クラウド・ストライフの機密生活

混乱パーティ編 4











──ためらいは、あった。
 ナイフについた血を見て、動揺した男の態度も気になったし──もし、薬が抜け始めていて、正気に戻ったのだとしたら。突然、自分がしていることへの恐怖を感じはじめていたのだとしたら。
 彼をむやみに傷つけるのは、男から理性を奪うという結果を生みそうな気がした。
 ならば、男が見せた動揺を突いて、攻撃を仕掛けるべきか、間合いを取り様子を見るのが先決か。
 どちらを選ぶのが「任務達成」に一番近いのか。
 考えたのは、ほんの一瞬。
 そう──ほんの一瞬だったのに。
 その一瞬の間に、「声」が響いた。
「何をやってるんだっ!!!!??」
 瞬間──見られた! と、肩が強張ったのは、男もクラウドも同じだった。
 「声」という賽は投げられてしまった。
 刹那の間でも相手に先を取られるわけにはいかない。
 行動の自由を奪われたときの鍛錬は、人一倍積んでいる。──何せクラウドは、見た目も幼いが、背丈も一般兵士に比べてずいぶんと頼りない類だ。
 10人中10人が、クラウドを人質にすることを選ぶような──悔しいけれど、そういう体躯をしていることは間違えようもない。
 それに付け加え、そういった見た目が反映されてか、「わざと人質に選ばれる」ような雑務仕事を与えられたことも何度かある。──普通に一般兵として働いているときには、滅多に役に立たない経験であったが。
 だから、その一瞬を見逃してはいけないことを、クラウドは良く知っていた。
 慌ててクラウドを捕らえなおそうと伸びてきた手を見ながら、クラウドは倒れこむフリをしながら左足で踏ん張り、そのまま右足で男の顎を蹴りつけるつもりで、上半身を低くした。
 ──ところが。
「──……っつ……っ。」
 体重を支え踏ん張るはずの左足のつま先が、じくん、と、痛みを訴えた。
「……しま……っ。」
 最後まで、言葉を続けることはできなかった。
 グラリと体が傾ぐのが分かっていながら、ヒラヒラと揺れるドレスに付け加え、両手は後ろに回され、がんじがらめにされている。
 とっさに受身を取ろうにも、床との距離も近すぎる上に、両手を床に付いて体勢を整えることなどできない。
 このまま顔から突っ込んでは、相手に背中を向けることになる。──それだけは避けなくてはいけないと、クラウドはクルリと体を反転させた。
 ダンッ!
「──……っ。」
 叩きつけられるようなショックに、一瞬、息が詰まった。
 頭を床につけないようにしたつもりだったが、いつもと違う「結わえた髪」の分量のことをスッカリ忘れていた。
 髪の毛に付いた金具が、ガリ、と皮膚を噛んだ痛みに、頭部の皮膚が引きつれる。
 ──まったく、女って言うのは、凶器を身につけてるようなものだな……っ。
 忌々しい気持ちで吐き捨てるように呟くと、クラウドは肩をねじるようにして起き上がろうとした──その米神に。
 カチン。
 冷ややかなナイフの先が、押し当てられた。
 とたん、ドッ、と冷や汗が背中を流れる。
 目を見開いたクラウドの前に、血走った男の目が、グイ、と近づいた。

「……近づくなぁぁっ!!!」

 床に倒れこんだクラウドの肩を引き寄せた男は、そのままクラウドの細い首に腕を回し、エレベーターの前でタタラを踏む男たちに向かって、怒鳴り声をあげる。
 ルーファウスが声をあげてからの、ほんの数瞬の出来事だ。
 ──あと、もう少し近づいてから出会ったならば【少女】が倒れこんだその一瞬に、ツォンが間合いを詰めることも、銃で威嚇射撃をすることもできたのだが……ルーファウスの声が、ツォンが考えていたものよりも、ほんの少し早かっただけで、状況を一転させることは叶わなかった。
 そう──本当に、あの一瞬が、命取りになるのだと……その、典型的な例のような気がして、クラウドはウンザリした気持ちで、首筋に再び押し付けられたナイフをチラリと一瞥する。
──結局、俺、また囚われの身か。
 しかも。
「──……ディアっ!」
 顎を上げるように首を固定され、白い首筋にナイフの先が薄く埋められる。
 少しでも動けば、ヒンヤリとしたそのナイフの先が首を切ることは間違いない。
 現状としては、先ほどトイレの前でつかまった時よりも、最悪、だ。
 ルーファウスの呼びかけに、大丈夫だと笑おうとして、ぴったりとくっついた男の体が小刻みに震えているのを認めて、その仕草を飲み込む。
 言葉を少しでも発すれば、男の手にしたナイフが、ブスリと喉笛を切りそうな気がした。
 その事実に、クラウドが淡いピンクの唇を一文字に歪めれば、ルーファウスがソレに整った柳眉を寄せて顰める。
「貴様、何を考えてディアを捕らえている?」
 キッ、と男を睨み上げた視線には、険しい色が宿ってはいるものの、ルーファウスの声は冷静だった。
 先ほど声を荒げたとは思えないほど、数秒の間に冷静さを取る戻したように見えた。
 そんな彼に、クラウドの方こそ叫びたかった。
 わかってんのか、あんた、今、コイツに狙われてるんだぞっ!? ──と。
 ルーファウスには、今すぐ踵を返してパーティ会場に引き返して欲しいところだ。
 けれど、視線を向けてそう訴えても、ルーファウスはクラウドに向かって大丈夫だと言うように微笑を向けてくれるだけで、決してそこから動こうとはしなかった。
 これはダメだと、クラウドは今度は彼の数歩手前で拳銃口を床に向けた体勢で動きを止めているツォンに視線を向けて、ルーファウスをパーティ会場に連れて行くように訴えて見るが、彼はそれに顔を顰めることで答えてくれた。
──つまり、この状態で、ルーファウスを動かすのはムリ。
「……っ。」
 ちっ、と、舌打ちしたい気持ちで、クラウドは一度目を閉じる。
 こういう現場では普通、「狙われている張本人」は、何よりもわが身を優先して、守りに入るものじゃないのか? 傍にはボディガードが居て、しかも敵に捕まっている「人質」は、こういうときのカモフラージュ役として使われている兵士なのだ。
 はっきり言って、ここにルーファウスが居たほうが邪魔なのだ。
 たとえ囚われの身に見えようとも、クラウドだって一介の兵士だ。隙さえあれば、すぐさま自分に有利な方へと持ち込むことだってできる──その自信もある。
 「敵」が目の前に現れている以上、クラウドがこれ以上ルーファウスの「恋人」役として、おとなしくか弱いフリをする理由もない。だから、そんな風に心配してるフリなんてしなくてもいいのに。
 そう、憮然としながら──聡明で利発だという噂は、アレはウソに違いないと、ルーファウスへの認識を新たにしてはみるもの……それで今の現状が解決されるわけじゃない。
「ディアを放してもらえないか?」
 上から人を見ることになれた仕草で、ルーファウスはそのキレイな双眸で男を睨みつける。
 彼の目には、首の細いか弱い美少女が暴漢に囚われているようにしか見えていないようだった。──そういう風に、見えた、けれど。
「お前が用があるのは、この私だろう? なら、か弱い娘から手を放して、この私を捉えたらどうなんだ?」
 クラウド達にしてみたら、彼が質の悪い挑発をしているようにしか見えない。
 慌ててクラウドは、必死に声を振り絞って叫ぶ。
「止めて下さいっ、そんなこと、危険です!
 お……私なら、大丈夫ですから!」
 その拍子に、ツキン、とナイフの先が皮膚に埋まったような痛みが走ったが、気にしている余裕はない。
 こんなことでルーファウスに傷を一つでもつけたら、それこそクラウドもツォンも減給対象になってしまう。
 頼むから、おとなしくパーティ会場に戻って、そのパーティの中に居るほかの用心棒やボディガードに声をかけて、この事態を動かせるような展開を見せてほしいと。
 せめて、クラウドを捕まえている男が、動揺をして一瞬の隙さえ見せてくれれば、後はクラウドがどうにでもできる。
──後ろの男が素人なのは先ほどのことでも良く分かっているから、それは確信できたのだから。
 だから……そんな、「話術を使って男の気を逸らす」なんていう戦略を、あなたがやることはないんです!!
 必死に声を荒げるクラウドの顎元に、グイ、とナイフが付き付けられる。
「黙れ!!」
 男は更にクラウドの体を強く抱き寄せて、ジリ、と後ろに一歩下がる。
 そのことで、背後の階段にますます近づいたのを確認して、クラウドは眉を軽く寄せた。
 それを認めて、ルーファウスはス、と目を細めて、苛立ったように片眉を跳ね上げる。
「何をしている! さっさと私を捉えるなら捕らえたらいいだろう?
 お前の目的はそれではないのか? ──ディアを放して、私を人質にするがいい。」
 ゆったりとした動作で腕を組み、足を少し開いて、小首を傾げて見下すように男を見やる。
 そんなルーファウスの、どう見ても相手の男の怒りの火に油を注いでいるとしか思えない仕草に、クラウドは苦虫を噛み潰したような顔になり、ツォンはとっさに彼の名を呼んだ。
「ルーファウスさまっ!」
 男を油断無く見据えていた目をそらして、チラリと素早く主を振り返って叱咤するツォンに、けれどルーファウスは薄い笑みしか見せない。
 もう少し、安全に男の意識を逸らせる方法も、手段だって、ルーファウスならいくらでも考えられただろうに。
 ──いつもなら、そうしていただろうに、どうして今回に限って!
 そんな非難のこもった眼差しを涼しい顔で受けて、ルーファウスはただ真っ直ぐに男のみを見つめる。
 目の前の男は、眦と口元の辺りを引きつらせ、低い唸り声をあげてこちらを睨み付けている。
 その指先が怒りに微かに揺れはじめるのを見て、鼻でせせら笑いそうになるのを押し留めて、ルーファウスは自信たっぷりな笑みを口元に浮かべた。
──まるで、自分が言う言葉がすべて実現することを、疑いもしない傲慢な君主のように。
「さぁ、どうした? 早くディアを開放しろ。」
 そんな彼の態度に、クラウドの首筋のナイフが、フルリと大きく震える。
 その拍子に、クラウドは首筋が圧迫されるのを感じて、飲み込みかけたツバを口の中に戻す。
 少しでも大きく息を飲めば、ナイフが皮膚を切り裂きそうだ。
──動揺を誘ってくれるのはありがたいんだけど──これは、どう考えても逆効果だよな?」
 クラウドは、歯噛みしそうな気持ちで、どうしてルーファウスじゃなくツォンが「声」をかける役をしなかったのだと思う。
 隙を作らせるために相手を逆上させると言う手段は、クラウドたちだって良く使うが──それでも、人質の首筋とナイフの位置関係次第だ。
 これほど密着している状態では、とてもではないが使わない。──逆上した瞬間に、首が洒落にならない覚悟で切れたらどうしてくれるつもりだ。
 こういう事態にそこそこに慣れているつもりのクラウドだって、これほどの距離でナイフが突きつけられていると、そうそう下手な抵抗はできない。
 隙を作って、ナイフを遠ざけることが第一条件なのだ。
「……バカを言うなっ! この女を放したら、ソコの男が発砲するんだろうっ!?」
 男は、噛み付くように怒鳴って──その拍子に、クラウドの白い首筋に薄い切り傷を刻みながら、ズリ、と一歩後ず去る。
 それに寄り添うようにクラウドも男と共に交代しながら、ピリリと走った首の傷を確かめるフリをしながら、チラリと背後を確かめる。
 フロアの隅に位置する階段まで、あと数歩。
──ツォンが発砲しても、微妙に間に合いそうな距離だ。
 クラウドを放り出していけば、男は階段を駆け下りて逃げることができるかもしれない。
 そうなれば、もっと被害は広がる恐れがある。もしかしたら、何の罪もないホテルのスタッフが傷をつけられるかもしれない。
──とにかく、このフロアでなんとかコトを片付けなくてはいけない。
「ルーファウス様……っ、お願いです、逃げてください……っ。」
 必死に顎を逸らして、ナイフから顔を遠ざけようとしながら、クラウドは声を張り上げるけれど、ルーファウスはその言葉に、にっこり、とあでやかに微笑み、そのまま視線をツォンに向けた。
「ツォン、その銃を捨てろ。」
 微笑を口元に貼り付けたまま、命じる。
「ルーファウス様……っ!?」
 動揺のあまり、ツォンはとっさに男から視線をはずしてルーファウスを凝視する。
 今のこの状況下で、男がそれでも逃げないのは、一重にツォンが銃を持っているからだ。
 もし少しでも背を向ければ、自分に向かって発砲されるのが分かっているから──だから彼は、クラウドを人質に背を向けて逃げないのだ。
 なのに、ここでツォンに銃を捨てさせたら──、
「な……っ、何を──……っ。」
 焦ったように目を見開き、必死で首を振って止めようとするけれど、首に押し当てられたナイフが食い込んで、その動きを止めざるを得なかった。
 ぐ、と歯を食いしばるクラウドを見て、ルーファウスを見て、ツォンは無言で手元の銃に視線を落とす。
 そんなツォンに、
「銃を捨てろ、ツォン。命令が聞えなかったか?」
「しかし、ルーファウス様……っ。」
 銃を捨てたりしたら、あの男はクラウディアを連れて階段を駆け下りて逃げる。
 そして途中で、クラウディアが邪魔になれば傷を負わせて逃げるつもりだろう──もちろん、一緒に居る人質が「兵士」な以上、そう上手くはいかないだろうが。
 それでも、このフロアの外に出るのは、いい方法ではない。
 それでも、
「それとも何か? 私が直接行かなくては、ならないのか?」
 ルーファウスが、やれやれと肩を落として、一歩──前に踏み出す。
 無防備なその仕草に、耐えきれずクラウドとツォンが叫ぶ。
「ルーファウス様! やめてください……っ!」
「ルーファウス様っ!」
 二人の悲鳴に近い声に、ルーファウスはけだるそうな表情で片方の眉をあげると、
「──ディアにこれ以上傷がついたらどうする?」
 さっさとしろ、と。
 ツォンに視線をよこす。
 その言葉に、ツォンは何かを堪えるように下唇を噛み締め──ガラン、と、両手から力を抜くように銃を床に転がした。
「──…………っ。」
 ヒュッ、と、喉が鳴ったのは、クラウドが先か、男が先か。
 クラウドは、床の上に落ちた銃を、呆然と見つめた。
 ツォンがこれを手放した原因が、自分にあることを──ジクリ、と、喉の奥にナイフを突きつけたられたような気持ちで、認めざるを得なかった。
 影武者という仕事には、引きつけた「ターゲット」を処理することも含まれている。
 なのに、──……。
 クラウドは、手錠で繋がれた手を、ギュ、と強く握り締めた。
──悔しい、悔しい、……悔しい……っ!!
 俺は、何のためにココに居るんだ……!? 本来なら、こんな男、ぶちのめしてすでに縄で結んでいてもおかしくないのに、どうして──……っ!
 目を閉じて、悔しさを噛み締めながら、必死で今、自分がやらなくてはいけないことを脳裏に思い浮かべようとしたところで。

 ヒュンッ──…………。

 ハラリ、と、後れ毛が風に舞った。
「……、か、ぜ?」
 何が、と、呆然と目を見開いたクラウドの視界は、先ほどと何も変わってはいない。
 床に転がる銃。
 渋面でこちらを見ているツォン。
 そして、艶やかな微笑を口元に貼り付け──傲慢な表情で、こっちを見ているルーファウス。


「──……遅かったな。」


 ふ、と、笑ったルーファウスが、ひっそりとそう呟いた瞬間。
 クラウドの背後で、風が動いた。










+++ BACK +++




……もう何も言えません。
すみません、あともう1回、エピローグ編だけ…………。
ゴメンなさい〜(><)



↓こんな余計なことを、書いてたから、なかなか終わらなかったというオマケ。








 「ルーファウス・神羅」の恋人は、折れそうに華奢な外見をした、内側から光り輝くような娘だった。
 パーティ会場のあるフロアに姿を見せたときに、遠目にチラリと──エレベーターから降りて、受付に歩み寄っていく様を、休憩所からチラリとみただけに過ぎなかった。
 けれど、その遠目にも分かるほどに、木目細かな白磁の肌と、形良い唇。そして、澄んだ湖のような美しい瞳をしているのが分かった。
 顎を引いて、リンとした視線を前に向けている反面、ルーファウスにしがみつくようにして腕を組んでいる小柄な体──流れるようなラインを描くドレスの裾から覗く足は、細く棒のようで……全体的に華奢な娘で、とても肉欲的ではなかった。
 横顔をチラリと見ただけ。
 結わえたハニーブロンドに、際立つ髪飾りが、照明に反射してキラキラと虹色の輝きを生んでいた。
 震える睫を伏せて、軽く頭をかしげるようにして銀髪の英雄にお辞儀をするさまは、まるでか弱い姫君のようなのに──その、視線をあげた瞬間の、鋭い……閃く青い瞳が、驚くほど美しかった。
 彼女の、背筋を正して毅然と挨拶をする態度に、娘を支えるように手をあてたルーファウスが、とろけるように笑う顔が、「男」が座っている椅子から、正面に見えた。
 その瞬間──全身が震えるような、湧き立つような感情が何という名前のものなのか、男は分からなかった。
 ただ、ギュ、と握り締めた拳が、自分の膝の上で震えているのだと──その事実に気づいたときにはもう、フロアは、しん、と静まり返っていて、受付の係りの人達が、机を片付けるために小さな音を立てていた。
 呆然と──そうだ、呆然としている間に、ずいぶんと時間が立ってしまっていたらしい。
 ふと自分の顔の上に影が落ちて、男は我に返った。
 見上げれば、不審そうな表情を作り笑顔の奥に隠した女が、男を覗き込んでいた。
「あの……お客様? いかがされましたか? ご気分が優れないようでしたら、よろしかったら階下に医療センターがございますので……。」
 耳障りではないけれど、単調な言葉。
 その言葉を耳にしながら、男は女の少し荒れた肌や、バッチリと目元を強調された顔を見上げた。
 とび色の髪の目の前の女は、普通の女だ。
 鼻が少し高いというだけで、特別目を惹くほど綺麗じゃない。
 綺麗というなら──妹のほうが、ずっと綺麗だ。
 笑顔を浮かべると、つややかな唇が甘い色を宿して、瞳が輝くのだ。
 そんな彼女の笑顔は、本当に綺麗で……あの笑顔を守るためなら、なんでもしてやろうと思っていた。
 白い頬を赤く染めて、興奮した面持ちで、「神羅の若社長がすごく素敵なの」と言った時も……彼と是非お近づきになりたいのだと、そうねだられたときだって、彼女のためなら、その願いもかなえてやろうと。
 だから、彼が、着飾った妹に目を留めたときは……とびはねそうなほど嬉しそうな妹以上に、男も嬉しかったのだ。
 彼女が笑っていて、彼女が幸せそうなら──それで、本当に良かったのだ。
 このパーティに、彼女もルーファウスの恋人として参加することになったのだと聞いたときは、本当に、本当に、本当に、本当に。
 本当に。
 心から、喜んだのだ。
 なのに。
「……──たかが、ワインの銘柄一つだぞ?」
 低く、呟いた声に。
「……え?」
 目の前の女が、不審そうな目を向ける。
 軽く寄せた眉を見せる女に、男は、ぐ、と掌を握り締めて──フツフツと湧き立つ怒りを堪えて、フルリとかぶりを振った。
「いや……憧れのセフィロスにあえて、舞い上がって、アッチの世界にいっちまってただけさ。
 どうやら俺は、場違いのようだから、さっさと退散するよ。」
 そして、「妹」の前で浮かべていたような、笑顔の仮面を貼り付けて、男はヒョイと肩を竦めて、からかうような口調で言った。
 そのまま、何もなかったかのように立ち上がり──フロアで受付の片づけをしているホテルの人間達の目を背中に、飄々とした態度でエレベーターに向かって歩きながら……、うっすらと暗い色で、エレベーターのボタンを睨みつけた。
 綺麗なハニーブロンド。つややかなパールピンクの唇。
 細かな刺繍とレースで飾られたドレスと宝石──それは、彼女のためではなく、「妹」のために用意されたはずだったのだ。
 そう──もともとは、妹こそが、このパーティに出席するはずだったのだ。そして、ルーファウスの父と、その護衛についてきているセフィロスに紹介されて……彼女は、踊るような足取りで帰って来て、そのすばらしさを兄である自分に教えてくれるはずだった。
 「彼」の新しい恋人は、自分の10日ほど前に、別れた女がいることを、知っているのだろうか? まるで自分のもののように着ているドレスや宝石が、実は他の人間のために用意されていたはずの品物であったことを?
 少しあどけなくて、少し幼くて……けれど、遠目からも目を引きつけてやまない「彼女」。
 フツフツと沸いていた怒りの矛先は、妹よりも若くて、妹よりも綺麗で、妹よりも目立つあの娘にも向かっていくのを感じた。
 たとえ金髪の彼女を傷つけても、ルーファウスはなんとも思わないだろう。妹を振ったときのように、新しい女を捜すだけの話だ。
 今をときめく神羅の御曹司で、あのルックスなら、すぐに新しい女は見つかるだろう。
──でも。
 こんな人目のつくところで、「恋人」が傷つけられたら、どうだろう?
 ルーファウスは、付き合いはじめて最初のうちは独占欲が激しいということを、男は知っていた。
 妹のPHSに自分の名前が入っているのすら許せないと、PHSを新しいのに買い換えさせられたと言っていたから。
 だから。
 公衆の面前で、あの美しい恋人を捕らえて、抱きしめて、細い首に噛み付くようなキスをしてやろうか?
 それよりも、あの魅惑的な唇を塞いでやって──そのまま連れ帰ってやろうか?
 ──なんでもいいのだ。ただ、あの男を、公衆の面前で恥を掻かせてやりたいだけなのだ。
 美しい女をとっかえひっかえしていると噂の御曹司は、実は恋人を寝取られた情けない男なのだと……そういわせたいだけなのだ。