SIDE:クラウド
あれから数日が経過した。
夢を見ているのかと思っていたが、どうやら違うらしいことが、なんとなく……分かった。
──現在、クラウドが身を置いているのは、「あれ」から9年ほど前。
クラウドがソルジャーを目指して、神羅カンパニーに入社して3ヶ月が経過しているところ──つまり、クラウドが居たはずの世界から見た……「過去の世界」。
タイムトリップ──なんていう言葉を、聞いたことがあるが、まさか自分の身に起きるとは思わなかった。
また、興味も無かったため、どうやって戻ったらいいのかもさっぱり分からない。
何よりも、9年も前の記憶をなんとか掘り返して、懐かしい訓練兵生活に慣れるのが精一杯なのが現状で。
とりあえず分かるのは、「入社3ヶ月の自分」は、「訓練兵」の訓練の只中だということ。
その頃の自分がどのような訓練をして、どのような交友関係があったのかは謎だが、朝昼晩と1人で食事を取っていても誰も話しかけてこない辺り──まだ、ザックスと知り合っても居ない頃なのは間違いない。
そしてその頃といえば、クラウドは一人前の兵士になるため──しいては、ソルジャー試験に受かるだけの技量をつけるために、必至になっていた。
成人前のクラウドは、同時に義務教育の必要性があり、16になるまでは軍属扱いで完全な軍人にはなれない。──つまり、16になるまでは、ソルジャー試験を受けられないから、14になったばかりの今の時期は、とにかくひたすら他人よりも体力と腕力が劣る自分の体を鍛えていた。
その上、ニブルヘイムではほとんど学校にも行っていなかったクラウドは、同学年の子供達に比べて、知識も乏しく──この三ヶ月目の頃と言えば、クラウドは必死で難しい単語や、ニブルヘイムにはなかった最新機器の使い方を覚えていた頃だ。
また、体が小さく力が弱かったため、実技訓練にもついていけなくなりがちで──学校が終わり、訓練が終った後も、夜遅くまで勉強の復習をしたり、自主訓練ばかりで1日が終わっていた。そのため、体と精神の疲労があまりにひどくて、食べるものもまともに食べれなかった時期……。
そんな毎日の中に、再び放り込まれて、最初はまるで余裕を持てなかった。
けれど、二日ほど経てば、昔経験したこの環境にも慣れてくる。
実際、最新機器の使い方や、最低限の兵士としての知識は──そしてそれ以上にソルジャーになるための知識のすべても、今のクラウドの頭の中に入っている。それどころか、体は魔晄漬けにはなっていないが、知識はまるまるここにある。マテリアの名前、マテリアの使い方、レアマテリアのこと──……あの旅の中で、モンスターの弱点や戦い方もすべてマスターしている。
体が小さくて今は無理だが、デイトナにだって乗れるし、車の運転もできる。
──早い話が、当時のクラウドが必死に覚えたことが実になった結果が、今のクラウドであり……現状、特に勉強の必要はないということだ。
だから、当時のクラウドと比べれば、ずいぶん余裕がある日常が持てた。
その時間をフルに使って、クラウドは寮の中を探索したり、神羅ビル近くの町を探索したりしてみた。
これが「罠」なのか、偶然の賜物なのか──見極めるために。
けれど、1人で考えても何かが見えるはずもなく、罠ならば罠ならで、なんとかほころびなり何なりを見つけて抜け出さなくてはならないと思うのだが。
──何の事件も起きず、ただ、平穏。
このままではどうしようもないと、行動に移そうにも──何を行動したらいいのか分からない。
どうしたら戻れるのか──いや、本当に、戻れるのか?
眼を閉じれば、つい昨日のことのようにティファの顔も、マリンの顔も、デンゼルの顔も──あの子たちの顔も思い浮かぶのに。
9年前のこの世界では、ティファ以外は誰も存在していない。
そのティファですら──9年前のこの世界では、クラウドと「給水塔で約束した相手」程度の認識しかないはずだ。
「何にしても──どうしたらいいのか、ぜんぜん、わからない。」
罠だと仮定した場合、現実と異なる点を探すことが重要となる──そこがほころびとなり、抜け出す手がかりになる可能性が高いからだ。
そしてもしこれが本当にタイムトリップな場合──、
「あれ」を、俺は……もう一度、経験しなくてはいけないと……そういうことか?
「──……っっ。」
不意に、胸の内が、ぎりりと痛んだ。
たまらなくて、クラウドは唇を噛み締める。
あの、ニブルヘイムの悪夢をもう一度経験しろと?
炎に包まれた村を見て、炎に飲まれる母を見て、倒れるティファを見て──それから、この手で、あの人を、刺して?
それから……ザックスを、喪って?
それから──それから……。
たくさんの人と出会って。
大切な仲間達と思いを重ねて。
守れた者は尊く大切なものばかりだったけれど──。
けど、彼女が死んだ。
けど、彼が居ない。
──それから。
「……………………………………。」
目を閉じて、クラウドは柳眉をキツク寄せた。
胸の奥がジクジクと痛む。
──過去は変えられない。
そう思って、無理矢理、胸の中の痛みを飲み込んだのは、二年も前の話だ──あぁ、でも「今」からは──7年も先の話か。
「ココ」が現実かそうではないのか、まだ判断は付かない。
けれど。
「……俺は……もう二度と、大切なものを、失いたくはない。」
それだけは──「ほんとう」。
それだけは、何が起きているか分からないこの世界で、自分の胸にある、決して喪いたくはない真実だ。
だから。
例えばそれが運命に逆らうことになるのだとしても。
例えばこれが、本当はジェノバの罠なのだとしても。
──自分の行動の一つ一つが無駄になるなんて、思えないし、思いたくない。
俺は。
「今度こそ、ザックスもエアリスも。」
そこで一度言葉を区切って、グ、とクラウドは掌を握り締めた。
「──セフィロスも……、狂わしたりなんか、しない。」
誓うように、唇の中で囁いて──その言葉を胸に刻みつける。
あの光景を、もう二度と味わわないように行動する。
────────そのためには、何をすればいい?
これから何が起きるのかという記憶はある、情報もある。
あの「事件」のきっかけが、何であったのかも知っている。
けれど、セフィロスにジェノバ細胞が植え付けられていることも、ザックスがソルジャーであることも、現時点では変えることのできない事実だ。
運命を捻じ曲げるには、やらなくてはいけないことが、途方もなくたくさんあることは分かっている。
一刻も早く始めたほうがいいと言うことも分かっている。
──けど、どこから手をつければいいのか、サッパリ分からない。
「そもそもの元凶は、宝条だと思うんだが──かと言って、アレを抹殺するなんてことは……今の俺には、無理だな。」
何せ、あの男は、クラウドが神羅の見習い兵当時から有名な「決して50階より下に降りてこない根暗科学者」なのだ。
クラウドの今の身分では、本社ビルの中にすら入れない。
そしてそこに無理矢理押し入ったとしても──50階以上に居る警備兵やソルジャー達に返り討ちに遭うのがいいところだろう。
見下ろした自分の手は、小さくて──ソルジャーになろうと本当に必死で頑張っているはずの自分の手は、何の力もないのだ。
だって──必死で二年間体を鍛えたのに……ソルジャー適合試験で、俺は……心身ともに規定に満たずという結果で、ソルジャーになることは出来なかったのだから。──それほど、自分は、弱いのだから。
「──、一人じゃ、無理……、だな。」
まだ14歳の頃の自分なら、そうは思わなかったかもしれない。
自分は徒党を組むことでしか自分を保てないほかのヤツラとは違うのだと、そう信じようとして──そう行動していたから。
でも、今の自分は違う。
幼い自分が、孤独を無理矢理飲み込んだ、意地っ張りな「バカ」だったことを知っている。
そして、自分ひとりの力では何もできなくても、自分を信頼してくれる仲間が居れば──ほんのわずかな希望しかなくても、乗り切れるのだと言うことも……知っている。
それを噛み締めるように思い出した瞬間、胸の中にポッと明かりが灯るように思い出したのは、共に戦ってきた仲間たちの姿だった。
クラウドが一番信頼できて、一番頼りにしているのは──間違いなく彼らだ。
けれど。
今、この時代で──クラウドは彼らとまだ出会ってはおらず、彼らは彼らの道を歩んでいる。
ティファはニブルヘイムで平穏な生活を送っているだろう。時期的にまだザンカンに師事もしていない彼女は、非力なただの少女に過ぎない──そんな彼女を巻き込むわけには行かない。
バレットは、コレルに居るだろう。けれど、結婚したばかりの奥さんと一緒に幸せに暮らしているはずだ──そう、まだコレルで彼は、奥さんと親友と一緒にいる。……それこそ本当に巻き込むわけには行かないし、あの性格のことだ、クラウドのような子供のいうことなど信じやしないだろう。それどころか、そんなことが起きるのが本当だと言うなら、自分こそがコレルを守ると言い出すに違いない。
「──それに、片腕にギミックがハマっていないバレットでは、どこまで戦いの役に立つか分からないし、な。」
レッドXIIIは、コスモキャニオンに居ると思うが──コスモキャニオンと神羅の関係を考えると、連絡を取るのは難しいといわざるを得ないだろう。
何せ、一般の神羅兵の出す手紙は検閲を通されるのが当たり前だし、手紙を出した先によっては、そのまま握りつぶされることもあるのだと──昔、ザックスとセフィロスから聞いた覚えがある。
後は、比較的接触が出来そうな相手としては──同じ神羅に属しているシドだが……、何せ彼とは、部門が違う。その上、シドはロケットの打ち上げが失敗してからはずっと、あのロケット村に在住しているのだ──いや、多分その前からなのだろうが。
それに今の時期は、ロケットの打ち上げが失敗してまだそれほど時間が経過していない頃だろうから、さぞかしクサクサしていて、神羅の下っ端の戯言なんかに耳を貸してくれる余裕はないだろう。
「あの頃ですら、まだシエラさん相手に、あんな態度とっていたくらいに執念深いところもあったし……。」
あと、残る仲間と言えば、ヴィンセントとユフィ、ケット・シーだけれど。
ヴィンセントはニブルヘイムの屋敷の棺桶の中に居ることは間違いない。ここからはるかに遠いニブルヘイムに行く金銭的余裕もなければ、自分の今の力で、あの金庫の中のモンスターと戦える力があるとも思えない。
さらにユフィは、ウータイでまだ10歳にもなっていない年齢だ。冒険ごとやマテリアに興味がある彼女は、クラウドの言うことを右から左に聞き流しながらも付いてきてくれるだろうが、10歳児のお子様では……到底役に立たない。
それから、ケット・シー──リーブに関しては、とても微妙だ。
多分、社内ネットワークか何かで連絡は付けられると思うが──今の時点での彼の意見が、7年後と同じだとは限らない。下手にコンタクトを取れば、反神羅の一員として処分されてしまうだろう。
リーブに連絡を取るには、入念な下調べが必要となることは間違いなく……そんな面倒なことをするくらいなら、まだシドに連絡をつけた方が楽でいい。
「……こうして考えてみると、あの時は、みんな時間的の必然が重なってたんだな……。」
なるべくして仲間になった、と言ったところだったのか、と、溜息交じりに零す。
もし、タイムリミットがないのならば、時間が必然を伴うまで待ってもいいと思うだろう。
けれど──「時間が必然を伴う」ということはつまり、「ニブルヘイム事件」が起きて、「セフィロスが死んで」、「コレル村で虐殺が起きて」、「レッドXIIIが攫われて」、「ザックスが死んで」──……。
「……ダメだ、悠長に待ってる時間なんてない。
最低でも、ニブルヘイムの事件までには、なんとか、しないと……。」
込み上げてきた苦い色を、無理矢理飲み下しながら、クラウドは頭を振って、もう一度考え始める。
将来的に何をするべきなのか──まずはその整理から。
第一に、ニブルヘイムの魔晄炉を壊すこと。──あの実験の結果も、封じられたモンスターも何もかも、セフィロスに見つかる前に吹き飛ばす。
そして出来ることなら、あそこに眠るジェノバも共に──吹き飛ばす。
「これくらいなら、Sマインを十数個くらい手に入れたら、俺一人でも出来そうな気はするけど──。
……それが、根本的な解決になるわけじゃないんだよな……。」
ジェノバのしつこさは、他ならないクラウドが身をもってよく知っている。
ジェノバ本体を倒しても、セフィロスの中に──そして、ソルジャー達の仲に眠る「ジェノバ細胞」が、リユニオンを求める限り、いつかジェノバは「リユニオン」してしまうのだ。
そして、セフィロスの体内にジェノバ細胞がある限り、彼がいつか「黒マテリア」で「メテオ」を起こさないとも限らない。
セフィロスとジェノバは会わせてはならない。
黒マテリアをジェノバの手には渡せない。
いや、そもそも──結局、星の危機はそのまま横たわっているわけなのだから、まずは神羅の基盤をどうにかしなくてはいけないことになって来るわけだし……?
それに、ジェノバ細胞を滅ぼす方法というのはあるのか、本当に? 一度ジェノバ細胞を植え付けられた人間を元に戻す方法がないのなら、リユニオンを起こさせないようにするには、どうしたらいい?
「…………どうすればいいんだ、一体。」
──ここまで考えると、自分ひとりでは手に負えないとしみじみ思わざるを得ない。
やはり、仲間が必要だ。
星やジェノバが関わってくると、どうしても頭に浮かぶ「仲間」の顔は──たった一人。
先ほどクラウドが脳裏に浮かべたどの仲間でもなく……そして今、クラウドが、一番手早く連絡を取れるだろう人。
今、この時に、ミッドガルに居て。
星の声を聞き、ジェノバの災厄を知る……ただ一人の「セトラ」。
「──……エアリス…………………………。」
最後の、古代種の、娘。
彼女に接触することが、今の自分にできる、最大限のことなのだと思う。
けれど。
「……いや、エアリスを巻き込むわけには、行かない……。」
弱弱しく、かぶりを振った。
彼女の回りには、常にタークスが居たはずだ。
そんな彼女を巻き込めば──彼女は愚か、エルミナですらどうなるか分からない。
あの時のように、バレットやティファやレッドXIIIも居ないのに、今の自分がエアリスを守れる自信はない。
「………………────いっそ、玉砕覚悟で、ザックスと、セフィロスに接触をして、2人を説き伏せるか?」
掌を握り締めて──クラウドは視線を落とす。
エアリスの名も、ザックスの名も、セフィロスの名も。
口に出した瞬間に、眩暈がしそうなほど、痛い感情を生み出す。
──ライフストリームの中なんかじゃなくって、「そこ」に居るエアリスに、会えるかもしれない。
うつろな頭で最後に触れた冷たい体なんかじゃない──暖かい体で、笑っているザックスに会えるかもしれない。
ジェノバと同化して、全てを狂気に落としいれることを考えるもの悲しいほどの「彼」ではないセフィロスと、会えるかもしれない。
それは、ひどく……喉が熱く潤うほどに切ない誘惑だけれど。
でも。
「……なんていうんだ……、それこそ、なんて説明するんだ?」
この時間の中で、自分は今、ただ一人なのだと──あの世界では、たくさんの人が自分を支え、傍に居てくれたけれど。
今、この世界で戦えるのは自分ただ一人なのだと……そう考えて、クラウドはギリと唇を噛み締めた。
なんて説明するのだ?
ソルジャーの体にはジェノバという災厄が埋め込まれているのだと?
そして将来、ソルジャーたちは「リユニオン」のために動き始め、やがて世界は災厄に見舞われるのだと?
セフィロス、あんたは自分が人ではないと衝撃を受け、自分は人以上の存在なのだとそう言い……この世界から人を全て消そうとしたのだと?
ザックス、あんたは俺を助けて死んだのだと?
エアリス、あんたは、ホーリーを呼び覚まさないために、命を奪われたのだと?
「……言えるはずが、ないじゃないか…………。」
そう、ここが本当にあの時代から9年近くも前の世界だというのなら。
────本当は、誰も、巻き込みたくはない。
ティファはニブルヘイムで、平穏に笑ってくれていればいい。
シドは、いつかまた空を飛ぶ日が来ることを待って、日々を穏やかに過ごしていればいい。
レッドXIIIは、ナナキとして生きて、セトの真実を教えられ──父に誇りを持ち、宝条に囚われることもなく、健やかに生きて。
バレットは妻も親友も失うことはなく──そう、マリンもまた両親を失うこともなく、幸せに生きて。
ユフィは──……ウータイ戦は起きてしまったのだから、それはもうしょうがないとしても、それでも、戦いの中にその身を躍らせることがなければ……それなりに幸せに生きると思うし。
エアリスは母と別れることもなく、神羅に見張られて過ごすのだろうけれど──それでも彼女は、幸せに笑って、生き延びてくれる。
笑ってくれる。
みんなが、辛いことを知らずに、笑う。
──そう、巻き込みたくはない。
唯一、巻き込めそうな人間といえばヴィンセントくらいのものだが──。
「最悪、2年後のニブルヘイムに到着した夜に、ヴィンセントをたたき起こすか……。」
ザックスが一緒に居れば、あの金庫に居た化け物も倒せるだろう。
そんな不穏なことを思いながら、クラウドはどんよりと曇ったように見える空を見上げた。
時間はまだあるはずだ。
けれど、やらなくてはいけないことを考えると──二年の月日も、ひどく心もとなくて。
「……誰も巻き込まず、誰も傷つけず──そうやって問題を解決するのは……無理なんだろうな………………。」
失いたくない、亡くしたくない──そう思う人を巻き込まずには居られないことに苦笑を覚えながら、クラウドは、それでも。
今、自分に出来ること、と思えば。
「──セトラの知識は……必要、か、な。」
会いたいけれど、会いたくない──怖いのだと。
そう零せば、きっと。
──9年後の世界の彼女は、笑ってこういうのだろう。
『わたし、クラウドに会えたこと、……後悔なんて、してないよ?
だから──また、会いにきて?』
「…………エアリス──あんたを巻き込みたいわけじゃないんだ。
ただ──少しだけ。
……知識を……、貸してくれ…………?」
自分に言い聞かせるように呟いて──本当は、ただ、彼女に会いたいだけなのかもしれないと、そう思った。
……この世界でただ一人きりになってしまった自分を慰めるために、彼女を守りたいという気持ちを確固たるものにするために。
9年前の自分の体で、9年前とは違う強い意志で。
守りたい人を守るために、一歩を踏み出した。
一週間に一度与えられる休日を使って、クラウドはスラム街に下りることにした。
15歳のエアリスに会うためだ。
上のプレートとスラム街をつなぐ列車に乗って、5番街スラムを目指す。
7年後に5番街スラムに行ったときには、列車を使わなかったため、なぜかモンスターに襲われたりして苦労した覚えがあるが──実験動物がモンスター化したからと、スラムに捨てる科学部門はどうなってるんだと、つくづく溜息ばかりが出て来る──、電車はとても楽だ。
ただ一つ、うっかりクラウドは忘れていたのだが──、9年前のこの自分の体は……乗り物に弱い。
何気なく列車に乗ったのはいいものの、すぐに目の前がクラクラしてきて、喉元に何かが競りあがってくる感覚すらあった。
どうせすぐに降りるのだからと、ドアの近くに立ったままで居たのが、余計にダメだったらしい。
体に感じる揺れはそれほどひどいとは思わないのに、どうしようもなく列車内に立ち込める空気の匂いや、空調の感触に吐き気が込み上げてきて、クラウドは真っ青になって口元を押さえた体勢のまま、掴んだ手すりに体を預ける。
そのまま強く眼を閉じて、必死に何か別のことを考えて気をそらそうと思うのだが、そのたびに電車がスピードをあげたり下げたりしてせわしない。──もっと真面目に走ってくれと、クラウドは栓のない言葉を口の中で吐き捨てる。
神羅兵だった当時は、外に遊びに行くことがなく──スラム街に来た経験も、数えるほどしかない。そのほとんどがザックスのお供で、電車ではなくバイクの2ケツだったために、電車を利用したことは皆無に等しかったが……これほど揺れるのか?
これから7年後に乗った電車の中で、「ジェシー」に色々教えてもらったものだけれど──、あの時は、乗り物酔いなんてしなくて、ただ電車の中でボンヤリとしていたっけ。
そんな取りとめのないことを考えても、電車酔いは一向に遠ざかってくれない。
今はどの当たりだと、胡乱気な視線を窓の外にやるけれど、見えるのは暗いトンネルの中ばかり。
「……うう……。」
思わず苦しげな息を漏らした途端、クラウドの顔に当たっていた白熱灯が、フイに翳った。
「──?」
ID検知エリアか? と、かすかに顔をあげた視界には、滲むような明るい車内が見えるだけだった。
……あれ、と、億劫な仕草でクラウドが眼を瞬くと同時、
「大丈夫かい、君?」
親切そうな声が、真上から降ってきた。
蒼白な面差しをそのままに、クラウドは心配そうな声の主に、溜息を零したくなった。
けれど、溜息などを零したら、息の代わりに胃の中の物が込み上げてきそうで、クラウドはひんやりと冷たい手すりに頬を押し付けながら、自分の隣に立っているらしい男に向かって、コクリと小さく頷いた。
大丈夫だと、そういったつもりだった。
どうせすぐに降りるのだから、それまでの辛抱だ。──ちなみに心の中で、帰りは絶対、面倒臭かろうが、時間が掛かろうが、トンネルの中を歩いて行こうと決めてみた。
「そんなところで立っていたままだと、余計に危ないよ? 次の駅まで、椅子で座っているといい。」
口を開いたら、吐き気を伴った息が零れそうで、口を頑固に閉じたままで俯くクラウドの背中に手を回して、男は心配そうに顔を覗きこんでくる。
その優しげな口調に、なぜかクラウドは背中がゾクゾクするのを覚えて、軽く眉を寄せた。
ねっとりとしたこの声を、どこかで聞いた覚えがあるような気がする。
──そう、一般兵時代にも何度か覚えた感情であるけれど、それよりももっと最近……、どこかで。
「…………だ……じょ、……ぶ……。」
男が背中を撫でながら、俯いていると余計に気持ち悪いよ、と、さぁ、と促すようにもう片手で肩を抱き寄せるのに、クラウドはますます不快な気持ちを抱きながら、弱弱しくかぶりを振り──ひんやりと冷えた手すりにしがみつくようにして、彼の腕から逃れようとする。
ただでさえでも気持ち悪くてしょうがないと言うのに、この男の手が、なぜか不快感と吐き気を増殖しているような気がする。
酔ったときに誰かに触れられると、もっと気持ち悪くなるものだっただろうか?
できれば、その腕を払いのけて、うっとおしいと叫びたいところだが、そういうわけにも行かないだろう。
一応、クラウドにくっつくようにして心配そうに覗き込んでくる男は、親切心でやってくれているのだから。
──でも、背中を撫でるように動く手が、気持ち悪い。
風邪を引いて、咳がひどいときに母が背中を撫でてくれた手は、咳を少なくさせることはなかったけれど、それでも暖かくて安心したものだった。
けれど、男の親切から出たはずの手は、気持ち悪い。
「あぁ……、次の駅で降りたほうがいいんじゃないかな? 大丈夫、もうあと、2,3分で着くから。」
耳元で囁くように言われて、ますます込み上げてきた吐き気を堪えられなくなって、ぐ、とクラウドは手の平で口元を覆った。
そんなクラウドに、男は背中を撫でていた手を柔らかな仕草に変えて、
「大丈夫かい? もう少しだからね……。」
まるで、恋人に囁くような甘い声を出す。
自分がいくら子供に見えるからって、その口調はなんだと、クラウドは思わず相手の足を蹴りつけたくなったが──そう言えば、昔、車に酔って死ぬかと思ったときに、ザックスが心配そうに周りをウロウロしながら背中をなでてくれたものだけれど……あのときは、今ほど気持ち悪いと思うことはなかった。
やはり、見知らぬ他人が撫でると、気持ち悪いと感じるものなのだろうか。
クラウドは必死で吐き気を堪えるために、よそ事を考えようとするが、男が心配そうに背中をなでれば撫でるほど、気持ち悪さは一層増していく。
ダメだ……このままだと、思いっきり吐瀉する。
無理矢理のど元に込み上げてきたものを飲み下しながら、クラウドは涙すら滲ませながら、電車の外を睨みつけた。
真っ暗闇の中……かすかな明かりが、前方から映りこんで来る。
吐き気のあまり青白くなった頬を、クラウドはかすかに歪めて、外を流れる光景を見やった。
それと同時、電車が急激にスピードを落としていく。
最初の駅に到着したのだと気付いて、クラウドは、ホ、と胸を撫で下ろした。
それと同時、電車の窓にプラットホームが見えて、クラウドは安堵のあまりかすかな笑みすら滲ませた。
涙を滲ませた青白い顔に、血の気の無くした唇に浮かぶかすかな笑みが、痛々しい。
ゆっくりと停車していく電車のドアが、ゆっくりと開いていく。
まさにその瞬間を待っていたと、クラウドは安堵の吐息を零し、手すりからズルリと手を引き剥がして、転ぶようにしてプラットホームに降り立った。
ようやく揺れない足元を手に入れて──それでもまだ足が揺れているような感触に、クラウドは思わずその場にしゃがみこんだ。
それと同時に、先ほどまで親切に声をかけてくれた人の存在を思い出し、クラウドは血の気を失った顔色で、なんとか肩越しに後ろを振り返る。
電車の中に居るだろう男に向けて、礼くらいは言わなくてはいけないだろうと──、吐き気を堪えて口を開こうとした途端。
「立てるかい?」
クラウドの背中に、ふたたび手の平が触れた。
その感触に、クラウドは一瞬眼を瞬き──、思わず眉を寄せた。
見上げると、先ほどまで電車の中に居た男が、クラウドの隣にしゃがみこみ、肩を抱えるようにして顔を覗きこんできていた。
フワリと鼻先に香る人工の匂いに、乗り物酔いをしたクラウドの気分を、さらに一層ささくれ立たせる。
「う──……っ。」
込み上げてきたものを堪え切れそうにないと、クラウドは口元に手を当てて、必死に周囲を見やる。
トイレ──……っ、とにかく、トイレか洗面台か、そのあたり……っ! 吐けそうなところ!!!
必死にそう心の中で叫ぶクラウドの気持ちを全く知らず、男は切羽つまったように周りを見回すクラウドの背を撫でながら、彼の顔を覗きこむ。
クラウドはその顔を見上げて──ゾクリ、と、鳥肌立った。
「トイレに行くかい?」
優しげな声音。
けれど、見上げた先でうそ臭い笑みを貼り付ける男の目は、決して笑っていなかった。
──いや、笑っている。けど、その目は、優しい親切な男の目では、ありえなかった。
その瞳を認めた途端、クラウドは自分が鳥肌たち、粘着質な感触を覚え、吐き気を感じた原因を悟った。
つまり、アレだ。
────コルネオに似てるんだ、この目つきと手つきが。
「────……うぅ…………。」
なんでこんなのに好かれるんだ、俺は。
出来ればすぐに腕を振り払い、ダッシュでプラットホームから逃げ出したい気が満々なのだが、乗り物酔いをしたクラウドの体は、だるさと眩暈を起こすばかりで、まるで言うことを聞いてくれなかった。
足を前に踏み出そうとしているのに、体が前のめりに倒れそうになるばかりで──ガクリと膝を突いて、クラウドは吐き気と鳥肌に、ガンガンと頭痛まで覚えた。
このままだと、吐く……、絶対、吐く。
っていうかいっそ、この男の服にぶちまけてやろうか──……っ。
それでもって、後は逃げる。
なりふりなどかまっている余裕はない。
これしか今はないんじゃないかと、クラウドが決意をした瞬間だった。
「はーい、おにいさん、俺の彼女に何か用かな〜?」
──能天気な、能天気すぎる声が、頭の上から降ってきたのは。
「……っ?」
思わず、クラウドが気持ち悪さも忘れて振り仰いだ先──薄暗いプラットホームのライトを浴びて、こちらを見下ろす長身の影があった。
ライトの逆光で顔は良く見えない。
けれど、そのシルエットと、声には……いやになるくらい覚えがあった。
思わず、呆然と目を見開くクラウドの横手で、男が目を瞬くのが分かった。
「あ、何、もしかして酔っちゃってた? それを介抱してくれてたんだ、おにいさん?
そりゃどうもアリガトー。」
腰を折り曲げて、ニコニコ笑う青年の口調は、どこか慇懃無礼だ。
上半身を傾けた段階で、近づいた面差しが良く見えた。
日に焼けた精悍な面差し、薄暗いプラットホーム内だと言うのに、目にはサングラス──その理由を、クラウドは知っている。
たとえ、「この時代のクラウド」にとって、彼とはこれが初対面であるのだとしても、だ。
「え、あ……、き、君は……?」
まさかこんなところで「彼氏」が出て来るなんて思っても見なかったのだろう。
頭の中に描いていた「作戦」を見抜かれたのかと、慌てふためく男に、青年はますます人懐こい笑みを広げると、
「お礼の一つもしてあげたい気満々なんだけど、もう電車出ちゃうみたいだからさ?」
ニコニコニコ、と笑みを張り付かせた青年は、緩く首をかしげたかと想うや否や、未だクラウドの背中に手を当てていた男を、ヒョイ、とばかりに掴みあげると、
「早く中に戻ったほうが、いいと思うぜ……、っとな。」
そのまま、ぽん、と電車の中に放り投げてしまう。
荒い動作に、思わずぽかんと見守るクラウドと、ナニをされたのか分からない男──そして、厄介ごとはゴメンだと言いたげに、駅員が、ぴりりり、と笛を吹く音。
その一瞬後、電車の床にしりもちを着いた男が、現状を理解するよりも早く──ばいばーい、と手を振る青年の前で、電車のドアが閉まった。
「ったく、介抱ドロならぬ、介抱チカンってヤツだな、ありゃ。」
動き出す電車に向けて、ヒラヒラと手を振りながら呟く青年──黒髪のソルジャーを見上げて、クラウドはポカンと開いた口を閉じるのも忘れて、彼を凝視し続ける。
覚えている背丈よりも少し低い──でも、今のクラウドの身長が格段に低いから、多分身長差は当時よりも開いている。
少しだけ幼い印象があるけれど、彼が纏っている雰囲気は、昔と同じ。
ニ、と笑みを口元に佩いて、クラウドを振り返るその顔が──涙が出そうになるくらいに懐かしくて。
クラウドは、とっさに、喉を詰まらせて……ぐ、と、それを無理矢理飲み込んだ。
酔いで少し涙目になったクラウドが、何かを堪えるような表情になったのを見て取り、彼──ザックスは、慌てたようにクラウドの隣に屈みこんだ。
「おい、大丈夫か? ああいうときは、ちゃんと叫ばないとダメだぜ? そうしないと、あのまま連れ去られて、あーんなことや、こーんなこととかされちゃって、大変なとこだったんだからな?
──と……あー、悪かった、不安にさせるつもりじゃなかったんだけどさ。
立てるか? 気持ち悪いなら、水か何か貰って来るけど?」
甲斐甲斐しく声をかけるザックスに、クラウドは弱弱しくかぶりを振って──彼は、やっぱり、自分のことが分からないのだと、苦いものを飲み込む。
その苦い色の感情を、なんと言うのか、まだ頭の芯がしびれたように気持ちの悪いクラウドには分からなかった。
分からなかったけれど。
「……だい、じょうぶ。電車に酔った、だけなんだ。」
それ以外には、何もされてない。
そう言外に呟いて、クラウドは、ゆっくりと──ゆっくりと、その場に立ち上がる。
一瞬、眩暈を覚えて、キュ、と目を閉じたけれど、体がだるいという以外に、特別な変化は何もなかった。
それから、なんでもないことのようにかすかな笑みを浮かべて、クラウドは目じりに溜まった涙を拭いながら、ザックスを見上げた。
込み上げ来る感情を無理矢理飲み込んで、
「でも──助かった。……ありがとう。」
そう、礼を言いながら──一瞬、躊躇した。
このままザックスと「知り合い」、「友達」になって──それから、すべてを話すことができたら。
もしかしたら、俺はもう二度と、彼を失うことが無くてすむのかもしれない。
彼に、重荷を背負わせることなどしなくてすむのかもしれない。
そう思いながら、頭を下げて見上げた先で。
ザックスが、ニッコリと笑顔を浮かべると、
「礼ならさ、そこの前の店で、なんかおごってくれると嬉しいんだけどな?」
「…………おごる?」
なんでそうなるんだと、かすかに眉を寄せるクラウドに、ザックスはますます顔一杯に満面の笑みを広げると、
「そ。君みたいなかわいコちゃん、すぐにさっき見たいな男に目を付けられるからさ? なんてーの? 俺がボディガードっていうか、ボーイフレンドに立候補って言うかさ。」
「………………………………………………。」
──クラリ、と、クラウドは本気で眩暈を覚えた気がした。
ぁア……そうだ、そう言えばさ?
確か、初めてザックスに会った時もさ? ……なんか、言われた気がしたよ。
「ところで彼女、名前、なんていうの?」
──そっくりそのまま、同じ言葉をさ。
思った瞬間、クラウドはその時と同じように──握りしめた拳を、ザックスに向かって繰り出していた。
あの時は、ザックスはそれをひょいと避けたけれど、今度はきっちりかっきり、ザックスの顔面に激突してくれた。
右拳に当たる重い感触を感じながら、
「俺は男だっ!!!」
プラットホームの向こう側まで吹っ飛ぶザックスに向かって、クラウドは思いっきり叫ぶと、そのままダッシュでそこから走り去った。
──五番街スラムまで、ここから徒歩だと、そう苛立ち紛れに叫びながら。
To Be Contenude
……ん、ザックスは好きだ(意味不明)。
っていうか、最後の電車のチカン(言い切る)の話って──女性向け? 女性向けかなぁ?