AC開始以前。
「……ただいま。」
小さく呼びかけてセブンスヘブンのドアを開いて中に入ると、まだ開店前の店は、しん、と静まり返っていて、まるで人気がなかった。
クラウドは額にあげたゴーグルを取り外しながら、慣れた仕草で後ろ手にドアを閉め、そのままカウンターの中へ足を踏み入れる。
かたん、と扉を開けて、クラウドは二階へと続く階段に足をかけた。
二階にあがれば、クラウドの自室兼オフィスと、マリンとティファの部屋がある。
店が閉まっている間は、ティファは洗濯や掃除のために二階に詰めていることが多い。
特に先日──クラウドがティファに頼まれた買い物をしていた時に、フェンリルに張り付いていたデンゼルを拾って帰ってからは、二人は出かけるよりも家の中にいることが多くなった気がする。
やはり、額に星痕をもつ少年のことが心配なのだろう。
マリンも、年があまりかわらないデンゼルととても仲が良くて──そういえば、この間、マリンの顔を見に帰ってきたバレットが、仲のいい二人に嫉妬して、引きつった笑顔で「マリンをよろしくな!」とデンゼルの頭を軽く叩いていたっけ。
「ティファ、マリン、デンゼル、いるのか?」
階段を上って、ティファとマリンの部屋を覗くと、ティファが手作りしたキルトのシーツが敷かれたベッドの上で、つまらなそうにマリンが座っていた。
「あっ、クラウド、お帰りなさい!」
顔を覗かせたクラウドに、ぱぁっ、と顔をほころばせたマリンは、ベッドを飛び降りると、ピョンと床を蹴ってクラウドの腰にぶつかる。
「マリン。」
両手を広げて、そんなマリンを抱きとめ、クラウドは彼女の体を抱き上げると、肩甲骨の上まで伸びた髪が、緩く三つ編みされているのに気付いた。
下の部分を赤いゴムで結わえられ、三つ編みの一番上には、見慣れた色のリボンが巻きつけられていた。
そのリボンを顔の横に認めて、は、と息を呑んだクラウドの肩にマリンは頬ずりをして、
「お父さん、元気そうだった?」
マリンは、ニッコリ笑って、クラウドの顔を見上げる。
クラウドは、飲み込みかけた息をそのままにマリンを見返して──ああ、と曖昧に頷いた。
「バレットが元気じゃないことのほうが珍しいだろう。」
小さく笑みを零すと、クラウドは抱き上げたマリンを抱えながら、踵を返して自分の部屋の方へと足を進めた。
マリンとティファの部屋を出て廊下の向かい──クラウドとデンゼルの部屋は、出て行ったときと同様、閑散としているのに乱雑な雰囲気が残っている。
マリンたちの部屋が暖かな雰囲気に満ちているのに比べて、随分と生活臭のない部屋だった。
クラウドはもともと寝に帰ってくるだけのものだし、デンゼルもそんな部屋よりはティファやマリンの部屋に居るということだろう。
「ティファは買い物か?」
デスクに近づき、つい先日店の前で撮った写真が写真立てに入れられて机の上に飾られているのに気付いた。
この写真を撮ったとき、カメラを構えてくれたのは──あぁそうだ、ヴィンセントだったっけ。
ティファが一緒に写真を撮ろうといったのに、最後までイヤがってくれた。
そして、後からこの写真を見たバレットが、俺だけ仲間はずれかよっ、と、拗ねていたのも同時に思い出して、クラウドは懐かしげに目を細める。
「ティファはね、今、お風呂だよ。」
電話を見下ろして、着信も留守番も入っていないのを確認し、ティファやマリンの字で書かれたメモがないことも見て取ってから、クラウドは肩に乗せたマリンを見上げた。
「こんな時間からか?」
「うん、デンゼルが──うなされて、すごく汗を掻いてたの……。」
マリンは、怪訝そうなクラウドの視線を受けて、つらそうに眉を寄せる。
その彼女の瞳に宿る悲しみの色に、クラウドは励ますように彼女の手を撫でてやろうとして──ふ、と、マリンが自然に告げた言葉を反芻してみた。
ティファがお風呂中。──別にこれは珍しいことではない。基本的に風呂に入るのは夜だと思うが、昼間から入って悪いことがあるわけでもない。事実、ティファは時々体がなまるからと、遊びに来たユフィやシドたち相手に組み手まがいのことをしたり、エッジ周辺に近づいてきたモンスターを片手でのしたりもしているのだ。
そんな後に、軽くシャワーを浴びることがあるから、別段おかしくはない、のだけど。
──……デンゼルが汗を掻いて、ティファがお風呂?
「……マリン……もしかして、デンゼルも一緒なのか──?」
まさか、と。
デンゼルは確かに「男」ではなく「男の子」だけれど、それでも一緒にお風呂に入るような対象ではないだろう?
そう、軽く目を見開いたクラウドの複雑な気持ちを知ってか知らずか、マリンは首を傾げるように緩く頷いて、
「うん、そうなの。──デンゼルの星痕、ちょっと広がったみたいで。
いつものガーゼじゃ、足りなくって。…………さっき起きたら、髪に……。」
マリンの顔色が、かすかに曇る。
その表情を見て、クラウドは彼女が一人でベッドの上に座っていた原因を悟った。
きっと、デンゼルを起こしにきて、彼女は驚いて悲鳴をあげたのだろう。
デンゼルの額に張られたガーゼが、黒ずみ──そこから緑色のものが滲み、髪に張り付いていたのを。
そして、その悲鳴に目を覚まし、デンゼルもまた半分パニックになったに違いない。
──そんな彼を、一人で風呂に入れるなんてことを、ティファがするはずもない。
「そうか……。」
大丈夫だ、なんて、口先だけの慰めは口に出来ない。
星痕症候群が、「星の怒り」だという人間は後を絶たないけれど、本当の理由は誰も知らない。
もし、あれが星の怒りだというなら──自分に一番初めに落ちないといけないはずだと、思う。
だって、俺は。──……見殺しにしたんだから。
……誰よりも大切な、人たちを。
「それじゃ、お風呂から出てきた二人のために、ココアでも入れよう。マリン、手伝ってくれ。」
そう言いながらマリンを肩から下ろすと、彼女は大きく目を見開いて──それから、うん、と頷いた。
「わかった!」
ニッコリ笑顔で答えるマリンに、クラウドも口元を緩ませて頷いて。
それから、手を伸ばしてくる彼女の小さな手に自分の指先を絡めて、一緒に手をつないで階段を降り始めた。
セブンスヘブンの厨房で、ヤカンが沸騰した音を告げると同時、クラウドは慣れた仕草でマグカップにお湯を張った。
それから改めて、ミルク鍋を用意して、そこにココアパウダーと砂糖を入れる。
少し考えて、いつもよりも甘みを出そうと、塩を少し加える。
それから、お湯の残りでそれらを解いてペースト状から、その上からマリンが差し出してくれた牛乳を注いだ。
クルクルとかき混ぜながら鍋を火にかけると、ちょうど階段の上から、ティファとデンゼルの声が聞えてきた。
どうやらお風呂から上がってきたらしい。──ちょうどいいタイミングだ。
マリンがパッと顔をあげて、階段の下まで走る。
「ティファ、デンゼル! クラウドが帰ってきてるよ!」
嬉しそうに声をかけるマリンに、階段の上から──少し遠い声で、
「ほんと?」
デンゼルのはずむような声が聞えた。
その声を聞いている限り、彼が今朝、星痕が広がったと不安を抱いていた──なんて、思えなかった。
階段を駆け下りてくる音が一つと、その後にゆっくりと階段を下りてくる足音が一つ。
すぐにデンゼルがマリンの隣に顔を出して、
「クラウド、お帰りなさい!」
「……ただいま。」
ミルクパンの中で、ふつふつと小さな泡が立ち始めたのを見下ろして、クラウドは火を止めると、マグカップのお湯を捨ててソレを注ぎ込む。
それから、そのカップをデンゼルに向けて差し出してやりながら、
「ちゃんと髪は拭いたのか?」
まだ湿り気が残っている彼の髪を見て、首を傾げる。
デンゼルは差し出されたココアを覗き込んで、ちょっと驚いたように目を見開いたけれど、何も言わず、ただ、「ありがとう」と答えた。
「おかえりなさ、クラウド。
──あれ、何の匂いかと思ったら、ココア?」
無言でココアを飲むデンゼルに続いて、ヒョッコリと顔を覗かせたティファの髪も、なぜかしっとりと濡れている。
その頬は風呂上りのごとくほんのりと赤いが──デンゼルの体を洗うために一緒に入ったのではなかったのだろうか?
「あぁ、少し疲れたから、甘いものでも飲もうと思って。」
近づいてくるティファとマリンにもマグカップを手渡して、クラウドは自分の分のカップに口をつけながら、ミルクパンにとりあえず水を溜めておく。──牛乳は、ほうっておくと洗うときが面倒くさい。
「ふぅん? ありがとう。」
首をかしげながらも、ティファは甘い香のするソレに口をつけて──ふ、と息を零した。
「それで、どうだった? カームの方? 帰りに寄って来たんだよね?」
首をかしげた拍子に、まだかすかに濡れていた黒髪から雫が頬を伝って、ティファは少し首を竦めた。
「特に変化はないな。
あぁ、ミディールで世話になった医者に会った。」
「あっ、あのお医者さん? へー……カームにいたの?」
「ココへ向かっているところだと言っていた。──ミッドガルにはまだ負傷者が多いと聞いたから、手伝いに来てくれるつもりらしい。」
「ふぅん。──いいひとだよね。」
ココアに唇をつけながら、目元を緩めて笑うティファに、そうだな、とクラウドは頷く。
正直な話、ティファはあの医者や看護婦のことを良く覚えているだろうが、クラウドは意識がなかったのだから、全く覚えていない。
向こうもそれこそ色々クラウドの世話をしてくれたのだから、クラウドのことは覚えているのだろうが──「あんな重病だったのに、よくここまで……」と、看護婦には感動までされたが、どうも実感がない。
「俺が運び屋をやってると言ったら、どうせなら自分たちも運んでほしいって言ってたんだけどな。」
「ふふ……今度は荷物や食料の運び屋だけじゃなくって、人間の運び屋かぁ……。
そんなの始めちゃったら、一番始めのお客さんは、ユフィやバレットになるかな?」
クスクス、と楽しげに笑いながら、ティファは無言でココアを飲んでいるデンゼルの頭を軽く撫でる。
「冗談。」
ヒョイと軽く肩を竦めるクラウドに、ティファは楽しげに笑いながら、視線を上げて──目元をイタズラ気にゆがめた。
「でも、もし本当に人間の運び屋さん──なんてやることになったら、最初の最初は、私たちだよね?」
「──……え?」
意味が分からなくて、問い返したのはクラウドだけじゃなくて、デンゼルとマリンもだった。
二人は、驚いたような目でティファを見上げる。
ティファは、そんな二人の子供の視線を受けて、クラウドにニッコリと笑う。
「デンゼルと私とマリンを、お花畑に連れて行ってください。」
──ミッドガルじゃ、まだ、花は咲かない。
だから──……遠く、色々な場所を走るクラウドが、花畑を見つけて。
そうして……連れて行って?
そう願い、微笑むティファの言葉に。
クラウドは、軽く目を見張ってから──それから、小さく笑って、頷いた。
「そうだな……いつか、みんなで、行こうか。」
──……まだ、穏やかに微笑み、未来を信じることが、できた。
けど。
最初は、皮膚のかゆみ。
何かにかぶれたように鳥肌が立っていた。
次に感じたのは、痛み。
ぷっつりと鳥肌のようにあわ立っていた肌に指をつけたら、ヘドロのような色が指先に付いた。
その時の戦慄を、なんと表現していいか分からない。
『星痕症候群は、星の怒り。星は、許してない。』
「──……っ。」
それに触れた指先が、震えていた。
喉が、うめくように苦しく詰まった。
これが、この身に、できるということは。
星が。
ライフストリームが。
彼女が。
彼が。
「…………………………………………っっっ。」
また俺は、俺が犯した罪と、俺が踏んできた命に。
──絶望する。
+++ BACK +++
多分、クラウドが自分が星痕症候群だと知ったときの恐怖って、すごいものだと思うんですよ。
死ぬことは怖くないんだと思う、クラウドにとって。
ただ彼にとって怖いのは、自分を否定する者が居るということを、忘れていたこと──かな、と。
見殺しにしたんだ。
その言葉は、クラウドにとって、一生の棘なんだと思う。
ザックスもエアリスも、「許すって、ナニを?」って笑って聞いてくると思う。
でも、クラウドだけは許せない。他の誰が許しても、クラウドだけは許せない。──許せないけど、それを抱えて生きていく。
それがクラウドだと思う。
ただ時々、その重さに、その苦しさに負けることがあって──なんていうのかな? 「自分だけ幸せになるのって、駄目なんじゃないかな?」って思った、っていうのとか、あるんだと思うんですよね。
まぁ、そんなことを色々クラウドのグジグジっぷりを見ながら考えてたんですけど。
この話はそういうんじゃなくって。
書きたかったのは、ある意味へタレなクラウド↓ イメージが崩れるのでご注意ください。
「ところでティファ──なんで、デンゼルと一緒にお風呂に……?」
ココアを飲み終えて、首を傾げて尋ねるクラウドに、ティファはデンゼルのガーゼを張り替えながら、あぁ、と頷く。
「デンゼルね、髪を洗うときに、良く額を引っかくのよ。だから、洗ったのに、出てきてからまだ髪に……ついてたりとかするの。」
シャンプーハットがあったらなぁ、と思わず零したティファに、デンゼルがすかさず、そんなの格好悪いよ、と唇を尖らせて反論する。
「それなら、私かクラウドが一緒にお風呂に入って、デンゼルの体を洗ったらいいかな、って思って。
私、ほら、ミディールの時で、その…………、体洗ったりとか、世話したりとかするの……教えて、もらってるし…………。」
最後のほうは、頬を赤らめて、ちょっと他所を向いて呟いて──ティファは、チラリ、とクラウドを上目づかいに見上げる。
その言葉の内容に、当時のことは全く覚えていないものの、クラウドは彼女に何をされたのか理解して、同じく頬を赤らめて、視線をツイと逸らす。
そんな二人にデンゼルとマリンが不思議そうに交互に見た後、意味深に視線をかみ合わせたが、二人はそれに気付かなかった。
「でも、デンゼルがすっごくイヤがっちゃって、私まで濡れちゃったから……。」
「だって、この年で頭洗ってもらうのなんて、格好悪いじゃん。」
「格好悪くありません。怪我とかしてて、洗いにくかったら、洗ってもらうのは当たり前です。
それに、そのせいで、結局一緒に入ってるんだから、あんまり変わらないでしょ。」
もう、と、星痕の出ていない側をデコピンされて、デンゼルは、うぅ、と小さくうめく。
「一緒に……って、ティファ!」
驚いて声を荒げるクラウドに、ティファは小さく首を傾げて、
「ぅん? 何?」
穏やかに笑って、どうかした? と続ける。
そんなティファに、クラウドはそれ以上何も聞けなくて──だってまさか、一緒に湯船とかに浸かったんじゃ……なんて、聞けるわけがないじゃないか! と、思った瞬間。
「ティファと一緒に入ると、湯船が狭いって言うマリンの気持ちが分かったよ、俺。
今度も髪を洗ってもらわなくちゃいけないなら、俺、クラウドと入る。」
デンゼルが、爆弾発言を投下してくれた。
けれど、それが爆弾発言だと理解したのはクラウドだけらしく、動きを止める彼の前で、ティファは腰に手を当てて、デンゼルの顔を覗きこんでいる。
「何よ、それ、どういう意味!? 私が太ってるとでも言いたいの!?」
「そういうわけじゃ……ないけど。」
答えるデンゼルの視線は、ティファの顔をから探り──彼女の豊かな胸元へ。
確かに、あの小さな湯船の中で、あの胸は……ちょっと、容量が大きいかもしれない。
「ティファと入る時はね、背中を向けないとダメよ、デンゼル。」
マリンが、ちょっとお姉さんぶって言うのに、デンゼルは、そうかなぁ、と零す。
そんな彼に、クラウドはなんとも言えない顔で、頬をかすかに赤らめながら──口元に手の平を当ててから、
「……デンゼル。」
「うん?」
「──明日は、俺と一緒に、入ろう。」
とりあえず、明日の提案をしてみた。
──それと同時に、近いうちに、どこかでシャンプーハットでも見つけてこようと思いながら。
星痕の痕跡が付いた左腕を見ながら、クラウドは、ギュ、と左肘を握り締めた。
「もう……ここにはいられない。」
小さく呟いて、セブンスヘブンを見上げる。
これが出たい上、俺はココにはいられない。
だって。
『え……クラウドまで、星痕が……っ!?』
驚くティファの顔が思い浮かぶ。
悲痛な色に瞳を染めて──けれど彼女は、すぐにクラウドの手を取って、こう言ってくれるだろう。
『大丈夫、クラウド。一緒に……見つけよう、直る方法。』
仕事もお休みして、旅に出てでも探そうと、そういってくれるだろう。
二年近く前に、一緒に旅をしたときのように。
その手を取る道を選ぶこともできる。──できる、けど。
でも。
「いや──ダメだ。
そんなことはできない。」
クラウドは、きつく下唇を噛み、誘惑に耐える。
脳裏に浮かぶのは、間近で自分を心配そうに見上げてくるティファの顔。
彼女はきっと、クラウドが星痕に侵されたことを知れば、すぐにその手を包帯で巻いて。
それから。
『クラウド、左腕が使えないから……私が、クラウドの背中、流してあげるね。』
恥ずかしそうに伏せられた睫。
ほんのりと染まった頬。
上目遣いに見上げるその瞳に宿る甘い光。誘うように薄く開かれた唇。
その、細い首筋から続く鎖骨の──なだらかな、その先の。
「……っ!」
慌ててクラウドはブンブンとかぶりを振って、改めて誘惑の言葉に蓋をすると、
「ここには、いられない──……っ。」
強く自分に言い聞かせるように呟いて、セブンスヘブンに背を向けた。
その根性の理性に、我ながら賞賛を送りたい気持ちだったのだけど。
──その、面白い葛藤を見ていた、とあるライフストリームの某親友は、「〜かぁぁっ! なっちゃいねぇな、クラウドっ!!」と、パッチンと額に手を当てていたというのは……まったく別の話である。