クラウド・ストライフの機密生活

混乱パーティ編 1
















 ホテルのティーラウンジの一角──小さな二人掛けの丸テーブルを陣取った二人の「少女」は、メニューを開きながら、エレベーターの方を見やる。
「そろそろディアから連絡が来るはずなんだけど……。」
 言いながら、トートバックの中からPHSを出すが、着信が入る気配はない。
 しん、と静まり返った白黒ディスプレイには、ディアが本日限りの相棒の男とエレベーターに乗って、すでに20分が経過していることを示していた。
 神羅の社長や副社長を招待するような大規模のパーティを行えるホテルで、旧式のエレベーターを未だに導入しているなんてことはないだろうから、目的の「セミスイート」が最上階にあったとしても、上に行くまでにかかる時間はほんの2,3分のはずだ。
 そこから部屋に入り、報告のために連絡をする。
 その後、相棒と別れて、「ディア」1人になったのを見計らって、このPHSに連絡が入る。そこでディアの現在地を確認して、「クラウド」の着替えを持って、クリスとカリアが上に上がる。
 それから三人でどこかのトイレでコッソリ着替えて、男に戻った後、ホテルの裏口から外に出て──後はどこかのファーストフードで夕飯。
 その予定だったはずなのだが……、
「……もしかしてディア、今ごろ貞操の危機とかに陥ってないよね?」
 頬杖を付きながら、空になったグラスに残った氷をガシャガシャとかき回すクリスが、不安を覚えるような一言を零してくれる。
 そのセリフに、まさか、と笑い飛ばせない経験が、クリスにもカリアにもあり──同時に、先ほど見ていた男の態度が、不安を一層煽った。
「……PHSに、電話……かけたほうがいいかな?」
 一向に鳴る気配のない電話を見下ろして、ぼんやりと呟くカリアに、クリスは考えるように華奢な女物の腕時計──支給品──を見下ろして、
「あと10分待って、連絡がなかったらそうする?」
 何かトラブルが起きているということもある。
 例えば──滅多にないことだけれど、ホテルの部屋に入れない事態になっただとか、クラウドのことだから、エレベーターに乗って酔って立ち上がれないとか。
 そう慎重に推し進めることを提案するクリスに向かって、カリアは顔つきを厳しくさせたまま、
「その10分が命取りってこともあるんじゃないか? 普通の男相手なら、ディアが遅れを取ることはないと思うけど……。」
「…………ぁ、そっか……、そうだよね……。」
 何せ相手は、「タークス」だ。
 そう思った瞬間、確かにソレはマズイと、クリスは顔を大きく顰めた。
「ディアって、あのPHSになんて登録してたっけ?」
 こちらから連絡をするときに気をつけなくてはいけないのはソコだ。
 液晶ディスプレイに、通信相手の名前が表示されてしまう。
 もしそれを、相手がみた場合のリスクを考えると、あまり電話をするのは得策ではないが──、
「親切にフルネームで、『カーリア・トマス』って登録されてた。」
 PHSに登録する名前がフルネームな辺り、ある意味クラウドらしいというか、なんというか。
 ちなみに余談ではあるが、クリスは『クリスティーヌ・パルダ』と登録されているらしい。
 当然、どちらも「偽名」である。
 だからその名前を見られても、特別困ることはない。
「あぁ、じゃ、大丈夫だね。かけて、かけて。」
 ジャクジャク、と溶けかけた氷をストローで崩しながら、催促するクリスに、カリアは頷いて、早速その場でPHSのボタンを押す。
 短縮登録された名前が液晶ディスプレイに表示され、「クラウディア」と明滅が繰り返される。
 ほどなくして、コール音が鳴り出し──、そのまま待つこと20コール。
 クリスが、PHSを耳に当てるカリアを、不安そうな眼差しで見上げてくるのに、カリアも同じように唇を歪めた、その瞬間。

『は、はい、もしもし? カリア?』

 どこか慌てたような様子で、聞きなれた声が耳を打った。
「あ、ディア? もしかしてまだ、仕事中なの?」
 声だけしか聞えない電話を使うときは、特に女言葉と声のトーンに気をつける。
 カリアはすこし胸を張るようにして椅子の背もたれに背を預けながら、クリスと話していたときよりも一段と高い声で電話の向こうに話しかける。
 PHSというのは便利だが、一歩間違えれば、混線や電波を受信されてしまうこともある。
 そのことも考えた上で、差しさわりのない言葉と声で話せ、というのが、この特殊部門についてから叩き込まれた「訓練成果」の一つだ。──なんだか情けない訓練だけど。
『それが──、今日の予定なんだけど、ダメになっちゃった。』
 電話を通すだけで、ディアの声はすこし透明感を失う。
 もともとあまり抑揚のないディアの声は、なかなか感情を感じ取れないところがあった。肉声でなくなると、それが余計である。
 カリアはPHSを自分の耳にしっかりと押し付けながら、ディアの背後から何か音か声が聞えないかと耳を澄ませながら──なんでもないことのように、会話を続ける。
「ダメになったって……ディア? どういうこと?」
 背後から、男の息遣いが聞えはしないか、何かマズイ状況になっているのではないか。
 そう思いながら耳を澄ますけれど、ディアの静かな息遣いすらも遠く聞える程度で、静かなものだ。
『……残業。』
 すこしの沈黙の後、ディアが搾り出した声は、苦痛に満ちていた。
 ディアとの付き合いが薄い人間なら、感情の抑揚のない声だと思っただろうが、カリアはこれでも1年近くもディアと一緒に暮らしている。
 ディアがどんな気分でこれを吐いたのかくらいは、見当がついた。
 視線をチラリとあげれば、テーブルの向こうでクリスが心配そうに目をこちらに向けていた。
「残業? どれくらいかかりそうなの? 一緒に夕飯食べにいけないくらい? 7時くらいまでなら待つよ?」
 そんなクリスに、大丈夫だと目配せをしながら、カリアはなんでもない風を装って会話を続ける。
 ディアが「残業」という言い方をしたということは、パートナーの男に無理矢理何かを強要されたという可能性はないだろう。
 となると、あの「ワガママプーな副社長」が何かをしでかした可能性が高い。
 7時までにパーティ会場に戻ってこれないようなところへ出かけてしまったか、もしくは遅れそうなのか──。
『え、と──そうじゃなくって、7時から残業が入ったというか……。』
「………………ディア、それって、──本当に残業なの? まさか、派遣先の上司に無理矢理食事に誘われて、断れなかったとか、そういうオチじゃないでしょうね?」
『……何、ソレ?』
 多分、今頃ディアは、眉間に皺を寄せて考え込んでいるはずだ。
 コレが何かの暗号か、何かを指し示す言葉なのかを、真剣に。
──そこまで考えることじゃない。
 単にカリアは、「あのタークスの男に食事に誘われたのか」、それが聞きたいだけなのである。
「だから、派遣先のエロ上司に食事でも誘われたのかって、そのまま。」
『…………? カリアやクリスじゃあるまいし、そんなの誘われないよ。』
「────…………。」
 ちょっぴり頭痛を覚えて、カリアはPHSを持っている手とは違う手で、自分のこめかみを解してみた。
 そんなカリアの仕草に、テーブルの向こうでクリスが不安そうな視線を投げかけてくる。
 もしかしてディアに何かあったのでは? と尋ねてくる視線に、ぜんぜん大丈夫だと──というか、ディアは、「タークスの男」が、ディアのことをひどく気にしていたことすら気付いていないのだと、こめかみを押さえた手を振って教えてやる。
「それじゃ、7時から残業って、また中途半端な時間なのはどうして?」
『……それでもギリギリみたい。なんか、今からお風呂に入って、髪洗って、髪をセットして化粧して着替えるとか言ってるんだけど…………。』
 憮然とした口調で呟くディアの言葉に、カリアは一瞬言葉を詰まらせて──その言葉から連想されることに、クラクラと眩暈を覚えた。
「…………………………まさかディア…………、パーティに……出るの?」
 まさか、そんな──ドラマにでも出てくるような展開が、あるものか?
 そう思いながら、小声で……掠れた声で問いかけたカリアの声に対する返答は。
『……………………………………。』
 これ以上ないくらいの、肯定の沈黙だった。
「……………………………………………………っ。」
 とたん、カリアはそのままテーブルに突っ伏しそうになった。
 なんでそんなことになっているんだと、叫びたくなった。
 よりにもよって、物事を綺麗に進められるクリスや自分ではなく、ディアが──、パーティに、参加!?
 しかもこの展開から察するに、副社長の相手として出席することは間違いないだろう。
 その展開すらもらくらくと予想できる。
 きっと副社長が、デートの最中に恋人とケンカしたか飽きたか何かして、その場で恋人と別れたのだ。──けれど今日のパーティは、基本的に女性同伴。同伴ではなくても許されるのは護衛だけだ。
 副社長ほどの身分なら、見つけようと思えばすぐに女性など見つかる。
 けれど、あまりに突発的な事態だから、手配が付く女性といえば、「玄人さん」しか居なかったのだろう。
 そうして──これは、一部の神羅兵の中では当たり前のように言われていることだが、副社長は「玄人さん」が嫌いだ。
 ──つまり、そういうことだ。
「…………カリア、一体、どうしたの?」
 不安そうに上半身を起こして問いかけてくるクリスに、カリアは苦い笑みを貼り付けながら、改めてPHSに向かった。
「そう……それじゃ、しょうがないわね。
 パーティに最後まで居るわけじゃないんでしょう? 終ったら、電話頂戴。
 私たちも、ご飯を食べた後、カラオケとかゲーセンとかで遊ぶ予定だし。途中合流も大歓迎よ。」
 遠回りに、パーティが終ったあとの着替えのフォローはちゃんとしてやる、と伝えると、今度はその意味を間違えることなく把握したのだろう。
 電話の向こうで、小さく溜息をつく音がして、
『ぅん、わかった。──ありがとう、カリア。
 クリスにも、謝っておいてね?』
「了解。それじゃ、ぼろ出さないように気をつけるのよ、ディア。」
 クスクス笑いながら──もちろん演技だ。本当は、笑うどころか、この場に突っ伏してしまいたい気分なのだから──、カリアは余韻も残さずPHSを切った。
 切ったその瞬間、PHSに向けていた女性めいた微笑みも声も口調も何もかもを止めて、思わず、素の顔で溜息を零してしまった。
 そんなカリアに、ますますクリスが不安そうな視線を向けてくる。
「カリア、パーティって……まさかディア、パーティに出るの?」
 状況はだいたい把握してくれているらしい。
 日にほんのりと焼けたクリスの肌が蒼白に近い色になっているのを見やって、カリアは、PHSをトートバックの中に仕舞いこみながら──コクリ、と、頷いた。
「なぁ、クリス? 確か今日のパーティって──、大物勢ぞろいの、大きいの……、だったよ、なぁ?」
 もう、女言葉を使う気力すらない。
 そんな苦い笑みを刻み込むカリアに、クリスもまた、ようやくその事実に思い当たり──愕然と、目を見張った。
 カリアが今回のパーティの情報を得るために持ってきた、神羅情報誌。
 その中にこのパーティのことが書かれていたが、政治や芸能で有名な人間の名前が羅列されていた──のはいいのだけど。
「…………そう言えば……社長も出席して──その警備に、セフィロスが来るって…………、書いてあったっけ?」
「…………ぅわー……ディア、かわいそう……………………。」
 副社長の恋人代わりにエスコートされるということは、漏れなく、プレジデント神羅にも会わなくてはいけないし、各界の重要人物と引き合わされる可能性もある。
 それだけでも、初任務と初スカートでショックだろうディアの心中を思えば、胸が痛むというのに。
 よりにもよって、神羅に入ろうと思った原因とでも言うべき、憧れの英雄との、初対面が。
 ──ドレス姿の女装。
 その事実に、同じくセフィロスに憧れる新兵としては、思わず自分たちの現状も忘れて、雄雄しく溜息なんぞをついてしまうのであった。










 20階で行われるパーティ会場に向かうため、三人は部屋を出て、踵が埋もれそうなほど毛足の長い絨毯の上を歩いていた。
 心地良く足音を消してくれるはずの絨毯は、なれないハイヒールを履いた足には、ただのトラップのようにしか思えなくて──クラウドは、ゆっくりとエスコートされて歩きながら、ひたすらジッと足元を見ながら歩いていた。
 ミュールですら慣れないというのに、副社長の恋人のために用意されていたドレスについていたハイヒールは、履いたことがないほど踵が高かった。しかも、踵の部分が、横に広くなっていない──ピンヒールと呼ぶものに近いのだ。
 そんなものを履いたことがないクラウドは、立つことはできるが、まともに歩くことが出来なかった。気を抜けば、グラグラした足元もろとも、転びそうになってしまうのを、今も必死で脚力とバランスで堪えているような状況だ。
 当然、おぼつかない足元のために、視線は常に毛足の長い絨毯の上だ。
 ──いや、足元を見ながら必死で歩いていても、体はグラグラする。
 どうして女性は、こんなに踵が高い靴を履くのだろうと、クラウドは疑問を抱かずには居られない。一歩足を踏み出すごとに、予想していた位置よりも高い場所で踵が動きを止める。それだけでも体が前のめりになるのに、地面に付いた踵は、点で支えられているので、左右に体が振れそうになる。
 けれど、そんな醜態を見せるわけにはいかない……何せ今は、「任務中」だ。
 そう自分に言い聞かせながら──そう言えば、カシルとクリスが、「ハイヒールなんて嫌いだっ!」と叫びながら、部屋の中でハイヒールを履く練習をしていたことがあったっけ。
 ドレスなんて絶対に着る機会はないし、もしヒールを履く機会があったとしても、ローヒールにするからいいんだと、練習に参加したことはなかったが──やっぱり、しておくべきだったのかもしれない。
 けれど、それも今は後の祭りだ。
 なんとかバランスを取りながら……、同時に、隣で自分の腕を絡み付けて歩いている男性に、必要以上に重心をかけないように気をつけて──しかし、クラウドはそうしているつもりだが、すでに何度かバランスを崩して、彼の腕に体重をかけている。腕を組んでいなかったら、三度くらい盛大に絨毯の上にひっくり返っていたことだろう──、一歩一歩着実にエレベーターに向かって距離を縮めることに成功している。
────というか……今からこんな状況で、俺、本当に無事に役目が果たせるのか?
 先行きが真っ暗だと思いながら、クラウドは、自分を優雅にエスコートしてくれる隣の男性を一瞬だけチラリを見上げた。
 右隣で歩く男性は、白を基調とした、シンプルなデザインのスーツに身を包んでいる。どうやらクラウドが今「着せられている」シフォンが幾重にも重なったドレスと対になるように作られた物らしい。
 シンプルではあるが、ネクタイやシャツ、飾りボタンなどに手が加えられていて、クリスやカシルと違って、そういうことに詳しくはないクラウドでも、自分が着ている服と、彼が着ている服が、とんでもない上質のものであることが分かった。
 その彼の、この年齢の男性にしては細めの腕に絡んだ自分の指先に篭った力を弱めながら、こんな上質のスーツに皺を残してはいけない、と、クラウドは心の中で念じる。
 そうしながら、必死で足元に意識をやり──、親の仇を睨むかのような目で、絨毯を睨みつけた。
 すこしの段差があれば、すぐさま腕にしがみついてしまいそうなバランスの悪さに、できればさっきまで一緒に任務をしていた男のように、腰を支えてくれないかなぁ……なんて、カシルとクリスが聞いたら、速攻で乾いた笑いを零しそうなことを、真剣に思っていた。
 こんな裾が広がるドレスや高いヒールで、何かあったときにはマトモに動けるはずがないとは思うのだが、自分たち2人の後ろから付いてきているのは【タークス】でも優秀だと有名な男で。
 さらになおかつ、今、向かっている20階にあるパーティフロアには、世界各地の重臣が集まっていて──警備も万全。何か起きたとしても、神羅に入社したてのペーペーの出る出番はない。
 だから、この「任務」は、あくまでも「副社長の恋人の身代わり」だけだ。
 クラウドに課せられた「やるべきこと」は、ひたすらルーファウスの隣に寄り添い、近づいてきた人間すべてに穏やかに微笑み、「そうですね。」「申し訳ありません、私はそういうの、わからないんです。」で切り抜ける。──それだけだ。
 ルーファウスの──仮にも副社長たる人間の恋人の役割をするというのに、そんなのでいいのかと、驚いたクラウドには、ツォンは何も説明をしてはくれなかったが……。
 ルーファウスとツォンが話している会話を小耳に挟んだところによると、副社長が選ぶ恋人は、「美人だけどそれだけ」の女性が多いらしい。──結果、ルーファウスは今回のように、機嫌を損ねたり飽きたりで、突然別れ話をしてしまう、というわけだ。
 どうやら、今までにも過去なんどかそのようなことがあったらしく──そのたびに、急遽パーティに同伴するための「新しい恋人」が用意されていた模様だ。
──クラウドは、タイミングが悪いことに、その「新しい恋人」役に、白羽の矢が立ってしまったということだろう。
 自分だって兵士なのだから、顔が知れ渡っては困るとツォンに言ったけれど、ルーファウスが伴う女性がコロコロ変わるのは、政界でも有名な話で、誰もが世辞がわりに「お綺麗な女性をお連れですね」と言ってくるけれど、その相手のことを心に留めることは滅多にないから大丈夫だと、太鼓判付きで、クレームは却下されてしまった。
 とにかく、今日一日。
 7時から9時くらいまでの、たった2時間。
 それまでの間、このハイヒールと、スースーヒラヒラするドレスと戦い、ベタベタする化粧と髪を我慢さえすれば、ことは終るのだ。ついでに、ツォンが約束してくれた特別手当もゲットできるのだ。
 その特別手当が入ったら、半分は故郷にいる母さんに送って、もう半分でバイクを買うための積み立てにしよう。
 電車や他人の運転する車両は酔うけど、自分で運転すると酔わないんだ。だから、絶対、出かけるための自分専用の「足」が欲しい。未だに寮にある借用車両(自転車)で買い物に行くのは、クラウドだけだ。
 そんなことを心に誓って、なんとか脚元がこれ以上ふらつかないように必死に力を入れるクラウドに──、音もなく背後に付き従っていたツォンが、そ、と近づいて、
「クラウディアさん、もうすこし肩の力を抜いてください。……恋人同士に見えません。」
 かすかに柳眉に皺を寄せながら、辺りを素早く見回しつつ、クラウドの耳元に囁いた。
 上品に、上流階級に慣れているように振舞ってください──なんていうのは、過酷なことだというのは分かっている。
 だから、副社長の傍に常に従って、ただ微笑んでいてくれればいいのだと……それだけの要求しかしてはいない。
 けれど、今のクラウドの状況を見るに、それすらもこなせないように見えて──ツォンは、不安が広がるばかりだ。
「……は、はい。」
 コクリ、と顎を上下させて、彩りのいい唇を一文字に結ぶクラウドの整った容貌を見下ろして──その、類稀な美貌を見つめて、ふぅ、とツォンは溜息を飲み込んだ。
 柔らかなラインを描くシルクのドレスは、ルーファウスの「今日までの恋人」のために用意したものだが……皮肉なことに、クラウドの方にこそ似合っていた。
 まるでクラウド自身のためにデザインされたようなほどしっくり来るそのドレスに、パーティ会場の視線は「彼女」に釘付けになることは間違いないだろう。
 自分に注目されることが何よりも好きな副社長は、自分が選んだ相手に回りから感嘆の視線を与えられることを、心地良く思うに違いない。
 しかしそれは同時に、「ディア」が、腹黒連中ばかりが集まった──各界大物の人間達に、目をつけられるということを示しても居た。
 彼らはこぞって、見目麗しいルーファウスの新しい恋人にお近づきになろうとするだろう。
 ──常に、ルーファウスの連れる女性に取り入って、彼の関心と恩恵を受け取ろうとして、そうするように。
 そう……常の女性が相手なら、それも別にかまいはしない。
 けれど、目の前の──目を見張るように美しく飾り立てられた「娘」は、そうも行かないだろう。
 ぎこちない仕草でルーファウスの腕に手をかけ、心細そうに絨毯を見つめるその憂いのある表情。
 ルーファウス自身は、自分の腕に頼りない体重をかける彼女のことを、とても満足そうな笑みで見下ろしているが──その上、彼にしては珍しいことに、「大丈夫か?」などと声をかけさえもする、よほど彼女のことが気に入ったのだろう──、ツォンは、本当に大丈夫なのだろうかと、不安を消せずにいた。
 か弱く華奢にしか見えない「美少女」が、あのパーティの中に放り込まれて──無事に済むだろうか? ボロは出ないのだろうか?
 見ている限り、彼女は大きなパーティに慣れているようには……いや、ドレスそのものを着たことがないように見える。
 ぎこちない動きで、ヒラヒラ舞う幾重にも絡んだスカートの裾を、ひどく気にしているのだ。
 これは、あまり長く引き止めることはできないだろう。
 上機嫌で美少女の腕を取っているルーファウスには申し訳ないが、頃合を見計らって、早々にパーティから辞退させたほうがいいだろう。
 女性同伴のパーティで、直前で女性と別れたからと、パーティに出席しないのも困るが(良くあることなのだが)、連れている女性にボロが出て、ルーファウスの立場が困った方向に転ぶのも困る。
 毛足の長い絨毯に気を取られて、足取りが不自然に見える娘の背中を見ながら、ツォンは溜息を殺したくなる気持ちで、腕を組むのではなく、腰を支えてやったほうがいいのではないかと、ルーファウスに進言しようとした瞬間だった。
「……と、そういえばクラウディア? 誰かに聞かれた時のために確認しておきたいんだが──。」
 ノンビリとクラウドと一緒にエレベーターを待っていたルーファウスが、ふと思い出したように、自分の肩先に見える娘の髪を見下ろす。
 つい二時間ほど前までは、すこしクセのついたハニーブロンドを、上半分だけ緩く三つ編みにしていたが、今はプロのスタイリストの手によって、ドレスに見合った、ふんわりと柔らかな風味の髪型に変えられていた。
 すこし顎を落すように囁けば、鼻先にヘアムースのものらしい甘い香が広がる。
「……はい、なんでしょうか?」
 緊張しているのか、すこし青ざめた顔で、クラウドはルーファウスを見上げる。
 その、キュ、と結ばれた唇には、艶やかなグロスが塗られていて、おいしそうにつやめいて輝いている。
 思わずそのままかがみこんで、その小さな柔らかな果実をつまみ食いしたくなったが、その気配に気付いたらしいツォンが、言い様もないオーラをかもし出して睨みつけてくるので、ルーファウスは軽く肩を竦めてその衝動を流した。
 クラウドはというと、突然背後から感じた殺気にも似た雰囲気に、驚いたように目を瞬いて、肩越しに見えるツォンの顔と、自分を見下ろすルーファウスの顔を交互に見比べ──何が起きたのか理解できない様子で小首を傾げる。
「あの……何か?」
 怪訝そうな表情の中、その青い瞳だけが、鋭い色を宿している。──戦士の目だ。
 自分が気付かない何かが起きたのだろうかと、ツォンに視線で語りかけるクラウドに、ツォンは苦笑にも似た笑みを浮かべて、かぶりを振った後、
「ルーファウスさまに代わって、私からいくつか質問を。
 ──先ほどの部屋の中では、あなたの準備にかかりきりで、パーティの趣旨も、踏まえておかなくてはならない点も、説明している暇はありませんでしたから。」
 抑揚のない声で続けると、クラウドが肩越しにツォンを見上げる。
 そのまま体を反転させようとするが、ルーファウスに腕を取られているため、それは適わない。
 ツォンは、そのままで、と手の平でクラウドの動きを押しとどめながら、エレベーターのランプを一瞥する。
 どうやら、パーティ会場の出入りのせいか、エレベーターはまだ一階で止まったままのようだ──おそらく先にパーティ会場で開き、それから上に来るだろうから、まだしばらくの時間はあるだろう。
 ツォンが視線をクラウドに移せば、その隣に立つルーファウスが憮然とした表情なのが見えた。……随分お気に入りのようだ。これは、早々に「クラウディア」を帰さなくてはいけないだろう。
「まず、お二方の呼び方です。あなたは、ルーファウスさまのことを、ルーさま、とお呼びになってください。」
「はい。」
 それは大丈夫、予習済だ、と言うように、コックリと慎重に頷くクラウドに、ツォンも頷き返す。
「そして、あなたの名前は──クラウディアと?」
「あ、いえ……親しい者は、お……私のことを、ディアと呼びます。
 ……ぁ、あの、でも、ルーファウスさまの恋人の名前を名乗れと言うなら、その名前で行きます。」
 慌ててクラウドは、生真面目な顔でツォンを見やった。
 そう、マニュアル通りの台詞を口にしてはみたものの──本当に「アラニス」とか言う名前の女性になれと言われても、クラウドはきっとまともに反応できない。
 何せ、今の偽名である「クラウディア」に慣れるのにも、相当の時間を費やしたのだ。偽名だってはじめは、クラウドの名前とはぜんぜん関係のない「ディア」だけだったというのに、あまりにもクラウドが「ディア」に反応しないから、苦肉の策でカシルとクリスが、「フルネームをクラウディアで、愛称をディアにしよう。ディアが反応しなかったら、クラウディアって呼ぶから。」と言って、無理矢理偽名を改名してくれたのだ。その後、部屋の中では常に「ディア」「クリス」「カリア」と呼び合うことが一ヶ月ほど続けられて、うっかり日常生活でも使いそうになってしまうなんていう笑い話もあったが、その甲斐あって、今は違和感なく「ディア」に反応することが出来る。
 ──が、そんな不器用な自分に、今ここで新しい名前なんかをつけられても……正直な話、反応できる自信はなかった。
 けれど、任務のことで不安そうな態度や仕草を見せてはいけない。
 そのことを心の中で呟いて、ツォンの顔を見据えるクラウドに、ツォンは、すこし考えるような顔になったが──、
「それでは私は、君のことをディアと呼べばいいんだね?」
 ツォンを見やるクラウドの顎に、そ、と指先を当てて、クイ、とクラウドの顔を自分の方へとむかせたルーファウスが、先にそう微笑んで決定づけてくれた。
 ツォンはそれに、なんとも言えない表情を一瞬見せたが、すぐに表情を掻き消して、
「ルーファウスさまがそうおっしゃるなら、そういたしましょう。
 ではディア? あなたに、覚えておいていただきたいことをいくつか……。」
 一歩足を踏み出して、懐から電子手帳を取り出すと、いくつかの情報をソコに映し出し、クラウドに向けて差し出してくる。
 そこに写った人物の顔だけは、最低限覚えておく必要があること、ルーファウスの傍からなるべく離れずに、酒類は決して口にしないこと、ナニを聞かれても、「私は分かりません」と曖昧に笑って愛想は売ること(これが一番難しいと、そこでクラウドは一瞬眉間に皺を寄せてしまった)。
 他、いくつか「ルーファウスの恋人」としての注意点をもらい、クラウドがぎこちなくではあったが頷いたところで、目の前のエレベーターが、ポーン、と軽快な音を立てた。
「ようやくご到着だ。──おいで、ディア。」
 いつもなら、エレベーターが遅いだけでも機嫌が悪くなるルーファウスが、ひどく楽しそうな表情を見せて、クラウドの腕がしがみついた自分の左腕をクイ、と揺らす。
 それにつられるように足を踏み出し、クラウドは毛足の長い絨毯のことを忘れて、ヨロリ、と足を取られて上半身がかしぎかけた。
 けれど、ルーファウスはそれを見越していたように、クラウドと組んでいた腕をスルリと解いて、彼の腰に手を当てると、ヒョイ、とそのままエレベーターの中に運び込んでしまう。
 一瞬の出来事に、俺だって兵士なのに……と、密かにクラウドがショックを受けていることに気付かず、ルーファウスは、ツォンがエレベーターの階数ボタンを押すのを見ながら──ふと思い出したように、イタズラ気に目を緩めた。
「──あぁ、そうだ、ディア? ツォンがいい忘れていたようだけどな?」
 首を傾げるように見下ろせば、驚くほどに長い金色の睫が伏せられた──すこし不安そうな表情の美少女の美貌。
 副社長の地位を思えば、どれほどの美少女も美女も思うがままだけれど……この子はすこし、毛色が違う。
「……はい、なんでしょうか、ルーファ……、ルーさま。」
 答える声は、すこし抑揚にかけていて、どこか事務的。
 だというのに、その淡いピンク色の唇から漏れる「愛称」に、ルーファウスは口元が緩んだ。
 ──「アラニス」たちのように、こびた色がないのが、心地いい。
「このパーティには、オヤジも出席してるんだ。多分あの人は、私の恋人を突付いて、藪からヘビを出そうと考えているかもしれない。だから、決して一人にはならないようにね。」
「……おとうさん──プレジデント・神羅……?」
 指を唇の下に押し当てながら、そう言えば、そんなことをカシルも言っていたような気がすると、クラウドが瞳を伏せるのを見て、不安に思うことはない、とルーファウスは笑った。
「──あぁ、もしかしたら一曲くらいは踊らなくてはいけないかもしれないけれど、ダンスに心得は?」
「……だ、ダンス……、ですかっ? ……お……わたし──そんなの、踊ったことは…………。」
 いや、実を言うと、この「特殊部隊」のために、訓練でダンスを叩き込まれたこともある。
 そのダンスを身につけるために、カシルやクリスと一緒になって、部屋の中をグルグルと回転し続けた記憶も新しい。
 けれど──それで、ダンスが身についたかどうかは、また別の話だ。
 同じダンスでも、剣舞なら興味もあるが、タンゴやワルツなんて言ったものは、未だに区別すらつかない。
「ふむ──それは困ったな。……まぁいい、なんとかなるだろう。」
 一人ごちるルーファウスの言葉に、クラウドは、エレベーターの降下だけではない眩暈を覚えて、その場にしゃがみこみたくなった。
 一体どういうことだ。
 なんで、どうなって、こうなるんだ??
 俺がどうしてこんな目にあわなくっちゃいけないんだ!?
 斜め前の階数ボタンの前に立っているツォンの黒いスーツの背中を見つめながら──クラウドは、強く目を閉じて、震えそうになる自分に苛立ちすら覚えながら、しっかりしと、と自分自身に言い聞かせた。
 それでも、目の前の事態が何か変わるわけでもなく。

ポーン♪

 イヤになるくらい軽快な音を立てて、すぐにエレベーターは目的階に到着したことを告げた。
 視線をあげれば、すぐ目の前で、明るい色合いをしたエレベーターの扉が開くところ。
 その扉の向こうには、先ほど歩いていた廊下の絨毯よりも、数段歩きやすそうなタイルカーペットが一面に敷かれていた。
 そして、エレベーターが開いたすぐ前に。
「……ふん……ちょうどオヤジも付いたところだったか……。」
 なぜか楽しげに喉を鳴らせて笑うルーファウスに腰を引かれて、クラウドはフラリとエレベーターの外に足を踏み出さざるを得なかった。
 呆然と目を見開く視線の先──パーティ会場へと続く大きな扉の前に、三つの人影があった。
 その中央に立ち、偉そうに胸を張っているのは、社内広報で何度も見かけた豊かな腰周りの体を持つ──「プレジデント・神羅」に違いない。
 男は、エレベーターから出てきた息子へと視線をやると、目を細め……それから、驚いたように片割れに立つクラウドに視線を止めた。
 その、どこか悔しげな色が宿る瞳の色に満足して、ルーファウスはチラリと意味深に父の隣に立つ女性を見やる。
 黒い髪をアップにして、「着物」を纏っているいわくありげな女性──後にこのパーティの光景の写真を見たカシルが、『多分、玄人さん』と判断した──は、確かに美しく、項にかかる後れ毛が色香をかもし出してはいたが。
 ……好みじゃない。
 ルーファウスが鼻を軽く鳴らしたのに気付いて、プレジデントが苦々しげな顔を一瞬かみ殺したが、クラウドはそんなことに視線を奪われている暇はなかった。
 ──いや、ソレよりも何よりも、エレベーターを降りて最初に見つけた「ひと」から、視線が外せなかった。
 プレジデント・神羅と、黒髪の女性の背後にひっそりと立ち。
 その美貌も、その長い銀色の髪も──その体躯も、何もかもが目立つというのに、ボディーガードという役割を果たすためか、ひっそりと存在を綺麗に掻き消している、男。
 けれど、彼の周りを覆う独特の雰囲気が、その伏せられた瞳が──視線を、外させてくれない。
「………………セフィ…………ロス…………………………。」
 なぜ、と。
 どうして……なぜよりにもよって、こんなところで。
──憧れ、いつか生の彼を見たいね、とカシルとクリスと笑いあっていた、その人が。
 数歩の距離で近づけるそこに立っている事実に──クラウドは、今度こそ本気でその場にしゃがみこみたくなった。



────よりにもよって、俺が女装で特務してる最中じゃなくってもいいじゃないか……っ!!!



 とっさにルーファウスの腕を振り払って、そう叫びながらトイレに駆け込まなかっただけ、まだ自分は理性があるほうだと、クラウドはその時、真剣に思った。














+++ BACK +++


二つに分けてみました。

クラウドは結構、こういう形の予想も付かない不測の事態に弱いと思います(笑)。