ジリジリと照りつける太陽が、一層強い眼差しを宿す季節──夏。
その灼熱の太陽にも負けず──いや、灼熱の太陽に勝とうとするかのように、今年も全国から球児たちが、大阪に集まっていた。
その甲子園にほど近い場所に宿を構える芦屋旅館は、15年近く前までは、あの明訓の宿、として大阪では知らないものが居ないほどに知れ渡っていた。
あの当時から芦屋旅館に居たスタッフは、未だに15年前の【伝説】を、後輩達に語り継ぐ。
いわく、今、スーパースターズに居るメンツは、揃いも揃ってすごい人気だった。
岩鬼を、当時とても煙たがっていた受付係りまでもが、プロで活躍する岩鬼をテレビで見て、懐かしげに当時のことを語る。
芦屋旅館の者にとっても、栄えあるプロで活躍する明訓野球部のことは誇りであった。何せ、当時をリアルタイムで経験し、ファン達よりもずっと身近に明訓高校のメンツと関わりあってきたのである。
たった三年間の付き合いではあったが、そのうちの二年間の怒涛の人気は、芦屋旅館の人々の心に強く残っている──時には、旅館のドアが壊れるのではないかと、そう本気で心配したのも一度や二度ではないからだ。
夏の予選で、明訓が甲子園に出場を果たしたと聞いたあの瞬間、彼らがやってくる日に向けて、従業員同士で円陣を組んだ記憶も、新しい。
けれど、その明訓の黄金時代を率いたメインメンツがプロに入ってからは、その勢いもなくなってしまった。
明訓高校が予選で敗退することも多くなり、たとえ甲子園に出場しても、二回戦や三回戦どまり──とてもではないが、あの当時の大人気を誇る明訓高校の再来はなさそうである。
そのため、今年も明訓高校が芦屋旅館に泊まるという予約が舞い込んできたときも、
「一年ぶりか、たいしたもんだ。」
その程度の感覚しか、旅館の人間は抱かなかった。
たとえ出れたとしても、今年はイツまで残っているかな、程度の感覚である。
何せ、甲子園大会に出る高校球児たちの宿泊は、お盆時期も重なってくる。
万が一のことがあるため、一応部屋は20日程度は確保しておく必要があるのだ。──15年前ならば、明訓と同じ宿に泊まろうというファンを追い返すため、他校の野球部以外は宿に泊めないように工夫していたくらいだ。
それでも、「あの明訓が泊まった宿」ということで、芦屋旅館はシーズンオフにも、そこそこの入客を維持することは出来ていた。
その恩恵が、「あのスーパースターズの7人が、高校当時泊まった宿」として、未だに続いているのはさておき。
「今年は、二部屋用意しておいてくれだとよ。」
明訓の常宿であることに変わりがない芦屋旅館は、そんな明訓からの注文に、軽く眉を寄せた。
何回戦まで居るか分からない高校のために──あの山田太郎世代の明訓なら、お盆過ぎまでは絶対に負けないと分かっていたが──、二部屋も確保しておかなくてはいけないのか、そんな気持ちが、つい表情に表れてしまった。
そんな経営者の顔に、受付で予約を取った男は、申し訳なさげに眉を落とす。
「今年はなんか、女子マネージャーも一緒に泊り込むらしくって──小さい部屋でいいですから、とのことっすよ。」
「女の子も一緒に泊まるのかい? ──不祥事が起きなきゃいいけどよ。」
ヤレヤレ、とため息を一つ零した経営者の言に、重々気をつけるように従業員に言います、と、受付の男が答えた。
「着いた〜っ!!」
バスから飛び降りて、うーん、と伸びをした学生服の少年には、見覚えがあった。
思わず経営者は、ホロリ、と相好を崩す。
おととしの夏の大会で、一年生ながらレギュラーを獲得した少年で、先輩達に言われて、良くお茶を取りにきたり、新聞を取りに来たりしていた。そのたびに、いつも明るい声を聞かせてくれた子で、受け答えのいいのが印象的だった。
二年前に比べ、ずいぶん身長も伸び、男じみてきたが、それでもまだ少年らしさの面影を濃く残していた。
当時はまだ貧弱ともいえた体は、いやに凛々しく見えて、おっ、と、思わず芦屋旅館のスタッフは、目を軽く見開いた。
彼は、出入り口から出迎えてくれた従業員を見るなり、ニッコリと笑顔を零して──これがまた、パァッと輝くように明るい──、
「こんにちはっ! 今年もお世話になります!」
深くお辞儀をしてくれた。
その声に、慌てて我に返ったように旅館側も挨拶を返す。
それを皮切りにしたように、バスから次々に降りてきた明訓高校の野球部全員が、旅館側にお世話になりますと大合唱をする。
そのどれもコレもが、しっかりとした体格と、こんがりと良く焼けた肌を持っていた。ところどころ腕や顔にかさぶためいたものが出来ているが、それも男の勲章と言わんばかりの姿である。
学生服を着ていても、彼らがユニフォームに身を包んだ精悍な姿が目に浮かんでくるようで、今年の明訓は違う、と、思わせた。
そんな彼らの後から、明訓高校の監督がノッソリと姿を現す。
「あ、監督さん。」
おととしと同じ顔の監督は、凛々しく精悍なばかりに成長した三年生達と違って、二年前と同じ様子である。
そんな男に、ホ、と胸を撫で下ろし、いつものように地区大会の優勝の祝辞を口にして、部屋の案内をしようとした矢先──フイに、柔らかな風が吹いた様な気がした。
ハッ、と視線を上げた先、最後にバスを降りてきた人物が、ストンと身軽に地面に足をつけるところだった。
シャラリと揺れる髪を後ろで一つに結わえ、清涼とした雰囲気を漂わせた美少女が、形の良い顎を逸らせて、芦屋旅館を見上げる。
「……噂には良く聞いていたけど、見るのは初めてだわ。」
ポツリ、と一言呟いて、彼女は小さなバックを肩から掛け直す。
この子が、予約の時に言っていた「マネージャー」か、と、思わずマジマジと見つめた。
旅館側からのぶしつけな視線にも気にせず──これほどの美少女なら、そんな無遠慮な視線になれているのだろう──、彼女は、唇に笑みを刻むと、ニッコリと微笑んで、
「優勝するまでお世話になります。」
そう──堂々と、のたもうた。
瞬間、
「山田っ!?」
「って、ちょっと、コーチっ! 本気っすかっ!?」
驚いたような声が監督から零れ、それに続くように、体を思い思いに伸ばしていた部員達が、仰天して振り返る。
そんな彼らの顔を見返して、
「そのつもりで練習してきたんだから、当然でしょ?
さ、それよりも、さっさと荷物を置いたら、体をほぐしにランニングに行くわよ。」
「えぇーっ! そりゃないだろーっ!?」
「今ついたばっかりなんだぜっ!? 体を休める時間くらい……っ!」
非難の声があがる部員達を、彼女は鋭い眼差しで睨みつけると、
「これくらいの移動距離で根をあげてるなんて、日頃の鍛え方が足りないのかしらね? それならそうで、練習内容を増やすだけの話だけど……。」
言いながら、「山田」と呼ばれた少女は、1人1人と視線を合わせるつもりで、ゆっくりと視線をずらし……ニッコリ、と微笑んだ。
その微笑みに、ビクゥッ、と肩を震わせた少年達へ、
「分かったら、さっさと荷物を置いて、ジャージに着替えてくるっ!
30分後にココに集合っ! いいわねっ!!?」
「はいっ、コーチっ!!!」
びしっ、と、直立不動で叫ぶ野球部ナインの前に居るのは、明訓高校の制服に身を包んだ、美少女。──なんだか違和感のある光景だが、これがいつもの光景らしく、監督はノンビリした表情で、
「山田ー、お前、部屋は俺と一緒でいいだろう?」
今更の部屋割りについて山田に確認する。
さすがのナイン達も、監督と同じ部屋で寝起きすると緊張するだろうと、そう気を使ってのことなのかもしれない。
それには、
「構いませんよ、別に。」
ナイン達に向けていたのとは違う、普通の女子高生に見える表情で、山田が頷く。
とたん、
「ダメだっ、山田っ! 監督だって男なんだぞっ!?」
「そうだぞっ! 何かあったらどうするんだっ!!」
青少年達が、場所も構わず監督を指差して叫ぶ。
「……お前らなぁ……。俺が何かするわけがないだろうが。」
監督が、顔を引きつらせると同時、山田は何も言わず、無言でバスから降ろされたばかりの自分のバックの下へと歩くと、バットが入っているケースを開き、その中へ手を突っ込み……、
ビシィッ!!
「──監督は、わたしのボディガードになってくれると思うけれど……ね?」
ササラ竹を、地面に勢い良くたたきつけて……微笑んだ。
先がササラ状に割れた竹は、叩きつけられると音はすごいが、骨に響くほど痛いわけではない──しかし、痣は残らないが、痛いことには変わりないのだ。
それを手にして、山田は、さて、と一同をグルリと見回した。
「そんな面白い妄想をしている余裕があるなら、今日一日、びっしりと基礎訓練しても、支障はないわね?
──さぁっ、さっさと行動に移すっ!!」
リン、と響く少女の声に、慌てたように──びっしり基礎訓練の恐怖を知るものたちは、自分達のカバンを手に、旅館の中へ駆け込んでいく。
それを見送り、まったく、と山田はため息を一つ零す。
そんな彼女を見下ろして、「監督」は、部員タチの前では決して見せない、ニヤリとした笑みを刻みつけ、
「山田、ソレ──もしかして、土井垣さんからの贈り物か?」
指先で、彼女が今しがた出してきたばかりのササラ竹を示した。
その言葉に、山田はニッコリ微笑んで、
「はい。県大会予選突破のお祝いに、作ってくださったんです。
このお祝い返しは、全国大会優勝くらいじゃないと、ダメですよね、やっぱり。」
ね、監督?
なんて、微笑んで自分を見上げてくる美少女に、おいおい、と思いながら──、この子を、今だに可愛いだけの美少女だと認識している気持ちが残っている、「青少年の教え子達」は、凄いなぁ、と監督は思った。
もっとも、監督が山田姫を、どうしても一介の女子、に見えないのは、彼女のバックボーンを知っているせいとも言える。
彼女に何かあったら、保護者どもがただで済ませてくれるはずはない──のである。
「──……まぁ、そうだな──お前の両親だって、今シーズンも頑張ってるんだから、俺達も頑張るか。」
「パパとさとパパが頑張ってるのは、いつもの事です〜。」
山田がそう笑うのに、そうだったな、と相槌を打って──懐かしげに芦屋旅館を見上げた監督は、さて、と足を踏み出した。
「ほら、山田、俺達もさっさと準備をしないと、30分後にココに集合できないぞ。」
促す彼に、ササラ竹をピシリとしならせて山田は、大きく頷いた。
+++ BACK +++
明訓の監督は、多分誰かOBじゃないかなー、とか。
誰誰、って断定しちゃって、スーパースターズ編で名前出てきたら困るもん(大笑)。