小話3 母のデートのススメ





ワンピース





 その日、母はいつになく頑固だった。
「ヤだ、そんな格好。」
 そして、息子……いや、娘もまた、頑固だった。
 2人は無言で同じ室内で、ジ、とお互いの顔を見やった。
 あえて──決して母がひざの上に広げている物体を見ないように、智は、ジ、と母の顔を見据えた。
 しかし母もまた、そんな娘を産み落とした張本人だけあって、頑固であった。
「あら、確かにちょっと流行遅れかもしてないけど、でも、ほら、可愛いじゃない。」
 ヒラリン、と手にとって広げてみせる母の手につかまれたものから、あからさまに智は視線をそらして、壁にかけられた明訓高校の学生服を見た。
「アレでいいよ。」
「そんなことじゃ、山田君ががっくりするわよ。」
 くい、と顎でしゃくった智に、即座に母が答える。
 思わずカクリと肩を落とした智の目の前に、ほら、と彼女は大きな花柄の模様の入った、若々しいワンピースを差し出す。
「なんで山田ががっくりするんだよ……。」
「初デートのときくらいは、ちゃんと可愛い格好をしなさい。」
 母の威厳たっぷりに言ってくれるのはいいのだが、目の前に出されたワンピースと、口にしている台詞は、威厳とは少し違った。
「はっ、つ……って、何言ってるんだよ、母さんっ!」
 バンッ、と、畳を叩きつけて、智は目元を赤らめながら、ジロリと母を睨み上げた。
「……あら、それじゃ、何度目?」
「……そんなの数えてない……──って、そうじゃなくって!
 たんに山田と買い物をしに行くって言っただけだろっ!」
「でも、智は山田君と付き合ってるんでしょ? 智がちゃんとした女の子になるのに協力してくれてるんでしょう?
 なら、一緒に出かけるのは、デートじゃないの。」
 ほら、と、再び差し出してくるワンピースに、げんなりした顔で、智は横に置いてあった帽子を手にとり、その中央に手を突っ込んで形を整えると、パフリ、と頭にかぶった。
「じゃ、行って来るから、母さん。」
 そして、何事もなかったように、スックと立ち上がろうとするが。
ガシッ。
 一歩踏み出すよりも先に、母は智の足首をつかんだ。
 ズ、と、畳の上で足を引きずる羽目になった智は、無言で唇を引き結び、ため息を零してから母を振り返った。
「……何、母さん?」
「珍しく学校と関係なしにお出かけするときくらい、女の子の格好をしてみたらどう? きっと山田くん、びっくりするわよ。」
「……あのね、母さん。そのときくらいも何も、おれ、女装したことは一度もないから。」
 呆れるように目を細める智に、
「女装じゃないでしょ、智は今、女の子なんだから。」
「………………………………。」
 まだ自覚も浅い智としてみたら、そう堂々と言われても、納得できないというか。
「──女だからって、スカート履いたりワンピース着たりする必要はないと思うから、このまま行って来ます。」
 シャツにジーンズ。白い靴下にスニーカー。そして帽子。──それで出かけるのは十分だ。
 そういいきり、母の手を振り切って歩いていこうとする娘に、つまらないわ、と加代は眉を乗せた。
 何せ、智が実は「女の子」だと知った数年前──それでも智は、自分のために「男」であり続けることを望んだ。あの時は、智がそう選んだのなら、と、納得したのだけれども。
 けれど智は、野球の道を突き進むために選んだ明訓高校で、自分が選んだ捕手を、好きになった。
 後は、悩み続けるのもばかばかしいほどに、簡単に決めてくれた。中学の時に、あれほど悩み、それでも男で居続けたいといったのが嘘のように。
 ──女には、なる。でも、それでも──野球はする。甲子園を目指す。
 そう智が言い切れたのも、山田のおかげなのだろうことは、想像に難くない。
 そうやって、智が女になることに、もちろん加代は反対はしなかった。結局、この子が幸せになるために、自分で考え、選んだことなのだから──自分はそれを精一杯支援しようと思ったのだ。
 何せ、山田はそんな智をしっかりと受け止めてくれる、とても頼りになる男だし……何よりも、智が心底惚れきっている。
 なら、母として。
「せっかく智が女の子になったんだからと思って、母さん、独身の頃に着ていたワンピースを出してきたのに……。」
 ペラリ、とワンピースを広げて、加代はその生地の表をなで上げる。
──せっかく、出してきたのに。
 そう口の中で繰り返して、小さくため息を零す。
 智はそこで動きを止めたが、
「きっと、山田君も大喜びすると思うわぁ。」
 しつこいくらいに繰り返す母に、米神を軽く揉むと、
「母さん。」
 ニッコリ、と笑って振りかえり、
「ワンピースがもったいないなら、そのまま大事に箪笥に取っておいてくれよ。
 そうしたら、十年もしないうちにサッちゃんが着てくれるさ。」
 言い置いて、さぁ、行くか、と、智は今度こそ振り返らずに玄関に歩いていこうとした。
 ──が、それよりも早く。

パシャ。

 加代が、強硬手段に出てみた。
 すなわち、つい今の今まで飲んでいたコーヒーを、思いっきり良く智にかけたのである。
「って、わっ!? 母さんっ、何するんだよっ!?」
 驚いたように、茶色の染みを見下ろす智に、加代は、まぁ、大変っ! と、あからさまな態度で両手を合わせると、
「大変よ、智! すぐに脱がないと染みになるわっ!」
「そう思うなら、かけるなよっ!」
「さぁっ、早く脱いで、洗濯機の中にっ!」
 グイグイ、と背中を押さえて、そのあからさまな母の態度に、ちょっと母さんっ! と智は悲鳴をあげるが、加代はそれを気にせず、バンッ、と脱衣所に娘を押し込んだ。
「さ、智! 早く脱ぎなさい、母さんが洗濯機に放り込んできてあげるからねっ。」
「…………………………──────母さん………………。」
 脱衣所のドアの向こうから、脱力したような智の声が聞こえてきた。
 こうあからさまな母の態度の理由を、分からないはずはなかった。
 なかったのだけれども。
「さ、着替えも用意しなくっちゃねぇ。」
 なぜか楽しそうに弾んでいる母の声を聞いた瞬間──智は、ごつん、と、額をドアに向けて叩きつけてみた。
 ドアの向こうで母はきっと、さきほど手にしたワンピースを両手に抱えて、ニコニコ笑っているに違いない。
「…………………………出かけたくない…………。」
 小さく呟いて、智は覚悟と勇気を決めるまでの間、硬く目を閉じるのであった。










+++ BACK +++




やっぱりせっかく「女の子」で書いてみたんだから、ワンピースとかくらい着てくれないとなぁ(笑)。
プールに行く話とかも考えてみたのですが、オチがねぇ、思いつかなかったので、とりあえず着ていかなくてはいけない事情から書いてみました。

母親公認……(笑)。
せっかく可愛い娘なんだから、やっぱり着飾らせたいですよねー。