クラウド・ストライフの機密生活

混乱パーティ編 2











 ようやく毛足の長い絨毯から解放されたと思っていたのに、クラウドを待っていたパーティ会場の床は、やっぱり柔らかな肌触りがステキな……毛足の長い絨毯だった。
 その上を、優雅なドレスを身につけた多くの女性達は、長くとがったヒールで、音も立てずに見事に移動していく。
 思わず足元ばかりに注意が行くクラウドは、自分の前を通り過ぎる細い足首が際立つハイヒールを見るたびに、彼女達はどこであんな特殊訓練をしているのだろうかと、溜息すら覚えるほどだった。
 まだパーティが始まって30分も立っていないというのに、正直、立っているのも辛くなってきた。
 小指の辺りは圧迫感を訴えてくるし、踵が高いおかげで指先とその下がジクリと痛んでいるようにも感じる。
 視線を落としてミュールの先を見つめてみるものの、つま先がとがった靴は、上の階で履いたときから、何も代わりはないように見えた。──その中に納まっている自分の足先は、絶対、赤くはれているに違いないのに!
「──それで、えぇと……ミズ……ロックハート?」
「……ぇ、あ、はい?」
 目の前に立っていた男に声をかけられて、一瞬、誰のことだと眉を顰めそうになったが、すぐにクラウドは「それなりに聞きなれた名前」に反応して顔をあげた自分の反射に、ほ、と安堵を零す。
 こういうとき、偽名に見知った人の名前を使うのは、正解だったと思う。
 ロックハートというのは、故郷の幼馴染の──隣の家に住む人の家名だが、クラウドを毛嫌いするその家の旦那さんのことを、クラウドの母も街の人も、「ロックハートさん」と名字で呼んでいた。
 あの人は、クラウドのことを毛嫌いしていたから、「ロックハートさんだ」という言葉を聞くたびに、クラウドはピクリと反応し、すかさず姿を隠すことが多かった。
 そのおかげで、「ロックハートさん」という台詞には、何も考えなくても体が反応してくれる。──思わずその言葉を聞いて、隣に立っていたルーファウスの背中に隠れてしまったのは……「人見知りをする恋人」設定で押し通せば、なんとか通るはずの態度だ……、と、思う。
「……おや、私は嫌われてしまいましたかね?」
「いえ……ディアは、人見知りをしますので。」
 柔らかな微笑を浮かべながら、ルーファウスはなんでもないことのように口にして──それから、チラリと自分の背中に隠れているクラウドを見下ろした。
 その目つきが、ひどく優しげで愛しげに見えて、相手の男は驚いたように軽く目を見張る。
 ──神羅のルーファウスと言えば、美しく気高い女性をパーティに連れ歩き……けれど、恋人である女性を見る目は、他の人間に向けるものと同じ、冷ややかで傲慢な目をしているはずだ。
 なのに、今日の彼は、自分の背中に隠れる「美少女」を、厭うそぶりを見せるどころか、労わるそぶりすら見せている。
 これは一体、どういう心境の変化か──はたまた、この美少女こそが、パーティのたびに女性を変えるルーファウスの「本命」かと、当たり障りのない態度で娘をあしらおうと思っていた男は、その一瞬で自分の考えを変えた。
「そうでしたか、嫌われたわけではなくて、安心しましたよ。
 これほど美しいお嬢さんに嫌われたなんて、これほど悲しいことはありませんからね。」
 大げさに両手を広げて、安心しました、と人好きのする微笑を浮かべて、男は恭しく──ルーファウスの後ろに隠れるクラウドに向けて、人懐こい動作でルーファウスとクラウドをを覗き込む。
「ミズ ロックハート? ご挨拶をよろしいですか?」
 微笑みながら片手を伸ばしてくる男に、クラウドは小さく目を見張って──それから、困ったように眉を寄せて、ルーファウスの顔をチラリと見上げる。
 その頼るような……それでいて、「挨拶しなくちゃいけないのか?」と、イヤそうに見える表情で問いかけるクラウドに、ルーファウスは鷹揚に頷くと、クラウドの腰に当てていた手で、そ、と押し出す。
 クラウドはその動作に、一瞬顔を伏せて──これが他の者には、恥かしがっているように見えるのだがしかし、クラウド本人的には、握り拳を目の前のルーファウスや見ず知らずの男の顎にヒットさせないように、必死で堪えているだけだったりする。
 ──くそっ、ただ隣に立って笑ってれば(本当はこの笑っているという行動すら、実現できていないのが現状だ)いいって言ってたじゃないか! なんでこんなスカートヒラヒラでスカスカな姿を、金持ち連中の前で披露しなくちゃいけないんだ!!
 カシルやクリスのように、女装やドレスが似合うなら別だろうが、自分のように田舎臭さが丸出しのタイプが、正装したきれいな女性でハイソな女性を見慣れているお偉いさんたちの中に混じって、おかしくないはずがないのだ。
 神羅カンパニーの副社長ともあろう人が連れ歩くタイプではないのは、クラウド自身が良く分かっている。
 それでもこれは命令だからと、我慢してココに踏み込んできたが──パーティ会場に入る前までは、着慣れないドレスやヒールの高い靴や、結わえられた髪が痛いことなどで、ただ目の前のことに必死になるばかりだったけど──、パーティ会場の中に広がる、豪華絢爛な世界を認めた瞬間、場違いな事実に、ただひたすらしり込みをするばかりだ。
 実際、パーティ会場に入った瞬間から、驚いたような目で値踏みされるような視線を向けられていた。
 そのこともあって、クラウドはルーファウスの背中に、こっそりと隠れているのだ。たとえ後ろに立っていたツォンが、「しっかり前を見てください」と時々耳元に囁いてこようとも、この上層部の人々の世界に、着いていけるわけもない。
 目の前の愛想がよさそうな表情を浮かべている男にしたってそうだ。
 最初から驚いたように、おずおずと伺うのはきっと、クラウドがあまりにも「毛色の違ったネコ」だからだろう。
 ルーファウスの失脚を狙っている者の中には、彼が連れている女性を値踏みして、見下して評価を落そうとしている人間もいるのだと、ツォンが先ほど説明していた──説明されなくても、特務の実務上、知っているのだが。
 身近にいる女性を見る目もないなんて、人を使う目も、人を見抜く目もないのだと、そう評価されるのだと──これは、上に立つ人間にとっては、好ましくない噂になるから、だから……この場では、上等とはいえなくても、上の下程度の女性を演じてくれと、口をすっぱくして言われている。
 ──……けど。
 ……………………だったら最初っから、恋人とケンカなんかせずに、このパーティ会場に連れてきてれば良かっただろう!!
 それが、現状、窮地に追いやられていると感じているクラウドの本音である。
「……はじめまして、クラウディア・ロックハートと申します。」
 胸のうちにさまざまに吹き荒れる感情を無理矢理堪えて、クラウドはパーティ会場に入ってから自分が作り上げてきた「可憐でか弱そうに見え(てくれたらいい)る、人見知りをする少女」を演じるように、片手でルーファウスの服の袖を握りながら、はんなりと微笑(んでみたつもり)み、緩く小首を傾げるようにして頭を下げる。
 その拍子に、シャラリ、とハチミツ色の髪を結わえていた髪飾りが甘い音を立てて、会場の照明の光をはじいた。
 さすがは神羅カンパニーの副社長だけあって、パーティ会場に連れてくる女性に用意するアイテムも、見事な一級品ばかりだ。
 目が肥えた面々の目にも、彼女が身につけている上質のシルクとシフォンを重ね合わせたドレスや、身につけているピアス、髪飾りのすべてが、ミッドガルでも有名な高級店の作品であることは分かっていたが──その、目を見張るほどのきれいなそれらですら、すこし首を傾げるようにしてから顔をあげた娘の……その最高品質の装いが引き立て役になるほどに輝く美貌の主に、目を奪われずにはいられなかった。
 ──分かっていないのは、本人のみである。
 もしこの場に、クラウドとチームを組んでいる同居人がいたら、二人揃って盛大な溜息を零して、壁に額をごっつんこしてくれたに違いあるまい。
 ルーファウスは、パーティ会場に入った瞬間から注目を集めている、類稀なる美少女の存在に、ずっと気を良くしていたし──何せ、受付で「ディア」を紹介したときの、父のあの好色そうでありながら、悔しそうな顔! ここ数ヶ月の父への苛立ちの溜飲が、きれいさっぱり飲み込めた瞬間だった。
 特に意識してのことではないだろうが、クラウドが見せる仕草や豊かとは言えない表情の──チラリと見える素の表情が、パーティ会場の人々の視線を集めるたびに、ルーファウスの機嫌は上昇していく。
 美少女、と言うだけではなく──目の前の少女は、女女した魅力ではなく、研ぎ澄まされたナイフのような……同時に、どちらともつかない中性的で危うい魅力が、全身から匂っている……だから、その魅惑的な雰囲気に、視線も心も囚われるのだろう。
 クラウドから自己紹介をもらった男は、甘い顔で微笑むと、人見知りをする美少女に気を使うように、柔らかに声をかけて──この動作で、ルーファウスは正直、珍しいものを見たような顔で、へぇ、と目を眇めてからかうような笑みを口元に浮かべて、ツォンに小さな咳払いをもらった。何せ、目の前の男が、自分の連れに気を使うなんてところを見たのは始めただったからだ──、そ、とクラウドの手を取った。
 片手を取られたクラウドは、ナニをされるのだろうと怪訝そうな表情で男を見上げたが──もしかして、手の平で、男とばれたか、兵士とばれたのではないかとひやひやして肩が強張った。その強張りを感じて、男はというと、本当にシャイで人見知りをする女性なのだなと苦い色を口元に刻んで……そのままの動作で自然に、羽毛が触れるように軽く、クラウドの手の甲に口付けを落とした。
 途端、
「──……っ!!!!」
 どどっ! と、肌があわ立ち、鳥肌が一気にそそり立ったクラウドは、悲鳴が口から出そうになるのを必死に堪えて、ルーファウスの服を握っていた手に力を込めた。
 ぐい、と、ルーファウスの袖を引っ張る形になったクラウドに、副社長はというと、今にも笑い転げそうになるのを必死に堪えて……、
「ディア、そんなおびえた顔をするんじゃないよ。」

……いや、おびえたんじゃなくって、気持ち悪かったんだ……っ!!

 心の中で激しく叫んでみたものの、それは幸いにしてクラウドの表情には表れなかったようだ。
 必死で罵倒を堪えるクラウドの様子は、眼の前の人に失礼なことをした挙句、副社長にまで笑われて、なんとしたらいいのかと、悩んでいる乙女のように見える。
 クラウドのそんなシャイで内気に見えないこともない行動に、相手の男は、まずいことをしたと、かすかに口元をゆがめた。
 副社長の【恋人】の手に、口付けをするのはそれほど珍しいことではない。
 けれど、これほど過敏な反応を示されてしまうと──慣れてない恋人を脅かせたと、逆恨みされても文句は言えない。
「すみません、ミズロックハート。驚かせてしまいましたね?」
「ぁ……いえ、その……お……私も、びっくりして──失礼を。」
 キュ、と唇を一文字に結んで、フルリと弱弱しくかぶりを振るクラウドの頭の上で、髪飾りがシャラシャラと心地よい音を立てる。
 何かを必至に飲み込むような小さな声は、その髪飾りが立てる音に容易く飲まれてしまい、クラウドは、整った柳眉を寄せて、男をチラリと上目遣いに見やった。
 彼は、クラウドによって払われた手の平を見下ろして、苦い色を浮かべていた。
 その表情を認めた瞬間、クラウドは、しまった、と臍を噛んだ。
 自分が失礼な反応をしてしまったことが分かっているからこそ──相手に不審を持たれていないかと……なんと誤魔化せばうまく場は収まるだろうかと、クラウドは慌てたように顔を上げて男を見た。
 今の自分は、神羅カンパニーのルーファウスの「恋人」役なのだ。
 副社長の不利になるような行いはしてはいけないし、副社長に反感を持たれるような行為や言動はしてはいけないと──そう、ツォンに注意されていたはずなのに。
 クラウドは、柳眉を顰めながら、相手の顔をうかがうように彼を見上げた。
 相手には、見てわかるような不快さは表情に出ていないようだが──「国の重鎮とか重役って言うのは、見た目と心の内が180度違う、腹黒だから、見た目の反対のことを考えてると見て、まず、間違いはない!」と、常々カシルとクリスの言葉を聞いていたため、男の表情を鵜呑みにすることはない。
 とにかく、少しでも男の機嫌を戻しておかなくてはいけない──これは、自分のミスだ。
 いつもの三人ワンセットのときなら、こういうときはすかさずカシルやクリスがフォローに入ってくれたが、今日はクラウドの単独任務中──誰も間に入ってくれることはない。
 自分の犯したミスは、速やかに自分でフォローしなくてはいけないのだ。
 覚悟を決めるように、クラウドはキュ、と右手の平を握り締めると、眼の前の男に向けて、できるだけすまなそうな表情を浮かべた。
「本当にすみません、ミスター。……わたし、こういう場には慣れていなくて……。」
 いなくて……、いなくて……? ……こういう時って、この先、なんて続けるんだったか?
 頭の中でグルグルと思い返してみるが、倣ったはずの「マナー」も「失礼を働いたときの素敵な謝罪方法」の仕方も、頭の中に浮かんでこない。
 やはり、頭でっかちに覚えた理屈よりも、実際にやってみたほうが身に付くということだろうか。
 そんな、今は関係ないことを頭の片隅で思いながら、クラウドはルーファウスの服の裾を掴んでいた手を外して──とりあえず、自分の謝罪が伝わるように心を込めて訴えれば、最低でも「謝罪」くらいは聞いてくれるはずだと、バランスを崩しかける足を必至にふんばって、ス、と前へ進み出る。
「本当にごめんなさい。」
 先ほど自分が払いのけた男の掌を取り、自分の指先を重ねると──掌を重ねては、兵士の手だとばれてしまうかもしれないから、なるべく指先を添えるように細心の注意を払いつつ──、クラウドは、「この角度で上目遣いに謝ると、父性を刺激するような子供に見えるらしい」と自覚している角度で、そ、と男の目を覗き込んだ。
 この時、少しだけすまなそうに目を伏せてから、上目遣いで謝ると、相手の父性に訴える成功率が高い。そのことを経験上分かっていたから、クラウドは任務に完璧を持って当たる心構えで、少し首を傾げながら──一瞬伏せた目を、ゆっくりとあげて、男の目を見つめた。
 とたん、男は、間近に見える美しい宝石のような瞳に囚われ、軽く息を呑んだ。
 そのまま、魅入られるようにクラウドの瞳を覗き込み──自分の掌に、軽く乗せられた指先の優しい重みを全身で感じ取った。
 ドクドクと全身から汗が噴出すような、そんな感覚に、クラリと甘い眩暈を覚えて、衝動的にクラウドの手を握り、自らの元へと引寄せたくなった。
「……あの……?」
 不安そうに目を瞬かせて、──やはり、怪しまれているかと、焦りを無理矢理飲み込んで、クラウドがそう声をかけたと同時。
「ミスター、ディアの失礼は、私からもお詫びを。」
 さりげない動作と声色で、クラウドの斜め後ろに立つ形になっていたルーファウスが、二人の間に割り込んできた。
 その静かな声に、男がハッとしたように目を見開くのを見て、ルーファウスは不快げに眉を潜める。
 そうしながら、クラウドの腰を自然に自分の方へと引寄せて、男から二歩ほど距離を取らせると、あでやかな外向きの笑みを口元に浮かべて、
「さぁ、ディア、もう一度ミスターに謝罪を。」
 自分の腕の中に戻ってきた「恋人」を見下ろして、さぁ、と促してくる。
「……ぁ……あ、は、はい。
 本当に申し訳ありませんでした。」
 慌ててクラウドはペコリと頭を下げながら──しまった、副社長に助けられてしまったと、情けなくも眉と肩を落さずにはいられなかった。
 おずおずと顔をあげて──あからさまにシュンと肩を落としているクラウドに、男は名残惜しそうな顔で自分の手の平とクラウドの顔と……それから、クラウドの肩を抱き寄せて微笑んでいるルーファウスを一瞥すると、
「いいえ、どうぞお気になさらず。」
 やんわりとかぶりを振った後、さらにもう一言二言クラウドに向けて言葉をかけようとしたのだけれど。
「さ、ディア。喉が渇いただろう?」
 ルーファウスがそれよりも早く、クラウドの肩を抱き寄せたまま、クルリと踵を返してしまった。
 突然角度を変えられた形になったクラウドは、足元が大きく傾いで、慌ててルーファウスにしがみつくようにしてその後についていく。
 あまりにもアッサリと去っていく二人の恋人同士に、残された男は名残惜しそうな目で、ひらりと翻ったクラウドのドレスの裾を見つめた。
 ルーファウスが、チラリと自分の肩越しに男を振り返ると、彼は自分の右手を──先ほどクラウドの指先が乗っていた手の平を見ていた。どう見ても、名残を惜しんでいるようにしか見えない。
 それを認めて、ルーファウスは優越感に似た感情を抱く。
 そのまま視線をずらせば、自分の腕の中に治まる華奢で小さな「金髪の少女」の美貌。
 見事なハニーブロンドに囲まれた白皙の容貌の中で、伏せられた睫毛がかすかに震えている。
「ディア?」
 怖かったのかと、そう問いかけようと肩を抱く手に力を込めれば、腕の中でクラウドはビクリと肩を震わせた。
 クラウドはそのときになってようやく、必死に足元に注意していた目線を、慌ててルーファウスに戻した。
「あ……いや……いえ、その、すみません──お気を使わせてしまいました。」
 そう言ってペコリと頭を下げるクラウドの表情は、先ほど男に向けていたようなあどけない艶はどこに見えない。
 まっすぐに自分を見上げてくるクラウドの青い瞳に、ルーファウスは少しだけ残念そうな表情を浮かべる。
 実を言うと、先ほどクラウドが男相手に見せた表情が見たかったのだが──あの男が、このような腹を探り合うパーティの場で、あれほど素に近い動揺した顔を見せるのは初めて見た。
 それを残念に思いながらも、他人行儀に頭を下げるクラウドに軽い笑みを浮かべると、
「気にすることはない。そもそも君にムリを言っているのは私なのだからな。
 ──ところで、アルコールはいけるクチか?」
 なんでもないことのように笑んで見せて、ルーファウスは近くを通りかかったウェイターを呼びとめ、腕の中のディアに問いかける。
 その言葉に、クラウドは困ったように眉を寄せて──……そういえば俺、「クラウディア・ロックハート」の年齢設定、いくつにしてたっけ? 酒を飲める年齢にしてたか??
 全く記憶にない。
 化粧をすれば、実際の年齢よりも年が上に見えるからと、一応年齢設定は高めにしてあったような気がするが、カシルはとにかくとして、クラウドとクリスは、どう大人びた顔にメイクしても、成人しているようには見えなかったので、アルコール摂取年齢には設定してなかったような、していたような──……。
 記憶を掘り返しても、全く思い浮かばず、結果としてクラウドは、
「……いえ、お……私は……任務中ですから。」
 当たり障りのない言葉で直答は避けて、フルリとかぶりを振る程度に終らせた。
 せっかくのタダ酒の機会だ、飲みたいのは山々だが──しかも、このようなパーティに使われる酒ともなると、クラウドが必死に稼いでも一生クチにすることが適わないような高い酒が使われているに違いない──、任務中なのは本当だ。とてもではないが、飲むわけにはいかない。
 そう告げるクラウドに、ルーファウスがつまらなそうに──少し拗ねたような口調でクラウドの顔を覗きこむが、、
「一杯くらいいいだろう?」
「そのようなわけには行きません。」
 クラウドはかたくなにかぶりを振る。
 先ほどのことだって、自分の失態だと言うのに、ルーファウスに結局丸く治めてもらった。──これ以上、迷惑をかけるわけにはいかないし、失態をするわけにはいかない。
 その覚悟を決めて、キュ、と唇を結び、凛々しく宣言するクラウドに、ますますルーファウスはつまらなそうな顔をする。
 ツォンは、そんなルーファウスとクラウドを見やって、苦い笑みを口元に刻むと、
「ルーファウスさま、クラウディアさまの言うとおりですよ。
 まだパーティは始まったばかりなのですから、ルーファウスさまも、まだアルコールはお控えください。」
 クラウドに助け船を出すためか、それともパーティが始まって間もないというのに、早々にアルコールに手を出そうとしている副社長をいさめるためか、二人の会話に口を挟むと、ウェイターの手からノンアルコールカクテルを取り上げると、それをルーファウスとクラウドの手に渡した。
 クラウドはそれを受け取り、ペコリとツォンに頭を下げると──先ほどのやり取りで緊張した喉を潤した。












 パーティ会場にいるほとんどの人に紹介されるのではないかと思うほど、たくさんの人と「会見」をした。
 仕事柄、人の顔と名前を覚えるのは得意になった方だが──あまりに一度にたくさんの人と会見をしたため、頭は飽和状態だ。
 緊迫したムードが続いたためか、手の平にも背中にも──ルーファウスにずっと抱かれていた肩にも、汗が染み付いているような気がした。
 空調が効いているから、室内は適温のはずなのだが、緊張のためか、熱さでクラクラしてきた気がして、はぁ、と熱い溜息を零したところで、ツォンがそんなクラウドに気付いて、こう耳打ちしてきた。
「クラウディアさん、少し席を外して、お化粧を直してきてください。口紅が取れかけています。」
「……はい。」
 そう言えば、緊張のあまり、熱くて喉が渇くからと、何度かグラスを口にしている。
 普段の任務では、こういう立食パーティの席にはでないからウッカリしていたが、「食べ物を口にしたら、化粧直しをする」というのは、女性の基本だった。
 そんな基礎の基礎──化粧が崩れて来ているのに気付かず、ツォンに耳打ちされてしまうとは、「D」の名折れだと、こっそりとクラウドは溜息を零す。
 別に、女装に慣れたいわけでもなければ、女性の所作を完璧に身につけ、女性になりたいわけでもないけれど──基本的に生真面目なクラウドは、任務である以上、完璧を目指したかったのだ。
 ミスが一度や二度ならとにかく──、と、溜息すら覚えながら、クラウドはルーファウスに断りを入れて、賑やかなパーティ会場を後にした。
 毛足の長い絨毯に何度か足を取られかけながら──ヒールの高い靴のおかげで、足は悲鳴を上げるどころの騒ぎではない。
 ちょうどいいから、化粧室で靴を脱いでつま先を確認しようと、クラウドは小さく溜息を零す。
 手にした小さなバックの中には、化粧直しの道具と一緒に、一応のことを考えて治療セットも入れてきている。
 今までの経験からすると、テーピングをすれば、あと一時間くらいは──足が持つはずだ。
 自分ひとりでこうして絨毯を踏みながら歩くのは、正直……あと1時間も持たせられるかどうかという所だが、パーティが始まってからずっと、ルーファウスが腰や肩を支えてくれているので、足にかかる負担が小さい。あの状態なら、あと1時間くらいならもつだろう。
「……まったく、カリアとクリスには、頭が下がる……。」
 時々こんなパーティに潜入する任務を負っている二人のチームメイトの顔を脳裏に思い浮かべて、ふぅ、と溜息を零しながら、クラウドは会場に入ってきたときにも通った扉を開いて、そ、と会場の外に出た。
 毛足の長い絨毯から解放され、タイルカーペットの柔らかいけれど硬くしっかりとした感触に、ホ、と安堵を覚えた。
 受付所はいつの間にかきれいに姿を消し、エレベーターがあるだけのフロアは、しん、と静まり返っている。
 背にした扉の向こうからは、賑やかなパーティ会場の声が響いてきていて、それに少しだけウンザリした顔を浮かべながら──キョロリと見回したフロアに誰もいないのを確かめて、クラウドは両肩を小さく動かした。
 コキリ、と心地良い音が鳴って、自分の肩が随分と凝っていることを悟る。
 ずっとルーファウスに腰や肩を抱かれていたから、妙に筋肉が緊張してしまっているのだろう。
 ブンブンと腕を振り回しながら、ぎこちない動作でフロアを歩きつつ……クラウドは、足を庇うようにヒョ子ヒョコと化粧室へと向かって歩いた。
 化粧室の中を覗けば、こちらも幸いにして人気はない。
 女装していて慣れているとは言えど、女性専用のトイレに、男の身ではいるのは──やっぱり、抵抗が、ある。
 いくつか並んだ個室のどこも使用中になっていないのを確認して、クラウドは今度こそ心から安堵の吐息を零し、個室の中に入ると、用を足す目的ではなく、足先を見るという目的だけで、トイレの上に座り込んだ。
 かさばるドレスの裾をさばくのに苦労しながら、それでもなんとかドレスを汚さないように気をつけてトイレの蓋の上に座り込み、ポイポイと両足の靴を脱ぎ払う。
 女性用のトイレだからか……それとも、こういう高級ホテルのトイレだからなのか、トイレの個室には、それぞれ洗面台と鏡までついていた。まるでこの個室一つが、小さな部屋に設置されたトイレのようだ。
 洗面台の上にカバンを広げ、そこから救急セットを取り出すと、クラウドは靴を脱いだ自分の素足を引寄せる。
 胡坐を掻くようにして足先を膝の上に乗せれば、痛い痛いと思っていた指先が、ジンジンと赤くはれているのが見えた。
「──……痛い。」
 むっつりと唇を結んで呟くと、クラウドはその一本一本に指を当てて、どの辺りが一番痛いのか確認する。
 そうしながら、形良い足先にチョコンと乗った小さな爪が、自分の手の爪に塗られているのと同じマニキュアを付けられているのに気付いて、む、と眉を寄せる。
「なんで見えもしないこんなところにまでマニキュアが塗られてるんだ?」
 一応クラウドも、朝から「副社長(の影武者)とデート」のために、マニキュアは塗ってきていたのだ。ただ、ここで突如パーティに出るという任務を受けたときに、「そのマニキュアではドレスの色に合いませんから、塗りなおしましょう」と言って、スタイリストの人に塗られなおされただけで。
 そのときは、何がなにやらでさっぱり分からなかったが──どうやら、足の爪もきれいに塗られてしまっていたらしい。化粧やら、髪のセットやら、うぶ毛の脱毛やらなにやらで、何が何だから分からないままされるがままになっていたから分からなかった。──かろうじて、着替えだけは全部自分でしたから、男だとばれなかったが……。
「この足じゃ、明日の訓練──耐えられるかな…………。」
 あまり意味がないだろうと思いながらも、テーピングするために救急セットを膝に取り寄せて、クラウドは小さく溜息を零す。
 指先が痛いのもそうだが、体重がのしかかる足の裏の指の付け根の部分が、とにかく、痛い。
 ヒールを高くするほどにココに掛かる体重の負担は大きくなるのだという話を聞いたことがあるが──、
「なんで女はこんないたい目をしてまで、高いヒールを履くんだ…………。」
 恨み言を吐き捨てるような独り言を呟いて、クラウドはそれでもテキパキと慣れた調子で足を補修すると、両足に靴を履き直した。
 そのまま立ち上がってみても、先ほどよりもそうひどい痛みは感じない。
 ──とは言っても、一時しのぎだろうけど。
 そんな溜息を零しながら、ついでに備え付けの鏡を覗いて、ツォンが言っていたようにはがれている口紅を塗りなおす。
 確か、化粧をしてくれたスタイリストの人は、何かペン先のようなもので口紅の輪郭を捉えたり、何色も色を重ねていたような気がするが、クラウドのポーチの中には、一本の口紅しか入っていない。
 気にせず、淡いピールピンクの口紅を、キュ、と唇に乗せて──なんで俺、こんな仕草が慣れてるんだろうと、何度目になるか分からない溜息を零してから、クラウドは個室を出たところにある手洗い場で仕上げとばかりに手を洗った。
 そこの大きな鏡で、ドレスの裾が皺になっていないかどうか確認して──大丈夫なのを認めた後、重い足取りでパーティの会場に戻ろうと、化粧室から足を踏み出した。
 そのまま、重い足取りでパーティ会場の方へと足を向けようとした──その刹那。
 びくんっ、と……背筋が凍りつくような気配に息を呑み、とっさに振り返ろうとしたのと同時。

 ガッ……っ。

 背中から喉に向けて衝撃が走り、視界が揺れる。
 その動きに、先ほどテーピングを巻いてきたばかりの足が、グラリと傾ぎ……痛みを訴える。
「ん……っ。」
 ズキィン……っ、と、爪先に走った痛みに、堪えきれず漏れた息を詰めながら──はぁ、と喉を逸らして息を零せば、イヤな汗を掻いた頬に、ヒタリ、と当てられる…………冷たい、感触。
 それが何なのか、分からないほど修羅場を踏んでいないわけじゃない。
 鼻先に鉄の匂いがする。
 かすかに目を細めて──ピクリと指先を動かしたところで、耳元で、愉悦を含んだ声が聞えた。
「おぉっと──……おとなしくしてもらおうか……? お嬢さん?」
 手の中におもちゃを──獲物を捕らえたのだと言いたげな、不快を煽る声。
 視線の隅に、日に焼けた無骨な男の手と、その手に握られるナイフの柄が見えた。
 そして、頬に押し付けられる冷たい感触の先は──とがっている。
「……………………。」
 現状は、口にして確認するほどのこともなかった。
「騒がないでくれたら……怪我一つしねぇで、あのいけすかねぇ男の下へ帰れるからなぁ?」
「……………………………………。」
 手首をしっかりと後ろ手につかまれているのを感じながら、クラウドは何も言えず──小さく、唇を噛み締めた。
 油断していたとしか、言いようがない。
 ホテル自慢のセキュリティはとにかくとして、このパーティ会場には、各界の大物が連れてきているボディガード連中がいる上に、あのセフィロスがいる。
 こんなところで、騒ぎを起こす馬鹿なんているわけがない。
 ──女装して、副社長の客の相手をして。
 そんなことで目一杯で、「副社長が狙われている」という、そもそもの原因を、スッカリ頭の片隅に追いやってしまっていた。
 副社長が狙われているからこそ、──昼間、自分は、副社長とその恋人の影武者をやったのだというのに。
「──────………………。」
 ジクジクと──ふたたび痛み始めた足に、クラウドは小さく眉を寄せながら、自分の油断加減に、ほとほと愛想がついて、後ろの男に気付かれないように、はぁ、と溜息をつかずにはいられなかった。














+++ BACK +++




任務に失敗中……(笑)