クルリと背を見せて、里中は手にしたお盆を部屋の中央の小さなテーブルの上に置いた。
その小さく見える背中を、山田は途方にくれたような視線で見つめた。
狭い部屋の中、たった数歩の彼女までの距離がいやに遠く感じて、顔を顰める。
里中はそんな山田の視線を感じているだろうに、こちらを振り返ることなく、盆の上の湯飲みをテーブルの上においている。
それは、ごく普通の仕草のように見えたが……紛れもない、「拒絶」を含んでいた。
「────…………。」
里中が、山田に対してよそよそしい態度を取ったりするときは、常に「故障」の文字が付きまとっている。
今年の初め──1月の自主トレの時から、右腕を気にしていたのは知っていたし、開幕時に一軍に入っていないのも知っていた。
せっかく復帰することがかなったのに、また再発した──なんてことになっていたのだとしたら、確かによそよそしい態度になるかもしれないし、もしかしたらそれを気づかれたくなくて……プライドの高い彼女のことだから、なんでもないと言い張るために、自分のことを避けていた、という可能性もある。
一緒に野球をすることがなくなっていても、里中のことを一番良く知っているのは自分で、少し一緒に居れば、彼女の不調に気づく自信もあった。もちろん里中も、そのことを良く分かっているはずだ。それを疎むことが里中に無い──とは、現状、言い切れない。
……互いに「ライバル」と言う関係であることも、熟知しているからだ。
「──…………。」
思わず視線を落として、漏れそうになった溜息を堪えた。
もし今里中が、腕の故障や、チーム内の人間関係などで悩んでいたのだとしても、彼女はそれを自分に知られたくないと思うことは間違いない。それは仕方のないことだ。
逆を言えば、山田も同じことをする。それが、仕事上の「守秘義務」であり、試合中の駆け引きに繋がるからだ。
──けれど、そう納得する気持ちとは別に、複雑な感情を抱くのを止めることは出来なかった。
こうして千葉の里中家まで駆けつけて来たのはいいが──、これはやはり、帰ったほうがいいかもしれないかと、山田が思った瞬間。
その考えを覗いたかのようなタイミングで、里中が苦い色を佩いた表情で山田を振り返った。
「──別に、故障してるとか、人間関係が悪くて困ってるだとか、そういうことじゃないんだぞ? ただ──その……。」
里中は、ためらうように口を一文字に結んだ後、キュ、と眉間に皺を寄せてから、
「──本当に、くだらないことなんだ。
お前が気にする必要なんて、何もない。」
頑なに、もう一度その言葉を繰り返した。
かと思うと、ふい、と視線を落として、薄く湯気の立つ湯のみと少し濁った色を見せる茶を見下ろす。
どこか辛そうに見える表情を見下ろして、山田はますます途方にくれた。
「里中……。」
どうしたらいいのか分からずに立ち尽くしたまま、里中の顔を見下ろす。
里中は、不安そうな山田の声に、小さく笑って自分の隣の席を、トン、と指先で叩いた。
「座れよ、山田──お茶が冷める。」
いつものようにニッコリ笑ったつもりなのだろうけど、無理をしているのが見え見えで──まるで、高校の時に戻ったような錯覚を覚えた。
里中は、いつもそうだ。
どんな痛みも、ただ笑って堪えて、大丈夫だと言い張る。
誰にも知られないように自分で解決しようとして──結局あかるみにするのは、もう手遅れかと思うほど悪化したときだけ。
その笑顔の影に隠れた苦痛や苦悩に、誰も気付いていないと、信じて──信じ込んで、今のように笑いかけてくるのだ。
里中が言うように、本当に「故障」や「人間関係」じゃないのなら、せめて一言なりとも、相談をしてくれればいい。
そんな思いを込めて、山田は里中の少し強張った笑顔を、真摯な瞳で見下ろした。
「──……何があったのか、教えてはくれないのか?」
低く問いかけるように口にした瞬間、里中の顔がかすかに強張るのを、山田は無言で見下ろした。
それでも何も言わずにただ唇を一文字に結び続ける里中に、今度は堪えることなく溜息を零すと、のっそりと足を進めて、里中の隣に膝を付いた。
里中はその間も、無言で山田の動作を見つめ続ける。
間近で視線をあわせて、山田は里中の両肩を掴むと、彼女を覗き込む。
「里中……くだらないことかどうかは、俺が決める。」
「……………………。」
どうしても引いてはくれない様子の山田に、里中は小さく唇を噛み締めて、つい、と視線を逸らした。
かたくなに唇を結ぶ里中を、山田はどこか悲しげな表情で見つめた後、言葉もなく息を漏らす。
「──里中……お前は昔からそうやって、いつも溜め込んで……俺が知らないうちに、俺の傍から離れていく。」
苦渋を含んだ山田の声に、里中はハッとしたように顔をあげ、とっさに反論しかけるが、
「そんなことは……。」
ない、とは言い切れなくて、結局、言葉は擦り切れトンボに口の中に消えてしまう。
そのまま、再び視線を落とす里中の肩に、彼女が痛くない程度に力を加えながら、山田は改めてその端正な顔を覗きこんだ。
「だから里中。頼むから、どんなくだらないことでもいいんだ。ひとつでも話してくれないか?
俺は、そんなに頼りにならないか? お前の悩みを聞くことも出来ないのか?」
悲しげに問いかけた瞬間、
「そんなことはない!」
弾けるように、里中から快活な声が返ってきた。
「お前はいつだって、俺を助けてくれるし、俺の悩みだって解決してくれる──だから俺は……本当にくだらないことで、お前を悩ませたくないだけなんだ──頼む、分かってくれ。」
けれど、口にする言葉は結局、これ以上は聞かないでくれという懇願ばかり。
「里中……。」
くだらないことだからと言っても、ここまで聞かれるのを拒絶するなんて──それこそ気になってしょうがない。
苦悩の色がにじみ出る里中の、苦しそうな表情を見下ろしながら、山田はますます困惑を深めずには居られなかった。
「故障」でもなく「人間関係」で悩んでいるのでもないのならば──里中を苦しめている苦痛は、一体何だと言うのだろう?
野球界で、今の里中が置かれている現状が過酷だということは、評論家の意見を聞かずとも、誰にも分かることだ。
昨年の後半戦から華々しいデビューを飾り記録を打ち立てた里中であったが、今シーズンの前半戦を丸々「故障」の治療に追われ、この後半戦でようやく登板を果たした状態だ。
久し振りの登板をオールスターの舞台で見事に勤め上げた里中の様子を見る限り、「二年目のジンクス」の心配はないと、思っていたが──そうではなかったのかもしれない。何せ里中は、妙なところで「謙虚」なところがあるから。
「……………………。」
──二年目のジンクス。
その言葉は、プロ野球選手二年目を迎えた「ルーキーあがり」の者たちの中では、必ずと言ってもいいほど、一度は口に上る言葉だ。
しかし、岩鬼といい、殿馬といい、山田といい──「山田世代」の誰もが、その言葉とは縁のないような活躍ぶりを見せ付けている。
その中にあって、里中はそうではない。
すでに「二年目のジンクス」を笑い飛ばせる岩鬼たちとは違い、里中は今から「二年目のジンクス」に向かい合わなくてはいけないのだ。
先にそれらのジンクスを突破した岩鬼たち元チームメイトを前に、里中がどれほどのプレッシャーを覚えているのか──、心配をしてなかったと言えば、ウソになる。
里中がそれほどヤワではないことは、高校時代、バッテリーを組んでいた自分が一番良く知っている。
けれど、それでも──いや、だからこそ、そのつらいときに傍に居た高校時代とは違う今の現状に、言い知れない感情が胸の中に渦巻くのを止められなかった。
「そんな言い分が、分かるわけがないだろう。
──お前を悩ませていることを、分からないままで居ることが、お前のためになるなんてことは……俺は、分かりたくない。」
傍にいたなら──せめて二年前のように毎日顔をあわせている状態であったなら、里中が自分を避けて悩んでいる原因に行き当たることもできただろう。誰よりも早く、里中の不調に気づいてやれただろう。
でも、今はそうじゃない。
一年の半分も同じ時を過ごすことが出来ないからこそ、「くだらない悩み」でも聞いてやりたいと、解決してやりたいと思う。
それが、それほど悪いことだろうか?
なじるような口調になったことを、口にした瞬間に後悔したが、それくらいしなくては里中は聞いてはくれないだろうと、山田は彼女の肩を掴む手に力を込めた。
「里中。」
「……やまだ…………。」
真摯な目と声で呼びかけてくる山田に、里中は、キュ、と顔をゆがめて、視線を下へと落とした。
後悔先に立たずとは言うが、やっぱり山田に顔を見せずに帰ったのが間違いだったのだろうかと、後悔する。けれどそう思うと同時に、もし顔をあわせたとしても、山田は自分の様子がおかしいのに必ず気付いただろうし、試合前に余計な心配をさせるのも嬉しくはない。
そう思えば、あれでよかったのだと、結論はそこに行き着く──、のだけれど。
──……くそっ、やっぱり、瓢箪さんたちが悪いんだ……っ。あんなことを、わざわざ、『教えて』くれるから……っ!
里中が、八つ当たり気味に唇を歪めて、そんなことを心の中で吐き捨てるとは思いも寄らない山田は、そのまま黙り込んでしまった里中に、小さく……小さく溜息を零す。
「……やっぱり……、俺がお前に、何かしたんだな……?」
ぴくん、と、軽く跳ね上がった里中の肩を見て、あぁ、やっぱりそうなのかと、山田は首を落とす。
もしかして、とは、思っていた。
故障でも人間関係でもないというのなら──もしかしたら、と。
里中が自分に「会おうとしない」理由は、悩みがあるのを悟られたくないだとか、山田を心配させたくないだとか──里中本人に原因があるのだと思っていた。
けれど、もし、本当に……そうではないのだと、したら?
そういう「優しさ」や「見栄」から発した「会わない」ではなく、額面どおりの「会いたくない。」という可能性もあるのだ。
何かをしたと言う覚えはないが、だからと言って里中を傷つけていないとは限らない。
──特に今のように、ずっと一緒に居るわけではないのなら、余計に。
「……俺に、会いたくなかったんだな?」
その意味を込めての問いかけは、口にすると同時にチクリと山田の胸を責めた。
だから、今日は顔を見せにこなかったのかと──だから、こうして顔を見せにきたことへ、里中は戸惑いを隠せないのか、と。
悲しげに──それでもしっかりとした声で聞き返す山田に、里中は驚いたように肩を震わせ、眼を大きく見開く。
「──……ちが……っ。」
「違うことはないだろう? ──何も違わないだろう?」
里中本人の口から拒絶の言葉を言わせないように、山田は言葉を重ねた。
自分で口にすればするほど、心臓がえぐれるような痛みを覚えたが、それでも里中の口から「会いたくなかった」と言われるよりもずっとマシだった。
その痛みを堪えるように言い募った山田の言葉は、突き放したような色合いを宿した。
とっさに里中は、その響きに反発するように顔をあげる。
「違うっ!」
ブンッ、と一度大きく頭を振って、目の前にある山田のシャツを無意識に強く握りこんだ。
「そうじゃない──……っ、山田に会いたくなかったのは……本当だけど、でも、お前が言うような意味じゃなくって……っ。」
「──……っ。」
無意識に口から零れた「会いたくなかった」という言葉に、山田が思わず喉を引きつらせ、息を吸い込むのに気付かず、里中はそのまま額を自分の手に押し付けるように俯いた。
胸や喉が焼きつくような──泣きたいような、そんな痛みを抱えながら、里中はただ手の中に握り締めた布地を握りながら、叫ぶしかできない。
どう言えば、自分の胸のうちを吐き捨てることなく、山田を納得させることができるだろうか?
必死で考える先から、山田にはどんな言い訳も見透かされてしまうと思ってしまう。
「ただの……俺のワガママで……っ、そんなんじゃ、ない……っ。」
結局、それ以上のことは口に出来ず、山田のシャツに額を擦り付けるようにしながら、里中はフルフルと弱弱しくかぶりを振った。
強く握りこまれたシャツは、大きな皺を幾重にも作り出している。
指先に強い力がかけられている証のように、その指先が白く強張っていた。
山田はそれを見下ろしながら、すぐ真下に見える里中のつむじに視線を移す。
かすかに震えているように見える里中が、どうしてココまで悩んでいる内容を隠すのかは分からなかったが、しがみついてくる指先を見下ろしていたら、口元に苦い色の笑みが浮かぶのが自分で分かった。
「………………俺は、お前に会いたかったよ、里中。」
「────…………っ。」
ぴくん、と揺れる小さな肩を見下ろして、山田は里中の肩を握り締めていた手をゆっくりと緩めた。
「……里中……、話したくないなら、それでいい。ただ──、お前が俺に話してくれないことが、俺にとって辛いこともあるんだってことは……わかって欲しい。」
肩先を撫でてやりながら、俯く里中のかんばせを覗き込むようにしながら、諭すように告げると──不意にストンと里中の両肩から力が抜けた。
「──や、まだは……ずるい……。」
小さく、小さく呟かれた言葉に、山田は目を瞬く。
「──……え?」
「なんでもない……。」
なんだ、と、問いかけてくる山田に向かってフルフルと弱弱しく首を振ると、里中は強く握りこんでいた山田のシャツを離す。それから改めて、強い皺が寄ったシャツを弱く握りこむと、クイ、とシャツを引いた。
見下ろすと、里中が上目遣いに山田の顔を見上げていた。
「…………あのな、山田?」
首をかしげるように見上げてくる里中の目元が、かすかに赤らんでいる。
その里中の視線を捕らえると、彼女は少しだけ逡巡するように唇を結んだ後、
「…………本当にくだらないことだぞ?」
眉間に軽く皺を寄せて、念押しするように問いかけてくる。
「くだらないことでお前はココまで悩んだりなんかしないだろう?」
苦い色を滲ませながら、ようやく口を開く気になったらしい里中に、山田はかすかな安堵の表情を見せた。
「なんで悩んでるって思うんだよ。」
少し拗ねたような口調で見上げてくる里中に、山田は穏やかな笑みを浮かべたまま、
「里中のことだからな。」
ただそれだけを答えた。
たとえ悩んでいるということが分かっても、それだけではイミがないのだということを心の中で吐き捨てながら。
里中は、そんな山田を見上げて、それでもまだ躊躇うように視線を落とし──、それでも、一瞬後、ようやく決意を固めたように目をあげた。
「………………あのな。」
キュ、と、指先で山田のシャツを強く握りこみながら、里中は山田に顔を近づける。
神妙に自分を見返す山田の目を見つめながら、里中は唇を一度わななかせた後──意を決したように、喉を上下させ、キッ、と山田を睨みつけて。
「電○少年って知ってるか?」
──そう、切り出した。
耳慣れない言葉に、一瞬、山田は何を言われたのか分からないような顔つきになった。
絶句したようにも見える山田の顔を、里中はさらにキリリと眦を吊り上げて睨みつける。
「──松○明子って知ってるよな?」
まるでケンカを売るような口調で、里中は言葉尻を一オクターブ下げる。
「さ、里中……。」
里中の目が据わっているように思えて、思わず山田は上半身を軽く引く。
里中はそんな山田に、ますます目を据わらせて、山田のシャツを摘んでいた指先で、襟元を掴みこんだ。
そのまま、グイ、と山田の顔を引き寄せると、
「なんで動揺するんだ?」
冷ややかな声だった。
ジットリ、と睨みあげられて、山田は慌てて両手を左右に振った。
「い、いや──まさかここでその話になるとは思ってなかっただけだ。」
試合中は常に冷静だといわれている「一流捕手」が、そうやって慌てた様子を見せるのがまた怪しいのだと、山田は分かっているのだろうか?
嘘をついていないか確認するかのように、里中はさらに山田に鼻先を近づけて、ジロリと間近から彼を睨みつけた。
「お前、俺に何も話さなかったよな?」
ますます低くなる里中の声に、山田は動揺も露に──さすがにここまで来たら、里中が何を言いたいのか、十分に分かった。
「ぅん? いや──うん。」
曖昧に笑ってみせる山田に、ごまかされはしないぞというように、里中はスゥ、と目を細める。
「告白されたんだって?」
「いや、されてはないぞ。」
今度はアッサリと否定されて、里中はそれを確かめるように山田の目を睨みつける。
「──────………………山田……………………。」
グ、と山田のシャツを掴む手に力が入ったのを感じながら、山田は困惑した表情で里中を見下ろし──ふと、突然里中がこんなことを言い出した原因に、ようやく気づいた。
「…………里中…………もしかしてお前…………俺に会いたくなかったのって…………。」
まさか、と、口を歪める山田のセリフに、カッ、と里中は頬を赤く染める。
「──! だっ、だって、俺以外、みんな知ってたんだぞっ!?」
──それもそのはず。何せ山田が一番最初に「突撃」されたのが、西武対ロッテ戦の初日だったからである。
それからの3連戦の間、……いや、その後も彼女はしばらく付きまとっていたから、知ろうと思えば誰もが知りえる情報ではある。──ただ、里中が一軍に復帰する前には、その「事件」は終結を迎えていたから、里中は知らないはずなのだが……。
ロッテの誰かが、山田の高校時代の同僚である里中に、世間話のついでに話したとしても、おかしくはないだろう。岩鬼の時も、どこからともなく聞いてきていたようだから。
山田の驚いたような顔を見て、ますます里中は顔を赤く染めて、
「そ、それどころか……、裸の付き合いまでしたって言うじゃないか! どういうことだよ!!」
キッ、と、逆切れの勢いで詰め寄る。
そんな里中に、山田は思わず口元がにやけそうになるのを、慌ててキリリと引き締めた。──里中が何について怒っているのか分かった以上、そのやきもちが嬉しくないといえば嘘になる。けれど、だからと言って、その思い通りに笑っていては、里中の発奮を誘うばかりだということは分かっていた。
「里中、それはその──番組の一貫で……。」
「いつ、そんな放送やったんだよっ!」
「あ、いや、放送はしなかったんだ。俺の背中を流させてくださいって言う企画だったから、それは困るって……。」
詰め寄ってくる里中の勢いに飲まれるように、慌てて口走ったために、言わなくていいことまで口にしてしまう。
口にすると同時、しまったと、山田が軽く口元を歪めるのと、ガシッ、と山田の襟首に里中が手を掛けるのとが、ほぼ同時。
「やっぱり、裸になったんじゃないか!」
今にも噛み付かんばかりの剣幕で、山田に向かって怒鳴る。
その目元が、悔しげににじみかけているのを認めて、慌てて山田はブンブンと両手を目の前で振って、里中の言葉を否定する。
「なっ、なってない、なってない! ちゃんと彼女は水着を着てたっ!」
頭もついでに振ると、里中はその両頬をピタンと両手で止めて、大きな瞳に山田の顔を映しこみ、
「……山田は?」
「──……えっ。」
突然の問いかけに、ヒュ、と喉を鳴らす山田が、後ろに引きかけた顔を、強引にその場にとどめおきながら、
「お前はちゃんと、下に履いてたのか?」
「え……あ、いや……それは………………。その……。」
山田は、当然来るだろうと思っていた質問を耳にして──里中のまっすぐな視線にさらされながら、我ながらあからさまに怪しいと思う態度で、視線を左右に逸らした。
「……山田。」
催促するように低く呼びかけてくる里中に、山田は表情を改めると、
「で、でもちゃんとタオルはつけてたぞっ?」
──フォローになっているのかなっていないのか……そう思うような台詞を口にしてみた。
もちろん、そんな言葉に納得できるはずもない。
「…………裸で背中流してもらったんだ? へー……。」
ますます冷ややかな色を宿す里中の視線に、山田は苦虫を噛み潰したような顔になる。
里中は無言でそんな山田の顔を睨みつけ続けていたが、すぐにクシャリと顔をゆがめて、己の手元を見下ろした。
脳裏に蘇るのは、オールスターへの出場が決まって、喜び勇んで一軍の復活第一線を投げたときのことだ。
オリックス戦の後、殿馬と久しぶりに飲みに行った先で、岩鬼や山田、微笑の話をしている最中に割り込んできたオリックスやロッテの選手達の話の一つ。
野球選手は早婚が多いというから、華やかなアナウンサーやタレントを真っ先に嫁にするのが、岩鬼と山田かもしれないなと、笑って続けられた、衝撃の台詞。
「…………西武の中じゃ、有名な話だって、皆言ってた…………。」
山田と松本のことを教えてくれたロッテの先輩や、オリックスの選手に掴みかかる寸前だった里中を、殿馬が機転を利かせてくれて、話を逸らしてくれたが──。
本当かどうか分からないからと、殿馬は軽く言ってくれたし、その後のオールスターでの山田もいつもどおりだったし、記録達成や初のMVPで嬉しくて、それっきり忘れてたのだが──。
後半戦に入って、西武と戦う機会を得た折に、再びその話にぶつかることになった。
「皆言ってたって……。」
「西武の中じゃ、お前と松本さんは付き合ってるらしいぞ。」
「──……ええっ!?」
そう──、西武の中では、「山田は今も松本と付き合っている」という話になっていたのだ。
それを聞いて、ショックを受けないはずはない。
けれど、どういうことだと、山田に問い詰めようにも、あまりに話の時期がずれていて、それをすることもできなかった。
人の噂には尾ひれはひれがつくものだと分かっていたから、黙っていようと──いっそ忘れてしまおうと、思っていたのだが──……、できなかった。
サラリと聞き流すには、とんでもない台詞を、西武のの人間から「山田と松本が付き合ってるらしい」という話を聞いたロッテの先輩が、零してくれたからである。
「里中、とにかく、それはただの誤解で……っ。」
正直を言えば、やきもちを焼くということは、それだけ自分のことを好きで居てくれるということだから、嬉しくないわけではない。
再びにやけ始める己の頬を叱咤しながら、山田が改めて里中の顔を覗きこんだときだった。
「松本さんって、あげま○なんだって、先輩達が言ってた…………。」
ボソ、と──凶悪なまでの響きを宿した言葉を、里中が零したのは。
「──……っ、さっ、里中っ!?」
「だから山田、次の日にホームラン打ったんだって言ってた……。」
「それこそ、とんでもない誤解だ、里中……。」
なんていうことを言うんだ、ロッテの人間は……。
──西武でも同じような噂が流れていたなんてことも知らず、山田は額に手を当てて、そのままのめりこみそうになりながら、小さく零す。
途端、里中はキッと目を上げて、山田を睨みつける。
「誤解も何もないだろっ! お前がずっとスランプだったのが、彼女に背中を流したもらった途端無くなった!? そんなの、誰が信じるんだよっ! しかも裸で、2人っきりで風呂に入ってて、なんで何も無かったなんて信じると思ってるんだよ、山田のバカ! 俺以外の人間と、能天気に風呂なんか入ってるなよっ!!」
バンッ、と、握り締めた拳で山田の厚い胸元を叩きながら、里中は悔しげに唇を噛み締める。
思いっきり不審の声で叫んだが、まだその声には余裕があった。
先輩達がそんな風に下卑た噂で笑っていたのは聞いていたが、山田に限ってそんなことがあるなんて、心の奥底から信じているわけではない。
ただ──、純粋に、腹が立つというだけで。
「俺、山田がそんな……う、浮気してるときに…………っ、暢気に袴田さんちで飯食ってたなんて──……っ!!」
「してない! 浮気なんかしてない! 里中、落ち着けっ。」
慌てて山田が里中の肩を掴むが、里中はその手をブンと振り払う。
キッ、と山田の顔を睨み揚げて、
「その次もホームラン打ってたけど、1度じゃなかったんだろっ! 山田のバカっ!!」
「里中、落ち着けっ!」
再び里中の肩を軽く掴み取る。
今度は里中は、山田のその手を振り払うことはなかった。
かわりに、両肩を落とすようにして俯き、ギリリと下唇を噛み締める。
「────…………っ、落ち着いて……っ、落ち着いてようと思ったから、お前の顔なんて見たくなかったんじゃないかっ、バカっ! なのに、お前が──……、会いにきたりなんか、するから……っ。」
口の中でかみ殺したいと願っているような、苦しい声音で、里中は吐き捨てた。
その苦しげな声音に、山田はなんと声をかけていいのか分からず、無言でかすかに震える里中の肩を見下ろした。
そのまま里中の肩から腕のラインを撫でてやると、里中はその優しい手つきに、小さく溜息を零す。
「──……だから会いたくなかったんだよ……。」
「里中……。」
「…………だから、会いたくなかったんだよ。」
もう一度同じ言葉を繰り返して、里中はゆっくりと視線をあげる。
今にも泣きそうなほど歪んだ顔に、山田はバツが悪そうな顔を向ける。
「────……さとる……。」
「だから、山田に会いたくなかった。会ったら、絶対、問い詰めたくなるから……。
そうじゃないかもしれないって思っていても、それでも……言いたくなるから。」
ほかの誰でもない山田の口から、否定の声が欲しいと、そう思う自分に……嫌悪を覚えた。
そしてその挙句、山田から「誤解だ」と言う言葉を聞いても──それでもまだ満足していない自分が居る。本当に欲しい言葉はそういうのじゃないと、山田に詰め寄りそうな己に、吐き気すら覚える。
「智……。」
いたわるような声をかけられて、カッ、と頭の中に血が上った気がした。
羞恥と苛立ちがない交ぜになって、里中は感情のままに、山田の襟首を掴みあげる。
「お前に俺の気持ちがわかるかっ!?
後半戦に入って早々、『松本って、あげ○んだったんだな』とか言われた俺の気持ちがっ!」
「──……っさ、里中っ、声が大きいぞっ。そんな台詞をそんな大きい声で……っ。」
慌てて里中の口元を押さえる山田の大きな手に、カプリと噛み付いて、里中はその手を無理に引き剥がすと、
「大きくもなるっ。なんだよ、お前はそれじゃ、やましいことでもあるのかっ!?」
激情のままに、山田に詰め寄る。
ムッと拗ねたように見上げてくる里中の顔を見下ろしながら、山田はどこか安堵したような表情で、ポンポンと里中の腕を軽く叩く。
「あるわけないだろう。」
そうしながら、ますます顔がにやけるのを、止められなかった。
なんとか堪えていたのだが、目の前で悔しげに叫ぶ里中の可愛らしさに、ついにじみ出てしまったらしい。
山田をにらんでいた里中が、怪訝そうに山田を見上げる。
「──……山田、何が嬉しいんだよ……?」
嬉しいわけじゃないと、即答しようとした山田は、自分の頬が緩んでいるのを自覚して、結局苦笑いを浮かべて、里中の顔を見下ろした。
「……──里中……、心配してたのは、俺のほうだ。」
「……?」
何を言われているのか分からなくて、里中がますます怪訝そうな表情になるのに、山田は照れくさそうな顔で、頬を指先で掻くと、
「前半戦の時は、お前の姿が見えないから──、お前が二軍で何をしてるのか、また瓢箪さんと一緒に、ずっと居るのかと、毎日そんなことばかり考えてた。」
「────…………一緒にって……だって瓢箪さんは、俺専用の捕手なんだから。」
里中は、突然何を言い出すのかと、困惑ぎみに山田を見上げる。
その里中の口から、ごく当然のように零された名前に、山田の渋面が広がる。
「里中──それが……お前の捕手だった俺にとって、どれほど痛い言葉か、わかってるのか?」
大きな手の平で頬を撫でられて、里中は瞳を細めて山田を見つめる。
「……そ、んなの……俺だって一緒だ。
信じてる……山田は、絶対そんなことはしないって、わかってる。
でも──なんか、ヤなんだよ。
俺以外のヤツと、噂になるのも、イヤなんだよ……っ。
それに……背中流してもらった後、大ホームラン打ったのは、本当だろ。」
「────。」
小さく目を見張って、山田は悔しそうに目を伏せる里中を見下ろした。
「そ、れは……。」
一瞬口ごもった山田に、里中は眉を寄せる。
だからだ、と──里中はキュ、と唇を噛み締めた。
そうだ、だからなのだ。
だから……俺は、山田に聞きたくてしょうがなくなって──でも、聞きたくなくて。
「お前、そうやって西武で聞かれたときもごまかしただろ?」
「………………あぁ。」
口元に手の平を置いて呟いた山田に、里中はキュ、と眉を寄せた。
「それで、誤解するなってほうが無理だ。」
「…………いや、だってさすがに……。」
そこで一瞬ためらって、──それでも、里中のうつむいた顔を見下ろして、山田はしぶしぶ口を開いた。
「──付きまとわれていたのが解消して、すっきりしたから……なんて、……言えないだろ?」
「────……え?」
どこか疲れたようでいて、同時に気まずい風の顔で、山田は里中に苦笑を零す。
「さすがに、そんなことは……言えないから、内緒にしておいてくれよ、智?」
「……………………それで、大ホームランが連続なのか?」
「──……ぇ、いや、それは……。」
不安そうに揺れている里中の眼差しが、ようやく山田の顔を見つめる。
まだ少し濡れた睫の下から輝く瞳を見下ろして、山田はかすかに照れたようにほほを染めた後、そ、と顔を屈めて、里中の目元に口付けを落とした。
「彼女が追いかけてこなくなって──久し振りに電話をしたら、お前が……。」
「おれ?」
「そう。」
「おれ、何かしたか?」
「……………………。」
そのまま頬を赤らめる山田を、里中はいぶかしげに見上げる。
「山田?」
「お前はいつも、おれを喜ばせる名人だからな。
──だから、お前に会った後は、いつも調子が絶好調だよ、智。」
「…………俺?」
自分の顔を指差して、驚いたように尋ねれば、山田は穏やかな目で、コクリと頷いてくれる。
言われてみれば、心当たりがないでもない。
会った後、大抵山田はホームランを2、3本は打つ。
そうすると里中は、さすが山田だと感動するのと同じくらい、俺と離れた後で、寂しいとかは思わないんだろうなと、自分のポッカリ空いた胸の空洞を思いながら溜息を零すのだ。
──まさか、そう思われているとは思っても見なかった。
「愛してる──智。お前だけだ。」
「……っ。」
不意打ちのように耳を甘く噛まれて、ビクンと肩が揺れた。
顔が羞恥に染まる里中を、山田はそのまま抱きしめる。
久し振りの──本当に久し振りだと思う山田のぬくもりに、里中はキュ、と唇を噛み締めた。
「ずるい……俺が、お前に抱きしめてもらうのに弱いって、知ってるくせに……っ。」
せめてもの抵抗のように、背中に回したくてたまらない手を、ギュ、と握りこむ。
けれど、キスを何度も顔に落とされていくうちに、少し残った頑固な気持ちも、ホロホロと溶けていく。
「浮気なんてするわけがないだろう? おれは、こんなにお前に参ってるのに。」
「──だって。」
「心配なのは、おれの方だ。おまえは、もてるから。」
「おれが、山田以外にそんな気になるはずないだろ。
山田だから……いいんだ。」
ちゅ、と、甘いキスが軽く唇に落ちてきて──もうだめだと悟った。
だからそのまま、里中は腕を山田に回した。
キュ、と抱きつくと、胸がキュッと切なくなるくらい、山田の匂いがした。
「それは俺の台詞だよ、智。
お前以外に──その気になるはずがないんだから。」
「…………太郎…………。」
今日始めて、里中はいつものように山田の名を呼んだ。
二人っきりのとき以外は、決して下の名前で呼ばないと、高校の時からの取り決め通り──下の名前を呼ぶときは、お互いに甘い恋人同士になるというサインだ。
「会いたかった──本当におれは、今日を、楽しみにしてたんだからな。」
こつん、と山田に額を当てられて、里中は少しムッとしたように鼻の頭に皺を寄せた。
「なら、おれに黙ってないで、ちゃんと説明してくれたらよかっただろっ。──そしたらおれだって、お前に捨てられるかもしれないとか、そんな心配しなくて済んだのに。」
「説明しなかったのは、確かに悪かったけど──そんな無駄な心配しなくてもいいと思うけどな。
おれは。」
「──……ん。」
「お前だけだから。」
「……たろう。」
里中は、安心したように微笑んで──自分から、唇を寄せた。
「あした……姫と一緒にテレビ見て応援してるから、ぜったい、ホームラン打てよ。」
キスの合間に、甘く囁くと、山田は低く笑って答える代わりにキスをする。
「ん。」
「──打ったら、またココに来てもいいか?」
「……打たなくても、来い。」
目元を赤らめて、息を弾ませながら、里中は、もう一度山田の頭をゆっくりと引き寄せて、肌が触れあう直前で、そろって間近で微笑みあった。
「…………会いたかった……智。」
「……おれも……会いたかったよ…………太郎…………。」
ひそやかな言葉が、お互いの唇の中に消えていった。
──明けて翌朝。
さんさんと降り注ぐ夏の朝日をふんだんに取り込んだ居間で、朝からイチャイチャしている娘夫婦を見た、この家の女主人の最初の一言は、
「やっぱり、結局布団、使わなかったじゃないの。」
──で、あった。
「あっ、す、すみません──その、せっかく敷いてくれたのに。」
慌てて加代の方を向いた山田に、コロコロと楽しげに彼女は笑った。
「いいのよ、山田君。どうせこんなことになるだろうと思って、もともと敷いてなかったんだから。」
「…………おふくろ………………。」
それじゃ、どっちにしろ、結局山田は、自分の布団で寝かせるしかなかったわけじゃないか、と。
呆れたようにジットリと睨み揚げてくる娘の視線をサラリと交わして、加代は頬に手を当てると、
「山田君こそごめんなさいね、うちの智が、変に拗ねちゃって。」
すまなそうに小さく笑って見せた。
「拗ねてないよっ。」
「拗ねてたじゃないの。」
「拗ねてない!」
──そんなくだらない会話を繰り返す母子を他所に、モソモソと布団から起き上がってきた姫は、いつの間にか家に現れた父の姿に喜びを示した後、スリスリとその大きな体に擦り寄って、
「パパ〜、今日はずっと一緒に居られるの?」
甘えるように山田を見上げて、首をかしげる。
母親に良く似た整った面差しを、にっこりと無邪気に笑う娘の頭を、大きな手で撫でてやりながら、
「ん? いや、お昼ごはんを食べたら、もう行かなくちゃいけないんだ、ごめんな、姫。」
すまなそうに謝ると、厨房から味噌汁を運んできた里中が、テーブルの上に鍋を置きながら、
「その代わり、今日の夜、一緒にパパの試合を見ような、姫。」
ニッコリと微笑んで、姫の顔を見下ろす。
そんな里中に、姫はキョトンと目を見開いた後──嬉しそうに顔を綻ばせて、
「うんっ、もっちろんっ! いっぱい打ってね、パパっ。」
満面の笑顔で、父親に向かって、そうおねだりして見せた。
*
所変わって数日後の、マリンスタジアム。
時間に余裕を持って「出勤」してきた里中は、今にも鼻歌を歌いそうなほどの上機嫌で、先にロッカールームに居た選手達に向かって頭を下げる。
「あ、おはようございます。」
その表紙に、鎖骨まで見えていた襟首で、シャラリと音が立った。
おはようと返しながらも、思わず見えたその首元に視線が行ったのは、一人や二人じゃない。
ロッテのアイドルとも言える里中の動向は、常にチェックするのが「ファン」というものだからだ。
「上機嫌でげすね、里中。何かいいことでもあったでげすか?」
里中の周りに花が飛んでいるようだと思いながら、楽しそうな様子を隠そうともしない里中に、瓢箪が問いかけると、彼女はパアッと花開きそうな勢いで満面の笑みを零す。
「はい! もう今シーズンは、俺、負けませんよ!」
そのまま、着替えてきますと、ペコリと頭を下げてロッカールームから立ち去る里中の背を、瓢箪が見送った刹那──、ガシ、と、瓢箪の首元に、背後から手が掛かった。
グイ、と背後に引き寄せられるようにして見やった肩ごしに、ロッカールームに居た選手達の視線をヒシヒシと感じた。
「おい、瓢箪。里中の首、見たか?」
その問いかけには、素直に瓢箪は頷く。
「珍しいでげすね、飾りっけのない里中が、ネックレスなんて。」
腕時計ですら、滅多にしていないのに。
そう首を傾げて、考えるような態度になる瓢箪の首に、さらに別方向から伸びた手が引っ掛けられる。
「男からのプレゼントじゃないかって思うんだけどさ……気になるよなぁ。」
「気になるっ! 一体誰だ、うちの里中にそんなものプレゼントするのはっ!」
「そんじょそこらの男じゃ、俺たちは許さないぞ!」
口々に言い合いながら、選手達は、この間の試合のときに、誰だったかが里中にコナをかけてた、だの、どこそこの試合の時の審判の、里中を見る目がいやらしかった、だのと、額を付き合わせるようにして瓢箪の周囲で真剣な顔で話しはじめる。
瓢箪はそんな彼らをグルリと見回して、やれやれと首を竦めた。
里中の首からかかっているネックレス一つで、どうしてそんな話になるんだと、思わないでもなかったが──確かに、昨日まではしていなかったのに、休み明けにあんなものをつけてこられると、気になることは気になった。
里中とて女なのだから、普段から会話に出て来るのが「野球」のことと「野球」のことと「野球」のことしかないとは言えど、たまにはお洒落が気になることだってある──はずだ。
とは言うものの、そのお洒落に目覚めた原因が、「男」ではないとも限らない。
口々に言い合う選手達の言外の台詞を、正確に感知して、瓢箪は首を竦めたまま、仕方なく視線をドアの方に戻した。
と、まるでそのタイミングを見計らったかのように、ドアが開いて、着替えてきたらしい里中が練習着姿で入ってきた。
右手には、脱いできたらしいティーシャツを抱え込んでいる。
そしてその首元には、やはり──銀色に光る細かい鎖が連なったネックレス。
「……って、あれ、何、じゃれてるんですか?」
里中は、瓢箪の周りに集っている面々の顔をグルリと見回し、小首をかしげる。
その表紙に、首元でシャランとネックレスが揺れて、彼女は少し躊躇うように指先をネックレスに引っ掛けた。
それを待っていたかのようなタイミングで、瓢箪の腰や背中に、グイグイと選手達から肘を打ち込まれる──今だ、聞けっ、という合図である。
瓢箪も気になっていないわけではなかったので、素直にソレに従って、
「里中。」
片手をあげるようにして、愛想笑いを口に浮かべると、カバンの中に着替えたばかりのシャツを詰め込む里中の背中に声をかける。
「何か用ですか、瓢箪さん?」
くるりと振り返ってくる里中に、瓢箪はさらに愛想笑いを浮かべると、
「そのネックレス、昨日まではつけてなかったでげすよね?」
自分の首を指先で示して、瓢箪はニッコリと笑って問いかける。
同時、好奇心溢れた視線を向けてくる先輩達の視線も感じて、里中は思わず指先にネックレスを引っ掛けながら、
「あ……いや、ちゃんと試合中は取りますよ?」
なぜかかすかに目元を赤く染める。
その表情に、瓢箪に聞かせるはずだった面々が、グイとばかりに身を乗り出す。
「そうじゃなくってさ、それ、彼氏からのプレゼントか? お前がつけるなんて珍しいな〜……って。」
愛想笑いを浮かべて問いかける面々に、里中は軽く目を見開いて──それから一瞬、視線を落とした。
「…………──あ、いや──あの。」
戸惑うように逡巡しつつ、ネックレスを指先に引っ掛けて、クイ、と前方に向けて押し出した瞬間、胸元に落ちていたネックレスの先──ペンダントヘッドが、姿を現した。
ネックレスには、キラリと光る通された指輪。
シンプルなその指輪を認めた刹那、奇妙な沈黙がその場に落ちる。
そんな中、里中は頬を赤らめたまま、はにかむような笑みを口元に浮かべて、
「──……やまだが……。」
「え。」
「婚約指輪にって、くれたんです……。」
囁くように、語尾をかすかに上げて、笑って続けた。
「…………山田?」
「──山田って……里中が言う山田なんだから……。」
「…………西武の山田かぁぁぁっ!!!!!???」
──ある意味、ダークホースである。
顔を見合わせ、お互いを無意味に指先を押し付けあう面々に、瓢箪が半ば呆然と呟く。
「──……ある意味、王道でげす。」
それは、里中の一年目のほとんどを、彼女とすごしたからこそ言えることだ。
何せ、初めての勝利の時も、「やまだぁっ!」──だったし。
そんな風に、呆然と──初めて聞く真実に目と口を開ける人々を前に、里中は指輪を指先でつまみあげると、それを大切そうに撫で上げて、
「シーズンが終わって、ちょっと落ち着いたら、籍を入れる約束してくれたんです。だから──俺、山田に恥じないように、頑張らないと。」
キュ、と拳を握り締めて、気合を入れるように目を輝かせた。
その、期待と未来溢れる瞳を輝かせた里中の、どこか見当違いに思える目標を聞きながら、ロッテの面々は、肩透かしを食らったように、ガックリと床に倒れこんだ。
「────…………。」
「誰だっ、山田は松本と付き合ってるなんて噂流したのはっ!!」
拳をゴンゴンと床に向かって叩きつける選手には、指輪を大事そうに懐にしまいこんだ後中が、嬉々として、
「あ、それは勘違いですよ。山田はあのインタビューの後、松本さんとは会ってませんから。」
──答えてくれた。
その、花と光り溢れる満面の笑顔を見せ付けられて──思わず誰もが、思わず叫んだ。
「──くそっ、山田めっ! 打点王まで取っておいて、智まで攫ってくのかーっ!!!」
その声は、とてもよくロッカールームに響き渡ったのだと言う。
+++ BACK +++
ようやく、終わりました……。
あー……長かった、長かった。
結局何が言いたかったのだというとですねっ。
どんな苦難も、バカップルとして解決していくのだと、そういいたかっただけなんです……っ!
というか結局、プロポーズシーン入らなかったや……まぁいいか、どうせ睦言になるだけだし……。
あー……結局、こそばゆくてしょうがない話になりました。
ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございます。
くだらない話ですみません〜(笑)。