだぁぁっっ。』
──ゾクゾクゾクッ。
背中にしがみついた「もの」が、クラウドの項あたりに顔を摺り寄せるのがわかった。
それと同時に、言い知れない悪寒が走って、クラウドは大きく体を震わせる。
このままでは、どうなるかわからない……眼を覚ましたときには、すでに婿にいけない体になってしまう可能性だってあるのだ。
ぐ、と唇を噛み締めて、クラウドがプライドと現状をはかりに賭けたのがほんの一瞬。
すぐに彼は、プライドを捨てることを選んだ。
やるは一時の恥、やらぬは一生の汚点、だ。
「──……っ、くそっ。」
クラウドは、心の中で大きく舌打した後、ギュ、と眼を閉じて、心の中でこう強く唱えた。
俺はセフィロス、俺はセフィロス……っ、あの無駄にエロオーラを出してる、せ・ふぃ・ろ・すっ!!!
──最近、特務関係でセフィロスに接する機会が増えたせいか、セフィロス=英雄、と言った観念が薄れてきたクラウドであった。
一瞬で自分にそう言い聞かせると、エロオーラ満載のセフィロスになりきる(ことになんとか成功した)クラウドは、ふ、と眼を伏せて。
チラリと斜め上を見上げると、見えない空間に居る「何か」を見据えるように──いや、見据えてはいけない。
確かセフィロスは、上目遣いに、睫を揺らして自分を見上げてきていた。
『クラウドっ! 俺が……俺がわかるんだなぁぁぁっ!
さすがは俺の心の友っ! 愛してるぜぇぇぇっ。』
がしぃぃっ、としがみついてきた「何か」に向かって、思わず首をすくめれば、背中に圧し掛かったものは、ますますしっかりとクラウドにしがみつく。
クラウドは、その「何か」を見上げるつもりで、上目遣いに空間をチラリと見やると、
「そ……そんなに焦ることはないだろう?
もっと……ゆっくり──楽しまないか?」
心の中で激しく、「セフィロス、セフィロスっ」と唱えながら──特務で鍛えた演技力を結集させて、必死に、棒読みで呟いた。
『く……クラウドっ!!?』
「ほら、(えーっと……)この手を……。」
どうするんだったっけ? ──と。
ちょっと小首を傾げて見せたクラウドに。
『く…………くく、クラウドっ!!!!』
背中の上で、なにやら激しい衝撃が走ったような気がした。
その瞬間、「……やったっ! 通じてるっ!」と、クラウドはギュッと拳を握り締める。
よし、それじゃ、このまま、相手が油断した瞬間に、肘鉄を食らわせて──……っ!
さすがは英雄の考えた作戦。
相手にこれほどの動揺を与えるとはっ!
内心、とても感心しながら、クラウドは相手が隙を見せるのを虎視眈々と狙う。
……が。
『なっ、なんでそんなこと言うんだよーっ! クラウドのアホーッ!!!!』
ドンッ、と、クラウドの背中を襲ったのは、思ってもみなかった感触だった。
背中を殴られたのだ、と気づいたのは、続けてポカポカと背中を叩く拳のような感触を感じてからだ。
その拳は、小さく──クラウドの手の平よりも幾回りも小さい、子供のソレのようであった。
──やっぱり、子供、か?
そう気づいた瞬間、今の「セフィロス直伝色仕掛け」が失敗だったと、クラウドは悟った。
『なんで──……っ、なんでそんな美味しいセリフを、今、こんなときに言うんだーっ! アフォーっ! アフォっ、クラウドのバカァァァッ!』
ポカポカポカ、と背中を叩かれ、肩口を叩かれ、幾度か後頭部も叩かれる。
けれど、そのどれもが、小さく軽い力で叩かれていた。
特別、痛いわけではない。
子供のかんしゃくのような痛みであった。
クラウドはそれに苦笑を覚えると──相手が子供だというのなら、色仕掛けではなく……手を離してくれる手段としては、そう。
「──……くすぐり、か。」
相手に聞こえないように小さく零して、クラウドは小さく息を吸い込んだ。
ポカポカと叩いている「子供」は、クラウドの背中で何か叫んでいるようだったが、残念ながら、クラウドには全く聞こえない。
存在を感じることはあっても、声を聞くことはできないからだ。
──何を言いたいのかは知らないが……こんな寮に子供が出るなんて、よほどのことなのかもしれないが。
俺では、何の力にもならないんだ。
クラウドは心の中でそう小さく謝罪をした後、とにかく相手をココから追い払うのが先決だとばかりに、ソロリと手の平を相手に気づかれぬように、背中に回した。
そして、自分の背中に圧し掛かる「子供」を擽るつもりで──子供の体を擽る、という明確な意思を持って、手の平を「子供」がいる辺りに向けて滑らせた瞬間。
スルリ。
「──……っ!」
『うひゃぅっ!?』
触れたと思った瞬間、感覚が一気に全身に広がったような気がした。
手のひらに感じたのは、素肌のような感触。
背中にドッシリとのしかかる体は、何も身に着けてはいないようだった。
自分にしがみついている「何か」の感触が、ありありと手のひらに伝わってくる。
『うぉぉぉっ!? く、クラウドっ!?』
どこか不確かなような気がするのに、弾力も感触も、しっかりとクラウドの手に伝わってくる。なのに、体温だけは感じない。
足の先は腹に周り、両手はガッシリとクラウドの腕を捕らえているようだ。
自由になる手のひらの先を閃かせて、クラウドは圧し掛かったものの腰の辺りをなで上げる。
『うひゃひゃっ!?』
ピクン、と動いた背中の物に、くすぐれば力が抜けたりするのだろうかと、自分がくすぐったいと思う辺りに手を這わせてみた。
脇の辺りを撫でさすれば、ぴくぴくぴくん、と体が動いて、モジリと足が揺れるのがわかった。
──……そうか、くすぐる、という手段もあったかっ!
幽霊がくすぐったさを感じるというのは初耳だったが、実際、自分の手の動きに反応しているのだから、有効なのだろう。
触れる大きさの感じと、背中に圧し掛かる感じからすると、「人」とは言っても、3歳児くらいの大きさの子供のようだった。
子供がくすぐったがる場所、と言えば。
「──……。」
小さな子供と接したことがないクラウドは、一瞬眉根を寄せて考え込んだが、子供であろうと大人であろうと、くすぐったいと思う場所は、だいたい共通だろうという結論に達した。
手が届く範囲というと、足の裏か、腰の辺りだろう。
そのままクラウドはサワサワと脇を撫でて、さらに奥に手を突っ込もうとした。
と同時。
『きゃぁぁぁぁっ、クラウドの、すーけーべぇぇぇっ!!!!』
足がバタバタバタっ、と動いた気配がした。
それに眉を顰めながら、同じ場所に手を滑らせようとした、が。
『うきゃぁぁーっ!!!!!!!』
キィン、と。
両耳が痺れるような痛みが走った気がした。
思わずギクリと肩を竦めたその手には、滑らかな弧を描いた肌の輪郭。
バタバタとクラウドの腰の辺りで足が跳ねている。
足が揺れるたびに、クラウドが触れた位置が上下に動き──。
『クラウドのスケベぇぇっ! 俺のお尻触ってーっ! この、純朴そうな顔してスケベぇぇっ!!!』
「…………────……尻…………?」
クラウドは、心の奥底からイヤそうに、顔をゆがめて手の平を引っ込めた。
ぅわー、と、クラウドが尻らしいところに触れた手の平を、コスコスとシーツに押し付けるようにして拭いた。
彼の上に乗っかったままの幽霊は、イヤイヤと言うようにクラウドの肩口に顔を擦り付ける。
その仕草に、ますますクラウドはゲンナリせざるを得なかった。
くすぐれば、くすぐったいらしく、身動きを見せる。
けれど、上に乗っかった「もの」は、身じろぎしてもバタバタしても、退いてくれることはない。
むしろ、遊んでくれていると思っているのか、ますますしがみついてくるようだった。
『んもー、クラウドったら〜♪ そんなに欲求溜まってたんだったら、言ってくれたら、俺がいつだって相手してやったのに〜♪
俺が元の姿に戻ったら、覚えてよっ、このっ!』
楽しそうにルンルンと上で肩を躍らせているような気配も感じ取れて、ますます気が滅入った。
『って、あぁっ! そうだ……! 俺、そもそも、クラウドに気づいてもらわないと、元に戻れねぇんだよっ!!!』
ああぁぁぁ、と両肩を落として、枕に額をグリグリと押し付けるクラウドに、背中の物体は、さらに強くしがみついてくる。
『くーらーうーどぉぉぉぉーーーーーっ。』
さらにズシリと重みを感じた気がして、クラウドはクッと下唇を噛み締める。
ダメだ──このままでは、本当に、眠れなくなってしまう……っ!
今のところ、ほんの数分しか経過していないように感じるが──実際の時間が、同じように流れているとは限らない。
何せ、「向こう側」のものと関わっている間は、感覚で感じるよりもずっと早く時間が経過していくのだ。
この間だって、ほんの数分金縛りに遭ったと思っていたのに、金縛りが解けてすぐに起きてみたら、3時間も経過していた。
おかげで、睡眠時間がほんの3時間しか取れなかったのだ!
ただでさえでも、最近、セフィロスやザックスやルーファウスが「特務」関係でも呼び出してくるから、仕事が増えに増えてしまい、寝ている時間が削られているというのに!
この成長期に、これ以上睡眠時間が削られて──身長がこれ以上伸びなくなったら、どうしてくれようか!
「──……こう、なった、ら──……っ。」
かすかに唇を動かせて、クラウドはギリと唇を強く噛み締める。
そして、上に乗っていたものに伸ばしていた手を、自分の右側に伸ばす。
幸いにして、上に乗っているものは、クラウドにしがみついて体を揺さぶることに必死で、彼の動きには気づいてもいないみたいだった。
『くーらーうーどぉぉぉーっ!!!!
頼むっ、こっちを見てくれっ! 俺をっ、俺を見てくれぇぇーっ!!!』
なんだか相手の動きに首を引っつかんで、ガックンガックンと揺れる動きが加わった気がして、クラウドは迷惑そうに眉根を顰める。
金縛りが完全に解け切れていない──身動きし辛い体で、そろそろと手の平をシーツに添って這わせ……ジリジリと焼け付くようなじれったさの中、ベッドヘッドに指先が引っかかる。
さらに指を伸ばして──ベッドヘッドに引っかけられた紐に、人差し指が触れた。
クイ、と指を引けば、白く細い紐がクラウドの手元に落ちてくる。同時に、その紐の先に結ばれていた──「お守り」も。
手の平にスッポリ収まる大きさの、しっかりとした布地で包まれたお守り。
それは、この寮に入ってから、一ヶ月に一回は霊現象に悩まされるクラウドを可哀想に思った同室者が、休みの日に買ってきてくれたものだ。
今まで、それは一度も使ったことがなく、ベッドヘッドに引っかけられていただけだったのだが、まさかコレを使うことになるとは思っていなかった。
効くかどうかは分からないが──もう、これ以外に縋るものはなかった。
クラウドはそれを引っつかみ、そのまま迷うことなく、背後に圧し掛かった「もの」に向けて、押し付けた。
どうか効いてくれ、と、願いながら。
その刹那。
──ジュゥゥゥッ!!!!!!
「──……っ!?」
押し当てたところから、音と共に衝撃が走った。
『うわっちぃぃっ!!!!!』
背後に圧し掛かっていた「もの」が、大きく体を震わせ、押し当てた辺り──右腕が、痙攣したように震わせる。
「──……効いてる……っ。」
しかも、腕を溶かしているかのような、物凄い勢いで効いている!
まさか、こんなに効果があったなんて!
驚くのと同時に、なんとか出来そうだという希望が心の内から湧いてくる。
──行ける!
確信を持って、クラウドはキリリと表情を改め、さらにしっかりとお守りを握り締めた。
『な、なんだっ!? ちょ……痛っ……痛いって、クラウドっ!? 何を当てたんだっ!? ──くっ……っ。』
苦しそうに唸る声までもが聞こえてくる気がする。
実体がないはずなのに、お守りを握った手から伝わってくる。
何かが焦げる音と衝撃、そして──腐臭のような匂い。
クラウドは、グ、と鼻の頭に皺を寄せる。
この感覚は、錯覚だ。──錯覚のはずなのだ。
だって、相手は、実体がない。
実体がないものが放つ匂いを、自分が感じ取れるはずはない、と……思うのだけれど。
「……ここまではっきりと分かるのって、──初めて、かも。」
鼻を付く異臭に、鼻を塞ぎたい思いに駆られながら、クラウドは相手にお守りを強く押し付ける力を緩めることはなかった。
腕がもぎれてしまうのではないかと思うような、異臭と強い衝撃が、指を通じて返ってくる。
聞こえないけれど、相手の悲鳴すらも聞こえてきそうな──そんな衝撃だった。
『クラウドっ! クラウド、辞めてくれっ! 痛いって……マージーで、痛いっつぅのっ!
──あぁっ、くそっ!』
相手は、体をねじってお守りから逃げようとしているようだった。
それでも、クラウドの腰に回した足は、決して外そうとはしない。それどころか、ますますしっかりと足を強く巻きつけてくる。
『クラウドっ! 頼む、気づいてくれっ! 俺だ、ザックスだっ!!』
チッ、とクラウドは小さく舌打ちして、
「とっとと俺の上から退け──……っ!」
忌々しげに、思わずそう呟いた瞬間だった。
キィン──……っ
『ぅわっ!?』
まるで、その声が相手に届いたかのように、背中の上の「もの」が、ビクリと震えた。
一瞬、腰に巻きつけられていた足の縛りが緩む。
『な、なんだ、今の──……っ?』
間をおかず、何が起きたのかクラウドは悟った。
退け、と、そう念じただけだ。
それも、金縛りに遭った最初に念じたときと同じ──もしかしたら、それよりも弱い意志だったかもしれない。
なのに、今のほうが、相手が強く動揺しているように感じた。
その理由は──一つだ。
クラウドは、己の右手に握ったお守りの存在に意識を向ける。
手の平に握り締めたお守りが、重い存在感を伴って、いやにアリアリと感じた。
このお守りが──クラウドの念に力を与えてくれているのだ。
最初に強く念じたときは、相手にまるで効いていないように感じた。
けれど。
このお守りを、通して、なら。
『なんか──すっげぇ、痛かったぞ??』
クラウドは、お守りに意識を集中させて──最初の時と同じように、強く、強く……念じた。
「──去れ……っ。」
──刹那。
バチィンッ──……っ!!
『ぅわっ!!!!???』
火花が散ったような、音がした。
「去れっ。」
その火花を感じた状態で、クラウドは再び強く念じた。
効いてる──そう確信して。
すると、バシンッ──! と。
『──……っなっ!!!?』
弾かれたかのように、クラウドの上に圧し掛かっていた重みが、一瞬で消え去った。
今の今まで、何をしても退かなかったものが、まるで夢でも見ていたかのように。
「──……ぁ……っ。」
『くそっ!? なんだ今の──……っ!?
突然、クラウドから弾かれたぞっ!?』
重圧感が無くなると同時に、かすかな痺れが残っていた手足も、すぅ、と消えていくのが分かった。
強張っていた指も、ぎこちなくしか動かなかったはずの手足も、縛り付けていた糸が切れたかのように、すとんと自由を取り戻す。
金縛りが完全に解けたのだ。
「……いなく、なった──……?」
そ、と目を開いて、視界に映るシーツを見つめる。
少し目を細めて、辺りの気配を探るが、──まだ少し、淀んだような気配が残っていた。
『おい、クラウド、今、何したんだっ!?
──って、くそっ、クラウドに近づけねぇっ! どうなってんだっ?』
お守りを強く握り締めた手を、そ、と自分の上に近づけて──まるで夢から覚めたような感覚で、ゆっくりと寝返りを打つ。
お守りを握り締めた右手が、いまだ強張っているような気がして、クラウドは手の平をゆっくりと開け閉めしてみせる。
チリチリとした痺れのような感覚があるものの、指は問題なく動く。
指の奥から痺れている感覚だけが、今の出来事が現実に起きていたのだと知らせているかのようだった。
ぼんやりと、自分が握り締めたお守りを見つめる。
「これのおかげで──助かった、な。」
まさか、本当にお守りが効くとは思わなかった。
クラウドは、左手をお守りの上に重ねて、そ、と包み込むようにしてみる。
『あのお守りのせいかっ!? っていうか、なんだよ、クラウドっ!
お前、そのお守りを俺に押し付けたのかーっ!?
こらっ! クラウドっ! 俺は悪霊かーっ!!!!』
けれど、特に何かを感じることはなかった。
クラウドは苦い笑みを刻みながら、包み込んだお守りを胸元に押し当て、
「──ありがとな。」
小さく──かすかな微笑と共に呟いた。
『クラウドっ! こらっ! お前、親友で将来恋人になろうって言う人間に対して、お守り向けるとは何事ですかーっ!』
お守りのかすかな重みを胸に感じながら、それにしても──と、クラウドはまだ淀みが残っているように感じる天井に目を当てた。
『そんなカワイイ目で見つめてきても、俺は怒ってるんだぞーっ!』
どれだけ目を凝らしても、そこに何かあるようには見えない。
見慣れた天井の節目が見えるだけだ。
さっきまで自分を苦しめていた色情霊が、まだ居るかもしれないが、それがクラウドには分からない。
前にも1度、追い払ったからと安心していたら、ウトウトし始めた瞬間に再び圧し掛かってきたということがあった。
だから、油断は禁物だ。
厳しい目つきで天井を睨みつけていたが、すぐに全身に感じる布団のぬくもりに、意識が鈍くなってくる。
『クラウドっ! 聞いてるのかっ!?
どういうつもりなんだっ! お守り突きつけるなんてっ!』
「──ん……ふぁ……。」
まだ危険は立ち去っていないかもしれないのに、意識は眠りを欲している。
小さく欠伸を噛み殺して、クラウドは必死で目を開こうとするが、疲れた体は──特に今の騒動で精神的にも疲れてしまっている──、深い眠りを欲していた。
今、寝たらダメだ、と分かっているのに。
──……眠い。
パチパチと、せわしなく瞬きをしたつもりだが、瞼が動いたかどうかもわからない。
今、自分が起きているのか起きていないのかすら、分からなかった。
『クラウドっ、寝ちゃダメだーっ!
俺、まだ死んでないのに、成仏しかけたじゃねぇかっ!
ほら、見ろよ、この腕っ! すっげぇやけどが出来ただろーっ!?
責任とって、俺を見つけてくれーっ!!!!』
薄く開いた唇から、ふ、と吐息が零れていくのを感じる。
眠ることに不安は感じたけれど、意識がゆっくりと沈んでいくのを止められなかった。
「……でも、だいじょ、ぶ、だよ、な──……。」
自分に言い聞かせるように呟いて、クラウドは胸の上の重みに──お守りを、そ、と指で辿る。
辿ったつもりだったけれど、もしかしたらそれも、夢の中の出来事だったのかもしれない。
どんどんと現実の感覚が遠のいていくのを感じながら──クラウドは、無意識に唇を震わせて、そ、と零す。
『こらーっ、寝るなってばっ! クラウドっ! またイタズラするぞっ!
──ち、近づけないけどっ!』
「色情魔、にも──お守り、効くみたいだ、し……。」
やっぱり、邪まだから効くんだろうな、と。
そう続くはずの言葉は、唇の中に消え入ってしまったけれども、どうやら相手にはしっかり伝わってくれたみたいだった。
『──し、色情って……っ!!!!!
く…………クラウドの、ばかぁぁぁーっ!!!!!!』
はるか遠く──天井近くの頭上で、何か激しい号泣のようなものが聞こえたような気がした。
何を叫んでいるのかサッパリ分からなかったが、天井近くに留まっていた「何か」が、さぁぁ、と音も立てずに窓から飛び出していくのだけは分かった。
あぁ──出て行ったんだ、と。
そう思った瞬間、クラウドは、ストン、と意識を眠りの中に落とした。
その手の平を、胸元に置かれたお守りの上に乗せたまま──……。
つづく
……更に続くとは思わなかった……_| ̄|○i|||i
もう1話続きます。
多分、次は短い……はずです(T_T)