自慢話?













「……というわけで、うちの娘が、今度のアイアンドッグス戦を見に来るんだよ。」
 姫が試合を球場まで見に来るのなんて、一体何年ぶりだろう──と、しみじみと呟く山田に、へー、と相槌を打つ後輩達。
 その、どこか照れくさいくせに嬉しさが前面に押し出ている顔には、彼がこの場所では決して見せない父親としての表情がにじみ出ていた。
 父親は、娘は人一倍可愛いものだと、世間様でも言うものだが、山田も多分にもれずと言ったところなのだろう。
 あの山田太郎にこんな表情をさせる娘というのは、さぞかし可愛いことだろうと、後輩達はコッソリと視線を交し合った。
「でも、修学旅行で四国なんて、豪勢ですよね。」
 確か山田は神奈川に住んでいるはずだから、娘の通う学校も神奈川のはずである。
 最近の高校は海外に行くことが多いと言うから、中学や小学校の修学旅行もずいぶん豪勢になってきたのだと言うのは知っている。
 それでも、神奈川から四国というのは、贅沢だなぁ、と顔を見合わせて感心しあう面々に、山田の隣でグローブの紐の確認をしていた微笑が、
「他の学校に比べたら、豪勢って言うわけじゃないよなぁ? 山田?」
 同意を求めるように問いかけるのに、そうそう、と頷いたのは山田と同世代の他の人間であった。
「私立高校ってさ、海外旅行とか行くことが多いよな?
 それを思えば、同じ日本国内なんて近場だよな。」
 最近の高校は、豪勢だよな、と山岡が苦い笑みを刻む。
 自分たちの頃の修学旅行と言えば、豪勢だと言われて「北海道」や「沖縄」、大抵の高校は九州、京都・奈良、東京、スキー……がせいぜいだったはずだ。
 そんな山岡に、贅沢だぞ、と、緒方と足利が眉を寄せた。
「修学旅行があるだけいいさ。おれ達なんて、日帰りの遠足だったんだぞ。」
「まぁ、時期が悪かったって言うのもあるけどな。──で、明訓はドコだったんだ?」
 そんな風に、もう20年近く前になる話に盛り上がる先輩達に、最近高校を卒業した──とまだ言える年齢である新米プロ選手の後輩達は、視線を交し合った。
「……そりゃ、高校だったら、海外とか九州だって、当たり前だよな?」
 なんだか話が違うような気がする、と、お互いに首を傾げあって、確認しあう。
 なぜ、山田の娘の修学旅行の話で、高校の修学旅行の話になるのだろう?
 やはり、自分たちが一番覚えがあるのが、高校の修学旅行だからなのか?
 そう目と目で問いかけあいながら、和気藹々と高校の修学旅行の話で盛り上がる先輩たちに、置いてきぼりを食らいながら、
「──……小学生で四国って……贅沢だよなぁ?」
 お互いの顔を見交わす彼らは、まだ、知られざる真実があることを、知らない。
 山田の娘が実はいくつなのか……──後輩達が根本的なところで間違っているということを、今更指摘するような先輩は、誰1人としていなかったからである。





















 さて、山田がベンチの中で後輩やチームメイト相手に、嬉しさを隠せずに娘が四国に来ることを話している頃、食堂にて。
 コチラは娘に対して少々シビアな目線を持つ母親はというと……、
「──で、姫がさ、修学旅行に行くための新しい下着が欲しいって言うんだぜ? なんで修学旅行に行くのに新しい下着を買わなくちゃいけないんだって思わないか?
 そもそもアイツ、高校に入ってからブラとショーツのセットだけでも10組以上持ってるんだぞ? その上キャミソールだとかおそろいのスリップだとか、色々買うからお小遣いじゃ足りないとか言い出すし。」
 まったく、あの年頃の娘は手に負えない、と、ブツブツと顔を顰めて手にした紙コップのコーヒーを煽る里中に──その愚痴を聞かされている相手はというと、なんとも形容のしがたい苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「……あー……えーっと、智、あのな。」
 コリコリ、と頬を掻きながら、羞恥に頬を染めた微笑の力のない声に、クシャリと紙コップを潰した里中が、不思議そうに目を瞬く。
「ん、なんだ?」
 その、まるで理解していないような顔に──そういや昔からそうだったよな、と、ガックリと肩が落ちるのを感じつつ、微笑は頬杖を付きながら片手で自分の分の紙コップを取上げる。
「なんだじゃなくって……そんな年頃の女の子の事情を、俺達が聞いても分かるわけないだろー?」
 聞いているだけで喉が渇いてくる、と、コーヒーを一口飲み下した微笑の台詞に、里中は反省するどころか、腕を組んでウンウン、と納得したように頷く。
「そうだよなー? 俺も山田もわかんないんだよな……。」
「……………………。」
 ならその内容を、自分に向かって話すのもどうかと思う。
 それも、まだ彼らの娘が「小学生」とか、せいぜい「中学生」程度だというなら、「大変だな」と笑って済ませてやれるが、高校2年生の美少女ともなると──いくら赤ん坊の頃から知っているとは言えど、しかもオムツを代えたこともある相手とは言えど、顔色も変えずに聞き流すことは出来ない。
 ──普通、高校生の娘のそういう事情などを、平気で他所の男に話すことはないはずなのだが。
 自分の娘が美少女だということの自覚が、山田はあっても里中にはないんだよな──と、小さく溜息を零す微笑に気づかず、里中は首を傾げたまま、
「こういうとき、女友達作っておけば良かったって思うんだよな。」
 なんだかんだで現状、女性で友人と言える人物がいない、とぼやく。
 まぁ、就いている職業が職業なのだから、しょうがないといえばしょうがないのだが──、
「……山田がそれで女友達作ったときは、すっごく怒ってたのはドコのドイツだよ?」
 まったく、と、付いた頬杖に溜息を零す微笑の言葉には、過剰に反応して、里中はキッと彼を睨みつける。
「──何か言ったか、三太郎……っ!?」
「いや、何も言ってないぜー?
 けど、そういうことならサッちゃんに聞いたらいいじゃないか。」
 強い目を向けてくる里中をこれ以上突付くとマズイのは分かっているので、サラリと流して、彼ら2人の夫婦の一番近くに居る女性の名前を口にする。
 サチ子なら、自分たちよりも思春期の女の子の心情に詳しいだろうし、「それはやりすぎだわ」と姫に忠告もしてくれるだろう。何よりも、姫にとってサチ子は、一番身近な女性の親族であるはずだし。
 そう提案した微笑には、里中がアッサリと、答える。
「そう思って、サッちゃんに聞いたんだよ。」
 ──まぁ確かに、自分が思い浮かぶのだから、里中と山田が実践していないはずはない。
「そしたら、サッちゃんが、『修学旅行で新しい下着を買い込むってことは、きっと好きな男の子が居るのね〜』とか言うから、山田がもう昨日から凄くハラハラしてて、こんな目をして怖いんだ。」
 キュ、と、自分の指で自分の目の端を吊り上げて、糸目にして示す里中に、微笑はプッ、と小さく噴出した。
「そっか? いつもと変わりないように見えるけどな。」
 どちらかと言うと、いつも以上にニコニコしているように見える。
 姫が久し振りに自分たちの試合を見に来ると言ったことが──たとえソレが修学旅行だったとしても──、嬉しくてしょうがない「父親」以外の何者でもないように。
「昨日は凄かったんだぞ。口とか顔は怒ってないのに、目がこんなで雰囲気が怒っててさ。」
 再び目を細める里中に、それはもういいから、と突っ込んでから、微笑は首を傾げた。
 穏かでいいお父さんを地で行きそうな山田も、ただの可愛い娘の父親──と言った所なのだろう。
 微笑だって、あの小さかった姫に「好きな男」が出来たと聞くのは、なんだか複雑な気持ちを抱くのだ。生まれたときからずっと同じ家で、「パパ、パパ」と甘えられてきた山田にしてみたら、寂しさと心配もひとしおなのだろう。
 それで行くと、しょっちゅう山田家に出入りしていた岩鬼までもが、「色気づいとるんやないで!」と言って、姫を頭ごなしに叱りそうである。
「山田がなぁ。」
 シミジミと呟く微笑に、コックリと里中は頷いて、
「うん。なんでかなー?」
「そりゃ、姫ちゃんがそれだけ可愛いってことだろ。」
 少し寂しそうに呟く里中に、微笑が苦笑を刻み込んで、ポンポン、と里中の背中を叩いてやる。
「姫だってもう年頃なんだし、姫くらいの年の時には、俺と山田だってやることやってたじゃないか、って言ったら、もう手がつけられなくなってさ……。」
「………………そりゃお前、火に油を注いでるだけだろっ!」
 しゅん、と肩を落とす里中に、間髪入れずに微笑は突っ込んだ。
 多分、「姫だってもう一人前の大人なんだから」と言いたかったのだろう。
 そのことは、山田も充分受け取ったとは思うのだが、もう少し言い方というものがある。
「そうか?」
 分かっていない表情の里中を見下ろして、まったく──と、微笑は手のひらで顔を覆った。
 山田も、その台詞を発したのが里中だからこそ、怒鳴りつけたり怒ったりはしなかったのだろうが──というか、多分言われた瞬間、そのまま床か机かにのめりこんでしまっただろうことは想像に難くない。
 里中の発した台詞が、普通の父親にとってどれほど衝撃的な意味を持つのか、里中はさっぱり理解していないようである。
 こういう暴言は、きちんと説明をして、二度と吐かないようにしなくてはいけないのだが──なんだかんだ言って山田は、こういう里中の暴言を、そのままほうっておく傾向が高い。こういう開けっぴろげなところもまた、里中の可愛いところだとでも思っているのだろう──自分がダメージを受けることも多いというのに。
 そんなわけで、微笑はしぶしぶ、「それは言ってはいけない台詞だ」と、里中に諭そうと口を開きかけたが──里中の言葉を頭の中で繰り返してみて、ちょっと突っ込みたくないところまで突っ込んでしまいそうな気がした。
「でもさ、自分のことを棚上げして、娘に『男と付き合うな』って言うわけには行かないだろ?」
 首を傾げる里中の台詞を聞いて──やっぱり、その台詞は父親には辛い台詞だと説明するのは止めることにした。
 高校時代の2人の関係について、今更いろいろ突っ込みたくなかったのである。
 微笑はとりあえず、咳払いを一つして気を取り直すと、
「──まぁ、それはとにかく、姫ちゃんもそうだよな、もう高校2年なんだから、そりゃ、好きな男くらい居るよな。」
 話を元に強引に戻してみた。
 里中はソレにコクリと頷いて、
「修学旅行でその男の告白してそのまま押し倒すつもりなのかなーってサッちゃんと話してたら、余計に山田の機嫌が悪くなってさー。」
「だから悪くなるだろ、普通はっ!」
 なんでサチ子も里中も揃って、山田の機嫌を悪くさせる方向にばっかり持っていくのだ、と──微笑は、頭を抱えたくなった。
「だって、俺も似たようなものだったし……まぁ、親子だからやることは一緒かなー、とか?」
「………………──も、もう少し山田の気持ちも考えてやれ。」
 ぱったり、と、テーブルの上に突っ伏す微笑に、里中はふと心配そうな色を乗せて、軽く身を乗り出し、彼の顔を覗きこんだ。
「やっぱり、娘が他の男に取られるのって、父親はイヤなものなのか?」
 最近益々綺麗になったと評判の、年を取っても整った容貌を見下ろして──山田の隣に居るときは、色気めいた雰囲気も出すのに、他ではサッパリ女らしくならない里中に、微笑はますます疲れたように溜息を零した。
「智もな……分かってるんだったら、山田のことも考えてやれよ……。」
 父親ではない微笑だって、今の一連の里中とサチ子の攻撃を食らったら、再起不能になってしまいそうなコンボだったのだ。
 小さかったあの子がなぁ、と言うには、まだ高校二年生だろっ! という気持ちの方が強い。
 けれど、サチ子や里中はそうではないらしい。
 この辺りが、男と女の考え方の違いなのかなぁ──と、里中に視線をやった瞬間、どこか拗ねたような表情を浮かべた里中の顔にぶつかった。
「……さと……?」
 どうかしたのかと、続けるよりも早く、
「──……俺が居るのに?」
 ブッスリ、と、不機嫌そうに里中が微笑を睨みつけた。
「────…………………………。」
 思わず微笑は、拗ねた顔で自分を睨み上げている里中を、マジマジと見下ろし──言葉を発しかけていた口を、パッカリと開いたまま。
「……おいおい……娘に焼餅焼いてるなよ……智…………。」
 手のひらを自分の口元に当てて、かすれた声で忠告をしてみる。
「別に焼いてない。ただ、俺が居るのに、なんで姫がほかの男に取られるとかどうのって、気にするんだって言ってるだけだろっ。」
 全然説得力のない態度と口調で、つっけんどんにそう叫んだ里中は、ブッスリと唇を歪める。
 その、かすかに怒りに紅潮した頬を見下ろしながら、
「それを焼いてるって言うんだろ……。」
 ヤレヤレと、微笑は苦笑を口元に刻み付けた。
 ──まぁ、なんだ、早い話が。
「……お前ら、今日は朝から一緒に居ないと思ってたら──そんなことで拗ねてたのか…………。」
 ただの、バカップルの痴話ケンカは、どこでも健在、だと言うことなのだろう。
「だから拗ねてないって言ってるだろっ!」
 ガンッ、と、怒ったように微笑の椅子を蹴りつける里中を、はいはい、と軽くあしらいつつ、微笑は心の中だけで究極の選択を迫られていた。

 山田に、里中がこういう理由で拗ねてるから、甘やかせてやれと、わざわざ提言してやるべきか。
 このまま放っておいて、山田が気づくまで里中台風をほうっておくべきか。

「…………………………ドッチにしても、被害に遭うのは、俺らなんだよな………………。」
 くだらない理由で、痴話ケンカをしては、バカップルぶりの仲直りをしている2人を、延々と見続けている自分たちにしてみたら、ドッチに転んでも、同じ結果しか得られないのだから、どうでもよかったり──する。
 そういえてしまう自分に、なんだかな、と溜息を零すと、
「だから、別に俺は──……って、聞いてるのか、三太郎っ!?」
 ますます頬を赤らめて──自分でも、子供みたいにすねているという自覚はあるらしい里中が、叫んでくるのに、、
「はいはい。お前らは、いくつになってもそのままで居てくれよ。」
 どこか投げやりに、彼女の頭をポンポンと叩いてやった。












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子供が居てもバカップル夫婦の話。
──いや、一方的に父親バカな山田と、そんな山田にやきもちを焼く里中の話か……。

やっぱり、異性の子供に対して、少しばかり理想を抱くものじゃないかな、と。
山田はサチ子に関しては、締め付けはまるで無いようですが、それでも彼女が好きな男性のことは少し気になるようだし、表に出さないだけでそんなものかな、とか。サチ子が寝た後に、じっちゃんとサチ子の交友関係を相談しあったりとかしてそうだなー、とか思っていたので、そのままのイメージで行ってみました。
ちなみに里中は、そういうのはあまりこだわらなさそうかな、とか。娘が選んだのなら、それでいい。でも、相手の男が害を成したときは、人一倍激昂する。
実の子の恋愛とは言えど、他人の恋愛事情だと里中は分かっていて、山田も分かっているのだけどやっぱり手塩にかけた娘の分だけ、寂しかったりショックだったり……ってところですか、男親→娘は。これが息子だったりするとまた違ったりするんでしょうけどね。






「で、突然、修学旅行では男に気をつけろとか、寝巻きはジャージで充分だとか言い出すのよ、パパったら。今更なんでそんなことを口うるさく言うのかしらね〜。」
「男親って、みーんなそんなものよー。うちだって、修学旅行だってハメはずすなとか説教してきたしさあ。」
「でもさぁ……私──その前に、春の甲子園で野球部員達総勢で大阪行くんだけど……アレはいいみたいなのよね……。」
「────…………普通、ソッチのほうが重大よね?」
「でしょー?」




 パパ、通称野球バカ。
 神聖なる大会で、そのような不埒なことを働く男はいないと──どうやら信じているらしい。